安敦誌


つまらない話など
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物価上昇に思う

物価が上がっている。いいことだと思う。今までは物が安すぎた。

もちろん、急激な変化にはある種のひずみが付き物であり、当面いろいろと不具合はあるとは思うのだけれども、長期的にはこれは人間の生活にとっていい方向へ働くように思う。

なぜなら、今までは物が安すぎることで、人間の労働の価格が相対的に高くなりすぎていたのだ。だから、これまでの百年間ほどの歴史を見れば、いかに人を雇わないようにするかということと、経営努力するということがほとんど同じことであった。

そもそも、物には値段が付いていない。すべての物に付けられている価格は、そうした物が手元に届けられるまでに関わってきた人間たちのもとに納められていて、物自体は一切の金銭を要求しない。人間の労働を排除して機械化すればコストが下がったのは、金銭を要求する人間を排除して、金銭を要求しない石油や金属に「労働」させればよかったからだ。それでもエネルギーや機械に価格が付けられているのは、油井の上に住む人間や、汲み上げた石油を運搬したり精製したりする人間に金銭を渡す必要からであり、または金属鉱石を機械に作り上げる過程に関わる人間に金銭を渡す必要があるからであった。

それが、現代では徐々に機械の労働力が過剰になりつつあり、機械を維持するための資源が不足し始めた。あるいは、現代にあってなお狩猟採集に近いシステムである漁業などが、資源枯渇に面してきたために、物の取り合いになり、物を持っている人間に支払う金額が高騰し始めた。金銭を要求するのはあくまで人間だけであり、その金額は物の取引を行う両者の「欲」の強さを数値化したものに過ぎない。食うに困れば大根を買うために闇市で家財を切り売り、あるいは物々交換するなどということも、戦後の混乱期には確かにあったと伝え聞く。

物が安いということは、商売人としては人を働かせるよりも物を買って動かしたほうがいいということであって、人を使うにしても機械の働きに比べて高い給料をもらっている分だけ、仕事の質の高さが求められることになる。物を売って商売するにしても、物が安ければより多くの物を売らなくてはならない。金銭欲あるいは物欲が強く、バイタリティあふれる人にとってはそういう社会も望むところだろうが、平凡な人にとっては必要以上に「熱い」社会でしかなく、疲れ果ててひっそりと去っていく人も増える。自殺者が多い要因のひとつにはそんな部分があるように思う。

物の値段が上がるのは迷惑な話であるが、考えようによっては工夫の余地が増えるということでもある。ただ物を買って済ませるよりも、ひと手間、ひと工夫が生きてくるようになる。そういう世の中になると、買ったものは長く使い、それを効率よく扱うために人手が必要になる。人間の知恵や手先の器用さが、物の安い社会に比べてありがたく見えるようになる。機械を買って、石油なりウランなりから熱や電気を起こして機械を動かすだけではなく、人間に頼れるところは人間に頼ったほうが「より経済的」であるような社会になる。これは、平凡な人間にとってありがたいことだろう。人の持つ知恵や技術の価値が、物の価値に比べて相対的に高くなる。

だから、物が安くなるというのは便利になるということでもある反面、人間の労働の価格ばかりを吊り上げ、その価値、あるいは「コストパフォーマンス」を相対的に下げることにつながっていた。契約社員などの非正規雇用による人件費抑圧なども、そうした事情から生まれてきたようなものといえる。派遣労働に至っては、人間を商品として売ったり買ったりレンタルしたりしているのであって、それを許してきたのも同じ事情で過剰な物価安が一因だったともいえる。

高収入に見合ったコストパフォーマンスを発揮していると自負する人間は、自分を磨いて努力しないヤツが悪いと見下すだろうし、あるいは自分の価値はもっと高いと信じる欲の強い人間は、まだまだ給料が安いと嘆いているだろう。けれども、人間の生活に本当に必要なのは、最小限の衣食住だけであって、生きる知恵さえあれば、それら最小限の財産を維持するのに、それほどの金銭は必要としない。

それでも金銭を払って物を買う必要はあるわけで、それは何かというと、社会を形づくっている他人の知恵や力を拝借するということに、ほぼ等しい。たいていの人は他人の助けを借りなければ生きていけないし、仮に生きていけるとしても、他人の助けを借りたほうが生活は豊かになる。そのためには金銭を稼ぐ必要があるが、これは同時に、他人に知恵や力を貸すということに、ほぼ等しい。

知恵を貸して、その代わりに力を貸してもらったり、力を貸して代わりに物をもらったりというのが、人間本来の生き方なのだけれども、その関係をもう少し便利に使いやすくするために生み出された抽象概念が、金銭ということになる。金を貸すというのは、今は助けてあげるので、そのうち何か他のことで助けてね、ということにほぼ等しい。生活が傾くほどの大金を貸すというのは、お互いに他人を頼りすぎることにほぼ等しく、昔から戒められてきた。これを悪用する人間も古今東西探すのに困らないが、やはりどこの社会でも恨まれてきた。ユダヤ人には銀行家が多かったというのも、あるいは民族的な迫害を受けた一因だったのかもしれない。

というわけで、物の値段が高くなったというのは人間復権のしるしでもあって、悪いことばかりではないように思う。これまでは中国人労働者の賃金の安さに依存した低価格商品が日本市場を襲ってきたけれども、さすがの中国市場も物価賃金ともに上昇しているらしく、日本人の作った物の価値も立場を徐々に取り戻すだろう。中国人は中国人で、物があふれる豊かさを享受しているし、一度はそういう時代を経験するのもいいだろう。

数十億の人口を抱える中国やインドが物質文明の洗礼を受ければ、あるいは地球が汚染されたり温暖化したり砂漠化したりして、あるいは悲惨な時代も訪れるだろうが、どのみちそうした経験がなければ、人類全体が変わるということは出来ない。二度にわたる世界大戦の洗礼がなければ、冷戦が冷戦で終わるなどということにはならなかっただろう。

そもそも、石油も石炭もウラン鉱でさえも結局のところ古代生物の化石なのであって、数億年を要して今の姿になった、限りある資源である。その値段が高騰するということは正しいことだろうと思う。その代金は今のところ産油国などに流れ込んでいるのだけれども、金とは結局単なる数字なのであって、産油国の人間が身の周りの買い物をするには大きすぎる数字になっている。そこで、投資資金となって世界に還流している。アラブ人はユダヤ人のようにはなりたくないと考えているのか、単なる金貸しではなく、しっかりとリスク判断をした「投資」を中心としているようである。資源が枯渇するほどまで物を買い集めて、それを売りさばくようなあざとい商売をしていないのはありがたい。こういう投資活動による金銭の循環は、必ずしも悪い方向へは働かない。

どんなに金銭という数字を増やしてみても、その数字に価値を与えている源泉である人間の気持ちが離れてしまっては、金銭の価値というものは暴落して消え去ってしまう。一方、金銭のやりとりを通じて築き上げた人間の縁というものは、たとえカネや物の価値が変わろうとも、ある一定の価値を保ち続けることができる。かつて日本にもあった江戸期からの豪商たちは、たいていそうした理を弁えていたから、いろいろな社会の変遷を経ても、永く富を保つことができた。今の経営者には数字を見ることしか知らない人が多いから、客はおろか、社員の気持ちまでも離れてしまって、利益は増えても会社そのものの価値はどんどん下がっているというようなことがあちらこちらで起こっている。

「会社は公器」という言葉があるけれども、これはきれいごとのように聞こえて、実は極めて冷静でしたたかな戦略ともいえる。というのも、社会に住む人が本当に必要とするような製品やサービスを提供するような会社であれば、もしも潰れそうになっても、社会が潰れることを許してはくれない。そういうことをしていれば、百年でも千年でも存続することができる。そして、会社が収益を上げるような仕事をしていることが重要な役割であるだけではなく、雇用を維持して人々が働く場を与えるというのも、会社の持つ重要な役割になっている。正社員雇用というのは、それ自体がひとつの重要な大事業であったことがわかる。

物の値段が上がるということは、短期的に見れば昨日までの生活を改めなくてはいけないという意味で不便ではあるだろうけれども、よくよく考えれば、決して悪いことではないように思う。ガソリン税も、使い道をしっかりと検討すべきであって、減税などはすべきでない。消費税が導入された際に物品税が廃止されて、一番減税効果が目立ったのは自家用車だった。税金が安くなって、自家用車の価値は高まっただろうか。新車の取得費用が下がった分だけ中古車市場の相場が下がり、結局高い車は売れにくくなったのではないか。税率が下げられたウィスキーと、税率が上げられた焼酎のその後はどうなったか。

消費税が30%という社会は、政治さえしっかりしていれば、想像するほどに悪い社会ではないように思う。政治が悪いから問題なんだ、という面は確かにあるだろうけれども、あんまり生活感覚的な部分で大騒ぎをすると、あとになってもっと痛い目に遭うということを、わかりやすく説明してくれるような人はいないものだろうか。説明に熱心なのは、風水とか、前世とか、そんなことばかりだ。もっとも、普通一般の人が占い事にうつつを抜かしていられるような社会というのも、案外悪いものではないとも歴史は語っているような気がするのだけれども。
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by antonin | 2008-01-27 01:24 | Trackback | Comments(0)
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