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安敦誌


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vital sign

クリスマス・イヴ。

ムスメは7歳、微妙な年齢。「サンタはいないよ」だとか、「サンタさんはパパだよね」だとか、友達に吹き込まれたらしい情報を元にしきりに鎌をかけてくるが、やはり期待は大きいらしく、例年クリスマスの朝にプレゼントが置かれることになっているベランダに吊るすべく、サンタさん向けのメッセージカードを急ぎ作成したりしていた。プレゼントもらえるといいね。

b0004933_22153322.jpg


近所の商店街の花壇に植わっていた日々草がまだ元気に咲いていた頃、花かげを物色し、種をいくつか集めてきた。株を引き抜いたりしたら窃盗罪だが、種くらいならまぁいいでしょ。ダメかな。

10月のはじめ頃に種を蒔いて、ほどほどに成長したところで冬越しをして、春になって暖かくなったら花が咲くというような段取りを考えていた。5つほど発芽したが、生長したのは2株のみ。発育具合は予想通りだったのだけれども、12月に入ってしばらく暖かい日が続き、路地のツツジが狂い咲きするような天候の影響を受けて、この小さい日々草も花が咲いてしまった。どのみち2月ごろになれば花は咲かなくなると思うが、花の色は春までお楽しみにと思っていたので、ちょっと拍子抜けになってしまった。

でもまぁ、今年で3年目になる日々草の古株とは違う色の花が咲いたので、そのあたりは運が良かった。日々草は多年草です。というより、常夏の国から来た植物なので季節感が無いんです。最低気温が10度を下回らないような環境に置いてやれば、冬を越して5月くらいから元気に咲き出します。
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by antonin | 2009-12-24 22:11 | Trackback | Comments(13)

ロロ・ジョングランの話

古いスキャナーを廃棄する。必要があって、遠い昔にヨメが購入したものだが、それから何度も使っていない。古いのだが、まだまだ使える。性能も最新機種には劣るものの、それほど悪くはない。だったら引き取り手もありそうなものだが、必要なところにはすでにスキャナくらい行き渡っているだろうし、わざわざ古いものを使わなくても新しくて良いものがいくらでもある。というわけで、このスキャナは燃えないゴミ。まだ使えるのだが、買い手がない。なんだか他人事じゃごさんせんよ。

そういう話を書こうと思ったが、ヤメにした。ヤメにしたのだが、少しだけ書いてしまった。そういう感じの今日この頃。

少し気分が持ち直してきたので、プリンタとスキャナの廃棄のついでに、不良在庫となっていたディアゴスティーニの週刊なんたらを少しずつ整理していた。そこで、ボロブドゥールの仏教遺跡と並んで世界遺産となった、プラバナンのヒンドゥー遺跡の記事を目にした。この遺跡にはヒンドゥーらしい女神像があるのだけれども、その像に重ね合わされた伝説があるのだという。

私の好きなインドネシア」より「ロロ・ジョングランの伝説(プランバナン寺院遺跡):インドネシアの民話

ロロ・ジョングランというのは「細身の乙女」という意味だという記述もあるが、現代インドネシア語でそういう訳が出てこないので、古めかしい表現か、あるいはもっと固有名詞的なものと考えておいた方が良さそうだ。

ボロブドゥールもプランバナンも、インドネシアのジャワ島に位置する。今ではインドネシアというと世界最大のイスラム人口を有する国家で、ヒンドゥー教が残っているのはバリ島くらいしかない。周辺国にはタイなどの仏教国もあるが、インドネシアで仏教が残っている地域があるという話は聞かない。仏教王国とヒンドゥー王国が存在したのも、それぞれの遺跡が都だった時代の話らしい。

今は世界最多の信徒を擁するイスラム国家になったインドネシアだが、地下水脈のように多神教的な素地は残っているに違いない。キリスト教では守護聖人信仰が多神教的心理を吸収したのだと塩野姐さんは説くが、より若い宗教であるイスラム教にもそのような文脈は生まれているのだろうか。

ちなみに、ロロ・ジョングランに協力した乙女たちは一生結婚出来ない呪いをかけられてしまったという話も一部に残っている。恐ろしい話だなぁ。
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by antonin | 2009-12-17 17:42 | Trackback | Comments(0)

パソコン周辺危機数件

我が家の虎の子のプリンタが壊れた。EPSONのPX-V600という超低価格顔料インク式インクジェットプリンタだったのだけれども、写真より文書向けの4色インクという仕様にも関わらず、インクの消費速度、特に黒インクの爆速消費が悩みの種だった。

インクジェット方式のプリンタはときどき電源を入れたり印刷したりしてインクを流してやらないとノズルが詰まるのだけれども、顔料インクではその傾向がさらに強いらしい。にも関わらず本体価格を消耗品で取り戻すビジネスモデルのため、電源を入れるたびに見る見る減少していくインク残量に肝を冷やし、結局年に2~3回程度の出番しかないという状況だった。

それでもなんだかんだで4年以上は使ってきたのだけれども、ついにクリーニングすればするほど目詰まりが進行してどうにもならないという現象にぶつかってしまった。どうやらこれは顔料インクを使ったこのシリーズの宿痾だったらしい。

くすぶり続けるEPSON CC-600PX/PX-V700問題 - WaterMind PC Blog

うちのはPX-V700じゃなくてPX-V600の方なので確かではないのだけれども、症状としては価格.comの口コミに寄せられていたのと全く同じだった。クリーニングを繰り返すと、それまではかすれながらも少しは出ていた印字が全く出ないようになり、ついにはクリーニング時の動作音までおかしくなってしまってお陀仏、という具合なので、おそらくは似たような現象が起こったのだろう。

安い機種だし、もう十分使ったので本体の故障に関しては不満はないのだけれども、問題なのは残されたインクカートリッジたち。なにしろインク消費が爆速なのでインク在庫が欠かせず、こういう事態になってしまって¥5,000分くらいのインク在庫が一気にパーになった。これがなんとも悔しい。今回は新品のインクカートリッジ4本を開封して満を持してのクリーニング中にお陀仏になったから、インクのみオークションで売り払うこともできない。実に悔しい。

ちなみに現行機種でも黒インクの爆速消費は改善されていないようだ。

Amazon.co.jp: EPSON MultiPhoto Colorio 普通紙くっきり複合機 4色顔料インク PX-402A: 家電・カメラ
購入してまだ葉書3枚(カラー)と文書(白黒)をA4に「半枚」印刷しただけですが、黒のインク残量は半分になってしまいました。他の色はあまり残量が変わっていないようですが先は不安で、早速インク買いました。付属の黒色のインクはA4文書を3・4枚印刷で空になる計算です。単にこの付属黒インクのカートリッジの問題だけであってくれればと、でも多分そうだろう、と星は三つにしました。

「当初から付属のインク」という物はすぐ無くなるのが普通なのかは知りませんが、ちょっと度を越していると思います。

インクの減り以外には、今のところ調整不可能な問題はありませんが…。まだ殆ど使えてません(インク無いので)。

無駄になった費用も、インク代ではなくプリンタの維持費だったのだと思えばいいのだろうが、やはり貧乏人の心理的には痛い。こういう心理的痛手を受けて、次期プリンタとしてこんな物を選んでしまった。

Amazon.co.jp: Canon Satera A4モノクロレーザー複合機 MF4010: 家電・カメラ

キヤノンでモノクロでレーザーで複合機ですよ。全くの反動現象。しかし価格は¥17,716。またしてもジレットモデルですよ。まぁメーカー仕様を信じるならば、ベタ塗りなんかのない文字主体の印刷程度であれば2000枚はいけるというので、ランニングコストにはそんなに神経質になる必要はないのだろう。プリンタのみでも良かったのだけれども、複合機との差額が¥5,000くらいしかなかったので、だったら複合機にした方がパラレル接続の300dpiスキャナも駆逐できて良かろう、ということでこちらにした。

この機種にA4用紙をセットするには給紙ステージを本体手前に出さないといけないのだけれども、普段は用紙を抜いて扉を閉めておけば奥行きサイズがその分コンパクトになるので、PCデスク下のデッドスペースに置いている我が家の状況では、そちらのほうがありがたい。あと、100枚連続印刷を繰り返すとトナーを吹き出すという問題もあるらしいのだけれども、こちらも我が家の零細な利用状況では全く問題なし。コピー機としての操作性にも若干難があるようだが、コピー機としての使用はオマケ程度と考えていて、普段はレーザープリンタ+スキャナとして利用することになるだろうから、これも問題ない。

ためしに運転免許証のコピーを取ってみたが、写真部分で横縞(A4用紙を縦置きした場合の横方向)が入るという現象はあるものの、そもそもモノクロコピーでは写真品質をそれほど重要視しないので、これで十分だろう。文字印刷が高速かつ安定した品質なので安心できる。インクジェットでプリントミスをした時の心理ダメージに比べると、この(精神的な)安定感には救われる。

ただ、今になってある問題に気がついた。我が家に残されたインクジェット向け資産、つまりインクジェット用紙だとかプリンタブルDVD-Rだとか、それからまだ数回しか使っていないラベルマイティ9だとか、そういうものをどうするんだという話を忘れていた。まぁ、景気が回復して金回りが良くなってきたら、また新型のインクジェットプリンタでも買い足すことにしよう。何年先になるかはわからないけれども。

で、MF4010は結局最安値に近かったAmazon.co.jpで買ったのだけれども、せっかく¥1,500を超える買い物をしたのだからということで、文庫本を一冊同時発注してみた。

中島敦全集〈3〉 (ちくま文庫)

中島 敦 / 筑摩書房


さすがにレーザー複合機と文庫本一冊は同梱できなかったらしく、こちらは別便で明日到着予定。

さらに別件というか、かすかに関連した件なのだけれども、EPSONのプリンタ修理についていろいろと調べていたら、偶然VistaのMS-IME不具合に関する記事に行き当たった。

VistaのIMEで「多い」が変換できない、辞書登録も失敗する: point of view point
「辞書/学習」タブから辞書ツールの「修復」ボタン。で、OK。

こちらの記事通りに処理してやったら、我が家のVista機のIMEでは変換できなくなっていた「読む」と「呼ぶ」が変換できるようになった。これは助かった・・・と思ったら。

「Google日本語入力」64ビット版公開 - ITmedia News

問題の発生しているVista機はx64版なので話題のgoogle日本語入力が使えなかったのだが、話題沸騰、要望多発につき64bit版が計画前倒しで公開されたらしい。で、さっそくインストールしてみると、こちらのほうがMS-IMEより具合がいい。ATOKよりも断然具合がいい。なんだよ。人生における問題解決のタイミングというのは、しばしばこのようになる。まぁ悪い方向じゃないから別にいいけど。

もう個人情報も思想信条も趣味嗜好も何もかも米国企業であるgoogle様に筒抜けというかダダ漏れというかそういう状態なのだけれども、もう別にそういうことを気にする段階はずいぶんと昔に通り過ぎたと思うので、これからは積極的に依存してみることにした。眼前のFirefoxにもgoogle toolbarのグリーンランプが光っていて、「いつも見守っているよ」と教えてくれる。顕在的に知らせてくれるだけまだ良心的ってもんだろう。


今日はPC周辺以外にもいろいろと面倒が多い一日だったが、どちらかというと良い方向に進みそうな案件が多かったので、ひとまず今日のところは善しとしたい。
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by antonin | 2009-12-15 23:43 | Trackback | Comments(2)

とある化学の超電磁法

Untitled Document
レーザーと軌道放射のポンプ・プローブまたは2重共鳴分光

紫外モードロックレーザーとアンジュレータ光を組み合わせて,電子振動励起分子の光イオン化や光解離のダイナミクス、イオンの前期解離ダイナミクスなどに関する研究を行った。レーザーパルスとマルチバンチ放射光を厳密に同期させることで、分解能約500psの時間分解ポンププローブ測定が可能である。また、レーザー誘起蛍光励起分光やレーザー多光子イオン化分光を起用することによって、超励起状態から解離生成したイオンまたは中性フラグメントの内部状態の観測を初めて実現した。フラグメントの回転分布から,解離の際のエネルギー分配について議論した。また、特定の化学結合を選択的に切断したり,特異的な化学反応を起こすような光励起過程を実現するための方法論の開発と実用化を目標としている。具体的には可視又は近赤外レーザーで生成する振動励起した水分子に放射光(20-1000eV)を照射して、振動基底分子の放射光解離とは全く異なる反応分岐比や分解確率を得るという実験を開始している。

電磁波の一種である紫外レーザーで「特定の化学結合を選択的に切断したり、特異的な化学反応を起こす」ことができるようになるらしいです。その過程で「超励起状態」を経たりなんかしていて、なかなか派手な現象でよろしいですね。熱励起だと分子全体が均一に高エネルギーにさらされてしまって、副反応の制御に苦労したりしますが、波長とエネルギーを精密に制御した電磁波による励起であれば、触媒を使った選択反応とはまた違った用途が開けるかもしれませんね。

実現化した際にはぜひ「見附の超電磁法(レーザーガン)」とかカッコイイ名前を付けてほしいと思います。
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by antonin | 2009-12-12 21:42 | Trackback | Comments(0)

String Sextet Op.48

ドヴォルザークの室内楽というと、弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」や、ピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」あたりが有名で、それらの曲も確かに好きなのだけれども、個人的には弦楽四重奏版の「糸杉」とか、過去にテレビCMでも使われたことのあるピアノ五重奏曲のほうを聴く機会が多い。

そして室内楽の中で一番聴く機会が多いのが、弦楽六重奏曲作品48と弦楽五重奏曲第2番作品77をウィーン八重奏団が演奏したCDで、何年聴き続けても飽きない。

弦楽六重奏曲の編成はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが各2台。この曲の作品番号が48、ブルクハウゼル番号が80ということで、Op.46、B.78(ピアノ四手曲版),B.83(管弦楽版)というスラヴ舞曲第一集と同時期に書かれた曲ということがわかる。YouTubeを漁ってみると、2楽章と4楽章がかろうじて見つかった。演奏がところどころアレな気もするが、全体的な演奏の質は高い。特にチェリストの男性はなかなかいい感じがする。公開されているだけマシというものだろう。





ブルクハウゼルがドヴォルザークの生涯にわたる全作品を整理して記した、大部の本がチェコ語と英語で出版されているのだが、ネットで探すと国立音大桐朋学園大学音楽部の図書館に英語版があるらしい、というほかに情報が見つからない。そんなものだろうか。
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by antonin | 2009-12-12 03:08 | Trackback | Comments(0)

愛しのクサンティッペ

読了。

ソクラテスの妻 (1963年)

佐藤 愛子 / 光風社



図書館で借りてきた。

昭和三十八年九月十日 初版発行
昭和三十八年九月二十日 再販発行

とある。わずか10日で重版が出ているということは、芥川賞候補にもなったという本作は当時よく売れたのだろう。現在主流の単行本よりやや小ぶりの古風なハードカバーの本で、ページをめくると見開きごとに平滑な面と横に筋の入った面が交互に現れる。そういえば昔の便箋用紙などはこうして表裏の判別がついたものだった。紙背に印刷された文字の形が凸に盛り上がっていたりして、本当の意味で凸版印刷がされていたのだなということがわかる。

そういう技術的なことにも興味を持ちながら、「女流作家」の書いた作品を読む。今では作家が女性だからと言って特別な呼び方をされることもなくなったが、昭和三十年代当時ではまだ「女史」なんていう言葉も最後の光を放っていただろうから、まぁそういう位置に置いても間違いではないだろう。

「ソクラテスの妻」といっても古代都市国家アテネでの歴史物語になるわけではなく、東京の山の手という場所で昭和二十五年に創業した質屋が十年経って没落し、地所を売り払って郊外へ去っていくという、そういう話になっている。

その過程で、質屋の主人たる夫は金にもならない文芸に現を抜かし、なおかつ趣味の文芸仲間や副職である夜間高校の教員仲間にいいように金をたかられている。仕事は杜撰で生活は堕落しているが、文学を通じた人間の高邁さなどについて述べさせたら、活き活きとしていくらでも言葉がつながる。そういう夫を本作では一貫して「ソクラテス」と呼んでいる。

その影で、算数については3桁を越えると手が出ないながらも、生活の至るところに生じる損得をしっかりと勘定し、なんとか質屋と家を切り盛りしている妻が主人公になる。妻も夫を大切には思っているのだが、その金銭的な杜撰さと、そこに付け込む夫の交友関係に、ふつふつとした怒りを積もらせる。そうした怒りがつい爆発するのが、夫が主催する文芸同人の会合の場であったりして、そういうわけで主人公はいつも金の話でキリキリと怒っている姿だけを周囲にさらし続ける羽目になる。

あぁ、主人公が気の毒だなぁ、などという感想を放つには私自身があまりにも「ソクラテス」的であったりして、参ったものだ。

日本国政府の累積国債について、その債権を保有しているのがほとんど国内の金融機関などであり、そのまた原資をたどると国民の預貯金保険類になるのだから、これは「お父さんとお母さんがお金の貸し借りをしている状態」であって、リスクの心配をする必要は全然ないのだ、というような経済学者の意見を目にする。

確かに、住宅の抵当権を握っている銀行から借りている住宅ローンであるとか、回収システムとして怖い人を組み入れている消費者金融であるとか、そういうところからの借金に比べれば、お父さんがお母さんの貯金を借りて大きな買い物をしてくるというのは、それほど害がないという見方もできないではない。

しかし肝心な問題はやはり、お父さんが借りた金をどう使っているか、そして返すあてはあるのか、なのではないだろうか。お母さんも喜ぶような商業施設の優待販売会員権であるとか、お母さんも喜ぶような電動アシスト自転車を買ってくるなら、お母さんもそれなりに喜ぶだろう。あるいは子供の教材を買ってくるとか、どうせ読まないだろうと思いながらも百科事典を揃えるというのなら、「置き場所はどうすんの」などと言いながらも、お母さんは納得してくれるかもしれない。

ところが、ちょっと「景気」を良くするために、お父さんが銀座英国屋で分不相応なスーツを仕立ててきただとか、「男の付き合い」だといって、遠い町の防犯協会の会合に出かけるために多額の交通費と滞在費を使ってきただということになれば、お母さんとしても心中穏やかではないだろう。「男には男の付き合いがあるんだ」とか、「芸のためなら女房も泣かす」とかそういうセリフを吐いて、ああそうですかと納得するお母さんもないだろう。なにしろ原資はお母さんがこつこつと倹約して貯めてきたお金なのだ。

高い車に乗るのは結構だが、お母さんや子供のための車ばかりでなく、お父さんの付き合い連中でゴルフに行くための高級セダンなんかをお母さんが貸したお金で買ってきた日には、お父さんが車に乗せて帰ってきた友人の目の前で、つい声を荒らげて文句のひとつも言ってしまうかもしれない。

なんというか、国債発行による財政出動の問題点は、ひょっとするとこんなあたりなのではないかという気がしてきた。お父さんはお母さんの貯金から大金を借りて、「景気がよくなったら必ず返すから」とか「結局は家族のためになるから今は借金をしてでもお金を使うときなんだ」とか言っては、お母さんの意見も聞かずに外で大盤振る舞いしてくる。こういうのが、「失われた十年」に見られたお父さんの姿だったのではないか。

確かに、それはそれで効果があったのかもしれない。お父さんが機嫌のいい顔をして、お友達からもらったたいそうなお土産を持って帰ってきたこともあったかもしれない。けれども、お母さんが本当に望んでいるのはそんなことじゃない。今までお父さんを信じてきたけど、もういい加減にしてください、と、お母さんはつい顔を真っ赤にして怒鳴ってしまう。売り言葉に買い言葉という具合で、お父さんは「じゃあお前がやってみろよ」というようなことを言ってしまう。

そこで、お母さんが社会に出て七転八倒している姿が、今の民主党政権なんじゃないかというように見えなくもない。実務ではどうやったって経験豊富なお父さんに敵うわけがないのだが、こうなったからには言うべきことは言っておきたい、という具合なのではないか。

私だって今までそれなりに苦労して支えてきたんだから、やるとなったらそれなりにやりますよ。失敗だってするけど、そんなの知ったことじゃありませんよ。初めてなんだから仕方がないじゃないですか。お父さんも一度は手出しできないもどかしさを経験してみたほうがいいに決まってるんだから。お母さん政権はきっとそういうことを思っているに違いない。

ところが、男の付き合いには比較的無頓着なお母さんも、代わりに女の付き合いは無視できない。お母さん仲間に「せっかくだからここもお願い」などと言われて、結局お父さん以上にお母さん仲間にたかられて困ったりしている。「そこまではちょっと・・・」などと断ろうとすると、「今まであれだけ応援してあげたのに、今になって裏切るの?」などと険悪な空気になったりもする。

子供は家で久しぶりにお父さんと一緒に食事をすることになり、お母さんの不手際を馬鹿にするお父さんの言葉を聞きながら、店屋物の料理を食べている。お母さんが見たらきっともったいないと言うだろう。お父さんのそういうところがお母さんを怒らせたんだよ、ということを子供は思っているが、言えない。

お父さんは職場を追い出されて、お母さんの本当の気持ちを少しだけ知るだろう。お母さんは社会に出て、お父さんの本当の苦労を少しだけ知るだろう。政権交替に意味があるとすれば、おそらくはそんなあたりなんじゃないだろうか。そのあとで家業が潰れて家を売り払うことになるのか、それなりに事業を立て直すことができるのか、今はまだわからない。
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by antonin | 2009-12-11 12:20 | Trackback | Comments(0)

アポトーシスは楽じゃない

こういう記事が上がっている。

もっともっと「仕分け」をしましょう:日経ビジネスオンライン

この記事の最後のほうで、こういう表現が出てくる。
 付け加えるよりも減らしていく。市場のニーズを見定め、むしろ、いらない特徴や機能をアポトーシスさせ、仕分けていく。そういった不断のプロセスを繰り返すことが、まさに「適応」ということなのではないでしょうか。原石からダイヤモンドを削り出すようなプロセスを経ることによって、商品は市場のニーズを捉えることができるのだと思います。

そりゃあまぁ、アポトーシスくらいエレガントな処理ができるならば、誰も抵抗はしないわけです。アポトーシスというのは「細胞の死」であることには違いがないのですが、これは「予め組み込まれた機能」としての細胞死であって、何かのアクシデントによって強制的に引き起こされてしまった細胞の単純死とは異なります。

たとえば低温でじっくり皮膚を加熱してやると、その周辺で低温やけどが起こります。そうすると皮膚組織にある細胞の一部が強制的に死ぬわけですが、ここで起こる細胞死は「アポトーシス」にはなりません。こういう正常プロセスによらない細胞死は「ネクローシス」と言って、死んだ細胞から撒き散らされた各種物質成分が周囲の生き残り細胞に害を与えて、結果として組織の炎症を起こしたりします。

一方、不必要になった細胞が正常な過程として消滅していくアポトーシスでは、消えていく細胞を構成していた物質は適切に処理されながら周囲の細胞や循環系に回収され、組織に炎症などを起こすことなくきれいに消滅していきます。

教室ホームより細胞の死(PDF)

つまり、既に政策として動き始めている事業をアポトーシス的に終了させるには、その事業の開始時点で予め事業終了に必要な処理がシステム的に用意されていて、あとはその終了システムを発動させることによって、適切に事業が終了できる体制が整っている必要があります。

具体的には、事業が保有している資産や人的資源、事業報告資料などを適切に後続組織や周辺組織に移管させる体制が、その事業体を組織する時点で整っていなければなりませんし、たとえ突然の事業終了が起こっても関連する事業や個人が破綻しないような運用形態を、事業目的に向けた通常運用の中でも随時実行している必要があるわけです。

そういう体制が不十分な、あるいはそもそも事業の急激な縮小や終了を想定せずに作られた体制においては、外部から突然に予算だけを引き締められた場合、事業体全体が徐々に機能不全に陥り、最終的に関係者や関係団体に不当な契約不履行などを引き起こして、ネクローシス的に事業体が崩壊することになります。

民間の企業体にはある程度そうした正常な崩壊を支援するためのシステム、つまり「自己破産」「会社更生法に基づく更正手続き」などといった、企業体が安全にプログラム死あるいは縮小再生するためのシステムが存在しています。一方で公益法人や国家プロジェクト運用団体については、あまりそうした「予期しない終了」や「予期しない縮小」に対するシステムが整っていないように見えます。

そのため、親方日の丸のシステムと思って安心して関与してきた内部関係者および外部関係者に、対応不能なほどに甚大な損害を与え、周辺組織に「炎症」のような禍根を残すことになってしまいます。そのようなネクローシス的事業崩壊を恐れて、国家事業全体の最適化はどうあれ、個別事業の存続を命に代えても守ろうとする利害関係者が現れてしまうことになります。

正社員の雇用流動問題に関しても事態は似たようなものですが、行政側や経営側はアポトーシス的な再編を想像して制度改革を推し進めているのではないでしょうか。実際に切り捨てられる事業組織や被雇用者個人としては、現実としてネクローシス的状況に苦しんでいる場面が少なくないようです。こういう理想と現実のギャップに気がつかないままに、議論が平行線をたどっている場面もよく見かけます。

仕分けられた事業が正式な手順を踏んでアポトーシス的に終息していくなら理想ですが、そこかしこでネクローシス的混乱が発生するようであれば、最終的に国家全体の寿命を縮めるような事態にもつながりかねません。事業仕分けは国家の外科手術のようなものですから、そのあたりはよく考えてメスを入れていただきたいと思います。
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by antonin | 2009-12-10 18:57 | Trackback | Comments(0)

無神論者の福音





2:43あたりからのメロディが好き。

ブラームスは神を信じなかった。ドヴォルザークはそれに驚いていたらしい。ハンス・フォン・ビューロウはどんな風に演奏したのだろう。
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by antonin | 2009-12-08 01:18 | Trackback | Comments(0)

或阿呆の一生

まぁ、一巻の終わりだというのはずっと昔から自覚していたんだけれども、あらためて客観的に言われるとさすがに凹むなぁ。

Twitter / 五周: 訊いてもいない個人的な事情を、他人には解読不能な「哲 ...

Twitterってのは文脈が自明ではないので何に対してつぶやいているのかわからないのだけれども、知り合いを列挙したあれが変な形でさらされたりしたから、そんな影響もあるのかもしれない。

芥川龍之介 或阿呆の一生

この手紙の日付が、残り一ヶ月少々というあたりで、なんだか嫌な感じがするのだが、どうなんだろう。
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by antonin | 2009-12-07 22:57 | Trackback | Comments(0)

床屋談義

文藝春秋を読んでいると、司馬遼太郎さんがご存命中に書かれた文章が載っていたりして参考になるのだけれども、それを受けて山内昌之さんという東大教授の方がコメントを付けられている。その中で、日本の知識階級には軍事に関する基礎教養が足りないということを口を酸っぱくして言っている。それは確かに正論なのだけれども、果たしてこの「東大教授」は、どの程度戦争を経験しているのだろうかと想像して、少し首筋が寒くなる。

こういう人が法律を動かして日本が戦争可能な国家になると、その成果として実戦に投入されるのは私のムスコ世代ということになる。この薄ら寒さこそ、司馬遼太郎さんが指摘している軽薄な戦争理解の恐ろしさなんじゃないかと私は思うのだけれど、どうなのだろう。

今ちょっと本棚から見つけることができなかったのだけれども、日本の防衛大学教授が書いた戦術入門書が文庫になって売られていたので読んでみたことがある。

戦術と指揮―命令の与え方・集団の動かし方 (PHP文庫)

松村 劭 / PHP研究所


まず戦場の概要が設定されていて、それに基づいてシミュレーションが実施される。そこで戦術史に範を取った教科書的な軍事知識が紹介されていて、それ自体はまあ参考になるのでいい。いいのだけれども、その先に記述されているシミュレーションが、どうにも気持ちが悪い。

本当の戦術シミュレーションとしては、戦場で対峙する両軍の指揮官を人間が担当した紅白戦のようなスタイルになるはずで、それも1回きりではなく繰り返し会戦をシミュレートして、勝率の高い正攻法と、稀な奇襲戦法などが発生した場合の対処法などを研究するはずだ。それがこの文庫本では、紙幅の問題もあるだろうが、「当軍」の指揮官だけが筆者率いる人間側で、敵軍指揮官の思考過程が開示されていない。そして、想定される複数の選択肢の中から一つのケースを選んだ場合だけが説明される。

もちろん実際の戦場では敵指揮官の思考過程など知る由もないのでこれはこれでいいのだが、それにしても歴史検討ではない戦術シミュレーションで、たった一つのケースだけ取り上げてよしとするのは本当にそれでいいのかと思ってしまう。しかも、そのシミュレーション結果というのが、「途中では厳しい場面もあったが、最初の戦術を貫き通すことで、最終的には勝利を収めた」というようなものばかりなのだった。これは、なんというか、役所の無謬性原則というか、帝国陸軍の文化からほとんど進化していないのではないかと疑ってしまうような内容だった。それでいて、現場の下士官が勢いに任せて暴走したが、そういう勢いも戦場では必要というような描写もあって、五一五の精神まで受け継がれているんじゃないのか、なんていうことも感じた。

これも立派な「軍事知識」ではあるのだけれども、果たして本当にそんなものが役に立つのかという疑問は残った。戦争の中では局地戦での敗北をいかにうまく収拾して全体的な戦略を破綻させないようにするかとか、そういう上手い負け方のようなものも必須になってくるように思うのだが、いかに勝つかということしか考えていないのではないかというような内容だった。

もしも「負け戦のシミュレートはしないのですか?」と聞いたら、「最初から負けるつもりで戦場に出るやつがあるか!」と返されてしまうのではないかというような空気が、その本から漂っていた。実際に戦場で負けるわけにはいかないので、血を流さない範囲で存分に負ける経験を積めるのがシミュレーションの良いところだと思うのだけれども、こういう発想はひょっとすると軍人受けが悪いのかもしれない。あるいは日本人受けが悪い、と言ったほうがいいのかもしれない。

周辺国家の脅威に対して日本の軍事を無視するのは云々、という言い草をよく見かけるけれども、本当に日本と周辺諸国が交戦状態になったとしたら、実際にはどういう戦闘が起こるのだろう。日本にはすでにSelf Diffence Forceという軍備がある。でも建前上は武力によって国際紛争を解決するのは放棄しますと言っている。それをさらに放棄して武力で国際紛争を解決する場合もありうるとしてしまうと、武力を使う以上はいつでも使えるように訓練し、ひとたび交戦したら負けるわけにはいかない、というところまで軍備を固める必要が出てきてしまう。

日本国の独立という話になると、じゃあアメリカ合衆国を敵に回して勝ち、背後に中露印を抱えながら中東からの石油輸送を維持しつつ国家の独立を維持するだけの軍備を恒常的に持つ、というところまでハードルを引き上げる必要がある。アメリカを敵に回さないにしても、北朝鮮が本州のどこかにミサイルを撃ち込んできたとしたら、報復として北朝鮮のミサイル基地を空軍なり艦載ミサイルなりで攻撃する必要が出てくる。

それはそれでいいのだけれども、その後の韓国と中国のメンツをどう立てて終戦処理をするのか、だとか、それにロシアも含めた諸国に対して日本のリアルな軍事能力をさらしてしまうのだけれども、それに対して戦後に足元を見られないように軍備を維持するにはどれだけの国費が必要になるのかとか、そういう「ヤヌス神殿の扉を閉じる」までの、気の遠くなるような国家戦略まで面倒を見てやる必要が出てきてしまう。

それに、日本では既に小規模な戦争が発生している。ナチスは選挙で議会の第一党になってから独裁をしいたが、日本ではオウム真理教が選挙で一議席も取れなくて、それから地方都市と首都で化学テロを起こした。これも、民間の旅客機が民間のビルに突入したのが"It's war !"だというのなら、十分に内戦の範疇に入る。もっと小さい話でいいのなら、ソヴィエト崩壊後に先鋭化した資本主義の中で絶望した加藤智大が、首都に単身攻め入って7人を殺害したのも、現代ならゲリラ戦の戦術の一つとして数えることができる。

アメリカではF22という高性能な戦闘機を作ったが、共産圏という対立勢力がなくなってしまって、実際にはF22と戦えるのはF22だけ、というようなお寒い状況になってしまっている。開発費を同盟国から集めたり、コストダウンを進めたりしてF35という新型機を開発してはいるが、状況は似たり寄ったりでもある。

それよりも現代戦の状況を考えるなら、私がこうして思っていることをネットにさらして、検索しているキーワードも閲覧しているページも全て、米国企業であるgoogleが情報として収集しているということも無視できない。私が貧乏なオッサンである限りはなんの問題もないが、もし万が一私が国会議員になったりしたならば、私のネット履歴一覧をデータマイニングした結果を持って、米国からの使者が挨拶に来るだろう。

日本国の国家機密に関与する人がgoogleは一切使わないとか、あるいはMicrosoft製品は一切使わないとか、あるいは中国製のルーターは一切使わないとか、そういう統制が取れているのかどうかは知らない。知らないけれども、おそらくそういうことをするだけの力は、日本にはほとんど残されていないように思う。個人的に2ちゃんねるを覗いても、サーバーはアメリカにある。

中国に対しても状況は似たようなもので、Baiduが日本で勢力を伸ばしているということはないが、Yahoo! Japanで紹介されたサーチナの記事がどれだけ読まれてどういう反応が得られているかという程度のことは、中国政府当局もよく知っているだろう。中国事業所と日本の本社でやり取りされる暗号化されていないメールも、それなりに収拾されているだろう。

そういう状況でスーパーコンピュータで世界一だとか知識人の軍事知識がどうだとか言ってみても、英米とEUがエシュロン騒ぎでひと悶着したのから比べると、もう日本は物理的軍備についてはアクセサリみたいなもんです、と開き直ったほうがむしろ国防能力が上がるのではないかという気がするのだが、これは平和ボケなんだろうか。

日本が戦争に貢献したといえば、むしろ経済戦争での貢献のほうが大きいような気がする。EUが鉛を使用した電子製品は環境汚染の可能性があるから輸入を禁止するという指令を発した。アメリカは「んなもん猟銃を一発ぶっ放せば何百倍も環境は汚染されるのだから無意味」と妥当な反応を示したが、日本人技術者はそういう無理難題に嬉々として真っ向から挑戦し、ついには鉛フリーハンダや無水銀ボタン電池などを開発してヨーロッパ市場に風穴を開けてしまった。

その穴から、Intelのプロセッサや中国製の高級電子製品がEU市場に流れ込むことになった。本当に粗悪な中国製品などにはご退場願うエクスキューズができたから、EUとしてはそれはそれでよかったのだろう。これでヨーロッパ資本に対する日米同盟の戦力低下を防ぐことができたのだから、日本の企業戦士は日米同盟に対してしっかりと貢献していることになる。

60年以上も実戦経験がない軍隊が給油に参加するくらいは話の種に良いと思うが、日本国の独立とか防衛とかそういうことを言い出して周辺諸国の脅威を軍事的に云々するのは、あまり得策ではないように思う。東大の教授であれば、知識人における軍事的教養の欠如を心配するより、足元で博士号取得者がバタバタと自殺している現状を心配したほうが、いくらかお国のためになると思う。あるいは東大ではまだそういった心配はないのだろうか。
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by antonin | 2009-12-06 22:20 | Trackback | Comments(0)


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