安敦誌


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以前の記事

続・常在ウィルス仮説

先日書いた「妄想」タグ付きの記事、「常在ウィルス仮説」にコメントを頂き、ありがとうございました。そのコメントの中で、非常に有益な指摘を受けたので、そこから展開した妄想を、またしても書くことにします。

--

あの記事を書いてから、「常在ウイルス」という言葉を検索してみた。すると、196件のヒットがあった。それほど一般的とはいえないものの、概念として存在しないような言葉でもないようだ。ただ、それが高等生物が積極的に利用しているものというような意見は、ざっと見たところでは存在せず、病原性が無いか、あるいは病原性が未発現の潜伏状態にある病原性ウィルスのことを指しているらしい。

私は、ウィルスを高等生物とは別の、単独の生命とみなすには無理があり、それは高等生物自身が備えた「未知の機能」であるのではないか、という仮説を主張していた。その主張を簡潔に表現するために、常在菌という言葉を借りて「常在ウィルス」という名前を付けてみた。

その記事に、有益なコメントを頂いたので、ここに引用させていただく。
Commented by 鬼港一輪 at 2007-11-27 10:03 x
私は、生命倫理の立場から、生命の定義を①染色体上の遺伝子(ゲノム)によって自己複製する存在である。②何らかの化学的エネルギーを活用しながら、自らの生命システムを用いてエネルギーを生産して存在している。③酵素(タンパク質)を用いて物質代謝を行うものである。

Commented by 鬼港一輪 at 2007-11-27 10:03 x
上記の内容に加えて④少なくとも物質透過性を有した膜状構造による表層系を持つ細胞を最小の単位とする生命体のこと。で生物の定義が完成すると考えています。

発生順には、ゲノム→生命→DNA→細胞生物と考えています。

で、遺伝情報には、進化・平行存続・淘汰の3種があり、人間では、
自己複製子レベルでの遺伝情報の変異には①細胞分裂時におこる、DNAの塩基配列における複製みす。②ウイルス、プラスミド、トランスポゾンなどが関与するDNAの塩基配列における置換変異や、挿入や欠失などに起因する変異。③呼吸時の活性酸素や日光中の紫外線などによるDNA塩基配列における欠失などの要因による変異があげられます。

つまり、セントラルドグマという生命現象は、ウイルス祖系とプラスミド祖系とトランスポゾン祖系の関与なしには発生でいなかったのです。

私は、ウイルスとは嫌熱嫌酸の性質に適合した極寒の地域にかろうじて残存した可動性遺伝子が、生命体に寄生して増殖する術を体得した結果として今日に至っているのではなかろうかと推測しています。

Commented by 鬼港一輪 at 2007-11-28 23:18 x
生命誕生以前に、RNAワールドという時代があったものと推定されています。始めはどっちが鋳型jかわからない状態です。
しかし、そのうち、すくなくとも①遺伝情報の宿主としての「ゲノム」、②酵素としての「リボザイム」、③遺伝情報を写し取ってリボソーム祖型へと運ぶ「メッセンジャーRNA祖型」、④個々の遺伝情報に対応したアミノ酸をリボソーム祖型へと運ぶ「トランスファーRNA祖型」、⑤メッセンジャーRNA祖型が伝達した情報を基にトランスファーRNAが運んで来たアミノ酸を連結してタンパク質を合成する「リボソーム祖型」とのそれぞれ5つの役割を分担することによって原始生命システムは創造されました。

Commented by 鬼港一輪 at 2007-11-28 23:29 x
生命の根本原理は、「まず、核酸ありき。」であって、生命とは、自己複製子の安定した増殖のために創造されたシステムの1つであると言えます。
つまり、生命が誕生する以前から存在したRNAワールドの残影として、ゲノムに寄生する時以外は浮遊している「ウイルス」、細胞内に内在するにも拘わらず宿主ゲノムの近辺に外在する「プラスミド」、宿主ゲノムの中に内在し続ける「トランスポゾン」が存在しているのです。

ウイルスこそは、生命誕生の鍵を握る可動性遺伝子の末裔の1つなのです。

私は「セントラルドグマ」「プラスミド」「トランスポゾン」という単語を知らなかったので、ネットで調べてみると、wikipediaにかなり詳しい説明があったので参考になった。(上記単語に該当ページをリンクさせた)

私の解釈では、ウィルスは高等生物の一部ではなく、高等生物に寄生してはいるが、あくまで独立な原始生物であるという指摘に読めた。プラスミドやトランスポゾン、それにミトコンドリア独自のDNAの存在などを考えると、確かに説得力がある。

また、「RNAワールド」という言葉も知らなかった。この他にもwikipedia日本語サイトには分子遺伝学に関する多くの情報があり、非常に参考になる。例えば「遺伝子の水平伝播」の説明文中にある、次の内容などは、私の「常在ウィルス」仮説と同じような考えを持っている研究者がいることを示しているように読める。
高等動物においてもレトロウイルスの影響やDNAウイルスの取り込みなどでこの現象が起きる可能性が指摘されているが,水平伝播によって取り込まれ、その高等生物の機能に影響を及ぼしたことが確実な遺伝子はまだ見つかっていない。多細胞生物の場合、核遺伝子のそのような方法での書き換えがあったにせよ、それが生殖細胞に反映されない限りは子孫に伝わらないという縛りもある。

個体の体細胞には影響するが、世代を越える遺伝子を持った生殖細胞には影響しないとすれば、前回の記事で指摘したように、「静的ではなく動的な遺伝情報の移動」という仮説に合致する。ただ、その媒体としてのウィルスは、高等生物に由来する「部品」ではなく、あくまで共生関係にある独立の生物と解釈したほうが自然なのかもしれないと、追加情報を知った今では考え方を変えつつある。

過去に、世界初の実用電子計算機であるENIACを開発した研究者が独立起業したUNIVAC社と、ENIAC以前から実用的な電気式統計処理機械を販売していたIBM社との間で、電子計算機の特許性を争う裁判があった。客観的に見ればENIACこそがまともに動いた世界初の電子計算機であったことは間違いが無いが、裁判ではABC(アタナソフ・ベリー・コンピュータ)という、真空管式の小規模な演算回路が世界初の電子計算機であるということで結審した。

ただし、巨大な実働システムであったENIACも、いわゆるノイマン・アーキテクチャと呼ばれるプログラム内蔵方式ではなく、現代のコンピュータとは構造が異なる。プログラム内蔵方式では、データを処理するプログラムもまたデータとしてコンピュータに与えられ、今ではそれをソフトウェアと呼ぶ。これに対してENIACは回路ユニット間の配線を当時の電話交換台と同じようにコネクタ配線を差し替えることでプログラムをコンピュータに与える、ハードワイヤードロジックになっていた。現代のパソコンなどよりはむしろ、組込機器用のASICと呼ばれる集積回路と同じような構造をしている。

これに対し、ABCというのは確かに真空管を使ったスイッチングによるディジタル処理が可能な装置ではあったが、それはあまりにも小規模で、とてもではないがコンピュータと比べられるようなシステムではなかった。しかしまずいことに、ENIACの開発者の一人であったジョン・モークリーが、ENIACの構想段階でアタナソフの作った装置を見ていたということが、敗訴の原因となったらしい。

ただし、規模が小さいということは大きなシステムが備えている特徴のいくつかが不足しているために両者を同じものとして見ることはできないものの、基本機能としては共通している。ABCも、ENIACも、ソフトウェア内蔵方式を採用したEDVACも、全て論理回路は真空管の増幅機能を応用しているという意味では共通している。

そういう意味では、初めて自己複製を始めた世代の自己複製子は、特に酵素などを必要としなかったRNAワールドのポリヌクレオチドたちであって、それらはABCのようなものであったのかもしれない。そして、現存するRNAウィルスは、DIPやSOPといったパッケージに封止された個別論理回路部品などに相当するような存在なのかもしれない。それは、今や単独でシステムを構成するような作り方はされておらず、大きなシステムに寄り添うように利用され、大きなシステムの末端部を若干変更するだけの作用を持つ。

もちろん、自己複製が基本機能である生物と、演算処理が基本機能で自己増殖したりしないコンピュータではアナロジーに限界があるけれども、生物と物質の境界領域を考えるのに、コンピュータシステムと単なる電子回路の境界領域を考えることはある程度のヒントになるだろう。

生物もおそらく同じなのだろうと思うが、コンピュータシステムであっても、その「進化」は基本的にシステムが複雑化する方向に進むことが多い。そこでは、不要になった機能であっても、それによってコストが上昇するとか消費電力が増えるとかといった、システムに対するデメリットが大きくないような機能であれば、使わないにもかかわらず残り続けるということは、よく見られる。そして、一見役に立っていないようでも、そうした細かい機能が無くなってしまうと不具合が生じるようなことも多い。

複雑なシステムの典型のような人体にあっても、あいも変わらずウィルスに感染してウィルスを新たに撒き散らしてしまうような機能が残されているということは、そして人体にとって致命的な作用さえ与えるウィルスがあいも変わらず存在しているということは、ウィルスの発生が比較的最近の現象であり、人体からの排斥が十分に進んでいないか、あるいはウィルスを増殖させる機能が人体にとってなんらかの役に立っているかのどちらかだと考えられる。

ウィルスが人類よりあとに発生したとはとても考えられないので、ウィルスの増殖には、スペイン風邪の流行というようなデメリットにも見合う程度の、なんらかのメリットもまた、人体にとって存在するように思える。

というわけで、ウィルスが高等生物発祥という考え方は無理があると思うようになったのだけれども、高等生物の細胞に寄生するミトコンドリアが高等生物の細胞に必須の機能を果たしているように、ウィルスもまた、何かしら人体にとって有用な働きを持つものが存在するとの考えまでは、捨てなくても良いのだとも思っている。

生物は大型化するという定向進化説というものがあったが、実際には小型化するというケースもあるということで否定されたことになっている。しかし、環境が安定化して餌となる生物が増殖すれば、より大きな生物のほうが安定に存在するという選択傾向があるはずだから、生物は大型化するだろう。その一方で、安定な生体は変化が遅いので、急激な環境の変化についていけずに絶滅する確率も高い。また、小型の生物のほうが世代間のサイクルが短く、個体数も増やしやすいため、進化や分化のペースは早い。

これが、生物進化系統のはじめには個体が小さく、後に大型化するという理由だろう。生物が大型化する傾向があるというのは、地球環境は概ね安定しているが、ときどき急激な大異変が起こるという地球環境の性質が、それに適応するようにできている生物進化の歴史に写し取られているに過ぎないと考えることができる。

ウィルスが存在するということもまた、ウィルスが継続して存在できたという要因がどこかにあるはずだと思う。その一面は確かに当然爆発的な増殖能力と構造の壊れにくさにあるのだけれども、利用される側の高等生物の事情も何かしら関与しているように思う。ウィルスの感染症がこれほどの頻度で問題となるにも関わらず、それが放置されているというのは、ウィルスとその宿主の一群をひとつのシステムとして考えたとき、統計的な生存戦略評価的に見て、なんらかのポジティブな効果があったのだろう。

ただし、捕食者と被食者のように、特定の範囲で見るとゼロサムゲームの関係というのは確実にあるが、そこではたいてい、両者は同じような複雑さを持っている。だとすれば、ウィルスはそれと同等の複雑性を持っている、細胞体に固定されたゲノム群に対してゲームを仕掛けていることになる。だとすれば、生命発祥以来の因縁の対決ということになる。インフルエンザに罹患するのも、まさに「伝統の一戦」と言える。

高度に発達したかに見える人間社会にも、犯罪者というのは尽きない。そして、大事件となる犯罪もあれば、表沙汰にならないような「持ちつ持たれつ」というタイプの犯罪も多い。犯罪者が人間社会に必須の人材とは言いたくはないが、凶悪な犯罪が、常在する軽犯罪の発展したケースに過ぎないと見るならば、犯罪など決してなくならないように見える。人間の遺伝子となっている細胞核のDNA群が、自力で人体という複雑なシステムを運営して豊富な有機物を集める「裕福な実業家」であるとするならば、ウィルスは体ひとつで潜入し、多くを奪って去っていく泥棒か詐欺師である。

裕福な実業家である我らがDNAは、ただ単に防犯対策の不備からウィルスという犯罪者の侵入を許しているだけの愚か者なのか、あるいは、時には犯罪者として扱い免疫警察による摘発をちらつかせながら、一方でその侵入テクニックを利用して条件次第では情報の運び屋として活用するような狡猾な謀略家なのか。後者であるほうが、ストーリーとしては深みが増して面白い。「生物と無生物のあいだ」に続編が出るならば、今度はそのような良質なミステリー仕立てにしてもらえると、読み手としては非常に楽しい。
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by antonin | 2007-12-02 00:39 | Trackback | Comments(8)
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Commented by 鬼港一輪 at 2007-12-04 23:06 x
1つだけ、お伝え致しますと、セントラル・ドグマを自己完結できないウイルスはゲノムは有していますが生命体ではありません。ご理解願います。
Commented by antonin at 2007-12-04 23:35
コメントありがとうございます。

はい。そのあたりは了解しております。しかしながら、このあたりはもう「定義」であるとか「直感」が支配する臨界領域であるので、物質であると言おうとも生命であると言おうとも、本質的にそれほどの違いはないものと考えております。

もちろん、学術用語としての「生命」には生物関連学会等での公的なコンセンサスはあろうとは思いますが、そのあたりはあえて踏み外して思索しております。

「冥王星は惑星か」であるとか、本文中にある「ABCは電子計算機か」というのと同次元の話題であると考えております。前回の私のように分子生物学の実験事実に関する知識が単に欠落していたのは問題ですが、対象が抽象的な言葉上の定義であれば、先入観のない素人であるからこそ、あえてそこから自由になってみるのも一興かと思っています。

「RNAワールド」という言葉には、「生命体」の定義をあえて捨ててみたくなるようなインパクトが確かにありました。
Commented by 鬼港一輪 at 2007-12-09 09:31 x
まず「核酸ありき」の世界ですから。自己複製子の世界は。
で。タンパク質を構成する立体の増殖の方が、ウイルスの様に単体での情報複製よりも量的にたくさんの複製が行える優れたシステムであって、
このセントラル・ドグマが物質と生命との分水嶺となっております。
Commented by antonin at 2007-12-09 18:04
そうですね。

個人的には自己複製子と生命との違いはあまり意識していません。複製されるコードと、そのコードによって記述されるユニバーサル・コンストラクタであるタンパク質を包含したシステムの総体が生命であるという一般的な認識は持っていますし、過去にも持っていました。

そうすると単体のRNAやDNAは生物たり得ないわけですが、生命の起源を論じる場合には当然に「ポリヌクレオチドが先か、ポリペプチドが先か」という話になってしまうわけです。そこで私の思考に一石を投じたのがRNAワールドという言葉であり、「ポリヌクレオチドが先」という考えに傾きました。

ウィルスはシステム的に現世生物の定義には当てはまりませんが、遺伝戦略的には一個の生命とみなしたほうが解釈しやすいと感じるようになりました。エンジンを持つにもかかわらず耕運機は自動車ではありませんが、自動車の発達を本質的に考えるとき、エンジンだけを独立に観察し、耕運機のようなものも考察の範疇に繰り入れるという方法があってもいいのではないか、というような立場です。特に今はターゲットがウィルスという生命派生存在ですし。
Commented by 鬼港一輪 at 2007-12-10 10:46 x
私も、当初はそう考えた時期もございました。ここでは、あくまでも主役は自己複製子ですから。
でも、セントラル・ドグマという生命システムはとても巧妙で、魅力的です。これが秀逸であるという証拠に、ウイルスとて、浮遊時には、膜状構造を有しているのです。
そうでないと。モンスター・生命システムに吸収されてしまいますからね・・・。
以上、おじゃま致しました。
Commented by antonin at 2007-12-10 23:51
確かにDNAと酵素群の連携によるシステムは素晴らしいですね。ただ、あまりにも素晴らしすぎるので、なぜそんな精妙なシステムがいまだに単純微細なウィルスにしてやられてしまうのか、というのが疑問の発端でした。

ウィルスが膜状構造で浮遊しているというのも、「ボトルメール」の比喩の元になっています。なんだかDNAが遠くの仲間とメッセージ交換をしているように見えたんですよね。ウィルスって結構簡単に変異しますし、変異は宿主細胞中で増殖しているときにしか発生しないわけですから、精妙で狡猾なDNAによるなんらかの細工があるのではないかと考えてしまったわけです。

あとはウィルスに主体性があるのかないのかという、人間サイドの認識の問題になってしまうわけで、学術用語の定義は別として、確たる答えの無い部分を議論しているような感じはしていました。

今回は色々なキーワードを教えていただいてありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
Commented by Monde at 2008-10-18 23:03 x
古めのエントリーへのコメントで恐縮です。
実のところ”不顕在感染”ということばがあって、普段はなんともなくて病徴が時折しか出ないような感染の仕方をするウイルスが結構あります。たとえば、ヒトのウイルスではHHV1(以前はHSV-1とも言いました)というのがそれで、宿主が体力的に弱っている時に病徴が出ます。日本人の70%くらいは保有しています。

ですので、常在ウイルスと言う概念を作り出すまでもなく、結構普通の現象なのです。
Commented by antonin at 2008-10-20 06:29
>Mondeさま

コメントありがとうございます。本文の冒頭でも述べているのですが、病原性を「未発の」ウィルスが人体などに存在するということは一般的に認識されているようですね。

ただ私は、「不顕在」というレベルではなく、遺伝による情報継承以外の遺伝情報の水平伝播手段としてウィルスが働いている一面もあるのではないか、ということを思いついて、その思い付きについて書いてみました。しかしそれにしても、遺伝情報の水平伝播というのは既存の概念であり、新概念を作り出すまでもないですね。

いろいろと調べる前に自発的に思いついて考えたことなので、必然的に新概念が必要になったのですが、既存概念との対応が取れた今ではもはや必要ありませんね。
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