安敦誌


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デカルトさんとパスカルさん、それからフェルマーさん

ルネ・デカルトというと、大げさに言うと「近代哲学の父」ということになっていて、その著作なども継続的に読まれている。ここでも頻繁に「我思う、故に我あり」という有名な言葉を引いてきたし、人間機械論などは当時は突飛な考え方であったろうと思うが、今ではそれほど珍しい考え方には思えない。もちろん、現代でも神秘主義は主要な考え方のひとつではあるけれども。

なんというか、そういう難しそうに見える話はさておいて、3冊の本の紹介をしたい。デカルトさんとパスカルさんの名前を初めて見たのは歴史か思想の教科書あたりだったと思うけれども、どういう人たちだったのかというのを初めて知ったのは10年ほど前のことだった。

アンドリュー・ワイルズという人が、1670年に出版された古代ギリシャの算術書の翻訳にピエール・ド・フェルマーというフランス人が付けた注釈に含まれていた、有名な定理(厳密には予想)を証明したというニュースが、20世紀末に世界を駆け巡った。その証明は楕円関数論というものを駆使したもので、最新の暗号理論などにも応用されている、それはそれは難しい数学理論なのだけれども、それに対してフェルマーさんが適当に書き残した「定理」のほうは、中学生でもおそらく理解できるような簡単なものだった。

この証明を受けて、1995年に講談社の科学系新書であるブルーバックスから発行された「フェルマーの大定理が解けた!」という本の第1刷が自宅に残っている。この本はブルーバックスシリーズらしく、数学的な理論についても数学の教授が親切に説明してくれているのだけれども、それと同時にフェルマーさんの人となりから、その後この定理の証明に挑んでは敗れつつも、徐々に断片的な定理を積み上げていくことでワイルズさんの証明完了に至るという、学者たちの列伝にもなっていて面白かった。

その過程でいろいろな数学の分野が花開いたりして、この定理はその証明そのものではなく、証明の過程で産み落とされた数学の諸分野の開拓という面で大きな意味があったと思えるのだけれども、それとは別に、フェルマーさんの生涯に関するストーリーにも少し触れられていて、それもなかなか興味深かった。

このフェルマーさんは一応地方の弁護士という肩書きになっているが、当時は大学教授という職業はまだ十分に社会的地位を占めていなかったので、今で言う研究者のほとんどは官吏とか医師とか弁護士とか、そういう仕事を正業としていたらしい。そういう状況なので、現代の視点から見ると、このフェルマーさんは弁護士というより数論の研究者と見たほうがわかりやすいという状況が説明されていた。

で、フェルマーさんが算術に没頭していた時代のフランスというのは、ポスト・ルネサンスの時代にあって、イスラム圏からヨーロッパに再輸入された古代ギリシャの文物がフランスのあたりでも普及し始めた時代だった。この時代には、宮廷に出入りする知識人にも科学や数学の知識が教養として求められていて、そうした教養に長けた宮廷人というのが、ルネ・デカルトさんや、ブレイズ・パスカルさんたちだった。

フェルマーさんは算術の問題に関して、デカルトさんやパスカルさんと書簡を通じて意見の交換をしていたらしいが、フェルマーさんはひたすら算術の世界にのめり込んで別次元へ行ってしまったし、デカルトさんは懐疑的方法を突き詰めてキリスト教の縁まで達してしまったし、パスカルさんはヤンセン派と呼ばれるキリスト教の一派の活動家となってキリスト教の深遠に降りてしまった。そういうこともあって、純粋に学問を吸収していた頃のこの3人は、互いに刺激しあって情報交換も盛んにしていたが、後年には徐々に交流が途絶えていったらしい。

「パスカルの原理」とか、「フェルマーの定理」とか、「デカルトの座標系」とか、今でも我々がお世話になっているというか苦しめられているというか、そういう実用品としての知識を残したのは、彼らがまだ交流を保っていた前半期の仕事ということになるらしい。一方、「パンセ」とか「方法序説」とか「フェルマーの大定理」とか、一般人には断片のみしか知られていないが、しかし非常に有名な仕事を残したのは後半期ということになるらしい。

デカルトさんの「方法序説」という本は、今も岩波書店から文庫の青シリーズの一冊として発行されている。恐ろしげなタイトルのイメージに反して、内容は理解しやすい。訳の良さもあるのだろうけれども、分量も、目次と解説を除くと100ページに満たない程度だし、面倒なことをテーマとはしているものの、理路整然としているので読みやすい。なにより現代文明に住む典型的な人間の思考パターンの基礎はこの人の思想をベースにしているので、時代を超えた違和感というものが少ない。

1650年に亡くなるデカルトさんが1637年に出版した本なので、前半期と後半期の境目あたりの作品のようだ。本当はフランス語で書かれた原書で600ページを超える「方法論("Discours de la Méthode")」という科学論文調の大作に付けられた「序」の部分だけを抜き出したものらしいのだけれども、とにかく読むだけならすぐに読み終えることができる。

これに気を良くして、パスカルさんの有名な著作である「パンセ」も探してみたのだけれども、岩波のほうではすでに絶版となっていて、代わりに中公文庫から出ていたので、少し値段が高いのだけれども買ってみた。Amazon.co.jpで買ったのだけれども、届いてみて、そのぶ厚さに驚いた。同じく目次と訳注を除いてみても、600ページは下らない。そして、内容も読みにくいことこの上ない。

一文を引いてみると、
 人間のむなしさを十分知ろうと思うなら、人間の恋愛の原因と結果とをよく眺めてみるだけでいい。原因は、「私にはわからない何か」(コルネイユ)であり、その結果は恐るべきものである。この「私にはわからない何か」、人が認めることができないほどわずかなものが、全地を、王侯たちを、もろもろの軍隊を、全世界を揺り動かすのだ。
 クレオパトラの鼻。それがもっと短かったなら、大地の全表面は変わっていただろう。

という感じである。もちろん翻訳の質というのもあって、おそらくは原文の、論理的であるより詩的である部分をより多く伝えようとしたらこうなってしまったのだと思うけれども、読み進めるには相当つらい。この点、哲学者が訳すのと、フランス文学者が訳すのと、神学者が訳すのと、科学者が訳すのとでは、おそらく全く違う内容になってしまうのが「パンセ」という作品なのではないだろうか。

上の一文にしても、人間の感情について批判的に論じた哲学的論考の導入と解釈することも可能だろうし、恋愛の切なさに思いを馳せながら語った詩文とも解釈できるだろうし、神に対する人間の矮小さを語った神学的論証とみなすことも可能なら、微小な原因が系の全体に影響を及ぼす複雑系におけるカオティックな振る舞いについて言及した科学的論考とみなすことだって可能だろう。

とにかく多面的かつ断片的で読み下しにくい文章が、原文の詩的な雰囲気を保ったまま訳されているので、論理的に読もうとしても非常につらいし、キリスト教の精神世界に没入していったパスカルさんの死後数年を経て出版された断片集だということを考え合わせても、ただ論理的に読んではいけないものなのかもしれない。これはもうちょっと人生経験を積んでから読み返すことにしたい。

ところで、パスカルさんにしてもデカルトさんにしても、人間の理想の姿を、ただ賢かったり信心深かったりするのではなく、調和の取れた人間、手許の「パンセ」によると「オネットム」というものに見ていたらしく、「人から『数学者である』とか『説教家である』とか『雄弁家である』とか言われるのではなく、『彼はオネットムである』と言われるようでなければならない」とも書かれている。

この、調和の取れていないひとつの専門に突出した人物の筆頭に数学者が来ているのは、もちろんパスカルさん自身が数学の手法を開発するような優れた成果を残したことを指しているとも考えられるけれども、あるいは数論の世界に没入していき、パスカルさんに「私は数学者ではないからそこまでの問題にかかわるつもりはない」というような突き放され方をしたというフェルマーさんを、あるいは念頭に置いていたのかもしれない。

フェルマーさんは例の大定理の証明について、「そのことの真に驚くべき証明を見つけたが、この余白は小さすぎて書ききれない」という、これはこれで有名な言葉を残しているんだけれども、300年後に全貌を現した証明を見ても、フェルマーさんが頭の中に描いていた証明は、現代的な意味で完全な証明ではないのは明らかだという。その証拠に、結局「定理」とはならず、「ハズレ」だった予想もいくつか、この「算術」の注釈には残されているらしい。

かといって、フェルマーさんはただやたらめっぽうに適当なことを書いていたのかというとそうでもなく、フェルマーさんの頭の中では確かに信じるに足りるロジックは組み立てられていたようだ。現在の、不完全性定理あたりが成立した以降の世界での証明としては不足だとしても、それなりの確信はあったようである。そちらの証拠として、フェルマーさんがイギリスの数学者というか数学愛好者とも言える数人に送りつけた書状が先に紹介したブルーバックスの本に挙げられている。

そこにはこういう問題が書かれていたという。
Aを、平方因子を含まない(1を除く自然数の2乗を約数に持たない)自然数とするとき、
x2-Ay2=1
の「自然数解」を全て求めよ

というもので、「あなたにひどい苦労をさせないために、A=61または109の場合に解を見つけるだけでよい」という限定があるのだけれど、A=61の場合の最小の自然数解は、

x=1766319049, y=226153980

になるという。また、A=109の場合では14桁の数字になるという。これらの解はフェルマーによって直接示されていたわけではないらしいのだけれども、A=61とかA=109の場合の答えの巨大さを知っていて、しっかりとした解法を知ることなく解だけを偶然求められるような問題ではないということは理解していたことを示すと考えられる。他にもこの手の意地悪な問題を記した書簡を各地の数学家に送りつけていたらしく、そのうちの一人がパスカルさんだった。

結局、整数論の価値は当時あまり認められることなく、名声とは無縁のままフェルマーさんは亡くなったらしい。それが、数学そのものとコンピューターサイエンスの発展に伴い、20世紀も後半となると、再びフェルマーさんの「大定理」が脚光を浴びるようになった。そして、4色問題やケプラー予想といった整数論的で数世紀もの間証明されなかったような定理が、コンピューターの「力技」によって次々に証明された。

そしていよいよフェルマーの大定理もこの流れかというとき、ワイルズさんという数学家個人の才能と意思(と過去の数学者たちによる数学的な基盤の整備)によって、定理は久々に「エレガントに」証明されたという話だった。数学の世界にはまだこうした偉大な問題がゴロゴロと残っているばかりではなく、日々新たに生み出されているというから、人間の仕事はまだしばらく続きそうである。

数学の苦手な私にはこうした問題は当然お手上げなのだけれども、たまにはこういう話題に触れてみたいと思うだけの余裕があるから、大人というのはお気楽なものである。子供たちはもう夏休みの宿題を仕上げて、最後の週末を楽しんでいるだろうか。

訂正(2007/9/3):「ケプラー予想」の証明は「フェルマー予想」の証明よりあとだったみたいですね。
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by antonin | 2007-09-01 15:22 | Trackback | Comments(0)
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