安敦誌


つまらない話など
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大草原の小さな家と大都会の小さな部屋

私は私生活においてはMicrosoftが提供するソフトウェア環境に安住していて、それで満足している。けれども、最近になってGNU/Linux的な世界の豊かさも、Apple/Mac的な世界の安楽さも、徐々に理解できるようになってきたように思う。

最初はMac世界とWindows世界の対比で考えていて、その説明についても「大きな最大公約数と大きな最小公倍数」という対比で考えていた。ノートに図なども書いてあって、なぜXPは成功したのにVistaは成功しないのか、ということについてもある程度合理的な説明が可能になった。けれどもこれは次回以降に回したい。もう少し絵物語的な導入から。

Macというのは、良くも悪くも自己完結的な世界なのだ。Macを買ってきて、必要なソフトを数本インストールしたら、あとはそのMacを捨てるまでは道具として使い続ければいい。これがMacの快適さなのだろう。Windowsでも似たような使い方はできるようになったが、たいていの作業においてMacでの作業のほうがレベルが高い。実はWindowsにおいても同じレベルは実現可能なのだが、それを実現するにはちょっと面倒な設定やソフトのインストールが必要になる。

この、「やってできないことは無いが面倒」という領域が、Mac世界ではなかなか訪れない。ひとたびその限界にたどり着いてしまったら、その限界を超えることは非常に難しいのだけれども、その城壁の中で生活していても満足度が高いのがMac世界の特徴だ。これがWindows世界では、レジストリの変更やフリーソフトのインストールなどという方法によって、「自己責任」を負うという条件付ながら、城壁の外へ出て行く方法は数多くサポートされている。そして、世界は緩やかに外へと開いている。

この、城壁の外へ出ることができる自由と、城壁の外へ出ないとできないことが当たり前に存在する不自由という特徴を極限まで推し進めると、それはGNU/Linuxの世界になる。標準的なディストリビューションをインストールすれば、標準的な作業はかなりできるようになっているが、生活を始めるとすぐに城壁へ達してしまう。そこには古いメッセージが書かかれていて、「ナイフを持て。この門の外に.tar.gzという獲物がいるから、それを捕らえて持ち帰れ。あとは./configureしてmakeしてmake installするだけだ」というアドバイスが得られる。多くの現代人はこのメッセージに戸惑うことになる。

仕方が無いのでナイフ屋を探して適当なナイフを買い、門の外に出る。すると獲物がいない。そこには地図に無い小さな村があって、「数年前まではここにも獲物がいたが、今ではもういない。ナイフではなくてバイクを借りて隣村まで行くといいだろう」という話を聞くことになる。もちろんバイクを借りたりガソリンを調達したりするのにもそれなりの苦労が予想され、都市生活者はこのあたりで力尽きて去っていく。中にはこの世界に魅了されて一生を冒険に捧げる勇者も出てくるが、それはごく一部に過ぎない。

GNU世界の住人たちの態度は明確だ。サービスが無いなら、自分で作ればいい。金が無いなら、金鉱脈を見つけて掘ればいいだけだ。OSの機能が足りないなら、どこかでパッケージを見つけてくればいい。パッケージがなければソースを拾ってきてビルドすればいい。ソースもなければ自分で機能を書けばいい。CでもPerlでもELISPでも、好きな言語を使えばいい。こういう話になる。世界の限界は自分自身の限界と等しく、努力の先には無限の広がりがある。前人未到の僻地に見えても、よく探すと先人の書き残した言葉が石に刻まれている。この世界はある種の人たちを限りなく魅了するが、それを好まない人を完全に排除する。

この開拓者精神あふれる世界と対極にあるのがMac世界だろう。大都会であるBig Appleでは、ユーザーは何も開拓しなくていい。そこで何をして暮らすかに集中して、楽しく生きていけばいい。世界でどう生きていくかが重要であって、世界がどうやって作られているかを知るのはAppleとその仲間たちだけで十分だ。Mac世界はもちろんGNU世界と同じ地平にはあるのだけれども、サービスを提供する人とそこで暮らす人は明確に区別されている。市街は整備されていて、標準的な生活を送っている分には何も苦労は無いし、Mac世界の「標準」は非常に高水準だから、その中でほとんどの生活は完結するはずだ。

街は快適で、人々はそのサービスの機構について全く意識する必要が無い。親切なサービスの中で生活を謳歌すればいい。ただ、そのサービスを提供するのはしんどい作業であるので、提供者は最高のサービスを提供しつつも、それを城壁の内側に限定している。その外側に出て行こうとする要求をやんわりと拒絶する。たいていの市民はこの居心地の良さを賞賛するが、一部の自由人は城壁の外へ出られない窮屈さを訴える。もちろん、腕に覚えのある一部のつわものは、サービスの提供者として自由を謳歌できる。

これらの両極に対して、Windows世界は良くも悪くも中間的である。Windows PCを買ってきたその日から、「パソコンを使ってできること」はひととおり実行できる。日本語入力で困ることも無いし、フォント選択で不思議な設定ファイルを書く必要も無い。ブラウザでweb閲覧をしたりwebサービスを受けるのに何の不自由も無い。しかし、こんなことができると聞いたのだけれども、自分のPCではできないということが見つかる。城壁にぶつかったのだ。

しかしWindows世界は東京のようなあいまいな広がりを持った都市であり、城壁の外へ向かって線路が伸びている。馬にまたがって荒野を目指す必要は無い。駅前の看板やタウンページを見れば適切なサービスを提供する店や業者の名前が見つかる。交番に入っておまわりさんに質問すれば、道案内も期待できる。地方の駅前にもタクシーくらいは待っている。自分で調べものをする必要も無いくらい親切なApple Cityに比べれば不親切ではあるが、「ナイフを取れ」のGNU Fieldよりは楽な生活ができる。あまり遠くへ行くと文化の違いに戸惑うだろうが、とにかく地続きなので安心して家へ戻ってくることができる。

また、Windows世界は人口が多いのでサービスも多様なのだ。どんなにニッチな商売でも成立する可能性が高い。例えるなら、ガーリー趣味の6歳の男の子の要求に応えられるブティックが営業していけるのは、広大なGNU Fieldでも洗練されたApple Cityでもなく、猥雑なWindows Townの路地だけなのだ。これが、人々がサービスの質に文句を言いつつもWindows世界から離脱できない最大の理由なのだろう。便利さと自由さのシームレスな接続。

GNU世界は強くなくては生きていけず、優しくなければ生きている資格の無いハードボイルドな原野だ。GNUniverseには無限の自由と広がりがあるが、自然は厳しい。そこで生き抜く人々は皆厳しい目をしているが、反面優しい。彼らの家を訪れたなら、挨拶をしてみるといい。無料で一宿一飯を提供してくれるだろう。しかし、いくら金を積んでも長居はできない。全ての人間は自立しているべきなのだ。

一方のMac世界は、究極の自由よりも日々の充実を選ぶ都会人の領域だ。自由が欲しければ、安全かつ快適に城壁の外を体験できるSafariツアーに参加すればいい。特殊な仕事に直面したら、Boot Campに立ち寄ってWindows世界から来た傭兵に野蛮な仕事を依頼すればいい。そしてすぐに快適なApple Cityに帰ってシャワーを浴びればいい。税金は少し高いが、必要なサービスはなんでも揃っている。都会暮らしは快適だ。

GNUの導者たちは、山野に分け入って自給自足の尊さを説いてくれる大切な人々だ。しかし、自分たちの土地へ体力と知恵の無い素人が大量に押し寄せてくるのを嫌うだろう。Appleの経営者たちは、都会の高層ビルにあるジムでマシントレーニングをする知的でハイセンスな人々だ。彼らは新しい価値を創造し続ける。巧みな宣伝で多くの客を歓迎するが、路上で屋台を引くような人を軽蔑し、排除するだろう。

ただ、東京や上海のような雑然とした都市には明確な領域が無い。都心にはやはり高層ビルがあり、郊外には田畑も漁港もあるが、それらは緩やかにつながっていて、中間の住宅地には平凡で多様な人々が生活している。一家に一台のMS Officeがあり、玄関にウィルス対策ソフトを飼う「デファクト標準家庭」にささやかなステータスを感じる彼らは、都心に通勤したり、地方から送られる食料を近所のスーパーで買って食べたりする。時にはレストランで食事もするし、庭でトマトを育てたりすることもあるが、都心で暮らすのは窮屈だと思っているし、田舎暮らしに堪えるだけの経験も無い。

Mac世界の美しく設計された街には自己完結した快適さがあり、GNU世界の広大な原野にはシルクロードに似た古い道が通っていて無限の広がりがある。センスが良くてかっこいいのはもちろん洗練された都会人たちだ。生活力があってかっこいいのはもちろん野性味あふれる開拓民たちだ。ただ、たいていの人は中間的でかっこ悪い日常生活を送っている。ときどき路上で石焼芋を買って食べたりする。生活のさりげない部分にCP/M時代を偲ばせるCRLF改行やEOF文字などが残っていて、そういう文化は時代遅れだとは感じながらも、特に不自由は無いとも思っている。

それが、Windows世界の力なのだろう。東京辺縁の住宅地で育った私にとっては、Windows世界の多様で乱雑な感じが、とても心地よいのだ。
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by antonin | 2008-08-29 19:48 | Trackback | Comments(0)
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