安敦誌


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State-of-the-Art

以前、仕事の都合でITRSの策定するロードマップを参照する機会があった。半導体の世界には熾烈な競争がある一方で、材料レベルから応用部品のレベルまでに水平分散した各業界が、垂直方向に歩調を合わせて整然と進行するための申し合わせとして、ロードマップというものが策定されている。これにあわせて各業界が製品を準備し、それを組み合わせて半導体業界全体が進歩していく。そして、どこかに遅れがあればそれを逐一ロードマップに反映し、実情に合わせた進め方を業界全体で作り上げていく。

各レベルの競合他社との競争に勝つような、最高レベルの製品を生み出しはしたけれども、それが生かせるような業界構造が実現しなかったために、結局はその優れた製品が使われることなく消えてしまう。日本ではしばしば見られる現象だが、欧米人はこういう無駄を嫌う。そこで、健全な競争原理は働かせつつも、その進むべき方向だけは皆で協議して、結果は公開情報として共有する。こういう態度が欧米人の好みだ。

そして、そうして練り上げられ、しかも誰かのメンツを立てるために絶対不変の目標になるのではなく、全員に共通する利益のために打ち立てただけの指標だから、柔軟に変化し続ける形でロードマップは存在し続ける。そのロードマップの基本的な構成の仕方は、だいたい次のようになっている。

現在、このような変化が起こっており、将来的にはこういう市場構造が予測され、したがってこうした半導体部品が必要とされる。それを実現するために、現在の技術のうち、これとこれはそのまま使えるが、この部分は必要となる技術や製品が存在しない。その技術や製品を実現するためにはこれだけの問題があり、業界としてこの問題を解決するには、何年までにこれこれの技術や製品をこのレベルで提供する必要があり、もし提供に成功すればこれだけの市場規模が予想される。そしてこの問題を解決する技術は解決方法だけがわかっているが、実現はされていない。またこの問題を解決する技術は方法さえわかっていない。

欧米の業界横断的な組織が策定するロードマップの多くは、だいたい上記のような論理構成になっている。この論理的思考法の源流は、大日本帝国の陸海軍を打ち破った、英米の軍事技術が元になっている。日本には工業規格というとJIS規格しかないが、アメリカには一般市場のための規格がANSIをはじめとしていくつか存在する他に、それらとは別の水準にある標準規格として、MILという軍事調達専用の工業規格がある。

そして、現代のJISやその骨子となっているISO標準などに多くのアイデアを提供してきたのが、MIL規格だった。ただし、MIL規格は国家と国民の生命を扱う規格であるため、ひたすら安全側に余裕を見る基本精神を持っているが、民間のための規格では経済性を重視しなければならないため、もう少し柔軟な発想を組み入れている。そしてそこで生まれた優れたアイデアが、再びMIL規格に取り込まれるあたりが、アメリカ国民の柔軟性を示している。

脱線したが、そうした半導体ロードマップの進行状況を示す用語の中に、"state-of-the-art"という段階がある。最初はよく意味がわからなかったが、よく調べるうちに、その深い意味に感銘を覚えた記憶がある。日本のgoogleで"state-of-the-art"を検索すると、そのトップに以下のページが登場する。

参照:「state of the artの意味 - 教えて!goo

この程度の説明しか出てこないというのは、質問者が回答を締め切った時点で議論が終わってしまうという、この質問システムに由来する限界なのだろうが、これが検索トップに立ってしまうという貧弱さは、あるいは"state-of-the-art"に対する日本人の理解の程度を示しているのかもしれない。

"art"という単語には意外に多くの意味が含まれており、ネット上の辞書を参照すると以下のようになる。

参照:「art2 - goo 辞書

日本語で「アート」というと、「美術・芸術」という意味に取られると思うが、これと同じ単語で英語では「技術・技能」という意味もある。質問サイトの回答では、この2番目の意味だけを切り出して"state-of-the-art"を説明しているように見える。"art"の別の訳では、「技巧、熟練」という意味もあるが、これらは同じスペルに収斂してしまった複数の単語という意味での「同音異義語」ではなく、おそらく"art"という単語が持つ意味の広がりを、日本語に書き落とすといくつかの表現に分裂せざるを得ない、というものなのだろうと思う。

"state-of-the-art"という単語はハイフンでつなげられてひとつの単語になっているが、これは「いわゆる"state of the art"と呼ばれるもの」というような意味合いがあるのだろう。直訳すると「ある特定の技術の状態」となってしまうが、これは「芸術や熟練技能の状態」と言えるだろう。これに、「いわゆる『芸術や熟練技能の状態』と呼ばれるもの」というカッコつき表現の意味合いが加わり、より限定的な技術用語になっている。

"state-of-the-art"の考え方をわかりやすくするためには、"state-of-the-art"の状態の対極には、どのような状態があるのかを考えるといい。再びロードマップを参照すると、"state-of-the-art"の段階を脱した技術は"sample shipment"「サンプル出荷」の段階に至り、次に"mass production"「量産」の段階に至る。最終的には機械任せの大量生産ができるような技術が、未熟な機械を慎重に動かして様子を見ているのがサンプル出荷の段階で、試作専用の機械を使い、熟練研究者や熟練技能者がつきっきりになって、ようやく試作可能なのが"state-of-the-art"の段階なのである。

過去の試作品を目にしてみると、その多くが芸術的であるというのは、経験的にも正しい感覚だろう。ショックレイのトランジスタやバベッジの階差機関、オンネスのクライオスタットやカミオカンデの光電子増倍管など、最先端科学技術の多くは「職人芸」"art"に彩られている。

別の表現を見ると、"state-of-the-art"のうしろには"industry"「産業」の段階があり、"engineering"「工学」の段階がある。"industry"では量産に必要なノウハウを蓄えた企業だけが生産可能であり、"engineering"の段階では、明らかにされ整理された技術を学べば誰でも生産が可能になる。

"state-of-the-art"で生まれた技術が"state of the industry"の段階を経て"state of the engineering"の段階へと至る。こういう進化の階梯が見えていて、欧米人は各段階のそれぞれを大事に考えている。

日本人でもそういう考え方のできている人は多い。しかし、かつては少なかった。どういうことかというと、"state-of-the-art"そこが至上であり、"engineering"は卑属であるという考え方がこの国の主流であった。宮大工が"state-of-the-art"の代表格であり、町の大工さんもそういう性格を持っていた。そこに機械化を持ち込み、人は単に機械へ材料を放り込むだけのお手伝いさんという考え方を持つ"state of the industry"の代表格が、炭鉱や製糸産業だ。

日本では、個人の力量をとことん極める"state-of-the-art"に対する評価が異常に高かったし、それに対する反発として"state of the industry"を熱狂的に信奉する勢力もある。そして両者が相手の弱点を突いては綱引きし合いながら、職人志向と産業志向を行ったりきたりしてきた。しかし、技術の揺籃期には高度な職人芸による試行が欠かせず、そしてその先に工業化による開花が待ち受けている、という視点を持っている欧米人には、この綱引きの無意味さが見えているのだろう。そして、産業化が済んでコモディティになる技術を、欧米人の研究者は"engineering"として簡潔にまとめ、次代に伝えようとする。

日本人は、"engineering"では技術の詳細が見えなくなって危険だと騒ぐが、そうした詳細の切り捨ては織り込み済みなのである。"engineering"になったら職人は不要だといって無碍に切り捨てる文化こそが悪いのであって、"state-of-the-art"前夜にある新しい技術の萌芽を支える職人集団には当然の敬意を払いつつ、先人の苦労の結晶である産業技術の骨子は、工学として明確にして残す。これらは決して互いに矛盾するものではないように思う。

日本では芸術家や職人は旧来の技術をただ守るだけという立場に押し込めようとするが、これは間違っているように思う。もちろん、古い技術をそのまま受け継ぐことにも重要な意味があるし、これを軽視してはいけないが、職人は古い技術を閉じ込めるための琥珀であるとだけ考えると、おそらく損をする。版木を彫れる職人の知恵は、ナノインプリンティングのような最先端分野をも、きっと明るい光で照らしてくれるだろう。しかしそこまで古い技術だけではなく、計算力の乏しい組み込みプロセッサで高度かつ迅速な処理ができるコードが書けるプログラマなどは、現代の名匠というにふさわしい。

そして、その知恵を工業化できたら、最終的には工学的理論という堅固な形として残すべきだろう。アメリカから渡ってくるソフトウェア工学の本に見る快さというのは、こういう「職人芸」をわかりやすくまとめ、技芸から産業へ、産業から工学へと昇華させようという不断の努力に由来するものなのだと思う。

これを見て、わかりやすくまとめすぎてはいけない、基本は全て努力で身に付けなくてはいけない、などという精神論を述べたり、職人芸は悪であり、明らかにされた工学を身に就けなければ実務に付くべきではない、などと反発する意見が出てきたりすると、産業は悪い方向へ進む。

新しい技術を創造するには、多くの経験に基づく高度な技量が必要だ。ただし、いつまでも技量だけを追い求めていては、その個人の死とともに技術は失われるし、技術を国家や地球という規模に広めることもできない。技術は次第に工芸の段階から巣立ち、産業の段階を経て、工学という形に昇華されなければならない。こういう動機が、人をその日暮らしの動物から文明的な人類へと推し進めたのだろう。

文明は多くのものを破壊してきたが、かと言っていまさら人類が猿の生活に戻ることはできない。文明は問題をひとつ解決するたびに問題をひとつ発生させ、そしてまたその問題を解決することで前に進んできた。これからもしばらくはそういうサイクルが続いていくだろう。

文藝春秋にあった零戦開発の話を読んで、職人芸を大事にすることと、職人芸を産業に昇華させる力を持つ者と持たざる者の力量の差を、改めて感じることになった。その視点からいえば、日本は工学を豊かにする研究拠点であるよりも、職人を育て育む職人養成所として生きるほうが、世界にとってはより有用な存在になるようにも見える。

しかし、日本人は意外と見栄っ張りなので、中華思想の隋唐に「倭」などと呼ばれると気に食わず、「大和」とか「日本(ひのもと)」などと称して世界と張り合いたがる。アメリカと伍して戦いたがる。米中が日本の頭越しに会話するのを嫌う。工芸でも芸術文化でも産業でも学問でも社会福祉でも軍隊でも、なんでも世界最高レベルでないと気に食わない。島国だけど。

それはそれで見上げた態度なのだけれども、疲れたら時には休んでみてもいいかもしれない。そして、また体力が付いたら、素晴らしい先人の成果に思いを馳せつつ、また世界に乗り込んで行ったらいいだろう。二千年近い日本の歴史である。十年や二十年ぐらい失ったって、別に大したことはないだろう。

人間国宝などといったわかりやすい存在だけではなく、もっと身近な"state-of-the-art"の担い手に、もっともっと光を当ててみたらどうだろうか。rubyのまつもとさんなんかもきっとその一人だが、光の当たっていない名匠はまだまだたくさんいる。その中には、生産現場で安い給料でこき使われているあの人も入っている。そういう視点があると、日本はもっと楽しくなるはずだ。
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by antonin | 2008-06-22 17:34 | Trackback | Comments(2)
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Commented by fazero at 2008-06-24 13:05 x
かわゆい、ぎゃんぶらー
なんか、そしつ、が、ありそうやは
これからが、たのしみ
Commented by antonin at 2008-06-25 00:08
>ふぁぜろ、

ん?
ここか、ここでええのんか?
そのコメントは(笑)
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