by antonin
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結論を得ていないまま、適当に書き始めてみる。 メビウスの輪というものがある。紙の帯が輪になっているのだが、一周する間に帯が半ひねりされていて、紙の表と裏が地続きになっている。厳密に考えれば紙だって三次元の物体であり、厚みもあれば「側面」だってある。側面を通じて表も裏もつながっているのだから、メビウスの帯だけが特別でもあるまい。 と思うのだけれども、数学的抽象ではそういうわけにはいかない。純粋に理論的な平面があって、この平面は表と裏という厳格な区別を持っているのだけれども、メビウスの輪にすると表と裏の区別がなくなるから、これは面白いことになっている、というわけだ。 ところで、2次元平面も3次元空間に持ち込むことで表と裏を接続することができる、というのがメビウスの輪の売りなのだけれども、そもそも2次元平面の「表」とか「裏」ってなんだろうか。 私たち3次元空間の生物が紙を見ると、それには表と裏がある。紙には厚みがあるが、厚みがゼロに限りなく近づく極限を考えると、それは平面になるだろう。しかし、純粋に抽象的な2次元空間というのは、直交する2つの実数座標で表される点の集合であり、その要素間に、つまりは点と点の間に、距離だかノルムだか、とにかくそういう関係性や演算が定義されているものが2次元空間だ。 「直交」する座標がいわゆる直交座標系でも、片方が円を描いている極座標系でも、とにかく2つの実数で2次元空間上の点は指定できてしまう。そして点はそれ以上の情報を持たない。この場合、平面の「表」だの「裏」だのは区別できない。そういう関係性は2次元空間には存在しない。 2次元だといかにも表と裏がありそうに思えるので、3時限空間で考えてみる。ある3次元空間上の点を考えてみよう。この点は、3次元空間の「表」にあるのだろうか、それとも「裏」にあるのだろうか。結局のところ、3次元空間の範囲内で表現した場合には、その区別は存在しないので、メビウスの輪のように3次元空間の「表」と「裏」が接続されたからといって、それらは区別できないので意味がない。 3次元空間上の点に表とか裏とかいう区別を与えようとすれば、第4次元方向の概念が必要になる。幸い私たちの宇宙は3次元の幾何空間と1次元の時間が直交した4次元時空になっているので、相対論がどうしたという効果を考えなければ、4次元直交座標空間を想像することはそれほど難しくはない。 4次元時空で1点を指定すると、場所と時間を同時に指定したものになる。雑にいうと、2008年6月19日12:00:00.00(日本標準時)のアルタ前のなんとかビジョンの一番左上の画素の青ランプの中心、とかそういう指定の仕方になる。この4次元座標点の「表」と「裏」はどうなるだろう。3次元空間をひとまとまりのものと考えると、その瞬間の点の「未来側」が表に相当し、「過去側」が裏に相当するということになる。 上で指定した1点は、2008年6月19日12:00:00.00(JST)という瞬間の3次元空間の中で、周囲の点とユークリッド空間という関係性でつながっている。本当はミンコフスキー空間なのだろうが、そこから時間次元を取り除くという操作に想像がつかないので、とりあえず忘れることにする。この瞬間の3次元空間全体は、4次元空間を過去と未来に区切る境目になっている。その未来側を表とすれば、過去側が裏なのである。これを時間軸に垂直な方向から少しだけ傾けてやると、時間とともに移動していく平面の集合が成す3次元空間とかいう、わけのわからないものになる。これにも4次元的に見ると表と裏がある。 ともかく、「表」とか「裏」といった表現は、n次元空間上で、1次元だけ長さがゼロになったようなn-1次元物体を見たときに固有の概念ということになる。ただ、メビウスの輪には「表」と「裏」の接続以外にも、ある種の関係性が表されている。それは、「右」と「左」がいつの間にか入れ替わっている、というものだ。 メビウスの輪は、ユークリッド空間における典型的な平面ではない。つまり、まっ平らでどこまでも続く平面、というものではない。帯の幅を無限に広げたメビウスの輪というのは見たことがない。紙の帯には限られた幅がある。もちろん数学者の手に掛かれば、メビウスの輪の直径と帯の幅を一定比率で広げてもメビウスの輪は作れるから、この過程を無限回繰り返せば幅が有限でないメビウスの輪が作れると言ってしまうのだろうが、私は数学者ではないのでそこまでのことには関わらない、というようなパスカル的言い訳をしつつ先へ進もう。 目に見える有限の幅を持ったメビウスの輪は、帯の「両端」を持っている。その一方を、かりに「右」と決めてなぞっていこう。普通の帯では、「右」をいくらなぞっていても、それは「右」のままである。ところがメビウスの輪では、いつの間にか「右」の反対側、つまり「左」に到達してしまう。そのままなぞっていけば、いずれ元の場所に戻ってしまう。「右」と「左」が明確な境目なくつながっている。 実は、紙の帯の輪というのは、2次元空間が「閉じた」状態を示している。2次元空間というと平面だけれども、反対方向にそれぞれ無限に進んでいくと、いくらでも離れることができるような空間を、「開いた」空間という。閉じた空間はそうではなくて、ある程度進むと元の場所に戻ってしまう。わかりやすい例が、地球表面、つまり球面だ。ある方向へ果てしなく進むと、いずれ世界を一周してもとの場所に戻ってしまう。地球の反対側まで離れると、それ以上離れるにはロケットに乗って地球表面を飛び出すしかない。こういうのが閉じた平面だ。 地球は南北方向も東西方向も閉じているけれども、円筒形の場合は、東西方向には閉じているが、南北方向には開いている。南北方向も有限の長さに切り詰めると、これは紙の帯の輪になる。これをひねるとメビウスの輪になる。これを再び無限の長さに広げるとどうなるか。普通、赤道から北に100単位離れた地点から東に向かって円筒を一周すると、赤道から北に100単位離れた地点に戻る。ところがメビウスの輪では、円筒を一周すると、赤道から南に100単位離れた地点に到着する。ここから左折して北へ200単位戻ると元の地点に戻るが、東へ直進して360度歩いても、やはり同じ地点に戻る。これがわかりにくい。 地球のように、南北方向についても閉じた球面を、東西方向に進むとひねりが加わるようなメビウスの輪のように閉じた平面にするとどうなるのか。北緯35度東経135度の地点から、東に360度進むと、赤道を横切ることなく南緯35度東経135度の南半球に到達する。更に東へ360度進むと、やはり赤道を横切ることなく北緯35度東経135度の地点に戻る。 今度は北へ進路を取ると、北極点を過ぎた瞬間に南極点に到達するが、瞬間移動するわけではなく、北極と南極は同一点になっていて、その周囲はなだらかに続いている。現実の地球で北極点を過ぎると東経135度から西経45度の地点へと移動するのだが、別にそれが瞬間移動ではないのと同じである。北極では北緯90度で東経135度から西経45度の地点へと抜けるが、ひねりが加わった球面では、西経45度へ抜けると同時に南緯90度へと抜ける。数値上は不連続だが、その場で歩いている分には何の境い目もない。 これが東西方向にのみひねられた空間であればまだ想像がつくのだが、南北方向にもひとひねりされた球面となると、ちょっと想像しにくい。北極点を通過して南極点に出るときに、経度方向にもミラー反転が生じるはずなので、西経45度ではなく東経45度に出てしまうのだろう。そして2本の子午線を互い違いに歩いて、結局北へ720度歩いて元の地点に戻るはずだ。 ちょっと理解しにくいが、とにかくメビウスの輪は「表」とか「裏」とかいう概念を持ち出さなくても、「閉じた空間」の閉じ具合の一種であると考えることができ、そうすると2次元空間の中でも十分に解釈が可能になってくる。メビウスの輪の3次元版で「クラインの壺」というのがあるが、あれは表とか裏とかについては理解ができるが、ひねりを伴った閉じた図形のイメージとしては、ちょっと形状が複雑すぎるような気がする。 球面では北の果てが1点に集束してしまうが、これを幅を一定に保ったまま閉じることもできる。これを3次元空間上で表現しようとすると、トーラス形、つまりドーナツ型になる。これもトポロジー的には等価なのだけれども、「幅が一定」というには少し無理がある形状をしている。 学生時代にライフゲームのプログラムを組んだときに、グライダーがすぐに「世界の果て」にぶつかってブロックになってしまうのに腹が立ち、画面の上端と下端、右端と左端をつないで閉じた平面にしたことがあった。こうするとグライダーは障害物がない限り永遠に飛び続けることができる。こちらのほうがイメージとしてはわかりやすい。 このとき、画面右端に消えたグライダーは画面左端から再登場するのだけれども、このときY座標は変わらないようにしていた。ここでY座標を反転させるようにつなぐと、メビウスのトーラスになる。そういう名称があるのかどうだか分からないけれども。そうすると、右下に飛んでいたグライダーは、左から登場するときには右上に向かって飛ぶことになる。当然上下端の接続にもX座標を反転させることができ、この場合にはグライダーは画面境界をまたぐたびに飛行角度が90度ずつ変わることになる。グライダー視点では直進しているのに、座標上では折れ曲がってしまうのだ。 とまぁ、こんなことは数学の世界では100年も前に議論し尽くされた問題なのだろうが、凡人の頭でも想像可能なものなのだとわかって、結構面白い。数式をゴリゴリ扱えると、こういう想像力が到達できない100次元とかn次元まで一般化できて更に面白いのだろうが、どうにもそういうのは苦手で困る。数論とかトポロジーなんかは発想が楽しくて面白いのだけれども、あの数式操作というのはどうやっても慣れなくて残念だ。 私たちの宇宙が空間的に開いているのか閉じているのかという議論があるが、あれに時間軸は含まれているのだろうか。遠い過去と未来が、実は連続している輪廻環の中に私たちがあるのだとしたら、それもまた衝撃的で楽しい。どうせなら、その境界を越えるときにメビウス的な反転をしていて、フレミングの右手と左手の法則が入れ替わってしまうような世界になると面白そうだ。いや、人間も反転してしまうから、結局左手の法則は左手の法則のままなのか。まぁいいや。 たまにはこういう平和な妄想もいいかもしれない。
by antonin
| 2008-06-19 00:13
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Comments(3)
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by
kawazukiyoshi at 2008-06-19 18:09
妄想もいい。
確率はいつも無限次元空間で物事を考えているつもりなんですよ。 今日もスマイル
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antonin at 2008-06-20 00:34
コメントありがとうございます。
「確率」というのが一体何を指すのか、凝縮されすぎていて私にはわからないのですが、無限次元空間というのは面白いですね。連続量の座標空間ではなくて、離散的な整数量の座標を持つ開いた1次元空間を仮定すると、その空間上の点の個数は可算無限になる。2次元空間上の点の個数も有理数の個数に等しいので可算無限になる。とすると、次元数が可算無限の、開いた離散座標空間上にある点の集合の濃度もやはり可算無限なのか。ちょっと気になりますね。 今日もスマイル♪
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by
zircoonya
at 2021-08-26 07:35
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東と西、北と南が繋がったドラクエの世界は球ではなくトーラスだと分析していた人がいましたね
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