安敦誌


つまらない話など
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金を稼ぐということ

金を儲ける方法など、調べればいくらでもある、というようなことを言ったら、「じゃあやってよ」などとヨメに言われた。もっともである。

本来、カネというのは労働や品物の価値に対する対価であるので、貴重なものを持っていたり、勤勉に人の喜ぶ労働をしない限り、カネというものは入ってこないはずだった。けれども現代ではそうとも限らない。

市場の規模が大きくなり、貨幣の価値を担保していた貴金属などとの交換本位制度が、肝心な貴金属資源の有限性などにより終焉を迎えて、国家政府などの信用本位の通貨制度になってからしばらく経っている。紙幣という紙で買い物ができるのは、それが金(キン)と交換可能な、文字通りの金券であったからというのがその発祥ではあるけれども、今ではそうはなっていない。貴金属とカネの交換レートも変動相場制となっている。

カネは物質と等価なものから、次第に純粋に抽象的な数字に向かって変化を続けてきた。単なる数値である金銭が、それでもある種の均衡を保ちながら流通しているのは、そこに人間の「欲」が存在しているからだ。預けたカネは返して欲しい、物やサービスの価値に見合ったカネしか払いたくない、物やサービスを提供した側ならば、価値に見合ったカネを確実に回収したい、などといった人間の欲望が通貨という数値を厳しく監視しているために、実質的に単なる数値になった今でも、通貨はある程度合理的に取引されている。

とはいえ、そこは所詮抽象的な数値であるから、数字に強い人間が数字に弱い人間を煙に巻いて、合理的な範囲を超えるカネを集めることも、不可能ではない。しかもカネは人間の欲望に直結しているから、集めたカネの一部を的確に使うことによって、人間をコントロールすることさえ可能になる。これが格差社会の本質であろうと思う。

過去には、権力は一部の特権階級にあり、彼らがカネの魅力に溺れれば国家は腐敗したし、逆に彼らがカネの力に溺れずに民衆の怒りに耳を貸したりすれば、カネの亡者は権力によって駆逐された。ただ近現代では、高い教養と、生活の心配をしなくて済むだけの資産を持った特権階級をおおむね駆逐してしまったから、カネに溺れない権力者というものを産み出しにくい組織構造の国家が多くなってしまった。

崩壊した社会主義国家もだいたい似たような具合だったが、少なくとも建前上は私有財産を否定するほどの平準主義者たちだったから、彼らと対抗する勢力も、あまり相手の批判を許すような政策を取ることはできないという効果があったように思う。しかし共産主義もすっかり息を潜めるようになり、社会はマルクス前夜に戻ってしまった。今の社会に育った人材が国家の中心的年齢層になるまでは、おそらくこの傾向が続くだろう。そのときにどのような社会になるのかというのは、全く見当がつかないけれども。

ただ、これはある意味面白い時代でもある。戦乱の時代が、勤勉な庶民の生活を蹂躙する圧倒的に不幸な時代であるのと同時に、人間の知力体力が極限まで磨かれ、固定化した社会階層がリセットされて優れた人間が人々の上に立つまたとない機会でもある。戦乱で社会が乱れれば地道に働く正直者が馬鹿を見るのは事実だが、あまりに平穏な治世でも、無難につつがなく過ごす人間ばかりが報われ、正義を唱えたり新しいことに挑戦して価値を創出する者が報われずに馬鹿を見るという意味では、どちらもそう大差がないとも言える。

今、一部の、数字に強くマネーゲームを得意とする人間が、世界中からカネを巻き上げている。市場に流通するカネのうち、無視できない部分を集めてしまえば、ある程度合法的にカネを増やし続けることができる。いわゆる雪だるま式である。今アメリカではサブプライムローンが焦げ付き、一部の企業は損失を出しているけれども、それを見て、彼らの多くが本当にカネを失ったと考えるのは甘い。

例え話になるけれども、帆船というものは、もちろん追い風のときに最も速く航行することができる。順風満帆であれば船が速いというのは、素人にもわかる。しかし、優れた装備と船乗りを乗せた帆船は、風上に向かってでも風を利用して航行することができる。正面から風が吹き付けていれば、帆を風に対してななめに向けて風を左に曲げてやる。すると、船は右に向かって押し出される。この力を利用して船を右前方に進めて、ある程度進んだら今度は帆の向きと船首の向きを変えて、風に向かって左斜め前方に進む。これを繰り返せば、もちろん順風の場合よりはずっと遅いが、とにかく風上に向かって進むことができる。

金融商品の取引も同様であり、価格変動の少ない「凪」の状態ではどうしようもないが、価格が急落する場面は、価格が急騰する場面同様に、稼ぎ時となる。株の空売り(信用取引)などがこうしたテクニックのひとつと言える。実際に大きな資金を運用している連中は信用取引のようなことはしないが、原理は似たようなものである。ただ、彼らはその豊富な資金量から市場で非常に目立つので、自分の起こした波を増幅させてそれに乗るような荒業も持っているように見える。

まず、何かほんの小さな材料のある商品を、徐々に買い付ける。例えば、バイオ燃料として注目され始めているトウモロコシなど。すると、個人とは違い、市場規模に対して資金力の大きい買い手が継続的に買いに走ると、相場が上昇する。しかも彼らは情報も集約していると思われているから、嗅覚の良いトレーダーがこれに追随し、加速度的に相場が上昇する。早い段階で食いついたトレーダーは、ある程度相場が上昇した段階で売り抜けるので、「追い風」効果で利益を上げる。この間、仕掛けた資本はまだ買いを続ける。

すると、利益を上げた嗅覚の良いトレーダーが、儲け話を始める。まだ儲かると。そこでようやく、嗅覚の鈍い一般客たちが市場に群がり始め、相場は天井に達する。ここでようやく、最初に事を仕掛けた資本が売りに回り、鈍い客から利益を上げる。ここでバイオ燃料などはどうでもよくなる。しかし、ここで相場の高騰を見て農園を燃料転換に適したトウモロコシ園に乗り換えるような農園が増えて、供給側も流量が増えてくる。このあたりで嗅覚の鋭いトレーダーは空売りを始める。仕掛け側の資本がもう十分利益を上げたと判断すれば、一気に売り抜き、相場を暴落させる。

そもそも相場が上がってから買いに回った鈍い客たちは一様に大損をするが、この向かい風の場面でも技術のある船乗りたちはしっかりと利益を上げる。彼らにとって重要なのは上がるか下がるかではなく、激しく変動することである。この変動はある程度仕掛けられたものと言えるが、特段にインサイダー情報のようなものを利用したわけでもなく、偽情報を流布したというわけでもない。ただ単に心理的な操作をしただけであるので、特に法に抵触することはない。

これを日本国内のような狭い土俵でやってしまったら、公正取引委員会のようなところに指導されて潰されてしまうのだろうが、合衆国の自由な市場であればそれほど細かいことは指摘されないし、相当に危うい場面でもロビー活動を有利に展開することによって法的なお墨付きが得られたりもする。日本でも、例えばかつての消費者金融業界であるとか、今ならパチンコ業界などが、それに近い活動をしているのがテレビCMなどを見ているとよくわかるだろう。

市場原理というのは、プレイヤーのレベルが皆それなりであるうちは確かに健全に働く。けれども、一部のスーパープレイヤーが日々新しい手を研究して、一般人には理解不能の手を打ち出すようになると、良心的な経済学の前提がいろいろと崩れてくる。日本のデフレであるとか、アジアの通貨危機なども、そうしたスーパープレイヤーの影を感じる。日本からノーベル経済学賞の受賞者はまだ一人も出ていないが、それでも層の厚さで言えば通貨危機に陥った各国よりはまだマシだったということだろう。


真面目に生きている人からカネを騙し取る人間は下劣だけれども、ある程度の嗅覚を磨いて、大切な人々をカネの亡者から守るくらいの力を身につける必要はあるのかもしれない。カネの力は人を醜くもするけれども、良いことをするのにも力は必要なのであって、本物のカネを使わずに嗅覚を磨くシミュレーションができないかというようなことも考え始めている。手始めとしては、マンキューのテキスト片手に次のようなサイトで遊んでみても面白いかもしれない。

野村のバーチャル株式投資倶楽部

もちろん、株式などの金融商品であっても、本気で儲けようと思えば通常の勤務業務と同等以上の気力体力を割く必要があり、いくら給料が安いといっても給与所得以上の利益を上げる取引をするというのは難しい。実際には、こういうシミュレーションでカネを使わずにカネに対する嗅覚を磨き、その嗅覚を利用して実業に励むほうが、現実的には利得が大きいだろう。

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新しい職場でしばらく五月病のように中だるみしていたけれども、「昼間からコーディングし放題という喜び」が徐々に板についてきたような気がする。この仕事はこの仕事で大切にしたい。好きなことで生活を支えられるというのは、やはり大きな喜びだと思う。
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by antonin | 2007-11-29 01:26 | Trackback | Comments(0)
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