安敦誌


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雑感

安敦誌 : M9.0

明日は我が身、というけれども、今度は我が国だった。

ニュースを見ていると、町が海に飲み込まれ、原発が爆発している。

原発の緊急処置に当たっている人が被爆したらしい。足先が外部汚染された程度なら命に別状はないらしい。まあそうだろう。でもニュースは変な表現をする。「意識ははっきりしており、自分の足で歩いている」と、なんだか平気なふうに伝えている。けれども、東海村の臨界事故で亡くなった作業員も、最初の入院の時には自分で歩いていたし、医師に「よろしくお願いします」というような挨拶をしていたらしい。

映像を探しているのだが、致死量の中性子線を浴びた作業員が、結構普通に歩いているように見えるシーンは見つからなかった。

YouTube - 【ショートクリップ】NHKスペシャル 被曝治療83日間の記録

YouTube - 東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故(原発関連)

NHK自ら公開している冒頭シーンと、何故か削除されずに残っている本編の間に、2分ほどの空白がある。確かそのあたりに、自分の足で歩いて病院に入っていく作業員の後姿が写っていた記憶がある。致死量の被爆をした人も、意外にしっかりとしているのだな、ということで印象に残ってる。

そういうシーンが消えていて、それでいてニュースはそういう表現を使う。ひとつの可能性は、マスメディアが国民のパニックを恐れて正確な報道を「自粛」しているケースで、残るケースはマスメディアが単なるバカというものになる。おそらくは前者なのだろうけれども、気分的には後者のほうを信じたい気もする。

もちろん、局所被爆が生命の危機につながらないことは理解できるけれども、かといってミリやマイクロの付かないシーベルト単位の被爆をした作業者が、足を凍傷で失う登山者のような予後にならないとも限らない。そして、もしそういう過程があるとすれば、それが数カ月単位で徐々に進行することも分かっている。

もうこういう状態に陥ってしまった以上は、過去のことを今さら叱責しても意味が無いと思う一方で、現状については、もう洗いざらい話してくれたほうがすっきりするのではないかと思う。

比喩になるけれども、かつてはガンの診断を患者にはひた隠しにするという風習があった。けれども今では、良いことも悪いことも含めて正確な情報を与えることが、多くの場合には患者を安心させることがわかり、かつての風習も崩れてきている。もう我々は爆発する原子炉棟の映像を見てしまったのだし、今さら放射能漏れの報道があっても、津波を呆然と眺めた港町の市民のように、パニックになるよりは淡々と事実を受け止める国民が大多数だろうと思う。

ただ問題は、「多くの場合には」とか「大多数だろう」という部分で、中には強烈なパニックに陥る人も出るだろう。そういう人を刺激しないために、大多数の人々の目と耳も一緒にふさぐことがどの程度妥当なのか、そういう判断になるのだろうと思う。

もはや一般経路では報道されることも少ないけれども、工場機械や高所作業による死亡事故というのは、安全第一が定着した現代日本でも、かなり日常的に発生している。そういう事故によって周辺地域に深刻な汚染を及ぼすような事例も出ている。ただ、そういうレベルの深刻さというものも、感情的な部分を後回しにして正確な知識に基づく対処をすれば、案外に回復可能でもある。

今回の事案はまだ終息していないし、影響の規模が大きい上に事態が前例のないものなので不安は大きいけれども、通常の労災事案と同じように対処できれば、決して対応不能のものではないように思える。我が家には8歳、5歳、2歳のコドモたちがいるので気を付けないといけないことも多いが、あまり深刻な心配はしていない。

我が家の排気口に付いたエアフィルタに溜まるホコリは、ディーゼル車の煤煙で真っ黒に染まっている。そういう空気の中で子供を育てるリスクは常に感じているし、オール電化住宅という、原子力発電から来る夜間電力余剰を前提においた住宅を購入した時点で、今回のようなリスクを引き受ける義務のようなものもあると感じている。我が家は金町浄水場のエリアに属しているので、今回の事故の「被害者」とも言える一方で、それ以上に、今回の事故で大きな損害を受ける福島の住民に対する「加害者」としての意識もある。

嬉しくない話ではあるけれども、正確な事実を並べてもらった上であれば、相応の責任は取ろうと思う。事実の開示と意見陳述の機会なしに、判決だけ押し付けられるのは嫌な気分がするが、気が付けばそういう事になっているのだろうな、という鈍い予感もまた、ある。

安敦誌 : 責任のありか
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by antonin | 2011-03-26 05:00 | Trackback | Comments(0)

人間とは謎である

あの明晰なアウグスティヌスさんでさえ、そういう事を言ったらしい。

人間とは、いかなる予期も裏切る。良い期待も裏切るし、悪い期待さえ裏切る。善良と思った人が、予想に反して俗悪な面を持っていたり、冷酷と見える人が、予想に反して誠実な面を持っていたりする。有能に見える人が愚かな判断をしたり、無能と思っていた人が目覚しい働きをしたりする。好意的と見えた人が敵意を潜ませていたり、険悪と見えた人が懇意を隠し持っていたりする。そういう具合に人間は、単純な予想をことごとく覆すように見えるが、ときに人間は、予想を覆すだろうという予想までも覆して、全く予想通りに振舞うことさえある。人間とは、全く謎である。

残された方法は、人間に対して何も予期しないということではなく、何かを予期しつつも、それがおそらく結果としては裏切られるだろうということを、併せて予期しておくことでしかないのではないかという気がしている。人間が結果として予期を裏切っても、あるいは予期を裏切るだろうという予期を裏切っても、一応は想定の範囲内ということになり、こちらの心理というのは幾分落ち着く。

最近、人間や社会に明るい期待を抱くようにしているが、その期待は結果として裏切られるだろうという淡い諦めも添えるようにしている。今はまだ、そうすることでゲンナリしてしまうことも多いのだけれど、いずれこれにも慣れるのではないかという気がしている。良きにつけ悪しきにつけ、人間というのはだんだんと慣れて鈍感になっていくという不思議な能力を持っている。

そういえば、大人になってから食べ物の好き嫌いというのがすっかり無くなった。かつては吐き出していたような食べ物でも、おいしくいただけるようになった。要するに味覚が鈍感になり、あるいは食道が太くなっただけなのだろうとは思うが、鋭敏さを失ったというよりは、それも成長の一種として良いのではないかと思っている。人間に対する鋭敏さが失われていくのだとしても、それも成長とみていいのだろう。学校が味覚の鈍感さと早食いを生徒に要求していたように。

--

今日の異口同音:「カラマーゾワの姉妹」(6件)

実質1ヒット。同じことを考える人はいるだろうと思ったが、表明する人は少なかった。「ネットに書き込む人のうち」という選択バイアスはあるだろうから、古い大学ノートまで検索対象とできるなら、ヒット件数はもっと増えたのだろうけれども。ちなみに、元ネタのロシア文学がどういう話なのかは、全く知らない。
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by antonin | 2011-03-07 02:18 | Trackback | Comments(5)


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