安敦誌


つまらない話など
by antonin
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道すがら

スカイツリー、現在398mだそうで。携帯から一眼まで、カメラを構えた人がたくさん。
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地下鉄の車内にて。
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浅草寺で真言を唱えたりもしましたが、落語はパスしました。また今度。
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by antonin | 2010-07-28 04:32 | Trackback | Comments(0)

似て非

縄文人の勝ち - Chikirinの日記

なんだか、この人とは発想が似ているような気がする。

安敦誌 : 最近の若い者ときたら・・・

一票の格差の話も書きそうになった。代わりに、参院選の面白いところは小選挙区制と中選挙区制と比例代表制が全部混ざってる点、というようなのを書こうと思ったけど、結局退屈になってやめた。

自分で書いたものを読んで退屈に思うというのは、書いた文章の良し悪しというよりも、読んでいるこちらの気分というか内分泌というか、そちらの方の影響を濃く受けるもので、つまりは相変わらず具合が悪い。

暑いですねぇ。
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by antonin | 2010-07-25 03:10 | Trackback | Comments(3)

雑草をめぐる冒険

現在の住まいは、育児環境を優先してヨメの実家に近い位置にある。ときどき実家からお義母さんが来て家事育児を手伝ってくれるのだけれど、お義母さんは看護師として現役勤務しているので、シフト勤務の合間を縫っての来訪ということになる。その職は若い頃から一貫していて、ヨメが子供の頃も状況は同じようだった。そこでヨメの面倒を見ていたのは、ヨメの父方のお祖母さんだった。

そのあばあちゃん、コドモたちから見るとひいおばあちゃんになる人が、やはり近所に住んでいる。今年で満九十になったがカクシャクとしていて、家が取り壊しになってしばらくは娘の家に居候したりしていたが、いろいろと窮屈で先日から一人暮らしを再開した。居候していたころは車で45分くらいの距離だったのが、一人暮らしのアパートは車で10分、自転車でも30分くらいの距離になった。

そのアパートは江戸川の土手に程近い場所で、この夏になってから、コドモたちの花火あそびの場所を借りるのも兼ねて何度か訪ねていた。自宅の近所だと駐車場の隅や花火禁止の宅地公園や路地裏で強行するしかなく何かと面倒だったので、広々とした土手沿いで遠慮なく花火ができるようになったのは助かった。川沿いは風の通りがいいので、着火が少し難しいのが困るが、それでも住宅密集地で煙の行き先を心配しながら遊ぶよりはずいぶんとマシになった。

先日もムスコ1号をおばあちゃんの家に預けていて、夕方に自転車で迎えに行った。そこで適当に話を聞きながら家に帰る準備をしていたら、ちょっとアルバイトを引き受けて欲しいと言われた。人に小遣いを渡すのが好きな人なので、その口実に過ぎないのだが、アパートの駐輪場の脇にある、小さな植え込みの雑草を抜くというだけの作業だった。

夏至から一月しか経過していないので外は明るかったが、それでも夕方の6時は過ぎていたので、雑草を引き抜くとその影に潜んでいた蚊の群れが飛び出して、肌を露出している私やムスコ1号の周りをブンブンと飛び始めた。あわてて、ムスコには風の通るところで走りまわっていろと命令したが、それでも数ヶ所は刺されてしまった。その辺りの蚊は毒が強くて、刺されると数日腫れあがるので厄介なのだ。その後は雑草半分、蚊を払うのが半分というような作業状況になってしまった。

そういう具合で蚊の方も恐ろしい状況だったのだが、事前に伝えられていた言葉よりは平穏な結果だったので良かった。作業の準備中におばあちゃんが言うには、「雑草抜くっても、猫の死体くらいしかないからさぁ」ということだったので、そういうものを発見せずに済んだだけいいだろう。

というのはまぁ冗談で、勘の良い人にはわかるだろうが、この話にはオチがある。宮城と岩手の境あたりにある港町唐桑出身のおばあちゃんの言葉はときどきそちらの方言が混ざるのだが、基本的に東京の言葉になっている。東京の言葉と言っても、おばあちゃんが上京した戦前のこの辺りの言葉は、放送仕様の標準語でも山手言葉でもなく、下町の江戸言葉だった。そういう具合で、「猫のシタイ」というのは「猫の額(ひたい)」の意味だった。偶然そのアパートの周囲には野良猫が多く、一瞬ギョッとしたのは確かだが、さすがに作業前には意味が理解できた。

江戸っ子にかかると美しき青きドナウも「ドナウはシロイ(広い)なぁ」となるようだが、「猫のシタイ」には参った。ちなみにオホーツク沿岸の枝幸という町の出身のお義母さんも、上京して覚えたのがやはり下町言葉で、ときどき「ヒ」が「シ」に化ける。ムスコ1号もそういう親戚筋にかかると、「シロちゃん」などと犬のように呼ばれたりする。ちなみにヨメも子供の頃にはそうした言葉を話していたらしく、中学に上がって"he"と"she"の発音に苦労したと言っていた。

蛇足だが、金沢の方に「猫シタイ」という地名があるらしい。今回の一件と何か関係があるのだろうか。

石川県金沢市大桑町三小牛町猫シタイとは - 住所・郵便番号 Weblio辞書
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by antonin | 2010-07-21 22:42 | Trackback | Comments(2)

三方一両得

「三方一両損」は、東京では大岡越前の名裁きのひとつとして知られる話だが、これも多くの大岡裁きと同じように、東京では知名度のある江戸町奉行大岡越前守忠相を主役として脚色されただけで、実話ではなくどこかに源流がある物語らしい。二人の女が子供を取り合って裁判になり、互いに子供の腕を引いて引き勝ったほうを親とする・・・という例の話も、知恵と公正で知られたソロモン王の伝説に由来する話だというし、そういうものはこの手の話には多いのだろう。

その「三方一両損」だけれど、三両という大金の入った財布を拾った男も、それを届けられた元の持ち主も、三両は自分のもんじゃねぇからいらねぇ、という具合に気風の良いことを言って、挙句に白洲沙汰になる。しかしこれを裁く越前守がこれまた懐の一両を差し出して騒動を解決するという、なんとも気前のいい話になっている。子供の頃はこの話を聞いて、昔の人はなんと立派だったんだろうなどと思っていたのだが、実はこの話、落語なのだという。

落語の舞台を歩くより第37話「三方一両損」

人情話ではなくて落語だということになると、この話の途中から客はクスリ、クスリと笑いながら聞いているということになる。いくら昔の江戸っ子の話だとはいえ、そこは同じ人間の話、拾った金が大金だと見れば持ち主に届けるというところまでは同じ日本人として理解できる。ところが、そんなものいらねぇ、こっちこそいらねぇと押し付け合うとなると、ちょっと話としておかしくなってくる。

そのおかしいところが落語の面白みになってくるのだが、「三方一両損」を「三方一両得」としてしまうと、人間誰しも得をしたいものだから普通の話になってしまう。しかし、それが大岡裁きの逆ということになってくると、トンチが効いておかしいはおかしいが、ちょっとこすっからい話になってしまう。

大工の吉五郎が財布を拾うと、三両入っている。同じ財布に入っていた書き付けを見ると、左官の金太郎が持ち主と知れる。そこで届けに行くと、金太郎はありがとう、ありがとう、と言ってそれを受け取る。しかし、財布には書き付けが入っているばかりで、肝心の三両が入っていない。金太郎が憤然と文句を言うと吉五郎が、一度落とした金は天下のもの、一度拾ってしまえば俺のもの、とうそぶく。

はてさて裁判沙汰になって名奉行大岡越前守が登場するが、奉行はひとまず三両を取り上げると、金太郎の前に一両を、吉五郎の前に一両を置き、そして残った一両を自分の懐に入れる。いわく、「一度落とした金は天下のもの、本来は無いものである。しかしこうして一両は金太郎の手許に戻った。これは一両の得である。そして拾った金は天下のもの、それをくすねるのは本来罪であるが、ここは拾った財布を持ち主に返した行いに免じて、吉五郎に一両を残した。これは一両の得である。最後に残った一両が私の懐に入った、これも一両の得である。これにて一件落着」

かくして大岡越前による「三方一両得の名裁き」となるのだが、なんとも後味が悪い。後味は悪いのだが、人間の強欲を題材にした寓話としては、ありそうな話でもある。「三方一両損」の、とうてい現実にはありえないが江戸っ子の縁者としては気分の良いストーリー展開に先行して、この苦笑いするしかない「三方一両得」の話が、実はどこかに教訓話か何かとして転がっているのではないかと思った。

そこで「三方一両得」での検索結果をいくつか眺めてみたのだけれども、どうやらそれらしい話は見つからなかった。おそらく時代と舞台が違っているだろうから、通貨単位が「一両」ではないのかもしれない。上のリンク先を読むと、平安京を舞台とした、「三方一両損」と同じく気前のいい物語があるらしい。京都だと通貨は金ではなく銀だから、単位も両ではなくて匁あたりではないかとも思うが、ひょっとするとこの話も源流は古代中国やメソポタミアあたりまで遡れるのかもしれない。もしそうなると、単純な検索では発見できないので、気長に探していくことになる。

最近"Win-Win"というお題目が流行したこともあったが、あまり猫だましみたいなトリックによる解決は見たくない。"Lose-Lose"も痩せ我慢が過ぎるが、あまりに声高に叫ばれる"Win-Win"には、どこかに落とし穴がないのか、よく眉に唾して、というより、自分が欲に目がくらんで何かを見落としてはいないか、少し用心したほうがいいのかもしれない。
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by antonin | 2010-07-15 01:22 | Trackback | Comments(0)

猫可愛がり

身近にもネット上にも、猫好きの人というのは少なくないのだが、その誰も彼もが、猫を文字通りに「猫可愛がり」しているのが面白い。個人的には猫というのは適切な間合いを取らないと引っ掻かれるという印象しかなく、見た目がぬいぐるみのようでかわいいという以上の感情がない。

一度だけ、ヨメの家で17年間飼われていた雑種犬の最期の一年を共に過ごし、臨終を看取った経験などもあって、犬に関しては知らず知らず人間との間の物語のようなものが想像できてしまう。個人的に猫に対してはそういう物語性がなく、ただ生活領域をシェアしているという印象しかない。なので、よその猫の写真などを見せられても、愛着のないぬいぐるみの写真を見せられている程度の気分しか湧かない。

ところがこの感覚というのは、特に子供好きでない人が、よその子供の写真を見せられた時の気分に似ているらしい。私のように年賀状などでよその子供の成長が見られるのが楽しくて仕方がないという人間には、この気分がなかなか実感できなかったのだが、そうか、猫の写真を見せられた時の気分がそれなのかと思い、ようやくその正体がわかった気がする。

我が家には3人のコドモがおり、日頃は勉強や習い事や家事手伝いのあれやこれやについて細かいお小言を受け続けて反発も強いのだけれど、食事のあとに私が床に座っていると、ムスメやムスコ1号2号が胡座を組んでいる足の上に乗ってくる。そしてそのまま食後のお菓子を食べたりテレビの子供番組を見たりしている。場合によっては肩車の位置を取り合ってムスメとムスコ1号が背後から体重を掛けて頭の方へよじ登ってきたりもする。猫とは体重が比較にならないので、こちらもかなり体力を使う。

こうなると私は全く身動きが取れなくなるのだが、単に遊び場の取り合いとはいえ、コドモたちが競ってこちらの体の上に寄り集まってくる状況というのは、恐らく今頃だけの幸せなのだろうとも思う。コドモたちが飽きるまで遊び相手をして、疲れて寝るのを見届けて散会というのも週末には多い。コドモたちが大きくなってから振り返ると、あの頃が一番楽しかったというような回想をするのかもしれない。

親の与える教育で見た我が家のレベルはCランク程度だろうが、コドモも3人集まれば社会ができるので、その小さな社会の中で、大人が与える教育だけでは得られない対人経験が残れば儲け物だろうと思っている。先天的資質や物心つくまでの教育などは、あまり自信を持ってしっかりとしたものを与えたとは思えないが、家に帰れば自分だけの世界に戻らざるを得なかった私の一人っ子時代に比べれば、家の中で年齢の違うきょうだい同士の遊びや喧嘩ができる我が家のコドモたちは、その体験から多くを学んでいるだろう。

日本では、もはや子持ちの方がマイノリティになりつつあるらしいのだけれど、あまり遠慮せずにコドモを可愛がっていきたい。最低限の躾だけしておけば、あまり外野の意見に右往左往する必要もなさそうだということを、猫好きの人達から学べたように思う。

イソップ物語 ろばをかついだ親子
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by antonin | 2010-07-12 14:00 | Trackback | Comments(0)

不慳貪戒

「慳」というのは、すでに所有しているものを手放したくないという欲。「貪」というのは、まだ所有していないものを手に入れたいという欲。

これを避けて不慳貪に生きるよう仏法は説くのだけれども、それでは何も手許に残らないじゃないか、というと、そうでもないようだ。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれというか、塞翁が馬というか、手放すことで初めて得られるものというのもあって、そういう常ならぬ流れの中に身を置いても、案外に何も残らないということはないらしい。

あの比較的毒舌なラ・ロシュフコー閣下の箴言の中にも、「貪欲は気前のよさ以上に理財の道に反する」というものがあって、ある程度は呼び水を流さないと経済というものは回らず、経済が回らないと財も成らない。倹約というのはだいたい良いことなのだけれども、これが吝嗇になると不徳になる。その境界がどこにあるのかというと難しい判断になるのだが、だいたい中道とか中庸というものには目印がなく、どこが適切なのかという判断は難しいものなのだろう。

日本経済にも財政規律派とリフレ派というのがあって、個人的には数年前までは財政規律派だったのだけれども、どうやら臨界点を超えてしまったのではないかという気がしている。国家予算に属する支出を削って倹約し、増税して国債残高を減らすというのが財政規律派の考えで、これはこれで常識的で正常な考えではある。けれどもこれも度が過ぎると、経済が回らなくなって経済規模が徐々に縮小していく。特に今のようなデフレ不況下ではそれが加速度的に進行してしまう。

日本経済の構造は、個人がせっせと貯金したり保険商品を買ったりして眠らせている現金を、国家が借り上げて公共投資の形で市場に流している形になっている。なので、財政規律派というのは、銀行や郵便貯金の口座に溜まっている現金預金をいつでも引き出せるように、現役世代から徴収する税金でその価値を保証しますよ、という態度になる。

一方のリフレ派というのは、現金預貯金の名目、つまり預金額の数字そのものは保証するけれども、現金自体の価値を少し下げさせてもらって、つまりは国の借金を実質的に一部棒引きにしていただいて、そこで生じた余裕で現役の経済に現金を流しこんで経済を回しますよ、ということを言っている。

そこで、経済のコントロールを担っている財務省や日銀としては、もしリフレが暴走してハイパーインフレにでもなったら実質的な国家による借金踏み倒しになって先進国の政府や中央銀行としては赤っ恥だろうと反対するし、一方のリフレ派としては、もうこれだけ債務残高が積み上がっている時点で赤っ恥なんだから、ハイパーインフレの可能性を心配するよりも、リフレで経済成長が再開して税収の自然増が見込める可能性に賭ける方がいくらかマシだろうよ、という具合に反論する。

まぁどちらの主張も間違ってはいないので、あとは船長が取舵か面舵かを決断するだけなのだけれども、失われた20年のあとにGDP比200%に迫る債務残高を返済するだけの未来よりも、リスクは高いが逆転を狙えるリフレの方が気分はいいな、という気はする。これが小泉政権の頃まで時間の針を戻していいのなら「未来に借金を残すな」というプライマリーバランス回復路線でもまだ希望があったけれども、今年度予算の国債比率などを見てしまうと、もうお年寄りに泣いてもらってインフレに持っていくしか希望がないんじゃないかと思うようになった。

インフレになれば為替も円安に傾くから輸出にも都合がいいだろうし、製造業も国内にいくらか回帰してくるだろう。株式も相対的に安くなるので海外の資金も流れてくるだろうから、株式ナショナリズム的にはハイリスクにしても、景気だけを見るなら好影響になる。国債だけが一人負けして高金利の恐怖に怯えることになるのだけれども、それでも財務省が頑張って特別会計などから予算を引っ張ってくれば、あまり過激な形で破綻することもないような気がする。

石井紘基さんの事件のように、その過程で物理的な暴力というのもいくらか発生するのだろうけれども、政治家や官僚がそのあたりの暴力とうまく折り合いをつけて国益を実現できるかという方が、よっぽど先進国としての真価を試されるのではないか思う。

と、まぁ、国政は別に勝手にやってくれたらいいのだけれども、個人的にも間もなくプライマリーバランスがマイナスに陥りそうなので、倹約すべきは倹約しつつ、けれども慳貪にならないように、貧すれば鈍すとならないように、経済を回して生きていかないとなぁ、なんていうことを思った。
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by antonin | 2010-07-07 01:28 | Trackback | Comments(9)

湿度120%

梅雨時期なのでジメジメする。肌にべっとりと纏わり付くような空気でも、湿度計を読むとだいたい70%程度であることが多い。どちらかというと肌に付着している汗由来の塩分の影響のほうが強かったりして、洗面台で腕を洗うと体感的には涼しくなる。外出後の状態だと、肌に汗がはりついて体感湿度120%と言いたくなるが、普通は湿度が100%を超えることはない。

普通に言う湿度の数字は相対湿度、つまり空気中で水分が蒸気として存在できる飽和量を100%として、その何パーセントの水蒸気が含まれているかを示している。だから100%を指す水蒸気量そのものが空気の温度によって大きく変動して、10℃/70%RHと30℃/70%RHだと、30℃/70%RHのほうが体積あたりの水分量の絶対値でいうと3倍くらい多い。じゃあ10℃/70%RHのほうが洗濯物が乾きやすいのかというと、100%になるまでの余裕も3倍なので乾きやすいのは30℃/70%RHのほう、という具合になる。

相対湿度が100%を超えるとどうなるかというと、飽和点の越え方にもよるけれども、湿った空気全体を断熱膨張させるなどして徐々に冷却した場合には、空気中の水分のうち100%を超えた分が液体の粒子になって、見た目には霧が発生する。霧が発生するぎりぎりの温度を露点という。湿った空気に冷たいものを突っ込んで冷やすと、その表面に水が付く。冷たい飲み物の入ったグラス表面に付く水はこれによる。

ということなので、通常は「湿度120%」という状態は起こらない。そのはずなのだが、良く考えてみると、世の中には過冷却という現象がある。エネルギー的には凝固するのに十分な低温であるのに、液体が固体に変化するのに必要なほんのわずかなエネルギー障壁を超えるきっかけがないために、液体のまま低温状態になる。この過冷却液に、結晶核になる不純物や局所的な圧縮要因になる衝撃などを与えると、短時間で急激に凝固する。

似たような原理で、過飽和蒸気というのはあるのだろうか。もしそういう現象があるのだとすると、120%はむりだとしても湿度101%ぐらいはありうるかもしれない。もしそういう現象があるとすれば、やはり水滴の発生核となるチリなどを除去したクリーン度の高い空気中で、空気密度のゆらぎがあまり大きくならないように無音環境下でないと発生しないのだろう。

試しにネットで調べてみると、確かにそういう現象があるらしい。音波の影響はあまり無いらしく、塵埃濃度が低ければ発生する現象のようだ。

かほうわじょうき【過飽和蒸気】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
露点以下に冷却されても、凝縮のための核となる塵埃(じんあい)などがないため、液滴を生じないでいる不安定な状態の蒸気。何らかの刺激が与えられれば急速に凝縮する。

国語辞典に載っているぐらいなのでありふれた現象なのだろう。

もし過飽和状態で湿度100%を超えた空気を人間に吹きつけたらどうなるだろうか。過飽和の程度にもよるだろうが、ファンで噴出できる程度のものであれば、炭酸泉に入ったときに体毛に炭酸ガスの気泡がつくような感じで体に白い水滴が付くのだろう。いかにも涼しそうな感じがするが、なにしろ湿度100%超なので、どちらかというと凝縮熱を発生したりして、噴出温度よりも体感温度の方が高くなるだろう。人間の体温程度の過飽和水蒸気であれば、熱く感じるほどかもしれない。

子供の頃、服の上から背中に口をつけて息を吐かれるとお湯を掛けられたような熱さを感じたが、あれも過飽和とは言わないまでも湿度100%で、かつ人間の体温に近い空気の体感温度ということになるのだろう。場合によっては綿の下着の繊維表面に水分子の吸着が起こって、その吸着熱なども発生しているのかもしれないが、それがあの体感的な熱さのうちどの程度の寄与なのかはわからない。吸湿熱の温かさを訴求している温熱下着などもあるので、案外馬鹿にならないのかもしれない。

なんていう無駄なことを考えてしまった、梅雨も後半の夜。
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by antonin | 2010-07-06 23:25 | Trackback | Comments(0)

オルメカの娘

って、やっぱり顔デカかったんだろうか。

オルメカ文明 - Google 検索

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タイトルに意味はありません。6月に入って、内面的なことは書かないように決めると、もう書くことがなくなって、どこからかやってきたテントウムシやコガネムシのことくらいしか話題がない。そうそう、テントウムシはやはりナミテントウでしたよ。

まるまると太った最終齢の幼虫が、
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そのまま蛹になり、
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無事に羽化しました。
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今年はまだ飛び去らずに残っているようです。
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と、もう一匹発見。
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どうやら我が家のベランダはアブラムシの多い庭認定を受けたようです。
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by antonin | 2010-07-06 21:33 | Trackback | Comments(0)


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