安敦誌


つまらない話など
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平和ボケる

ヒロシマの日が過ぎて、ナガサキの日が過ぎて、今日が終戦記念日。

ヨメとコドモたちが公営施設の中にある映画館で「ポニョ」を見てきたらしい。宮崎さんが「神経症と不安の時代に立ち向かおうとするものである」とか言っているので、いずれは見てやらねばなるまい。まぁ、自分自身に内在する問題としてではなく、あくまで二人称的に立ち向かうのだろうから、あんまり期待はしていないけれども。絵はかわいいですよね。半魚人状態とか好きかも。

スタジオ・ジブリというとこの季節思い出されるのが、サクマ式ドロップスのアレでありますが、劇場公開は1988年だったらしい。このアニメ映画を初めて見たのは劇場ではなくて、旅行先の金沢で立ち寄った健康ランドのような施設内の休憩室のようなところだったように思う。当時私は高校生で、退屈しながらアニメ映画の映るテレビ画面を眺めていた。

けれどもこの話というのが、ご存知のとおり10才くらい歳の離れた兄と妹が主人公になる物語で、これもご存知のとおり妹が死んでしまう。詳細は忘れてしまったのだけれども、とにかく10才くらい歳の離れた妹が死んでしまうということだけが強烈に印象に残った。

私にもちょうど10年弱歳の離れた妹がいて先日結婚したのだけれども、自分が14歳くらいの頃には忙しい両親に代わって妹を保育園に迎えに行ったり、運動会や遊戯会にビデオカメラを回しに行ったりということをしていたので、そんなことを思い出しながらあの映画を見ることになってしまった。

あれはあくまで物語であって、現実の戦争と戦後の世界とはまた違ったものなのだろうが、小学生の頃に見た、原爆投下や東京大空襲などの恐ろしさを伝えようとするアニメとは全く違った生々しさがあった。それもやはり、自分が中学生のときを思い出して、妹と二人きりで世間に放り出されたらどんなことになるだろうかという、そういう性質の想像が容易であるという意味合いが強かったのだろうと思う。

で、まぁなんというか、戦争は嫌だね、平和はいいよね、という安易な結論で落ち着いたわけです。最近では両親が揃っていたありがたみなどにも思い馳せるようになったのだけれども、当時はそこまでは思い至らなかった。

戦争反対、みたいなことを言うと、現実はそんなことじゃ生きていけない、そんなのは平和ボケした人間の言うことだ、というような意見が必ず返ってくる。そりゃまぁ国家に軍隊がないというのはありえない状態だけれども、だからといっていつも戦争が必要かというと、決してそんなことはないと思う。そんなことを思う私は平和ボケなのだろうか。おそらく平和ボケなのだろう。

で、自分が平和ボケなのは平和な社会に育ったからなのだろうと、ずっとそう考えていた。いや、考えてなどいない。そう信じて何の疑問も持たなかった。が、実際に戦時中の事情を反映した情報を多く見聞きすると、平和な時代に育ったから平和ボケと言うわけではないんじゃないかと、そんなことを思うようになった。例のアニメ映画を見ても、国を守って妹を守るために自分は兵隊さんになるんだ、とか、そんなことは決して思わないのだった。

思うに、私のような人間は、平和な社会に生まれ育とうが、紛争にまみれた社会に生まれ育とうが、結局のところ平和ボケとしてしか生きることができないんじゃないか。平和な時代には勝負師気質の人に平和ボケであると罵られているが、戦時下にあってもやはり、勝負師気質の人や大勢に流れて疑わない人たちに非国民であると罵られているのが、私のような人間なんじゃないかと思うようになった。戦うとかいうことが面倒で本当に嫌なのだ。ひょっとしてこれは生まれ育つ時代を問わないんじゃないか。

ただし体を張って戦わない代わりに、舌戦ならそれなりにやる。自分が戦場に出て、殺したりころされたりするのを避けるために、ああだこうだと、いろいろなことを言う。実にけしからんやつだ。こういう、大勢に流れるのが大嫌いな性質というのがあって、戦時下のような国民が一致団結を求められるような場面にはむしろ、こういう性質は一段と強く現れてしまうものなのではないかと思うようになった。

もう引き返しようのない状況の中で、いかに戦争が馬鹿らしく、戦争をやめるべきかというような、どうしようもないことをひたすらに言い続ける。そんな様子が目に浮かぶ。平和だから平和ボケになるのではなく、いかなる状況でもおそらく平和ボケの人間は平和ボケでしかありえないんじゃないのか。

現代では年間3万人が自殺しているが、戦後の混乱期にはそれほど自殺者は多くなかった。もちろん、栄養や医療の欠如によって、自殺するまでもなく死んでいった人も多かっただろう。そして、生きるのが難しい弱い人間が一定比率で存在するとするならば、そういった人たちが戦時中に死んでいった数百万人の中に含まれる確率というのは、いっそう高かったのではないか。

平時でも死んでしまうような弱い人間は、戦時に育てば精神が鍛えられたのだろうか。どちらかというと、弱い人間は一定比率で生まれていたが、戦時にそんな様子では実際に生き残ることができず、結果的に死ぬことで淘汰されてしまうのでその比率が下がっていただけ、ということは考えられないだろうか。そんな考えでは生きていけないぞ、という罵りが、現実となってしまうのが戦時というものなのではないのか。平和だから平和ボケになるのではなく、平和であればこそ平和ボケでも生きていくことができるという、ただそれだけのことなんじゃないのか。

平時であれば罵られるだけで済むが、厳しい行軍の先に戦闘が待ち構えているような戦場であれば、考えの甘さと行動の鈍さで平和ボケ人間はさっさと死んでしまうだろう。もし徴兵を免れて内地に留まっても、物資が欠乏してくれば、生きるのに必要な物資を分け与えてもらうだけの付き合いも身寄りも人徳もなく、結局真っ先に死んでしまう。そういう性質の人間は、少々環境が変わってもやはり、そういう性質に生まれてしまうものなのではないか。

テレビドラマだったか、書生風の男が列車内で横文字の本を読んでいると、敵性語の本など読みやがってと憲兵か誰かに殴られる。男は「これは同盟国ドイツの本です」といってやり返すところでドラマのエピソードは終わるのだが、これが本物の平和ボケ気質であれば、読んでいた本が実は共産主義思想に関するものであったりするのがバレて検挙され、過酷な取調べに耐えきれずに獄中で死んだりする。そういう情けない死に方をしてしまうのが平和ボケの人間なんじゃないのか。

私は子供のころ病弱というか虚弱で、幼稚園に通うようになってからはほとんど週末ごとに熱を出していた。熱性痙攣で病院から救急車で大病院へ移送されたこともあった。そんな具合だったので、幼稚園に通っていた2年間で1ヶ月皆勤を達成したのは1回か2回しかなかった。親は苦労したと思う。世が世なら、5才を待たずしてきっと死んでいたはずだ。

肉体的な問題も精神的な問題も、似たようなものなんじゃないのか。この平和な世の中だからこそ、こんなに生きていられるのであって、戦時下ならとっとと死んでしまうだけなんじゃないのか。平和でありさえすれば、平和ボケでも生きていける。しかし、平和でなくなれば死んでしまう。ただそれだけなのだとしたら、平和ボケにとって平和維持は文字通りの死活問題である。そりゃ戦争に反対するわけである。

現実に、いまや経済戦争も敗色濃厚で、平和ボケの仲間たちは日々斃れ続けている。平和ボケではない人々の意見はいたって明瞭である。足を引っ張るなボケ、お前らの努力が足りないのが悪いんだからとっとと死んでしまえ、むしろ清々するわ。である。わかりやすい。最近の若者は攻撃的で、というような意見も聞くが、大戦中はもっとひどかったんじゃないのか。戦艦大和の艦内で兵学校上がりと学徒兵の言い合う激しさと、その話の噛み合わなさ加減は大変なものだったらしい。今の「勝ち組」と「負け組」のやりとりと質的に大して違わないように見える。

ともかく、精神の弱い平和ボケにとっては平和の維持が絶対的に必要である。なんと言われようが平和に固執しなければかなりの確率で死んでしまうのだし、なんとしても生存環境を守らなくてはならない。それで平和ボケの比率が増えて足を引っ張られてしまう勝負師気質の人達には気の毒だが、こちらも生存が掛かっているので引くに引けない。戦わざるを得ない。平和ボケならではの闘争である。

まぁそんな話はどうでもいいんですが、平和というのはありがたいことでございます。来年が今年よりも平和でありますように。
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by antonin | 2008-08-15 23:53 | Trackback | Comments(0)
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