by antonin
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養老孟司さんの「バカの壁」を軽く読み返している。 あまりに爆発的に売れた本だったのでしばらく避けていたし、一度読んでもあまり感銘を受けなかったのだけれども、最近になってジワジワと関心が高まってきている。 もともと学生時代の終わり近くになって「唯脳論」を読んで大きな影響を受けた経験があるので、私のモノの考え方の根の部分には、養老さんの考え方がかなり溶け込んでいる。ドーキンスさんの「利己的な遺伝子」と養老さんの「唯脳論」は、自分自身の発想法の基礎となるようなものなので、今では乗り越えなくてはならない大きな壁となっている。 けれども齢四十が近づいて、そろそろ大きな壁を越えることは困難になっている。これが常識の壁、それも世間で流布しているところの常識ではなく、自分自身の考え方の土台になっているという意味での常識であって、この常識の壁というのが、まさに「バカの壁」というやつなのだ。 最近の子供たちや若者は前頭葉の働きが弱まっていてキレやすい、ということが書かれていて、これを読んで違和感を持っていたのだけれども、先日も書いたように退却神経症と呼ばれた「無気力・無関心・無快楽」の状態を、自分自身が学生時代に経験している。これを外部対象として批判が可能な立場であれば楽なのだろうが、私にとってはまさに自分自身の問題なのであって、外側から批判して済む問題ではないという点が、養老さんとは決定的に異なる。 現象として、前頭葉の働きが鈍くなると、積極的な意欲を持って物にあたれず、自制心に劣り、キレやすいということは、なるほどわかった。問題なのは、「ではどうすればよいのか」という部分がいつまでも付いて回るということである。自分には問題がないが、最近のヤツには問題があるよね、と分析したところで問題が片付くわけではないということである。 ひとつの問題として、自分自身が前頭葉の働きの鈍い人間になってしまっており、それによって人徳的に劣っていると批判されているのだが、それを克服するにはどうすればよいのか、というものがある。もうひとつの問題として、自分の後に続く世代が同じ轍を踏まないようにするには、どのようにしてやる必要があるのか、というものがある。 現状では、何が前頭葉の働きを弱めたのか、という原因究明が端緒に着いたばかりで、成果を期待できないまま批判に甘んじなくてはならないという無力さがあり、今まさに育ちつつある子供たちを取り巻く環境が、私たちが育った時代に比べて改善されているのか、それともよりひどくなっているかを測る指標がないという無力さの中にある。 私たちとその上の世代は、バブル景気の時期に青春時代を過ごした一部の世代を除いては、いつも厳しい競争に曝されてきたから、気安くゆとり教育世代を馬鹿にしたり、その特質のうち自分たちより劣った部分をことさらに分析しては、嘆くふりをしつつ優越感に浸ったりしている。しかし、それらは分析され批判されるゆとり教育世代にとっては、なんの解決にもならなければ指標にさえもならない。すでに弊害が多すぎることが証明済みの詰め込み教育へ回帰するようなら、彼らの犠牲は全く何の意味も生み出さなかったことになってしまう。 今わかっていることは、ゆとり教育世代と呼ばれる若者たちが、その教育の成果なのかデフレ経済下に思春期を過ごした結果なのか、あるいは満足できる就職先を得られるような時期に社会に出た結果なのか不明ながらも、とにかく仕事と会社組織に対して私たちの世代よりも積極的に参加する動機を抱いているらしいということである。もちろんそれはあくまで統計的なものであって、個々人を見ればいつの世にもいろいろな若者があるのだろうが、とにかくそういった側面もあるということである。 バカの壁とは、ひとつに純粋に理解力とか能力の壁というものがあり、また別の部分として常識の壁というものがあり、そして最後に興味関心の壁というものがあるようだ。ある人にとって興味のある話題が、別の人にとってはまったく興味の外にある。これが3番目の壁だ。 社会階級を上り詰めて引退が近い世代にとっては、自分の健康や、自分の常識の通用しない世代がいかに自分と異なっているかということを知ることに興味がある。一方で、社会に出る世代にとっては、今の世界がいかに矛盾に満ち、未来に対して展望を持っていないかということや、自分自身が抱える問題をいかにして解決していくべきか、というところに大いに関心がある。そして両者はすれ違う。 これを認識したところで何かが軽くなるかといえば、別にそうも思わないのだけれども、まぁ考えざるを得ないような頭のつくりをしているらしいので、今後も相変わらず考え続けていくのだろう。
by antonin
| 2008-07-04 23:41
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