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安敦誌


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雑感

不満の中でも、比較的救いがあるのは、不満の原因が外部にある場合ではないかと思う。他人や環境に対して、怒ったり恨んだり罵ったり呪ったりすれば、不満な状況が好転するかどうかは別として、一時の気は済むものである。

不満の中で、最も救いがあるのは、不満の原因を取り除き、好転させることが可能な場合であるのは間違いがないだろう。可能性がある、あるいは可能性があると信じられるということは、それだけで人間の心にとっては大きな救いになる。

ここに上げた二つの裏を返せば、救いのない不満がわかる。その二つが重なれば、いよいよ救いがない。不満の原因が自分自身の中にあり、そしてそれが好転する可能性を信じられないとなると、これは不満として最も悪質なものなのではないだろうか。


「信じる者は救われる」とキリスト教は説くらしい。これを聞くと、シニカルな日本人は「信じる者は掬われる」と揶揄する。最近の「振り込め詐欺」と呼ばれる演劇型の詐欺や、民放の情報娯楽番組などを見ると、確かにそうした揶揄にも一理ある気がしないでもない。

しかし、懐疑的にものを見るのは、横道から飛び出してくる車や歩行者を予想しながら自動車を運転するのに似て、ある種の安全をもたらしてくれるものではあるが、懐疑的に過ぎれば、恐ろしくて自動車を運転することすらできなくなってしまうのであり、そこには経験にある程度裏打ちされた、健全な楽観性が必要となる。そして、両者のバランスが重要であるが、どこに最適点があるかを知ることは難しいし、実際にそこに至ることはもっと難しい。そしてそれが自分の精神に関わることであれば、なお難しい。


信じる、ということは、人の動きを軽くする。そこに適度な懐疑的精神を盛り込み、重みを与えることがもちろん大事なのだけれども、基本は信じるところに置くべきだろうと思う。デカルトは、常識や知識に潜む矛盾を見つけてしまってから、全てを疑うことをした。そして、「考えている私がいる」ということだけは疑えないという結論にいたり、逆にそこから信じられる多くのものを導き出していったという。

自分を信じられない、自分が変わる可能性を信じられないというのは、やり場のない不満を生み出す悪循環の一地点ではあるのだけれど、やはり信じてみるところから始めなければ、石のように動かなくなってしまう。

また同時に、悪循環から抜け出せない状態、あるいは工学的に言えば"dead lock"という、鍵を閉じこんだ金庫のように、通常の手段では脱出不能の状態というのもありうる。システムがデッドロックに陥ると、そのシステム自身の機能では機能を回復することができなくなり、外部からリセットや再起動をしたり、修理などによって問題を解決したりする。

人間も面倒な造りではあるがひとつのシステムであって、人が集まってできる会社や国家もシステムの一種であると私は考えているので、人間も、会社も、再起不能に陥ったら出直したり外部に頼ったりということがあっていい、あるいはむしろ、そうするより他にないと思っている。

けれども、デッドロックの具合によってはその解除は簡単ではない場合がある。そうすると、一度の出直しや、外部に一度頼るだけでは問題が解決しない場合もある。その場合は、方法を変えて、何度でもやり直してみるしかない。


信じられない、というデッドロックに関してはなかなか難しい状況にあってもう12年ほどになるのだけれども、その間にデッドロックを解く努力を多くの人にしてもらってきた。ある人は善意であったり、ある人は義務感であったり、ある人は業務であったりしたが、そのこと自体には大変感謝している。人間社会というのは、面倒ではあるが、案外うまくできている。問題が解決していない、という事実は確かにあるのだけれども、全く改善していないかというとそうでもない。


私は幼い頃、日本的な漠然とした信仰心と、UFOと超能力と超常現象などを心から信じていた。そして成長して多くを学んだある日、後者を信じられなくなったと同時に、前者をも否定するようになった。また、科学的な方法というものに強い信を置くようになった。科学的方法という考え方は、素朴な方法では従来の信仰心と相容れない。私は軽さを失って、重たい人間になってしまった。

年齢のせいか、信仰と科学との両立に、少しずつ可能性を感じるようになったし、それは自分自身の可能性にも少しは反照している。信仰と科学の両立というと、新興宗教の怪しい団体を思い浮かべるけれども、これは19世紀以来の深刻な課題でもあって、現代人の一人ひとりが自覚するにせよしないにせよ、克服を試みている問題なのだろうと思う。

食べるだけで痩せると称した、捏造された実験データによる健康法紹介が批判されたり、高価な「何とか還元水」が批判されるのも、科学と信仰の間の問題、あるいは説く者と信じる者の間の問題なのであって、構造としてはマルティン・ルターが批判した種類の問題の焼き直しであるようにも見える。


信じることが、軽さだけでなく、強靭さや、しなやかさ、その他の多くの利点を持つことを私は知っている。自分を適度に信じることがその信じるべきことのひとつではあるけれども、信じるべきものは必ずしも内に向いているとは限らない。けれども私の場合、何を信じるべきかということについては、救いの少ない「科学的方法」しかない。けれども、少ないとは言っても救われている部分は確かにあって、もう少しこの方法について考えてみたい。

具体的には、古典的な宗教が持っていた戒律や説法を、今日の自然科学的な知見と矛盾しないように取捨選択して再構築する作業が必要なのだけれども、これは私にはどうにも荷が重い。特にこの国では、科学と宗教が融合すると、実に醜悪なものが多すぎ、こうしたことを考えたり発言したりすること自体が偏見にさらされるリスクを持つ。オウム真理教はその極限であるし、そこまでいかないような有象無象の団体にも事欠かない。

かつて宗教に含まれていながら科学で裏打ちが可能なものの例としては、カウンセリングなどがキリスト教の懺悔などから発して宗教から独立したものと考えることができるし、保険制度なども修道会組織の慣行に起源を持っているという。また、いくつかの宗教に見られる喜捨という行動の心理に、神や仏は必要不可欠な存在だろうか、あるいは超自然的なものを除いても成り立つだろうか。ヨーガなどはインドの宗教思想の体系に起源を持つが、体の動きを意識的に整えることから内分泌系に影響を与え、結果として心身を健康に保つという現象には、一定の科学的検証可能性がある。しかし、ヨーガ体操教室がオウム真理教の勧誘の手段として利用されていた過去も無視することができない。


ところで、今の日本で宗教といえば新興宗教が連想される現状は、日本の近代史に原因があるのではないかと思う。

大政奉還がなされ、天皇を再び国家の元首に据え、帝国国家を建設しようとするとき、その国家の設計者はミカドのシャーマン的性質と、中華帝国の「天子」という概念を天皇に融合し、江戸後期以降勃興した歴史学である国学の成果を援用して、近代西洋的議会制立憲君主国家という構造をよく機能させるために、国家神道という「魂」を創造した。

この過程で、日本で独自に変質し、従来神道と深く和合していた日本固有の仏教信仰が神道から分離された。神社にある仏教的偶像や図像は廃棄され、仏寺の持つ多神教的信仰は神道から分離された。国内の神社をよりどころとした土着の信仰は、明治天皇を頂点とする国家神道に統合され、全国の神社は新たな国家組織として再編された。

それから百年を経ないうちに、世界大戦での敗戦を受けて、日本の国家神道は再び解体された。九州にJesus会修道士が到達し布教を行ってから300年、信教を禁じられてもなお信心を失わなかった人々が居たとおり、禁じられてこそいないが長く忌避はされてきた国家神道を奉ずる人々は現在もいるのだけれども、その力はあまり強くない。

結果として、仏僧は葬儀に、神主は地鎮祭に、神父は結婚式に、それぞれまじないの儀式を執り行う職人として呼ばれるだけの存在となった。彼らが何を信じているかよりも、どのような姿をしているかが重んじられる。もちろんそれ以上の強い信仰心を持つ人々もあるが、現在はそれぞれが小さな集団を作っており、国家的に統括されたり管理されるものではなくなった。一般の人々と宗教との接点は、どんどん小さくなっている。

国家神道の専横を私は好まないが、ある国を代表する、洗練されていて温和で、かつ政権から独立した宗教団体がないというのは、得てして悪徳の横行を生むような気がしてならない。21世紀の日本人は、一体何を信じれば、心穏やかに育ち、働き、そして死ぬことができるのだろうか。


今読んでいる本に、戦後日本に残った宗教は拝金教だという表現がある。それも、ストイックなまでの拝金教なのだという。確かに、給料をもらっているからには誠心誠意頑張るという人は多い。それが給与の額に関係していなければ単にプロ意識だが、給与こそが仕事の質を示すバロメーターであると信じていれば、ストイックな拝金教信者なのだろう。

「金儲けは悪いことですか?」と言った人がいるが、当然良い金儲けもあれば悪い金儲けもある。あの人の場合は、良いと思う人より悪いと思う人のほうが多かったのではないだろうか。ものごとが善いか悪いかなどという問題は所詮、人を良い気分にさせるか悪い気分にさせるかということでしかないと思っている。


21世紀の日本人は、悪い気分になっている人が多いように思う。老いも若きも生きることに疲れているように見える。そして他人の批判に忙しい。拝金教でも国家神道でも何でも、人を良い気分にするのであればそれはそれで善いと思う。ところが、そうはなっていない。21世紀の日本人は、何を信じたらいいだろうか。

明治と昭和に、日本は二度の断絶を受けた。宗教は変わり、言語すら変わった。今の日本で、自然科学を志向しない学者に何か重要な仕事があるとすれば、それはそうした「信ずべき何か」を再構築するか、少なくともそのための材料を与えることではないかと思う。あるいは学者ではなくて、やはり自己に厳しい求道者にしかそうした仕事はできないのかもしれない。そんな聖人の登場を待つしかないのだろうか。

拝金教なら拝金教で、ルパート・マードックやビル・ゲイツではなく、松下幸之助や本田宗一郎のような宗祖がこの国にはいるから、いっそのこと彼らの言動を結集してひとつの宗教に仕立て上げてはどうだろうか。一部のいかがわしい在来宗教派生勢力よりはよほど健全に見えるのは、私も拝金教の信者の一人だからだろうか。

住友財閥の祖をなした住友家の家訓に、こういうものがあるという。
「我営業ハ確実ヲ旨トシ、時勢ノ変遷、理財ノ得失ヲ計リテ 之ヲ興廃シ、苟クモ浮利ニ趨リ軽進ス可ラザル事」

参考:「住友グループ広報委員会:事業精神

ユダヤ財閥の話でもそうだが、商いの道理というのは科学と人情をつなぐ良いヒントになりそうである。


何を信じたらよいのか。強靭に、しなやかに、軽やかに生きるためにはどうしたらいいのか。いろいろと人に助けてもらって感謝してはいるのだが、結局のところ自分で考えたり試してみたりするしかない部分というのがどうにも残っていて、人生を折り返してもまだ答えは見えない。

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とまあ、また愚痴なのでありましたが、最近良く体を動かすようになりました。目覚めるたびに筋肉が痛みます。思ったほどネットから断絶されなかった今回の環境変化期間でありましたが、間もなく元の環境に戻る見込みです。いくらかは生活が改善するよう努力します。I try to do my best. たいしたbestじゃなさそうではありますが。

話が飛びますが、簡易アクセス解析で最近の検索キーワードを見ると、n進法関連が増えているので、有利進法の研究を近いうちに書き上げたいと思います。昨年末の走り書きしか残っていなくて、すっかり忘れてしまっているんですけどね。面白い結論になったのでとりあえず形には残したいと思います。

Antonín Dvořák作品目録ページ作成とか、積ん読制覇とか、Linuxで無線LANとか、いろいろとプライベートでやってみたい課題は山積みなのですが、とりあえず今はコドモと遊んでいます。今だけですしね、コドモなのは。
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by antonin | 2007-03-31 00:32 | Trackback | Comments(6)

最近思ったこと。

黒山羊さんから御手紙着いた
白山羊さんたら読まずに食べた
仕方が無いから御手紙書いた
御手紙美味しゅう御座いました

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最近ムスメが鉛筆やクレヨンを持ち始めた。私は鉛筆をカッターで削るのが好きなので、芯の折れた色鉛筆などを見つけては、子供のいないところでせっせと削ってみる。出来具合はきれいなほうだが、どうにも尖りすぎる傾向がある。色鉛筆はあまり尖らせてはいけないのだ。文字練習用鉛筆も同様だ。

削るのに適した鉛筆がなくなったので、切れ味が悪くなったとお嘆きのヨメの依頼で包丁を研いだ。これもなかなか趣味に合う。が、凝らない性分なので砥石は荒砥ぎ、中砥ぎ、仕上げ砥ぎなどと使い分けず、中砥石でほどほどに研ぐ。以前は研ぐと却ってなまくらな包丁にしてしまっていたが、今度はしっかりと切れるものに仕上げることができて好評だった。こういうのは楽しい。

包丁2丁を研ぎ終わると、また鉛筆を削りたくなり、どこかに昔使っていた鉛筆がもっとあったはずだと本棚あたりを探したが、古いペンだけが出てきた。シャープペンシルは、折れた芯を取り除いて新しいものを足すと、まずまず書ける。歴史の長い油性ボールペンは変わらずよく書ける。歴史の浅い水性ボールペンやゲルペンは、ペン先を濡らすと一瞬は書けるものの、復活には至らず、結局捨てることになった。そして万年筆も4本出てきて、どれも乾いて固まったインクを水で溶かすことで書き味を徐々に取り戻した。ときどきは万年筆で文章でも書いてみようかと思った。

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今年は朝顔の発芽率を見誤り、小さな鉢が双葉で埋め尽くされてしまった。間引くのは惜しいので、もう少し根が張ったら一部は移植して近所の義母に贈ろうと思う。白と赤の美しい花が咲くはずだ。他の種はモロヘイヤと一粒のマリーゴールドを除いて一切芽を出さないが、4月5月になればいくらかは出てくるのだろうか。ひょっとすると暖めすぎて煮えてしまったものもあるかもしれない。

花は、咲いているときよりも咲かせるまでが楽しいと思うがどうだろうか。花がしおれたら、次の季節の花に植え替えるよりも、種が熟すまで育てるほうが楽しいと思うがどうだろうか。種は花や葉から養分を奪うから、一般には早めに摘み取ってしまうことが鉄則だが、子供を孕んで体形を崩してしまった女性もまた慈しいというような気持ちでもって、種胞をぶら下げたシクラメンにせっせと肥料を与えている。株がひとつなので発芽はしないのかもしれないが、それはそれで仕方がない。

桜がほころんで、陽光が暖かい。下の花は春咲きの木瓜かと思われるが、よく見ると
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東京にメジロがやって来ましたよ。どこでしょう。

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ほら、ここに。
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by antonin | 2007-03-29 01:47 | Trackback | Comments(17)

goo.ne.jpのはなし

私はへそ曲がりなので、ブラウザのスタートページといえばYahoo!googleという風潮に反発して、gooをスタートページにしています。goo.co.jpの取得にてこずってしまったために、いまだにne.jpドメインのgooです。Exciteという選択肢も無くはないのですが、ちょっと趣味が合わないので。単身部屋マシンのIEはトップにプロバイダの@Niftyを設定していますが、まあIEなのでスタートページから入ることは稀です。

で、そのgooなのですが、昨年10月にトップページがリニューアルしました。その直後から、どうしたわけか、CPUパワーが数秒おきに高負荷になるようになってしまいました。最初はトロイか何かにやられたかと思いましたが、犯人はFirefox+gooのトップページでした。正確に言うと、「RSS ヘッドライン」といって、ニュースの見出しがスクロールするJavaScriptパーツvticker2.jsが、Firefoxで実行すると異常に高負荷だったのです。

これはどちらかというとFirefox側に非があって、しかもいまだに直っていないのですが、私はFirefox+goo.ne.jpという組み合わせを捨ててしまう前にgoo事務局へ直接問題を問い合わせました。すると、カスタマイズによって問題を解決できる可能性があるが、問題が直らないようならtableタグで構成されたページもありますという回答があり、index_table.htmlを紹介されました。今ではこれをFirefoxのスタートページに据えて、快適に閲覧しています。

これはOSやブラウザを自動判別して差し替えて表示されるページらしく、gooのサイトマップを見てもこのページは見つからなかったんですが、まあ世の中いろいろありますわな。がんばれNTTレゾナント。
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by antonin | 2007-03-28 23:04 | Trackback | Comments(0)

人生の折り返し地点における昔話(後編)

さて、Windows95がやってきました。中古ですけど。1998年夏ごろの話でした。マシンは富士通製96年冬モデルのデスクトップで、スペックはCPU:Pentium 166MHz, RAM:64MB EDO, HDD:1.6GB ATA, CD-ROMというものでした。付属品なしで3万円で買ったような記憶があります。

キーボードとマウスとディスプレイが無いので秋葉原へ買いに行きましたが、DOS/Vと言えばPC-AT互換機だという思い込みからPS/2ではなくAT端子のキーボードを買ってしまい、のちに変換コネクタを買い足すという初心者ぶりでした。このマシンには背面USBポートが2ポート付いていたのですが、OSが対応していなかったために結局使わないまま終わってしまいました。このマシンは結局4年も使っていたので、最後の頃にはUSB製品が利用できず不便だったこともありました。もったいない。

Windows95+plusだったのでインターネットは一応使えて、DOS時代にPC386用に買った"US Robotics"というちょっとアレな名前の会社が作っていた"Sportstar 144 FAX"だかなんだかといったアメリカ製のモデムを持っていたので、当時100時間無料キャンペーンを大々的にやっていたAOLに加入して「インターネットなるもの」を試してみました。なにせAOLなので、英語チャットを覗いてみた翌日からアメリカからのインスタントメッセージ(IM)がひっきりなしに舞い込んできてインターネットどころではなく、無料期間満了とともに解約したのも今となってはいい思い出です。(海を渡ってますけど、当時のAOLのチャットやIMは一応プライベートネットワーク上のサービスです)

で、ブラウザですが、私はずっと付属のIE3を使っていました。その頃世間はNetscapeが全盛期で、しかもサイト作成環境付きのシェアウェアバージョンが出る頃に至っては、「このページはNetscapeで作成しました」だとか「このページはNetscapeでの閲覧を前提として作成しています」だとか、果ては「Netscapeで見てください」とか抜かすサイトが多く、なかなか時代的な状況でした。個人的にはその後もIE4をインストールし、Windows95がWindows97に化けてしまったのにびっくりしたりしながら、そのマシンを使い続ける間はずっとIEに忠誠を誓っていました。

IEに反旗を翻したのは2001年11月、Yahoo! BB ADSL(8M)の対応地域になり、申し込みが完了するのを待って、「ブロードバンド時代」対応マシンにすべく、最低価格のMeマシンとXPアップデートパッケージを買い、ネットワーク環境が突如進化を遂げた頃からでした。(こいつは現在でも自宅でメインマシンとして頑張っています)

ブロードバンドというか、常時接続環境とi18nされたOSの急激な普及で、ウィルスをはじめとするセキュリティ問題が日本に上陸し、とりあえずIEとOutlookはやめとけという声が聞かれ始めるようになりました。我が家のADSLも下り4.0Mbps程度を叩き出しており、ソフトバンクのバックボーンもまだ暇を垂れていた時期だったので、そのスピードに酔いしれ(なにせそれまで0.0336Mbpsだったので)、ADSLの試運転がてらOpera 6だとかNetscape 6だとかをせっせとダウンロードしてインストール、早速IE5に別れを告げました。(同マシンで別アカウントのヨメにはIEを使わせていたので、IEのセキュリティアップデートは欠かせませんでしたが)

てな感じで常用にはOpera、Excite chatにはNetscapeみたいな使い方をしていたんですが、今度は「このページはInternet Explorer 5.01で動作確認しました」だとか「このページはInternet Explorer 5.5での閲覧を前提としています」だとか、果ては「このページはお使いのブラウザでは表示できません」などと抜かしてエラーページを表示するようなサイトが現れ、これはこれでなかなか時代的な状況でした。OperaでYahoo! Mobileを見ると携帯電話用ページが表示されてしまうなんてこともありました。

当時の有力ブラウザにはMozillaもあったのですが、MozillaベースのNetscape6/7と同時インストールすると、ファイルが重複して誤動作するので敬遠していました。そのうちMozilla Projectも頓挫し、とりあえずブラウザだけ切り取って生き残ったFirefoxのバージョンが1.0になったのを見計らってインストールしてみました。すると、IE専用にガリガリチューンされたページを開いたときに、Operaでは表示が崩れて苦労していたのに比べてFirefoxでは大きく改善し、速やかにFirefoxへと移行しました。

今の日本では相変わらずIE6の寡占状態であるにもかかわらず、国際的にはFirefoxが健闘してくれているためか、日本でも随分とFirefoxの通りが良くなりました(某和製SNSはいまひとつだけど)。あと、SleipnirLunascapeをインストールしてみたこともありましたが、何が便利なのかがさっぱりわからず、翌日にはアンインストールと相成りました。

で、最近ではFirefox2.0を常用ブラウザに据えて多彩な拡張機能を堪能しつつ、IE依存の技術を使っているサイトにはIE ViewでIE7を、最近のExcite Blogのように巨大画像を"WIDTH", "HEIGHT"で縮小して大量読み込みするような重いページにはOperaViewでOpera 9.1を起動と、漸くにして快適な多重ブラウザ生活を送るに至っております。

そして、いよいよマルチOSの時代へと挑戦を始めました。マルチブラウザ環境と一緒で、別に好きで始めたんじゃないですがね。目下はようやく得ることができた「余剰マシン」と"FTTH+VDSL"を活用すべく、Linuxのfree distributionをせっせとダウンロードしてはディスクに焼いています。

最近はMacもMACHコアだったりIntel Core2だったりでFree BSDあたりを積んだPCと大して変わらんので、安いのがあったら買ってみてもいいかもしれませんね。iPodもiTunesもあんまり興味がないし、あのグニョグニョ動くアプリケーションアイコンも大嫌いなんですが、C++と違ってエレガントだという噂のObjective-Cなんかが今でも使えるなら少しは興味が持てます。あんまり本気で勉強するつもりも無かったりするんですけどね。

もう昔話じゃなくて将来の話になっちゃいましたな。んじゃ、終わりということで。
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by antonin | 2007-03-25 12:04 | Trackback | Comments(2)

人生の折り返し地点における昔話(前編)

信長は人間五十年と謡ったらしいですが、現代では男性ならだいたい人生70年と言ったところ。折り返し地点に差し掛かりました。最近とみに昔話が多くなり、まさに中年といった風情であります。JR東日本が「大人の休日倶楽部」と称して会員を募っていますが、この資格が男性65歳以上。「大人の休日倶楽部ミドル」というのもありますが、これが資格50歳以上。バカヤロウ。

気を取り直して近況を。旧式ノートへの無線LANカード対応ですが、まだ実現できていません。長い戦いになりそうです。カードメーカーの情報が古く、2.6系カーネルではPCカードモジュールがカーネルに吸収されてしまったため、メーカー提供のRPMモジュール(っても設定ファイルが入っているだけ)やsourceforgeのRT2560ドライバでは対応できない環境に変わってしまったようです。

最新ソフトウェアを駆使するための最新情報を収集するか、思い切ってPlamo Linuxを4.2.1から3.3あたりにバージョンダウンするか迷っているところです。4.2.1自体はXも含めて元気に動いているんですけどね。ネットにつなげないとローカルプログラミング道場程度の使い道しかなく不満なので、もう少し頑張って勉強してみることにします。

Linuxをいじっていると、VGA consoleやktermで、Linux標準のbashなりPlamoデフォルトのtcshなりを使って、lsとかlnとかmountとかいった(私にとっては)懐かしいコマンドの数々を絶えず打ち込みながら作業が進行するわけですが、私が学生時代にプログラミングの授業で初めてUNIX(≠Linux)やX端末に触れた頃を思い出さずにはいられません。

科学計算用にFortranを実習していた頃はxemacsあたりで編集したソースをf77でコンパイルする程度で、コンピューターに関する知識そのものがBASIC準拠の貧弱なもので、ポケコンで「倉庫番」を作って遊んだりはしていましたが、UNIXの仕組みについては全く理解できずに終わりました。数年経過してPascalやLISPで課題を解く頃には、個人でもパソコンのDOSで簡単な割り込みハンドラを書ける程度には知識が付いていたので、大学でもX端末の自由利用時間にいろいろと遊びをしていました。

この頃にはファイルエディットはすっかりEmacsというかmuleのキーアサインに慣れきってしまったため、自宅のDOS環境でもNIT Emacsというのを使っていました。発音は「ニット・エマックス」あるいはリエゾンして「にてまっくす」でした。そういえばこの頃DOS/Vが登場して、好きな連中は初期のLinuxをいじり始めていましたね。

それまでPC-UNIXというとMINIX全盛で、それが80386(のちのi386)の登場でメモリ保護が本格的に使えるようになったというので386BSDやらLinux(当時の知り合いは「ライナックス」と呼んでいましたな)やらというのを聞くようになりました。

私は98クローン1台以外に投資する資金力も、海外からやってくるDOS/Vやi386系UNIXクローンに関する情報収集を行う環境もなく、私にとってUNIXといえばVAXにぶら下がったX端末という状況でした。卒業前に触っていたのはmintとかいうやつだった記憶があります。教養時代のはDECの端末でした。

そのmintで初めてWWWというやつを体験したわけですが、当時流行していたのは誕生したばかりのNetscapeでした。しかし、学生の演習用に割り当てられたhome領域は4MBでしかなく、Netscapeは領域不足で起動途中でコケてしまい利用できませんでした。それ以来Netscapeには良い印象がなく、「ねつかぺ」などと呼んで蔑んでいました。

その苦境を救ってくれた救世主は、元祖NCSA Mosaicでした。ウェブブラウザといえば読み込み中を示すアニメーションがウィンドウの端にあるというのが今も常識ですが、そのはしりがMosaicだったと思います。NetscapeではNの字に流星が降り注ぎましたが、MosaicではS字を纏った地球が回転しました。

当時の学内LANは現在主流のEthernetではなく、100MbpsのFDDIを使っていました。当時まだ個人では目にすることの少ない光ファイバーケーブルが、大げさな黄色いシースにくるまれて学内を走り回っていました。情報系の研究室の学生が研究用のサーバーにhttpdを走らせてCGIを書いて遊んでいるのを発見し、大きめのテキストを表示させてみたりしましたが、Mosaicの地球が目にも留まらぬスピードでギュンギュン回るのを見て、100Mbpsの威力を思い知りました。

この体験があったので、自宅でインターネットに接続する時代になってもISDNの64kbpsという中途半端な回線速度に対して高額な料金という詐欺のようなプランに引っかかることはありませんでした。

社会人になると、スーツや通勤用の車を買って、学生時代より一層貧乏になってしまったため、ダイアルアップインターネットが普及し始めていたにもかかわらず、中古のWindows95マシンを購入するのに2年も掛かってしまいました。それまではDOSマシンのCPUであるi386SXを剥がしてピン互換(たしか100pinのQFP)のCx486SLC2を半田付けし、クロックオシレータも交換して16MHzを24x2=48MHzにクロックアップし、誰かが開発してくれたCPUキャッシュドライバを拾ってきて組み込み、最後にC-bus用のフレームバッファーを追加するという涙ぐましい努力の末に、MS-Windows 3.1を稼動させて当座をしのいでいました。Win3.1は確かに動きましたが、付属のワードパッドを使うのが限界で、ペイントソフトでも使おうものなら半フリーズ状態になったものでした。ウェブブラウザなど使う余地はありませんでした。

さて、いよいよ自宅でインターネットに接続できる時代になるのですが、長くなったので項を改めます。
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by antonin | 2007-03-25 11:55 | Trackback | Comments(0)

Linux奮戦記

今、久しぶりにLinuxを触っています。

以前、まだWindows98が出始めの頃、一度Linuxを触ってみたことがありました。当時はまともなPCを1台しか持っておらず、Windowsのシステムを破壊するリスクを負うことができなかったため、パーティションを切らずにWindowsのファイルとしてインストール可能なMLD4という市販ディストリビューションを使ったりしました。しかしコンソールでCプログラムやスクリプトをコリコリ書いて楽しむような知識も持ち合わせておらず、かと言って最新鋭のKDEでWindowsライクなGUIを楽しむにはマシンが貧弱過ぎました。

少しあとにCD-bootのKnoppix日本語版(追記:確認したら3.1でした)でやはりKDE環境を楽しみ、この頃にはかなりLinuxのソフトウェア環境も充実してきていたのですが、やはりLinuxらしさを楽しむことはできませんでした。実はこの記事もKnoppix 5.1 DVD版 + Iceweaselというブラウザで書いています。Iceweaselの中身はFirefoxのようです。日本語入力環境がいつもと違うのでちょっと勝手が悪いものの、以前のKnoppix 3.1 CD版の頃に比べると随分と快適です。日本語入力環境はPRIMEというもので、辞書はしっかりしています。携帯電話のような予測変換がうっとおしかったり、連文節変換が苦手だったりするのが不便ですが、Wnnよりは扱い易い印象です。

Windows Vistaを入れた新しいノートPCでDVD-R Bootで使っていますが、ワイド画面に対応していないため、1024x768の画面を1280x800のディスプレイにエクスパンドして表示されています。横に引き伸ばされるのはさほど気にならないものの、違うディスプレイレゾリューションにフィットさせるために文字がぼやけているのはちょっと気になります。

最近になって再びLinuxに手を出した理由は、以前に画策していた、Windows Vistaノート登場とともに使われなくなったPCにWindows XPを入れる計画が頓挫したためで、XPのインストールまでは無事進んで快適に使えたものの、やはりライセンスの問題でインストール30日以内のライセンス登録までには至らず、結局Linuxのフリーディストリビューションを入れることにしました。私のLinuxに関する知識は1990年代で止まっているので、ディストリビューションは迷わずPlamo Linuxを選びました。

CPUが2MHz、メモリが32kBのポケコンや16MHz, 640kBのDOSパソコンでプログラムを覚えた私は、100MHzを越えるCPUと64MBを越えるメモリ、そして数GBのHDDを有するPCを捨てる気にはとてもなれませんでした。(廃棄方法もリサイクル法で面倒になりましたし)

ところが以前Andantino帝に頂いたMobile Celeron 300MHz+196MB+6GBのLet's Noteには、USB/CD-ROMドライブはあるもののUSB-bootableではなく、しかもFDDが無いため、bootableメディアがHDDのみという苛酷な環境でのインストールになってしまいました。hot rebootでのインストールなどにも挑戦してみましたが、結局Windowsのbootもできない状態となってしまい、そちらのマシンは放置状態になってしまいました。ひとまずPCを分解してHDDを取りだし、たまたま手持ちだったUSB/IDEコンバーターで他の生きているマシンからUSB経由でHDDにPlamoをインストールしました。現在マシンが手許にないので、後日HDDをPCに戻してテスト予定です。

現在は、頂き物ノートより更に古く、無線LANカードメーカーのWindows用純正ドライバすら対応していないという旧式ノートを復活させるべくPlamo Linuxのインストールを試みました。Mobile MMX Pentium 233MHz+64MB+4GBのSHARP Mebius Note PJ1-98という、比較的軽量なPlamoのインストールに対しても制限の苛酷な旧式マシンへのインストールとなりました。こちらはCD-ROMドライブすら付属していないというふざけた状態だったのですが、幸いUSB 1.1ポートがひとつだけあったため、頂き物のPCに付けてもらったUSB/CD-ROMドライブとFDDでPlamo Linux 4.2.1をインストールすることができました。

とりあえずこのマシンのPCMCIA Type IIスロットに、余っていたIEEE802.11b/gの無線LANカードを挿してウェブブラウジング程度はできるようにしようと思ったのですが、思った以上に道は険しいものでした。まず、メーカーサイトLinux対応情報(非保証)を見ると、メーカー提供の設定ファイルが入ったRPMの他にsourceforgeプロジェクトからドライバを拾ってこいとの指示がありました。若干メーカーの情報が古かったので右往左往してしまいましたが、なんとか該当データを入手できました。

しかし。ここからが長い。Plamo Linux 4.2.1では2.6系カーネルを使っているので、サイズが大きいということで標準ではソースはインストールされていないとのこと。デバイスドライバをmakeできない理由が、カーネルのソースが/usr/src/linuxに入っていないことだと気づくのにしばらくかかりました。Windowsのユーザーフレンドリー加減との彼我の違いに思いを馳せる瞬間でした。

Plamo 4.2.1 CD#3に収録のcontrib/からソースのtgzを捜し出し、インストール。ソースが展開された/usr/src/linux/以下でrt2500シリーズのソースを展開、make, make installが完了するまでにPlamo Linuxのインストールから2週間は経過していたでしょうか。

さて、そんなこんなで無事内部ドライバチップであるRT2560のドライバはインストールに成功したのですが、ドライバーのコンフィグレーションをするユーティリティツールもmakeしないといけない。しかし、ユーティリティーのmakeにはqmakeが必須で、しかもどこにもqmakeが見当たらない。調べてみると、qmakeを含む開発環境のQtがインストールされていないということが判明しました。

4GBしかないHDDに果たしてQtが収まるのか不安を抱きつつ、公式サイトからQtのソースを拾ってきて、とりあえず./configure, makeを実行。しかし、猛烈にコンパイルが遅い。
旧式のCPUで夜通し掛かったbuildの最後になってエラーが発生、異常終了してしまいました。どうやらスワップを含めても128MBしかメモリが無い環境では最新版のQtをコンパイルすることは不可能だったようです。

悲しいのだけれども、ここまで来ると一発で動かないのがむしろ当然なんだと思えるようになってきました。Linuxの知識が深まったとは全く思えないのだけれど、ある意味これがFree Software耐性なんだなぁと思うとこれはこれで楽しいので不思議なものです。なんとなくDOS時代に似たものを思い出してちょっと懐かしい。

気を取り直して少し古いバージョンのQtを確保し、恐る恐る./configure, make, make installしてみる。やはりとてつもなく時間が掛かったが、なんとか無事buildには成功。.profileに加筆して環境変数を設定すると、ようやく(古いけど)qmakeが使えるようになったようだ。

ようだ、というのはまだ使っていないからで、これからも道のりは長そうだ。まだ無線LANカードは認識すらされていないのだけれども、一歩ずつ前進しているし、いつかは800x600の狭い画面で軽めのOpera 9.1なんかを走らせて安敦誌の更新などもしてみたい。不便を楽しむ。ある意味Windows Vista 64bit版での人柱体験にも通ずる娯楽のような気がしてきました。

楽しみ、楽しみ。
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by antonin | 2007-03-22 20:01 | Trackback | Comments(2)

種を撒く人

種を撒きました。

引っ越してからベランダが広くなり、世話する余裕がないのも省みずに植物を多く植えるようになった。もっとも、ベランダは日当たりが悪く、南や西側のわずかな、しかし日当たりの良いスペースで一週間くらい英気を養ってからベランダを飾ってもらうという、ローテーション制になっている。

ベランダでずっと頑張っているのはローズマリーくらいなもので、これは枝を折って水に浸けるだけで根が張るし、日当たりが悪くても寒くても暑くても平気だし、虫もつかない。この強さはいったいどうなっているんだろう。ヨメが花屋で冬の花、パンジーやビオラを買ってきたが、日当たりが悪かったためか、アブラムシだらけになってしまった。

私は花が終るとしっかりと種を取って、次の年に種から花を育てるのが趣味なのだけれど、昨年はプランターに直播きした花の種が全滅の憂き目に遭ってしまったので、今年は室内に苗床を設置し、外気温が上がる前に温室化した室内で発芽させようと考えてみた。さっそく余っていた園芸用度を小型のポットや玉子ケースなどに入れ、手持ちの種を手当たり次第撒いてみた。

覚えている範囲で、朝顔(水色大輪、赤、白)、ひまわり、おじぎ草、かすみ草、矢車菊(矢車草)、ポピー、ポンポン百日草、風船かずら、マリーゴールド、ディル、スペアミント、スウィートバジル、パイナップルセージ、モロヘイヤの種を蒔いた。他にもいくつか手持ちの種を蒔いたはずだが忘れてしまった。以前の住居ではあまり種から栽培できる環境がなかったため、種を撒けないままずいぶんと古くしてしまったものが多いので発芽率が心配だが、一番新しい朝顔が2日目に、マリーゴールドが3日目に、モロヘイヤも4日で発芽したのでその他の種にも期待したい。

最初は陽の当たる室内に苗床をそのまま置いていたが、3月ではまだ気温の上がり方が十分ではないらしく、朝顔しか発芽しなかったので、花の種にはラップをかけて簡易温室を作って発芽を促進することにした。こうでもしないと夏までに花が間に合わない。なんとかこの夏は種から育てた花をたくさん咲かせたい。

楽しみ、楽しみ。
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by antonin | 2007-03-18 18:04 | Trackback | Comments(0)

さよなら、無料クレジットカード

オリコが大幅赤字、4579億円 金融支援受け、リストラ実施へ | エキサイトニュース

しばらくぶりです。ぼちぼちやっています。

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学生時代に初めてクレジットカードというものを作り、社会人デビューと同時に通常カードに移行したのだけれど、その後レンタルビデオやらデパートやらで会員カードとして年会費無料のクレジットカードを作らされてしまい、しかもその後になって無料カードのほうがサービスがいいという状況が生じるに及んで、有料カードは解約してしまった。それから数年、今では無料カードばかりなのだけれども、ここへ来て再び状況は変わり始めている。

消費者金融のいわゆるグレーゾーン金利が段階的に撤廃されることになり、小額融資の最高利率は29%あまりから20%に下げられることになった。これを受けて、なぜか消費者金融専業業者だけではなく、クレジットカード各社が軒並み利益低下を発表し始めた。

要するに、クレジットカードを無料で配る理由は、通常の一括払いによる買い物手数料収入の拡大を目的としているのではなく、手軽にクレジットローンなどの消費者金融サービスを利用してもらおうと、潜在顧客拡大のための広告費のようなものと考えられていたからに違いない。

ある時期から、カード各社が「リボ払い」(リボルビング払い)をしきりに勧めるようになったが、あれも一種のカードローンであり、いつなくなるとも知れない永遠の借金となる不思議なシステムだった。誰が得をするのかというと、カード会社だけである。あんなもの利用する人がいるのだろうか。

ともかく、カード各社は利子収入を当て込んで無料カードを多数ばら撒いてきたのであり、グレーゾーン金利がなくなる今後は方針を転換せざるを得ないだろう。無料クレジットカードはこれから減っていくか、あるいはなくなっていくのかもしれない。おそらくは、年会費相当の無料買い物券をプレゼント、というような形態に移行していくだろう。

料金の自動払い込みに使っているカードなど、変更や廃止が面倒なカードは1枚にまとめる準備を始めたほうがいい。それから、1枚くらいは信頼できる有料カードを探したほうがいいかもしれない。年額1,200円程度で、銀行系のまっとうなカードを契約することができる。今はまだそれほど悪質なことをする銀行はない。

増えすぎた無料カード、有料化の宣告が同封されていないか、明細票の封筒にはちゃんと目を通しましょう。
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by antonin | 2007-03-07 16:49 | Trackback(2) | Comments(5)


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