安敦誌


つまらない話など
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RPGという娯楽

RPGとは"Role Playing Game"の略である、というのは、もはや説明も要らないような事柄だと思うのだけれども、たいていの人がRPGと聞いて思い浮かべるのは、DQとかFFとかそのあたりのゲーム、ということになるのではないかと思う。

私は10歳くらいから強度の中二病患者だったし、今もその後遺症に悩んでいるくらいなので、いわゆるガンダム世代なのにいわゆるガンプラはひとつも作ったことがなかったし、いわゆるファミコン世代なのにファミコンは買わずにキーボードの載ったマイコンを親にねだるような子供だったから、当然のようにRPGで遊びはしても、それがDQやFFであるというようなことは一度も無かった。

なのでDQやFFがどんなゲームなのかは伝聞でしか知らないのだけれども、およそのゲームシステムは私の知っているRPGと大差ないものだと思う。それは、ある主人公を操作し、最初にある程度のミッションが与えられていて、大まかな筋書きの中で経験値を上げながら敵を倒すなりなんなりしてミッションを達成する、というものになる。

ビデオゲームでいうところのRPGというのは大体こういう形になるのだろうけれども、もう少しその原点に近く、より根本的な姿をしているのがTTRPGだろうと思う。これも実際にプレーしたことはないので、学生時代に読んでいたゲーム雑誌なんかで誌上再現記事などによる伝聞でしか知らない。けれども、ゲームの元ネタとして世界観が与えられていて、そこにゲームマスターが適当なミッションやイベントを設定して、その中で生身の人間が役割を演じながら遊ぶという、文字通りのRole Playingが行われているという意味で、より本質的にRPGであると思う。

なんだか前置きが長くなったけれども、人間がこの手のRPGを「娯楽」として遊ぶことができるというのは、犬が芸を覚えるのが本質的に遊びであるというのに似て、社会的生物である人間の、かなり根幹的な部分に基づいているのではないかと思った、という話が今回の主題になる。なんだか似たような話しは昔からあって、全ての人間は人生という舞台の中で与えられた役を演じる俳優である、というような言葉も聞いたことがあるような気がする。

ともかく、人間というのは、ある役を与えられ、その役を演じきることが出来たときに、無上の喜びを抱く生き物なのではないかという気がしてきた。「自分探し」が流行していると言われて久しいけれども、結局のところこれは、「自分に合う『当たり役』探し」とでも言い換えることが出来るような気がする。エキストラの仕事ならたくさんあるが、結局それではエンドロールに名前を載せることすらできない。そこには喜びは無く、したがってより良い役を探すのは必定とも思える。

どんな役柄(Role)であっても、その役を演じる(Playing)ことで周囲から認められ、そのことで自身が成長し、新しいステップに達する喜びがあれば、人間はむしろそれを娯楽とさえ感じることができるようにできているのだと思う。そのような性質を持った人間であるのに、実社会の役割(Role)で活動(Playing)している実の人間が、喜びを失ってジョブチェンジを試みるというのは一体どのような状況なのだろうか。

ジョブチェンジを試みる人間に堪え性がないと嘆くのは簡単だけれども、そういう人間でもRPGの中で与えられた仮想的な役割を難なく演じ、与えられたミッションを次々にこなし、全てのミッションをクリアし、それでもなお飽き足らずにアイテムコンプリートやスピードクリアに挑戦したりしてしまうようなことさえ起こりうる。実社会のシステムが、人間の心を動かす仕組みとしての性能において、ビデオゲームよりも稚拙になってしまったところに問題があると考えたほうが、本気で問題に対策を立てる気があるとすれば、より合理的な事実解釈であるような気がする。

人間は本質的に、役割を上手に演じ、課題を解決し、経験を積んでより高度な課題に挑戦できるようになることを好む性質をもっていると考えられる。そうであるはずの人間が実社会の役割に背を向けているのだとすれば、経営者はゲームという良い手本を真似ることができるはずだし、ウサギ小屋に住むといわれた平社員がワーカホリックともモーレツ社員とも呼ばれた中毒的な仕事への献身を生んだ昭和日本のシステムという良い手本を真似ることができるはずだ。

ゲームの持つ、人間を好んで課題解決に向かわせようとする性質を参考にしようという言論は、過去にNB-Onlineかどこかで読んだような記憶がある。脳の快楽中枢に電極を埋め込まれたラットが、その電極に電気刺激を発生させるためのスイッチを狂ったように叩き続けるのに似て、優れた労働環境というのは、人間を労働に中毒的に熱中させる力をもっているように思う。

もちろん経験値アップを数値化して見せるのに給与を上げるというのは常套手段だが、職級をやたらと細かく区切って、その職級が一目で誰にでもわかるように帽子や制服に職位票を縫い付けるなど、やりようによっては給与によらずともそれを実現することはできる。かつて平社員が課長になったとたんに椅子にひじ掛けが付き、周囲の社員からの呼称が「課長」に変わるなどといった慣習は、多分にそうした「レベルアップ・ファンファーレ」効果を持っていたに違いない。

もちろん昭和の経済には、いろいろとその時代に固有の諸条件というものがあった。敗戦で日本は焼け野原になり、GHQによって財閥は解体され、スーパーインフレで貯蓄が破壊され、農地解放で地主が小型化した。そうした、「国民総レベル1」という特殊なスタート地点があり、さらにはベビーブームによる人口ボーナスが追加され、破壊されたインフラに資金を注入して資本効率を上昇させ、更には為替の変動相場制への移行などによるインフレーションなども伴って、給与の額面は放っておいても上昇を続けた。

ところが平成に入ってからは、そうした自然なインフレ条件が終息するとともに、共産圏の崩壊と資本経済圏への急激な組み込みに伴う労働対価の急激な下落や、共産主義がイデオロギー的に敗北したことによる、資本への抑圧が解けた結果としての新自由主義の台頭などで、給与の額面は減額せざるを得ない局面が続いた。

しかし、そうした条件下でも露骨な給与カットは行われず、叩きやすいところから叩き、生き残った部分が既得権益化するという、虫食い現象だけが進むことになった。公務員の福利厚生が手厚いというのも、民間企業の社員に対する福利厚生を強制する法律を制定した以上、法律遵守の優等生として公務員保護を手厚くして手本としていただけなのに、民間に法令を馬鹿正直に遵守する余力がなくなり、福利厚生が法の抜け穴からこぼれる砂のように瓦解していったのに対し、税金に保証されているためにこぼれ落ちることの無かった公務員保護だけが、結果的に浮き上がったような格好になってしまった。団塊ジュニアによる団塊叩きなども似たような構図になっている。

そのような状態でも、多数の自殺者を出しながらではあるけれども、企業はなんとか労働者をその影響下で雇用し続けている。けれども、雇用されるものの鬱憤は蓄積し続け、世間の気分は非常に悪化している。これに金銭で報いても、もはや回復可能な段階は遠くなってしまったようにも思う。ひとたび矛盾に気付いてしまった人間は、わずかな褒賞では満足しなくなる。こうなると人間は、相手に報復したと思えるような「賠償金」を手にするまでは満足できないような心理になるものだし、一般的な日本人の多くはすでにそういう心理になってしまっているように見える。

もし企業が本気で労働コストを削減しようとしており、なおかつ刹那的ではなく永続的な企業活動を続けようと本気で考えているならば、被雇用者に対して、金銭的価値ではない、心理的報酬を効果的に与える方法を本格的に研究する必要がある。本当に貧しい生活を知っている人間であれば、わずかな金銭にも貪欲になれるだろうが、日本人は不幸にもそこまで貧しく育っていない。金銭的なインセンティブには、おのずと限界がある。その限界に達する前に、企業自体が存続していけないほどのコストを必要とするだろう。

それならば、雇用者は少々の知恵を絞り、被雇用者が金銭的な契約の中で形だけ会社に隷属する関係ではなく、雇用者というゲームマスターが提供する、企業あるいは市場というゲームフィールドの中で、被雇用者が彼らに与えられた役割を嬉々として演じる、ロールプレイングゲームを幻出させることを工夫しなければならない。

これを字面だけ見れば、雇用者が被雇用者を騙して搾取するという構図に変わりがないように見えるが、もしこのシステムが理想的に働けば、被雇用者は仕事を遂行して自分を高めながら企業に利益をもたらすことに、中毒的な喜びを見出すことになる。これはかつての日本企業の姿に他ならない。

もちろん、人間の快楽中枢を刺激する各種の「依存症」が有害な面を持つのと同様、「会社依存症」もまた、家庭より会社を優先することによる悲劇や、社会利益より会社の利益を優先することによる悲劇などを生み出してきたことから、節度を持って使うべき劇薬に属するものであることは確かだろう。しかし、労働による苦悩から人間が死を選んでいるというような事態にあっては、また、人に仕事をさせないという余裕がないのであれば、仕事によって快楽という報酬が得られるような方法は、この場面では有効な処方であるように思える。

雇用する側にとっては、金銭的報酬は企業生命に関わるコストとなるが、精神的報酬なら低コスト、うまくやればタダみたいなものである。その一方で、被雇用者にとっては、いくら現金を積まれたところで買えないのが幸福であり、幸福とは即ち脳内にある快楽中枢への安定した刺激に他ならない。ここで両者の利害は一致するはずだが、日本の現状ではそういう構造を持っている企業は少ない。

トヨタという、半期で1兆円にも上る営業利益を上げる企業があるが、その社員が特段裕福であるという話は聞かないし、それでもトヨタの社員から特段の不平不満は聞こえてこない。もちろん、季節労働や出入り業者に対する「乾いた雑巾を絞る」エグさは聞こえてくるものの、それはもっぱら外野からの声でしかない。そこには、ストップウォッチで工員の一挙手一投足を数値化して無駄を省く「トヨタ生産システム」が、陰に働いているように思える。

業務効率化のための小集団活動というのは、現場職員の自主性に任せるという原則を素朴に捉えて、目標設定から評価まで勝手にやらせて、最終発表の上手だったチームに飲み代程度の金一封を与えるという「聞き伝え小集団活動」をやられてしまうと、現場としては余計な仕事を増やされるばかりか、通常業務に余計な「ニセカイゼン」が仕込まれて、却って仕事がしにくくなったりする。ここでもし本当に正しく改善活動が行われた場合には、ストップウォッチを持った監視役が自分たちの作業タイムを計測するのでさえ、その数値を見続けているうちに、ニンテンドーDSで流行したトレーニングゲームや紅白対抗運動会のような、自然な競争意識が刺激される楽しさが出てくるようになるものだ。

トヨタはこのあたりを実はうまく運用しているのではないかと考えている。実際にトヨタの工場では、技能を積んだ熟練工が他工場へ指導役として派遣されたり、最終的には指導役の指導役として教官職になったりする仕組みが存在するらしい。ワーカーがマイスターになり、マイスターがグランドマイスターになる、というのも非常にRPG的である。

もしも、私の知っているRPGの要素が社員のモチベーションアップにも有効であるとすれば、またそれに相当するものを「日本的株式会社」が持っていたとすれば、次のような特徴があるだろう。

・成果を上げなくてはレベルアップしないが、大きな成果を上げる手もあれば、地道に小さな成果を積み上げていく方法もある。

・どんなに細かいレベルアップも、数値などのわかりやすい指標で明示される。

・レベルアップに早い遅いはあるが、一度アップしたレベルは大きくレベルダウンしない。

・低レベルのうちは行動の選択肢が非常に限られるが、レベルアップするに従って選択の自由が拡大する。

・プレイヤーのレベルは内外に明示され、レベルアップは本業とは別に副次的なこまごまとしたメリットをもたらす。

・ミッションを外れそうな行為には警告が発せられ、それでも違反を続けると「ゲームオーバー」となり、経験値は一部を除き破棄される。

こんなあたりだろうか。職務の継続的遂行における、こうした「娯楽性」の根源をカットした末に社員の不満があるとするならば、企業を傾けてしまうような社員の腐敗を防ぐような配慮はしたうえで、上記のようなRPG的要素を切り捨てすぎていないかを再点検する価値は高いように思う。人間は結局のところ幸せで充実した日常を過ごしたいだけであって、年収は一定線を越えればあとは見栄にしか寄与しない。

もちろん、見栄の強い人間が私財蓄積に奔走するのは勝手だが、そういう見栄は必ず他人の嫉妬を買うというトレードオフも覚悟する必要がある。派遣業で別荘にベントレーやマイバッハやフェラーリを並べていたベンチャー上がりの社長も、今では社を追われてしまった。これはある意味人間社会では必定なのだろうと思う。

--

とまぁ、ここまで勢いで書いてしまって、誰に向かって書いているのかわからなくなった。お前はプレジデントの記者か。まぁいい。

ゲームに学ぶモチベーションの高め方の記事がどこかにあったと思い、検索で探していたら、目的のページは発見できなかったが、ついでに面白いものを見つけた。

漫画で学ぶ 派遣会社搾取問題 再チャレンジ支援税制 就職氷河期問題 派遣社員問題 フリーター問題

あまりに身も蓋もないような内容ではあるのだけれども、売れた漫画のコマを借りると不思議に笑えてしまうのが笑えた。

ただ、二重の笑いのうち、外側の笑いはともかく、内側の笑いが怒りではなく笑いとできたのが、自分は就職氷河期と言ってもまだその序盤で、大学院も出ていない理工系学生であっても学校推薦に身を任せてさえいれば、希望は通らなくとも一部上場企業の正社員程度にはありつけたという部分があったからかもしれない。まぁ、その後の軌道修正には10年掛かったし、その過程では三途の川のほとりまでは行ってしまったわけだけれども。

よくうつ病から回復した人が、「うつ病になって良かった」というようなことをマスメディアで告白しているのだけれども、あれはうつ病患者の気持ちがわかるようになったという程度には同意できるが、「ガンになって良かった」とか「刑務所に入れられてみて良かった」とか「戦争で戦友や家族を失って命のありがたみがわかった」というのに似て、ならないで済むならそれに越したことはないが、なってしまった以上は自分を納得させる物語が必要、という程度のものでしかないように思う。うつ病に罹患した経験のない者が、ああ良かったね、と思うのは、おそらく間違いだろう。

まぁこれと同じような文章を誰かが書いて、そしてそれを誰かが読んで、数十年後の社会が幾分マシになれば、我々も少しは浮かぶ瀬もあるというものだ。報酬はその程度でいい。多くは望んでいない。
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by antonin | 2008-03-16 03:04 | Trackback | Comments(7)
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Commented by tel at 2008-03-16 09:16 x
「お前はプレジデントの記者か」

というのは冗談で、良エントリーだと思います。

話はずれますが、RPG(特にオンラインRPG)のユーザーの傾向として「あるゲーム内で選んだ主人公キャラクターの種族を、別のゲームにおいても選ぶ」というものがあるそうです。

具体的には、Aというゲームでキャラ属性を「ドワーフ」を選ぶと、Bという別のゲームを始める際もキャラ属性を「ドワーフ」を選ぶ確率が高い、ということです。

そんなことを思い出しました。
Commented by fazero at 2008-03-16 15:40 x
む、 むずかしー
PRG わ UO に いってるけれど、 PCがこわれてから つながらんよーに なってしもた。
りょーきん の せーきう も きーひん
けっこー おーきな おうち てえに いれて、 そこで まいばん ぼわー と して、 ともだち きたら おはなし なんか しててんけれど、それお なくすのが おしーので、 もいっかい いってみよ と おもてるとこ。
げんじつ せかい でわ、 そこそこ かいてき に くらせて
おいしー ごはん が たべれたら それで えーは
げーむ の せかい と そっくり で、 ちゃうとこ わ ぴすとる の たま やら げんこつ やら が ほんま に とんでくる とこ だけや
その とき その とき わ、 ほんき に なるけれど、 べつに それで なに が かわる わけでも ないしー
ちょっと わ たべるもん や すむ とこが  ましに なるだけかしらん
そんあ こと ゆーてて、 こんばん ごーとー に やられて あうち に なてまうかも しれへんし
なるよーになる は
Commented by antonin at 2008-03-16 22:33
コメントありがとうございます

>tel
そういやあんたは経営層だったなぁ。
若い人には慕われているようなので、このあたりは問題なくやっていることでしょう。

今回の記事を書く前には、「パパ社長の会」とか「カフェ・エキサイトにおけるマスター役」など、他にもいくつかネタを抱えてたんだけど、処理しきれなかった。

ゲームが違っても種族は同じものを選んでしまうというのは、なんとなくわかるな。自分でもネット環境が変わってもいつも「安敦」を演じ続けているし。種族としては何なんだろう。人格障害者か?

>ふぁぜろ

なんというか、話の通じる友達というのは、どこの場でも貴重だよね。
くだらない話なのに笑えるというのは、輪をかけて貴重な気がする。
ぴすとる の たま には きーつけやー。
Commented by fazero at 2008-03-17 15:36 x
あい りおーかい
とりあつかい・まぬある より
「べれった お まくら の した に いれて ねる とき わ、
かならず あんぜん・そーち お かけて から ねましおー」
「うつ とき は あんぜん・そーち お はずしましおー。たま が でないと たいへん まずい ことに なりまふ」
「なお りぼるばー の でこぼこ の いっぱい ついた のわ、 ねてるうちに ごろごろ ねがえり したりすると、 あんぜん・そーち が かって に はずれたり、 はんまー が おきて、ぼーはつ する ことが ありまふ から ぜったい に まくら の した に いれたり せんよーに しましおー」
Commented by antonin at 2008-03-20 09:58
うはは。
ベレットの取説にはそんなこと書いてあるのか。
最近のオートマチックタイプは何発くらい弾装填できるんだろ。
って、使わないからどうでもいいのだけれども。
Commented by fazero at 2008-03-21 10:46 x
ふつー の こがた で たま わ 10こ はいる ある
 
Commented by antonin at 2008-03-22 10:48
>ふぁぜろ

解説ありがとう。
昔のリボルバーだと6弾が主流だったみたいだから、それよりはたくさん入るんだね。
PEZみたいだよなぁ、あれ。
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