安敦誌
2023-10-17T05:10:03+09:00
antonin
つまらない話など
Excite Blog
お知らせ
http://antonin.exblog.jp/28238237/
2023-10-17T05:10:00+09:00
2023-10-17T05:10:03+09:00
2018-04-09T05:19:40+09:00
antonin
未分類
3か月先の公開予定とし、手が加えられるものなら期日を先延ばしにしようとしている。それが公開されているということは、私が3か月以上ネットにアクセス不能の状態にあって、あるいはこの世にいないという意味になる。
マメな性格ではないので、公開日のキッチリ3か月前に何かがあったという保証はないが、ブログに飽きたという以上の何かはあったのだろう。その程度のことを通知する仕組みは仕込んでおいても良いと思った。
長らく、ありがとう。
安敦 / Antonin
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陽明門の謎(2)
http://antonin.exblog.jp/28551162/
2018-08-11T21:30:00+09:00
2018-08-14T02:49:48+09:00
2018-08-11T21:30:05+09:00
antonin
未分類
けっこう間があいてしまったが、前回の記事を書いた時点で持っていた以上の情報はあまり得られなかった。それほど真剣に調査したわけでもないので仕方がないが。
前回は「東照社造営副奉行 本多正盛が切腹を命じられる」というのがどういう事件だったのか、という問いを発したところで終わったのだが、このあたりの情報をネット上で検索すると、いくらか情報が得られる。
本多正盛の墓(福生寺)|信濃春秋その日暮らし(旧日光春秋)
こちらの記事によると、
東照社(東照宮)造営副奉行を務めた本多正盛は同僚との意見の対立がもとで諍いとなり相手を刀の鞘で打ちすえてしまったそうです。この件が原因で相手の山城宮内は自害、その責任をとって正盛も妻の妹の嫁ぎ先である板橋城の城下で自刃、遺骸は例幣使街道(国道121号)に面した板橋の福生寺に葬られました。とある。ここで新たに山城宮内という人物が現れたが、この人は山城 宮内少輔 忠久といって、関ヶ原以前に徳川家康の書簡を携えて京極高次を訪ねたというような記録に名前が見えるものの、あまり目立った人物ではない。
関ヶ原合戦前後の徳川家康文書 - Wikipedia
本多正盛自刃の件を調べると、どうやら「かたき討ち」という新書に、指し腹という制度というか風習というか、そういうものの実例として挙がっているらしい。
かたき討ち―復讐の作法 (中公新書)氏家 幹人/中央公論新社undefined
文庫版もある。
文庫 かたき討ち: 復讐の作法 (草思社文庫)氏家 幹人/草思社undefined
新書のほうが地元の図書館に所蔵されていたので借りて読んでみた。『寛政重修諸家譜』という文書に事の次第が簡単に記録されており、その詳細は『校合雑記』という文書に記されているという。その部分の解釈を引用すると、
「本多藤四郎と口論に及びましたが、人々の仲裁で、その場は事なく和睦しました。ところが藤四郎が退座の際、彼の刀の鞘が、鼻血が流れるほど強く私の鼻に当たったのです。夜中だったので、一座の者たちはもとより、藤四郎自身も気付かぬ様子でしたが、はたして本当に気づかなかったのか(それとも故意にぶつけたのか)、彼の本心は分かりません。そこで貴殿のご指示を承り、それによって、生死を決しようと思って参上した次第です」藤四郎というのは正盛の諱だが、これは山城忠久が福島正則のもとを訪ねて相談した際の言葉なので、「貴殿」というのは正則を指している。これに対して正則が、本多正盛を名指しして腹を切れ、そうすれば正盛も腹を切らざるを得ないし、そうなるように責任を取るから自分に任せろ、というようなことを言ったそうだ。結果として両者とも切腹したという記録が残るのだが、残念ながら本書には「諍い」の詳細については書かれていなかった。『かたき討ち』の巻末を見ると『校合雑記』は国立公文書館蔵とあって、おそらく漢文体あたりで記された古文書そのものみたいなので、素人の自分が読んでどうなるという資料でもなさそうだ。
福島正則といえば豊臣秀吉の重臣だが、石田三成と仲が悪く、秀吉の没後は徳川勢になっている。だが、家康没後の徳川将軍家の支配についてはあまり快く思っていなかったようだ。家康の死から一年間で実施された日光東照宮創建であるとか、その他の徳川家に関する普請というのは諸大名の経済力を削ぐとともに徳川家への忠誠を値踏みされるようなものであったらしく、古参の武将にはいくらか屈辱的な面もあったのだろう。
江戸幕府の成立後、御三家のひとつ尾張藩の居城である名古屋城の普請が行われていたが、その進行を早めるための増援として福島正則が関わり、その下で山城忠久も奉行を務めたという記録もあるようだ。この頃から正則と忠久は昵懇だったのかもしれないし、あるいはそれ以前の大坂城攻めあたりから縁があったのかもしれない。
1610/慶長十五年 茶々姫をたどる汐路にて
こちらに次のような話が書かれていた。
『徳川実紀』には当時の逸話として、福島正則が将軍秀忠の住まう江戸城や大御所家康の居城駿府城の普請ならまだしも、その庶子である名古屋城まで相次いで天下普請を行うこと対する不満を家康の聟(むこ)である池田輝政に零(こぼ)している。内容の真偽はわからないが、当時の西国北国大名が幕府によって警戒され、忠誠を試されていた立場が伺える。慶長15年というのは東照宮が創建された元和3年から見て7年前の出来事なので、正則と忠久の中には元和3年の時点で既に積年の鬱屈があったのかもしれない。そういう文脈があって、忠久が元和3年に指し腹によって正盛を間接的に殺している。藤四郎は養子となってから本多姓を名乗っており、本多正純と福島正則の不仲にも遠く通じているらしいのだが、このあたりは調査していない。ただ、正盛の墓碑を現地調査をされた方があり、非常に貴重な資料が最近になってネットに上がっている。
東照廟陵創建副奉行、本多正盛の墓碑手拓が完了 - 瀧澤龍雄による栃木県の石碑調査と石仏調査
東照廟陵創建副奉行、本多正盛の墓碑銘文清書が完成したので掲載しました - 瀧澤龍雄による栃木県の石碑調査と石仏調査
本来なら、初代高崎藩主、安藤重信の後を継いで第二代目藩主となれた本多正盛の墓碑の読み下しを掲載しました。 - 瀧澤龍雄による栃木県の石碑調査と石仏調査
さて、このおどろおどろしい江戸幕府開闢期の話に、日光東照宮陽明門の逆さ柱がどう関連しているのかだが、正直わからない。わからないので、以下、妄想である。
徳川秀忠の命により、かねて家康の遺言した通り日光山へその霊を祀るにあたり、三河勢であり徳川参謀であった本多正信の子、本多正純が指揮を執り、福島正則をはじめとする豊臣ゆかりの大名がこれに従い東照宮の諸建築を普請する。遺言には質素な社を求められていたとはいえ、造営の期間はわずかに数か月。戦国の余韻が残る時代ならではの迅速な建築が想定されたのだろう。
その中で、後水尾天皇から賜った東照大権現の神号を掲げる陽明門も造営される。間もなく完成という段になり、誰かがそこに逆さ柱が混ざっていることを指摘する。大御所の御霊が久能山から運ばれ二代将軍秀忠の参拝も予定される家康公の一周忌が迫る中、今さら陽明門を解体する猶予はない。といって、逆さ柱という不吉なものが東国を守護する東照宮の門に仕込まれるというのは痛恨の極み。
事態を重く見た普請副奉行の本多藤四郎正盛が会議を開くが紛糾、そこで棟梁の中井正清が平謝りの上で頓智を利かせ、完璧は崩壊に通じることから逆さ柱はあえて残した魔除けの欠点としては如何かと進言する。しかし家康公を強く尊敬する本多藤四郎正盛がこれを難詰、未だ豊臣を篤く奉り徳川に遺恨を残す福島殿あたりの差し金ではないかと言って、同席していた山城宮内を激昂させてしまう。
その場は中井正清の案を採用して山城宮内の怒りについては周囲が収めたものの、憤懣やるかたない本多藤四郎は乱暴に退席する間際に誤って山城宮内の顔面に鞘を打ち付けてしまう。こちらも怒りに満ちているのでそれに気付かぬふりをしたまま立ち去ってしまう。すでに激昂を周囲に咎められていた山城宮内はこれを堪えるが、後になり福島正則を訪ねて事の次第を打ち明ける。もとより本多に対しては一物あった福島はこれを受け、山城宮内に指し腹を勧める。宮内もこれを受け、ほどなく腹を切る。
かくして、波乱がありながらも日光山東照宮は無事に完成し、藤堂高虎の差配にて遷座祭は万事滞りなく執り行われる。こののち、幕府は本多正盛に切腹を命じ、正盛はこれを受け自刃。ついに、嘘から出た魔除けの逆さ柱には犠牲となった二柱の魂が入り、誰にも手が付けられなくなる。二人を犠牲にした福島正則もまた災いから完全に逃れることはできず、2年後の元和5年には広島城修理を幕府に無断で実行したかどで秀忠の不興を買い、紆余曲折あって信越高井野藩に改易減封される。
やがて三代将軍家光の世となり、贅を好んだ家光により日光東照宮は、家康の遺言した「小堂」から絢爛豪華な社殿へと改築されることになった。さて、陽明門の「魔除けの逆さ柱」はどうしたものか。今や逆さ柱の魔除け説が嘘であったと知る人は少なく、それを知る人も今さら嘘と言い出すことはできない。かといって、東照大権現の扁額を支える門に逆さ柱を残すのは大工として忍びない。無垢材の木柱が逆さであるから不吉なのであって、石柱であれば問題はないのではないか、それも天地は石切り場から切り出した通りにして、模様を逆さに彫り付ければ、魔除けとしても面目が立つのではないか。
かくて東照宮本宮を飾る新しい陽明門は水も漏らさぬ隙のない細工で埋め尽くされ、欠点のないことがむしろ不吉に感じられるほどの完璧な仕上がりとなった。そしてそれを支える柱の一本には、周囲とは逆さの文様が刻まれ、魔除けの柱の伝説は今も観光ガイドの語り草となって伝わる。そしてそこを訪れた子供が訳も知らずにその話を信じる。おしまい。
さて、後半は完全な妄想となってしまったが、史料調査の能力を持った人が正しく調査すれば、もう少し精緻な物語も浮かび上がってくることだろう。当初の想像では、現場の施工ミスで生まれた逆さ柱を、実務を知る名棟梁が頓智を使って魔除けという言い訳で誤魔化して現場を守ってうまく収めた、という心温まるストーリーを想像していたのだが、まだ戦国の余韻渦巻く権力争いの中で、武将たちの不満と怒りが交錯するいささか血生臭い話になってしまった。
この話も、誰かの手で小説やマンガ、あるいはゲームシナリオなどになったりしないだろうか。私はそこまでの責任は取らないが、代わりにこの話は Excite blog の規約に反しない範囲でパブリックドメインに供したい。間接的にでも誰かが拾ってくれると嬉しい。
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陽明門の謎(1)
http://antonin.exblog.jp/28520300/
2018-07-28T22:51:00+09:00
2018-08-14T19:23:03+09:00
2018-07-28T22:51:48+09:00
antonin
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社会に出て、いくらか仕事をしてみると、あの壮麗な様式の門を作るには高度な技能を持った職人の仕事を管理する、難しいマネージメントがあったのだろうということにも気づいた。完成は崩壊の始まりであって、徳川幕府の永続を願い創始者を権現として崇める神殿の門に、未完の部分を残すという感覚もわかった。が、同時に、あんな目立つところでそれをするだろうか、という疑問も持った。
天下の名職人がこれから続くであろう太平の世に永く残そうとする逸品に、柱を一本逆さにするということがあるだろうか。小さな彫像を置けるスペースを少し残しておくとか、目立たない部分に色の塗り残しをしておくとか、そのようなことで足りるのではないかとも思った。これも仕事の経験から、実は純粋なミスから陽明門のあの柱をうっかり逆さに立ててしまった職人がいて、その報告を受けたマネージャーが頭を抱えるシーンを想像した。
もしあの逆さ柱が施工現場のミスなのだとしたら、この美しい門の柱が非対称などという醜態は断じて許されないと、門のデザイナーや柱を彫った石工は激烈に主張しただろう。かといって一度組んでしまった柱を引き抜けば、基台になる石が欠けてしまうかもしれない。あるいは柱そのものや周囲の彫刻を壊してしまったりするかもしれない。そんなことになったら納期は大丈夫なのか、しかしこんなミスを残せるものか。そんな怒号が飛び交うところを想像した。
そして最後に腹を括ったマネージャーが、これは敢えて仕込んだ不完全なのだと嘯いて、柱の組み直しそのものを中止させたのかもしれないと疑うようになった。そんな説明は明らかに嘘なのだが、もはや他に手はない。命に代えても嘘をつき通せということになり、そうして突き通した嘘が歴史の中でまことになり、今や観光客に対してもそのように説明されているのではないか。そんなことを想像した。そういう話も、ある意味とても日本的ではないか。
逆さ柱それ自体は、日本建築の常識として非常に縁起の悪いものとされているらしい。柱となるのが木材である場合、その木には当然に根と梢があって、材木となってもそれを逆さにして用いると柱が苦しみ、それは住む人を不幸にするのだという。なのだとしたら、東照宮の中で最も華やかな門が逆さ柱を持つということは、たとえそれが石柱なのだとしても、徳川家を呪う行為にさえ捉えられかねない。そうなれば一大事である。寺の鐘に刻まれた「国家安康」の文字が戦の因縁となった記憶もまだ新しい時代のことだ。
東照宮の普請の状況をネット上で簡単に調べてみると、日光東照宮造営の最終責任者として中井正清という、江戸城や駿府城の天守閣なども造営した、徳川家康に縁のある京大工の棟梁の名が挙がっている。ただし、現在目にすることのできる壮麗豪華な陽明門は3代将軍徳川家光の代になって造り替えられたもので、その頃には中井正清はすでに亡くなっている。この寛永の大造替の責任者は甲良宗広という棟梁が務めている。
日光東照宮 - Wikipedia
また、日光市の年表にも簡単な記載がある。
日光市/旧日光市歴史年表(江戸1)
ここで気になるのが「1617(元和3)年4月22日、東照社造営副奉行 本多正盛が切腹を命じられる」という記述である。何やら穏やかではない。これは寛永の大造替ではなく家康没後1年で行われた最初の日光東照宮造営の年の出来事なので、石の逆さ柱を持った陽明門とは直接の関係はない。が、当時から木製の質素な陽明門があって、荘厳な陽明門の石柱が「今さら嘘とは言えなくなった初代陽明門の逆さ柱伝説」を引き写したものだと考えると、これはこれで興味深い。何があったのだろう。
そもそも元和の日光東照宮創建の際にも陽明門が無ければ話にならないので、先にそちらを調べてみる。下記のサイトに非常に詳細な説明があるが、陽明門の創建が「1617年(元和3年)」と記載されいる以外、寛永の大造替前の陽明門に関する説明はない。
日光東照宮・陽明門の秘密を大暴露!「別名・歴史・由来・逆さ柱・彫刻の数など(画像・写真付)」|日光東照宮-御朱印
ただし、以下のような記述がある。
実は、陽明門には他にも、もう1つ別名があり「勅額門(ちょくがくもん)」とも呼称されています。「勅額(ちょくがく)」とは、天皇が直に筆した文字を「扁額(へんがく)」にして寺院や神社へ送った「額」のことです。陽明門の扁額は「後水尾天皇」の直筆による扁額であり「東照大権現」と書かれています。徳川家康へ東照大権現の神号が贈られるのが元和3年であり、後水尾天皇の在位は大造替前の寛永6年までなので、元和3年の時点で勅額門があったと考えること自体は問題がなさそうだ。となると、関心は「東照社造営副奉行 本多正盛が切腹を命じられる」という事件がどんなものだったか、というあたりへ移る。
(つづく)
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平成30年7月6日
http://antonin.exblog.jp/28427410/
2018-07-06T11:55:00+09:00
2018-07-06T12:04:47+09:00
2018-07-06T11:55:34+09:00
antonin
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一応リンクは張ってみるが、新聞やテレビは一定期間で記事を消すことで歴史への責任を放棄するので、上記リンクもいずれリンク切れになるかもしれない。あくまで揮発性の話題ということで。
でも、同日に実施されたことで、ある種の人々には7月6日という日付が不揮発性の記憶として残るのだろうな、という気はした。別に、それが良いとも悪いとも思わない。特に感想はないが、判決が確定したころに何か書いた覚えがあるので、記録のために掘り起こしておこう。
重ねて言うが、特に感想はない。
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災害時インフラとか
http://antonin.exblog.jp/28403706/
2018-06-24T17:35:00+09:00
2018-06-24T17:35:37+09:00
2018-06-24T17:35:37+09:00
antonin
未分類
そうそう、大規模災害には軍隊を使うのが一番経済的。って、そういう話を昔書いた記憶があるなあ、と思った。最近は昔の引用ばっかりだが、ものを考える力が低下しているので仕方がない。
11年前か。あれから変化があったことというと、リチウムイオン電池の普及だろう。他にも優秀な二次電池はいろいろあったが、普及した技術には開発リソースが集中するので、多くの用途で現代の二次電池はリチウムイオンに収束しつつある。その分、リチウムイオン電池というカテゴリーの中での多様性は上がっているけれども。
スマホなんかは完全な基地局端末にしないで、緊急時だけでもアドホックネットワークを作れるようにすると災害耐性が上がるのだろうが、それはそれでセキュリティ面で難しそうな気がする。花火大会の会場に通信各社が持ち込んでいる移動基地局みたいなものを冗長化するほうが、対応としては妥当なのか。Windows XP の教訓は、自動化による安易な便利さの導入は悪用も容易にしてしまいセキュリティ問題につながるというあたりなので、中央集権的なネットワークは多少不便でも価値があるのだろう。
昔は停電時の照明を確保するというのは難しいことだったのに、今では誰もがLED照明を何かしらの携帯装置の一機能として持ち歩いており、しかも日常的に充電を怠らないような使い方をしている。こういう「ユビキタス」な装置に緊急時のインフラを支える仕組みを持たせておくという考え方も、悪くはないのだろう。
夜間電力でお湯を沸かし昼間に利用する電気給湯器を使っているが、普通の湯沸かしポットがあれに近い蓄熱方式を持っていれば、1日くらいだったらお湯を供給できる。充電からのオンデマンド加熱でも構わない。平常時のエネルギー効率なら蓄熱式のほうが高そうだが、1日以上の蓄熱は難しそうだ。充電方式なら節約してうまく使えば3日くらいはエネルギーを保持できるだろう。マキタの無骨なコーヒーメーカーが話題を呼んでいたが、ああいったバッテリーを標準化した直流機器が一般家庭にも普及すると面白い。太陽光充電が使えるともっといい。
発電所でもなんでも集中化したほうが一般に効率は高いが、分散配置したほうが障害耐性は高い。プロパンガスが災害に強いというのもそういう性質だろう。他にも、緊急時に病院などがEVやPHVから電力のボランティア供給を受け付けられる仕組みなんかはあってもいいのかもしれない。軍備が究極の災害時インフラであり続けるにしても、民生機器にもある程度そういう能力を持たせることは可能だろう。風呂を沸かすほどのパワーにはならないだろうが、急場をしのぐ手段は多い方がいい。
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自由民の諸芸、あるいは生き血をすすることについて
http://antonin.exblog.jp/28348234/
2018-06-04T02:15:00+09:00
2018-06-08T23:41:24+09:00
2018-06-04T02:15:40+09:00
antonin
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19世紀のヨーロッパにはガス灯、アーク灯、白熱灯などの照明が次々に現れて、月に頼らなくとも夜歩きに苦労しなかったというから、20世紀初頭に活躍したラヴェルも現代同様に夜の活動には苦労しなかったはずだが、都市が眠らなくなった現代に比べれば、夜明けを見ないと言う程度で夜更かしが批判されているのは時代を感じさせる。文字や音に魅力を感じる人間にとっては、多くの人が眠っている夜というのは比較的にしても美しい時間である。その美しい夜にも終わりがあり、夜更かしはときどきそれを目にすることになる。闇は消え、窓越しに見える空の色は移ろい、鳥は啼き、空気は冷える。そして人々が起き出して夜が終わる。
幸せな時代の終わりというのは、あからさまに不幸な時代を生きるのとは違った辛さがある。武器を持った敵が迫り、家が焼かれ友や家族が死んでいく中では、ある程度人は生き抜く力を持つようにできている。ところが、食べるものにも着るものにも困らず、文字や音を愛でた時代のあとに余裕がなくなり、普通の人々が次第に殺気立つ時代というのは、夜明けを迎えるのに似た悲しみがあり、そしてその悲しみは朝になって目を覚ますことしか知らない人々には決して理解されない。
仏教に六界という考えがあって、輪廻の中で人間というのはその上から二番目、人間界というところに滞在しており、死ぬと次にはまたそのどこかへ生まれ変わるとされる。仏教の目標はブッダになることで、ブッダになるということはこの輪廻そのものから抜け出ること、つまりは解脱というものだった。ブッダその人は相手に合わせた言葉を使う人だったから、相手に合わせて輪廻を説いていたものの、人の話にしか現れないような世界をそのまま信じるタイプの人物ではなかったようだ。
その正統を引いたインドの仏教は滅亡したが、日本にはその滅亡の少し前の、今でいうヒンドゥー教に完全に飲み込まれる寸前の形をした、密教と呼ばれるものが唐を経由して伝わっている。その密教には、六界の最上である天界から魂が抜けつつある兆候を見せるときの苦しみが、六界の最低である地獄の苦しみの十六倍で最も強い、という説がある。
ブッダの没後に精神性を高めていく仏教の歴史の中で「解脱」は難解で超越的なものになり、宗派によっては凡人の解脱までには輪廻の繰り返しの中で禁欲的な修行を続ける必要があるとか、遠い未来に菩薩が如来になるときに引き受けられるまでは決して解脱できないという話にもなった。しかし、原始仏教の時代のものとされる経典に現れるブッダの言葉を現代的に見ると、もっと即物的な、ある種の女嫌いの側面が際立って感じられる。
魅力的な女を見れば女を愛し、女を愛せば結果として人間が生まれてくる。この生まれてきた人間に宿った魂にとっては、生まれてくるに際しての自由はなく、その後を生きる上での全ての苦しみは、この生まれるということに発している。その生まれるということは女を愛したことに発しているのだから、全ての人の生きる苦しみを解決するには、女を愛することをやめればよい。女を目にするから女を愛してしまうのだから、女を目にすることのない生活をすればよい。だから家を出て林で暮らせ。そのようなことを言う。
ブッダは北部インドにあった初期共和制のローマに似た寡頭制の国で、その寡頭の一角を占める家系の長男として生まれたが、長じて男子が生まれたところで家を継がずに出家してしまう。結局その家系は没落し、後日妻子が、その頃には宗教指導者として諸国の王に取り入った生活を営んでいたブッダを頼ってやってくる。仕方がないので女は女だけの集団を作って同じような生活をさせたが、息子は自らの教団に含めた。この息子はブッダの死後に十大弟子に数えられるまでになるのだが、そのいくつかある尊称のひとつは「忍辱第一」とされている。彼はどういう気持ちで「子を成すな」という教えを説く父の元で暮らしていたのだろうか。
芥川龍之介の遺稿を眺めていると、自分はヨーロッパ人のように自殺を罪とは考えない、というようなことを書いている。初期の幻想的な作品と違って、晩年には作家を取り巻く日常を漠然と描写したような文章が増えている。雑誌の編集者に文章をくれと要求されて一度は断るが、編集者があまりにもしつこいので、ではこのやり取りを書かせてもらうがいいのかといって、本当に書いたがさすがに没になったというような未定稿もあった。作家も有名になりすぎると、こういう没原稿や、ひどいと友人や恋人への手紙なども死後に出版されて売り物にされるので気の毒だ。
そういう、有名な作家が書いたというだけであまり作品として崇高とも思えない文章の中に、スナップ写真に写り込んだ背景のような時代の様子が描かれることがあり、現代から見ると興味深く見えることがある。「歯車」という作品に、回転する半透明の歯車のようなものが作家の視界に紛れるという描写があり、それに続く頭痛の話と合わせて片頭痛の症状だろうと見る説がある。同じ作品に、一時的に裕福にしていた人々が没落した様子も描かれている。
ヨーロッパでは第一次世界大戦が大正3年から7年にかけて起こり、その巨大な組織戦にまつわる資材調達は東洋にも及んだので、日本にも戦争成金というものが発生したという。戦場は広がり、多くの土地が焼けて多くの人が死んだが、戦場から遠かった日本は好景気に沸き、この時期には多くの雑誌が創刊され、フィクション、ノンフィクションを問わず、多くの文章が求められたという。大正デモクラシーのような進歩的な空気が生まれ、芥川龍之介はそういう空気の中で大正4年に小説を発表し始め、世に認められていく。
ところが大戦終結とともに好景気は終息し、数の増えた雑誌は成長の止まった市場を奪い合う競争に入っていく。大正10年ごろから芥川龍之介は徐々に衰弱し始め、それでも精力的に活動を続けていたが、実子と諸事情により受け入れた親類の子供なども増え、貧しさの中で昭和を迎える。芸術というのはどんなに崇高なものでも娯楽の範疇を超えるものではないので、先行する時代に比べた相対的な貧しさの中では、最も不遇にさらされる産業でもある。
芸術家というのは、特にその作品が高度なものであればあるほど、清流の中でしか生きられない魚、あるいは炭鉱のカナリヤのようなもので、環境が乱れると誰よりも先に苦しみ、あるいは死んでいくものなのかもしれない。歴史に名を遺すような偉大な芸術家に限らず、役に立っているのかどうか定かでない学問を専攻する学者や、いつ利益を上げるのか知れないような開発をしている企業の研究員なども含めて、豊かな社会に飼育された愛玩動物のような存在なのかもしれない。
そういう者たちが、徐々に豊かさを失う社会の中で苦しんで死んでいくのは仕方がないことなのかもしれない。天界に生きてきた中で輪廻から解脱できなかった報いなのかもしれない。大戦景気の終わりには芥川龍之介が死んだが、景気後退の折々に芸術家が死んでいたのだろう。バブルの終わりなどを見ると平成9年に伊丹十三が死んでいるが、似たようなものと見ていいのだろうか。ドヴォルザークがニューヨークで神経衰弱に近い状態になったのも、ボヘミアの自然を愛した芸術家が都市に倦んだこともあるだろうが、機関車好きという趣味もあった彼が衰弱した根本的な理由は、彼を招聘したサーバー夫人が恐慌に巻き込まれて経済的に疲弊したからだと考えることもできる。
歴史に名を遺す芸術家にしてそのような状態なのだとすれば、特に際立った才能のない、流行に乗った芸術家が、特に際立った血統のない、流行に乗ったペットのように処分されるのは、それは当然のこととして考えるしかない気もしてくる。退廃芸術を焼き、障碍者を焼いたヒトラーも、経済的困窮が生み出した民主主義の当然の帰結にすぎないとすれば、それほど責められたものでもないようにも、今なら思える。時代劇の中で人世の生き血を啜ると痛罵され斬殺されていた悪代官も、舞台の背後では芸術を愛するパトロンであり、人に憎まれる方法で肥やした私腹から芸術を支援していたと、想像をたくましくすることもできる。
平和を愛しソフトパワーを輸出したとされる戦後日本だが、その復興の初めには朝鮮戦争の特需があった。第二次大戦では日本も戦線を広げ自ら多くの爆薬を消費したが、大正デモクラシーには第一次大戦の特需という面があったのだろう。失われた20年のあとで日本はすっかり貧しくなったが、それ以前の好景気も、ひょっとするとイデオロギーや石油をめぐる遠い国の戦争から恩恵を受けていたのかもしれない。
ソクラテスまでの時代のアテネにおける学問と芸術の繁栄にしても、戦争を勝ち抜いて敗者を奴隷にし、労働を押し付けた結果としての自由が生み出したものに違いなく、そういう好景気の中でしか生まれない学問や芸術それ自体が、実は本質的に人の血をすすってしか生み出され得ないものなのであって、ミューズへの捧げものは、本当は働く人の血と涙なのかもしれない。
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鶏鳴暁を告ぐ
http://antonin.exblog.jp/28318408/
2018-05-18T04:17:00+09:00
2018-05-18T04:22:18+09:00
2018-05-18T04:17:54+09:00
antonin
未分類
方角と同じように、時刻を十二支で呼ぶことは知っていたが、十干十二支はある種システマティックな60進数の系統でもあるので、十二支で時刻を表すのは比較的にしても新しい方式らしく、それ以前には12の時刻がそれぞれに名前を持っていたということを最近知った。その古い呼び名では明け方の刻を鶏名というらしいのだが、夜明けの移ろいにはいろいろと名前が付いており、十二支の時刻と一応の対応はつくものの、真っ暗な夜中はひとくくりに「夜半」と呼ばれたりしていて、日の出と日の入りの間を6等分した新しい方の時刻体系とはまた違った、体感的な時間区分だったようだ。
六十進法 - Wikipedia
十二時辰 - Wikipedia
若いころ、まだテレホーダイが導入される以前だから当然固定電話回線の話なのだが、市内通話にも深夜割引が導入されるようになって、夜11時を過ぎると3分10円が4分10円になってお得、というような時代があった。そういう時代に親のスネをかじってパソコン通信のチャットをしていると、ときどき話が盛り上がって夜明けを迎えることがあった。誰かが夜明けに勘づくと、それがまたひとつの話のネタになるのだが、スズメの鳴き声で夜明けに気付くことを「スズメに負けた」と表現する人がいて、面白かった覚えがある。
今日は話に盛り上がったわけでもないが、カラスに続いてそろそろスズメもうるさくなってきたので少し眠ろう。
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巨大数を離れて
http://antonin.exblog.jp/28291148/
2018-05-03T04:06:00+09:00
2018-07-03T01:09:06+09:00
2018-05-02T19:58:19+09:00
antonin
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寿司 虚空編小林銅蟲/三才ブックスundefined
上のAmazonリンクは紙書籍しかないが、pixivでも読めるらしい。
寿司屋は絵にする上での単なるツールといった扱いを受けていて、内容としてはほぼ純粋に巨大数の紹介になっているらしい。冒頭を少し読むと、二項演算の説明あたりから始まり、ふぃっしゅ数の軽い紹介をしている。ふぃっしゅ数というのは、以前読んだ巨大数論の著者さんがかつて2chの数学版で検討したというもので、有限時間で計算可能な、チューリングの計算可能関数のテーゼをはみ出さないギリギリの巨大数関数というものだ。これは過去に紹介したことがある。
そのPDFもしっかりとしたフォーマットの第2版になっていて、オンデマンド出版されたものをAmazonから買えるようになっている。
巨大数論 第2版フィッシュ/NextPublishing Authors Pressundefined
お父さん今日はリンクいっぱい貼ってみたぞ。
で、Wikipediaの該当項目なども当時より内容が豊富になっていて、それはそれでいいのだが、個人的には巨大数の「巨大さ」には実はあまり興味が無かったりもする。それよりも、数論の発展として、自然数→整数→有理数→実数→複素数ときて、いったいその先はあるのだろうかという疑問が先立っていた。
加算だけなら自然数で閉じるが、減算を導入すると負数が要請されて、整数が生まれる。乗算だけなら整数で閉じるが、除算を導入すると分数が要請されて、有理数が生まれる。累乗だけなら有理数で閉じるが、累乗根を導入すると虚数が要請されて、複素数が生まれる。累乗は交換則が成立しないので、もう一つ、対数という逆演算が出てきたが、対数は特に新しい数の空間をもたらさなかった。定義域の限定などもあって、ひょっとすると現代数学の対数というのはまだ不完全なものなのかもしれない。
そういう流れがあって、二つの疑問を持っていた。ひとつは、「実数とはなんだろう」というもの。無理数というのは有理方程式の解ではない数というだけの意味であって、実はその定義ははっきりとしない。一応複素数は無理数の中には収まらないということになっていて、実数は1つの数直線に乗っていたるところで大小比較が可能でないといけないという限定がある。けれども特に多項式方程式から要請されるという限定もなく、超越関数の解であっても構わない。虚数がimaginaryなのに対して実数がrealというわりには、実数というものもあまり実感の湧かない定義をされている。
もうひとつは、「複素数の次があるとしたら、どういう数になるのだろう」というもの。対数があまりいい感じの数を導入できていない現状なので、複素数を要請した累乗根の方に注目すると、演算としては「その次」を簡単に考えることができる。それはテトレーションの逆関数のうちのひとつ、超根(super-root)になる。累乗根の次に来る超根が閉じるために、複素数より広い新たな数論的な空間が要請されるのかどうか、もしそういう空間が必要なら、それはどういう次元を持つのか。複素数と同じように2次元空間に収まって2個の実数の直積で表せるのか、それとも2個の複素数の組を使った4次元になるのか、あるいはそのうち1次元が縮退した3次元空間になるのか、と、そういう疑問を持っていた。
減算が負数を要請したとき、本来であれば a + b = c の逆演算である a = c - b というのは、a = f(c, b) という2項演算で終わっていても良かった。けれどもこれには、
0 - 2
= 1 - 3
= 2 - 4
= 3 - 5
= ...
という同値関係が見つかり、 したがって
a = c - b
= f(c, b)
= f(c - n, b - n)
という重なりが生じた。ここで、a は自然数の範囲をはみ出す負数に限定すると必ず b > c となるから、n に c を入れて自然数 b - c を d とすると、
a = c - b
= f(c, b)
= f(0, b - c)
= f(0, d)
というように、片側が必ず0になるような変換が可能になる。二項演算の片側が固定なら関数のほうへ取り込んでしまえばいいので、
f(0, d)
= f0(d)
= -d
という具合に記法を簡略化できる。-d というのは演算子を使った f0(d) の簡略記法である。つまり単項演算子としてのマイナス記号というのは「0 - x の答え」という定義になっていて、
3 - 5 = -2
という式は「3 - 5 の答えは 0 - 2 の答えと同じ」という意味になる。その答えは自然数の範囲を超えて、-2 という新しい数になるが、同値関係がなければ 3 - 5 と 0 - 2 は f(3, 5) と f(0, 2) という異なる二つの数、それも二つの自然数の直積で表される2次元の数になっていたはずだ。本来二次元になる「a - b の答え」という値が要請されたのだが、実際の整数は同値関係によって縮退して1次元に配置可能な数になった。しかも、同じ同値関係が自然数との連結も要請して、半直線であった自然数と新しい半直線である負数は、互いに 0 で接して両無限の直線を作った。これは実は不思議なことだ。
同様に、a × b = c から a = c / b という逆演算が生まれて、「m / n の答え」を表す分数が要請された。分数の定義には二つの自然数が使われているので、これも本来的には2次元の広がりを持った数になっても良さそうだったが、実際には約分という同値関係と分数の大小関係から、分数は整数と整数の間を埋める数になるという性質が導かれ、分母と分子という2つの整数で定義される有理数はなぜか稠密な1次元の直線を作った。これもまた不思議なことだ。
同じことを繰り返し、ab = c という累乗演算から累乗根 a = b√c という逆演算が作られた。 b√c というのは「c の b 乗根のひとつ」という関数の演算子による簡略表現なのだが、この関数は実は f(b, c) ではなく fb(c) という形をしている。これもまたオイラーの美しい式によって z = x + yi という形に縮退するので、b乗根のようなややこしいものは通常考えなくて済む。虚数単位 i というのは「-1の2乗根のうちのひとつ」を表す記号なので、b√c という二項演算が本来持っていた広がりに比べるとやはり縮退しているのだが、こうして生まれた複素数は最終的に1次元には収まらずにガウス平面という2次元空間を作り、ここで初めて数の作る空間の次元が上がった。
有理数に無理数を加えた実数のほうは有理数と同様に稠密な1次元の直線を作るのだが、その「濃度」は有理数よりも大きいということになっている。その前提の下では、ある同じ値に収束する無限有理数列(コーシー列)は、その極限値を共有するという関係で一つの集合を作るのだが、現代の数学ではこの集合こそが極限値にあたる実数要素の正体だということになっているらしい。この結論には個人的に納得しきれていないのだが、今の公理ではそう結論するしかないね、という気はしている。ここをひっくり返すには、解析学のご本家でありヘビーユーザーでもある物理学とご相談、ということになるだろう。
こういう具合に、二項演算の逆演算で求まる数というのは本来、2個の数の直積から成る空間を張るはずなのだけれど、元の演算が持っていた性質から延長される同値性によって、空間は縮退する。だから複素数のテトレーションが定義できたとすると、その逆関数が要請する新しい空間は本来的には2個の複素数の直積、つまり4個の実数が張る4次元空間になるのだけれど、その次元のいくつかが縮退して、2個か3個の実数が張る空間になる可能性がある。テトレーションに強力な規則性があれば、同値解が容易に見つかって「複素数の次の数」は複素数より濃度の大きい集合として2次元に収まるかもしれないし、逆にめぼしい規則性がなければ単純に4次元空間を張るかもしれない。加減乗除への適合性からすると、四元数に少し手を加えたようなものに落ち着くのかもしれない。
それ以前に、群→環→体ときて、そこに冪乗や指数という第5の演算を追加したような代数系を見たことがない。その逆演算になる複素根や複素対数については、抽象代数論というより具体的な複素関数論としてもまだ充分に練られていないのかもしれない。四元数は非可換の多元体ということになっているが、そこでは乗算が非可換になってしまっている。その前にまず一般化された複素数、つまり乗算については可換で、そこに加えて非可換な指数演算についても閉じた代数系が必要になる。それがあって初めて、逆演算を追加したり、非可換なテトレーションを追加したり、という話ができるようになる。
フェルマーの大定理や四色問題のように、数学の世界では3とか4とかで発展が打ち止めになるような規則は多いから、同じことの繰り返しで高次元の世界を模索しても無限の多様性を見せてくれるとは限らないのだが、数そのものを拡張してしまうことで、これらの定理に反例を持ち込み、高次元の世界でも単調な乱雑さから脱出できる可能性もなくはない。そうなれば、10年以上前に匙を投げられたような状態にある複雑系の解析にも、道具として使えるようになるかもしれない。
今世紀の数学者たちには「複素数の次の数」の性質をいろいろと調べてほしいと思っているのだが、私が知らないだけで、ひょっとするともうどこかに断片的な答えがあったりするのだろうか。あったとしても、難しすぎて私には読めないだろうが。]]>
日曜の朝
http://antonin.exblog.jp/28236248/
2018-04-08T06:35:00+09:00
2018-04-08T06:38:46+09:00
2018-04-08T06:35:58+09:00
antonin
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仕事の上の2時間、3時間を予定外に消費したことを咎められる時の気分というのは、外食で4000円程度の消費を咎められる時の気分に似ている。そこには確かに消費しただけの価値はあるのだが、お前にはそれを消費する価値はないと言われている気がして、憂鬱になる。果たして価値があるのかというと、確かにないようにも思う。
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2年近く前に、twitterのタイムラインでAmazon安売りが紹介されていたマンガをまとめ買いで購入した。購入履歴を掘り返すと、15冊全巻セットで645円とある。1冊あたり45円である。その頃にいろいろと購入したので、しばらくは読みもせず放置していた。今年に入って、文字で書かれた本を読む力をかなり失ってしまったので、その頃に購入した漫画をKindleで読み始めたのだが、名作だった。まだ大衆に知られていない名作というよりは、ある種の日本人の心を刺すような作品だった。
イティハーサ(1)水樹 和佳子/クリーク・アンド・リバー社undefined
現在は1冊432円で販売されている。kindle unlimitedのリストに入っているので、人によっては無料で読めるのだろう。1986年から1997年にかけて描かれた作品だという。私の年齢でいうと、14歳から25歳にかけての作品ということになる。私には妹がいたので実家にはいくらかの少女マンガ誌があったが、この作品が掲載されていた「ぶ~け」という雑誌を見たことはなかった。
この作品のネタバレを書くかどうかは迷うが、私が書いてみても価値がないように思った。ただ、本作には自分に重ね合わせたくなるような青比古という登場人物がいて、私の妹に重ね合わせたくなる透祜という人物もいる。ただ、その二人は兄と妹ではなく、もう少し離れた関係にある。その離れた間に、兄にあたる鷹野という人物もあるが、その人物にはあまり私と重なる部分がない。本来はこうありたかった自分、という意味では重なるかもしれない。概要が知りたければWikipediaに項目がある。
イティハーサ
私は書籍としては小説より学者の書いた一般向け書籍などを好んで読む方だったが、マンガにはそういうジャンルはないので、物語ばかり読むことになる。そうすると、不思議と女性作家の作品に魅かれることが多い。家系にも地元にも勤め人の少ない環境に育ったこともあって、現代の勤め人を描く作品にあまり魅力を感じない。運動が苦手だったこともあって、スポーツものや戦闘ものにもあまり魅力を感じない。といって恋愛ものにも魅力を感じない。となると、本作のような精神性を持った物語に近づくわけだが、そうなるとどういうわけか女性の描く作品にたどり着くことが多い。幻想的な本作もそんな作品のひとつだ。
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日曜日の朝早くに目が覚めて、週末に独断で少し薬を減らした影響なのか、勤めのことを考えている。増薬して勤め人としての耐性を高めて生き続けたほうがいいのか、減薬して自分らしさを取り戻して死んだほうがいいのか、まだ迷いがある。どこまで始末を付けたら残した人が困らないのか、まだ迷いがある。過去に、まだ生きようと決めて、この世への未練を減らすような保険商品を切り捨てたことがあった。それが今になって利いていて、モラルハザードになる補償が少ないことが確かに現世への未練になっているが、その未練に苦しんでいる。
通貨の形をした借りはもうないが、通貨の形をした蓄えもない。通貨の形を取らない蓄えは不動産の分譲所有権程度のものだが、通貨の形を取らない無形の借りは、もう返済不能の不良債権として焦げ付いた状態になっている感じもする。あとは、サンクコストとして損切りをするかどうか、それを債務側の独断で決行するという罪を犯すのか、塩漬けにして先送りするという罪を債権者と共有していくのか、という選択しか残っていないように思う。
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はたらく細胞
http://antonin.exblog.jp/28211449/
2018-03-26T00:48:00+09:00
2018-03-31T02:17:23+09:00
2018-03-26T00:48:15+09:00
antonin
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第1巻の内容は、よくできた学習漫画のようで説明的な物語に終始したが、その分、普通に面白く読めた。この第1巻が刊行されたのは2015年らしい。1年ほどで人気が高まったようで、今年の初めにアニメ化が決まり、7月の放映開始に向けて鋭意製作中とのこと。アニメを見る余裕があるかどうかはわからない。なぜこの漫画を購入して読んでみたかというと、以前からこういう物語があったらいいと思っていたからだった。マクロコスモスとミクロコスモス:安敦誌2010年のネタなので、アイデアだけなら私が先だと主張はできるだろう。まあ、こういう作品というのは形にする作業が主で、アイデアなどというのは人を集めればいくらでも出るものなので、アイデアだけの先権など主張しても仕方がないだろう。私の擬人化のアイデアにしても、若いころに見た「驚異の小宇宙 人体」という美しい番組に影響を受けたものなので、同じような影響を受けた人は世に多いだろう。そういう他愛もない思い付きを実際の作品として読めるというのは幸せなものだ。この作品が私のものと似たようなアイデアに根差しているとするなら、まだ作品には登場していないとみられる神経系とのやり取りを見ることができるか、というのが今後の楽しみということになる。戦闘、戦術、作戦のレベルまでは免疫系が完備しているが、戦略レベルになると神経系の影響を受けるようになる。大戦略レベルでは戦いというより政治に近い世界となり、脳関門の向こう側にいる中枢神経たちが下す、わけのわからない判断が個々の戦局を左右するようになる。その判断は、前線の細胞たちの想像を超えた高度な謀議の結果であるとも言えるし、うらはらに現場への無理解と怠惰の結果でもある。前線は中枢の判断に時に煮え湯を飲まされながらも耐え忍び任務を遂行することになる。命を賭して敵と戦っている細胞からは「現場じゃ今も細胞が死に続けているんだ」という叫びも出るが、個体寿命より短い寿命を持った循環器系の細胞などそもそも使い捨てられる運命であり、最長寿命が個体寿命とほぼ一致する心臓や中枢神経などの細胞と末梢の細胞とでは、見るべき対象が異なる。脳の保身と言われても、それが文字通り人間個体の「保身」につながるのであれば、それも体細胞として正しい働きには違いない。中枢神経が遺伝子の奥技「恋の病」にでもかかれば、心臓まで巻き添えにされて、身体はお医者様でも草津の湯でも治せない危険な状態に陥る。「はたらく細胞」がそういう社会派ドラマにまで育つのかどうかは分からないが、財布と相談しながら読み続けていきたい。]]>
小池百合子とロス・ペロー
http://antonin.exblog.jp/27297073/
2017-10-10T22:15:00+09:00
2017-10-10T22:17:04+09:00
2017-10-10T22:15:22+09:00
antonin
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かつて、小泉首相がワイドショー人気を集めていた時代があったが、小池都知事が尊敬する政治家が小泉さんだという話を聞いて、なるほどと思った。
小泉さんというのは、敵に分け入って割るのが得意な人という印象がある。首相時代の小泉さんは郵政民営化一本槍に見えたが、その後の戦術を通して眺めると、結局のところ政策としての郵政民営化には大して興味がなかったようにも見える。でなければ、政権交代後の亀井さんにあれほど無関心でいられたはずがない。
ではどの部分に興味があったのかというと、それは「いわゆる保守」の部分だったのではないかと想像する。その「いわゆる保守」にとって特定郵便局というのは大事な柱のひとつなので、結果的に「郵政民営化をぶっ壊す」となった日本の政治は、小泉さんの思いとは実は違わない結末だったのではないかと、今では疑っている。まあ、市井の衆生には関係のない与太話ではあるが。
小泉さんは、東京都知事選で宇都宮さんが優勢になったとき、彼と同じ原発反対を唱える細川元総理を突然担ぎ出し、あとになって細川さんの評判がズタズタになっていくのを放置した。結果として反原発票は割れ、当時の現役副知事である猪瀬さんが当選した。その猪瀬さんはマスメディアに失脚させられたが、後釜に座った舛添さんも似たような道を辿ることになった。
次の選挙では宇都宮さんが排除され、「いわゆるリベラル」の統一候補として鳥越さんがどこかから推されてきた。その後の鳥越さんの評判がズタズタになってゆく様は、細川さんが都知事候補になったときに似ていた。そこを攫ったのが小池百合子さんだったわけだが、その小池さんが小泉元総理を尊敬しているという。小池さんは右派だというし、一方でその政策はポピュリズム一色になっていて、「いわゆるリベラル」を糾合するに十分なものとなっている。
今回、「いわゆるモリカケ」でマスメディアが咆哮したあとに大山鳴動鼠一匹といった状況になったところで、安倍さんは衆院を解散した。そこへ小池さんが「希望の党」を立てた。党名自体は事前に用意されていたという話もあるし、総務省(旧自治省)の作った例の動画をリサーチしていなかったというのも信じられない。そして、小池人気の立役者だった音喜多さんに逃げられる。なんだそれは。
陰謀論ファンとしては、小泉さんの差し金で小池さんがかつての細川さんのようなトリックスターを敢えて買って出たという想像に胸が膨らむのだが、繰り返すが、市井の衆生には関係のない与太話である。総理首班指名候補者となるべく自ら比例リストのトップに立つという噂もあったが、その話はお流れになったようだ。もしそれをやれば小池さんの評判はズタズタになっていただろうが、そこまでは必要なかったようだ。
都知事選、東京都議会選と人気を集めた小池さんが、土壇場まで衆目を集めつつ、退く。今では「いわゆるリベラル」が割れるだけ割れて消滅の危機に瀕する状況となっている。コンサバとリベラルが逆ではあるけれども、思い出すのが1992年米大統領選のロス・ペローさんだ。あれでクリントン政権が立った。
陰謀論ファンとしては、その影にアメリカの支配者層の暗躍があったと信じたいし、同じことをもう一度やって共和党支持票を割り、初の女性大統領を誕生させようとしたところが、うっかり自ら当選してしまったのがトランプさんだと信じたい気持ちがある。
まあそんな話が本当にあったところで市井の衆生には関係ないのだが、小池さんが小泉さんの差し金で動いているという色眼鏡で今回の選挙を見ると、なかなかに楽しいものがある。選挙自体は白票を投じてこようと思っているのだが、各党、各メディアの選挙戦術からは今後も目が離せない。返す返すも、市井の衆生には関係のない話ではあるが。]]>
日本会議とか
http://antonin.exblog.jp/27705766/
2017-10-08T18:07:00+09:00
2017-11-22T20:30:20+09:00
2017-11-18T18:07:24+09:00
antonin
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日本会議の研究 (扶桑社新書)菅野 完/扶桑社undefined
動画やtwitterで見る菅野さんの豪気な印象に反して、ものづくり分野で品質管理を手掛けていた人物だということがわかり、とても意外で面白かった。日本会議を研究するに至り、そしてその研究成果を誰より先に知ることになった菅野さん自身の立ち位置から、本書の中で日本会議は危険な侵略生物のような扱いを受けているわけだが、それでも努めて冷静にエビデンスを挙げていこうという姿勢があって安心して読める。
著者が中立に見えるより、中立でない心理を隠していないほうが、読者としては著者の持つバイアスを忘れずに接することができるので、かえって読みやすい。怖いのは、神のような冷静さと客観性を上手に装う著者だ。疑いなく読める本というのは、文章を読んでいる自分を疑う作業を忘れさせるので、そこが恐ろしい。言葉になった全ての情報は、それ自身疑いうるものなのに。本書は、著者と自分を疑いながら読むことができるので、読者としては緊張を強いられるが、その点にこそ安心がある。良書だと思う。
今回の選挙の争点の一つに「保守」というものがあるのではないかと思うのだけれど、保守主義というのは本来コンサバティブなものだ。ところが、今では共産党が最もコンサバティブで、現政権に近い勢力の主張がラディカルという面白い状態になっている。社会制度が激変してしまったとき、それを元に戻そうとする態度は保守的で、その変化を支持する態度が革新的だ。
ところが、変化が維持されて長く経過すると、社会は変化に順応し、変化した後の社会制度に合わせて動くようになる。そういう時代になると、かつて起こった社会制度の激変を認めない人が、現行社会を認めず復古主義を掲げるという革新的態度になり、かつて革新的であった人は現状を良しとする保守派になっている。復古主義と保守主義とは全く別のものなのだが、両者はなだらかに接続しうる。
昔、アハ体験というのがテレビでもてはやされていたころ、テレビの画面の中で非常にゆっくりとした色や形の変化が起こっているのに、人はよほど注意していてもそれを知覚できない場合があるというのを体験した。それに似て、かつての保守派は今では復古主義革命を掲げており、かつての革新派が今では社会主義保守を掲げているということに気付かない人が多い。もちろん、若い人は歴史を早回しで見ることになるので、その変化に気付いている。しかし、実時間でそれを体験してきた人たちは、しばしばその変化に気づいていない。
私は社会制度については漸進主義者で、非革命的で永続的な革新を好む。復古的な革命主義者については、幼い時に聞いた祖父母の愚痴を真に受けて育ったような人達だと思っていて、実はあまり好まない。けれども好みに合わない人たちの事情もそれなりに斟酌して折り合いをつけていくのが漸進主義だと思っているので、主義的にはなんとか落としどころを探すしんどい作業をすべきという話になる。
十人の声を聞き分ける聡い耳を持ったという人の伝説が我が国にはあって、私が子供の頃には最高額紙幣の顔であったりもしたのだが、その漸進主義の理想を体現したような人の話が、子の代で断絶したという結末だと聞くと、そうそう楽な道ではないのだということだけはわかる。
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いろいろ
http://antonin.exblog.jp/27149763/
2017-09-25T23:40:00+09:00
2017-10-10T22:44:38+09:00
2017-09-25T23:40:23+09:00
antonin
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ブラック・スワンの上下巻をようやく読み終えた。途中で翻訳の質を疑ってみたりもしたが、結論としては原文の段階で結構支離滅裂なのだろうと思うようになった。著者あとがきで、当初ゴチャゴチャで読めたものではなかったものを、時には人に逆順に読んでもらったりもしながら形にまとめ上げたものだと書いてあった。著者は私と同じで「温度が高い」思考をする人なのだろう。温度の高い思考は局所解から抜け出しやすいが、その分間違いも犯しやすい。「創造的間違い」が得意な人種なのだろう。あれでは温度の低い思考をする人の反感を買うのも仕方がない。同類の私でさえ随所にツッコミネタを発見したくらいなのだから。しかも口が悪い。
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福島第一原発3号機の爆発について、ずっと疑問に感じていたのが、あの爆発直後の火球とその収縮だった。陰謀論ファンとしては240Puの不完全核爆発を隠しているのだと期待していたのだが、どうやら本当に水素爆発だったようだ。最上階ではなく地下のほうに起爆点があって、なおかつ水素濃度が十分に高かったために、非常に高温で爆発したものらしい。
火球ができて次に収縮するのは気体膨張の原因がもっぱら熱による証拠で、それは急激な核反応が熱源だからではないかと疑ったのだが、考えてみれば水素の燃焼も 2H2 + O2 → 2H2O となって3分子から2分子へと分子数が減少してしまう反応だから、反応が高速で膨大な熱量があれば火球になるし、その熱が電磁放射などで拡散すれば収縮もする。見慣れないものだが火薬の爆発などとは基本性質が異なり、核反応ではなく化学反応だとしても映像の現象に妥当な説明がつく。
事故として事前の想像を絶する状況だったということには変わりはないものの、発表資料で説明がつかないようなものではなかった。世界各地の放射性粒子観測網が完全に口裏合わせすることも無理な話で、この件では陰謀論は退けられた。残念。
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図書館でいまどきの遺伝学の基本が書かれた本を借りてきたが、読む気力があるかわからない。Rust言語に trait という用語が出てくるが、これが「形質」と訳される語だとわかってすっきりした。そういえば先日、遺伝子の「優性」「劣性」という用語が「顕性」「潜性」に改められるというニュースを知ったが、良いことだと思う。今なら無理に漢訳しなくても dominant と recessive を教えておけばいいじゃないか、という気もするが。
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最近また記憶がちょくちょく飛ぶ。どうしたものだろう。
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ブラック・スワン読中記
http://antonin.exblog.jp/27107214/
2017-09-11T01:34:00+09:00
2017-09-11T02:46:16+09:00
2017-09-11T01:34:21+09:00
antonin
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ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質ナシーム・ニコラス・タレブ/ダイヤモンド社undefined
下巻の冒頭でも、二体問題では解析的に安定だが三体問題では不安定になるというポアンカレの指摘が、三体問題では安定だが四体問題では不安定になるという意味の内容に訳出されている。万有引力の法則で運動する太陽と惑星の二者関係であれば軌道は安定するが、そこにもう一つの天体が加わるとカオティックな三体問題になる。それが訳書では、太陽系に2個の惑星しかないなら安定で、そこに彗星が加わると三体問題になるとある。原書が間違っているか、訳が間違っているかのどちらかだ。
ポアンカレに心酔しているという著者がそんな初歩的な間違いを犯したとも考えにくいので、訳者と訳編者にとって物理学があまり親しくない分野だったのだと思う。おそらく、「太陽系に惑星が二つしかなく」というのは「系に太陽と惑星の二つしかなく」という意味なのだと思う。「二つの質点からなるシステム」という予備知識がないと訳しにくい部分ではある。話の大筋には影響がないのだが、こういう、読んでいて不安になる文章が定期的に表れる。
自分には信念があっても、周りからの評価が長く得られないときに自己評価を保ち続けるのは難しく、そうしているうちにコルチゾールに海馬がやられて記憶力が落ちて滅入る、という話が半分フィクションとなって上巻に一節挟まれていたのだが、その部分は心に染みた。それ以外の、実践に縁遠い統計学者や経済学者への苦言の羅列は、繰り言のようでくどい。これも海馬に損傷を受けた後遺症なのか。あるいは「ブルックリン的」な英文に対する和訳文体に胸焼けを起こしただけなのか。
下巻では正気を取り戻したのか、理論と実践の具体的なズレを例証するような内容が増えてきて、少しずつ興味深い内容にはなってきている。補間式によるデータ欠落部の内挿や、代表値の値域における近似関係式の導出にはそれほど大きな間違いは起こりにくいが、その数式に依った外挿はたいてい失敗するというのは、実験科学を経験した人なら身にしみてわかる話だと思う。これが、教科書で習った天下りの数式しか知らない人にはなかなか通じない。内挿と外挿の信頼度は天と地ほども違う。そのわかりやすい例として、同じ数式が描くグラフでも値域を変えると様相が全く違ったものになるという、私もここで何度か書こうとしていた話が本書の下巻に出ていた。私と同じような苛立ちを著者も持っていたのだろう。
経済の専門家を批判する本書の翻訳を、経済の専門家に依頼したのはどういう意地悪なんだという気はするが、当時は「経済分野のベストセラーをいち早く翻訳せよ」という指令しかなかったのだろうから、仕方がなかった面もあるのだろう。誠実になされた仕事を腐すのは良くない。仕事と生活の合間に原書でこういう本を読めない自分を呪いつつ、母国語でこの本を読める幸せに感謝したい。
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確率論について
http://antonin.exblog.jp/27088478/
2017-09-03T02:36:00+09:00
2017-10-22T14:03:15+09:00
2017-09-03T02:36:05+09:00
antonin
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開く扉の枚数を増やしてみるという説明もあったが、もっと単純にするとこういう問題になるんじゃないだろうか。
「ジョーカーも含めて53枚のトランプを切ります。次に、その1枚を箱に入れました。この箱の中にハートのエースが入っている確率はいくらでしょう。」
「53分の1です。」
「そうですね。では、箱を開けてみましょう。スペードの9が入っていました。次に、このまま箱を閉めます。この箱の中にハートのエースが入っている確率はいくらでしょう。」
ここで「0です」と答えるならベイジアンだし、「53分の1です」と答えれば頻度主義だ。どちらも正しく、どちらかが間違っているという話ではない。単に前提が異なる。「確率」に the が付いていると考えるか a が付いていると考えるかという前提の違いであって、その前提があいまいなまま、どちらが正しいかを議論するのは間違っている。
「確率」には a が付いていると考えるなら、たった1回の試行でどんなカードが出たところで最初の問いに関する一般的な答えは53分の1のまま変わらない。ところが the の付いた「その試行」に関する確率と考えるなら、私はもうそこに入っているのがスペードの9であってハートのエースではないことを知っているから、答えはゼロだ。
the が付く方の、ベイジアンの問題だと考えた場合、実は話がより面倒になる。上の会話の場面で私がマジックショーに参加しているのであれば、次に箱を開けた時には中からハートのエースが出てくることは十分に考えられるので、そういう予測も織り込めば確率は0ではなくなる。また、最初に箱を開けて中身を確認する前でも、使っているカードセットのうちハートのエースのカードが微妙に折れていることを知っていて、箱に入れてカードが折れていない気がしたなら、確率は53分の1より下がってゼロに近づく。
こういう、未知の対象について何も知らない状態から、ある程度推定できる知識がある状態、あるいは完全に知っている状態に変化するために必要な知識の量を、通信工学では情報量と呼ぶ。それはベイズの定理と同じ事前確率と事後確率を使った情報量エントロピーとして定義が確立している。この情報量の式を見てエントロピーという名前を付けるようにアドバイスしたのがフォン ノイマンだという噂もあるくらいで、それは1940年代の話だ。
工学の外側にいる統計学の研究者の中には、1990年になっても頻度主義の前提をベイジアンの問題にも適用しようとするくらい、暗黙の仮定に慣れきった人がいたという話なのだろう。アベノミクス前夜のリフレ論者がリフレ理論を理解しない人たちを馬鹿にして罵っていたときも似たような違和感を覚えた。欧米経済中心の研究から帰納的に抽出した一般的な数式から演繹して、日本経済での個別具体的な状況で量的緩和が足りていないと言いきっていた人たちも、似たように統計学の前提となっている暗黙のルールの虜だったのだろう。
リフレ論者とそれ以外の人たちの言い合いは不愉快だったが、話がすれ違った理由を考えるのはそれなりに楽しい。古典的な命題論理の問題でも日常言語で議論すると変な話になる、という別の文章を書きかけたのだが、コドモと町内会の行事に参加する予定があって書き上げられなかった。そちらはまた今度。YouTubeで禿山の一夜を聴いた話も、その気が残っていればまた今度。日常に退屈している。その話もまたそのうち。
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