安敦誌


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袈裟という芸術

「2008年9月23日」の日付が残る、書きかけの記事を手入れして公開。

--

「おおげさ」と入力すると、「大袈裟」と変換される。そういえば、この後ろ二文字は「袈裟」だな、と気付く。なんで「大袈裟」なんて日本語が存在するんだろう。こういうときは辞書を引こう。

おおげさ おほ― 0 【大▼袈▼裟】 - goo 辞書
[1](名・形動)[文]ナリ
(1)実際より誇張している・こと(さま)。おおぎょう。
「―に言う」
(2)必要以上に仕掛けの大きい・こと(さま)。
「―な飾り」
[2](名)
(1)大きい袈裟。おおけさ。
(2)大きく袈裟がけに斬ること。
「抜き打に肩先より背骨まで―に切放せば/浄瑠璃・夏祭」

ううむ、思ったより血なまぐさい説明文が出てきてしまった。つまり、日本刀を使った剣術にはいろいろあるが、大上段からまっすぐ振り下ろして兜割りにするのではなく、やや斜めに刃を入れて鎖骨から脇にかけてはらわたを切り裂く。この斜めのラインをお坊さんの法衣である袈裟のラインになぞらえて呼ぶのが袈裟懸けで、これをより大胆に切り裂くのが大袈裟だったのだ。

我々が日常利用するこの言葉の意味は、浄瑠璃であるとか歌舞伎であるとかいった舞台芸術において、劇的な効果を生む言葉としての「大袈裟」が頻繁に現れることを揶揄したあたりに由来を持つのだろう。

かくも日本文化に根ざした袈裟であるが、これは本来、身にまとうためのぼろきれの意味であった。悟りを開いた御釈迦さんは、人間の全ての煩悶の根源は執着、つまりは思い込みやこだわりであり、そういう思い込みやこだわりを捨てれば即ち苦悩も消え去るというのが基本的な考え方だった。金持ちになりたい、色々と豪華なものを所有したいという欲望もそうしたこだわりの一種であって、究極的に釈迦の弟子である比丘たちは私有財産を持つことを良しとしなかった。

田畑もまた私有財産のひとつであって、比丘たちは農業を営まなかった。しかし、食欲という欲望を捨て去ろうとしても餓死という苦悩が迫ってくるので、現実的妥協として比丘たち、つまり出家信者たちは在家信者に食事を恵んでもらうことにした。金持ちに見られたい、人に軽蔑されたくない、などという初級レベルの欲求は早々に捨て去った出家たちであるから、鉢を抱えて食を乞う「乞食(こつじき)」には耐えることができた。

そしてまた、衣服もまた私有財産であり、これを所有することは憚られた。そこでどうしたかというと、またも端切れや雑巾を在家から恵んでもらい、パッチワークで一枚布を作り、それを体に巻きつけた。これが袈裟である。袈裟とは、本質的に贅沢であってはいけないのである。であるから、それが悟りの進んだ比丘であるほどに、見た目はみすぼらしくなるのが常であった。

この時代の仏教徒には、乞食に出て托鉢に食料を恵んでくれる在家信者の存在なくしては生存不可能な、出家信者に対する矛盾というものが既に問題になっていた。イエス・キリストに難を与えた愚かなる人類に対して最後の審判が来るはずであったが、何年待ってもそんな大イベントが発生しないことに不安を募らせる初期キリスト教徒にも似た悩みが、初期の仏教徒にもあった。

まぁ、衣食住くらいはあまり切り詰めても仕方あるまい、ということで、一枚布の清潔で丈夫な袈裟や、肉やスタミナ系の臭い植物を除いた食事、そして雨風がしのげて集会を開ける程度に快適な王舎城の祇園精舎などが王族も含めた在家信者によって寄進された。ただし、白く清潔だった在家の衣服に対し、清貧を極めて薄汚れているはずの出家の袈裟は、茶色かったり黒かったりと染められていたらしい。これはもう偽装された清貧ではあるのだけれども、タイ辺りの青年僧の姿などを見ると、確かに現代の若者に比べればはるかに清貧に見える。

そんなこんなで妥協と言い訳のようなものを重ねながらインドの仏教教団は発展を続けたが、周辺諸国で仏教がすっかり定着したのと対照的に、インド本国での仏教は徐々に衰退した。バラモン教の既存秩序を完全に置き換えるほどの「ご利益」がなかったためで、とにかく仏教の出家僧は哲学的かつ禁欲的に過ぎた。

それがインド北方のクシャーナ族によって、それまで偶像崇拝を禁じてきた戒律を破って仏像が生まれた。それまでは仏法の示す戒律や世界観などを象徴する法輪であるとか、あるいはシャーキャムニ・ブッダの超人性を現すという、その偏平足の形などが聖なるシンボルとして崇められてきた。それが、即物的な商人であったクシャーナたちには我慢がならず、ギリシャの末裔である彫刻家にインドの苦行僧の像を彫らせた。これがその後の東方仏教の大繁栄につながる。

仏教の東進には南伝経路と北伝経路があるが、日本に上陸したのは北伝仏教である。これは大乗仏教とも呼ばれ、とにかくお偉い菩薩様が、特に偉くもない民衆までひっくるめて救いに導いてくれるという有り難い教えである。菩薩というのは本来、悟りを開いた状態である如来と違って、悟りを目指す修行過程にいる信者を指すのだという。そしてこの修行の過程に留まることで、悟りによって自分を救うだけではなく衆生をも救うという大業をも自らに課すので、一般の衆生は念仏でも唱えてれば菩薩様によって救われますよ、という柔らかいものへと仏教は変質した。

仏教が捨て去ろうとしているものは執着(しゅうじゃく)なので、社会的な地位や財産はもちろん、死んだ家族や、自分の死で残される家族への心配なども、初期仏教においては捨て去るべきこだわりのうちであったらしい。それが家族主義と先祖信仰の中国を通過する際に、どこで探してきたのか、盂蘭盆経というものを発見した。そこに書かれているのは、十二弟子の一人である目連さんが、餓鬼道を巡って苦しむ母の夢を見たので救いたいとお釈迦さんに相談し、それに対してお釈迦さんが答えるには、お母さんには直接には何もできないが、出家の仲間に食事でも振舞って功徳を積みなさいと言った、というようなことらしい。これに倣った供養の会が盂蘭盆会(うらぼんえ)というやつで、中国同様に先祖を大切にする日本のお盆という風習の元になっているのだという。

そんな妥協に妥協を重ねた仏教が日本に定着したわけだが、日本で初めて仏教を受け入れたのは天平の貴族たちだった。なもので、いきなり質素・清貧・無殺生を説かれても、そのまま受け入れることができなかった。派手な金ピカの仏像と、派手な仏教建築と、派手な錦を纏った仏僧を拝み、土着信仰であった神道と覇を争って内戦まで引き起こした。いい加減にしなさい、ということで十七条憲法が制定され神仏は和合したが、これによって日本仏教は更にわけのわからないことになった。

さて、そんな貴族文化を色濃く残したのが日本仏教であり、また土着の神道文化をも取り込んだのが日本仏教であり、更に言えば東国の鎌倉武士が愛した禅宗に見られる儒教文化をも取り込んだのが日本仏教である。どれも、矛盾をはらみながらも大変シンプルだった原始仏教とは程遠いのだけれども、初期の寺子屋のような教育機関として利用されたり、最終的には江戸幕府の戸籍管理システムである檀家制度に利用されたりして、信仰の対象としての機能は明治以降の国家神道の影で相当部分が吹き消された。

そんな仏教でも、先祖崇拝に根差した墓守としての機能だけなら、現在でも脈々と果たし続けている。葬式仏教と言われるゆえんである。そこには、宗教的要素というよりもむしろ、芸術的要素と呼べるようなものばかりが目立つ。安眠を誘う音楽と化した読経。宗教的背景とは無関係に鑑賞できる仏画と仏像。アロマセラピーに最適な線香のたぐい。健康的に楽しめる美食道と化した精進料理。そして、厳粛さと豪華さを高い次元で融合させた、袈裟という装飾衣類。

日本仏教の中でも、天皇家や将軍家に出入りしていた高僧というものがあって、彼らはその威厳に見合った、ローマ法王を思わせる華麗な姿をしていたし、天皇を引退したら出家して僧になるということが流行した時期もあった。日本における仏教は、その始まりからしてブリリアントな存在であった。そして、そういう貴族的僧侶文化というのは現在にも受け継がれているらしく、近所の寺の門前には名だたる高級輸入車が並んでいる。高野山は日本三大霊場にふさわしい空気を残していたが、街並みは観光地前として整備されており、裏道に迷い込んでしまうと、僧侶の私邸と思しき住宅の車庫にも、やはり手入れの行き届いた高級車が並んでいた。

そういう隠れ貴族としての僧侶階級にふさわしいフォーマルウェアこそが袈裟であり、そこには物欲からの解脱という仏教に潜む基本哲学と、千年を超える貴族文化の粋が危険な調和を見せている。カトリックの聖職者は、神をより良く理解するものが神の恩寵をより濃く受けることができるという解釈によって、あからさまな壮麗さを衣装にも見せているが、日本の仏僧はより屈折した侘びと寂びに満ちた高級感をその身に纏っている。千利休を持ち出すまでもなく、日本文化の贅沢なんだか質素なんだかよく分からない屈折した美意識の根底には、きっとこの日本仏教が内包する複雑さが流れているに違いない。

とまあ、なんとも大袈裟な表現になりました、というあたりで、おあとがよろしいようで。
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by antonin | 2010-04-11 00:02 | Trackback | Comments(3)
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Commented by fazero at 2010-04-15 16:22
うーむー ぼんさん に なる のも ええなー ^^
Commented by antonin at 2010-04-17 14:40
ぼんさんもお医者さんといっしょで、継ぐもの(不動産)がないと、なってからが大変みたいですよ。
Commented by fazero at 2010-04-18 17:21
な なるほどー ;;
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