安敦誌


つまらない話など
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退屈の原因

かつて書いたことがあった。「世界はきわめて面白く、そして生活はきわめて退屈である」と。一方で、こういう意見もある。対象を退屈だと思うから退屈なのであって、目の前の課題を面白いと思って積極的に関われば、やはり面白さがにじみ出てくるものだよ、と。まぁそういうものかもしれない。

もう少し別の意見としては、やりたいことがある人は退屈しないのだから、やりたいことが見つかれば、人間は退屈しないものだ、というような意見もある。私はこれを信用しない。やりたいことがあるからこそ、人は退屈するのだ。

目の前の課題がやりたいことそのものであれば、それはもちろん面白いだろう。やりたいことが脇にあって、そのための手段として目の前の雑用をブンブン片付けていくのも爽快だろう。けれどもまぁなんというか、世の中それほど気楽なものでもないのよ。

特になんだ、継ぐほどの家はないにしても日本の長男に生まれてしまったり、日本の長女と結婚して20代のうちに子持ちになってしまうと、なかなかに理想状態からは乖離が進んでくるものである。高温低圧の自由闊達な気体はなかなかに理想状態に近いが、液化寸前にまで濃縮された気体というものは、いろいろなビリアル係数が有効になってきて、なかなか理想的には取り扱えないものである。イデアの美しさが透けて見えるようなPV=nRTでは済まされない、浮世のあれこれが見えてきてしまう。

私にはやりたいことがある。それは、夜遅くまでネットの文章を読み漁り、昼過ぎまで眠って、起きれば適当に飯などを食って、あとは日が沈むまで本を読み漁り、いらん想念が湧き上がったらそれを文章にしてネットに曝すというものだ。まずこれをやって、これに飽きたら車を飛ばして海や山に旅してみたい。帰ってきたらその風物の思い出を胸に、ヘンチクリンなニューラルネットワークモデルに基づくプログラムなどを書いてみたい。うまくいけばVerilog-HDLなどに書き下してFPGA上に実装してみたい。

これが、私のやりたいことである。上記より自明であるが、こんなことをしていたら生活が成り立たない。家庭を維持するどころか、自分ひとりの口に糊するのも危うい。現実的な妥協として私は平凡な会社員として働くわけだが、やりたいことの輝きの影で、現実的な日常というのはどんどんとくすんでいく。

日常にもやはりそれなりの輝きがあるはずだが、理想の輝きというのはいかんともしがたいほどに眩しい。昼間の空に星の輝きは見えないのである。そして理想の輝きとやらが、山頭火の句のように美しく昇華するようならそれなりに生きる道もあるのだろうが、のび太的ユートピアは現実と共存不可能なものに違いない。

平凡な会社員としての生活を送ることが真の理想につながる一歩であるとすれば、目の前の課題に対してより真摯に向き合えるものだろうか。あまりそういう気がしない。こういう自分勝手で無益な馬鹿は死ねばいいのに。というわけで殺そうとしたこともあったがなかなか死なないで、子供は3匹にもなった。あとは憎まれっ子として世にはばかるばかりである。憚らずに幅借る中年男たちの胡散臭さがこういうところに起因しているのだとしたら、歴々のタヌキ親父たちを眺める視点というのも少しずつ変化してくるというものだ。

「私には夢がある」 "I have a dream"。なんだか美しい言葉であって、黒人牧師が演説に使う。「夢とは夢見るものではなく、夢を実現させるべく夢に向かうという姿そのものである」みたいなことを麒麟麦酒のCMが謳う。麗しいことである。が、人がまだ見ぬ理想を夢と呼ぶのには、一段生々しい由来というものがある。

人が現状に満足せず、ある物やある状態を切に切に、喉から手が出たり幽体離脱して生霊が飛んだりするほどに渇望すると、人間というのはそれを寝床にあっても夢として見るのである。まさに「寝ても醒めても」の境地である。これほどに強い人間の欲望を婉曲に「夢」と呼ぶ。床を共にする男女とて、見る夢は異なるのである。美化されて麗しく語られるものには、たいてい注意を要する。

とまぁ、いつものように愚痴ったわけであるが、例によってこうしたことはパスカルさんによって「機械的退屈」として300年以上も前に書き記されているらしい。

退屈 - Wikipedia
機械的退屈とは、パスカルが『パンセ』の中で述べているように、おこないたいと思っている活動を邪魔され、その時間的継続性を繰り延べざるをえなくなってしまうゆえに、ついつい他のことをしたくなってしまうときに生じるものである。

パンセの中にあるというから、今度拾い読みしてみよう。新旧の聖書や大蔵経をくまなく読めば、おそらくはそこからもこれに似た記述が拾えるに違いない。全くゲンナリである。
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by antonin | 2008-10-20 23:58 | Trackback | Comments(0)
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