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商売の基本(1)

生物の生活の基本は、自分の面倒は自分で見るということに尽きる。これが原初だ。細胞は二つに分かれる。右の細胞と左の細胞は、それぞれ自分の栄養は自分で獲得し、負けたものは死ぬ。生き残るのは強い者だけだ。

しかし、やがて多細胞生物が現れる。細胞は二つに分かれる。しかし、分かれた細胞はくっついている。単独で行動していたときよりも効率よく栄養を獲得し、捕食者に食われにくくなる。そして次には、右へ分かれた細胞と左へ分かれた細胞が少しずつ異なるような細工ができてくる。同じ形の細胞が集まって同じ役割を分担するのではなく、異なる形の細胞がそれぞれ違った役割を担う。

しかし、多細胞生物はどういうわけか「死」というシステムを受け入れた。ひとつの細胞から分かれた兄弟姉妹たちは大きな「個体」となるが、個体はいずれ死ぬ。そうすれば全ての細胞は死ぬ。けれども、「子供」が生き残る。子供は子供で親とは独自の個体となって世界を行き抜く。子供たちはそれぞれ自分の栄養は自分で獲得し、負けたものは死ぬ。生きるのは強い者だけだ。

しかし、ここにも新しい世界が誕生する。同じ親から生まれた子供たちは、散り散りになることなく群れを作り、単独で行動していたときよりも効率よく栄養を獲得し、捕食者に食われにくくなる。そして次には、同じ親から生まれた子供たちが少しずつ異なるような細工ができてくる。同じ性質の子供が集まって同じ役割を分担するのではなく、異なる性質の子供がそれぞれ違った役割を担う。蟻のコロニーを思い浮かべればいいだろう。

しかし、同じ親から生まれて社会生活を営む生き物は、「女王」と呼ばれる親の死とともに巣ごと死滅する。巣はいずれ滅びる。その前に数匹のオスとメスが巣から飛び立ち、新しい巣を作る。それぞれの巣はそれぞれに必要な栄養を自分たちで獲得し、負けたものは死ぬ。生きるのは強い者だけだ。

しかし、ここにも新しい世界が誕生する。同じ親から生まれた子供世代は、親から巣立って散り散りになるばかりではなく、何世代にもわたって群れを成し、それぞれの親子が単独で行動していたときよりも効率よく栄養を獲得し、捕食者に食われにくくなる。我々人間は生物学的にはこの段階にある。同じ親の血を引く人間は「家」という巣を作り、それぞれの家は散り散りになるのではなく「村」という群れを作る。それぞれの村はそれぞれ自分たちの栄養は自分たちで獲得し、負けた村は滅びる。

狩猟や採集、農耕や牧畜などにしても、地域や時代によって差はあれども、村の中ではどの家も同じ方法で食料を得て、どの家も同じように外敵と戦った。お互いに協力はしたが、役割は均一だった。しかし、ある時点で人間は変化した。

田畑に灌漑を施し穀物を栽培する農業技術が発達すると、人間の労働力を上回る食料が得られるようになった。つまり、人間は生物史上初めて「余暇」というものを手に入れた。田畑を耕すには労力が必要だが、食べて寝る以外の全てをつぎ込まなくとも生きていけるだけの食料を得られるようになった。その余暇を人間は何に使ったか。おそらく、道具作りに使ったのだろう。

そうして、人間は多くの道具を手にした。繊維、布、衣類。農機具、調理具、高度な家屋。言葉と文字と歌と踊り。そして、武器。これらを手にした人間は、次の年にはさらに多くの食料を手に入れた。そうすると、人間は農作業に必要な人数よりも更に増える。するとどうなるか。一年中道具を作り続けたり、一年中言葉と文字と歌と踊りを見聞かせたり、一年中武器を振るったりする人間が現れ始めた。こうして人間は、同じ性質の人間が同じ役割を分担する生活から、異なる性質の人間が異なる役割を分担する生活へと移った。

こうなると、ある所では穀物が生産され、またある所では魚が獲れ、またある所では木材が採れ、街中では衣類や機械が生産されるようになった。人々はそれを交換しあい、結局は誰もがさまざまな物資を手に入れる事が出来るようになった。物々交換による通商の誕生である。次にはどうなるだろうか。それは通貨の誕生である。

食糧生産も道具の生産も徐々に効率が上がって生産量が増えるとともに、人々の分業もより細分化されるようになる。人が手にする物資のうち、手作りによる物が占める割合はどんどん下がっていき、交換によって手にする割合は入れ替わりにどんどん上がっていく。こうなると、自分が生産しているものを必要としていて、なおかつ自分が必要としているものを持っている人を探し出して物々交換をするのは難しくなっていく。そこで、町に出て、とりあえず誰でも欲しがるような一般的な物資に交換する。

「一般的な物資」とはなんだったろうか。日本では米だった。中国では貝だった。メソポタミアでは金だった。とにかく、誰でも等しく欲しがり、そしてある程度の物量が確保できるような品物が、物々交換の効率を高めるための中間物資として使われるようになった。日本の米は江戸期までこの価値を体面上保持していたし、金も20世紀後半まではその価値を体面上保持していた。しかし、現代では物質的な担保は何も無くなり、通貨は国家権力によって担保される純粋な数値となった。

社会の産業生産力が高まり、通貨経済が発達すると、人々が食料や物資を手に入れることと、通貨の額面を手に入れる事がほぼ等しくなっていく。ここで、金融という仕事が誕生する。通貨を動かすことそのものが生活を成立させる職業として成り立つようになった。現代社会はこの地点にある。

人間は、各人の置かれた環境とその能力の違いによって、自分ひとりでは消費しきれないくらいの価値を生み出し、世界に売り渡す。そこでいったん通貨を得て、次にその通貨を世界に売り渡して物資やサービスなどの価値を買う。これが、全ての職業の基本だ。しかし、通商というのは他の職業とは少しだけ違った特徴を持っている。

基本的な職業は、自分で物資を採取したり加工したりして、自分自身が消費する以上に生産する。しかし、通商は何も生産しない。ある人が採ったり作ったりしたものを安く買い、別の人に高く売る。その人からは別の物を安く買い、元の人に高く売る。その差額が手許に残り、これで自分に必要な物資を買う。これが通商をなりわいとする商人だ。

これだけ聞くと商人は卑怯な人間のように思えるが、決してそんなことはない。古く商人はある土地で多く生産されるものを、多く消費される地まで運んだ。帰り道にも同じ事をした。道程では盗賊に襲われる危険もあったろうし、そもそも食料品などでは腐らせずに運ぶ工夫なども必要であっただろう。物を売りたい人がどこにいて、物を買いたい人がどこにいるかを正しく知る必要もあっただろう。その労力や能力による見返りが商人の利益であり、これは立派な職業である。

生産地で安く買い付け、消費地で高く売る。これが商売の基本だ。農村は食料の生産地であり、都市はその消費地だ。都市は工芸品の生産地であり、農村はその消費地だ。これを往復することで商売が成り立っていた。現代では石油エネルギーの力により輸送能力は格段に高まり、地理的な移動によって大きな利益を上げることは難しくなった。しかし、商売の基本が、安く買い付けたものを高く売るということに変わりはない。

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長くなったので次へ続きます。

安敦誌 : 商売の基本(2)
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by antonin | 2008-08-20 00:07 | Trackback | Comments(0)
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