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文明か野生か

古代ローマ文明というと、連想するのは白亜の石像と鷲の軍旗と、それから公衆浴場あたりか。頻繁に風呂に入って身体を清潔に保つというのは古代ギリシャ人もやっていたらしいが、あちらは軽く沐浴すると香草で香り付けしたオリーブオイルで皮膚をこそぐというやり方だったらしいから、豊富な湯で体を洗うスタイルはやはり火山の多い半島に生まれたローマ文明に固有になるようだ。まぁ、異文化を受け入れることに抵抗のないローマ人だから、元をたどると周辺部族のどこかに起源を持つのかもしれないが。

ローマが「世界の首都」に成長してからも、遠い源流から引いた水道で、飲み水と風呂水と、ついでに淡水魚養殖の水まで確保していたらしく、都市部の住民も入浴の習慣は保っていたらしい。また、ローマ軍団が地方に軍団基地を基本とした都市を建設するときにも、可能であれば必ず公衆浴場を確保したらしい。それは地中海沿岸の北アフリカでも同様だったという。

ローマ帝国は紆余曲折あってユダヤ教会を滅ぼしてしまったので、ユダヤ教やその派生であるキリスト教では古代ローマの、特に帝政ローマに対しては非常に評価が低いのだが、そういうユダヤ教としても入浴の習慣は良いものとして認めていて、ローマ人は銅像を磨くのに熱心だが、ユダヤ人は風呂で体を磨くとかなんとかいうユダヤ側の言い伝えもあるそうだ。

そうして市民が体を清潔に保っていると、人間が密集して生活している都市部でも疫病の流行などが起こりにくく、したがって健康レベルが高く保たれていたのが人口増大につながり、ひいては国力増強の一因になっていたという説もあるらしい。そういうローマ帝国も、後期になると人口減少が目立つようになる。水道管に使われていた鉛が水道水に混入し、それを毎日飲んでいたために鉛中毒になり、そして不妊傾向に到ったのではないかという説もある。しかし今の日本を眺めていると、生活環境が豊かになると子供は減るのが自然なのではないかという気もする。

衰退期のローマでは疫病も頻発するようになる。穀倉地帯が周辺部族の侵入で荒らされて市民の栄養状態が悪化したのが主要因だとは思うけれども、水道の保守が行き届かなくなり、入浴の頻度が落ちて衛生状態も悪くなったという原因も考えられるらしい。

そういう具合で、「垢抜ける」という表現もあるけれども、身体の清潔度が上がるというのが文明人の特徴の一つであり、それは病気になりにくいという結果につながってきた。その後にローマ文明は解体してしまうのだけれど、その後も文明は発達し続け、医療というのは「けがれたもの」を排除していく方向で進歩していく。けれども、なんというか、何ごとにも限度というものがあって、そろそろ私たちの文明はその限界近くに達しているのではないかという感じもある。

私が幼稚園に入った頃は、それまで集団生活の経験がなかったからか、週に一度ペースで熱を出して寝込んでいたらしい。2年間幼稚園に通ったが、その当時の登園スタンプ帳を見ると、1ヶ月皆勤なのはたった1回しかなかった。結果として近所の内科医院には常連患者になっており、いつも抗生物質の入った薬を飲んでいた。一度は熱性けいれんで救急車で運ばれたこともあった。どうやらこの体質は遺伝するらしく、ムスメも一度熱性けいれんで救急車で運ばれている。

こうして体が雑菌に侵されるたびに抗生物質を投与すると、確かに病気は治るのでありがたく、時代が違っていたら私は七五三を祝う前には死んでいたのではないかとも思う。しかし近年の生理学的な知見によると、免疫系というのは学習する系であり、あんまり先手を打って抗生物質が雑菌を打ち倒してばかりいると、要は免疫系がバカになってしまうというようなこともあるらしい。

免疫がバカになるとどうなるかというと、外敵の侵入に負けてしまうという形よりも、ちょっとした外敵の侵入に過剰反応してしまって味方に巻き添えを食らわすという、「自己免疫疾患」という形で現れるらしい。その一部は深刻な病気になるのだけれども、より軽い部類では花粉症のようなアレルギー反応として現れる。

戦後の復興期に建材需要を見越して一斉に植樹した杉の木が、最近になって一番花の多い状態になりながら、もはや国内に林業の担い手がいないために伐採されないまま放置されているために、スギ花粉の絶対量が多いというのは確からしい。しかしそれだけでは花粉症という「病気」がこれほど増加した説明としては足りないので、ディーゼルエンジンの排気ガスに含まれる粒状物質(PM)との複合要因なのだとか、いろいろな仮説が出されている。

けれども昔の青っ鼻を垂らしていたハナタレ小僧時代を経験している世代には花粉症の例が少ないだとかいう話は有名だし、健康保険の充実で「風邪にはとりあえず抗生物質」という育ち方をしてきた人間が花粉症になるのではないかと、個人的には予想している。といってこの手の情報をストレートに開示しても、抗生物質ゼロにこだわるような極端な恐怖を煽る商売が横行するだろうし、抗生物質を含む薬剤の売り上げにだって影響するだろうし、専門家がそれなりにデータを得ているとしても、あまり大きな声では言えないような状態なのではないだろうか。

牛肉はそれなりに高いが、豚肉や鶏肉は安い。そういう肉が安いのは、生育に必要な期間が短いのが主要因だが、もうひとつ、狭い面積の養育場に大量の家畜を詰め込んでも伝染病が発生しないように、未然に抗生物質を多めに投与しているというのは暗黙の了解事項でもある。これも合成化学物質が大嫌いな自然志向の人には理解されにくいのだが、抗生物質を使わない場合の生物毒のリスクと抗生物質を使った場合の化学毒のリスクを比べると、普通は生物毒のリスクのほうがはるかに大きい。それを同程度に抑えこもうとすれば、豚肉も鶏肉も、日常的にはおいそれとは買えないような高級品になってしまうだろう。

ただし、そういう経路を通じて抗生物質というのは処方薬以外からでも人体に流れ込んでいる。ここでも食肉を通じて体内に入ってくる抗生物質が悪さをするリスクが顕在化する前に、普通に肉を食べ過ぎる栄養バランス上の健康リスクのほうが先に現れてくるだろう。むしろ逆に、畜肉をよく食べる人というのは家畜に似て、人口密度の高い環境に置かれても伝染病に罹患しにくいというプラス面の影響さえ、慎重に調べれば見つかるかもしれない。

ただやはり、そうして日常的に流れ込んでいる抗生物質によって私たちの「文明的な」免疫系はバカになってしまっており、そのまま出番がないまま終われば良いが、一度実戦体制に入ると、勢い余って余計なことをしでかす率も高まっているのではないかと思う。

花粉症をはじめとするアレルギー症状の対策としては、第一にアレルゲンの除去が挙げられる。つまり、バカになった免疫系の出番を止めるのが対策としては第一になる。ただ最近ではこの傾向にも変化が見られ、アレルギー反応に対して対症療法で症状を抑えておきつつ、少量のアレルゲンに接触してアレルギー体質そのものを改善するというような治療法も一部で提唱されてきている。

私たちは毎朝石鹸で顔を洗うが、実は顔を洗ったままさっぱりつっぱりの状態で放置すると、皮膚を保護するべき皮脂が不足したことを皮膚が感知して、皮脂の分泌量は増えるらしい。そうすると皮脂を分泌する腺に皮脂が詰まってニキビや吹き出物になる率が、かえって高まるようなこともあるらしい。これに対する対策は二通りあって、ひとつは石鹸で皮脂をきっちり落としたあとに、乳液やクリームを塗って皮膚の表面に油分を補給すること。もうひとつは、顔を洗うときは水洗いと布拭き程度に留めて、天然の皮脂を皮膚の上に残すこと。そうすると、皮脂の過剰分泌はおさまるらしい。

免疫系についても、おそらく状況は似たような感じなのではないかと思う。人工的に雑菌を取り除く代わりに、過剰な雑菌との接触をきっちりと管理し、清潔な状態をあくまで人工的に維持する。有用な菌が死んでしまったら、抗生物質に強い菌を人工的に摂取する。これがひとつの道。もうひとつは、緊急時以外は人工的に雑菌を取り除こうとはせず、ある程度は人体の免疫力が力を発揮するのを待つという道。

文明か、あるいは野生か。一応二律背反に見える選択肢ではあるのだけれども、もはや人類が完全な野生の生活を取り戻すというのは無理だろうから、文明的でありながら、しかし完全な清浄を目指すのではなく、「調教された野生」を活かす術を見つけていく方向にはなるのだろうと思う。

そういえばこの文章を書こうと思うきっかけになった記事について書き忘れていた。

ピロリ菌の除菌治療を効果的に行うために - goo ヘルスケア

ピロリ菌の完全除菌が適切であるような人が実際に少なくないのだろうとは思うけれども、胃の中にピロリ菌がいるようでは先進国の人間として恥ずかしいというような論調になると、それはちょっとどうなんだろうかとも思う。

ちなみに私は上の記事の中に出てくる「特発性血小板減少性紫斑病(ITP)」というのを14歳の時にやったことがある。成人では慢性化して面倒なことになることもあるらしいが、発症の多い思春期男子の場合は半年以内には放っておいても治ることが多いらしい。

特発性血小板減少性紫斑病 - Wikipedia

上のWikipediaの記事にある「急性」(語感に反して良性の予後が多いケース)の経過をたどり、2ヶ月のステロイド治療ののち、大量グロブリン療法で完治した。白血病診断のための骨髄検査(マルク)というのもやった。腰骨に針を刺す検査で、事前に麻酔を打つので痛みは全くなかったが、骨がゴリゴリ押されているのがわかって気持ち悪かった記憶がある。

「特発性」というのは原因不明というような意味であり、当時は詳細な病因が判明していなかったのだが、その後の研究で少しずつ原因が判明している。Wikipediaの情報をどこまで信用するのかという問題もあるが、一応その記述を信用すると、はしかや水疱瘡などにかかったあとに抗ウィルス作用の副作用で血小板に抗原が付着し、そこに免疫系が攻撃を仕掛けて血小板が減少するらしい。

私のITPが子供時代の病院通いと関連するのかどうかは分からないが、花粉症について思うところもあって、ひょっとすると根のところでは同じような要因があるのではないかということを思い浮かべながら、こんなことを書いてみた。
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by antonin | 2010-11-26 03:33 | Trackback | Comments(0)

つまらない話など

何か書こうと決めて書き始めると、5年もこうして駄文を書き重ねてきた経験というのか、いつもそれなりのものが書けるのだけれども、書いた直後に馬鹿らしくなってしまうことが多くて、そうなると非公開で保存してしまう。で、あとから気が変わって半分やけっぱちで公開してしまうこともあるし、そのまま忘れてしまうこともある。そういうわけで、今日も何かしら書いたのだけど馬鹿らしくなって非公開にしてしまった。

今回はオチまで書いたので後日公開することになる可能性は高いが、今のところは古い記事の虫干しで終わっておくことにする。

安敦誌 : ギャンブルの話
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by antonin | 2010-11-22 01:14 | Trackback | Comments(0)

もし高校野球の女子マネージャーがウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を読んだら

うん、ちょっと読み替えるとこれは役に立つかもしれないな。
なんのためにこんなに頑張っているのかわからない、って悩んでる部員も多いみたいだし。

1 大会は成立している試合の総体である。

1.1 大会は勝敗の総体であり、選手の総体ではない。

1.11 大会はいくつかの勝敗によって、そしてそれが勝敗のすべてであることによって、規定されている。

1.12 なぜなら、勝敗の総体は、どの試合が成立しているのかを規定すると同時に、どの試合が成立していないのかをも規定するからである。

1.13 対戦組み合わせの中にあるいくつかの勝敗、それが大会である。

1.2 大会はいくつかの勝敗へと分解される。

1.21 他のすべての試合の成立・不成立を変えることなく、ある試合が成立していることも、成立していないことも、ありうる。

2 成立している試合、すなわち勝敗とは、いくつかの得点の成立である。

2.01 得点とは、いくつかの進塁(走者)の結合である。

2.011 得点の構成要素になりうることは、選手にとって本質的である。

2.012 対戦においては何ひとつ偶然ではない。ある選手がある得点のうちに現れうるならば、その得点の可能性はすでにその選手において先取りされていなければならない。

:
:
:

6.432 大会がいかにあるかは、より高い次元からすれば完全にどうでもよいことでしかない。主催者は大会のうちには姿を現しはしない。

6.4321 勝敗はただ問題を導くだけであり、解決を導きはしない。

6.44 感動とは、大会がいかにあるかではなく、大会があるというそのことである。

6.45 永遠の相のもとに大会を捉えるとは、大会を全体として──限界づけられた全体として──捉えることにほかならない。
 限界づけられた全体として大会を感じること、ここに感動がある。

6.5 答えが言い表しえないならば、問いを言い表すこともできない。
 は存在しない。
 問いが立てられうるのであれば、答えもまた与えられうる

6.51 問われえないものを疑おうとする以上、懐疑論は論駁不可能なのではなく、あからさまにナンセンスなのである。
 すなわち、問いが成り立つところでのみ、疑いも成り立ちうるのであり、答えが成り立つところでのみ、問いが成り立つ。そして答えが成り立つのは、ただ、何ごとかが語られうるところでしかない。

6.52 たとえ可能なルール上の問いがすべて答えられたとしても、大会参加の問題は依然として全く手つかずのまま残されるだろう。これがわれわれの直感である。もちろん、そのとき問われるべき何も残されてはいない。そしてまさにそれが答えなのである。

6.521 大会参加の問題を、ひとは問題の消滅によって気づく。
 (疑いぬき、そしてようやく大会参加の意味が明らかになったひとが、それでもなお大会参加の意味を語ることができない。その理由はまさにここにあるのではないか。)

6.522 だがもちろん言い表しえぬものは存在する。それは示される。それは感動である。

6.53 語りうること以外は、何も語らぬこと。授業の試験問題以外は──それゆえ高校野球とは関係のないこと以外は──何も語らぬこと。そして誰か教育論的なことを語ろうとするひとがいれば、そのたびに、あなたはそのプレーのこれこれの動作にいかなる意味も与えていないと指摘する。これが、本来の正しい高校野球の方法にほかならない。この方法はそのひとを満足させないだろう。──彼は高校野球を教えられている気がしないだろう。──しかし、これこそが、唯一厳格に正しい方法なのである。

6.54 私を理解する人は、私のプレーを通り抜け──その上に立ち──それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。そのようにして私はいくつものプレーで指導をおこなう。
 (いわば、梯子をのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)
 私のいくつものプレーを葬りさること。そのとき大会を正しく見るだろう。

7 語りえぬものについては、沈黙せねばならない。


・・・野球部員は黙って練習してればいい、ってことだよね。
答えがわかる頃には、もう卒業して大人になってるんだ。

論理哲学論考 (岩波文庫)

ウィトゲンシュタイン / 岩波書店


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by antonin | 2010-11-17 11:55 | Trackback | Comments(2)

七五三

ムスコ1号の七五三のお参りに亀戸天神まで行ってきた。

近所の写真スタジオで貸衣装を着つけてもらい天神様に着くと、やはり七五三の参拝客が大勢押しかけていた。門内の池に縁起物の鯉を放流するという特別イベントも行われており、我が家も500円払って鯉を一匹放流してきた。ちょろい商売ではあるが、こういうモノには乗っておくものである。

写真もたくさん撮ってみたが、ムスコ1号はムスメ同様写真に写るのがあまり好きではなく、芸達者な写真屋さんの手にかかれば何とか笑うが、親が撮影しても下を向くか、あるいは引きつった笑いをする程度という具合になる。

参拝後に近所のレストランに行って食事にしようとするが、ここもやはり大混雑。予約待ち14組という状況になっている。と、ここで、貸衣装の小道具である懐刀入れが無くなっていることに気づき、急遽天神様まで引き返す。さすがに神様の前だけあって、懐刀入れは落とし物として届けられていたので一安心。

ようやく引き返してレストランに着くと、まだ順番が回ってきていない。ムスコ1号2号ともに車の中で昼寝に入ってしまい、ヨメとムスメが待ち行列に加わったが、3時近くになってようやく店内へ。私はムスコ1号2号のお守りで車内に残った。その間、コンビニで買った100円おにぎりをレストランの駐車場で食べるという、かなり倒錯した行為をしていた。その後、ムスコ1号2号が目を覚ましたので、ヨメに連れられて店内へ入っていった。私はそのまま駐車場で待っていた。

その後、写真スタジオへ貸衣装を返しに寄る。その間もコドモたち3人の無作法にキレかけながらも、なんとか無事にイベント終了。

夜になってそろそろ寝るかという頃になって、ママに怒られたからパパのところに行くと言ってムスコ2号がやってきた。ムスコ1号も貯金箱に入った1円玉を自慢しにやってきた。このくらいの子供というのは可愛くてしかたがないのだが、一方で早く育ってどこへなりとも巣立ってくれとも思うので、父親というのは身勝手なものだ。

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by antonin | 2010-11-15 02:32 | Trackback | Comments(0)

デノミでもしようじゃないか

ヨパライのタワゴトということで。

--

全ての負債と資産について適用されるデノミを実施しようじゃないか。具体的には、旧100円を新2円に置き換える。100分の1じゃなくて、100分の2というところがミソだ。円をユーロやドルに近い単位体系にしようというデノミは従来からたびたび提案されてきたというが、今はインフレの時代ではなくてデフレの時代だ。インフレの是正を一気におこなうのがデノミだとすれば、逆にデフレの是正を一気におこなってみるのはどうだろう。デノミの逆だからインノミとでもいうのか。ただそれだと常識的ではないので、100分の1のデノミと同時に2倍の逆デノミを実施し、体裁としては50分の1のデノミの形を採る。

法令に定める金額については全て50分の1とし、1銭未満の端数については全て切り上げる。新紙幣は、1万円札に相当する2百円札、5千円札に相当する百円札、千円札に相当する2十円札、それから500円硬貨に相当する十円札。新硬貨は2円、1円、20銭、10銭、2銭、1銭となる。紙幣の肖像は、2百円札が大隈重信、百円札が源頼朝、2十円札が杉田玄白、十円札が田沼意次。

この混乱に乗じて、年金、健康保険、介護保険を全て税方式とする。また徴税方式は現金所得からの源泉徴収を廃止し、消費税の増税分を充てることにする。新しい消費税率は19%とする。レコード類および書籍類の再販価格保護を廃止し、価格表示における外税表記を原則禁止とする。厚生年金および共済年金については株式会社化し、国民年金との差額を任意徴収の保険料で賄う保険商品の販売会社として再編成する。

自動車税、自動車重量税、自動車取得税、軽自動車税、揮発油税、軽油引取税については全廃する。高速道路の通行料については原則無料とする。ただし都市部の自動車道は都道府県の保有とし、流入制限を目的とした通行料は許可する。自治体の条例に基づく建設費償還型有料道路については維持し、新設も許可する。

消費税の免税事業者は年間税込売り上げ20万円未満とする。また、医療費および薬剤費にも消費税を導入するが、国民保険の自己負担率は25%に引き下げる。老人医療費の自己負担率は10%を維持するが、老人医療費が適用されるのは昭和21年4月1日生まれを最後とし、昭和21年4月2日生まれ以降は一般の自己負担率を適用する。また平成78年3月31日をもって老人医療費制度は廃止する。

--

そんなことが実現できるのかって?
できるわけないだろ。
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by antonin | 2010-11-14 23:46 | Trackback | Comments(0)

犬族の話

バイオテクノロジーが進歩して、犬の脳が大型化し人間と同等の知能を持ったら、社会的にどうなるだろう。

--

彼らは知的には人間と同程度の水準に達しているので、人間が行っていた労働の一部に参加することが可能になったのだが、それでも肉体的には犬であるので、基本的に四本足で歩く。知恵があるので練習すれば二本足でも歩けるのだが、それでもやはり四本足で歩くほうが無理がない。

彼らは知性が高く文字を読むことができるのだが、手がないので文字を書く事は難しい。彼らは言葉を聞くことはできるのだが、声帯がないので言葉を話すことは難しい。それぞれ代用手段を持っているが、人間と同じ方法では、やはり困難である。

彼らは知性が人間並みで、およそ人間のように思考するのだが、感情的な面ではやはり犬であり、固定的な上下関係を非常に重視する傾向がある。そういう関係が守られないと、不安から異常な行動を起こしやすい。理性的にはそれを理解していて、感情的傾向をトレーニングによって克服することも可能である。

彼らの感覚器は全く犬のものであって、視覚は色盲であるが、嗅覚は非常に鋭い。したがって思考も幾何学的な方法よりも臭気で例えた比喩のほうが理解しやすい。

彼らは寒さに強いが、暑さには弱い。大型化した体と脳が発する熱量の発散は主に呼吸器と舌でおこなわれるので、30度以上の環境では氷をなめていないと命の危険がある。食事は肉食が中心で、ビタミンCは必須栄養素ではない。

彼らは人間に比べて0.1%程度の個体数を保っている。この犬族がどのように生きるべきなのかということについては、彼ら自身の中でも見解が分かれている。

犬族の知性は人間並みでも、肉体は犬であるので、業務に従事する際も四足歩行を基本とすべきであり、長時間の二足歩行は肉体的に障害が出る原因となるので禁止すべきという意見が主流である。一方で、二足歩行が全く不可能な状況であれば仕方がないが、現に二足歩行で業務に従事している犬族はおり、人間社会の一員として業務を遂行する以上は、そうした努力を払うのは当然の義務であるとする意見も根強く存在している。

人間側の意見としても犬族は四足歩行で業務に従事できる環境を整えるべきとする意見が主流であるが、実際の職場に四足歩行のための環境を導入できるかとの問いには、現実的には難しいという回答が過半となっている。

犬族の嗅覚の高さを生かせる分析業務分野では四足歩行に対応した業務環境が積極的に整備され、多くの犬族職員の中に少数の人間職員が混ざる割合であるケースが多い。こうした職場では犬族と人間の職員ともに、社会全体が犬族の身体的特徴に合った物理的あるいは手続き的なシステムを整備すべきであるという意見を主張している。

一方、一般的な人間社会の中で二足歩行やフラットな相互関係などに順応した犬族の意見では、少数派である犬族の側が人間に合わせる努力を払うべきであるという強い主張が見られることが多い。犬族に合った環境が整備されるのは理想であるが、多数派である人間の就労環境を少数派の犬族に適したように変えるべきであるという主張が犬族を雇用するコストアップにつながり、結果として犬族の活躍の場を狭める結果となるという意見もある。

--

肉体や精神の特徴が平均的なものと違う場合、そういう人間は平均的な傾向に合わせるべく努力すると当然利益を得られるのだが、代償も伴う。努力で平均的に生きることができる人もいれば、努力だけではどうにもならない人もいる。平均を外れるデメリットをカバーして余りある才能を有している人もいれば、そういう突出した才能を持たない人もいる。

想像上の犬族は嗅覚という天賦の才を有しているが、それが活かせる環境というのは非常に限られる。犬族の多くは、人間と同じではないということを理由に、不当な差別意識によってではなく単にコストの問題を理由として、人間社会の主流から排斥されるだろう。

先天的あるいは後天的に、平均的でない身体的特徴あるいは平均的でない精神的特徴を有している人間の立場というものは、想像上の犬族を考えることで尖鋭的に切り出すことができる。特に、人間の持つ潜在能力はほとんど同一のもので、環境あるいは本人の意識だけを理由として全てを説明できるという考えを持つ人も多い中では、より面倒な立場にあるとも言える。

犬族として生活することは無理だろうが、老人として生活してみた人は、いるらしい。

私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること

パット・ムーア / 朝日出版社


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by antonin | 2010-11-12 04:27 | Trackback | Comments(0)

月の光

アメリカのamzon.comでは既にDRMフリーMP3のダウンロード販売がおこなわれているが、日本からのアクセスでは販売が許可されないという処置がされていた。これに対してハワイで銀行カードを作って頑張ってアメリカ国内決済してダウンロードしたりという裏技などがあったようだけれども、ようやく日本のAmazon.co.jpでも同様のダウンロード販売が始まった。

Amazon:co.jp: MP3 ダウンロード - DRMフリーの音楽配信サービス 無料音楽配信も

試聴してみると圧縮音源特有のキュラキュラというひずみがひどかったのだけれど、無料の楽曲データもいくつかあったので試しにダウンロードして聞いてみた。

Amazon.co.jp: 無料ダウンロード&スペシャル・プライス: MP3ダウンロード

すると、ちゃんと256Kbpsの高品質なMP3データで問題がなかった。128Kbpsくらいのデータ量だとMP3のような初歩的な音声圧縮方式では若干のひずみが残っていて、静かな環境でまともなヘッドホンを使って再生すると例のキュラキュラ雑音に気付くのだが、256KbpsにもなるとリニアPCMとの差に気付いたという経験はない。そんなに幅広く聴いてみた経験があるわけではないけど。

iTunes Storeの開設時にも話題になったような楽曲を大量に詰め合わせた商品が売られていたので、その中から手持ちの曲とダブりの少ないドビュッシーの作品パックを購入してみた。

Amazon.co.jp: The 99 Most Essential Debussy Masterpieces (Amazon Exclusive): Various Artists: MP3ダウンロード

現在の価格は¥900だが、本家amazon.comのほうを覗いてみると$6.99となっているので、為替レートを勘案すると日本の方がアメリカに対し1.5倍程度の価格設定になっている。国内では市場も小さいことに加えて複雑な権利関係の処理をしないといけないので、国内利権と関係の無い楽曲といえどもこのくらいのコストアップはしかたがないのだろう。MP3なら、システム間という意味でも過去から将来への時間軸という意味でもポータビリティが高いので、DRMフリーと併せて購入後のリスクが軽減できていい。

ということで、ダウンロードした99曲の中から有名なベルガマスク組曲の「月の光」を再生している。「月の光」を原語のフランス語で書くと、"Clair de Lune"(クレール・ド・リューン)となるらしい。ベートーヴェンにも「月光」という有名な曲があるが、こちらもドイツ語で書くと"Mondschein"(モーントシャイン)となる。ドヴォルザークのオペラ「ルサルカ」の題名にもなっている主人公は水の妖精で、話の筋はまぁ「人魚姫」と同じなのだけれども、やはり月光の下で切ない恋心をアリアにして歌う。スメタナの「モルダウ(ヴルタヴァ)」でも同じような水の精霊が月の光の下で踊る情景が描かれた部分がある。

YouTube - Debussy : Clair de lune

YouTube - Moonlight Sonata

YouTube - Renée Fleming - Song to the Moon with Lyrics

YouTube - Michael Holmes conducts Smetana Moldau (Vltava) [Moonlight]

今でこそ人工の光源があふれていて月光のありがたみもないけれど、ロウソクかランプの明かりがせいぜいだった時代には、夜でありながら最低限の視界が確保できる月光の価値というのは今の比にはならないほどだったのだろう。日本だと、花鳥風月という具合で月そのものを愛でる傾向があるけれども、西洋だと月明かりが主題で、どちらかというと月明かりの中で繰り広げられる男女の情景の方に視線が行っているというのは、いかにもという感じがする。まぁ日本だって情をとげられなかった女の情念が満月の下で草木や獣に姿を変えたり、またその逆に悉有仏性ということで草花が女の姿になったりと、それなりの話は多く残っているのだろうけれども。

月光に当たる英語とフランス語とドイツ語は出てきたが、他の言語ではどうなるのか。さがすとこういうページが見つかった。

BABEL ~世界の言葉~ | 月光(げっこう)

ただこれ、カナ表記にしても表記順にしても、学研の「ネーミング辞典」という本からの引き写しですよね。できれば引用元を添えるくらいの配慮はあってもいいのではないかと。(追記:アイコンリンクで該当書籍へ誘導されていました。ご指摘ありがとうございます。)

ヒット商品をつくるネーミング辞典

学習研究社


折角だから本書にあるギリシャ語(希)とロシア語(露)のスペルも書いておきましょうか。

希 ランプラ・セレーネー λαμπρα σεληνη
露 ルーンヌイ・スヴィエート лунньй свет

格変化とかそのあたりは無視して単語熟語だけ切り出してあるので、あくまでご参考まで、というようなものだとは思いますが、ラテン系、ゲルマン系、スラヴ系の類似や相違がわかって、ミーハーなネーミングに使う以外でも面白い本です。13ヶ国語版というのも出ているみたい。

13か国語でわかる新・ネーミング辞典

学習研究社


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by antonin | 2010-11-10 11:33 | Trackback | Comments(2)

日記的な

そういえば、スカイツリーって言葉は、スパイク・リーとかテレンス・リーとかブルース・リーといった人名に近い響きがある。

まだ字が読めなかった頃、テレビに出てくるブルース・リーの名前は耳で聞くしかなくて、

レッド・ワン!
イエロー・ツー!
ブルー・スリー!

みたいなヒーローなんだと思っていた。その後、ブルースという名前やリーという姓があると知っときは軽い驚きだった。まぁ中国人は数が多いので、Red WangやYellow Zhuなどと名乗る人物も、探せば出てきそうな気がしなくもないけれど。

--

"Zhu"を検索していたら、Zhu Zhu Pets というオモチャがアメリカで売れているらしいというのを発見。

Welcome To Zhu Zhu Pets Hamsters!
(注意:音が出ます)

これ、浅草を散歩しているときにおもちゃ屋さんの店頭に展示してあって、コドモたちが興味を示していたな。邪魔くさそうだから買わないけど。

現在我が家で流行しているオモチャは、LaQという、ブロックというかパズルというか、そういうもの。

LaQ(ラキュー)【7つの基本パーツで世界が広がる、まったく新しい知育玩具】

いかにも日本の製品というような加工精度の高いプラスチック部品からなるオモチャで、保育園に置いてあるのをムスコ1号が気に入って遊んでいるというのをババが知って、ある日いきなりドカンとスタンダードセットを買ってきた。結構なお値段であり、記念日でもなんでもないのにいきなりこういうのを買い与えてしまうのは教育上イカガナモノカとも思うのだが、まぁありがたいといえばありがたいので、片付けをちゃんとするのを条件に遊ばせている。

数が少ないと作例どおりの物しか作れなくて面白くないのだが、数が多くなると指数関数的に造形可能な範囲が広がってくるので、結構面白いことになっている。

LaQ公式ガイドブック LaQ ABC BOOK (別冊パズラー)

世界文化社


こういうガイドブックを見ながらいろいろな物を作って遊んでいるが、それ以外にもムスコ1号は幾何学的な繰り返し模様なども結構喜んで作っているので、そういうのも見ていて面白い。ムスメもときどき遊んでいるようだ。

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ムスコ1号が拾ってきたドングリを植えておいたら、いつの間にかずいぶんと育っている。
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小さい鉢に植えたままにして、うまい具合に剪定したら盆栽になるだろうか。それとも松とかツツジのような木でないと出来ないようなものなんだろうか。

よく見たら、今年最後と思われる朝顔も咲いていた。さすがに寒いのか、妙な具合になっている。
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今年は春先に朝顔の根がコガネムシの幼虫に食われて一度全滅したので、出直して初めての花が咲いたのは8月15日にもなってからだった。相当量の種を投入したので今年は久しぶりに赤字(蒔いた種より収穫が少ない)になりそうだが、それでもそれなりの個数は確保できそうなのでホッとしている。
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by antonin | 2010-11-08 14:55 | Trackback | Comments(0)

今日のスカイツリー

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今日は秋晴れにもかかわらず、空気がかすんで見通しが悪い。
現在497mだそうです。タワーの鉄塔部分はほぼ完成したみたいで、あとは展望台とアンテナ部分のみ。でも開業予定まではあと1年以上あるので、内装や電装系がかなりの作業量になるんでしょう。
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台風が来た翌日、11月2日の様子はこんな感じ。
第二展望台というのか、そちらの部分も少し見え始めてきました。
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日没時はこんな感じに。
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by antonin | 2010-11-08 12:54 | Trackback | Comments(0)

尖閣ビデオとか

夜のうちに全部見た。ただ、どうなんでしょう、核心部分は船長の身柄拘束に至る最終段階なんだという話もあって、そこまで公開してしまうことになるのか、あるいはここまで見たんだから満足しなさいよ、となるのか。

陰謀論ファンとしては、下記のような事案を目立たなくするための煙幕という説に一票投じたいところだけれど、まぁこのくらいのニュースなら偶然で説明付くし、ちょっとインパクトが弱いか。ところで私学も無償化、というか就学支援金の支給対象になるんでしょうか。でないとバランスの悪い話になるのは確かだなぁ。

高校無償化:朝鮮学校、支援の対象に 文科相が審査基準、全10校満たす - 毎日jp(毎日新聞)

そういえば先日のクローズアップ現代はWikileaksがテーマだった。日本の国家機密が流れるような体制なのはヤバイとかそういう懸念も聞かれるけれども、米軍も含めて機密漏洩のリスクというのはどこでも高まっているらしい。

NHK クローズアップ現代 機密告発サイト・ウィキリークスの衝撃

これからは機密情報も機密度の低いものについては戦術的に公開して、木を森に隠すような方向に移行していくのかもしれない。現に、P2Pネットワーク上に機密情報が漏洩したことが判明した段階で偽装ファイルを大量放流して、機密情報を含んだ漏出ファイルの拡散を食い止めるなんていう手法が実行されているらしい。

武田圭史 » 偽装ファイルによるWinny漏洩情報の隠蔽

あとは電子透かし的に犯人特定がしやすいシステムを導入するとか。もう、担当者の自主的注意によって漏洩させないとかいう対策は今後のデータ爆発に対しては無効で、漏洩が深刻なダメージとならないような対策を複数用意するとか、そういう方向に向かっていくような気がする。

安敦誌なんかも、親バカタグあたりをキーにして近所のママネットワークに捕捉されていたりしたら嫌だなぁ。現実世界からネットへの漏洩よりも、ネットから現実世界への跳ねっ返りの方が面倒で恐いような気もする。

しかしまぁ、ネットライフとリアルライフ間の軟着陸というのも、そろそろ検討しないといけないかな、という感じはする。10年前と違ってネットなんて誰でも見ますからね、もはや。タイムリミットは、ムスコ1号がGeekになるまで、というところか。このあたり、小市民がネット上で実名をどの程度使うべきかというあたりとも合わせて、近いうちに何か書くかもしれない。
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by antonin | 2010-11-07 05:14 | Trackback | Comments(0)


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