安敦誌


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花はなぜ咲くのか

「何のために生まれて 何をして生きるのか
 わからないまま終わる そんなのはイヤだ!」

これはアンパンマンのテーマの一節で、作詞はやなせたかしさん自らなのだという。

そういうやなせさんも、絵本作家でありながら絵の技術には相当自信がなかったらしく、それでも絵の勉強を続け、「あんぱんまん」という、やや暗めのタッチの絵本からシリーズが続いて徐々に「大家」への道を進み始めたのは、相当にトウが立ってからだという。

個人的には「何のために生まれて」の部分は解決が済んでいて、人間といえども所詮は哺乳類であり、また多細胞の真核生物なのだから、自分の遺伝子を残してナンボという結論に達している。私自身もこの点ではある程度仕事を果たしたことになる。

もうひとつ、「何をして生きるのか」というのは結構難しい問題で、鳥類と哺乳類は子育てまでやることで生き延びるようなシステムになっており、マンボウみたいに億単位の卵を海中に放って、あとは運を天に任せるというのとは根本的に違う仕組みになっている。そうであるからには、子供ができればよし、ではなくて、子供を立派に育てて、孫の顔を見るあたりまでは安心して死ねないのである。そのためには、もうひと働きする必要があり、どのように働くかという問題を不惑までに解決しておきたいということは先日書いた。

ただ、子育てせざるは人に非ず、とも思わない。人間は言葉もあり知恵もある生き物なので、自分の遺伝子を直接残す以外にもいろいろとできることはある。ただそうは言っても、自分の遺伝子を直接残すのが一番手っ取り早いのは確かだ。その上でいろいろとできることもあるし、平凡な人間にはやはりこれに勝る手はない。

哺乳類である人間が子供を産み育てる以外に何ができるかというと、人生にパッとひと花咲かすことである。

花はなぜ咲くのか。それは、風にそよいだり虫をおびき寄せたりして、花粉を遠くへ運んでもらう必要があったからと考えられている。よりダーウィニズム的な表現をすると、風や虫という環境要因をうまく繁殖に利用するような形質を発現する遺伝子は、より増殖しやすい傾向にあるからだ。なぜ花粉を使った遺伝子交換を伴う生殖をしなくてはいけないのかという根本的な問題もあるのだけれども、その話は後回しにする。

現在存在する花は、基本的に繁殖能力があり、花が咲けば実が成る。その実からは芽が出て、次の世代の個体が生まれる。ただ、そうした花ばかりがあるわけではなく、例えばランやソメイヨシノのように、花は咲くが、そこから種が取れて次の世代が育つという仕組みにはなっていない花もある。

そうした花がなぜ立派に咲き続けるのかというと、それはまあ最初は偶然の結果だったのかもしれないけれども、そうしたものが生き残ったり、あるいは増殖したり、あるいは品種を増やしたりするのは、そこに花を愛でる人間がいたからであり、たとえ実は成らなくとも、花が美しければ、それだけで株を増やしたり慎重に交配させたりしてくれる、人間という環境要因があったからに他ならない。

特定のハチに選択的に受粉させるような花を咲かせることで代を重ねて進化してきた植物と、パッと咲いてパッと散る花を年に一度だけ見せることで、日本人に株分けをさせてきたソメイヨシノとでは、仕組みは大きく違うけれども、実はやっていることは同じなのである。人間もある種の生物に他ならないとすれば、自然淘汰と人為淘汰に本質的な差はないのである。

そもそも人間の遺伝子の99%以上は共通部分で、残りのわずかな違いが人種の違いや顔かたちの違いになって現れるというから、自分が直接遺伝子を残しておかなくても、同じ人類が生き残るのに有効な働きを残せば、かなり高い確率で自分と同じ遺伝子は存続するようにできている。そもそも、自分の子供を残したところで、本当に残せる遺伝子は半分だけなのである。

実はここに「なぜ遺伝子交換の伴う生殖が必要か」という理由の答えがあり、結局のところ、世代交代というのは遺伝子組み合わせ実験の試験場でしかない。どんな正常な人の子供にも、致死遺伝子のようなまずい組み合わせが生じる可能性はある程度存在する。その代わりに、私たちは実際に形質として発現する遺伝子以外にも隠れた遺伝子のキャリアとなっていて、その組み合わせの多様性によって、急激な環境変化に対して柔軟に適応できるような遺伝戦略を取れるようになっている。

人と類人猿、あるいは人とクジラやイルカなどを比較しても、遺伝子の総体としては、やはりそれほど変わらないのだという。だとすれば、イルカや動物の保護に血道を上げる人の行動もまた、たとえ人類が滅びようとも、哺乳類全体が生き残ればいいという「利己的な遺伝子」論に立脚した生存戦略の表れと考えることもできる。ゴキブリや原核生物の保護に乗り出す人がほとんど見られないのも、同様に説明が付いてしまう。

まあ、人間の感情とはそこまで単純に説明できるようなものではないだろうが、とにかく自分の子供を残さなくとも、自分と類似の遺伝子を持った人々の繁栄を支えるために人生にひと花咲かせるというのは、ネオ・ダーウィニストの私から見ても、それは十分に価値のある生き方ということになる。

少子高齢化というのは、この先50年ほどの短いスパンで考えれば生活を脅かす大問題だけれども、数万年のスパンで考えれば、別にたいした問題ではなくなる。50年というのはコドモたちにとって人生の大半を占める期間なので同情は禁じえないが、地球を出ろとまでは言わずとも、別に機能崩壊した日本に住み続けなくてはならないという理由もないので、少子化の問題など顕在化していないような地域でたくましく生きてくれればそれでいいように思う。もちろんそれに必要な教育は与える。

昔に「天下国家を語るのはちゃんちゃらおかしい」などと書かれたこともあるけれども、天下や国家に暮らしているのは私とその家族なのであり、その行く末を心配して、間接的に天下や国家を語らざるを得ないというのが正直偽らざるところである。理想の国家とは、空気のようになって誰からも語られないものなのだという。

将来コドモたちがどのように生きていくか想像もつかないが、ひと花咲かすもよし、実を鈴なりに結ぶもよし、それはある程度成り行きに任せるしかないのだと思う。
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by antonin | 2007-10-15 23:55 | Trackback | Comments(0)
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