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右脳チェック

某所でピックアップされていたのでやってみた。

右脳育成 右脳チェック 未来スクールパスパルMIRAI:静岡県の学習塾、英会話教室、右脳トレーニングのMIRAI

●あなたの頭脳タイプ <Db型>
新世界創造タイプ
あなたは既に何らかの形で、代表か社長またはリーダー的存在で活躍していることでしょう。
ニュートンやアインシュタインなど既成の価値観を覆す大発見をした人は だいたいこのタイプに該当します。あなたも将来誰も思い付かなかった法則やシステムを発見・発明して世間をアッと言わせるかもしれません 。
逆転的な発想・転換型の思考力をもっているので、理科系の公理をベース にした仕事を推進してこれに新しいアイデアを加え、思いがけない新職業や新療法を、また新しい法則などを是非つくり出してください。

[相性判断]
◇あなたをもうひと回り大きくしてくれる人はBb、Ca、Cb、Ccの人達です。 既にこの力もお持ちのあなたはどこの社長さん?

●あなたの知能領域(考えたり憶えたりする材料 )
あなたは、数・音・色などを材料に
『記号的にとらえ』考えたり憶えたりする能力に優れています。

●あなたの知能活動(どのように頭を働かせるか)
『転換的思考型』
ひらめきが良く、逆転の発想などまったく別の角度からの視点をもって 考えられるタイプ。発見・発明タイプ。


はぁ、社長ねぇ。まだ平社員ですが。まだというか、もう会社員辞めようかと。適当に資格でも取って、やんわりと世間を漂いたい年齢になってきました。家族は迷惑だろうが。

確かにアルベルト・アインシュタインの叙述などを読むと、思考パターンに近いものを感じる。けれども、彼は集中して取り組む「天職」を若くして見出したから天才と認められ大成したが、私はそうではなかったし、そもそも範疇として似ているだけで質はずっと低いのだからして、同じような成果を挙げるのは無理だろう。ちなみに全く反りが合わないのがトマス・エディソン。1日3時間しか眠らない奴とは一緒に仕事はできない。

安敦誌で散財記として記録しなかったが、昨年に例のショッピングモール内の書店で岩波現代文庫の本を買った。

「中国喫茶文化史」 布目 潮渢 著, ¥1,260(税込)

この本は要するに中国茶の歴史に関する本なのだけれども、著者の布目さんは唐代を中心とした中国史のエキスパートで、特に文献学に豊富な経験を有していて、そうしたバックボーンを駆使して中国における喫茶文化史を解説してくれる。その中心軸に据えられるのが、唐代の「茶経」という文献で、現在では宋代の版本が残されているという。

そしてこの茶道の源流とも言える「茶経」を著した陸羽という人物がまた変人で楽しい。茶経以前の茶の歴史というのはほとんど知られておらず、茶が流行したので高い税金を掛けたら不評だった、という程度の記録しかないらしい。それが一躍、茶の産地のランク付けから茶葉の加工法、それに湯の立て方から茶道具、茶室に至るまで事細かに規定された茶経が著されるに至る。この本は、陸羽の一代記と読むことも可能である。

陸羽は仏法僧に拾われた捨て子という出自になっていて、それが経典を読み進めるうちに儒家の書に出会って仏法に満足しきれなくなり、ついに寺を飛び出す。しかしなぜか劇団の主演俳優かつ演出家のような役についていたり、それが中央から左遷させられてきた人物に認められて正式に学問を修めている。同様に中央からやって来る知識人となじみ、楷書の美を打ち立てた顔真卿からは「三癸亭」という庵を贈られたりしている。

まぁこの陸羽という人は詩や演劇に秀でている芸術家肌の人なのだけれども、社会の主流から外れ、適当に文字でも垂れ流し、あとは知人に文物を贈ってもらいながら細々と生きられたらいいなどと思う。けれどもまぁ、人にそうさせるだけの才能が無ければ単なるホームレスとなって終わりだろう。困ったもんである。

何かいい食い扶持はありますですかねぇ。
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by antonin | 2007-02-24 21:08 | Trackback | Comments(0)

13年前の落書きが出土(続編)


YOMI >go sci1

- YOMINET - ニュース討論 LAST#1532 SCI1

番号 [ タ イ ト ル ] ID [ Entry at ]
------
1528*[貞節 ] yrk8435 [ 94/09/13 12:41 ]
1529 [ただいま ] yrk9148 [ 94/09/13 23:29 ]
1530 [おかえりー>安敦 T/O ] yrk9589 [ 94/09/14 00:00 ]
1531 [テーソーの問題 ] yrk9589 [ 94/09/14 00:01 ]
1532 [つづきだ。 ] yrk9589 [ 94/09/14 00:06 ]
------
番号:読む W:書く D:削除 T:トップメニュー P:前画面 H:ヘルプ OFF:終了
YOMI >w

- YOMINET - ニュース討論 LAST#1532 SCI1
タイトルを入力してください。
タイトル:3166 Bytes
本文を入力してください。(最後:/E)

『典型的な』

流れる。淀む。堆積する。露出する。湿原、草原、森林。

安定する。豊かになる。寛容になる。淫らになる。混乱する。征服される。
安定する。

湿原を保護しようとする人がいるが、いずれは消えるのが自然な湿地にばかり
執着して、池や沼や火山に無頓着な人も多い。美しい女性ばかりを保護しても
いずれはおばさんになってしまうのであって、小中学生が誘拐されないように
しなければ意味が無いという話とはちょっと違うか。

この国の歴史を見てもわかる通り、ああいった循環は、典型的なものからそう
でないものまでいろいろあるけれど、とにかく起こっていると思う。今現在を
見ると、第4期後半に入ったところではないか。私が生まれた頃が第3期の初
期だったと思う。米国は日本に比べてちょうど一期ほど先を進んでいたように
思える。今もそのようだ。韓国が半期から一期日本に遅れているか。

ガス雲。赤外星。主系列星。巨星。矮星(中性子星・ブラックホール)。

このうち混乱しているのがガス雲で、安定しているのが主系列星。質量の大き
い恒星ほど安定期が短い。中心の密度が高くて反応が早いかららしい。諸行無
常と言っても、安定期に低密度を保っていれば、近似的な定常状態にいること
もできる。がむしゃらに働いて高度成長しなければ長期安定でいられたものを、
と言ったら失礼かもしれない。安定と言ってもスイスの山奥のような安定だけ
れども。安定でいられるのは豊かになるまでだから。

最近の若い人たちも、テレビで言っているほど淫らでは、たぶんない。でも、
みんながそんな事してると言われれば、罪悪感が分散されていずれはそれに近
く、たぶんなる。ここまでくればおそらくそれを止めることは不可能だろうと、
20年そこそこの経験は予測している。それではテレビに文句を言うことは無
駄かというと、そうでもないと思う。倫理観の変化は人間の寿命に比べて十分
に長い時間を掛ける必要があるから。でもその程度ではないンジャナイノか。

大きく距離を置いて見ると、何事も似たり寄ったりになってくる。個々の事は
統計的なガウシアンノイズに化けてしまう。大きく距離を置いて、置いて置い
て置きまくると「諸行無常」などと一言で片付けられるようになるのだろう。
確かに合ってはいるが、そこまで行くと個々の世界では使い勝手が悪い。あっ
さり一般的なことを言っても、自分の息子がゲイになるとか、自分の娘が裸で
うろつくとか、そんな事を考えると頭が痛いのが一個体のつらいところである。
単一粒子にとっては統計的データなんぞ意味が無い。



先にカリスマの典型について書かれていた。そういう人たちに限らず、どのよ
うな人でもなにかしらの典型に当てはまるものと思う。変わり者にしたって、
視点を変えれば「典型的な変わり者」の性質を必ず持っているはずである。

ここ数万年ほど、ヒトの根本的進化はないらしい。成人の脳では、脳味噌に入
力されたある程度異なるデータを一つのものとして扱うようにできている。そ
の機能のおかげで、何やら複雑な外界を効率よく処理できる訳だけれど、また
同時にどれかのパターンに放りこまずには処理できないというおまけまで付い
てしまった。

無限の可能性なんぞと言っても、ヒトの典型的パターンのうちどこに引きずり
込まれるかを待つだけのような気もしてきた。そう考えると悲しいが、この夏
は楽しいことがたくさんあった。そして夜が明けると力学の試験だ。


Antoni'n L. Kawan~o (安敦)

.

編集を行いますか? (y/N)
メッセージを登録しますか。(Y/n)>
登録しました。


学生時代にいつもこうした不明な文を書いていたかというと、そうでもないのだけれども、今よりは機会が多かったような気がする。

上質な議論というものから遠ざかって久しい。正直に言って、議論というのはそれ自体が娯楽でもあって、渾身の論説に対して優れた論駁で足元をすくわれたりすると、悔しいというよりむしろ感心する。ただ、勝つこと、意見を通すことが重要である場面も確かにあって、そうした場合には楽しんでいる場合ではなくなるのだが、他愛の無い論戦で積んだ経験がそうした場で生かされるのだとも言える。

サッカーの日本代表がワールドカップに出場すれば、当然に勝つことが期待されているのだが、そこで選手個人の強さを支えるのが、どれだけサッカーを楽しんできたか、どれだけの強敵と交わってきたか、どれだけ競い合えるチームメイトに恵まれたかといった、そうした経験であるということもまた真実なのだと思う。それは、単に技術的なことだけではなく、選手の性格や、ときにはレフェリーの性格までを読み取り、限界ぎりぎりのルール解釈をして攻め上ることなども含まれる。

そうした緊張感あふれる論戦を組みたいような気もするし、家庭でヌクヌクとマイホームパパに徹していたいような気もするのだけれども、今のところ、どっちつかずという感じである。ちょっと理屈っぽい4歳のムスメに論戦を吹っかけ、異常にタフな議論をする女に育ててしまったりしたら、きっと恨まれるだろう。いや、猪熊柔の父のように、まだ小さい娘に言い負かされて、私は放浪の旅に出てしまうかもしれない。それはそれで面白いが。
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by antonin | 2007-02-22 00:53 | Trackback | Comments(10)

13年前の落書きが出土

休止宣言をしておきながら、連日の投稿。
まぁ、いいじゃないですか。

ちょっと、昔の自分がどんなものを書いていたのか気になって、ディレクトリ階層の奥に眠っているアーカイブを展開して検索を掛けてみた。あったあった、13年前。若造であります。内容的には案外変わっていませんでしたね。成長していないということか。先日挙げた「人生を変えた一冊」のうちのひとつを読んだ感想文というか、なんだかそんな感じのものです。


No.1461/ 登録者:安敦 (yrk9148 ) 4261 字 [94/07/15 00:48]
--------------------
インテルメッツォ (長いぞ注意)
--------------------

『脳の死・脳の生存』

今週の試験がひとまず片付いた。来週はもっと大変だろう。ま、いい。

試験前日、思わず本を買ってしまった。試験はおろか、どんな授業にも関係の
無い内容であるあたり、実に困ったもんだ。『唯脳論』という本で、東大の解
剖学の先生が書いた本らしい。最初は『利己的な遺伝子』をいよいよ買おうか
と思っていたのに、ついついこちらの方に気をひかれてしまい、またも『利己
的な遺伝子』は後回しになってしまった。

この本は、読んでいて本当に楽しい。それはこの本が特にいい本だからという
訳ではなくて、単に著者の考えと自分の考えが非常に近いところにあったとい
うだけの事だろう。きっと世の中そんなもんだ。

一人で考え事をしていて何か結論っぽいところに行き着き、「お、これは結構
面白い事になったぞ」などと思っていると、後で書物を調べた時に、たいがい
どこかの誰かがずっと完璧な形で理論に仕立てているのを発見して、悔しい思
いをすることになる。しかも何十年前、もっとひどいと百年以上前の業績であ
ったりする。

今回も同じ様なことがあった訳だが、今度は自分でもそれ程煮詰まっていなか
ったので、悔しい思いはしないで済んだ。しかも相手は5年前に発行の本なの
で、数十年前に比べればいくらか進歩したことになる。

では少し内容を引っ張ってこよう。

この著者さんは解剖学者なので、結構強烈な話題も出てくる。中には過激な事
をする人もあるもので、そんな実験の話が取り上げられている。その実験とは、
仔ネズミの頭を切り落とす事から始まる。これだけでも普通の人間にはなかな
か強烈な事であるが、これはほんの序の口である。

次に、切り落とした頭を室温で1時間ほど放置する。信じられないことに、こ
の程度の時間ならただ放っておいても、ネズミの頭の細胞はまだ生きているら
しい。ただ脳細胞だけは別で、酸素とブドウ糖のどちらかが不足しただけで急
速に死んでゆく。・・・はずなのだが、またも信じられないことに、下手をす
るとこの頭が実験者の指を噛むこともあるらしい。1時間放置しても延髄の一
部が生き残っているのだそうだ。脳を全滅させるのに、2時間半は必要だとい
う。逆に言うとこんなに置いてもその他の細胞は生きているということで、こ
れにも驚いてしまう。

さて、ここからが仕上げなのだが、この脳死状態の仔ネズミの頭を、別のネズ
ミの脚の付け根に移植するのである。ネズミの脚の血管を、脳死ネズミの頭の
血管につなぐのである。いったい何のために脳のない頭を別のネズミに養わせ
るのか、その本来の目的は「全く運動を行わずに骨格・筋肉を発育させたとき、
正常な場合に比べどのような違いが見られるか」だそうだ。

ここで著者の意見がどこへ向かうかというと、「脳死の先をゆく問題」になる。
どういうことか。人の脳の状態だけが失われたとき、「脳死」として人の死と
して認めたとする。では、健康な脳だけを残して体の他の部分が死に瀕してい
るとき、もしも医師が「せめて脳だけでも救おう」としたらどうなるか。人格
を失った肉体も生死の判断に困るが、肉体を失った人格はどうすればいいのか、
ということらしい。

どうしたらいいんだろうか、というところまでは著者は語っていない。あんた
達が考えなさいというところなんだろう。私なら・・・、最低限の入出力機構
が残されていない限りは、そんな事はしないでもらいたい。人格のように高度
な情報処理の産物は、ほとんど脳の中に閉じ込められている。ここに刺激の入
力が無いとすれば・・・。

心理学の実験の方で、こんなのがあった。ある人を、暗室に閉じ込める。それ
もただ閉じ込めるのではなくて、いっさいの刺激から隔離されるよう、目隠し
をし、手足の先には物の感触を避けるためにカバーがしてある。その上部屋は
音を吸収する無音室になっている。こんな環境に置かれると、人は数時間も耐
えられず、2・3日で錯乱してしまうという。切り離された脳なんてのは、こ
の無刺激環境の究極版ではないだろうか。脳だけ生かされて、人知れず錯乱し
ていくなど絶対に嫌だ。

抜き取ったCPUに価値があるのは、再び装着できる本体がある場合だけだ。
Pentium でも Power-PC でも SPARC でも、単体では腕時計より意味が無い。
しかも、切り取られた脳味噌が、かつての人格を載せたまま徐々に暴走を始め
るという困った物だとすれば、おとなしく成仏させてくれるお医者様が一番、
そう思うのだけれど、どうだろう。

この本、しばらく楽しめそう。
養老孟司:『唯脳論』 青土社 1600円
(専門書ばっかり見てると安く感じる↑(;_;))
決して脳死問題の本じゃないです。脳死はほんの一部。


血生臭い間奏曲
Antoni'n L. Kawan~o (安敦)

--------------------
番号:読む W:書く D:削除 T:トップメニュー P:前画面 H:ヘルプ OFF:終了
YOMI >


No.1462/ 登録者:安敦 (yrk9148 ) 5939 字 [94/07/15 00:49]
--------------------
アレグロ・モデラート (もっと長いぞ危険)
--------------------

『向井さん、宇宙へ』

「地球は青かった」などと最初の人は言いましたが、今までに地球の外に行っ
た人たちは、みんな何かしら心境の変化を起こしたらしいですね。

地球という星が特別なものなのは、なぜでしょうか。この宇宙には無数の天体
があり、この地球もそのひとつにすぎない、とも言えるはずです。液体の水が
多く存在するからといって、液体のアンモニアに恵まれた惑星と比べて特にま
さっているとは思えません。それなのに私たちが地球とその他の星を、これほ
ど厳密に区別するのはなぜでしょうか。

ここで理由付けは色々できるとおもいますが、ここではそのひとつとして、
「人間は地球だから」というのを理由として挙げることにします。人間は地球
というのは、もっと普通の言い方をすると「人間は地球の一部だから」となり
ます。人間は、自分の属する天体と自分の属さない天体、というように地球を
他の天体から区別することができます。

最近でこそ一部の人間が地球の(ちょっと)外に出ることができるようになり
ましたが、長い間そんな事はとてもできませんでした。もっと面白いことに、
人間は地球の一部であるがゆえに地球の姿を内側からしか見ることができず、
地球が天体のひとつであるということにすら気付くことができませんでした。

その人間が、地球の一部であることを一時的にやめて宇宙に出たとき、他の天
体とは決定的に違う天体であったはずの地球が、他の星よりちょっときれいな、
しかしひとつの惑星にすぎないと気付き、考えが変わるのでしょうか。

もうひとつ、内側にいて見えない世界の話を。

「自分」というものをよーく考えたとき、「自分」である範囲が、実ははっき
りしないような気がします。普段私は自分のからだ全体を「自分」だと思って
います。しかしこれは総合的な自分であって、この中にはもっと色々な自分が
あることに気付きます。

初め、からだ全体が「自分」と言いましたが、もっと「自分」に近いところは
ないでしょうか。女性はよく「痩せたーい」と言います。普通に生活している
と、理想のプロポーションを頭に思い浮かべていても、それに反して肉が付き
ます。そこでからだへの栄養補給を減らし、肉を落とします。この場合、肉を
付けようと働く自分と、落とそうとする自分に別れますが、どちらがより「自
分」に近いでしょうか。おそらくあとの方でしょう。

ものを見るとき、それを見ているのが「自分」です。目を寄せると、鼻が見え
ます(見えないという方、残念でした :-b)。ということは、鼻は「自分」の
外に居ます。それを見ているのは、目です。目は口ほどにものを言う、といい
ますが、とはいえ、2つの目玉こそが「自分」そのものだ、とは思わないでし
ょう。目に入った情報が行き着く先はどこかといえば、それが脳です。脳味噌
こそが、真の「自分」なのです。一件落着。

と、簡単に済ませれば話は楽ですが、そうはいきません。うまくやって自分の
脳を見たからといって、「おお、これは私そのものじゃないか」とは、誰も思
わないでしょう。はて、結局どこにも「自分」はいませんでした。こうして考
えている「自分」とはいったい何なのか。なんと実体の無いソフトウェアーだ
ったのです。(ただしコンピューターとは互換性が無いのでお宅のパソコンで
は走りません。あしからず。)

さて、実体が無くなってしまうとなんとも心許ない。自分はしっかりと存在し
ていると思ったのに、どこにも実体は無かった。もう「現にこうやって考えて
るんだから、自分が存在するに決まってる。」と思うしかないでしょう。シクシク
でも、ちょっと面白いとも思うのですが。種類はかなり違うものの、「自分」
も「パソコンソフト」も、どちらも脳細胞やトランジスタに載っかってはいる
けれど実体は無い、ソフトウェアーだったのです。しかも、こっちの方は

ソフトウェアー自身

なのです。ソフトウェアーの動作を外から見ることはあっても、自分がそのソ
フトウェアーに感情移入することはできないと思っていたら、何と自分自身が
ソフトウェアーだったのです。ここらで結構頭が飛んできたので休みましょう。

自分に実体が有るとか無いとかは別にしても、自分の意識が自分のからだの外
に出ることは(普通は)できません。幽体離脱というのもありますが、あれっ
てどうなんでしょうか。個人的には、日頃から「外から見たらどうなんだろう」
と想像し続けることにより、夢の中などで実際に体験できたような感覚におち
いっているにすぎない、と考えているのですが。

幽体離脱は別としても、自分の意識を自分の外に引き出そうという技術は少し
ずつ発達してきているように思います。初めは鏡。これで、今まで知らなかっ
た自分のからだの姿というものを外から眺めることができます。レコードでは、
自分の話し声を外から聞くことができます。映画やVTRでは、自分が(今現
在の自分の動きとは無関係に)動く姿を外から見ることができます。これらの
体験は、人間の「自分」自身に対する考えに大きく影響すると思います。

VTRを超えて、自分自身を外から見る手段はあるのか。今までの技術が見せ
たのは、同時進行、または過去の記録である「自分」です。それ以上のものと
は? といえば、「もうひとりの自分」でしょう。これをどのように実現する
かはわかりませんが、例えば「過去の会話パターンからそれらしい会話をする
機械」はどうでしょう。この機械に自分の会話パターンを記録して、あとで再
生モードにして自分で話し掛けるのです。機械は完全な真似はできなくても、
それらしい雰囲気を再生するぐらいのことはできるとします。

その「自分もどき」に話し掛けると、機械は記録した人をまねた会話を始めま
す。自分では「こんなの似てないよ」と言っても、周りの人には「そっくり」
と言われてしまうような経験をするのではないでしょうか。自分もどきに向か
って「なんだその態度は」などと思ってしまう人は結構多いのではないでしょ
うか。

自分のからだを特に親しく思うのは、「自分」が自分のからだの一部だから、
「自分は自分だから」。

脳の中に精神をどんどん増殖させて精神の文化レベルを高めると、脳味噌の外
に新天地を求めて精神が出ていく「精神エクソダス計画」が起こるとすれば、
目の前のコンピューターの中で動いているソフトウェアーが、その開拓民の姿
なのではないでしょうか。初めは脳味噌側が優位だけれど、相手が発展してし
まってもなお御主人様気分でいると、独立戦争を吹っ掛けられたりして。


# 特に引用はしませんでしたが、この内容を思い付く引き金となったのは前の
# 書き込みに挙げたのと同じ本です。

Antoni'n L. Kawan~o (安敦)

--------------------
番号:読む W:書く D:削除 T:トップメニュー P:前画面 H:ヘルプ OFF:終了


「インターネット」になってからのチャットは全て蒸発して消えてしまったのだけれど、3分10円を払って挑んでいたパソコン通信時代のチャットなんかは、数年分が全部残っています。不思議なもんですね。このblogも、如何に保存するかがちょっとした課題なんですが、何かいい手はありますでしょうか。
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by antonin | 2007-02-21 00:38 | Trackback(1) | Comments(2)

『ヒトラー ~最後の12日間~』 視聴記

「ヒトラー ~最後の12日間~」 パソコンテレビ Gyao

当初の予想以上にネットに接続できる時間が取れています。その貴重な時間を、Gyaoに費やしてしまいました。もう少し価格が安くなったらDVDを買うしかないな、と思っていた映画が、Gyaoで無料放映されていることを知り、全編見ることができました。

しかしIE7では不都合が多く、CMの前後で再生がストップしてしまうというアクシデントに見舞われました。そのたびに頭から見直しです。解決法としては、インターネットオプションでコイツ↓
b0004933_15552447.gif

を選択してインターネット一時ファイルの使用量の上限を200MBに設定するというのを突き止めるまでに、映画「バベル」の予告編を20回は見ましたか。本編は飛ばせてもCMは飛ばせないので。作品を見終わった感慨のうち、62%くらいは謎解きをしてRPGを無事クリアしたような達成感だったというのは秘密です。機会があれば2周目に挑戦してみたい。(余計な邪魔無く作品を鑑賞したいともいう)

で、残りの38%ですが、こちらも秀逸でした。ドイツ人らしい透徹したヒトラー観ですが、実際あの国では、これ以外の描写が、今日も許されていないのでしょう。

監督は極めて透明な視点を自らに課したでしょうから、ヒトラーを悪魔のように憎んでいる人間にとっては、あっけないほど弱々しく矮小な人間に見えたでしょうし、ヒトラーを神のように崇拝している人間にとっては、直視しがたいほど自己中心的で矮小な人間に見えたことでしょう。結局史上の大悪人である「第三帝国総統」もまた、人間でしかないという当たり前の事をまっすぐ見せてくれる優れた映像でした。

もちろん、戦後的な視点の代弁者、命を粗末にする戦時観を対象化して見ている登場人物が劇中にあって、特に戦場のシーンなどでは一般的な現代人はそこに感情移入することで映画の舞台を内側から眺めることができるわけですから、到底完全な透明にはなりきれないのですが、そこはむしろ必要な演出でしょう。芸術的にも政治的にも。

戦争は狂気であるというようなことをよく言いますが、本作のような戦争記録を見るとおおむね戦争は正気で行われていることがわかります。たとえばジャイアンツが憎たらしいから今夜はやっつけてくれと願う気持ち、願いが通じて勝ったら嬉しい気持ち、負ければ悔しい気持ち、負けても次こそは勝つぞと励まし合う気持ち、その振幅が少しだけ大きくなった先に戦争の心理はあります。ただ違うのは、勝っても負けても人が死に、町は焼かれるというだけのことです。

戦争は狂気だから、自分たちの正気を思えば戦争など遠い話だというのは、きっと勘違いなのだと思います。何でも許してしまえば人は増長しますが、憎しみばかりを見せれば平和は音も立てずに消えます。消えたことすら気付かせることもせずに。ゲッベルス夫人のように振舞ってしまうのを避けることは、案外に難しいのかもしれません。

3月1日正午まで無料放送中。
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by antonin | 2007-02-19 02:22 | Trackback(1) | Comments(0)

おしらせ

昨年6月7月と同じ事情で急遽2ヶ月ほど生活環境が変わることになりましたので、しばらく安敦誌の更新を停止します。ネットワークに接続する機会そのものが減ることが原因であり、まったく何も書き込まないというわけではなく、もし時間が取れれば何か書き込むかもしれません。特にペンディング事項である3/2進法については機を見て仕上げたいと思います。

また、SPAM対策としてトラックバックを一時的に禁止します。復帰後に解除する予定です。
よろしくお願いいたします。

Comment without Japanese character is denied temporarily.
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by antonin | 2007-02-13 17:47 | Trackback | Comments(3)

日本史を学びたい

夏のボーナスが出たら日本史関連の本を買い集めよう。今はちょっと積ん読が多すぎて手一杯だ。できれば塩野姉さんのような語り口で通史を20冊程度にまとめて読ませてくれる本があればいいのだけれど、そうしたものがあるだろうか。

日本の歴史は長いが、文字として残された歴史はそれほど長くない。天皇家のご先祖様であるヤマトの一族が武力で西日本を平定し、大陸の朝廷と国交のようなものを樹立するあたりからそれは始まる。そもそも天皇は、ラムセス2世のような武闘派の「オオキミ」だったのだろう。それが諸国平定あたりから武力統治は臣下の仕事となり、オオキミは宗教的なシンボルとなる。このあたりもエジプトのファラオに似ている。

そして天皇周辺の諸氏が覇権を争い、特に仏教伝来あたりではひどい宗教紛争になった。結局仏教を推す蘇我氏が力を握ったが、どういう流れか宗教面では神仏和合という結論になった。このあたり、おそらく国教派の政治的な巻き返しがあったのではあろうが、あるいは「ワ」国を名乗ったヤマト一族の原特性と言えるのかもしれない。

そして鎌足あたりから藤原氏が中枢に食い込み、道長の世ではいったい誰がオオキミなのかわからないほどの隆盛を見せる。そして沈み始めた藤原の栄華とともに、貴族諸氏の紛争が再発するも、その戦いは専ら源平のモノノフによる代理戦争であり、ついには平氏が直接中枢に入り、平氏に非ずは人に非ず、となってしまう。

しかし面白いのは、ここまでの歴史で決してオオキミが廃位になったり取って代わられたりしなかったこと。これは世界史の常識では考えられない。おそらくオオキミの宗教的な権威がそうさせたのだろう。コンスタンティヌス以降、どんな皇帝も大王も法王を廃絶することはなかった。違いといえば、法王は本来生涯童貞であることが求められるのに対し、オオキミは男系男子の系統であることを求められたというところだろう。

そして平氏が源氏に倒されると、オオキミの臣であり東の蛮族を征服する武官という位である征夷大将軍が実質的な日本国王になった。しかしここでもオオキミの系統は存続する。あとは目にする機会の多い歴史でもあるし、また不勉強でもあるので書かないが、天皇家にどのような価値があって平安京は千年府となったのかという点には興味がある。


日本の歴史だけが特別素晴らしいわけではないが、国の外に出れば私たちは紛れもなく日本人なのであって、自分の国なり民族なりの歴史を問われて答えられないというのはかなり恥ずかしい事態だろうと思う。一応日本史の基礎レベルは押さえておきたいが、中学高校で使った年代用語集のような無味乾燥な丸暗記をするには歳をとりすぎた。できれば観光地をめぐり観光ガイドの話に耳を貸しながら覚えられると一番楽しいのだが、そうした余裕もない。

何かいい読み物はあるだろうか。
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by antonin | 2007-02-12 16:03 | Trackback | Comments(2)

仮説メモ1

自分のためだけのメモ。

以下の記事に関連して。

数字が語る現場の疲弊 - 日経ものづくり - Tech-On!


間接税である消費税とは商取引に対する課税であり、主に物品に対する課税である。旧物品税のような高率課税は酒税タバコ税自動車関連税などわずかを残すだけであり、他の一般間接税である消費税は低い水準にとどまっている。

直接税である所得税および住民税は給与に対する課税であり、人間の労働対価に対する課税となっている。また実質的には年金や健康保険の企業負担分なども直接税の一形態とみなせる。

直間比率是正を目的として消費税が導入されたが、国民の反対のために消費税率は依然低い水準にとどまり、直接税の比率はむしろ上昇している。これを言い換えると、モノに対する課税は低く、ヒトに対する課税は高い率が採用されている状態が長く続いてしまっている。

つまり、ヒトとモノのコストパフォーマンスを比較すると、ヒトのそれが当然低くならざるを得ない。したがって、必然的に労働者に対しては、つねにより高いコストパフォーマンスが求められ続ける。(果てのない努力目標、人的余裕のない職場)

モノ課税主体の間接税を引き上げ、その税収でヒト課税主体の直接税類を引き下げれば、ヒト/モノ間のコストパフォーマンス比が改善され、設備に投資するより人に投資したほうがコスト的に有利という合理的経営判断がなされうる。

具体的には自動車関連税をほぼすべて廃止し、消費税率を30%程度までに引き上げる。そして年金や健康保険等の実質所得税となっている社会保障負担を低い水準に引き下げる。すると人材派遣等のアウトソーシングをして高率の消費税を負担するよりも、社内に人材をプールして直接税負担したほうがコスト面で合理的になる。(北欧式の税体系)

したがって、人的労働環境は改善する。
以上。

(政治経済タグは今後適用しない)
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by antonin | 2007-02-12 00:43 | Trackback | Comments(2)

ボンクラテスの弁明

昔ギリシャのアテナイにソクラテスという男がいたが、あれは賢人ではなかった。ただ単にアマノジャクな性質の男であった。常識的で賢い妻を娶ったが、常識的とはアマノジャクな男がもっとも忌み嫌う性質であった。社会の礎である常識を、疑うというよりむしろ積極的に否定し、非常識な視点を説いてまわる男であった。社会の基礎を揺るがすことを声高に述べ続けるこの迷惑極まりない男を、人々は遠ざけるようになった。

常識的で堅実な大人たちに疎んじられたソクラテスは、そこそこの常識は学んだもののまだ経験の浅い少年たちを捕まえては、肉欲におぼれる男女の関係より、私と君の精神と精神の関係がよほど美しいじゃないかなどとたぶらかし、その少年の、一枚のカーペットのように軟弱な常識の端々をペロリとめくり上げては、常識とはこれほどもはかないものであり、私たちは何も知らないのだと説いた。この男はこうした少年を次々に捕まえては有害な会話を繰り返し、大人たちに向けた本など一冊も書かなかったのである。

多くの少年はソクラテスの常識外れの話を無視し、健全な大人に成長したが、数人の少年たちはそうしたソクラテスの話にすっかり毒されてしまった。彼らが成人すると、アテナイの社会の礎である常識を、石畳のように有益なものまで次々にめくり上げる狼藉を繰り返した。あのソクラテスはいまだ懲りずに若者と非常識談義を繰り返していたから、世の常識的な大人たちは、この非常識で、若者とアテナイの街にとって有害極まりない男を、毒殺の刑に処した。

しかし常識的で賢いアテナイの大人たちのことであるから、本気でソクラテスに死を命じたのではなかった。刑には執行猶予を与え、その間の逃亡を当然のように許していたのである。これはやや重い追放刑でしかなかったのだ。しかし、ソクラテスは非常識の男である。「悪法もまた法である」と憎まれ口を残し、本当に毒をあおって獄中で死んだのだ。

そして、迷惑な男はアテナイから永遠に去った。しかし、彼の語りに毒された若者の一人に、ひどく賢く、また弁の立つ男が含まれていたのは、アテナイにとってきわめて不幸であり、そして後世の人間にとっては、この非常識な男の記録を野次馬として楽しむという娯楽が残されたという意味で幸いであった。

この肩幅の広い男は、「プラトン」とあだ名された。日本人にたとえれば「ひろし」というところだろう。プラトンは、若い日に聞いたソクラテスの話を美化し、そこに自分の考えを込め、いくつかの不思議な会話文を残した。これが今日知ることのできる、非常識男ソクラテスの記録である。

ソクラテスは、あるいは天才だったのかもしれないが、あまり益のある男ではなかった。特に同時代人にとっては迷惑以外の何ものでもなかっただろう。こうした非常識な男の話に耳を貸すのは、おそらく思い上がりの激しい青年と相場が決まっている。そして、非常識を得た青年は、時にソクラテスを上回る害ともなり、あるいは多少の益ともなる。どちらにせよ、プラトンのような逸材が受け手に回るのでもなければ、確実に害となる。

ソクラテス以下のボンクラテスは、常識を巧みに操る大人たちに虐げられたからといって、非常識話に耳を貸す若者を探しに、決して学園をさまよったりしてはいけないのだと歴史は示している。
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by antonin | 2007-02-11 22:35 | Trackback | Comments(0)

戦争と貧困 その光と影(4)

最後に、タイトルのとおり戦争の話をします。

すでに述べたとおり、苦境の中で人は助け合い、優しさを見せます。これは素晴らしいことです。そして、人類にとって典型的な苦境とは、貧困、餓え、病気、戦争です。これらの苦境の中で、人は多くの涙を流します。その多くはつらさ、悲しさによる涙ですが、より多くの涙が、人の優しさや愛情に対して流されます。それが人間です。

昔の人は言いました。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と。その苦労が人を強くし、また優しくするのです。しかし一方で私は思います。苦労はするべきだが、それは作られた苦労であるべきであって、真の苦境であってはいけないと。これではわからないでしょうから、実例を挙げます。

真の苦境のひとつが、実戦です。古来戦争は、参戦した男たちによって戦われてきました。殺し合うのは武器を手にした男たちでした。そこに騎士道が生まれ、武士道が生まれ、多くの物語を今でも読むことができます。男たちは命を惜しまぬ勇気を示し、力の限りを尽くし、知恵を絞り、勇敢でありながら、ときに敵味方を越えた友情さえも示しました。

しかしその影で、戦争の後には必ず死体の山が築かれました。ホメロスは歌います。日没後、戦士たちは戦場に横たわる戦友たちの遺体を引き取るために、夜の戦場を歩いたと。ここでは戦闘はなく、弔いだけがあります。戦士たちの勇ましさと優しさの影には、必ず死が控えています。

そしてまた多くの戦争では、戦場における食料の調達は戦場近くの町村を襲い、略奪することによって確保されました。戦況が不利になり撤退する際には、敵に食料物資を渡さないために、たとえ自領地内であっても火を放つことがありました。敵味方両軍に、財産は奪われ、人は殺され、ときには辱められました。

20世紀に入り、戦争は機械化し、さらに陰惨になりました。21世紀になると、世界中の人々がカメラを手にし、ネットワークに接続し、戦争の実態を報じ始めたので、世界の人々はその実体を知ることができるようになりました。戦争に善も悪もないといいますが、私は逆に、戦争には善と悪の両面があると思います。大儀は必ずある。戦後にある種の成果は必ずある。その一方で、どの戦争でも死ぬ人がいる。泣く人がいる。どちらも真実です。


たとえ、戦争が人間の潜在能力をすべて引き出す場であるとしても、本当の戦争をする必要はないと私は考えます。たとえ、貧しさが人間の優しさを引き出すとしても、本当の貧しさを国に充満させる必要はないと私は考えます。

その一方で、私たちは若いうちにもっと苦労をするべきでした。死を覚悟するほどとは言いませんが、迷っている暇もないほどの身体的精神的苦境に身を投じるべきでした。あれほどひどかった敗戦後の日本経済の中でも、自殺する人は今ほどには多くなかったのです。それは、戦争という苦境が人々を強くし、それゆえに戦後の苦境など乗り越えられないものではないと感じたのでしょう。

ゆとり教育といいますが、ゆとりによって心が豊かになるには、子供に何か決意を促す別のプレッシャーが必要です。単に豊かで、単に時間が余っているだけでは真のゆとりは生まれません。豊かであり、多くを消費する者としての責任を自覚しなければ、単なるバカ者になります。ゆとりの中に、自分たちは何者であり、何をすべきかという自尊心を育てなければなりません。それはなにも、日本が特別な国であるとか、日本が強い国であるとかいったことではありません。人間なら誰でも持っているべき尊厳に関するものです。

豊かであり、なおかつ後世の人類、そして地球の全生命に対して、人間が持つ力と責任を考えれば、自ずと謙虚にならざるを得ないのです。詰め込み式の受験勉強でもいい。トライアスロン大会に参加してみるのでもいい。一人で日本語の通じない国に暮らしてもいい。彫刻を一体彫り上げるのでもいい。古典を一冊原文から訳してみるのでもいい。なんでもいいから、人は若いうちに苦境に身を投じるべきです。そこから見えるものを体感すべきです。

しかし、私は思います。それは戦争や貧困など、避けようのない非情な現実である必要はないと。現実は優しくていい。そして、その中で人工的に苦境を作り出す知恵を人間は持っていると信じます。そうした中に、言わば千尋の谷に子供を突き落とす勇気と、それが決して臨死を意味しない愛情を、大人は弁えるべきだと思います。


だから、私は少子化対策に賛成です。以上です。

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2007/02/13 指摘により一部内容を削除しました。

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戦争と貧困 その光と影(1)
戦争と貧困 その光と影(2)
戦争と貧困 その光と影(3)
戦争と貧困 その光と影(4)
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by antonin | 2007-02-09 22:16 | Trackback | Comments(0)

戦争と貧困 その光と影(3)

捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと (宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン)

この記事は要約しません。ぜひ原文をお読みください。そして、より詳細を知るために宋さんのblogからこちらの記事をお読みください。


どうでしょう。涙を流される方が多かったのではないでしょうか。私も、この一連の少子高齢化に関する記事がなければ泣いていたに違いありません。しかし、私は泣けませんでした。そして、読み返すうちにまた悲しみと怒りがわいてきました。この泣ける話に隠された現実の危機を、なんとしても認識してもらいたいと思いました。

私は、少子高齢化によって日本の財政のみならず日本の経済そのものが悪化すると理解していましたが、この記事を読むまで宋さんは単にそれを知らないだけだと思っていました。しかしここに及んで、実はそうではなく、宋さんは社会は豊かであるより貧しいほうがむしろ良いと感じていることに気づきました。宋さんのblogの記事から引用します。
中国の農村部では年金や保険の制度はまだ未整備です。僕が日本に来るまでは「計画経済」が厳密に実行され、大した薬はありませんが、農村部でも医療費はほぼ無料でした。

完全に市場経済に移行した今、市場経済の恩恵を受けていない内陸の農村部では重い病気になると直す余地がありません。経済原理で動いている病院はかわいそうだからといっても治療費のない患者を受け付けません。

この一文に、宋さんのスタンスを見出すことができました。つまり、市場経済による豊かな社会に対して否定的であり、計画経済の貧しい世界のほうが、人々の心は豊かであったと、宋さんは考えていらっしゃるのではないでしょうか。いえ、考えているのではなく、感じているのだと思います。これは、高度経済成長前の日本を知る60代以上の世代についても近いものがあるのではないでしょうか。これを言葉で否定するのは難しいことですが、私の理解とは異なる部分があるのでこれから述べることにします。

私は、貧しければいい、豊かであれば悪いとは決して思いません。もちろん、豊かでありさえすればいいとも思っていません。しかし、豊かであっても幸福な社会を作り出すことができると信じています。懐古主義には果てがないのです。

アメリカにはAmishという、見たところ19世紀初頭あたりの技術で生活することを続け、機械化文明を頑なに拒否する民族があります。しかし彼らの生活といっても、ローマ文明が地中海を制覇する以前の素朴な生活に比べれば高度に文明化したものといえますし、四大文明が勃興する以前の生活に比べれば、よりいっそう高度で豊かな文明社会であるといえます。旱魃や日照不足で餓死したり家を追われたりしたAmishの話も聞いたことがありません。

皮肉にも彼らは、狭い社会で結婚を繰り返してきたことによる遺伝病の治療に、世界最先端の遺伝子操作技術による治療を受け入れたといいます。それが悪いことだとは言いません。何事もこだわりすぎは良くないものです。

そして、貧しければ人の心が豊かになるという話にも、三分の理があると感じています。つまり、人は苦境に置かれれば、自然と助け合うものなのです。貧しさとは人類にとって典型的な苦境のひとつです。そして、病気もまたそうです。どちらも、程度がひどければ死に至ります。そうした過酷さの中で、人は助け合い、優しさを見せます。だからといって、コントロール不可能な苦境を放置する理由にはならないと、私は考えます。

普段どんなに憎たらしい子供でも、その子供が明日をも知れない命であると知れば、涙を流し、どんなに醜く振舞ってでもその子を救いたいと思うでしょう。それは実の親に限らない話です。そして、大人たちに思いもかけず優しく愛情を注がれた子供は、必ず感謝します。何とかしてその感謝の気持ちを伝えようとします。そして、努力も空しくその子供が死んでしまったら、大人たちは涙を流すでしょう。すべては死に至る病気が演出した美しい物語なのです。

だからといって、その病気を称えることができるでしょうか。憎たらしい子供が、今日も憎たらしい言葉を発しながら、元気に走り回っているのを見るほうが、私はずっと幸せです。そして、経済的な豊かさが子供の命を救う一助になるならば、社会は豊かであるべきだと思っています。

もちろん、何事も極端に走るのは良くありません。今や人類の規模に対して小さくなってしまった地球に、大きな負担を掛け続ける物質浪費型の社会は改めるべきです。けれども、それは貧しい社会のほうが望ましいということではありません。豊かな都市と貧しい農村の格差が問題であると同じように、数の多い高齢者と数の少ない若者の格差も問題ではないでしょうか。

きょうだいがいる、いとこがいる、友達がいるというのは、子供にとって何にも代えがたい貴重な経験です。親にとっても、子供がいるというのは非常に素晴らしい経験です。もちろん、身体的な問題によって子供を生めない人がいるのは知っています。そうした人々への配慮は重要であり、そうした人を尊重する考え方を共有する必要があります。また、子供が嫌いというのも、ひとつの立場ですから尊重すべきですが、小さいうちから子供に接していれば、子供の扱いには慣れてしまうものだとも思っています。

つまり、少子化の問題は、人口を減らしたほうがいいという個々人の投票結果などでは決してなく、結婚、出産、育児などに対する、経済的、文化的、心理的障害が多すぎ、人々が二の足を踏んでいる結果に過ぎないのだと私は感じでいます。

独身時代に給料をすべてつぎ込み、時間も自由に遊びまわっていた人が、結婚し、子供が生まれれば一気に不自由になります。結婚しないほうが恋愛は自由で、結婚してしまえば仲間と一緒に遊んでもらえないこともあるでしょう。子供が生まれたら時間もお金も自由にならなくなり、独身時代のほうが良かったと言っている若い親の声も聞こえてきます。もともと自分より歳の離れた小さい子供など接したことがないので、子供の扱い方がわからない人が増えています。金も自由も奪われ、泣いてばかりの子供に怒りを覚え、虐待する親が出てくるのも当然かもしれません。

少子化には、こうした問題が潜んでいます。お金の問題だけではないのは当然です。人間の幸福の問題として、決して放置してはいけないのだと私は思います。

最後に、人の心を豊かにする苦境の話と、戦争の話をしたいと思います。

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戦争と貧困 その光と影(1)
戦争と貧困 その光と影(2)
戦争と貧困 その光と影(3)
戦争と貧困 その光と影(4)
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by antonin | 2007-02-09 21:36 | Trackback(1) | Comments(0)


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