安敦誌


つまらない話など
by antonin
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
検索
最新の記事
アキレスと亀
at 2017-05-02 15:44
受想行識亦復如是
at 2017-05-02 03:26
仲介したことはあまりないが
at 2017-04-29 03:36
サンセット・セレナード
at 2017-04-12 23:17
水分子と日本人は似ている
at 2016-06-04 01:49
ほげ
at 2015-06-05 03:46
フリーランチハンター
at 2015-04-17 01:48
アメリカのプロテスタント的な部分
at 2015-04-08 02:23
卯月惚け
at 2015-04-01 02:22
光は本当に量子なのか
at 2015-03-17 23:48
記事ランキング
タグ
(295)
(146)
(122)
(95)
(76)
(65)
(59)
(54)
(45)
(40)
(40)
(39)
(32)
(31)
(28)
(27)
(25)
(24)
(22)
(15)
最新のコメント
>>通りすがり ソ..
by Appleは超絶ブラック企業 at 01:30
>デスクトップ級スマート..
by 通りすがり at 03:27
7年前に書いた駄文が、今..
by antonin at 02:20
助かりました。古典文学の..
by サボり気味の学生さん at 19:45
Appleから金でも貰っ..
by デスクトップ級スマートフォン at 22:10
以前の記事

<   2011年 06月 ( 5 )   > この月の画像一覧

真理と方便

正直なところ、福島第一原発の大惨事は、人災だなぁと思う。なぜ人災かというと、ある程度明確な危険性が事前に指摘されていたのに、管理側がそれを放置して、結果的に「それ見たことか」という結果になってしまったからだ。ただ、福島第一原発の事故が人災であるということを裏返すと、そういう人災さえ起こらなければ、原発という物自体はそれなりに安全な装置なのではないかということも思った。

福島第一原発の大事故の影に隠れているけれども、女川原発はこの「想定外」の大災害を無事に乗り越えて、それなりの被害を出しながらも安全に冷温停止している。福島での地震被害を「想定外」としてしまうのは、あまりに想定が甘いんじゃないだろうかと思うが、女川ははっきりと「想定外」と言ってしまっても許される程度の地震と津波だったのではないかと思う。ところが、女川原発は生き残り、福島第一原発は爆発した。この差の部分が、人災と言えるのではないかと思う。

私は学生時代に原発問題をいろいろ叩き込まれた経験があって、人類には処理できず保管を続けるしかない放射性廃棄物を発生する通常運転でのリスクが、原子力発電の最大の問題点であると思っていた。正常に運用しながらでも未来に危険を残すことが悪いのであり、実際に構造上の大事故は起こらないと信じていた。しかし、それも「想定が甘かった」ということを、今回の事故で思い知らされた。

嘘も方便というけれども、それは素人への方便であって、ちゃんと真実を知り抜いている玄人は、別方面で育成されていなければならないと思っている。明治の学校は天皇が神の末裔であって尊敬の対象であると教えていたが、明治の元老は当然、そんなことは方便であり、天皇もただの人間であることと、民衆の尊敬が統治のための方便であることを知っていた。それを全国民に均一の教育をしてしまったために、方便の教育で成績の良かった学生が中枢に入るあたりから、日本はおかしくなってしまった。今の民主党政権も、戦後教育の方便を信じた世代が中枢に入ってしまっておかしくなっている段階だろうと思う。

原発の安全性も同じで、原発は危ない危ないと言っていたらどこにもそれを作れなくなってしまうので、安全ですよ、安心ですよという広報活動は実際的に見れば必要になってくるだろう。ところが、実際に運用に当たるプロまでが、方便であるところの安全神話に染まってしまうようになると、現場は危険にさらされる。覚悟を決めたプロには、危険性を理解しつつそれを制御する教育が必要だったはずだけれども、そういうものが一部で機能不全に陥っていたのだろう。

福島第一原発は国内でも最初期に稼動した原子炉で、安全対策も旧式だし、しかも当初想定されていた耐用年数をはるかに超えて運用されていた。同じ福島第一原発でも、遅れて設置された5,6号炉は正常に停止しているし、女川原発や柏崎刈羽原発も震度7の激震に対してわずかなダメージで生き残っている。大事故と無事故の境界を分けた要素が、機械的システムと人的システムの双方でどのあたりにあるかということを、あまり犯人追求型にならずに、失敗学の先生にはしっかりと検証してほしい。

で、過去だけではなく未来の方も見渡すと、節電対策の議論もある。夏場の電力不足は数年前から確定事項なのだし、実際に夏場は大口需要家への電力制限なども実施していた。それに加えて原発がこういった状況になっているのに「電力不足に根拠なし」という意見があるのもどうかと思うが、そういう無茶な意見が出るのも、電力各社の情報開示が足りておらず、予期しない過負荷で電力網がどういったダメージを受けるのかという想定も十分に告知されていない、という状況が先行しているからだという気がする。

もっと長いスパンで指摘されている問題を見ると、日本には世界的にもあまり類を見ない多額の公債が降り積もっているという現実がある。これも、近い将来にデフォルトに陥るとかハイパーインフレが発生するとか警告されている一方で、これもまた世界に類を見ない多額の個人資産があるから、デフォルトもハイパーインフレも絶対に起こらないという極端な反論を招いている。

今回の事故の反省を活かすとするならば、ノストラダムスの予言のように恐怖を煽ったり、逆に完全になんの心配もないと問題を突き放すのでもなく、特定のリスクが実際に発生した場合、どういう現象が起こって、その時どういうオペレーションには意味があり、どういうオペレーションには意味が無いか、あるいは逆効果であるかといったことを真剣にシミュレーションして、そこから得られた知見に基づいて適切な訓練をしておくべきなのだろう。今回の震災では津波で多くの人命と財産が失われ、それに伴う反省点も多数見つかったが、事前の津波対策で救われた命もまた多く、スマトラ島の津波に比べれば死者数は一桁少なかった。そういう成功した部分にも学んでいいのではないかと思う。

国債の破綻、あるいはそれに伴う個人金融資産の実質価値暴落という、データから想定されうる事象について公表する度胸がないのに、それを未然に防ぐための増税だけを提示しても、納税者の反感を買うに決まっている。都合の悪い事実でも、ときには決然と公表しなければ、また似たような人災が起こるだろう。個人的には、どういう形であれ与党に復帰した与謝野さんの仕事には期待しているのだが、もうちょっと現実的な議論を聞かせて欲しいという欲もある。まあ、これは政治というより報道の責任なのかもしれないが。

従来の情報が固定化して動きにくい時代には、情報を掘り出して送り届けるジャーナリズムの側の責任が大きかったが、情報がネットを通じて流動化している現代では、雑多な情報の中から有益な情報を抽出して分析する責任というのは、どちらかというと読み手の側の責任になりつつある。役に立たない政治家を吊るし上げるのは楽しそうだけれども、それよりも公開情報を読み解けるような勉強をするのが、結局は自分を守ることにつながるのかもしれない。
[PR]
by antonin | 2011-06-12 15:06 | Trackback | Comments(5)

インプットメソッド云々

最近書いた文章を少しメンテした。「ついカッとなって」書いた文章はバグが多い。1ヶ月後の自分は他人なので、自分の文章の編集さんができる。今日になって気づいたが、's/被爆/被曝/g' が大量にヒットして参った。ひとつだけ本当に被爆について書いたものがあったので、それだけ残した。

先日、予備日を残して業務を終わらせてしまった職場で、ひとしきりタイピング速度計測大会になった。私は、日本語のローマ字入力だと、1,2タッチのミスがあるものの毎分280~300タッチ程度の速度が出るということがわかった。ローマ字のセットが日常利用しているものと同じだったので助かった面もあるが、職場の中では比較的早いほうだった。昔に比べると速度は出なくなっていると思うが、それでも若い頃にタッチタイプとチャットで鍛えた甲斐があったというものだ。仕事の場面では普通、指の動きよりも思考の速度のほうが追いつかないので、実用上はあんまり高速入力する場面というのはないのだが、まあ早いに越したことはないだろう。

アニメ名セリフタイピング

家にいる時というのは家事や育児に時間を取られて、なかなかまとまった時間が取れない。限られた時間の中でblogに妄想を書き付けるときというのは、頭にある考えが蒸発しないうちに文字にしておきたいという欲求があって、文の質を犠牲にしてでもとにかく高速で書き上げてしまうようなこともある。なので、こちらではやや高速入力が実用的になることもある。

一方、操作上の遅さがネックになっているのが携帯端末での日本語入力で、私はケータイ式テンキー入力ができないので、NEC製端末にだけ実装されているT9入力を使っている。2年だけシャープの端末(SH02A)を使ったが、あまりの入力しづらさにメールの頻度がめっきり減ってしまった。またNEC製(N03C)に戻したので、現在リハビリ中。以前使っていたN251iSの発売時期はたしか2003年とかだったので、当時は予測変換などもなく、T9もかなモードだけだったが、それでも便利だった。今度の機種はT9も漢字への直接変換や予測変換などにも対応しており、その面でも使いやすくなっている。

最近大はやりで女性に人気のiPhoneなどは、言語入力もソフトウェアだからライセンスさえ許せばT9を使うなどということもできなくはないはずだが、果たして対応しているのだろうか。Androidのほうが可能性としては高そうだが。調べてみると、名前以外は共通点のない、新しいUIの製品が出ているらしい。どちらにしてもUIは一から覚えなおしになるようだ。英語の場合、もともと文字体系が単純なのと、日本語T9に固有の機能である、頻出する母音を省略できるというメリットがないせいもあって、日本語ほどにはT9式の入力方法というのは便利なものではないらしい。

携帯電話のタッチスクリーン入力をより直感的にする「T9 Write」 :PRONWEB WATCH

Nuance T9 Trace

この文字入力の問題さえクリアできれば液晶画面を大きく取れるタッチパネル式のケータイに移行してもいいかと思うのだが、どうも不安がある。最近のガラケーはwebサイト閲覧の障害もかなり減ってきているので、ゲームで遊ぶとかそういう事を考えなければ利便的な問題は感じない。ワンセグはデータ放送でNHKニュースを受信するのにしか使わないし、オサイフなんちゃらはマクドナルドの「かざすクーポン」でしか使わないので、別に無いなら無いで何も困らないのだが、T9を失うのは困る。

N502itが流行していた頃に、NECがもっとT9を普及させておいてくれればこんな状況に置かれることもなかったかと思うと残念だが、過ぎてしまったことは仕方がない。一度楽をしてしまうと、一般的な状態に戻れなくていけない。今度の端末は防水・耐衝撃なので、T9と心中してこれが壊れるまで使っていこうかと思う。携帯端末の場合、他人のを借りて使うという機会がほとんどないので、PCのように親指シフトに慣れるとよそのQWERTYなマシンでまごつくというような互換性の問題が起こりにくいのが救いだろう。

NECが特許関係を解決した上で、T9ダイレクト風のIMEをAndroid向けに販売してくれるようになるといいのだけれど。まあ当分私には関係のない話ではあるけれども。
[PR]
by antonin | 2011-06-07 01:25 | Trackback | Comments(6)

批判の作法

そろそろ薬を飲まなくては。日に何度も文章を書くというのはある種の異常なので。

--

「代案の無い批判は良くない」という詭弁に、人は騙される。ひどいと、それを信念として自らに課してみたりする人なども現れて、なんだろうなぁと思うこともある。

良くない批判が代案を持つことはないわけだが、それは単に思慮の浅い批判だからであって、逆に代案を伴う批判が思慮深いかというと、必ずしもそうとはいえない。「AならばBである」という命題には「逆」と「裏」と「対偶」がある。「良くない批判であれば、代案がない」が真だとしよう。このとき、必然的に真となるのは対偶(BでないならばAでない)である、「代案があるならば、良い批判である」だけとなる。

残る「逆」と「裏」は、必ずしも真ではない。逆(BならばAである)というのは、「代案がないならば、良くない批判である」となり、裏(AでないならばBでない)というのは「良い批判であれば、代案がある」となる。これらは、最初の命題の真偽だけからではなんとも言えない。つまり、代案がなくとも良い批判というものがあるかもしれない。代案があるというのは、良い批判にとって十分条件ではあるが必要条件ではない。

代案を考えるためには、対象となる問題についてそれなりに考察しているだろうから、したがって批判も妥当だ、というようなことは言えるかもしれない。ところが、「良くない批判であれば、代案がない」の対偶である「代案があるならば、良い批判である」というのは、現実的に考えて筋が良くない。姑息で使いものにならない代案を添えられても、それが必ずしも良い批判であるとは限らないからだ。正確にはこうなるだろう。

「良い代案があるならば、良い批判である」
したがって、
「良くない批判であれば、良い代案がない」
となる。

同時に、
「良い代案がないならば、良い批判でない」
とは言えず、
「良い批判であるならば、良い代案がある」
とも限らない。

分かりやすくプログラムで考えてみる。プログラマーがプログラムを組む。テスターがテストを実施してプログラムのバグを発見して報告する。これはプログラムに対する良い批判である。これに対し、代案というのはパッチである。ここで「代案のない批判は良い批判ではない」とすると、「パッチを提出しない奴のバグ報告は聞くに値しない」となってしまう。実際には、良いプログラマーの資質と良いテスターの資質は別のものであり、テスターのバグ報告はそれ自身に価値があり、パッチを書くのはテスターよりプログラマ自身であるほうが望ましい場合が多い。

要するに、「代案を伴わない批判は悪い批判」というのは、批判を受け付けたくない人間の詭弁に過ぎないのだが、どうもこれは当事者意識を涵養する名言として流布しているらしく、ちょっと白ける。現代の社会制度に対する丁寧な調査と問題提起をする本が出ると、「問題はわかったが、ではどうしたらいいのかが書かれていないのでがっかりした」というような書評をよく見かける。これにしても根は同じで、有効な対策立案とは独立に、良質な問題提起はそれ自身が非常に重要なものだということを理解していない人が多い。

世間には、良質の分析と問題提起の後に、場当たり的で思慮の浅い対策案を書いてしまったがために、かえってその価値を落としてしまっているような言論も見受けられる。あるいは現状を批判していたつもりが、いつの間にか有効性の怪しい自分の代案を主張するだけの人に化けてしまうような場合もある。

相手の非をあげつらうような態度の批判は相手の反発を買うので、まぁあまり建設的な経過を取りにくいが、代案が思い浮かばないから批判は控えようというような勘違いをしている人がいるとしたら、それは間違った考え方だと気づいて欲しいと思う。

もちろん、プログラムの比喩で言ったときにバグの発見者もまたプログラマーなのであれば、パッチも添えてバグ報告したほうがカッコイイのは確かではあるが。その程度のことだろうと思う。
[PR]
by antonin | 2011-06-05 04:55 | Trackback | Comments(0)

陰謀論再び

今回の震災後のドタバタの中で、従来の政官業が緊密に連携した情報統制とは一風変わった、それでもなんとか情報を統制しようという動きが見られた。これは一般市民にとっては(災害の被害を大きく受けるというデメリットとは別に)国家の情報統制の仕組みを理解するためには良い経験になったような気がする。

現在の民主党政権は、基本的に組織された一般職員のための政権なので、政官業の各界に地盤は持つものの、各界の権力の中枢というよりも、その交渉団体によって構成された政権であり、それが権力の中枢に入ることによって、いろいろと裏返ったりねじれたりして面白いことになっている。そういう不安定な構造に加えて、リアルタイム流通するネット情報の効果もあって、国家権力の情報統制の中から、いろいろと断片的だが面白い情報も漏れ聞かれている。

そういう情報の精度を判定するだけの経験も人脈も私は持っていないので、今回の震災に関する具体的な個別情報について真偽を云々することはしない。ただ、今回の事象をよく観察することで、よく情報統制されて理解しにくかった過去の事象について、若干妥当な付き合い方というのが理解できたような気がする。


今回の震災でも関東大震災当時に負けず劣らず不正確な情報が多数流れたが、その中で市原のガス工場火災による有害物質の効果という噂について少し考えてみる。

タンクに相次ぎ延焼 千葉・製油所火災で3人重軽傷 ― スポニチ Sponichi Annex 社会

この火災は製油所での火災ではあるけれども、実際に火災を起こしたのはLPG(液化石油ガス)の貯蔵タンクであり、一般の石油火災とは少し状況が異なるものだった。LNG(液化天然ガス)では炭素比率の少ないメタンが主成分なので、酸素不足の燃焼では赤く燃えるものの、ススというのはほとんど発生しない。LNGに比べると炭素比率の多いプロパンやブタンなどを主成分とするLPGでは、極端に酸素不足の状態で燃焼すると、多少のススが出る。しかし、LPGには石油由来の硫黄分などといった炭化水素以外の不純物はほとんど含まれないので、あまり有害な成分とはならない。今回の火災で上がった黒煙というのは、おそらくそういう無害な炭素成分だったのだろう。

ところが、常温常圧で液体となるようなガソリン、軽油、灯油、重油などの石油製品や、未精製の原油に近い成分が火災で燃焼すると、もう少し厄介な事態になる。沸点の高い石油製品はLPGよりさらに炭素比率が高く、酸素不足環境下での燃焼では、ベンゼン環や多員環などといった比較的毒性の強い化合物を含むススの発生確率が高まる。

また、精製前の原油に含まれる硫黄を含む成分が燃焼すると、硫酸などの酸や、含硫黄有機化合物などが発生し、これがススに付着して生体への毒性が高まる可能性もある。現在では環境保護基準が年々厳しくなっているため、エンジン駆動用燃料としてのガソリンなどに含まれる硫黄成分は、精製段階でほとんど除去されている。しかし、日本に輸入されている中東産の原油は、ヨーロッパで使用されている北海産の原油などに比べると比較的多量の硫黄分を含んでいるらしい。

原油の種類

日本国内の製油所では、そういう硫黄分の多い原油から蒸留や化学処理によって硫黄分を除去して、燃料製品を生産している。その製油所で火災が発生すると、精製前あるいは精製過程の中間物が燃えてしまうこともあるし、ひどい場合には精製過程で取り出した硫黄化合物に燃え移ってしまう可能性もある。今回の市原製油所でのガス火災も、そうした原油の精製過程の末端にある石油ガス製品を貯蔵しているタンクで起こってしまった火災であり、火災の程度によっては上流工程の方まで延焼してしまう可能性もゼロではなかっただろう。

そういう予備知識を持った人がどこかにいて、製油所の火災では有害なススが空中に大量放出されることもあるから、直後に雨が降るようならあまり浴びないほうがいい、というようなことをネット上で述べたのかもしれない。未然の可能性に対する用心としては、この説は決して間違ってはおらず、噂の発生過程としては意図的なデマなどとは違ったものだったのだろうと予想できる。

ところが、この断片的な情報を聞いた誰かが、危険だから絶対に雨を浴びてはいけないだとか、関東上空には既に有毒物質が大量に広がっているだとか、そういう誤った理解をしてしまったのかもしれない。あるいは伝言ゲームの中で尾ひれが付いてそのようになってしまったのかもしれない。これが3月11日当時の状況だったのではないだろうか。しかしこの噂はその日のうちに、火災を起こしたコスモ石油の関係者の知るところになり、翌日には今回の火災ではそういう心配がないという発表がなされ、噂は収束した。

ただ若干気になるのは、今回の噂が否定されたことで、製油所の大規模火災で有毒物質など放出されるわけがないという、それはそれで誤った理解が広まってしまったのではないかという部分である。もちろん、製油所の火災でも、密閉された建物内などではないからそれほど深刻な濃度の毒物が発生するわけではないが、今回のガス火災に比べればいくらか毒性が強い煤煙が発生する可能性はある。そうした可能性まで「そんなことがあるわけはない、あの時のデマを忘れたのか」という風になってしまうと、いくらか面倒な感じがする。


今回の大規模な地震災害のように、極端に多数の人の注意が集まるのに対して、情報提供が相対的に不足するような事態に陥ると、どうしても仮説や推論に基づく不確実な情報が飛び交うのは仕方がない部分がある。ある程度時間が経過すれば、徐々に公式情報が流れ始め、噂のある程度は事実として肯定的に確認され、またある程度は事実誤認として否定的に確認される。ただ、すべての噂が正確な情報によって確認されるわけではなく、なんらかの困難があって事実が確認できないだとか、なんらかの不都合があって事実を公表できないだとか、そういう部分がいくらか残ってくる。

福島第一原発での炉心溶融と圧力隔壁の損傷がつい最近になってようやく発表されたが、それまでの期間は噂が噂として流れ続け、どこからも確実な情報が流れないまま放置され続けた。そして「人の噂も七十五日」のことわざがしっくり来るような期間を経て、ようやく公式発表が行われた。今までわからなかったのだ、というような言い方も可能だが、公式発表でも可能性を認めただけであり、冷却水位が炉心高さを下回って何時間経過すると炉心が溶融するというのは技術的にもすでにシミュレーション結果が知られている部分なので、要するにわかってはいたが発表できなかったという結論に落ち着くしかない。

今回は一応発表すべきは発表されたが、菅首相がいきなり現地を電撃訪問した是非とか、福島市内や郡山市内は人が住める状態なのかというような部分については、まだ不明瞭な状態のまま留まっている。その他にも細かい情報の中には事実が明確にされないままに放置されているようなものもかなり残っているだろう。そのうちの多くは本当に重要でない情報なのだろうが、重要であるが影響と責任を考えると公表できない種類のものもいくらかは含まれているだろう。

そのような、公表できない情報のいくつかは、いつまでも秘密にされたまま終わるだろうし、本当に問題のある情報については、計算された嘘で上書きされるだろう。全員が同じことを強く言い張り続ければ、聞き手は信用しないながらもそれを事実として受け入れるより他に道がなくなってしまう。


過去の事件の中で、今でもときどき御巣鷹山の事故のことを思い出すのだけれども、最初に油圧が失われたときに何が起こったのかであるとか、なぜ生存者の救出が墜落の翌朝以降になってしまったのかとか、そういう部分については苦しい説明がわずかに残っているばかりで、今でも不明なまま放置されている。そうして放置された部分は空想家によっていろいろな方向に脚色されて、今では中性子爆弾による意図的な撃墜だったとかそういう領域まで尾ひれが広がっている。

明らかに尾ひれだと分かる部分もあるし、公式発表よりも苦しい仮説も多い。まことしやかな物語も見るし、身分を明かさない証言者の話なども見る。しかし、そういう信頼度の低い情報の数々を見ると、本当にそのすべてが空想の産物なのかというと、あながちそうとも言えないのではないかという疑念が消えない。今回の震災や、北朝鮮による拉致被害者の帰還の時の情報の流れなどを見ていると、明確な悪意とはまた別の、組織を守るための全力を尽くした嘘のようなものが、やはり透けて見えてくる。

出前をなかなか持ってこない蕎麦屋に電話で文句を言うと「もう出ました」と答えるというのが古典の世界だが、その回答の信頼度はあまり高くないということもお約束になっている。それが悪意に満ちた欺瞞などではなくて、止むに止まれぬ嘘なのだということは、勤め人としてよくわかる部分がある。わかるからこそ、公式発表が完全に正確な事実表現でも、あるいは完全な作り話でもなく、その中間のどこかに位置するものなのだろうということもわかる。また同時に、荒唐無稽にも見えるうわさ話も「火のないところに煙は立たぬ」というように、見えているのは煙だけだとしても、その先の見えない部分にはやはり火があるのだろうな、という推定までは捨てなくてもいいのだろうと思う。

日本平和を救った田中角栄を称賛する-JAL123軍事破壊・軍事焼却の背景は中曽根康弘軍事指揮にあり- 横浜文化カレッジ・Yokohama CC/ウェブリブログ

JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(1) - (新) 日本の黒い霧

●情報統制の4原則というものがある(EJ第1075号): INTEC JAPAN/BLOG

大きく尾ひれの付いていると思われる俗説を挙げてみたが、結局、下のリンク先にあるような判断に落ち着くのが、そこそこ妥当なのではないかと思う。

池田昌昭『JAL123便 墜落「事故」真相解明』

「あっち向いてホイ」ではないが、相手の指と同じ方向を向いてしまう騙され方もあれば、指と反対側を向いてしまう騙され方もあるのだろうと思う。指の動きに惑わされずに正面を見て物事を捉え続けるのは、案外に難しい。噂を鵜呑みにするのはバカのやることだが、噂を完全否定して悦に入るのも、結局は同じようなものだろう。この震災に絡む騒動でも、やはり眉に唾して情報に接する必要があるのだが、なかなか難しいところではある。
[PR]
by antonin | 2011-06-05 00:34 | Trackback | Comments(0)

人工知能について

googleで検索をすると、検索結果に添えて検索に要した処理時間が表示される。これはおそらく、検索結果の表示に時間がかかったとしても、それはネットワーク遅延やブラウザのレンダリング時間のためで、googleがデータベース検索する時間はこんなに短いんですよという表明と、それから開発者の自尊心によるものなのだろうと思う。この検索時間と、検索内容の正確さというか妥当性を見て、これは実用的な連想記憶が実現した形なんじゃないかということを感じた。

連想記憶というのはスクリプト言語の連想配列に似たもので、通常の検索のように単純なキーを入力として複雑なパターンを出力するのではなくて、複雑なパターンを入力として別の複雑なパターンを出力するような情報の格納と呼び出しを実現する記憶方式ということになっている。そして、自由な文字列から複数のウェブページを呼び出すgoogleの検索は連想記憶の一種と言える。そして重要なのは、その呼び出し時間が10ミリ秒から数百ミリ秒という時間で完了しているところにある。

それに加えて、こちらはかなり明らかなことでもあるけれども、googleが検索対象として記憶しているウェブページの数というのは膨大なものになっている。結果として、膨大な記憶の中から互いに関連した情報を百ミリ秒オーダーで連想検索することが可能なデータベースが、すでにこの世界には存在しているということが言える。また、googleの検索では画像や動画なども検索可能になっている。この検索技術を少し応用して作られた日本語入力システムを私も利用させてもらっているが、従来型のIMEとは質的に異なる、非常に高い精度の変換ができるようになっている。

従来型というと、従来の未来予想図にあったような人工知能型のコンピューターは、人間の脳と同じような比較的コンパクトな装置で周囲の状況や人間の会話を理解して反応していたが、現実の人工知能というのは、googleが検索システムのために持っているような、ネットワーク上に分布したストレージやプロセッサの集合体として、すでに実現可能な規模にまで成長しているのではないかという気がした。つまり、ハードウェア的には人間の言語を理解するような人工知能を実装可能なものがすでに存在していて、足りないのはそこに載せるソフトウェアだけなのではないかという気がしている。

「宇宙創成はじめの3分間」を読んでいたら、たった1章で終わってしまったビッグバン仮説による宇宙創成期の記述に続いて、なぜその時期に物理学による宇宙論が急速に発展したのかについて、ワインバーグ氏が意見を述べている章が続いていた。初期宇宙のモデルの妥当性の一部を証明する宇宙背景輻射が観測されたのが直接の理由ではあるけれども、ビッグバン理論というのはガモフによって以前から述べられていたし、マイクロ波領域の観測技術も以前から存在していた。そしてあとから考えればビッグバンモデルの証拠になるような観測は、近赤外域の天文観測からも実は得られていたという。足りなかったのは、そういう観測実験によって大胆な理論を実証可能だということが、研究者一般に知られていなかったか、あるいは知っていても信じられていなかったからだろうという考察だった。

現在も、局所的なシステムで従来的な認知や判断の研究をする人工知能学者と、分散的なシステムで実用的な検索システムを開発するgoogleを組み合わせようという発想があまり活発であるように見えないのは、過去に何度も失敗してきた人工知能実現の試みが現存する技術で飛躍的に進歩するという可能性が、多くの研究者や技術者に信じられていないからなのではないかという気がする。

知能とは何か。定義の仕方はいろいろあるとは思うけれども、非常にざっくりとした定義をすると、自分の置かれた環境について認知し、知識ベースも利用して判断を行い、判断に基づいて行動を支持することという一連の動作を指すと言える。知能のレベルも神経系の規模に応じていろいろあるけれども人間の場合を考えると、脳幹までの原始的な部分で解決可能な反射があり、それよりもっと目的を持った動作を迅速に実現する小脳の運動回路がある。そして、大脳辺縁系の感情的な反応と、それらを統合して論理的な思考をする大脳新皮質の反応がある。この中で、特に人工知能として実現したいのは、論理的思考と、ある程度の感情的な反応だろう。反射や運動などは、ロボット制御などで別に研究されているが、ここでは考えないことにする。

感情の作用も脇へ寄せて論理的思考の仕組みだけを考えると、大脳新皮質の「形態的特徴のない」連想記憶装置としての特性が重要になっている。大脳辺縁系以下の神経組織は、部位ごとの機能や入出力器官との位置関係などによって、それぞれに特徴的な形状をしている。これに対して、大脳新皮質の、大脳の表面にシワを作って覆いかぶさっている部分というのは、場所によって機能はそれなりに分かれているけれども、見た目にはほぼ同じような組織が均一に並んでいて、その内側に向かって相互接続用の配線(軸索)が束になって走っている。

大脳辺縁系以下の神経組織が上げてきた電気信号を受けて、その電気刺激のパターンに対応した、大脳新皮質の活動パターンが生じる。そのパターンは時々刻々と変化する入力と、やはり別の刺激によって変化する周囲の大脳新皮質の活動パターンの影響を受けて、別のパターンへと移り変わる。そうした変化の中で、ある程度の時間にわたって安定的に存在するようなパターンが残る場合がある。これが、脳内に発生する概念の正体で、この概念に対応する外部の図形や信号などが記号ということになる。記号を連続に組み合わせたものの一種が言語になる。

大脳新皮質に生じた安定パターンは、別の部位に複数の安定パターンを呼び出す。こうして呼び出されたパターン同士が互いに互いを呼び出すような組み合わせになっていると、パターンは安定してより長時間存在し続けるようになる。逆に複数パターンによって安定化されないような連想パターンは、雑多な信号によって短時間のうちに消滅する。こうしていくつかのパターンが存在しているところに、外部から新しい刺激による神経信号が入力されると、入力信号と既存のパターンの両方から刺激を受けて連想されるパターンが呼び出される。

脳内ではこのようなプロセスが起こっているが、脳は現在の外部刺激による入力だけでなく、比較的最近の外部刺激による入力の影響を内部的に保持していて、その両者を組み合わせて新しいパターンを作る。その一部が運動期間とつながっていて、それが人間という知能システムの出力となる。人間には視覚や聴覚、触覚などの感覚があるが、それぞれが大脳新皮質の別々の部位に最初に到達し、次に外部入力に直結していない部分にパターンを連想することで統合を実現しており、またその部分が直近の入力の影響を保持していることで、状況のコンテキストを内部表現することができる。長期的な記憶は、あるパターンがどのパターンを呼び出すかという部分にプログラムされるので、また別の機構となる。

大脳では近傍にある複数の神経細胞が活動電位を発する(発火する)頻度のパターンで情報を表現しているが、googleのシステムのようにネットワーク上にあるサーバー群では、パケットで交換される電気信号や光信号のビットパターンとして表現される。神経細胞が生体電気信号をやり取りしている方法とクラウドシステムがビット情報をやり取りしている方法は異なるが、ネットワークの階層モデルに似た考えで言えば、物理層やデータリンク層が異なるだけで、適切な階層インターフェイスを用いれば、大脳とクラウドで互換性のある上位層を実装することは不可能ではない。

したがって、生体と電気システムはそれぞれの特性に合った下位層を利用すればよく、神経電位のレベルでシミュレートしなくとも知能のシミュレートは可能だろう。人間の脳で神経細胞が利用している電気信号の伝達速度は、軸索を使った比較的長距離の結合で毎秒数十センチだが、電気系あるいは光学系での通信速度は、秒速30万キロの光速度に近い水準になる。中継器による遅延の影響はあるが、単純に信号伝達速度だけで考えれば、電気系の知能システムは生体知能システムに比べて1億倍くらいの空間的サイズでも、時間的に同程度の遅延で結ぶことが可能ということになる。

人間の脳は立体的に折りたたまれているが、表面積を計ると2000平方センチになるという。これと等価な電気系システムの面積はおよそ2000万平方キロとなり、だいたいヨーロッパや北米の面積と同程度ということになる。大脳には下位の神経組織があるし、クラウドシステムにはサーバー1台ごとに高性能の記憶装置や演算装置があるから単純な比較はできないが、ノード間接続の遅延時間だけで言えば、人間の大脳と地球上のコンピュータネットワークというのは似たようなスケールオーダーにあると言える。googleが抱えている全情報量を考えれば、すでに人工知能を実現する物理的条件は揃っていると言える。

ではどのような上位層を載せれば良いかという話になるが、まず連想記憶の系はgoogleの検索システムのようなもので十分だろう。十分多量の情報の中から、十分短い時間で、重み付けされた複数の情報を、文字入力から連想することができている。問題は、大脳皮質で発生した活動パターンが周囲の神経組織に別の活動パターンを呼び起こすような、再帰的な連想ができるようなデータ形式に、googleの検索結果がなっていないというところにある。

通常の、文字列からウェブページを検索する部分については、呼び出したページに関連付けられている文字列への逆リンクテーブルのようなものを用意するだけで、再帰的な連想ができるようになるだろう。画像や動画でも同じように、関連付けられている文字列や、他の画像や動画の共有数などで再連想が可能かもしれないが、より知能的にするためには、画像を図形的に読み取って、人物や情景を認知するようなシステムが必要になるかもしれないし、動画であれば時系列的なシーン認識などの技術も必要なってくるだろう。この部分には古典的な認知工学の技術が使えるだろう。

このようにして、ある端末から入力される文字列や画像や動画を認識し、そしてそれを時系列的に受け入れることで、過去の入力による連想も含めた複数の情報をバックエンドに想起し、そこから連想される出力でリアルタイムに文章や映像や音声を合成すれば、かなり複雑な人工知能が実現可能になるだろう。現在のgoogleが持っているシステムを直接流用するならば、中間パターンとして文字列も使えるだろうし、あるいは直接的意味を持たないビットパターンを交換するようになるかもしれない。

おそらく個別技術としては既に出揃っていて、あとはそれらを統合する研究にどれだけの研究者が関心を向けるかというところだけが残っている段階にあるような気がしてならない。宇宙背景輻射の観測前夜と同じ状況に、今の人工知能研究は位置しているのだと、直感的に思う。

残りは偶然が支配する領域でもあるので、googleの検索システムがチューリングテストを通過するようになるまで、いったいあと何年かかるかというところはわからない。しかし、私たちは思いのほか未来的な技術を手にして遊んでいるのではないか、ということを思った。
[PR]
by antonin | 2011-06-04 17:41 | Trackback | Comments(0)


フォロー中のブログ
外部リンク
外部リンク
ライフログ
ブログパーツ
Notesを使いこなす
ブログジャンル