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無限学習症候群

Chimaira.org

檜山正幸のキマイラ飼育記

こういうのを読むと、年甲斐もなくワクワクしてしまう。難しそうなのだけれども、意味もなくドキドキしてしまう。圏論って初めて聞いたよ。意味不明の術語がモリモリと書かれているが、図を使うと幼稚園児でも理解できるそうだ。(笑) あぁ、SICP読みたくなっちゃったよ。マンキューもろくに読めていないっつーのに、なんでこう興味だけやたらと広範囲へ広がっていってしまうのだろう。

計算機プログラムの構造と解釈

ジェラルド・ジェイ サスマン / ピアソンエデュケーション


マンキュー マクロ経済学 第2版〈1〉入門篇

N.グレゴリー マンキュー / 東洋経済新報社


でもまぁ、馬鹿でも馬鹿なりに理解可能な世界というものがあって、理解できなかったものが理解できる瞬間というのは、この歳になってもやはり楽しい。実は、初めて勉強が楽しいと思ったのは、大学に入って塾講師のバイトをしているときだった。中学生の頃あれほど苦しめられた数学の問題が、今なら楽に解けるということに気付いてしまったときだった。でも結局、ラプラス変換を使いこなして微分方程式を楽に片付けたりとか、ガウスの発散定理あたりからの道具立てでマクスウェル方程式の微分形をグリグリ計算するとか、そういうところまでは到達できなかった。

ただ、そんなものと格闘しているうちに、数学の形式的記号操作というのは将棋やチェスに似た訓練とセンスが必要だとしても、その概念構築の作業というものは、また別のセンスによっているのだということをほんのり理解できたりした。そして、そういうほんのりとした理解を繰り返しているうちに、ここまで来てしまった。で、そういう人間に果たして存在価値はあるのだろうか。レーゾン・デートルとかいうやつなのだけれども、これを解決しておかなくては、おちおち40歳を迎えることができない。

ひとつは、ジェネラリスト、言い換えると、知識の深さではなく幅のスペシャリストとして、それなりの地位を占めるというやりかた。現代というのは、人知の及ぶ領域が広く、かつ深くなってしまったので、ひとりの人間が学問の深みに到達しようとすれば、それなりに狭い知識に特化して研究を進めなくてはならないという前提がある。つまり、現代はスペシャリストを要求している。しかし、ある程度広い視野から隣接領域の研究成果なども流し込んでやらないと、視野の狭いスペシャリストはしばしば泥沼に陥る。

そこで、幅広い教養が必要となり、「T型人間」なんていう欲張りな要求が出てくる。クルックスさんか誰かが言っていたけれども、「全てのことについて、ひとつ知りなさい。ひとつのことについて、全て知りなさい」というのもこれと同じことだろう。ただし現代では、こういうやり方では追いつかないほどに学問知識というのは深く掘り下げられている。ノーフリーランチ理論の示すとおり、我々の脳が持っているメタヒューリスティックな問題解決能力は、やはり特定分野に特化すればするだけ、その分野では強い力を発揮するようになる。

そこで、不要論も出ているジェネラリストの復権になるのではないか、などと期待している。つまり、専門分野に深く踏み込んで研究するスペシャリストは、必然的に専門分野以外の学問に疎くなる。そこで、技術通訳としてのジェネラリストを介して、周辺分野の成果を紹介し、蛸壺での泥沼化を防ぐ。こういう、スペシャリストを尊重するための介在装置としてのジェネラリスト、なんていうのがあってもいいのではないか。

だがしかし。これは実は私には向いていない。これができる人というのは、フォン・ノイマンみたいな人物になるだろう。たまたま「通訳」という語を使ったが、現代的な学問における共通言語とは、英語と数学である。ギブスさんだか誰だかが、「数学とは言語である」と語ったそうだが、まさにそのとおりで、具象を取り去って抽象を抽出した形式的数学体系というのは、どの方言からも独立したラテン語のような存在になっている。これにより、応用分野が異なっても構造的に同形の学問が互いの成果を持ち寄って協調できるようになる。ある分野では実証が難しいような仮説を、別の分野で実証実験にかけたりすることが可能になる。

だからまぁ、数式の扱えない人間は、この手の技術通訳はできないのですよ。文系と理系の橋渡しというのもあるかもしれないが、それもこの手の、スペシャリストによる良質の著作の前には歯が立たないのですよ。文系の人が直接これを読めばよろしい。

熱力学―現代的な視点から (新物理学シリーズ)

田崎 晴明 / 培風館


統計力学〈1〉 (新物理学シリーズ)

田崎 晴明 / 培風館


統計力学〈2〉 (新物理学シリーズ)

田崎 晴明 / 培風館


はぁ。

となると残された道は、寺子屋業、ということになる。小学生でもわかる熱力学、というあたりまでブレークダウンすることができれば、何かしらの役には立つかしらん、というあたりになる。人生は何をか成すには短すぎるが、何も為さずに過ごすには長すぎるのである。だったら数世代で何をか為せばいいじゃない、ということになる。国家百年の計というのがあって、それは天才的才能による壮大な構想と思っていたが、歴史を見るとそういうものはたいてい継承されずに天才の死と共に崩れたりする。本当に百年を経る構想というのは、自分では全部はできないので、ここまでやったからあとは若い皆さんに頼むよ、という謙虚な姿勢から発していることが多い。

先人の書き残したものを理解して、それを後世に伝えることができたら、誰かがその「巨人」の肩に乗って、何をか成し遂げてくれるに違いない。ほとんどは真理の大海の波打ち際で、ひときわ美しい貝を見つけては喜ぶ子供のようにして終わっていくのだろうけれども、その喜びをそのまた後世に伝えてくれたらそれでいいじゃない、と思う。

で、高レベルの知識人は大学で研究と教育に従事すればいい。低レベルの知識人は、小中学校あたりで学習と教育に従事すればいい、ということなのだろう。公教育だといろいろと法的な縛りがあって難しいので、私塾という形がいいのだろうが、なにか面白い方法はないだろうか。まぁ、まずは自分の子供3人に注力するか。楽しめ。学問は楽しいぞ。そして、楽しんだ末に見つかる真実は、生きる上で結構役に立つぞ。実学でも形而上学でもな。そういうことを伝えたい。

野球やサッカーでも人間の才能や努力の質やチームワークの大切さなどを学ぶことができるだろうが、その根っこにはやはり運動を楽しむということがなくてはならないだろう。最初から苦行のスポーツなんて嫌だろう。学問も同じだ。昨日は知らなかったことを、今日は知っている。昨日は理解できなかったことを、今日は理解している。それって、やっぱり楽しいことなんだよ。そして、自分が楽しむだけでは終わらないというところに、学問の本当の楽しさがあるんだよ。今の学問に足りないのは、そういうワクワク感なんじゃないのか。

そりゃ、野球と同じで、プロになるには途中に苦行を経る必要はある。けれども、それって言うのはやはり、子供の頃に感じた、単純に楽しむ気持ちが根っこになければ健全ではないと思う。

子供の頃に見た"E.T."っていう映画で、宇宙人がキーボードのついたおもちゃに発音させて地球の言葉を覚えるシーンがあった。で、それを見ていた私は、「機械がしゃべるのか! 中はどうなってんだ!」って、無駄にそっちのほうに興味が行ってしまったのを覚えている。ADPCMあたりまでは理解できたけれども、ΔΣ変調なんかはまだ謎の部分が残っている。z変換とか懐かしいけれど、そのうち復習してみたい。学びて時にこれを習う。また楽しからずや。

で、まぁ、道楽で無限学習に陥ってしまっているのだけれども、この知的財産は、金銭的、あるいは物質的財産と同じで、あの世まで持っていくことができない。そればかりか、自分が死ねば完全に失われてしまう。これは、なんだかむなしい。だからその、まずは自分の子供たちに念力を送っておこう。「あなたはだんだん勉強したくなる」と。余裕があったら、他の子も呼んでみよう。草野球のコーチみたいなもので、教えるのが楽しいなら、それでいいじゃないかと思う。役に立つかどうかは運に任せるとして、まずはお互い楽しもうじゃないか。

そんなことを、うっすらと考えています。

算法少女 (ちくま学芸文庫)

遠藤 寛子 / 筑摩書房



オマケのリンク:オチコボレ100の法則 [物理のかぎしっぽ]
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by antonin | 2009-02-26 02:49 | Trackback | Comments(0)

砂漠の民

えー、ダラダラと文藝春秋を読んでいます。

で、丹羽さんという経済界の論客と、例の派遣村の湯浅さんが対談していたりする。文春編集部の編集術というものはあるにしても、対談はときどき毒を含みながらも紳士的に進行していく。結局、ある人の意見を鋭く切り出して報道すると物言いを付けたくもなるのだけれども、その意見を発している人物の思想そのものというか、生き方と考え方を丸ごと受け止めてみたりすると、同じ意見がすっと腑に落ちたりする。変なものである。

そういう、人物の一部を鋭く切り出してしまう機能というのは確かにネットが抜きん出て強力なものがあるので、ネット批判というのも確かに理解できる部分がある。しかし、そういう切り取り機能を最初に発達させたメディアというのは、やはりなんといっても印刷物だろうと思う。手書きで書き写された書物が主流だった時代というのは、文字情報というのはそれほど鋭利な道具ではなかったように思う。ところが、自動車や電車の持つせわしなさの源流が蒸気機関車にあるように、やはり情報メディアの危険性の源流というのは活字メディアにあるのではないかと思う。

キャンディーズという日本を一斉風靡したアイドル・グループがあって、衆目を集めて華やかに立ち回ったが、次第に「日本中の人が私たちのことを噂している」という異常な状況に耐え切れなくなり、「普通の女の子に戻ります」というような宣言をしてしまった。それを、何でそんなことをするのか理解できなかったのが当時の一般大衆だったと思うのだけれども、今ではごく普通の人がMixiに書いたちょっとしたことが日本全国でさらし上げになるなんていう事態も目にするようになった。誰もが情報発信可能になるネットパワーは、誰もがゴシップネタになってしまうという、便所のオツリみたいなものとセットになっているというのが現状だろう。

こんな具合なので、一般大衆が戦国武将や近世フランス社交界の花形に共感する機会が増えるというのも、考えようによっては当たり前なのかもしれない。そして安楽なオフライン生活に戻ることで心の平和が取り戻せるのかというと、一度派手な注目を浴びてしまったキャンディーズのメンバーの一部は、今度は刺激の足りない生活に耐え切れなくなって芸能界に復活したという「史実」が待ち受けている。なんというか、後戻りできないところまで我々は来ているのだろう。先へ進むしかない。

後戻りできない、というところで、冒頭の対談に話を戻す。というのも、この丹羽さんという人が、対談の中で「東京砂漠」という言葉を使ったのが気に障ったからだ。なんだなんだ、こちとら東京生まれでい。おれっちの生まれ故郷を悪く言う奴は誰でい。なんて江戸っ子言葉を使ってみても、私の家系を江戸まで遡ることはできない。それでもやはり、いまさら東京生まれであることを否定できるわけでもなく、東京の持つ文化ではなく東京という装置そのものを批判されるのは心が痛む。

もちろん、現代日本の都市が抱えるコミュニティーの希薄さという問題も理解できるし、その問題を象徴的に表現するなら東京という最大の都市が最適だろうということも理解できる。ただ、なんなのだろう、かつて「上京して一人暮らしする」という行為が原理的に不可能な、東京生まれの人間としての宿命に苦悩し、代替手段として地方都市で10年余り暮らした身としては、「東京の20万円より地方の10万円」なんて言われると、ついバカヤローなどと言いたくもなる。

地方に故郷を持つ人が、自分の生まれ育った土地に戻るならば、そりゃ地方は暖かい感じがするだろう。しかし、東京生まれが地方へ出向き、「よそ者」と「都会者」という二重のレッテルに苦しみながら慣れない土地で暮らすストレスというのは尋常でないものがある。まだ学生時代は日本各地から学生が集まっていることもあってそういう苦痛は少なかったが、社会人として勤め始めるとその孤立感というのは切実なものがあった。仕方なく都市部の出身者が固まって居住し、「リトル・トーキョー」のようなものを作ってしまう。それじゃ、東京という装置の輸出にしかならないだろう。

そして、「空気のきれいなところほど住みにくいと、親父が言っていたよ」なんていう東京出身者の声を聞いてしまう。それはまぁ、空気の汚いところで生まれた人間の宿命なのだろう。智恵子が東京には本当の空がないと言えば、光太郎は福島には本当の街がないと言うだろう。どっちもどっちだ。

東京砂漠には、ギラギラした眼をして各地からやってきた流浪の民が住み着く。当初は痛い目にも遭うだろうが、そこは流れ者同士のよしみというやつで、やがて気の会う相手を見つけてくっつく。面倒なのは、砂漠生まれの人間だ。砂漠で生まれ、流浪の民の中で育ちはしたが、砂漠で生まれた身には懐かしむべき土地がない。砂漠こそが故郷であるということに、やがて気付くことになるのだが、これはあまり生易しい経験ではない。

中学時代に1年間、国語の作文課題をボイコットしたことがあったが、そのあとに初めて書いた作文は、そういう故郷のない自分の境遇に気付いたときの不安感を述べたものだったように思う。それに対して、横浜生まれの先生は特に何もコメントしなかった。東京周辺の街で生まれ育った人には、東京生まれよりもさらに微妙な気分が漂っているのかもしれない。

東京砂漠で生まれた人間は、砂漠で生まれただけに乾ききった心をしているが、それだけに心が乾ききった人間の気分というものを誰よりもよく理解している。イスラムという宗教は砂漠に囲まれた街で生まれたようだが、その教えというものはアッラーのもとに集う人間の団結というものを第一義にしている。なんというか、殺伐としつつもどこかしら共感しあう、そういうネット社会のありかたというのは、我々砂漠の民が最も住みやすい場でもあり、また同時に最も乾く場でもあるのかもしれない。

「女子割礼」に大反対キャンペーンを打っているアフリカ出身のモデルさんがいて、水の少ない地で生まれた彼女は、裕福になった今でも喉の渇きにだけは異常な欲求が抑えきれないのだという。

ああ あなたの そばで
ああ 暮らせるならば
辛くはないわ
この東京砂漠

そんな歌が流行したのは私がまだ小学生の頃だった。そういう街で生まれ育ち、そして地方生活に挫折した人間というものは、むしろ誰よりも共同体意識に根差した愛情というものを切実に希求してしまうものなのかもしれない。

安敦誌 : 忘れ易きふるさと
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by antonin | 2009-02-24 23:28 | Trackback | Comments(2)

バラク・オバマ、2つの方法

与謝野馨さんと、失脚する前の中川昭一さんの政策なんかを調べているのだけれども、あまりはっきりしたものが出てこない。おそらく与謝野さんなんかは財務省の正統派の意見を比較的ストレートに反映しているのだろうけれども、昭一さんのほうはちょっと上げ潮に流れているので、財務省としては扱いにくかったのではないかという気がしている。それで大臣が失脚してしまうあたりが日本の面白いところだが、とにかく次へ行くしかない。

国内の政策が感情的な怨嗟や生活に直結する損得に妨害されて追いかけにくいのに比べて、日本語で書かれるアメリカの政策というのは、客観的というか、他人事のような冷静さで分析される傾向があるので、比較的追いやすい。オバマさんは、表向きは「グリーン・ニューディール」という景気浮揚策で政権を開始すると宣言した。ニューディール政策というとフランクリン・ルーズヴェルト大統領ということになって、その後の日本はどうなるんだ、という話になる。

まぁ、現在の日本は「八紘一宇」とか「大東亜共栄圏」とか言い出す元気がないので、今回主役に躍り出るとするなら中国あたりということになるだろう。中国って近代史で戦争に勝ったことないからなぁ。眠れる獅子が目覚めたらどういうことになるのかってのは、一度腕試ししておきたいところかもしれない。でもまぁ、諸子百家が母国語で読める連中なので、あまり無茶はしないかもしれない。

この陰謀論的世界史観でいくと、とりあえずアメリカが一時的な不況を脱するものの間もなく限界に達し、世界中の貧困に対する怨嗟の声が渦を巻いて世界大戦に至り、武器商人を中心に経済が復興して一丁上がり、富裕層はその後50年は安楽生活、ということになる。

だが一方で良心的経済学の理論でいくと、既存市場が飽和したら新しい市場を開拓したらいいじゃない、という見方もできる。ちょうどいい具合にオバマさんは奴隷として売られてきた黒人ではなく、アフリカに残った「勝ち組」黒人をお父さんに持っているので、アフリカに西洋文明を注入して新しい資本主義市場を創設するには都合のいいポジションにいる。

かつて、アジアは(西欧に比べると)貧しかった。で、何度か戦争をやって、西洋科学の強さを知らしめられた。そうすると、知恵のあるアジア人が勝手に西洋科学を学んで、既存の資本主義体制に「エマージング・マーケット」をもたらした。その過程で衛生医療水準が不連続的に改善し、多産多死の人口構成から多産少子の人口ボーナス期を経て、少産少死の成熟市場に移行するという変化が起こった。

ヨーロッパなどはとっくの昔に成熟市場になっていたが、第二次大戦に首を突っ込んだ日本では、まだ人口ピラミッドがピラミッド型をしている多産多死の社会だった。インドなどはまだそういう社会構造をしているけれども、今後徐々に医療が普及して人口構成が変わっていくだろう。まぁヒンドゥーは社会階層がフラットではないので、変化はゆっくりしたものになるだろうけれども。

その点、表向きは平等主義の共産国家だった中国は優等生だった。既に一人っ子政策などもやっていたが、地方ではそんなものはお構いなしの多産多死社会が残っていたらしく、そのあたりを起爆剤として経済成長を実現した。しかし、もうベトナム人のほうが所得水準が低かったりして、「金の卵」の枯渇が早くも見え始めてきた。それでも地球人の5人に1人は中国人なので、完全に枯渇するまでにはあと数十年かかるだろうけれども。

そんな具合で近年のバブルは実体経済の裏付けなんかもあって伸び続けてきたのだけれども、ここへ来てついに金融工学のスピードに追いつけなくなった。ここで調整局面としての恐慌が発生するのは必然として、では次の好景気の起爆剤をどこに設けるかという話になる。歴史に単純に学べば第三次世界大戦になるわけだけれども、もうちょっとエレガントに歴史に学ぶと、アフリカあたりに理想的資本主義国家を樹立するという手がある。

敗戦後の日本がちょうどそれに当たった、という仮説はまた別に述べようと思うけれども、戦後の日本の子供たちが頭からDDTの白い粉をかけられている映像というのが、なかなか印象的だった。理想的な憲法。理想的な税制。いろんな前例のないものが現実世界に打ち立てられた。日本はある意味、政治理論や経済理論の実験場として使われたわけだけれども、その成果というものは世界の学者さんたちに多くの実証データを与えたに違いない。イラクでもそれをやろうとしたが、まぁ、失敗した。

アパルトヘイト政策を解消した南アフリカがグダグダになっているけれども、近くあそこでサッカーのワールドカップが開催されるらしい。たとえばあそこに、20世紀のいろいろな経験を経て洗練されたものの、依然として「机上の空論」段階にある新規学説に従ったシステムを一気に構築してみると、いったいどうなるのか。世界の工業生産力に見合った需要を喪失した資本主義システムに、21世紀品質の新しい資本市場が追加されて、旧世界も新世界もみんなガッポリ、なんていう展開になるのだろうか。

未来がどうなるのかなんてわからないが、かまわず妄想を続ける。新経済発進の補助ロケットブースターとして、まずは衛生医療を導入する。抗生物質でもHIV抑制剤でもいいけれども、とにかくアメリカが持っている医薬技術に(同盟国の)税金をつぎ込んでフル生産し、アフリカに送る。そしてその医薬品が大衆に行き渡るための保険制度と医療設備、それに医療知識を持った人材育成機関を設置する。すると、多産多死、平均寿命50歳くらいの国家が、人口ボーナスをテコにして経済成長路線に乗り始める。あとは彼らが勝手に死に物狂いで働いて、そして手にした資金で旧世界の製品を購入してくれるようになるだろう。

この政策の面白いところは、哀れなアフリカの民衆から搾取する旧世界の資本家、という対立構造ではなくて、あくまで死にゆく子供たちを文明の力で救い出す人道主義、という体裁をとることができる点にある。それをあのイケメン白黒ハーフのオバマさんがやってのける。なんというサプライズ。歴史に名を残すだろう。アメリカ経済の復興と、暗黒大陸だったアフリカに夜明けをもたらした英雄。

まぁ、現実のほうを見るとアフリカ救済というよりはニューディールの方針でいくらしいのであまり期待できないが、できれば世界大戦よりは新市場創生に至るような流れでやってもらうと、こちらとしても気分がいいし、コドモの発育にも好影響をもたらすような気がする。こんなんどうでしょう、オバマさん。
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by antonin | 2009-02-24 22:15 | Trackback | Comments(0)

さて、寝よう。

ピカチュウで解剖学。(たぶん誤訳)



ピカチュウを体内構造から描いてみた 【微グロ注意】 by おもしろいもの見つけた゚+.(・∀・)゚+.

ここで拾いました。微グロだそうです。
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by antonin | 2009-02-23 04:07 | Trackback | Comments(0)

情報教の福音書

安敦誌 : ぽろりぽろりと井戸の水

私は基本的に上の記事のような考え方を持っていて、自分の意見などというものは所詮、今の時代の、ある地層の情報が自分の口(ないし指)を通じて流れ出ているだけのものなのだろうと思っている。

そして、こういう妄想を書いた。

安敦誌 : 情報教宣言

こちらのほうも、やはり当然のように源流が存在していた。それはいつものように、自分の考えたことを、自分よりも先に、そして自分よりはるかに洗練されたやりかたで済ませているというものだった。そして今回もそういう源流を見つけたので、先日2冊ほど書籍を購入した。しかしハードカバーだったので、ちょっと読み場所と保管場所に困る。通勤電車で読むのにハードカバーは都合が悪い。

宇宙を復号する―量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号

チャールズ・サイフェ / 早川書房


こちらは、サイエンスライターによる著作。サイエンスライターと言ってもチャールズ・サイフェさんはイェール大学で数学の博士号を取得しているらしく、日本でのサイエンスライターとは社会的な地位がまったく異なるのだろう。通常、こうしたサイエンスライターの著した書籍のほうが理解しやすいと考え、まずこちらを読むことにしたのだが、実際に読んで見ると結構骨のある内容。MITの研究者自身が書いた本を後回しにしようとしていたのだが、実はこちらのほうが読みやすそうであるということが判明。急遽順序を入れ替えることにした。

宇宙をプログラムする宇宙―いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?

セス・ロイド / 早川書房


またサンタフェ研究所か。所詮、複雑系なり非線形系なりに対する私の発想というものは、すべてここに源を発しているのだろうな。まぁいい。どのみちテーマがテーマなので最終的には頭を捻じられるのだろうが、楽しく読み進められそうな体裁はしている。私には量子コンピュータの原理がまだ納得できていないのだが、この本にはそういうテーマも含まれているようなので、そのあたりがわかった気になればもうけものだろう。

かつて大学で統計熱力学程度は化学屋に必須の一般知識として学んだが、その詳細はIUPAC命名法などと共に記憶のかなたに消失してしまったので、もはや学術的には使い物にはならない。ただ、こういう一般向けの教養書を読むための土台にはなっているので、まぁ趣味には生かすことができている。当時のfjあたりで流行していた言葉を借りれば、「税金返せ!」と言われるところだろう。

ちなみに当時学内のサークルで「緩い自主ゼミ」みたいな活動をしていたのだけれども、そこで情報理論のパートを提案したものの人員が集まらず、しかたなく物理科の先輩たちが主催する「宇宙論」と「素粒子」のパートに参加し、化学科の後輩が主催する「環境」だの「毒物」だのといったパートを聴講することになった。このサークルに、工学部からの参加は私一人だけだった。今はもう部員がいなくなって解散してしまったと聞く。

そして、そんな物理科の先輩たちが無力な私のために「ガチもんの物理教科書」を避けて選んでくれたのが、「宇宙という名のたまねぎ」と「宇宙創生はじめの3分間」だった。本来あまり興味のある分野ではなかったが、結果として貴重な経験ができたと思う。学祭のときに、この本のレポートを章ごとに担当してワープロ打ちし、冊子にまとめて配布した。微小規模だったが、大学の枠を超えたコミュニティもあった。当時は楽しかった。

宇宙創成はじめの3分間 (ちくま学芸文庫 ワ 10-2 Math&Science)

S.ワインバーグ / 筑摩書房


「3分間」のほうがちくま学芸文庫から復刊されていたので、購入してみた。全体に懐かしい空気が漂う。著者のワインバーグさんはサラムさんと共に、弱電統一理論の中の人としてノーベル物理学賞を受賞した人物だ。そういうわけで、一般向けの本だから厳密な理論機構がダイレクトに書いてあるわけでないのは当然としても、だからといってアホな内容の本でもなかった。現在の理論からすると時代遅れのことも多々書かれているに違いないが、ウィリアム・ジェームズの「心理学」と同じで、学者としてではなく趣味人としての教養を得るためには、むしろ極限まで無駄をそぎ落とされた教科書よりも、この手の理論を編み出した人物の思考の残滓がこびりついた文章のほうがはるかに役に立つ。

ついでだから、その他の散財についても記録しておくか。そろそろ「ライフログ」を再掲してもいい頃かもしれない。生まれ変わったexblogが大好き。

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」、第7番

諏訪内晶子 / ユニバーサル ミュージック クラシック


カバー写真が気に食わないという意見が多数寄せられている本作。お前ら何が目的だよ。(笑) だがまぁ、気持ちはわかる。昨年末にカートへ入れてから、何度か価格が上下したという商品は、このCD。

次。仕事もしてるんです。

[新装版]部下の哲学 成功するビジネスマン20の要諦

江口 克彦 / PHP研究所


以前に購入した、「上司の哲学」を愛読していたのだけれども、それ以前に部下としての心得が先でしょう、という状況になり、上記を購入。だがしかし、思ったのは「上司の哲学」を先に読んでおいて良かったな、ということ。おそらく、これだけ自己に厳しい上司として働いてきた人の意見だと思った上で読まなければ、おそらくこの「部下の哲学」は、単に煙たいだけの説教に聞こえてしまったに違いない。あの「上司の哲学」と同じ人物の言葉であると認識しなければ、この本の言葉の半分も我が身に浸透しなかっただろう。人間ってのは面白いもんである。要は自己に厳しくあれ、他人に親身であれ、ということに尽きるのではあるけれども。

最後に。地雷を踏んだ。

Visual Studio2008機能操作ガイドブック

日向 俊二 / アスキー・メディアワークス


これまで、Emacs+gdbという幸せなデバッグ環境にいたのだけれども、今回上司の薦めもあって、VS2005でデバッグ作業を行うことになった。もともとQuick CのIDEでCプログラミングを覚え、ExcelのVBEでオブジェクト+メソッドの具体的使用例を学んだ身としては、Microsoftのプログラミング環境自体には親しみを感じていた。そこでここはひとつ現代的なIDEでも覚えてやるか、という感じで、まずはオンラインヘルプを検索しまくってみた。だが、ポインタを手繰りながらのデータ確認が簡単という以上のメリットが発見できない。むしろ、gdbのuntilコマンドのように、ループ文を踏みつけながら前進するようなステップコマンドが見つからなかったりして苦労している。データのほうを小さくしろよ、というのが正論ではあるんですけど。

結局のところ、VSはもはや++が付かないCのための開発環境としてはネタが出尽くしており、オンラインヘルプでは痒いところに手が届かないということが判明した。というわけで、自分の実力を素直に鑑みて、思いっきり初心者向けの参考書を買ってみた。知らなかった小道具が少しでも見つかればいいと思っていた。が、この本、「使える」情報はすべて「知っている」情報で、「知らなかった」情報はすべて「使えない」情報だった。スペース的に見ても半分以上がダイアログの写真だったりして、文章がほとんど書かれていない。そんなものメニューをプルダウンすりゃわかるだろうよ、という感じで密度が非常に低い。わたしまけましたわ。完敗。3000円が無駄になり悲しい。

QCもVBAもオンラインヘルプだけで学べたが、個人的には2001年あたりからMSのオンラインヘルプのまとまりが悪くなったような印象がある。おそらく、機能の増大速度がヘルプ記述の増加速度を追い抜いてしまったのだろう。どしたらよかろう。懐かしいGNUワールドへ帰るしかないのか。あ、上司に聞けと。結局そこに至るよなぁ。ホウレンソウの精神。聞くは一時の恥だ。このあたりを恥じるところがロートル新人の悪いところだなぁ。

ま、楽しくいこう。
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by antonin | 2009-02-23 03:29 | Trackback(1) | Comments(0)

夜に見る夢

それって、ただの夢じゃん。いや、そうじゃなくて。

夢は眠ってみるもの。夜は眠るもの。そう考えると確かに普通の夢ということになるのだけれども、私の場合、夜なのに眠れない、ということが多々ある。そういうときに、覚醒したまま夢のような考えが湧いて出ることがあって、それをうまく表現する言葉がない。白昼夢という言葉があるが、やっぱり白昼に見ないと白昼夢とは呼べないだろう。眠れぬ夜に見る夢は、なんと呼んだらいいのだろう。

まだ二十歳ソコソコの学生だった頃に、やはりパソコン通信の場で文章を書いていた頃があって、今アーカイブを検索してその文章を拾ってくるのは面倒なので省略するけれども、記憶によればだいたいこんなようなことを書いたことがある。

「エジプトはナイルの賜物。安敦の文章は徹夜明けナチュラルハイの賜物」

ヘロドトスのパクリにしては面白くもない言い回しだが、とにかく、本来眠るべきときに眠らないでいると、いろいろな夢想が湧いて出る。そして、意識がはっきりしたままその夢想を文字にすることができる。勢いに任せて書いてしまわないと、目覚めたあとの夢と同じように思い出せなくなってしまうので、じゅうぶんに推敲ができなくて雑な文章になってしまうことが多いが、それでもその内容というものは、昼になって自分で読み返してみても面白く感じることが多い。まぁ半分気違いみたいなものだが、犯罪レベルまでは達していないと思うのでご容赦願いたい。

こういう文章をここに書く場合は、「妄想」というタグを付けている。物語的な妄想だけではなくて、技術的な妄想もある。これを書いてしまわないと、夢想が夢想を呼んで眠れない。夢想を書き下すのにも数時間を要する場合があって、結局眠れないという意味では同じなのだけれども、書いてしまったほうがすっきりするし、あとで読んで自分が楽しめて面白い。他人が読んでも面白いのかどうかはわからない。

hypergraphiaのような症状を呈していた時期があって、あれはかなり異常だった。そういう、1日が30000時間あったらいいのに、などと思ってしまうような躁状態に近い状況は珍しいにしても、妙な奇想がとめどなく湧いて出る時期というのは、結構周期的にやってくる。

ある時期、都合で会社を休んでやたらと長時間眠っていた時期があった。そういう場合、全部で12時間くらいは毎日眠っていたのだけれども、最初の8時間は普通に眠っている。それから4時間くらいのあいだは、意識が緩やかに目覚めてくるのだけれども、体が動かない。しばらくじっとしていると、また眠ってしまう。そういうときに外界を冷静に認識している場合もあれば、直前に見ていた夢を思い返している場合もある。

数年前までは、楽しいことにしても辛いことにしても、今の何倍も過激だった。夢の中で先輩社員と喧嘩して罵声を発して、その声で目が覚めたようなことも何回もあった。それとは別に、そこらの映画には負けないくらいの大スペクタクルを楽しんだ末に目が覚めるようなこともあった。そのほとんどは忘れてしまったが、少しだけ覚えているものもある。

透き通るように美しい少女が出てきて、彼女が悪い奴らに追われている。その悪い奴らというのが、まぁ妖怪変化、怪獣怪人のたぐいで、そういう連中に追われ続け、きわどく逃れ続ける。最後に壁だか床だかにあったハッチを開けて、そこからウォータースライダーみたいなものを滑り降りて、地底にある水の楽園に至る。どうやらそこが彼女の王国らしく、助かって良かったね、どうもありがとう、みたいなあたりで目が覚めた。夢に色があるとかないとかそういうことを意識することはあまり無いのだけれども、ウォータースライダーのシーンから先は青い世界だったような記憶があるから、おそらく私の夢には色が付いているのだろう。

もうひとつ覚えている夢は、雑居ビルの一室で就職面接を受けるところから始まった。ところがその面接官というのがとんだ食わせ物で、面接中にもかかわらず、電話だのドアぶち破りだので登場するいろいろな連中に嫌がらせを受ける。とりあえずお前付いて来いという具合で、その場を逃げ出し、だんだん面倒な場面に追い込まれていく。そこでは私はどうにも役立たずなんだけれども、最初に面接官をしていた男がどういうわけか私の意見を聞いて、それに従って行動していくとどういうわけかうまい具合に危機を切り抜けてしまう。そんな具合で、どうにもそういうアクションについていけない私を、男がうまくかばいながら逃げていく。それでもいよいよ絶体絶命、というあたりで目が覚める。

まぁこうして文章にまとめると陳腐な内容なのだけれども、なにしろ夢の中の物語というのは、あらゆる映画を超越した臨場感に満ち溢れているので、目が覚めると手に汗握っていたりして、いやぁ、これなら1800円払っても惜しくないわ、などと思ってしまう。実際に目が覚めている状態だとそこまで面白い奇想というのは体験できないのだけれども、自分の脳からどうやってそういうストーリーが出てくるのか、まったく見当がつかない。こういう現象をインスピレーションというのか。

そのうちだんだんとそうした奇想を文章として書き付けることができるようになってきて、ぶどう五郎の話だとかある貴婦人の話なんてのを書くようになったけれども、ああいったものをいつでも書けるのかというと、そういうわけでもない。けれども、眠っているときにはそれなりに頻繁にこうした世界を歩いているような気がしないでもない。最近は夢の内容を覚えているような睡眠のとり方をする機会は減ったのだけれども、代わりに「夜に見る夢」が増えている気がする。そういう物語には、普段自分が発想しないようなせりふを発する人物がいろいろと出てきて面白い。

思うに、自分というものが大きくてしっかりしている人というのは、自分の存在がしっかりと脳内を占めていて、自他の区別が明らかなのだろうと思う。ところが私のように自分が小さくてしっかりしていない人間というのは、知らず知らずのうちに他人の言動が脳内に入り込んで、夜陰に乗じて私の脳内を闊歩しているのではないかと思う。まぁ、それはそれで楽しいのだけれども。世の中には自分が大きすぎて、周囲の人々の心に沁みこんでいくことで数千年も語り継がれる人もいるのだから、いろいろあって面白いと思う。

話は変わって、今夜はアッサ夫子とビールを飲んできた。最近少々酒癖が悪い私の不安を慮って、ビール3杯のタイミングで彼が下北沢の怪しい店へ連れて行ってくれた。そこはなんと、水タバコ専門店。中東あたりでターバン巻いたオヤジが昼間っから路傍で吸っているアレだ。スゲー面白いっす。パイプタバコも面白いが、水タバコも素晴らしい。アングラなようで暗さの無い、面白い空間だった。まさに夜に見る夢の心地。

面白いものを紹介してくれて、どうもありがとう。
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by antonin | 2009-02-21 02:51 | Trackback | Comments(3)

中川昭一の中川昭一的ココロ

酔ってます。第三のビール350mlで酔ってます。さっきの記事を書いたときは素面でしたが、今は酔ってます。薬も飲んでいます。何の薬かは秘密です。

人間、酔って失敗することってあるよな。仕方がない。25歳前なら、まぁ許されるさ。頑張っていきなよ。えっ?55歳?まぁ気にするなよ。たかだか日本国の国際的信用が失墜しただけじゃないか。東証の株価も全然下落してないよ。こういうのを、「織り込み済み」って言うんだ。親は無くとも子は育つ。大臣無くとも国は進む。まぁ、楽にいこうや。

中島敦いいよ。すげー面白い。「山月記」も最高だけど、「悟浄歎異」もいいよ。いいね、この悟浄視点。中島さん、33歳で死んじゃったんだな。「文字禍」も最高だよ。アッシリアって。漢文古典以外も書くんだね、中島さん。うはは。ゲシュタルト崩壊起こしてるよ、ナブ・アヘ・エリバ博士。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

マックス ヴェーバー / 岩波書店


ここらへんを読んでから、現代のホームレス批判、生活保護批判を読むと、視界が変わるらしい。是非読んでみたいが、時間が無い、あるいは時間を捻出する気力が足りない。

しかしなんだ、文明社会ってのは難儀なもんだ。こんな軽薄な大衆の一人が、ミレーの晩鐘に描かれるような農民よりも、パスカルだのデカルトだのラ・ロシュフコーだの、フランス王宮に出入りする宮廷人の、そのまた花形のほうにより強く共感を覚える社会って一体なんなんだ。宇宙の深遠と人間心理の真髄に関心を持ちながら、日々の労働に必要な忍耐、創作意欲を鋭い自制心によって押さえ込む実利主義。そして、その実利主義を食い破るほどの能力を欠いた虚弱な没落貴族としての熊公と八公。とんだ落語じゃねぇか。

本田宗一郎さんのエッセイを再読している。転職の後押しをしてくれた大切な本だが、しばらく本棚に眠らせていた。私は平凡だが誠実なエンジニアになろうとしていた。理論の有効範囲を理解し、仮説を検証することにより、民生の向上に貢献する技術者を志向していた。だが、全てのベスト・プラクティスが「土台から書き直せ」と警告するような、コンパイラが数千項目の警告を発するような、そんなコードを立ち直らせるための忍耐力が今、求められている。繊細な組み木細工を壊さずに、さらに繊細な細工を付け足すことを求められている。「既に消化してしまった予算」のために、これから消費される無駄な予算が、私を、私の同僚を、私の家族を養っている!

あぁ、これが現実というものだ。実に素敵だ。将に酒を進めんとす。私と同じような立場を明日も守り続ける道路予算に乾杯!

知恵のある人には、知識とは良薬であるが、知恵のない人間にとっては、知識とは毒薬である。武士は結局のところ死に場所を求めているのだと言ったが、現代には合法的な死に場所というものは無い。結核をわずらってさえ、短期の入院で全く元通りだ。どんなに低俗な人間も、虚栄心の欲するがままに貪欲に知識を求め続け、ついにはそれを処理しきれずに、精神が通風を起こして痛みの中に生き続けることになるのだ。過剰な知識の摂取を戒める医者はいないのか。通風程度では死なないものだから、痛みを抱えながら天寿を全うするのだろう。外見には現れないが、醜く肥満した脳を引きずりながら、今日も明日も生きるのだ。

日本軍は、国家戦略は愚直で稚拙だったが、戦場における戦術は愚直で屈強だった。日本軍に従軍する兵士には常に逃げ道が用意されていた。たとえ死んでもその死に様が潔いものでありさえすれば、祖国の英霊として靖国に祭られるという栄誉ある逃げ道が用意されていた。だから、天皇陛下万歳と叫べばどのような状況でも勇猛に戦うことができただろう。

今の日本には、潔い負けが存在しない。潔い死が存在しない。全ての死は犬死にであり、生き続けるしか名誉の道はない。しかし、自殺を禁じる文化と違って、相変わらず日本では失敗も恥である。自殺を認めない文化は通常、失敗は成功の母として、一時的な負けに寛容である。しかし現代の日本には、負けに対する寛容も、潔い玉砕に対する崇敬も、どちらも存在しない。火災で照明が落ちた地下街で、全員が出口を目指して殺到し、互いに踏み潰しあいながら光に集まり、結果としてほとんど全員が圧死するような世界だ。

まぁ、いいじゃねぇか。世界大戦があったって、死んだのはただかだ人口の1割以下だ。今、毎年の自殺者は人口のたった0.03%に過ぎない。毎年の妊娠中絶数は人口のたった0.3%に過ぎない。大したことはない。ニヒリズムに陥らず、前向きにいこうぜ。
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by antonin | 2009-02-19 03:52 | Trackback | Comments(0)

東出愛子のビジネスマナー講座

こんにちは。東出愛子です。

これから皆様にビジネスマナーについてお話させていただきますが、その前に、マナーとはいったいなんなののでしょうか。ルールとはどう違うのでしょうか。日本でマナーというと、どうもお作法のような決まりごとを指すものと勘違いされていることが多いのですが、私の考えるマナーとは、ずばり言って「愛」です。私の名前は愛子と書いて「まなこ」と読みますが、私はこの名前をとても大切にしています。これはマナーとはつまり愛であるということを、両親が私の名前に刻み込んでくれたものであると考えています。このような名前を授けてくれた両親には大変感謝しています。

なぜ日本ではこのような勘違いが広まってしまったのかというと、マナーが「格式」と混同されてしまったのが原因ではないかと考えています。「格式にのっとった」ですとか、「格式高い」などと申しますが、この格式というものは、「律令格式」という、国の定めたルールの一部を指しています。律は刑法などの法律を指し、令は行政令などの規則を指します。そして、格は令を部分的に修正する個別例外的な規則を指し、式は令や格を補助する細則となっています。

しかし、政治が「まつりごと」と呼ばれていた平安以前の時代には、天皇が執り行う宗教行事なども、格や式によって事細かに決め事が整えられていました。この宗教行事の執り行い方としての格式が武家社会に伝わると、法度(はっと)という形に変わり、生活面での細かい規則となって一般家庭にも広まっていきました。このように、形式的に定められた格式の印象が強く残っているため、日本ではマナーが形式的なものとしてとらえられてしまうのかもしれません。

しかし、私の考える本当のビジネスマナーとは、相手の立場を思いやり、相手の心を思いやる心を指します。形ばかりの決め事を守ることがマナーなのではなく、つねに目の前にいる人の心を思いやる気持ち、つまり愛こそがマナーの本質であると考えます。

今日は、ビジネスマナーの失敗例として、古い悲話をご紹介しましょう。まずは下のリンク先にある物語をお読みください。

ある貴婦人の話

この古い物語の主人公となっている貴婦人は、ビジネスマナーのセンスが欠けているとどのような悲劇が生じてしまうのかを理解するための、大変優れた「反面教師」としてのケーススタディになっています。それでは、彼女には一体何が足りなかったのかを、ご説明いたしましょう。

まず、このご婦人は最初の間違いを犯します。つまり、経営者である夫のビジネス目的の出張に、世にも珍しい食材が目的なのではないかと詮索し、ビジネス目的ではない同行を強要します。これが、経営者の立場を思いやることのできなかった、第一の間違いです。結局この目的地には「食材」が実在したのですが、そのことはご婦人が同行すべきであったという判断には決してつながりません。この時点でご婦人が夫の気持ちに思いやり、自制心を働かせて主人のいない屋敷を守っていれば、そもそもこのような悲劇は起こらなかったのですから。

次に、このご婦人は出張先でも大きな間違いを犯します。それは、ビジネス目的で交渉先に乗り込み、困難な交渉をしている経営者である夫に全く関心を示さず、利害関係者である取引先のご家族とプライベートな話に熱中してしまっています。これでは、折角のビジネスチャンスに多くのリスクが生じてしまいます。取引先と家族ぐるみのお付き合いをさせていただくのは良いことですが、まずは礼節を尽くしてから、徐々に親しい関係を構築していくのが正しい進め方です。こちら側と先方様に共通のテーマである契約交渉に集中するという、出張の目的に配慮した心配りが必要でした。ここが、ご婦人の犯した第二の間違いです。

そしてご婦人は、三度目に最大の間違いを犯してしまいます。この交渉の最大の山場であり、取引先との長期的な関係にも重大な影響を与えないではおかない滞在最終日の晩餐で、このご婦人は先方のとっておきのおもてなしを感情的に断り、接待の場を台無しにしてしまったのです。この物語では、このご婦人のご主人様がもてなしを受ける客の立場ですので、多少のわがままは許されると思うかもしれません。しかし、親しみを込めて設けられた宴席を喜んでお受けすることは、取引先への最大のおもてなしにもなっているという、ビジネスマナーの基本を忘れてはなりません。

それなのにこのご婦人は、取引先の経営者に相当する領主様のご息女からの心のこもったおもてなしを、感情的に取り乱しながら拒絶してしまいました。この行為がいかに相手の気持ちを踏みにじるものであったかは、その後の晩餐の様子からも明らかでしょう。領主様、そのご息女、当地の調理人、そして客人であるご主人様に至るまで、出席したすべての人が気まずい思いをしてしまいました。幸い契約そのものは成立したようですが、これではその後の両者のお付き合いはとてもギクシャクしたものになってしまったのではないでしょうか。

ご婦人は、先方の勧めるお料理をしっかりと頂き、その貴重なもてなしに最大限の感謝を示し、そしてそれが永続的なビジネスにつながる、人と人の心を結ぶように振舞うべきだったのです。もちろん、人の肉を食べるということは形式的に考えれば正しいことではないかもしれません。しかし、郷に入りては郷に従えと言うとおり、土地が異なれば、異なる文化、異なる風習があります。そして、商習慣も各地各様です。ですから、この場面では先方の文化をよく理解し、先方の立場になって考え、そして何より、ご息女の気持ちを思いやる態度が必要だったのです。思いやりの気持ちがあれば、決してこのご婦人のような間違いを犯さなかったのではないかと考えます。

そして、ご婦人は最後の間違いを犯してしまいます。つまり、当地では正しい習慣も、その地を離れてしまえば必ずしも正しいとは限らないということに対する配慮が欠けていたのです。この出張先で勧められたおもてなしは当地では完全に正当なものであっても、ご婦人の母国ではそうではありません。ですから、このことを母国に帰ってから他人に話してしまったのは、重大なマナー違反です。そしてご息女の語るとおり、この特別なおもてなしは数十年に一度しか提供できないものなのですから、同じようなもてなしを期待する人が大挙して押し寄せたりしないように、このおもてなしについてはそっと胸にしまっておくべきだったのです。そしてそのご恩は、継続的な信頼関係を維持することで先方に報いるべきだったのです。

この物語から得られる教訓は、市場がグローバル化し、こちらの常識が必ずしも先方の常識と相容れないようなことがしばしば起こる現代にあっても、大変に参考になるのではないでしょうか。決まりきった形だけの格式は文化が変わってしまえば通用しなくなりますが、相手の心を思いやる気持ちに根差したマナーは、いつどのような場合でも必ず通じると私は信じています。そのような思いやりの心がビジネスマナーの本質であり、それはいつの世でもビジネスにとって最大の武器になるのです。

あなたには、愛する人の肉を食べられるほどに強い思いやりの心がありますか?
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by antonin | 2009-02-19 00:56 | Trackback | Comments(0)

ある貴婦人の話

夫に随行して5ヶ月。私はこの国を気に入りつつあった。気候はやや蒸し暑いところがあるものの、住宅の近くには適度に木々が茂り、窓越しに部屋を吹き抜ける風は涼しかった。下層の民は不潔で醜い身なりをしていたが、この屋敷を取り仕切る上層階級との接し方は立場をわきまえたものであり、暴力的なところも不品行なところもなく、生活は快適だった。上層階級の人々はそれなりの教養を備えていた。その教養とは、彼らなりの文化と歴史に関するもので、その多くは奇妙なものであったが、それでもその考えのいくつかは、私に感銘を与えるようなものでさえあった。

この地の食材は豊富で、調理法もまた多様だった。口にするのも恐ろしいようなものも多かったが、それでも口に合う料理はとても上質のものだった。この屋敷の調理人は賢く、私がこの地に来るとすぐさま私の好みを覚えた。また私が飽きてしまわないように、少しずつ慣らすようにして味覚の幅を広げるという芸さえ持っていた。その頃では私は幅広いレパートリーから食事を選ぶことを楽めるようになっていたし、その中にはこの地に渡った当初に思わず吐き出してしまった料理も含まれていた。

そうした異国での生活を楽しんでいたある日、夫が旅行に出ることになった。それまで暮らしていた港湾都市を離れ、川沿いに内陸へ入った小さな郷里で当地の領主と産品の独占売買契約を結ぶのだという。そのような仕事は通常、夫の部下が取り仕切っていたが、夫はこの地へ旅することをことさら重視している様子だった。責任ある立場の人間を直接迎えることを、確かにこの地の人々は喜ぶのだけれども、どうやら理由はそれだけではない様子だった。例の調理人が、私にこっそりと告げた。かの地には、世にも珍しい食材が存するのだという。

夫は私がこの屋敷に残ることを希望したが、私は意地悪半分に、屋敷の中だけでは退屈だから旅行に同行したいと願い出た。もちろん私はこの屋敷での生活にじゅうぶん満足していたのだけれど、夫だけが世にも珍しい食材を味わうということが許せなかった。夫は、奥地には危険な病気がはびこっているから、などといろいろな理由を挙げては私をこの港湾都市に留め置こうとしたけれども、私がなんとしても譲らないということを察すると、しぶしぶ同行を認めた。このとき、私はただ単純に未知の土地への旅を楽しみにして喜んでいた。


川を遡上する船内は決して広くなかったが、気候の落ち着いた季節だったこともあり、1週間にわたる船上生活はさほど不快なものではなかった。単調な食事にはやや辟易したものの、移り行く景色は美しかった。郷里の入り口に達すると、大歓待という程ではないにせよ、温かい出迎えを受けた。その一行の中に、美しい頬と聡明そうな瞳を持った娘がいた。紀行文にも書かれていないような奇妙ないでたちの村民の中にあって、彼女の纏う服はひときわ美しかった。その色は繊細で、その布は幾重にも重ねられていた。そして驚くことに、この娘は私たちの言葉を解した。発音は褒められたものではなかったが、品の良い言葉遣いを知っていた。よく教育された娘だった。

郷里に着くと、土壁の屋敷に案内された。港湾都市の屋敷とは比べるべくもないが、それでも室内は清潔に保たれており、場所柄を考えれば優れて快適な屋敷だった。夫はすぐさま領主と契約の話に入ったが、私はただひたすらに、この場違いなほどに洗練された可憐な娘との会話に没頭した。娘の教養は田舎のものを大きく越える程度ではなかったが、しかしその生来の聡明さと、どこで身に着けたものやら、その柔らかい語り口によって、王女のような品格すら漂わせていた。そして、彼女が両親や親類に大切に育てられ、家族と兄弟姉妹をこよなく愛しているということを知った。私はこの娘が住むというただその一点だけで、この国を大いに気に入ってしまった。

そして、予定されていた4日間の滞在期間が風のように過ぎていった。川を下り街へと帰るのを翌日に控えた夜、私たちはいよいよ、世にも珍しいという、この地の名物料理を味わう手はずになっていた。私は料理のことなど忘れていたが、夫は心なしか顔を紅潮させているようだった。私はこれが最後になるかと思うとわずかな時間も惜しくなり、あの高貴な娘との会話を楽しもうとしていた。すると娘は、思いつめたような笑顔で私の目を見上げた。

もうすぐお別れね。名残惜しいわ。あなたのような立派な娘なら、どこへ出てもおかしくないわ。港の屋敷へ遊びに来ないかしら。なんなら私の国へもご招待するわ。あなたなら、きっと社交界の人気者になれるわ。私は一人でそんなことを話し続けていた。娘は思いつめたような笑顔のまま、私の話を静かに聞いていた。あなた、悲しいの? そんな顔をしないで。またすぐにでも会えるわ。私はあなたが大好きよ。そこまで聞き終えてから、娘は静かに語り始めた。その張り詰めた笑顔を、私は一生忘れることができない。

奥様。奥様とお話できましたこの日々は、とても楽しいものでございました。私の生涯でこのような幸せが訪れたことに、感謝が尽きません。そして奥様のような方のために私の生涯があったことを、大変光栄に存じます。私は両親の寵愛を一身に受けて育てられてまいりました。私には兄弟姉妹が多くありますが、その誰よりも愛されて育てられてまいりました。そして、その一身を、父と母と、兄と弟と、姉と妹と、そして郷里の皆様に、そして誰よりも、ご主人様と奥様のために捧げられることに、わが身がこの世に生まれたことの本当の意義を感じております。ありがとうございました。

娘はそう述べたのだけれど、私には何のことか理解できなかった。あなたはいったい何を言っているの? 私の間の抜けた質問に、娘は張り詰めた笑顔に困ったような表情を加えて、私にそっと語りかけた。この村で一番の調理人が、今夜私の肉を使って晩餐を供します。この国広しといえども、このような珍味を供するのはこの郷里のみにございます。娘はそう答えた。張りのある娘の頬、美しく伸びた首筋、柔らかいデコルテ、腰から膝にかけての豊満な曲線。それをこの娘自身が「肉」と呼んだ。私は次第に床が揺れるようなめまいを感じていた。視野が狭まるのを感じていた。息が苦しくなるのを感じていた。私は無意識に娘を突き放し、床に倒れこんだ。

しばらくして、娘が私を心配そうに覗き込みながら、優しく私の背をさすっていることに気付いた。悪い冗談にも程があります。そういうことを私はおそらく恐ろしい顔をして言った。娘が申し訳なさそうな顔をしているが、次第にそれが冗談などではないことに気付いた。そんな野蛮があってはいけない。私が今すぐあなたを救い出して私の養女にします。今すぐ支度をなさい。私はそうしたことを矢継ぎ早に言い立てたが、私がそう言えば言うほど、娘の表情に悲しみの色が増していった。

私の興奮が少し去ると、娘は訥々と語り始めた。私には、私と同じように育てられ、私と同じような定めを与えられた叔母がおりました。若い頃の叔母は私よりも美しく、私よりも賢く、祖父の自慢の娘でした。そしてその祖父が、国のお役人様を迎えて一世一代の宴席を開いた夜、叔母は肉となり、肉となった叔母もまた、ここ幾世で一番の逸品であるとの誉れをいただきました。そのお役人様のご配慮により私の家は豊かになり、私の郷里は豊かになりました。最も愛する娘を差し出して郷里に繁栄をもたらした祖父を、郷里の誰もが尊敬するようになりました。

私は叔母ほど優れた娘ではございませんが、私の家と、父母と、兄弟姉妹の糧となるために今日までこのように手厚く育てられてきたことを幸せに思っています。どうか、わが父の一世一代の宴席を受けていただけませんでしょうか。私の愛する父に栄誉をお授けください。そして、それが私の生きた証なのでございます。

私は気が狂いそうだった。その聡明な娘が肉になるということが信じられないのは当然として、この娘がそのことに一片の疑問を持っていないばかりか誉れさえ感じているということに、底のない闇に落とされた気分になった。私は泣きながら娘に訴えた。私の養女になりなさい。それでもあなたの家族の名誉は守られるから。しかしあなたを肉にしたら、私たちは絶対にそれを許さない。

娘は、相変わらず張り詰めた笑顔を私に向けながら答えた。私は、一粒の杏でございます。杏を食して野蛮と嘆く人がございましょうか。杏にとっての幸せは、木が枝を広げ、種が広められ、多くの芽を出すことでございます。そのために、実を食われて嘆く杏はございません。実を食わんとして木を育て増やす者があれば、それこそが本望なのです。嘆くべきは、食する者もないままに打ち捨てられる杏でございます。私は父のため家族のため郷里のため、この身を捧げるべく生まれてまいりましたが、この身を奥様のような方に召し上がっていただけるのでしたら、私はなおいっそう幸せです。どうか、悲しまずに楽しんでくださいませ。私からのお願いでございます。

私は何も言い返すことができずに泣いた。娘の境遇に泣いているのか、神のない国の惨めさに泣いているのか、私が口にしてきた料理の来しかたを思って泣いているのか、わからなかった。ただ泣き果てて、娘のもとを去り、夫に珍味による晩餐は辞退するようにと懇願した。その晩は、それまでの晩と似た食事が並べられた。領主は始終困惑した表情を見せており、夫はどことなく不満そうな顔をしていた。私は、食事がのどを通らなかった。あの娘も同席していたが、どうしてもその顔を見ることができなかった。

翌朝、夫は契約がつつがなく成立したことを再確認し、私たち夫婦は船着場へ向かった。夫は特に何も言わなかったが、わざわざこの僻地まで足を運びながら、世にも珍しい滋味を味わえなかったことへの不満が、その表情にありありと伺えた。船着場に近い小屋に、いつにも増して美しく着飾ったあの娘が見送りに来ていた。小屋の中は薄暗く、娘の表情は定かでなかったが、微動だにせず物悲しそうに見えた。私は申し訳なく思ったが、といって娘を食らう悪魔になることなどできなかった。もう涙も枯れたのか、泣くことも無く手を振りながら私は船に乗り込んだ。それきり、あの娘に会うことも、あの郷里の話を聞くことも無かった。


1年の滞在期間が終わり、私たち夫婦は帰国の途に就いた。帰国後、私は思うところあって女子修道院に通った。修道女とは直接会話を交わすことはできなかったが、修道院の院長に異国で出会った娘の話を告白し、さまざまに助言を受けた。肉食を廃し、菜食を心掛けよ、果実は人の食物として神が授けた賜物である、という訓話を受けた。しかし、あの娘が一粒の杏であると語った言葉がどうしても頭を離れなかった。私は肉食を断ったが、次第に果物も野菜も食べることができなくなった。

そしてある冬の日、私は家を捨てた。修道女になったのではない。私は乞食になった。私はとうとう、私のために命を奪われた如何なるものも口にすることができなくなった。そして、人間のために食物となりながら、飽食のために食い残されて捨てられる残飯を拾い、それを食べることで命をつなぐようになった。肉でも野菜でも、魚でも果物でも、食卓に並べられながら打ち捨てられる命が惜しいと思うようになった。人々は私が発狂したといって忌み避けるようになった。修道院長もまたその一人であった。夫からは当然に離縁された。

いったい何者が私に乞食として生きる運命を授けたのか、それはわからなかった。ただ、あの娘の柔らかい言葉と澄んだ瞳だけが、いつまでも私の心を締め付け、そしていつまでも私の心を和らげ続けた。
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by antonin | 2009-02-17 23:10 | Trackback | Comments(4)

懐かしい景色と散財

スキンを戻した。Tagsだけセンタリングしてみた。

人の意見はありがたいものだと思った。
という以前に、こんなところを読んでコメントを寄せてくれる人がいるということがありがたい。

文藝春秋の、五木寛之さんと山折哲雄さんの談話が面白い。「百年に一度の金融危機」と言ったって、「長周期景気循環」の一言で片付くだろうと。まぁ、長~い目で見ればそんなものだよなぁ。そうは言っても、その時代を生きるということはいつも大変なのだけれども。バブル期にしたって、あの時代なりの、あるいはあの時代だからこその困難ってのはいくらでもあったわけだし。

巨大建築はともかく一般建築には、打ちっぱなしのコンクリート壁ばかりが増えて退屈な時代だった。母校の校舎もそれに建て替わったりした。ゴルフ場が増えすぎて、航空写真がペイズリー模様になったりした。それでいて、景気だけは良かった。ところが近いうちに歌舞伎座が高層ビルに化けるらしく、そういう景気の良さだけは今も続いている。

Amazon.co.jpのカートの中身が、2万円弱まで膨れ上がっている。決済すべきかどうか。迷っているうちに、価格が変更になりましたなんていう通知が来る。一度値上がりした商品が、また安くなったりしている。2万円を例えばマラウィあたりに持っていくとどれくらいの価値になるのかわからないけれども、日本人にとっても2万円というのはもはやバカにならない金額になっていて、うまい棒が2千本というのは別としても、牛丼が50杯食えたりする。最近朝食は毎朝納豆ごはんなのだけれども、納豆なら800個くらい買える。どうしたものか。実は、「今は買わない」というリストもカートにはあって、それも合算すると合計金額は2倍程度に膨れ上がる。どうしたものか。

こういう、せせこましい気分を「不景気」と呼ぶのか。ええいっ、面倒だっ、買ってしまえっ。

合計金額: ¥12,560

少しだけ我慢してみました。微力ながら日本の景気回復に貢献してまいる所存でございます。「そういうのを逃げというんじゃありませんか?」という声が聞こえてきそうなので、耳をふさいで逃げることにしよう。

スタコラサッサッサのサー
スタコラサッサッサのサー♪
(JASRAC無認可)
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by antonin | 2009-02-17 00:07 | Trackback | Comments(0)


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