安敦誌


つまらない話など
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真実は誰を自由にするか

読了。

「はじめての構造主義」 橋爪 大三郎

発行が1988年5月となっていて、もう20年以上も前の本だ。手許にある本は1994年7月の第14刷で、おそらくその頃に買ったのだと思う。当時も一通り読んでみたのだけれども、さっぱり頭に入らなかった。今になって読み返してみると、非常にわかりやすく、最終章に指摘されているような問題点もすっきりと理解できる。これが年の功というやつだろうか。

結局のところ、それからの十数年の間に多くの情報に接して、間接的に流れてくる構造主義的な言説に慣れたので、その源流についての解説書が簡単に読めるようになった、ということなのだろう。やはり同時期に買った「はじめてのインド哲学」という本もあるのだけれど、こちらは今読み返してみるとどうなのだろう。ウパニシャッドの場合は現代日本の日常に馴染んだというような思想でもないので、今でもあまり変わりはないのかもしれない。比較対象として読んでみても面白いかもしれない。

今日の漂着地:「カウンセリングルーム:Es Discovery

自明性の喪失」を検索していて漂着。小学生のときに、ひとつの漢字を100回繰り返して書くなどという宿題があって、ご他聞に漏れずゲシュタルト崩壊を起こしたりしていたが、哲学的なことも考えすぎると似たような感覚の崩壊が起こってフラフラになることがある。ここで道を誤ると分裂病というか統合失調症というか、そういう状況に至るのだろう。

こういう狂気と正気の境にいると色々と面白いものが見えてしまうのだが、最終的なところでは正気に帰ってこなくてはならない。

ヴォルフガング・ブランケンブルク『自然な自明性の喪失』の考察:“当たり前(常識)”を共有できない苦悩

漂着ページである上記の記事などを読んでいても、
大多数の人たちが『そんなことを深く考えてみてもどうしようもない・自分の実際の生活とは直接的な関係がない・観念的な理屈の問題に関わり合っていられるのは学生時代までだ』と思っている抽象的な存在や規則・原理に関する問題を延々と自閉的・内向的に思索し続けることによって、現実的な問題や人間関係との接点を失ってしまい、最後には誰も自分の話に耳を傾けなくなってしまう。

なんていう言葉が身につまされるように読めてしまって危ない。デカルトも「我思う、故に我在り」なんていう思索の深みに達しておきながら、過去の賢人たちが記した書籍を読むことを異文化の地を旅する有益さに例えながら、「けれども旅にあまり多く時間を費やすと、しまいには自分の国で異邦人になってしまう」などと言って常識に近い地点へ帰ってくる。このエレガントさは見習いたいものだ。

漂着地には、他にも精細な分析が読める記事が多数ある。

精神の正常と異常を区別する心理学的な相対的基準(適応・価値観・平均・病理の視点)
反社会性人格障害の診断と社会防衛的な精神医学の視点の問題

こういう文章がネット上に無料で転がっていて、なおかつ簡単に検索できるというのは、実はとてつもないことなのだろう。「自明性の喪失」なんていうキーワードは他で見つけないといけないにしても。


googleが中華人民共和国にサービスを提供するに当たって、中国共産党当局といくつかの妥協をしたことについて批判が挙がったことがあった。けれども堤に蟻の一穴というか、とにもかくにも情報検索という市場に食い込んでしまえば、それがもたらす力には計り知れないものがあるだろう。あと10年ほどすれば、巨大な中国も止められない情報流通によってかなり変容しているだろう。

googleには、その技術力や収益性などというもの以上に、"Veritas Vos Liberabit"「真実があなたを自由にする」という、新約聖書にも採録されている古代ローマの言葉と同じ理念を強く感じる。SEO技術なんかとの折り合いの付け方なども、国家運営主体よりも政治的に高度な技量を感じるときがある。ジェファーソンか誰かが「政府のない国家のほうが、新聞のない国家よりもましだ」と言ったらしいけれども、googleにはそういう力を感じる。ありがたいことだ。


塩野七生さんの「マキアヴェッリ語録」なんかも軽く読み返している。こちらは1992年11月発行で1998年4月の第16刷だ。もう10年も前で、社会人になりたての頃、まだ小泉さんが首相になる前の話だけれども、特に読むでもないのに、いつも上着のポケットにこの本を入れて持ち歩いていた。その結果で文庫本の装丁がぼろぼろになっていたりする。

「あとがき」が唐津一さんという工学系出身の元経営者からの支持文なのにいまさら気付いた。結局のところこれは、コーチングなどと一緒で、ある種の心理学なのだろう。もうひとつの「人間工学」なのだろう。それを読んで「不道徳」などと怒っている人もいるらしいが、写真写りが悪くて文句を言っている人のようでもある。
 指導者なら誰でも、次のことは心しておかねばならない。
 それは、個人でも国家でも同じだが、相手を絶望と怒りに駆りたてるほど痛めつけてはならないということだ。
 徹底的に痛めつけられたと感じた者は、もはや他に道なしという想いで、やみくもな反撃や復讐に出るものだからである。

などという文を読めば、それが福祉原理の節度ある姿であることが分かる。やみくもな反撃や復讐をしばしば目にする状況だからこそ、こういう言葉の底に流れている価値観というものに耳を傾けてみるのもいいんじゃないだろうか。

ただまぁ、権力に権謀術数は必須だが、それは水面下で行使されなければならない、というようなことも繰り返し書かれているので、カトリック教会のような「権力」ならば、これは表向き批判しておかなければならない文書ではあるだろう。今の日本では新聞も公権力であるから、状況は似たようなものだろう。

古い本ばかり読み返していて、読書はちっとも先へ進まない。1日が30000時間あったらいいのに。
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by antonin | 2008-07-25 01:24 | Trackback | Comments(0)
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