安敦誌


つまらない話など
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なぜ? どうして? がおがおぶー

朝のテレビは常に3チャンネル。東京地方でのVHFローバンド3チャンネルはNHK教育テレビJOAB-TVだ。と、書けば、我が家がまだディジタルシフトを果たしていないという事がわかるだろう。わかるだろう? わかんない? テレビは2011年7月24日にデジタル放送へと全面移行します。

参照:「地デジ、BSデジタルのことなら![Dpa] 社団法人 デジタル放送推進協会

そんなことはどうでもよくて、こういう番組が子供の通園前と帰宅後に放送されている。

NHKアニメワールド なぜ? どうして? がおがおぶー

こういう啓蒙番組は昔から多い。「シマウマの体はなぜシマシマなの?」という問題が出て、白衣を着た先生風のキャラクターが明快な答えを教える。これが実にスパッと簡潔な答えなのだけれども、なにしろ相手が子供なので、「こういう理由からシマウマの模様がコントラストの強い縦縞であると生存に有利であったという説が現在は有力である」などとわかりにくいことをいう必要はなく、シンプルに断定的に教えるのが正しい。

教育論もどうでもよくて、この番組の面白いところは、そういう常識的な答えを教える前に、子供たちが必ず3つの荒唐無稽な「誤答」をするというお約束の場面だ。この誤答は本当に子供が考えたのではなくて、誰か大人が考え付いたのだろうが、正答なんかよりこっちの誤答のほうがよっぽど楽しい。そして、この頓知好きの大人が考え出した3つの誤答をよく聞いていると、どうやら2種類の答え方があるのに気がついた。

ひとつは「正答」と同じスタンスの答え方。「なぜ?」という問いに、「こうしたほうが有利だから」とか、あるいは便利だからとか楽しいからといった、ある目的のためにそうなっているんだという説明のしかたがある。「ゾウの鼻はなぜ長いの?」という問題に「友達とダンスを踊るため」という感じ。もうひとつ別のスタンスとして、「なぜ?」という問いに、「こうなっているから」という説明のしかたがある。「キリンの首はなぜ長いの?」という問題に「棒を飲み込んじゃったから」という感じ。

よく考えてみると、これは何も子供に限った話ではなくて、人間には質問に対する答え方にふたつの方向があることに気付いた。「なぜ?」というのは「何故?」とも書けて、これを漢文として読み下すと「なにゆえ?」となる。何か理由があってこうなっているのだろうから、その理由を知りたいという質問が「なぜ?」である。この「理由」というものの範疇としてどのようなものを想定するかで、人間には2つの傾向があるように思う。

ひとつは、いわゆる文系の人が属するタイプ。「なぜ空は青いの?」という問いに、「外に出て働いたり遊んだりしていいと教えるためだよ」というような感じ。これは、人は昼間に働いたり遊んだりすべきという考え方があって、人にこれを守らせるために世界が設計されているという前提がまずある。そういう目的があって、それに沿って理由を見つけるのが「なぜ?」に対する答えになる。

動物がある特徴を持っているとき、その理由を「そのほうが**がしやすいから」とか「**できるようにするため」という説明をしたり、それを聞いて満足できるのはこのタイプの人だろう。いわゆる理系タイプの人は、これでは満足しない。もちろん、子供の頃から繰り返し言われているようなことなら違和感を持たないだろうが、初めて感じた疑問にこのように答えられると、なんとなく腑に落ちないものを感じてしまう。そういう人は、この「なぜ?」にどのような答えを期待するか。

このタイプの人は、「なぜ?」という問いに対して、まず目的ありきの答えを望まない。こうしたいという目的があって、だからこうしたという答えを望まない。こういう場面で、目的はさておき、どのようにしてそうなっているのかという"How?"という質問に読み替えるように訓練されている。"Why?"という質問に関しては、その目的を意図した本人にしかわからない部分が残されるので、とにかく自分で調べることでわかる範囲にある"How?"という質問の範囲内で答えを見つけることを文化として守っている。

「なぜ空は青いの?」という質問に対して適切な答えは「レイリー散乱といって、空気の中にある目に見えない小さな塵が、青い光ばかり散らしてしまうから、昼間はその青い光が見える。夕方は青い光が抜けたあとの残りを見るから、空が黄色や赤に見えるんだ」というものだ。これならこのタイプの人たちは満足できる。

しかし、いわゆる理系でないタイプの人たちは、この手の回答には満足できない場合が多い。理屈が理解できないからという面もあるだろうが、それだけではない。「私は理由を聞いたんだ。それは仕組みであって理由ではないよ」という違和感を抱くだろう。"Why?"と"How?"のすり替えに気付いてしまっている。「理由」というものが、ある目的に向かった意思に基づくものだとしたら、空が青いことに「理由」などありはしない、と、いわゆる理系タイプの人は答えるだろう。

いわゆる理系の文化にある人々が信じる進化論というのもこれに似た解釈になっていて、世界は無目的に動いており、その無目的な働きによって生物は世代を重ねるごとに少しずつ変化する。そして無目的な淘汰によって子孫を残す事が出来る個体が限られることによって、長い年月ののちに統計的に見て生存に有利に働くような性質はより残りやすくなり、統計的に見て生存に不利に働くような性質は残りにくくなる。こういう機械的な働きによって進化が生じていると考える。

これにいわゆる文系的なエッセンスが加わると、あらゆる生命は淘汰を生き抜くための生存戦略を練っており、その戦略の結果として生命は様々な特徴を備えるようになった、というような表現になる。ここには目的と、その目的に沿った理由付けが存在できる。このほうが人間にとって理解しやすいので、いわゆる理系の文化を持った人もこういう表現を使う。けれどもそれはあくまで理解を助けるための「比喩」であって、本当にそうした戦略的思考があるなどとは信じていない。

これが完全にいわゆる文系の文化になると、DNAには意思があり生物の生存戦略を考えているなどというのは到底理解不能の全くもって荒唐無稽な考えであり、この世界を創造できるだけの能力を持った存在が、その知性によって設計したのが生物であると考えるのが正しい。というような理解の様式に変わる。世界には目的があり、世界の全ての現象はその目的に沿って「理由」による説明が可能になる。

「なぜ?」と「どうして?」は非常によく似ているけれども、そこには気付かないくらい小さな、しかしとんでもなく深い亀裂があって、「何を理由として?」というのか「どのようにして?」というのかというのは、実は前提からして違う。ただどういうわけか、私たちはその違いに気付かない文化の中に生きている。

「なぜ仕事で成果を上げなくてはいけないのか」と、「なぜ」を問うている人に、「どのようにすれば」仕事の効率が上がるかという方法を語っても響かない。「なぜ人を殺してはいけないのか」と、「なぜ」を問うている人に、「どのようにすれば」人の命を助けられるかを説いても響かない。「なぜ」に対して真摯に答えを探す作業が必要だろう。その過程で現代が抱えるいくつかの矛盾が見つかるかもしれない。

一方で、企業勤めでも科学研究でもそうなのだけれども、"Why?"に対する答えをどこかで放棄して"How?"に答えることにだけ徹すると、命限りある人間にとっては、はるかに幸せで強力な生き方ができるのも確かなのだ。なぜ人は勤勉に働かないのか。その理由を考えたり批判したりするよりも、どのようにすれば人は勤勉に働くようになるのかを考えて実行する。当面はそちらに傾注したほうが、お互いに強力かつ幸せな生活を送れるに違いない。なぜ勤勉に働かないといけないのかという疑問の答え探しを放棄して、どのようにすれば勤勉に働かなくても幸せに生きていけるかを追及する人があれば、それはそれで認められるに違いない。

そういう目で世の中を見ると、なかなかいいヒントが多数転がっているのに気付く。「なぜそこまでしてやらなくてはならないのか?」という疑問が気になるうちは気付かないのだろうけれども。
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by antonin | 2008-08-28 00:41 | Trackback | Comments(0)
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