安敦誌


つまらない話など
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悪い事もしたが、良い事もした

現在の歴史教育が、いわゆる「自虐史観」であると主張する人々の意見の多くは、今回の自衛隊OBが放った最後っ屁も含め、極めて単調なものである。それは、ここ10年以上繰り返されては「失言」扱いされてきた、「悪い事もしたが、良い事もした」というものである。この単調さというのは、ある意味特筆すべきものであると思う。

事実として、「悪い事もしたが、良い事もした」という主張それ自身は正しいと思う。数千万人の日本人が全て悪人だったなどということは到底現実的に想定できるものではなく、大日本帝国が悪の帝国であったなどと考えるのは迷信じみている。ただし、アメリカを含めた連合国側としては、日独といった枢軸国側を世界の自由と平和を踏みにじる悪の帝国として扱っていたというのもまた、歴史的事実に違いない。そういう大儀が無ければ、名誉ある孤立を永年の国是としていた米国を第二次世界大戦に突入させるだけの、世論を喚起するのは難しかったに違いない。

「悪い事もしたが、良い事もした」というのは、単に順番を入れ替えるだけで「良い事もしたが、悪い事もした」と言い換えることができる。論理的にはどちらの表現も全く同一の価値を持つが、感情的には全く別の意味合いを持った表現になる。個人的には、どちらも正しいが、どちらも不十分な表現であると思う。つまり、上記の表現では日本人が自国に誇りを持つには程遠い言説に過ぎないと思っている。日本は戦前や戦中に良い事「も」した、という程度の証拠を提示されても、ふーん、としか言えない。とても愛国心など抱くには至らない。

より正確には、「良い事をしようとしたが、悪い事になってしまった」と言うべき状況であったということが、いろいろと当時の話を読むうちに、徐々に見えてくる。もちろん、一部には首尾良く「良い事をしようとして、うまくいった」という部分も散見される。一部の過激な言論集団が「戦前の日本は100%純粋の悪だった」と思い込んでいて、また一般世論もそれに近い方向へ流れて来たという経緯は確かにあった。それに対する反撃として「良いことをしようとしていたし、うまくいった部分もある」という事実に拡大鏡を当てて、ほら、当時の日本はこんなに素晴らしかったんだ、ということをしきりに主張しているのだろう。

けれども、戦前の日本が100%の悪であったり100%の善であったというのは当然にフィクションであり、極論を展開する当事者同士であっても、そのあたりは実は認識して、その上で戯画化された歴史像に対して極論パンチを打ち合っているのだろう。ある意味どちらも正しいのだろうが、別の意味ではどちらもナンセンスである。

ある程度の情報を見れば、大日本帝国も、世界中、あるいは歴史上のほとんどの国家と同じように、正常な統治能力と外交能力を持った国家であったのだということがわかる。そして、当時の欧米列強と対立できる唯一の東洋勢として、正義感と責任感に駆られて多くの理想論を打ち上げ、国家間で生じる多くの権力闘争を繰り広げていたということもわかる。

しかし、その高邁な思想に比べて、現実的な国際的権力闘争を繰り広げる人材の層は薄かった。それは近代国家としての戦争経験不足という、新興国としてはどうしようもないハンディキャップが原因だったのだから、それ以上の言い訳は特に必要ないだろう。それによって、高い理想に従ってアジアを西欧帝国主義から守り大東亜共栄圏を樹立するという目的を掲げながら、現実としてその遂行の質が不十分で、最終的には国家消滅の瀬戸際まで追い詰められた挙句に敗戦した、というのが事実認識としては妥当なところだろうと思う。

だから、「良い事をしようとして頑張ったけれども、実力が理想の高さに追いつかなくて、結果としては近隣に大迷惑をお掛けしました」と言えばいいように思う。これならば現代人としては、ああ、そうか、ダメだったけど当時としては仕方がなかったんだな、ダメだったけど理想に向けてよく頑張ったんだね、というような認識になるに違いない。根拠の無い自尊心を持って排他的になるのではなく、歴史上の日本人に対する暖かい同情心を持てるようになるのだろう。そうすれば、失敗に学んで次の成功につなげようという、冷静かつ健全な歴史認識が可能になるのではないかとも思う。

自虐史観も自慰史観も、どちらも歴史認識としては片翼がもげたグライダーのようなもので、近いうちにそれぞれ左と右へ旋回して墜落していくのだろう。もう少しだけ歴史が記憶から記録に移ろえば、正常な認識へと着地していくのだと、楽観的に信じてみたい。

もう一度、「学問のすゝめ」から印象に残った一文を引用して終わりにしよう。
 人の世を渡る有様を見るに,心に思うよりも案外に悪を為し,心に思うよりも案外に愚を働き,心に企るよりも案外に功を成さゞるものなり。如何なる悪人にても生涯の間勉強して,悪事のみを為さんと思う者はなけれども,物に当り事に接して不図悪念を生じ,我身躬(みず)から悪と知りながら色々に身勝手なる説を付て,強いて自から慰る者あり。又或は物事に当て行うときは決して之を悪事と思わず,毫も心に恥る所なきのみならず,一心一向に善き事と信じて,他人の異見などあれば却て之を怒り,之を怨む程にありしことにても,年月を経て後に考れば,大に我不行届にて心に恥入ることあり。

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by antonin | 2008-11-24 00:10 | Trackback | Comments(0)
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