安敦誌


つまらない話など
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若い人の努力と成功に光を当てよう

最近、「ニート」だとか「ゆとり」だとか、若い世代の人々をけなす言論が余りにも多いけれども、こういうことばかりを言うのは、日本の将来にとってマイナスにしかならないということに、どれだけの大人が気付いているのか。

学生時代に書いた文章をここで引用したことがありました。

安敦誌 : 13年前の落書きが出土(続編)

ここに、こういう文章があります。
最近の若い人たちも、テレビで言っているほど淫らでは、たぶんない。でも、みんながそんな事してると言われれば、罪悪感が分散されていずれはそれに近く、たぶんなる。ここまでくればおそらくそれを止めることは不可能だろうと、20年そこそこの経験は予測している。

自分の文章を引用するのもどうかと思いますが、なにしろ15年近く前の文章なので、今となっては歴史的な資料価値も少しはあるでしょう。

なんとなく、予想通りの状況になりつつあるような気がします。それでもまだ、テレビが言うほどには、若い人たちは淫らではないでしょう。けれども、昔とは確かに変化しているように思えます。

これは若い人を責めているのではなく、私たち大人世代の責任を指摘しているつもりです。毎日耳に飛び込んでくる意見が、「お前たちの世代には、こんなに立派な人間がいる」と繰り返しているのと、「お前たちの世代には、こんなにひどい人間がいる」と繰り返しているのとでは、どちらがまじめに生きようという気が起こるか、自分が若かったときのことを思い返してみるといいでしょう。

私はたまたま東京都内に住んでいたので、学生時代のテレビ番組が渋谷や原宿の女子高生の性の乱れを報道していても、実際に山手線に乗れば、それがごく少数の極端な例を報道しているに過ぎないということを経験的に知ることができました。しかし、当時どれだけの若者がそうした冷静な事実を知ることができたかは疑問です。そうした情報が氾濫した環境では、周りに合わせてだんだんと同調していくのは明らかです。

昔に比べてどう変わったかは、昭和の終わりに育った私には正確に知りようがありませんが、もし高度経済成長前の新聞やラジオが、赤線や青線の地区に住む若者たちばかりを選んで取材して糾弾していたら、果たしてその時代の若者は、今より貞淑だったと思えるでしょうか。

現代が「親殺し、子殺しを平然とする時代」であるかのように憤る人もいますが、昔は親殺しや子殺しがなかったのでしょうか。もちろん、連日のように世間を賑わすことはなかったでしょうが、新聞の縮小版を丁寧に漁ると、そういう記事は驚くほど多数出てきます。むしろ、当時の大人たちに、そうした無残な事件を子供たちの目に触れないように包み隠す良識が、今より優れていたとは考えられないでしょうか。

性の問題もそうでした。今では「でき婚」という言葉が、別に赤面することもなくマスメディアに現れます。殺人事件も子供の生活時間に繰り返し報道されます。被害者が加害者を思いやる発言をしたときは、つまらなそうに報道をやめますが、被害者が復讐心に燃えていると、その発言を繰り返し報道し、「復讐するは我に在り」とばかりに、本来客観的第三者であるはずのマスメディアが、感情的で扇動的な「報道」を毎日繰り返します。

毎日のようにこうした情報に囲まれれば、子供の柔らかい心はすぐにそちらへ流れます。これは現代の子供や若者の責任でしょうか。フリーターやニート、それに学力低下の問題も同じです。「お前たちは我々より劣った人間だ」と言われ続けて育った人間が、どうして優秀になろうと努力するでしょうか。

それでも、希望はあります。実際に身の周りに目を配れば、目立ちはしませんが、確かに立派な若者が大勢います。「鬼畜米英を打ち倒さんと叫ぶ軍国少年」ほどの気概もありませんし、「世界一級の経済大国にふさわしい生活水準」に目の色を変える貪欲さもありませんが、身の丈に見合った着実な努力を好み、周囲に気を配り、謙虚さと前向きさを併せ持った若い人を多く見かけます。

しかし残念なことに、こうした人々が連日マスメディアや言論界を騒がすことはまれです。あるとしても、「~~王子」などといって、本人の努力とは別の方向で無駄にもてはやされるだけです。「昔の若者と今の若者」を比較する大人は多いですが、「昔の大人と今の大人」を比較しようとする人はまれです。学力低下を嘆く大人が、近世の寺子屋の先生のように論語をそらんじているかというと、それもまたまれです。

「2ちゃんねる」などでの若者の攻撃性を嫌う人は多いですが、「祭り」や「炎上」のときだけではなく、彼らの日常会話を見ていれば、攻撃的言論の中にもそれらを適切に処理できるだけの、いわゆる情報リテラシーを有した人々が比較的多数を占めていることに気付きます。そうした若者たちは、たとえばブッシュ演説を聞いたり、ビン・ラディンの演説を聞いたりしても、それらをある程度相対化して聞き流す力に長けています。マスメディアの言論を真に受ける大人たちよりも、この点では大きくまさっています。

若い人が自分たちと違う点を持っていることを指摘するときに、彼らが自分たちより劣っていることを指摘するのは簡単であり、気分もいくらかいいでしょう。けれども、彼らが自分たちより優れている点を見抜き、褒めて、自信を与え、その自信を軸足にして、より高いところを目指すように育てるのは簡単ではありません。

昔の若者と今の若者を比較することに夢中にならずに、昔の大人と今の大人を比較する癖をつけることを、私たちは心掛けなくてはいけないように思います。若造はいつの時代も未熟ですが、そんなのは当たり前のことなのです。

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今日は年休を取って、仕事は休みです。
これから幕張までCEATEC 2007を見物に行ってきます。
では。
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by antonin | 2007-10-03 10:38 | Trackback | Comments(0)
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