安敦誌


つまらない話など
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編曲の力

先週の休日の昼、去年あたりにAmazonだか駅のレコード屋だかで購入したDVDの封を切って、「グレンミラー物語」を見ようとした。したのだが、「ピノキオ見たい」というチョウナンの意見に負けて中座した。その中座寸前のシーンで流れていたのが、若きグレンが作曲した「ムーンライト・セレナーデ」の、カンカン踊りバージョンという悲惨なものだった。

現代のピアノというものは、それ自体が巨大なシステムになっているので、フランツ・リストあたりからこちらの作曲家は、ピアノ譜自体を自己完結した編曲体として書くことができた。ショパンの書く曲などはピアノという楽器の完成なしにはありえないようなものばかりだし、印象派にもなると、作曲よりも編曲のほうが比重として大きいような具合になってくる。

ピョートル・チャイコフスキーはモスクワ音楽院の第一期生で、夏休みの宿題として主題の変奏練習という課題をもらったそうだが、休み明けに提出されたのは200にもなる変奏曲だったという。こういう才能というのは、もう20歳前後には姿を現していなくてはいけないものなのだろう。遅咲きのアントン・ブルックナーにしても、若い頃の彼が演奏するオルガン曲の中に、もう非凡の芽は出ていたに違いない。

話が逸れたけれども、どんなに美しい曲であっても、どんなに勇壮な曲であっても、変奏や編曲次第で、その印象はどのようにでも変わってしまう。一番良い例は、きっとこれだろう。

V.A.(Rolling Coconuts) : 帝国のマーチ (ダース・ベイダーのテーマ) / BARKS 試聴

あの、スーパー・スターデストロイヤー艦隊を擁する帝国軍のための重厚な行進曲が、ああなっちゃうんである。おそらく、逆もまた真なのだろう。「崖の上のポニョ」の例のあの久石譲の曲だって、ジョン・ウィリアムズ風に編曲して、弦楽合奏が禍々しい緊張感のあるリズムを刻み、金管が勇壮でありながらやや不快な成分を含む和音でメロディーラインを下支えしたりしたならば、やはり「帝国の中のポニョ」になったりするのだろう。私に技能があれば是非やってみたいが、実際には無理だ。誰かやってくれないかな。あるいはもう存在するのかも。

アントニーン・ドヴォルジャークの交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」第二楽章ラルゴの、他の編曲はすっかりあのままで、あの有名なイングリッシュ・ホルンの主旋律だけを「七つの子」に置き換えてみたら、あぁ、これぞ「我が祖国」と叫びたくなるような曲が生まれそうな気がする。想像しただけでも涙が出そう。あの手の短調にはどうしても弱いのだ。

「グレンミラー物語」に、ミラーが編曲した「茶色の小瓶」の原曲になった歌が登場する。ひどく田舎くさい歌だった。でもまぁ、それもまた味があっていいのだけれども、あれではやはり、世界的なヒット曲にはならなかっただろう。

文章にも、レトリック、修辞という彩りがあって、論理的には同じ事を言うのでも、その表現が与える印象というものは、かなり幅広く「変奏」することができる。

書き言葉にだっていろんな書き方ってもんがあるだろよw
結局おんなじこと言ってたって、どうとでも書けるんだぜwww
書き方次第で印象なんてどうにでも変わるだろうよwwwwwwwwwwwww

という具合。

絵画であっても、描写と彩色というものがあって、両者は一体になって表現を行う。モノトーン、というのもかなり強烈な「色彩」の一種であるように思う。

同じ事を描写するのであっても、ネオンのような蛍光色でギラギラと彩られた情報もあれば、コントラストの強いモノクロームで統一された描写もありうるだろう。北風と太陽ではないが、同じ事を主張するのでも、暖かい表現で痛烈なことを言うようなレトリックなども、プロの書き手である新聞記者などであれば、21世紀の表現として研究してはいかがだろうか。

新聞が信頼されなくなって久しいのですが、別にこれで善しと思っているわけではありません。社会の木鐸として、まずはあなたがた新聞記者のお一人お一人が、慈しみと優しさに満ち溢れた文体を通じて、この国の実情を国民に広く訴えてみてはいかがでしょうか。結果として、日本国民は、慈愛に満ち、自尊心と向上心の溢れる国民へと生まれ変わるのではないでしょうか。率先垂範の律、仲良きことは美しき哉。

安敦誌 : 1と1.0(にゃーん)
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by antonin | 2008-11-22 03:15 | Trackback | Comments(0)
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