安敦誌


つまらない話など
by antonin
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また来年

ちょっとハリキリすぎたので、一休みしております。
とはいっても、仕事始めくらいまでの予定ですが。
クリスマス。お正月。コドモたちとたっぷり触れ合ってまいります。

懸案の2件、セルオートマトンでミンコフスキー空間実現のほうはちょっと頓挫してしまったのですが、有理進法のお遊びのほうはなんとか紙面に書き下すところまで行きましたので、年明けはご挨拶を挟んでこのあたりから再開したいと考えております。来年もまた妄想やら政治経済やらのつまらない話が相も変わらず続くことでしょう。国事には本来興味がないのですが、コドモたちの将来に直結すると気づいてしまってからは、どうしても捨て置けないテーマですので、一市民の枠内でちょぼちょぼ考えていこうと思います。

それでは皆様、メリークリスマス&良いお年を。
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by antonin | 2006-12-22 00:07 | Trackback | Comments(4)

人件費が高すぎる

現在の日本では、人件費が高すぎる。
引き下げるべきである。
では、どうやって。

いくつかの段階を経て、経済界では既に人件費の引き下げを実施している。工場の機械化、工場の海外移転。正社員の削減と契約社員、派遣社員、パートタイム労働者比率の拡大。こうした施策により、企業はなんとか黒字を確保し、労働者は弱い立場の人々から徐々に貧困層へと転落している。現在は既得権者に位置している企業の正社員や公務員も、今後の法規改正で徐々に人件費の切り下げの方向へ移っている。残るのは、一部の富裕層だけとなる。

そもそも、なぜこのような状況に陥ってしまったのか。日本人の給料が上がりすぎてしまったから、適正レベルまで補正しているのが現状なのか。私はそうは思わない。人件費は「相対的に」高いに過ぎないのであって、日本人の人件費を高く見せてしまう、「安くて良いもの」の存在にそもそもの矛盾の原因がある。それは、ひとつに輸入品の安さであり、ひとつに海外労働力の安さである。それらは、質が日本国内のものに大きく劣らないのに対し、価格は非常に安い。ここに国内の劣悪な労働環境の遠因があると、私は見ている。

現状、日本では海外労働力の国内への流入に様々な障害を設けて、これを阻止している。これはまた別の論になるのでここで理由は述べないが、正しい政策だと見ている。この労働力流入制限のために、国内で確保できる労働力の大半は日本人労働者ということになる。そのコストは、従来年功序列制で、比較的狭い範囲に保たれてきた。

一方、海外の労働力は安く、その安さの理由は為替レートによるものであり、同じ国内購買力であっても、彼らが生み出す生産品が私たちにとって価値が低いということを合理的理由として、そのような為替レートを認めてきた。

海外から輸入される物品も、ヨーロッパの高級品であれば非常に高価で、産業が未発達な国の軽工業品であれば非常に安価であった。その理由もまた為替レートであり、その合理的根拠は彼らが産出する製品の品質にあった。

翻って今日、日本人が日本国内で産出する製品の品質は、向上こそすれ、低下していることはない。ならば、円が他の通貨に対して高い為替レートを保っていることは合理的である。しかしながら、現在において、日本製品に匹敵する品質の製品を生産する国は多数に上り、それら高品質の製品を産出する国々の通貨に対しては、日本円のレートは低下するというのが合理的な経済的帰結である。

しかしながら、日米経済戦争、ジャパンバッシングと騒がしかった1990年前後に極端な円ドルレートで国内産業に打撃を与え、100~140円/ドルのレートに揺り戻してから、米国産業が品質問題をほぼ解決して盛り返し、ジャパンパッシングと揶揄されるような中国中心の量産産業構造に変化した今日も、日本円の対ドルレートは変わっていない。

一方の主役である中国は、米国政府からの人民元切り上げ圧力に対し、形ばかりのわずかな切り上げこそ実施したものの、依然として発展途上国としての通貨バスケットによる為替レート管理を国家戦略に基づき継続している。米国にしても、中国の下請工場が米国産業に与える利益も無視できないため、それほど声を高めることなく良好な関係を維持している。

一方の日本は、産業界が雇用者の非難の声にも負けず、自社工場や部品調達先の海外移転を行い、国内の従業員については解雇や給与据え置きなどの策により生産コストを圧縮してきた。しかし、ここに来て限界が近づいている。日本の経済構造が破綻に近づいている。

その真の原因は何か。

為替レートは、一般に自由な通貨交換によって決定されているように思われているが、国の財政状況に直接間接影響する為替レートは、中央銀行の介入により厳しく管理されている。そして、その管理方針を決めるのは、一般にその国家政府である。

かつて日本政府は対米黒字を大幅に拡大し、「偉大なる」アメリカ合衆国の敵とされてしまった。それを解決したのがプラザ合意に基づく円高基調の為替レート管理である。これは短期的には国内固定資産の形式的高騰によるバブル景気、長期的には中国での近代的産業立ち上がりに伴うデフレを生み出した。

しかしながら、太平洋戦争の敗戦で三流国に落ちた日本が、少なくとも経済のレベルにおいては大国アメリカに対抗しうる大国に回復した結果、それまでの低い円レートによる経済的庇護を離れるという意味において、この合意は正しかったように思う。問題は、それを段階的におこなわず、破壊的に実施したと共に、期限を設けなかった点にある。現在の「いざなぎ超え」かつ「実感なき」好景気の正体は、既に役割を終えたプラザ合意の亡霊に悩まされる日本の姿に違いない。

高い円レートのもとでは、輸入品は安くなり、輸出品は高くなる。言い換えれば、今まで日本人が生産していた品物は、安い輸入品と競争するようになり、低価格化を求められる。日本に入ってくる安い品物に対し、われわれ日本人の給与は、相対的に高く感じられ、より一層の高い価値を求められ、日に日に高い目標を設定され続ける。そして、誰にも余裕がなくなり、自殺しか道は残されなくなる。

今まで輸出していた製品は、日本人が日本で作っていたのでは高くつくので、海外の工場で生産する。残された国内産業は、合理化によるコスト削減で安い輸入品に対抗してきたが、近年ついに合理化も限界に達し、人件費の全てにわたり削減を求め始めた。その結果が正規雇用比率の低下であり、ワーキングプアの誕生であり、ホワイトカラー・エグゼンプションの議論である。

今、本当に必要なのは、既に時代に見合わなくなったプラザ体制を見直し、中国や米国が台頭する世界情勢に見合った、日本製品の品質や売り上げに見合った、正しい為替レート管理の獲得である。このあたりを論じる経済学者がマスメディアに現れないのは大きな疑問である。日本国民が「我慢」や「改善」を「努力」する水準は、とうの昔に超えている。今なすべきことは、しっかりと外を見て、日本円の正しいレートを主張し、為替政策として速やかに実施することである。

その先には、日本国民の生活に余裕が戻り、人々の顔には笑顔が現れ、自分の国は愛すべき存在になり、美しい国になるだろう。人々が苦痛の中に自らの命を絶つ中で、教科書だけが「国を愛しましょう」と唱える姿は、単なるブラックジョークにしか思えない。

一会社員でありながら、こうした大所高所から国を考えるのは、あるいは理屈を弄ぶ悠長なのか。不安は日々募る。
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by antonin | 2006-12-20 01:16 | Trackback | Comments(4)

父祖の話

父方の祖父は、私が生まれる前に癌で他界してしまったが、医者であったという。父の実家には、かつて医院として使われていた一室を残す大正時代の旧家がまだあるが、私はしばらく訪れていない。祖父は、象牙の箸で父の頭を叩く厳しい人であったという。その一方で、父が空気銃を撃って家の外壁に穴を開けたり、外れた窓ガラスを粉々に割ったりしても意に介さず、雀を落としたりすれば共に焼いて食ったりもしたのだという。

その祖父には弟があり、彼も医者であったという。ベートーヴェンのレコードに耳を傾け、温和な性格であったという。父はそうした家業を継がず、祖父の他界のあとに遺産の一部で中古車を買い、勉学を嫌って当時敷かれたばかりの東名道を東上し東京に出たのだという。父は素朴な人で、今も私に人間の前世について熱心に語りかけてくる。その父の弁によれば、私はその大叔父の生まれ変わりなのだという。クラシックが好きで、性格が温和だからなのだという。父は、幼い妹の面倒を見るやせっぽちな私の姿しか見ていない。

祖父と大叔父は、共に軍医として戦地に向かったという。祖父はその豪胆な性格から、常に前線に出ようとして士官に引き止められるような迷惑な医者であったという。対して大叔父は、困難なフィリピン戦線に赴き、末路詳細もわからぬ玉砕部隊の一員として今もかの地に眠っているのだという。そしてその魂は靖国の社に祀られていることになっている。

私は科学の徒であり、死後の霊魂の存在を信じないが、もし生前の大叔父が、防衛の域を超える武力の宣言に対して声高に否定する私の言論に接することがあったならば、一体なんと言ったであろうか。仮にも武家の末裔にふさわしからぬ腑抜けと見るだろうか。我が御国に捧げる命を惜しむ国賊と断じただろうか。あるいは、何も言わずに微笑んだだろうか。

個人にできることには自ずと限界があり、なればこそ、その中で死力を尽くさなければならない。それはあるいは従軍であり、あるいは言論であり、あるいは無念の逃避行であろうが、それを決めるものは必ずしも個人の手中にはない。

今、そうした深淵に臨むが如き心情であるのは、あるいは考えすぎなのであろうか、あるいは論理を弄ぶ悠長なのだろうか。

間もなく訪れる新正月には、大叔父についてもう少し詳しく聞いてみたいと思う。
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by antonin | 2006-12-18 18:46 | Trackback | Comments(2)

独り言

夜明けも近いので、ぼそっと独り言を。

優れた芸術に、強烈な皮肉としてメッセージが潜んでいるのは楽しい。
直截的で、工夫のないメッセージが芸術の振りをしているのは楽しくない。

押井守さんの作品は、そのどちらにも見えるし、どちらでもないようにも思える。
このあたりを解決することなく作品を見ても、多くを語ることはできそうにない。
そして、このあたりを解決できる材料を提供する言説にも出会ったことがない。

押井さんの作品に構造主義的解釈が可能なものがあるという。

群論のように、集合の要素を極限まで抽象化し、数値で言えば大小関係に当たるような位相や、演算に当たるような自己への写像など、近代的集合論に見られるような抽象化された要素と関係の体系で物事の本質をあぶりだそうとするものらしい。

そうした手法によって、未開の民族とみなされていた人々の言語体系と、世界でもっともエレガントと思われていたフランス語の言語体系の両者に、甲乙付け難い複雑性が潜んでいたというヨーロッパ的な「発見」が、構造主義が華々しく迎えられた始まりなのだという。

つまるところ、こうした形式主義を通じて、私たちの常識を超えて新しい視野を開いてくれるような作品が存在するならば、見る価値もあるし批評する価値もあるだろう。

しかしながら、単に構造主義的な発想が見て取れる程度の映像作品であるならば、そうした思想に触発された文言に多く接した人々を、クスリと笑わせるだけの楽屋落ちに過ぎないだろう。

押井作品とは、いったいどのようなものなのか。

果たして見る価値はあるのだろうか?

楽しく生きる、という発想には共感する。
自分が時に悲観的であるだけに。
理想の父親像なら、「ライフ・イズ・ビューティフル」の愉快な父親だ。
彼のように死んでいけたなら、悔いはない。

しかし、自分が良いと頑なに信じるものを、要らぬ人に強く勧めるのはカルトに似た姿である。

哲学とは何か。
所詮は、人が生きるうえで抱える問いに答えるための、ヒント集のひとつでしかないように思う。
本質的に、宗教とそう遠い所に立つものではないように思う。

自分は、神や菩薩を素朴に信仰できたなら、どれほどか楽であったかと思う。
科学とは、答えのない問いには答えないという潔くも救いの無い学問でしかない。
そこにしか帰依できないものは、死が脳を停止させるまで、延々と考えることを続けるしかないのかとも思う。

既存の哲学に安息を見出すのならば、それもまた信仰の一形態であって、やはりその幸福な態度に対し、淡い嫉妬の念を抱くのである。
自分が決してそこに至らないことを知りつつ。
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by antonin | 2006-12-18 05:49 | Trackback | Comments(6)

そこのあなた、Person of the yearに選ばれてますよ!

今年の人は「あなた」 米誌タイム(共同通信) - goo ニュース

アメリカとは非常に懐の広い国であり、ネオコン連中が政権を取ったりする一方で、ちゃんとそれを批判して民主党に上下両院の過半数を与えるようなバランス感覚も兼ね備えている。上の記事もそうしたアメリカの健全な一面を垣間見せる、非常に良質なウィットに思える。表紙にはPCが写っており、そのディスプレイ画面は鏡面処理されていて、Time誌を手に取った読者の顔が映るようにできているのだという。
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by antonin | 2006-12-18 00:09 | Trackback(1) | Comments(0)

散財記

ついにボーナスが出てしまった。
あとは散る一方。

今期最後の散財。

自宅から歩いて2分のイトーヨーカドーに入っているテナントから割引セールの葉書が来たので、ズボンを新しく買うことにした。ここ数年はユニクロの3本いくらのズボンを夏も冬もなくはいていたのだが、さすがにヨレてきたので、少々オジサンらしくスラックスっぽいのを買うことにした。学生時代にも塾講師のバイトに合わせてそれらしいのを持っていたのだが、10kg近く増量してしまった今の体には合わない。今日試着してみると、ウェスト82cmあたりがちょうど良かった。

スラックス1本に、セーターだかなんだかわからないがジッパーネックの化繊の服が¥2,000弱だったので併せて買ってみた。両方で¥8,000と少し。これでしばらくなんとかなるだろう。

料理とか衣服とかに猛烈な関心を寄せる人がいるが、どうも衣食住のような根源的な欲求には、ある一定の水準以上を求める気が起きない。上記のとおり、その一定水準というものも決して高いものではない。というより、現代においてはあからさまに低い。では何かこだわっているものがあるかと問われると、かなり苦しい。

何か一点くらいこだわりが欲しいところではあるが、年齢的にも、もうこのままこだわりなく過ごしていくのが案外安楽なのかもしれない。
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by antonin | 2006-12-10 23:57 | Trackback | Comments(8)

改憲論の果て

憲法改訂の議論を通じて、図らずも

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価値観というのはな、理屈じゃなくて、感情で決まってしまうわけだ。
感情といっても、その時々の気分ではなくて、若い頃にだけ体験できる強い刺激で、もうどうしようもないくらいに決まってしまって、あとから どんなに理屈をこねくりまわしても、その価値観を変えることは難しい。
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という自説を裏付ける結果となりました。

日本に自国防衛以外の交戦権を認める場合、この先50年で何らかの争いに巻き込まれることは必定でしょう。それが現在のような武力戦になるかどうかはわかりませんが、ともかくわが国の形態がある程度のダメージを受けるような事態になる可能性は非常に高いと言わざるを得ません。

結局私は日本の国体に興味があるのではなく、家族の将来にのみ興味があるので、もし事態が切迫すれば積極的に国を捨てる覚悟です。もし可能ならば国の再興と同時に子供たちの将来を幸せに導ければ良いかと考えていましたが、だんだんとその望みは薄いような気がしてきました。

日本に積極的な交戦権を与え、敗北を通じて硬直した国体を組み替えるというドラスティックな変革も確かに有効な方法ですが、それには大きな犠牲が伴います。できれば現状をなるべく維持した状態で、時代に合わない部分だけ速やかに変えるべきだと主張しました。しかし、そもそも憲法に対する現状認識が、政権与党に食い込んだ宗教勢力や感情的な平和論をかざす勢力によって歪曲され、正しい判断が難しいという状況があります。

買った家でおとなしく老後を迎えられるのか、家族とともに戦略的価値の低い他国に亡命し、ユダヤ人や華僑のように知恵と経済力に頼って異国の中で生き延びる手段を選ぶか、そうした選択肢を握っているのが安倍政権と国民投票であるというのが、私の認識です。

どうか、もう一段引いた目線で改憲論議を見ていただくよう、最後のお願いをいたします。
この論、当面中止とします。
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by antonin | 2006-12-07 05:21 | Trackback | Comments(7)

姉と弟

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ムスメ 当時9ヶ月、ムスコ 現在10ヶ月。
ともに歩き始めの頃。
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by antonin | 2006-12-05 23:15 | Trackback | Comments(13)

偽善

World Vision Japan

国境なき医師団日本

今日の日の記録として。
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by antonin | 2006-12-04 23:27 | Trackback

もみぢ

職場の駐車場脇に、カエデの樹が。
こんなところに植わっていたっけ。
12月って、紅葉の季節だったっけ。
今朝、この冬初めて車が凍結。

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もし生まれ変わるなら、私は貝になりたい。
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by antonin | 2006-12-04 22:50 | Trackback | Comments(2)


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