安敦誌


つまらない話など
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Freude!

躁に近い状態が緩やかに終わりを迎え、ゆっくりと落ち続けている。程ほどで帰ってこれるといいのだけれど。

夏なのに、といえばいいのか、「歓喜の歌」の部分で涙ぐんだりしている。以前は第2楽章にしか興味がなかったのに、最近は第4楽章で泣いたりしている。歳か。

ドラマで泣くという機会はほとんど無かったのだけれども、音楽では結構泣いていた。「新世界より」の第2楽章、いわゆる「家路」の、なんと書いたらいいのかよくわからないのでスコアを追うと46小節目と思われるあたりからの部分で、ニューヨークの夜空にボヘミアの母を思い浮かべるようなシーンを勝手に想像しては泣いていた。こういうことを言うから男はマザコンということになるのだろう。

スメタナの輪作交響詩「我が祖国」の第2曲、「ヴルタヴァ(モルダウ)」でも、水の精が月明かりの下で踊るあたりで心が無防備になり、ヴルタヴァの流れが聖ヤンの急流を過ぎてプラハの街に凱旋するあたりで泣き出してしまう。ブラニークの守護者がチェコ民族を救い出して凱歌を歌い上げるあたりで泣いてしまうこともあった。

なんというか、知的な男であればいつまでもベートーヴェンやドヴォルザークの交響曲第9番あたりで留まっていないで、もっと難解な音楽を評論してみたり、演奏のわずかな違いを論じて、この指揮者のこういう演奏がどうたらこうたら言うべきという流れがあるのだけれども、私は半ば依怙地になってドヴォルザークを聴き続けている。演奏の違いや録音の違いはもちろんあるのだけれども、曲の構成に比べれば実際あまり大きな差ではない。ジムロック版とプラハ版の違いですら、私にはあまり気にならない。

こんな耳の悪いファンを持って、しかもAntoninなどと名乗られて、ドヴォルザークもさぞかし無念だろうが、なんとか大目に見てほしい。ドヴォルザークは尊敬するヨハネス・ブラームスが神を信じていないことを嘆いていたけれども、私の心理はむしろブラームスのほうに近い。けれども、ブラームスの音楽もなるほど素敵なのだけれども、ドヴォルザークの書くフリアントのほうに、なぜか惹かれ続けている。

スメタナとか、グリーグとか、シベリウスとかブルッフとか、中学校の教科書的な音楽が大好きで、今でもその周辺でうろうろしている。そして今頃になって、「歓喜の歌」がいいと言い始めている。ベートーヴェンが交響曲第9番を書き上げたのは満年齢で43歳のときだという。彼の年齢に近づき、感覚も近づいてきたのかもしれない。一方のモーツァルトは、35歳で既に死んでいる。この人の感覚とは、一生相容れないのかもしれない。

なぜクラシック音楽を聴くのかというと、それはオーケストラや弦楽合奏の音が好きだからで、なぜオーケストラが好きかというと、6歳の夏に父の実家の近くの映画館で、アメリカでの劇場公開から約1年が経過したスターウォーズ第1作を見たからだ。家にはクラシックのレコードなど一枚も無かった。父はプレスリーを好んで聴いていた。

日本にも良い文化がいろいろとあって、私が長調ではなく短調を好むのも、実はその影響なのだろうと思う。ドヴォルザークやベートーヴェンを聴く。文藝春秋を読む。黒縁眼鏡に七三分けが似合うような、戦後の学生の写真が思い浮かぶが、時代は21世紀だし私は学生でもない。

不惑までまだ少しある。もう少しだけ惑ってみてもいいのかもしれない。
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by antonin | 2008-06-17 00:17 | Trackback | Comments(0)
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