安敦誌


つまらない話など
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聖と俗

またなんだかんだと考え事をしてしまって眠れない。時間が早いというせいもあるけれど。そしてまた別のことを考えている。このまとまりの無さは何だ。

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いろいろと真実を探っていくと、ひどくグロテスクなものを見てしまうことが多い。真実とはしばしばグロテスクなものなのかもしれない。人間とは何か。皮を剥げば、そこにはグロテスクな臓物があり、それを犬や羊の臓物と見比べれば、大して違うものではないということがわかる。これが真実である。

企業は社会の公器である。消費者の幸福のために最大の努力をすべきである。消費者に対する裏切りは許されず、何か問題を起こしたら、消費者は企業に謝罪と賠償を求めることができる。これは表向きである。企業の代表者は平身低頭、消費者に謝罪し、賠償もある程度なら応じることだろう。しかし内情を見れば、企業が消費者の顔を立てるのは、消費者が企業に利益をもたらすからであり、企業イメージを高め、市場で優位に立つために美しいスローガンを掲げ、失敗には素直に謝罪するのである。具体的案件では事情はいつも複雑であり、企業に非がない場合があることも知っている。全ては企業利益のための演技である。これがグロテスクな真実である。

お客様は神様です。お客様がおっしゃることなら何でも、その言葉に付き従うことが最善の道です。というわけではない。「神様」を全知全能の絶対者と考えるからおかしくなる。お客様は唯一神ではなく八百万の神だ。ちょっとお神酒の奉納をサボったりするとブチ切れて災厄をもたらす。他の神様を称えると嫉妬して災厄をもたらす。同じことをしても喜ぶ神様もいる。一貫性がない。しかし、普段は豊かな恵みをもたらしてくれる存在でもある。神様はいたって気まぐれで、こうすれば絶対大丈夫、という予測が立たない。ただただ畏れ敬い、せいぜい供物を捧げて御機嫌麗しくあることを期待するばかりである。そういう諦めに似た境地を語ったものが、「お客様は神様です」という言葉なのではないかという気がする。客が「私ゃ神様だ」と言えばコントにしかならない。

医療施設は清潔であるべきである。食品は清潔であるべきである。ならば、どちらも無菌状態であるべきだ。これはナイーヴな希望である。現実には医療施設は患者の持ち込む菌で汚染されていて、それを強力な薬剤や加熱処理や放射線処理で押さえ込んでいるに過ぎない。どんなに清潔な食品も、顕微鏡で拡大すれば無数の常在菌が生息している。その映像を初めて見るとグロテスクに見えるだろうが、それが真実だ。私たちの体細胞自体も、真菌類の「バイキン」とそう大して違うものではない。腸の中を見れば、重量の相当な部分が菌類で占められている。

国家に永遠などない。日本国もいずれ滅びる。ただし、日本人は残るのであり、新しい国家ができるだけだ。これは私の考えるグロテスクな真実像だ。しかし、こういうことを言うと「悟りすぎている」ということになる。神など人間が自然を説明するために作り出した理論の一つに過ぎない。これも私の考えるグロテスクな真実像だ。しかし、こういう考え方には救いがない。拠り所を失って憂鬱になる。人はグロテスクなものばかりを見ながら生活することは難しい。

実際、人間はそのグロテスクな臓物をさらけ出しながら生きることはできない。美しい皮膚で包んでおかなければ、あらゆる生物の食い物にされてしまう。そして、そのグロテスクな生殖器を露出して街を歩くことはできない。発情期を持たない人間は、衣服を脱ぐことで簡単に発情を招いてしまう。人間は年中発情しながら生きることはできないので、人間はグロテスクな裸体を隠して生活しなくてはならない。

企業も、むき出しの企業論理を露出しながら消費者市場を生き抜くことはできない。偽善と知りつつも、美辞麗句を並べて消費者に崇高な企業使命をアピールしていかなくてはならない。「金を儲けるのは悪いことですか?」 いや、必ずしも悪くはないが、それではあまりにもグロテスクすぎる。ちょっとはヴェールで隠しなさい。社会の役に立っているかのように見える理論武装をしなさい。

女性の美しい体のラインは「美」である。間違っても男性の性欲を刺激する卑猥なものではない。そのとおりだ。しかし、それはナイーヴな理想である。現実には欲情を誘うものでもある。ミニスカートはおしゃれ。そのとおりである。しかしそれが煽情的なものであるというのがグロテスクな真実である。紳士とは、その欲情を知りながらも、そのグロテスクさを適切に隠すことのできる洗練された者のことを言うのである。すっかり欲の削げ落ちた修道僧のことではない。それは偽善かもしれない。しかしグロテスクに言ってしまえば、全ての善は偽善なのであるから、悪をむき出しにするよりは偽善を繕うほうがむしろ誠実なのである。

グロテスクなものを見続けると、次第にそのグロテスクさに慣れてしまう。外科医が人間の血や内臓や骨に驚くことはない。もちろん自宅に死体が転がっていれば驚くだろうが、それはそういう事態に慣れていないからであって、日常的に死体処理をしていれば、それはそれで慣れてしまうだろう。しかしだからといって、グロテスクさを万人に押し付けてはいけない。グロテスクさを知りながらも、それを優雅に包み隠して日常を過ごさなくてはならない。

もしも宗教の教祖に必要な素質というものがあるとするならば、理想を極限まで高めた極端なナイーヴさを持った、赤ん坊のような大人だろう。しかし、宗教を永続させるのに必要な素質があるとするならば、グロテスクな現実を把握しながら、そこに美しい理想世界の衣を着せる能力を持った人間だろう。イエスは赤ん坊のようでときに傲慢であったようにも見える。一方で使徒たちの一部は後者のようであったように見える。教祖を理想的な神の子に仕立て上げ、その理想像を適切に利用して教会を発展させた。ムハンマドなどは教祖でありながら後者であったように見える。なにしろ軍を率いて敵を排除したような男なのだから。

政治は基本的にグロテスクを極めたような世界である。しかし、そこで崇高な理念を掲げることで市民を先導かつ煽動して、グロテスクな政争に勝つこともできる。しかし、その崇高な理念を心から信じる世代が政治の舞台に上がるような時代になると、政治は乱れる。政治本来のグロテスクさに打ち勝てなくなったり、逆にグロテスクに慣れ過ぎて崇高さを装うのが下手になったりする。

ペリクレスが治めていたアテネは安定していたが、ペリクレスの掲げる理念を素朴に信じた市民が政治を握るようになると、アテネは乱れた。アウグストゥスの治めたローマは安定したが、ローマにはグロテスクさと崇高さのバランスを取ることのできる人材が数世紀にわたって供給され続けたので、その安定は比較的長く続いた。ソヴィエトの指導者も大抵は共産主義の理想という羊の皮をかぶっただけのツァーリだったが、その矛盾を包みきれなくなった時点で連邦は崩壊した。家康はグロテスクさと美しい理念の大切さを知り尽くしていた。家光はややグロテスクに傾いたが、それでも微妙な線でバランスを取っていたし、その後は大老、老中がその役割を上手く果たしていた。明治にはグロテスクさを大臣が、崇高さを天皇が役割分担していた。

現代日本は、なんだかその辺りのバランスが崩れていて、新聞などはあまりにナイーヴになり過ぎているし、そういう言論ばかり読んでいる世代は同様にナイーヴな叫び声を上げている。しかし、ウェブを通じてグロテスクに通じている世代は、今度はそのグロテスクさに嘔吐を催して単調なナショナリズムに走っている。一部の者はそのグロテスクさにすっかり慣れてしまい、シニシズムに走っている。私はどちらかと言うとこの一群にある。この混乱の中から現代のペリクレスや家康が現れるかどうかというところに、今後の日本がどうなるかが賭かっているのかもしれない。

ただし、ペリクレスも家康も、戦乱の末に政権の座に着いている。近いところでは吉田茂も似たような感じである。21世紀でもやはりこのような方法しかないのだろうか。

かつて日本は「新型爆弾」だった原子爆弾の実験場にされた。核爆弾がその威力の過剰な発達のために事実上使い物にならなくなり、枯葉剤や劣化ウラン弾や精密誘導弾やクラスター爆弾という新型兵器が次々に開発された。そして今現在禁止されつつあるクラスター爆弾に替わる「新型爆弾」がいずれ開発されるだろうが、その実験場に日本がならないことを希望したい。

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さて、これだけ書いたら気が済んだので寝よう。グロテスクな夢を見ませんように。
今日もスマイル。
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by antonin | 2008-06-01 00:11 | Trackback | Comments(0)
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