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井戸の底は深く、そこにはいつも水が満ちている。その水は無限ではなく、あまりに急いで汲めば、底を打つ。しかし、放っておけばいずれまた水が満ちる。その水はどこから来るのかといえば、井戸の壁から染み出てくるのである。 地層には透水性の砂礫層と、非透水性の粘土層がある。粘土層は火山の大噴火などで供給されるもので、その粘土層の上に河川の氾濫などに由来する砂礫層が乗ると、粘土層で堰き止められた水分が砂礫層に含浸して蓄えられ、地下水となる。 地下水の由来の主な部分は雨水であるけれども、場合によっては河川の河床から染み出して周囲の地層に流れることもある。現代では平野部の河川は護岸工事が施されているが、都心部の一部を除けばこうした水の融通は残されていると思う。一方都心部では、河川はコンクリート製の樋になってしまっており、地面の大方はアスファルト張りになっている。地中には水道管が張り巡らされているが、この水道管は送水を目的として圧力が掛けられている。これは同時に水道管に亀裂が生じた際に地下水が水道水を汚染しないように陽圧を保つという効果も持っている。クリーンルームの気圧が環境気圧より若干高めに調整されているのと同じである。 ただ、古い水道管が都市部に地下水を供給しているかどうかはわからない。面ではなく、点から注がれた水は流量に対して流速が早く、砂礫層の砂を洗い流してしまう。そのため、水漏れ箇所の周囲は徐々に空洞化し、その上の路面が陥没するということも発生する。水道局ならば、実際に使用量として計測された水量と、浄水場の放出量から求まる損失率を知っているかもしれない。もっとも、全ての水道水が課金の対象となっているわけではないので、消費水量の100%が計測されているのではないのかもしれない。 そんな話はどうでもいいのだけれども、井戸の水が枯れないのは、その水に必ず由来があるからで、結局のところ、それは過去に降った雨か雪に違いない。海と太陽が作り出した蒸留水以外に、大量の淡水源はない。井戸は単なる出口であって、水の流れをたどれば地中奥深くでどこかにつながっている。 人の言葉も同じようなものだろうと思う。人の口は単なる出口であって、その言葉は枯れることを知らないかもしれないが、その言葉の奥を探れば、たいていは誰か他の人間の言葉や経験につながる。ある時代のある地域に広く広がった地下水のように、情報というものもまたある時代のある地域に広く広がっている。 人は皆それぞれの経験というフィルターを持っているから、それぞれの口から発せられた言葉にはやはり人それぞれの色があるが、そもそもの情報がどこから来ているのかといえば、やはり先人が積み上げてきた言葉を元に、ある時代のある地域に含浸している情報に源を発しているのに違いない。切り口が違うだけで、元は同じであるともいえる。 そういう意味で、人の言葉は井戸水である。火山などが近ければ温泉になり人を楽しませることもあるだろうが、基本は同じである。鉄を含んで臭いものもあるだろうし、澄んで清いものもあるだろう。汲まれたときにだけ水を出すものもあれば、年中水が湧き出しているものもある。けれども、元をたどれば全ては雨か雪なのである。 ものを言うときには、ときどきそういうことを振り返って、自分の口がただの穴であることに気付かされることがある。けれども、それを気にしても仕方がなく、何も言わない枯れ井戸になるよりは、何かを言っていたほうがまだマシであると開き直ることにしている。
by antonin
| 2007-10-31 00:30
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