安敦誌


つまらない話など
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週末。晴天。ほどよい気候。そりゃ混みます。

暇なので久しぶりに携帯更新。
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by antonin | 2008-04-26 10:22 | Trackback | Comments(0)

それはそれで平穏な日々

読了。

コーランを知っていますか

岩波文庫のほうで「コーラン」のを買ったのだけれども、信仰のない人間が聖典を読み進めるつらさは新約聖書で経験済みなので、「第三の聖典」を読む前にガイドブック的に読んでみた。学者さんや神学者さんの書く本ではないので全体的にライトな、というかときどき侮辱的であったりさえするのだけれども、とりあえず気楽に読み通すことができた。

新約聖書でも初期仏典でも読んで感じたことなのだけれども、世界的な大宗教というのは、その発生時点では少なからず革命的でカルト的だったのだということを感じないではいられなかった。あるいは「宗教は民衆の阿片である」と言ったマルクスの共産主義なども、現代的な視点から見ると立派に世界宗教の一派だと思えるのだけれども、初期共産党にあった革命思想の鋭すぎるさまが、ゴータマ・シッダッタが生きた時代のサンギャや、イエスが生きた時代のキリスト教団や、ムハンマドが生きた時代のウンマといった集団にはどうしても感じられてしまう。

もちろん、ゴータマもイエスもムハンマドも、その集団内では慈愛と穏健を説いてはいるのだけれども、思想が革命的な分だけ在来勢力との確執も大きくて、「教祖」となった本人たちはさておいても、集団全体の性質としてはどうしても、既存勢力との思想的あるいは武力的な対立が目立ってしまう。

ただ、現在の仏教、キリスト教、イスラム教を批判するつもりはない。現在の世界宗教であるこれらの宗教(と仏教を上回る信仰人口を擁するというヒンドゥー教)は、長い時間の試練にさらされて、誕生当初に比べてはるかに洗練されたものとなっている。原理主義的な動きはいつもあるけれども、「教祖なき宗教」である科学の分野にあってもその手の暴走は見られるのであって、それが全体的な価値を否定するものとは思えない。

コーランの物語を読んで、ムハンマドの生きた時代に触れるのはいいことなのだろうけれども、現代のイスラム教徒がコーランをどのように読んでいるかの方が興味深い。「神は死んだ」と言っちゃったキリスト世界に比べると、イスラム世界はまだ若い。中世ヨーロッパのような信仰の生々しさがまだ色濃い。科学を信仰する立場から見ると中世のヨーロッパは「暗黒時代」なのだけれども、これはアフリカ大陸を「暗黒大陸」と呼ぶのと同じような見方であって、中世ヨーロッパに暮らした人々は、中世末期の混乱期を別にすれば、おおむね幸せな信仰の中で平穏に暮らしていたのではないかと思う。

何か信じられるものがあるというのは人間にある種の強さをもたらす。疑うことで人間は常識を超える知識を得られる可能性を持てるのだけれども、たいていの人にとっては疑うことによって得るものより信じることによって得るもののほうが大きいように思う。かつてヨーロッパにあったという、そのような信仰に包まれた世界が、イスラム圏には今現在存在するのかもしれない。

--

読了2。

哲学の誤読

非常にエキサイティングな読書体験。こういう本は面白い。

現代語の試験問題で与えられる選択肢に書かれた要約の仕方に満足できなかったことが度々あって、それに似た解釈が遠慮なく出てくるのが痛快だった。確かに皮相的に読めば選択肢を選ぶことは可能なのだけれども、読めば読むほど選択肢の言葉が的外れに見えるという現象を、現役の「哲学者」が鋭く切り込んでくれるのに感動した。

ただまぁ、忙しい学者の先生が入試問題ごときに「ハズレ」の選択肢をでっち上げる際に、完全無欠な要約文を用意するのも無理だろうし、短い試験時間ではある程度皮相的に読むしかないのだから、仕方のない部分もあるだろう。そこで、この本の出番となる。こういう学術と現実の境界で遊ぶ文章を読むというあたりが、新書の楽しみだろうと思う。

この本が扱ったテーマが「時間論」なのだけれども、その議論の明快さと、徐々に深みに切り込んでいくスリルを味わうのは実に爽快だった。ただ、そこで徐々に不満が蓄積するのも同時に感じた。その原因は、時間の因果性や同時性、あるいは将来予測と将来時点が現実になったときの「その時点」の関係などを論じているのに、相対性理論や情報理論などの現代科学が送り出した芳醇な知見に全く触れられもしていないことにあった。

もちろん、本のテーマが「入試現代文で哲学する!」ということなので、あまり「現代文」の範疇をはみ出してしまっては約束が違ってきてしまうのだけれども、時間の正体について考える際に、光速度不変の原理やエントロピー増大法則に触れられていないのはストレスが溜まったし、酋長の祈りについて考える際に、相互情報量の定義や量子論での物理量の観測問題などに触れられていないのも、そこにある道具を使わないで間接的に推論するもどかしさを感じた。

ただし、読み進めるほどに、科学の用語を使わない議論が、実は科学の世界で議論されている内容と同形であるということにも気付き始めて、これはこれで議論の抽象化という意味で正しいあり方なのかもしれないと思うようになった。幸い、科学的知見と哲学的思索を結び付けてくれそうな人材は存在していて、それは「哲学の誤読」という本を知るきっかけとなった「猫だっていろいろ考えているんです」の森田さんだ。

科学哲学」のカテゴリーに、ちょうど「こういうものが読みたかったんだ」というような議論が書かれている。科学的な世界観にアレルギー反応を示す「哲学者」も煙たいし、かといって科学的でないものを一律に否定して回る「科学者」も同様にうっとおしい。両者の噛み合わない様子は愛煙者と嫌煙者の罵り合いを見るような嫌な感じがあったのだが、森田さんの視点はそういうところを慎重に橋渡ししてくれる。

結局学問の歴史を見れば、科学とは自然哲学なのであり、哲学とは人文科学なのだ。数式や数値を扱うばかりが科学なのではなく、基本的な態度にそう大きな違いはない。信じるべきものと疑うべきものに最適なバランスを見出して中庸を得た人はだいたい成功してきたし、過去の成果を過剰に信奉して排他的になったような人は、たいてい失敗例として歴史に名を残している。失敗にも「価値ある失敗」というものがあって、単純には評価できないのではあるけれども。

--

散財。

SONY 密閉型インナーイヤーレシーバー ブラックMDR-EX85SL-B

以前使っていたノイズキャンセルタイプのヘッドホンの具合が悪くなったので、買い換えた。以前のタイプはおおむね気に入っていたのだけれども、いくつか不満があった。

ひとつは、カナルタイプなのでシリコーンゴム製のアダプタを耳に差し込むのだけれども、このアダプタが非常に外れやすく、何度も紛失してしまうということ。もう一点は、音が小さいこと。プレーヤーの音量を最大にしてようやく実用レベルで、それもノイズキャンセルをオフにすると一段と音量が下がり、しかもキャパシタカップリングか何か使っているのか、高音が減衰してしまうということ。仕方がなく、騒音をキャンセルするよりも車内アナウンスを聞きたいような状況の電車内でもノイズキャンセルをオンにし続けるしかなかった。

そもそも、このカナル型ヘッドホンというのは遮音性能が高く、ノイズキャンセルなしでも十分に周囲の騒音は防げる。確かに旧国鉄時代にデザインされた宇都宮線の車両に乗っていたころには、難聴になるのではないかというひどい騒音に悩まされていたから、オープン型のヘッドホンでは音楽を聴くことすら不可能で、確かにノイズキャンセルは役立った。しかし、新型の省電力車両に置き換わってからというもの、車内は非常に静かで快適になった。いまや地下鉄ですら低騒音化が進んでいて、ノイズキャンセルが必要なほどの状況ではなくなってしまった。

というわけで今度は、カナル型で密閉型でありさえすればノイズキャンセル機能は不要、という結論になった。ところが届いた現品を確認すると、Amazonの商品タイトルやスペックでは「密閉型」とされているものの、どう見ても開放型の構造をしている。というのも、振動部の脇からイヤーピースが伸びているのだけれども、振動部の正面にはフェルトのような通気性のありそうな窓が開いている。ユーザーの意見などを読んでも音漏れは大きいようだ。

代わりと言っては何だが、音は確かに開放型らしく抜けた高音が出るし、低音ブーストを利かせても低音が籠りすぎて音が破綻したりしない。そして振動板の径が大型したおかげか、音量も十分に出る。MP3の圧縮によるひずみなども確認できるようになった。ただ、なんというか音漏れするのだ。おかげで高音を削減するTRAINモードを使わなくてはいけないし、音量も少し控えめにしなくてはならない。これでは何のための再生性能なのかわからなくなってしまう。

まぁそうは言っても、シリコーンのイヤーピースが外れて無くならなくなったのは非常にいいです。イヤホン部だけを格納するハードケースも付いたし。それだけ苦情がたくさん寄せられたからなんでしょうけれども。

というわけで久々の「散財」タグでした。
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by antonin | 2008-04-18 02:44 | Trackback | Comments(0)

陽春の候

公園など歩いていると、イチョウの木が若葉を出したりしている。

ケヤキの葉はまだ黄色いが、徐々に新緑という感じになっている。

クスノキは常緑だが、枝先のほうが春になって芽吹いた葉で明るい色をしている。

カエデなども葉を広げ出し、つぼみか何か知らないが、飾りのようなものをぶら下げている。

サツキのつぼみが鞘を破って花の色を見せている。

長雨でスギの花粉もすっかり落ちたようで、ヒノキのほうはあまりひどくない様子。

家に帰ると花屋で買ったビオラが季節感なく咲いているが、それでも室内で越冬した日日草が新芽を出したり、昨年に播種の時期が悪く芽が出なかったノースポールが、土中で冬越しをした今年になってようやく花を咲かせたりしている。

今年はスイートバジルの種も土中で越冬させたので、5月ごろになれば自然に発芽するかもしれない。自宅で採れるハーブ類というのは結構便利に使えるが、油断をすると尺取虫に食われる。ローズマリーも世話なしでいいが、いまひとつどう料理していいものかわからない。

都会における花というのは、広告と同じである。人の目を引き付けることで、その生命を維持している。ミニバラの葉が出始めた室外機置き場の先には、道路に向けられた広告が見える。枯れる前に新しいものにすげ替えられるそれは、花が終わると植え替えられる花壇の花によく似ている。

植え替えることができず、それでいて年のうちに一週間しか咲かないソメイヨシノが愛でられるという余裕は徐々に失われつつあるが、かといって無くなりもしないのだろう。
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by antonin | 2008-04-16 02:38 | Trackback | Comments(4)

無題

ドルが急落したのにつられてか一時的に対円で値を下げていたユーロが、160円台を回復した。ドルの対円相場も若干値を上げているが、26週移動平均のグラフを見た感じでは、まだ下げ止まったようには見えない。過去9ヶ月の円相場に見られた傾向が今後も続くのか、気になる。

トヨタ自動車の株価が配当額に対して安すぎるのだという。これは一般的な理論で言えば、トヨタの将来的な成長が期待できず、株価の上昇よりも配当で利率を稼ぐしかない、ということを意味するらしい。世界最大の自動車メーカーであるGMに並び、今後成長するであろう新興国市場にも強い低燃費低価格の小型車を得意とするトヨタに成長余力が無いわけはなく、成熟産業である東京電力より配当利回りが高いというのは説明が付かない現象なのだという。

トヨタが東電を上回る配当利回り、大きな歪みが示す割安感(ロイター) - goo ニュース

トヨタ自動車は典型的な輸出産業であり、円高の影響をもろに食らう企業ではあるが、現在は生産拠点を世界各地に分散しており、部品調達も可能な限り工場近隣の地域で行っているという。また、全ての決済を一度円に戻すような古いやり方ではなく、売り上げのかなりの程度を現地通貨で留保し、円を経ないで決済するような方法も比率を増しているのだという。

特に北米市場では、いわゆる「ジャパン・バッシング」以降に失業率の高い地域を選別して工場を設立したりしていて、現地生産・現地販売化が進んでいる。トヨタ車といっても、アメリカを走っている左ハンドル仕様車は一部高級グレードを除けばかなりの割合でMade in USAなのだという。確かにトヨタはヨーロッパ市場やBRICs市場では極端に強いとは言えず、もっぱら北米市場に依存しているのだけれども、それでもドル安を逆手にとって北米産のトヨタ車をヨーロッパ市場に流すということもできなくはない体制になっている。

こういう公開情報があるにもかかわらずトヨタ自動車の株価が安いということは、どこか別の要因が懸念されているのだろう。経済情報には疎いので正確なところはわからないが、素人目にも一番目に付くのは、やはりアメリカ大統領選挙の行く末だろう。日本の自民党政権や、自民党とうまくやってきた日本企業は、アメリカではどちらかというと共和党と仲が良かった。トヨタ自動車の北米工場展開なども、共和党に限りはしないけれども、どちらかというと共和党寄りのロビー活動を通じて実現してきた面が強いようだ。

そして、未来のことは誰にもわからないのだけれども、それにしても日本の報道では「オバマ対ヒラリー・クリントン」の話題しか出てこない。「ジョン・マケイン」などと聞いても、「誰それ?」という人も多いのではないか。日本のマスメディアの予想通りに進めば、初の黒人系大統領にしても初の女性大統領にしても、とにかく民主党から次期合衆国大統領が生まれるということになる。

キリスト教保守系と新自由主義を混ぜ合わせたような「新保守主義」(ネオコン)の印象があまりに悪かったために、民主党が政権を取ればアメリカの正義がよみがえるように思えるかもしれないが、日本の輸出産業とアメリカの民主党の相性は悪い。共和党は他国に自由貿易を強制するかわりに合衆国内にも自由競争を許すようなところがあるけれども、民主党は社会主義的な国民保護政策に比較的抵抗がないから、トヨタ自動車の利益を社会福祉財源として狙ってくる可能性もある。

日本では医療費に関して国民皆保険制度が成熟していて、むしろ手入れを怠ったために機能劣化が進んで衰退期に差し掛かっているが、合衆国では皆保険制度自体が実現しておらず、これから日欧並みの制度を導入しようと民主党が主張している段階にある。しかし赤字財政でそれを実現する痛みはすでに何度も経験しているので、ある程度の財源は確保してから政策を実施に移すだろう。

民主党の方針として庶民からの増税でそれを賄うわけにはいかないので、取りやすいところから取るとなると大きな利益を上げている大企業が標的になりやすい。Microsoftなどはその筆頭になるのだろうが、自国産業を圧迫してしまっては評判が下がるので、代わりに標的としやすいのがトヨタ自動車やヒュンダイ自動車、あるいはソニーやサムスン電子あたりということになる。だとすれば、このあたりの企業の株価が下がるのもある程度は仕方がないのかもしれない。

合衆国政府の立場で言えば、今まで米国の活況で稼いできたのだから、不況下では草刈場にされても文句は言わせない、というところだろう。あまりに露骨な保護主義的課税は憲法などの基本法に抵触してしまうだろうが、「結果的に」そうなってしまうような法律なら作れる。日本も平成不況で外国人や外国資本をかなり締め出しながら日本企業を保護してきたのだから、そういう意味でも文句を言える筋合はない。トヨタを保護して欲しかったら、ブルドッグくらい売れと言われるだろう。

トヨタの米国本社が現地採用した上級役員のうち、少なくないメンバーがビッグスリーなどに引き抜かれてしまったらしい。それでも痛みはあるのだろうが、あちらの経営層というのは転職によるキャリアアップがほぼ常識だから、この程度なら折り込み済みだろう。しかし、日本の技術を満載した製造装置を組み込み、日本のものづくりを全ての工員に教え育てるシステムが作られ、そして世界的にベンチマークされるトヨタ生産方式を体現したトヨタ自動車の北米工場が、何らかの圧力によりビッグスリーや親米的なインド企業などに売却されるような動きになると、日本の自動車産業全体にとって大きなダメージとなる。

こんな素人推論がどこまで当たるのかは知らないが、そういう要因が全くないということもないだろう。もしそういったリスクがないのであれば、「あらトヨタがお安いのね、今のうちに買っておかなくっちゃ」ということになるのであるが、果たしてどうか。
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by antonin | 2008-04-04 00:30 | Trackback | Comments(0)

パンセ

人間は、ひよこ豆である。しかし、考えるひよこ豆である。

あるひよこ豆は、種となり土に蒔かれ、時に応じて芽を出し、草となって実を結ぶ。

しかしまたあるひよこ豆は、スープの具となって煮込まれ、人の糧となる。

考えるひよこ豆は、いかにして土に蒔かれ発芽するかを考え、そのために最善と考えられる方策を講じる。

また別の考えるひよこ豆は、いかに柔らかくうまみのあるスープとなって人の舌を喜ばすかを考え、そのために最善と考えられる方策を講じる。

また別の考えるひよこ豆は、選り分けられて今まさに煮られようとするざるの中で世界を見、また洗われたひよこ豆たちの姿を見る。そして、ひよこ豆とはなにものであるかについて考え、論じる。そののちにスープにされるということは考えもしていないかのように。

人間は、考えるひよこ豆である。しかし、ひよこ豆である。
でんぷん質と魂の共存という悩ましい関係の中に存在する豆である。

これはエイプリルフールのために書かれたジョーク記事です。

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by antonin | 2008-04-01 22:04 | Trackback | Comments(0)

gooよ、お前もか…

かつて自宅PCでブラウザのスタートページにしていたYahoo! Japanのトップページがリニューアルされて横幅が微妙になってから、これを避けてgooのトップページにスタートページを切り替えていた。しかし、ここも流行の幅に拡張されてしまい、新しいスタートページを探すことになった。

スタートページに要求するの時事ネタを適当に提供することだけなので、その意味では新聞社のトップページでもいいのだけれども、特定のニュースサイトだと内容に偏りがあって面白くなく、そういうわけでポータルサイトのページを使っていた。

あとはMyYahooやiGoogleのようなカスタマイズ系のページになるのだけれども、MyYahooはYahoo IDでのログインをしないとカスタマイズが活かせないので、セキュリティ的になんとなく嫌だ。iGoogleはログインなしでもある程度使いやすそうだったが、リンクを新しいタブで開けないのが致命的となって、現時点では断念せざるを得ない。

StylishなどでYahoo! JapanのCSSにユーザースタイルをかぶせてしまえば良さそうなのだけれども、それにはCSSの分析から始めないといけない。YahooのトップページのCSSを解説したページなどがあっても良さそうだが、それを使うと広告を片っ端から消すということも可能になるので、あまり検索上位には上げてもらえないようだ。

横幅1000pixel程度のサイトが増える背景には、1024x768のXGAが普及したという事情もあるのだろう。しかし、今は1280幅のディスプレイしか使っていないので、画面上で邪魔になり過ぎない程度のウィンドウサイズにすると1000pixel系のサイトは横スクロールが必要になるし、表示しようとして全画面化すると、左右に間抜けな空白が現れる。何よりブラウザで画面が埋まってしまうので非常に邪魔。

ブラウザのウィンドウをもう少し広げて1024pixel相当にすれば問題ないのだろうが、なんだか今まで粘ってきたのに今さらそういう方法で大勢に屈するのは負けたような気がする。別に勝ち負けの問題ではないのだけれども。

・・・などと悪戦苦闘していたら、gooのトップページ右上に2カラム表示ボタンを発見。押してみると、今までと同じ横幅に収まった。さすがNTTレゾナントさま。私の調査が足りませんでした。これからもgooをスタートページにしますよ。?LY=1付きで。以前もtable_top.htmlかなんかを使わないとJavascriptが重すぎてCPUがうなるとかいう(Firefox限定の)不具合がありましたが、まぁ余計なことをしてもなにか抜け道を用意してくれるのがgooのいいところ。これからもよろしくお願いしますよ。
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by antonin | 2008-04-01 02:18 | Trackback | Comments(0)


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