安敦誌


つまらない話など
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来たるべきユビキタス時代に向かって

いまさら「ユビキタス」なんて言ってみても全く新鮮な感じがしないが、ある用語に味がなくなるということには2種類の現象が含まれている。ひとつは、計画倒れ。ユビキタスなんて騒いだけど、結局実現しなかったね、という場合。もうひとつは、陳腐化。ユビキタスなんて騒いだけど、もう当たり前だからわざわざ語るまでもないね、という場合。ユビキタスはどちらだろう。

個人的に、後者だと思っている。もちろん、バーチャルリアリティのようなSF的な夢物語を描いた研究者たちは、あまりに地味な現状に満足していないだろうが、これこそが地に足の着いた普及技術というものだ。マルチメディアだの高度情報化社会だのというものは、もうすっかり現実のものとなってしまって、わざわざ特別な用語を持ち出すまでもなく、誰もが理解できるようになった。

一台の電話機が、音声だけでなく文字情報や静止画像や動画などを双方向に通信し、それも同期通信と非同期通信の双方に対応している。地下街から観光登山の登山路までそのサービスは及んでいる。そして、携帯電話端末は近接非接触通信を利用した電子マネーシステムを取り込んで、チャージによる小額決済、クレジットカードによる信販決済、普通預金口座による銀行決済と、段階的な応答時間を持った決済システムを取り込んでいる。これが地に足の着いたユビキタス社会の姿である。

そして、こうしたユビキタス社会を支えているインフラが、携帯電話網である。携帯電話網のラスト・ワンマイルはUHF帯の無線通信だが、そのバックボーンは光ファイバによる交換網である。これが固定電話の交換網や電話会社独自のディジタルデータ網に接続しており、ゲートウェイを通じて公衆IP網に開いている。そして、こうしたインフラ網が世界一発達しているのが、狭い国土と、高い人口密度と、高いGDP水準と、高い産業技術水準と、消費者の高い教育レベルを全て併せ持った日本社会である。

その日本社会で世界最先端のユビキタス社会を支えている携帯電話端末が、世界水準から浮き上がった進化をとげていることに対して、よく「ガラパゴス化」という表現が使われるが、これはアナロジーとしてはあまり適切ではないだろう。ガラパゴス島の生態系は、絶海の孤島という閉じた世界で大陸とは違った進化が起こっているという意味では日本の実情を表しているが、日本の情報社会はガラパゴスの生態系よりはるかに規模が大きい。

日本で生じている現象は、世界最先端の現象である。日本の携帯電話端末で生じている競争は、世界で最も熾烈である。この開発戦争に巻き込まれて、少なくない技術者が比喩ではなしに死んでいる。日本発の携帯電話機は世界で成功してはいないが、それがなぜかといえば、日本市場の中での競争があまりに苛烈であるために、国内競争を捨ててかからない限り海外での鈍重な市場の相手ができなかったからである。日本市場を捨てたのは、現状ではソニーだけである。

しかし、日本市場が最先端を走る時代は、間もなく終わりを迎えようとしている。私が一番欲しかった機種であるN905iμは、日経エレクトロニクスの最新号などを読むと、どうやら売れ行きが芳しくなかったようである。その理由は、私が高く買った「ワンセグ機能無し」という部分が、市場から否定的に受け取られたかららしい。つまり、ワンセグ機能には日本市場における「拒否権」があったということになる。

拒否権を持つ機能が搭載されていない機種は、売れ行きが劣る。昔ならば、住宅街の外れであるとか、都心の地下街であるとか、そうした場所でも電波が通じるということが、強い拒否権を発動する機能であった。他がどんなに良くても、この機能が欠けてしまえばその機種の価値は台無しになってしまう。ワンセグテレビの受信機能は、そうした拒否権をもっていることが判明した。

iPhoneなども、好事家たちの前評判の高さとは裏腹に、結局のところワンセグや電子マネー機能などの「常任理事」機能を欠いたために拒否権が発動され、売れ行きは低い水準で頭打ちになった。しかし、日本で拒否権を発動する「常任理事」機能としては、ワンセグあたりが最後になるのではないか。「全部入りケータイ」が出たということは、逆に見れば「これだけあれば十分」ということも意味するのではないか。

市場は飽和し、量的拡大は終結した。機能は飽和し、革新的機能が追加される余地は非常に少なくなった。今後、通信速度やエンターテイメント機能が追加されたところで、そこに拒否権は生じないだろう。あってもいいが、別になくてもいいような機能として認知されるだろう。市場の構造が変わった。技術も変化していくだろう。通話、メール、アプリ、簡単なwebアクセス、音楽や動画の再生、カメラ撮影、そしてワンセグテレビ。これら常任理事機能たちが、これからしばらくこの世界を支配していく。

先号の日経エレクトロニクス誌の特集タイトルが、「ケータイが迎える種の爆発」というものになっている。しかし、世界的に見れば確かにそうした種の爆発がこれから起こるのだろうが、日本でそれが起こる可能性は非常に低いように思う。もし日本でそれが起こってしまうとすれば、それは非常に悲観的なシナリオとなる。

本棚にはグールドの「ワンダフル・ライフ」があるのだが、まだこの厚い文庫本まで読書の手が回っておらず、冒頭文しか読めていない。したがってバージェス頁岩の生物群については十分な知識がないのだが、仮押さえの知識からすると、生物の爆発的多様性の発生には、おもに二つのシナリオがあるように思う。

ひとつのシナリオは、全く新しい進化的な「大発明」が起こった場合である。それまで全く影も形もなかったような新規システムが誕生した場合、それらは従来存在していなかった生存領域に爆発的に量的拡大を見せる。この量的拡大の過程で、進化スピードの揺らぎのために多様な生物が発生するが、そのどれも互いにあまり干渉することなく、未開の世界に向かって順調に拡大していく。これが種の大爆発の第一のシナリオである。

このシナリオには、当然終わりがある。未開の世界とはいえ、それは有限である。光合成という大発明があって、光と水と無機物から有機物を生成するという離れ業が実現した。無尽蔵に思えるこれらの材料を使って、光合成生物は爆発的に発展した。しかしある時点で、無尽蔵に見えた無機物が消尽した。かつて大気の主成分のひとつであった二酸化炭素は、現在では0.04%程度しか残されていない。もう一方の主成分であったメタンやアンモニアさえも酸素と反応して消え去り、窒素と酸素だけが大気に残った。二酸化炭素は今やアルゴンよりも稀少な成分となってしまった。

ここで、光合成生物は互いに競争を始めることになる。同じ資源を巡って奪い合いをするしか道がなくなる。具体的にどのような過程があったのか私は知らないが、単独の光合成生物というものは絶滅した。現在まで残されているのは、セルロースでできた細胞壁を作る生物に取り込まれた葉緑体であるとか、石灰でできた珊瑚石を作る生物に取り込まれた褐虫藻であるとか、そういった「部品」としての光合成生物だけである。

そして、ここに生命種大爆発の第二のシナリオが登場する。あるひとつの生命種が地上を支配した後、大絶滅を起こす。すると、その屍骸が大量に残され、新たな未開の世界が地上に誕生する。ここに、絶滅により残された資源を効率的に利用することのできる数種の生物が、互いに競い合うことなく自由に量的拡大を見せる。その量的拡大の過程で、多様な種が許されるようになる。

ここにもいずれ成長の飽和が訪れ、ほんのわずかな優劣が競争の勝敗を決するようになり、多様性は単調さへと収束してゆく。そして幾許かの均衡が続いた後、自己崩壊あるいは天変地異などの外部要因により、地上の王者であった種は突然の大絶滅を起こす。結局のところ、多様性というのは量的拡大の過程でしか生じない。小規模なニッチであっても、大規模な飽和であっても、ともかく長期安定の中での多様性というのはたかが知れている。確かに種類は多いかもしれないが、本質は似たり寄ったりになる。

バージェス頁岩を彩る多様な生物群も、例えば有性生殖の発明などによって多細胞生物の指数関数的な変異速度を獲得した結果としての、量的拡大に伴う多様性だったのだろう。そして世界は多細胞生物で満たされ、餌となった単細胞生物は見る影もなく激減してしまう。ついには多細胞生物同士の食い合いが始まり、世界は最強の数種で塗りつぶされるようになる。それに勝ったのが、例えば脊椎動物だったのだろう。

数年前から量的飽和に達した日本の携帯電話業界では、それまで驚くほどの多様性に彩られていた携帯電話端末が、「全部入りケータイ」という、デファクトスタンダードと呼べる機能セットに落ち着いた。ワンセグ受信機能が付いていないという、たったそれだけの欠点を持った機種が死滅している。これから日本の携帯電話端末は、かつてのPCのように均一化していくだろう。差別化が可能だとしたら、料金だとか色だとかバンドルソフトだとか、そういう枝葉の部分だけになっていくだろう。あるいはもうなっているのかもしれない。

次代にLTEなどによる携帯電話端末種の大爆発が起こるとすれば、それは現状の携帯電話市場の大絶滅を意味する。順調な移行などではなく、大絶滅である。多様化した電卓市場が崩壊し、マイクロプロセッサを載せた多様な電子機器が派生するだとか、多様化したディジタル時計市場が崩壊し、水晶振動子や液晶デバイスを載せた多様な電子機器が派生するだとか、そういうシナリオになる。生き残るのは部品だけである。

PC市場でも同様のことが起こった。現在でもPC市場は成長しているが、単品の装置としてはコモディティ化が進んでいて、利益を上げているのは部品屋と流通屋とシステム屋だけである。システム屋であり流通屋でもある通信キャリアなどは、今後とも現状維持程度の商売を続けていくだろうし、部品屋も多少の浮き沈みはあっても何とか生き残っていくだろう。ただし、セットメーカーには生存の余地があまりない。食い合いが起こり、製造業からサービス業に業態を変化させることに成功した、わずかな生き残りが市場を支配して終わるだろう。

この段階になると、乾いた雑巾を絞るようにコストダウンを重ね、どんなに小さな要求にもわずかなコストで応える柔軟さを備え、市場を独占しなければ生き残ることができない。同じようなプラットフォームから最小限の変更で高級車から大衆車までを作り出し、部品作りから流通から販売まで全てに口を出すトヨタのような組織しか生き残れなくなる。あるいは、プロセッサ作りに集中して他には何もしない、Intelのような組織しか生き残れなくなる。そうした組織が生み出す面白みの少ない製品が市場を席巻するようになる。

このように、種の大爆発と大絶滅、あるいは種の寡占化というのは、ひとつの現象の異なる段階を見たものに過ぎないように思う。しかし、携帯電話そのものは世界に広まっているが、日本で成熟を見たようなマルチメディアだとかユビキタスだとかいったものを受け止めるためのインフラは、まだ世界には広まっていない。それを受容する消費者の文化的な素地も広まっていない。日本で飽和した技術は、これからようやく世界に広がっていくだろう。国内の競争は終わったが、世界市場の大部分は、まだ早朝の薄明かりの中にある。

世界には世界の難しさがあるだろう。テレビ放送の受信機能が拒否権を持たない国も多い一方で、Bluetooth機能がある一定水準を満たしていないことで拒否権を発動されるような国もあるだろう。ヨーロッパなどでは旧来のSMSとの相互運用性は当然に大きな問題だし、各国言語に最適な入力機能や、各国独自の商習慣に合わせた決済システムの導入なども欠かせない。日本国内の常任理事メンバーと海外各国での常任理事メンバーとでは、その構成はまた異なってくる。

そうした多様性を吸収しながらも、基本的なプラットフォームは最大限に共通化し、面白みには欠けるが経済性なら抜群という、地味なシステムが世界を焼き尽くすだろう。それを実現する上では、iPhoneのような「機能のソフトウェア化」は大きな力を発揮するだろう。同じハードウェアを持っていても、追加ソフトによってその機能が変化し、より多くの人の要望に、より少ない変更で対応できるようになる。ただし、技術に悲しい世間の実状を鑑みれば、世界を焼き尽くすのは「地味なiPhoneもどき」になるだろう。もちろんそこには各国向けの常任理事メンバーが揃っている。

そうして世界市場をなめるようにユビキタス化していく過程の中で、量的な拡大を見せる市場があれば、量的拡大が続く期間に限って、いろいろな遊びを許す余地も出てくるだろう。そして世界をユビキタス社会が焼き尽くしたとき、携帯電話端末は携帯電話端末としての時代的役割を終えて、ポストユビキタス社会の中では基本的な部品としてその姿を残していくことになるだろう。

そういう時代の無線電話網は、現代の葉緑体のような存在になっているはずだ。3GがLTEになって高速通信を実現しようとも、それはトウモロコシなどのC4植物が持つ葉緑体が、高い気温と強い日差しと少ない水分という環境下で、植物界では最強の部類に入る光合成効率を達成するのに似て、非常に地味な存在になっているだろう。確かにトウモロコシは稲類や麦類やイモ類などと並んで最高の作物のひとつだが、その理由のひとつが高性能な葉緑体の働きによるものであると知る人は少ない。そしてそういったものこそが、地に足の着いた技術というものだろう。

まだ爆発は期待できる。しかし、程なくその勢いは終わりを告げるだろう。その後を見据えた準備を始める時期が来ているように思う。IntelになるかHPになるかIBMになるか、はたまたトヨタになるか。選択の時は近い。
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by antonin | 2008-09-23 02:39 | Trackback | Comments(0)
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