安敦誌


つまらない話など
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批判の出どころ

血というものは赤い。あれはなぜ赤いのかというと、ヘモグロビンという鉄イオンを抱きかかえたタンパク質の中で、パイ結合でいくつかの原子の間を渡り歩いている電子が、ちょうど青い光の波長の半分くらいの距離を歩けるような具合の分子構造になったとき、それがアンテナのようになって電磁波である光に共鳴してそのエネルギーを吸い取り、熱振動に変えてしまうからなのだという。

一方で静脈血というのは青い。あれはなぜ青いのかというと、ヘモグロビンが酸素分子を抱きかかえるのにちょうど良い座を持っていて、そこに座っていた酸素分子が外れるとヘモグロビンの形が少しだけ変化する。するとパイ結合のアンテナの長さが若干変化して、赤い光を吸収するようになるため、相対的に青く見えるのだという。

人間は毛のない猿であるから、まあ多少の毛はあったとしても皮膚が丸見えである。その色というのは、メラニンなりカロテンなりという分子がヘモグロビンと似たような事情で光を吸収するのでそれなりの肌色になっているが、その下地には血の色があって、重い荷物を腕にぶら下げて長く歩いたりしていると、腕の先が青紫に変色してきたりする。酸素が足りていないのだ。

人は温かみのある表情を見せて穏やかな話をするときもあれば、冷酷な表情を見せて穏やかならざる話をするときもある。温かい人を持ち上げて冷たい人をこき下ろすことは簡単なのだけれども、結局のところ、冷たく青くなっている人というのは、酸素が足らないのではないかと考えてみる。温かく赤くなっている人にしても、十分な酸素に満ち足りているだけなのではないかとも考えてみる。

善き人というものがあって、また悪しき人というものもあるのだけれども、人の善し悪しを云々するのは簡単である。しかし、その人の周囲がどのようになっているかというところに目を向けるのは難しい。青息吐息で悪しき不平不満に溢れかえっている人であっても、まぁよくよく観察してその酸欠を解いて酸素を吹き込んでやれば、みるみる赤くなって温かくなっていくのではないか。その環境の違いによくよく注意すれば、また違ったものが得られるのではないか。

人間というのは複雑怪奇な生き物であって人の世は簡単ではないのだけれども、そんな複雑な人間も百や千や万と集めれば、そこにはいくらか単純な統計的性質というものが現れてくる。この統計的な性質というものは、個々の人間の気難しさに比べればいくらか扱い易い。酸素に当たる何かを見つけ出して吹き込んでやることで、人の群れはさっと赤く染まる場合がある。

もちろん個別事情を観察すれば、急激に吹き込まれた酸素にやられて酸化変性してしまう気の毒な分子もあろうが、統計というのは最大多数の最大幸福以外を無視できる鈍感力が売りではあるので、全体が青いよりは全体が赤いほうがまだ良かろうという態度を取る。女性を産む機械扱いするガサツさもあるが、そこはまぁまぁ大目に見て欲しい。

ここで間違って、ヘモグロビンの大好物であり、それらを赤く染めるのに好適な一酸化炭素やシアン化水素を吹き込むような真似をすると大惨事になってしまうわけだが、そういうドジを踏みさえしなければ、統計というものは案外に良い仕事をする。

二酸化炭素が発生している場所というのは酸素を必要としている場所でもあり、二酸化炭素が溶け込んだ水というのは、統計的に見て水素イオンが水酸化物イオンに対して優勢になる。これに対数を使うと、pHが低いという表現ができる。面白いことにヘモグロビンというものは、pHの低い水中では酸素を抱きかかえる能力が落ちる。酸素を必要としている場所で、酸素を放出するという、うまい具合にできているのだけれども、なんとも不思議なことである。

この仕組みはまたまた良く出来ていて、いよいよ血液が肺に達して酸素の豊富な状況にさらされると、これに先立って二酸化炭素が血液中から肺胞を通じて空気中に放出される。すると自然に血液のpHは上昇して、統計的には水酸化物イオンが優勢となる。この状態ではヘモグロビンが酸素を抱きかかえる能力は回復する。ヘモグロビンはここで空気中から酸素を取り込み、また体内の各所へと散っていく。こういう上手い好循環が体内の循環器系では日夜繰り広げられていて、健康な人の血色を保っている。

青く暗い顔をして不平に不満に批判を垂れている人々も、結局のところ酸素と比べられるような何かが足りていない。その何かが一体何であるのかは俄かにはわからないが、少なくとも統計的なレベルでは上手い仕組みを作ることが可能なのであって、一億の人間を統べる国家に求められているのは、こういう大雑把でありながらひどく上手くできた仕組みなのだろう。

よくよく調べなくては人の血液循環の仕組みに感嘆することができないのと同じように、市民に不平不満の少ない国家の仕組みというものも、よくよく調べなくてはその良さがわからない。さて、仮に今の世の中が悪いものなのだとして、より良い社会が既に存在しているとすれば、その良さというのはいったい何なのだろうか。よくよく吟味してみなくてはならないだろう。血色の良い国民というのはいつの世のどの辺りに見つけることができるのだろうか。誤って一酸化炭素を吹き込むドジだけは踏んではならない。
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by antonin | 2008-09-18 01:13 | Trackback | Comments(0)
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