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安敦誌


つまらない話など
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人須学

「枚挙にいとまがない」という慣用句があって、「いとま」の部分に「暇」という漢字を当てることができる。しかし、こう書いてしまうと、ついつい「枚挙にヒマがない」などと読んでしまいそうで、結局ひらがなで書いてしまう。「お暇なら来てよね、私淋しいの」であれば「おヒマ」で結構なのだけれども、「お暇頂戴致します」となると、おヒマではなくて「おいとま」と読まなくてはならない。異国から表意文字を引いてきた日本文化のちょっとだけ痛い部分である。
流通させるデジタル・コンテンツにすべからく暗号化処理を施す。それによって,対価を支払ったユーザーだけに視聴やコピーを限定し,「ただ乗り」を防ぐのが,これまでのDRMの考え方だった(図1)。

こういう文章があって、「賢明なる読者」のツッコミを受けている。「すべからく」という言葉は「必須」という熟語が持つ意味を表していて、「須く」という字が当てられている。「多くの場合、下の『べし』と呼応する」と広辞苑にも書かれていて、通常は「すべからく~べし」という慣用表現を以って使用される。だが、「すべからく」という言葉の意味だけを単独で引き抜けば、それは「為(す)べかりのク語法」であるとも書かれていて、「当然に」といった程度の意味ということになる。

この、「すべからく」という語は「すべて」という語と音が似ているから、ついついそういう意味で誤用するケースがあるという。広辞苑とともに手許の電子辞書に採録されている「明鏡国語辞典」の項には、「『落ち武者たちはすべからく討ち死にした』など、『すべて』の意に解するのは誤り」と明記されている。けれども、「すべからく」という後に「べし」という語が係り結びされていない場合に、本当にそれは全て誤用なのだろうか。

よく、「全然平気」という言葉が日本語の濫用例として引かれるが、この言葉の用いられる場面を精細に検討すると、それが実は誤用ではなく生きた言葉としての拡張用法であることが知れる。この言葉は(最近はどうか知らないけれども本来的には)以下のような文脈で使われるだろう。
「顔色悪くない?大丈夫?」
「うん。全然平気。ありがとう」

これが(最近はどうか知らないけれども本来的には)否定文ではない場面で使われる「全然」という語の典型的な用法だろう。この会話に含まれる文脈を補いながら、いわゆる「美しい日本語」に翻すと以下のようになるだろう。
「お顔の色が芳しくないようにお見受けいたしますが、お体の具合でも優れないのではございませんか?それともわたくしの杞憂で大丈夫だとよろしいのですが」
「はい。あなたのおっしゃるとおり平気でございます。ご心配頂いたような、わたくしの体調が優れないということは全然ございませんので、どうかお気遣いのないようお願いいたします。わたくしのことなどにお気遣い戴きまして、本当にありがとうございます。

というような、日本人女性らしい繊細な気遣いの交換が含まれた会話であるが、彼女たち若い女性にとってはこうした気遣いの円環は日常そのものであるので、互いの了解の下に省略され、先のような表現となったことは間違いないと信ずるものである。

そんでもって、「すべからく」も多くの書き物では「すべからく~べし」という慣用表現として定着したのだけれども、英語で言うところの"must"の表現に使われているわけだから、その義務を果たさない馬鹿者がいない限り、すべての者はその義務を果たすのである。したがって、「すべからく」と「すべて」は意味的に違いがあるけれども、論理的な帰結として重なる場面が非常に多いのである。

「明鏡」の誤用例として挙げられていた文にしても、文脈によっては誤用とはならない場合も想定しうる。例えば、「武士道とは死ぬことと見つけたり」ということを説く文章があって、たとえ負け戦であっても、武士たるもの敵に背を見せることなく最後の一将一兵に至るまで悉く戦い、その誉れを全うすべし、などという文章が先にあるとするならば、「落ち武者たちはすべからく討ち死にした」という文もまた違って見えてくるだろう。つまり、「落ち武者たちは(一族の名誉を守るべく当然の行いの結果として)討ち死にした」というように読めてしまう。

まぁ、このようにしてなにごとにおいても理屈をつけて反論の余地を見出すのはアテネのソフィストたちにしてもアメリカの弁護士たちにしても蛇蝎の如く忌み嫌われるわけであるが、私たちは言葉に対してもっと深みを求めてもいいのではないだろうか。「すべからく」に「べし」が続いていない文章を見つけたときは、一呼吸入れて「すべからく」を「当然に」や「必ず」といった言葉へと置き換えてみてはどうだろう。それで通じないようであれば誤用としてもよいだろうし、通じるようであれば、「行間を読む」ということをしてもお互いいくらか益があるだろう。

--
(追記)
やっぱり間違いでしたorz
安敦誌 : 須らく恥を掻きました
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by antonin | 2008-08-17 15:30 | Trackback | Comments(0)
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