安敦誌


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ニュートリノその後

CERNの加速器を使って実験をしていたチームが「ニュートリノは光よりも速いかも」と言い出した問題で、「やっぱり間違いでした」という結論が出たらしい。って、かなり前の話だけど。

ニュートリノ : 安敦誌

当時、「そんなわけあるか」という世間の風潮に対して、「そんなことがあっても面白いじゃないか」というようなことを書いたわけだけれども、光ファイバの接続が甘かっただとかで、やっぱり「計器の遅延による誤差でした」という残念な結末だった。

まぁ、それ自体はよくあることなのでいいのだけれども、先回の自分が書いた文章の中で、明らかに間違いの部分を見つけてゲンナリした。カミオカンデがSN1987A由来のニュートリノを検出した話なのだけれど、実はあのとき、SN1987Aは日本から見て地球の裏側にあった。だから、宇宙空間を飛来している大部分の区間はともかく、カミオカンデに到着する直前では、それなりに密度の高い地球の中を貫通して、最後にカミオカンデの純水と相互作用している。

だから、カミオカンデが観測したSN1987A由来のニュートリノと、CERNの加速器が打ち出したニュートリノでは経路が違うのだから、単純に反例とすることはできない、というような私の意見は間違いだった。あーあ。

かつては、ここで妄想を書き散らす場合でも、簡単に確認できることはそれなりに確認して、ときどきソースにリンクを張りながらモノを書いていたのだけれど、単身化に伴う通信環境(と本棚)の貧弱化ということもあって、最近はちょっとそのあたりがサボりがちになっていた。ようやくそのあたりは改善してきたので、今後は少し調べ物をしてから文章を起こすように心掛けたい。が、なんかあんまり意欲が無くなってきていて、身体的な原因なのか、それとも他の要因があるのか、はっきりしないけれども、とにかく億劫に感じる。

という具合で最近は、抽象的で観念的で、あやふやな記憶や推測に頼った議論が多い。誤変換の見逃しも多い。なんだか困ったもんだと思う。
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by antonin | 2012-07-24 22:36 | Trackback | Comments(0)

ゴメンナサイ・プロトコル

前々回の続き。
短いのでリンクではなくて最初からはじめる。

--

日本人はちょっとしたことですぐに「ごめんなさい」という。これを英語に訳すと "I am sorry" になるとされている。けど、本当にそうなんだろうか。「ごめんなさい」を漢字で書くと「御免なさい」となって、現代風に訳すと、「お許しなさい」となる。丁寧な言い方ではあるけれども、要するに「許せ」と言っている。謝罪を飛ばして、いきなり「許せ」である。考えようによっては非常に厚かましい態度である。これは少し面白いと思った。

日本人が海外進出するとき、それが単独行で、「郷に入りては郷に従え」で異文化に溶け込む覚悟ができていればいいのだけれど、ある程度の集団で乗り込んで行き、しかも定住するつもりもないとなると、彼我の常識の差に驚いてみたりする。日本人の感覚では「ごめんなさい」と言っておけば済む程度のことでも、英語圏で "I'm sorry" と言うと、"What are you sorry for ?" みたいな話になって噛み合わない。中国圏に行って、簡単に自分の非を認めると、非を認めた以上はそれ相応の責任をとれという話になって、日本人は「謝ったのになんでそれ以上を求めるの?」と思うし、中国人は「許されると思うならなぜ弁明しないの?」と思ってしまい、これもまた噛み合わない。

そこには日本特有の紛争解決(というと大袈裟かもしれないが、日常のトラブルを大事にならないようにすること)のためのの常識的、あるいは慣例的な方法がある。これが日本以外の文化圏では別の方法が確立しているので、そこへ日本式の方法を無意識的に持ち込んでしまったために失敗しているのだろう。こういう、両者が意思疎通をしたり紛争を回避したいするために使う、決められたひとまとまりの約束事をプロトコル "protocol" と言うのだけれど、日本語圏と他の言語圏では、紛争解決のプロトコルに違いがあって、特にこの「ごめんなさい」に関しては互換性が成立しにくいのだろうと思う。

「ごめんなさい」という謝罪の言葉そのものには、各言語に似たような意味の言葉があるのだろうけれども、対人関係としてトラブルが起きそうになったときの紛争解決プロトコルにおける謝罪の役割は随分と違うのではないかと思う。日本語の場合、誰かが誰かの行為に怒ったとすると、どちらが悪いかの判断はさておき、怒られた側が、まず最初に「ごめんなさい」と言って「謝罪」するところから始まる。すると、たいていの場合はそれで相手の気が済んで、「これからは気を付けろよ」だとか「まあ、こちらも悪かった」だとか、だいたいそういうあたりで問題が終結する。

ところが日本語圏以外では、こういう展開にならないことも多い。先に書いたように、「何に対してsorryになってるの?」とか、「非を認めた以上はそれ相応の…」とか、そういう流れになっていって、(反射的に言っただけで、謝罪とまでは思っていなかったのに)とか、(この程度なら謝れば当然済まされるだろう)というようなつもりだった日本語話者は、その反応に面食らって、場合によっては怒り出す。一度謝っておいてあとから怒り出すのは、言ってみれば「逆ギレ」なのだけれど、そこにはそれなりの理由がある。プロトコル違反をしたのはそっちだろう、と、それなりの説明もつく。

日本語にはカジュアルな紛争の解決手段として、まず最初に「ごめんなさい」と切り出して、「非は認めるから許せ」という提案をする。これに対して相手側も、日常的な小さな問題の大部分には許すことで対応する。この一連のプロトコルを「ゴメンナサイ・プロトコル」と呼んでみることにする。そして、自分は悪くないので謝る気さえ起きないとか、謝られても許す気になれないとか、そういうレベルに達した問題は、更に上位レベルの紛争解決手段へ移行させることになる。偉い人を呼んできたり、仲間に相談してみたり、警察や裁判に訴えたり、そういうことになる。

昔の映画に出てくるチンピラが「ごめんで済んだら警察はいらねぇんだよ!」というような恫喝をするシーンがよくあったが、実際に日常的な問題の大部分が「ごめんなさい」で済んでしまうので警察の出番も少なかった、というのが古き良き日本文化の一面だったのだと思う。許すことで憎悪の連鎖が断たれ、許されることで罪を認めて反省することが容易になる。これが繰り返されることで、社会はいざこざの少ない、穏やかなものになる。

ただ、このプロトコルにも当然一長一短はあって、この「ゴメンナサイ・プロトコル」が普及した世界が理想の世界かというと、必ずしもそうでもなかった。失敗しても謝れば許されるだろうと思うことで危機感が欠如して、ある種「甘え」の心理が発生しやすかったり、原因の追求がおろそかになって、同じ失敗が繰り返しやすかったりする原因になりうる。

また、たいていの問題は「ごめんなさい」と言えば済むのだが、中には微妙な問題もあって、自分が悪いとは思えない場合でも、面倒な衝突を避けたい周囲の人々から「謝れば済むんだ」という圧力を与えられて、正当な弁明の機会を失うこともある。そして無理をして謝った結果、許されるとは言っても、悪いことをしたと認めたという結論だけがあとに残ってしまったりして、嫌疑をかけられた側が泣き寝入りをすることになる。

また反対に、謝って済むような問題ではないように思える場合でも、「相手も謝っているんだからそれで十分だろう」という圧力を周囲から与えられて反論の機会を失い、そして無理をして許した結果、十分な補償もされずに被害を被った側が泣き寝入りをすることになる。

アメリカ合衆国などは訴訟社会で、トラブルがあったらまず言論で勝負して、その勝負の結果をお互い受け入れよう、というようなプロトコルがある。このあたりはソフィストたちが活躍した時代のギリシア文明あたりに源流があるらしく、ヨーロッパ文化にとってはかなり根の深いプロトコルなのだろう。お互いに意見は出し尽くして、そこで出た結論はお互いに尊重して、その後は感情的な恨みは無しにしよう、という理性至上主義というような理想がある。

ところが、そういう文化圏の中にある合衆国の裁判にも司法取引という面白いものがあって、これは「少し減刑してやるから正直に言え」という提案から始まるプロトコルになっている。あくまで自分は悪くないと言って断ることもできるけれども、提案を受けて「正直に話すから減刑してくれ」という返事をすることもできる。最初の提案が裁く側から与えられるところが少し違うけれども、「減刑してくれ」から先はゴメンナサイ・プロトコルと同じ構造になる。

過ちを認めて経緯を告白するだけで罰について一定の「減免」を認めることにより、真実を引き出しつつ短期間で問題を決着する手法として、ゴメンナサイ・プロトコル的なものが有効であると、現実主義のアメリカ文化も認めているということになる。ただし、訴えられた側から自発的に「ごめんなさい、正直に話すので許してください」という提案が出るほど文化に根ざしていないので、司法の側が明示的な取引を提案することでプロトコルを開始しているのだろう。

英語圏で言えば、実はもっとゴメンナサイ・プロトコルに近いものが存在する。それは、むしろ「ごめんなさい」の直訳に近い "Excuse me" という言葉から始まる。日本語圏のゴメンナサイ・プロトコルとは背景が異なるものの、プロトコルそのものはほぼ同じものと見ていいだろう。

これまで述べてきた通り、「ごめんなさい」で切り出す場合、(おそらく許されるだろう)という推測が先立っている。日本語圏の場合、この推測というのは仏教的な不瞋恚戒を共有しているだろうという前提があるのだと思う。意識的であるか無意識的であるかは別としても、「ごめんなさい」という言葉は(仏教徒なら謝る相手を許さないなんてことはできないだろ?)という暗示的な圧迫でもある。

"Excuse me" の場合、そういう態度に出られて許さざるをえない立場の人というのは、広くキリスト教徒というよりは、「紳士」の立場なのではないかと思う。キリスト教そのものは善と悪を比較的きっちりと分ける立場で、罪が何かしらの罰で償われるか、あるいは悔い改めることで罪を浄化しない限り、たかだか人間の身分で人の罪を許すことはできないと考えているように見える。紳士という人たちはもう少し領主的な志向の人たちで、紳士の要件を備えていることで、ただの民衆とは違うということになっている。基本的に、あらゆることに対して余裕があるというのがその要件になる。

紳士とは少々のことでは怒ったり悲しんだりしてはいけなくて、現実を直視しつつも機知に富んだユーモアを交えてそのあたりを笑い飛ばすのが至高、ということになっている。そういう紳士相手でないと通用しないのが "excuse-me protocol" なのだろうと思う。(あなたを紳士と見込んで頼みがあるんだが)というような含みがあって、「私を許せ」と切り出す。となると、いくらかでも自分を紳士と自認する相手であれば、それを許さない訳にはいかない。相手を選ぶものではあるけれども、ここにもゴメンナサイ・プロトコルとの同形が見られる。

日本の武家の理想像というのはもうちょっと堅物で、痩せ我慢を美徳とする。だから、自分の過ちを認めないのを潔しとしない一方で、許しを請うたり弁明をすることすら恥とするから、「御免なさい」ではなく「申し訳ない」と言ってしまう。「言い訳もできない」というのが謝罪の言葉になる。ただし、ここまで潔く過ちを認める相手を許さないのもまた恥なので、武士の情けによってこれも許される事が多い。どうしようもない事態であるとさすがに、切腹などそれ相応の「辱めを雪ぐ」機会を与えるような形の武士の情けというのもあって、仏教的なゴメンナサイ・プロトコルとはちょっと毛色が違うのだけれども、やはり基本構造は同じだろう。

明治までの日本には、このゴメンナサイ・プロトコル、言い換えると「許す美徳」というようなものがかなり自明なものとして残っていて、昭和にもかなりその残照は濃かったのだけれども、さすがに最近は随分とそれもすり減ってきたような気がする。仏教的な理想像というのは西欧文明化によってだんだんと薄れ、それと入れ替わるように軍隊教育を通じて日本中に浸透した武家的な痩せ我慢の美徳もまた、敗戦後に急速に解体されていった。それでもまだまだ日本は世界に比べるとゴメンナサイ・プロトコルが優勢な文化なのだけれど、それが減衰していく傾向に変わりはなくて、そろそろどこかでこのプロトコルの価値を再評価する動きが必要なんじゃないかな、というようなことを思った。

早い段階でまず相手を許すと決めるには、それなりの覚悟が必要である。「覚悟」とはつまり仏教用語である。そういう心理状態をすぐに作り出すことのできるようにする日常的な訓練のことを「修行」と呼んで、これもまた仏教用語になる。日本式ゴメンナサイ・プロトコルの根底には、どうしてもそういう仏教思想が顔を出す。形式的なゴメンナサイ・プロトコルが有効なものだとして、その理念や実現方法を説明するにあたって、どれだけ仏教用語を離れた現代的な語法を定義できるかが、結構な難題なのではないかと思っていたりもする。

--

ところで、「ありがとう」の英訳は "Thank you" であるとされているが、これも直訳してみると "How rare it is" であって、ちょっと意味が違う。このあたりも面白いのでそのうち書いてみようかと思う。
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by antonin | 2012-07-24 20:40 | Trackback | Comments(0)

無題

怒涛の週末が終わり、平穏な平日へ復帰。大人だけの、当り障りのない世界へ。子供というのは基本的にまだ人間になりきらない何かなので、可愛いけれども、大人の側はそれなりに消耗する。実のところ、そういう消耗にイライラしている大人たちに対して私は消耗しているのだけれど、平日はビジネスだけやってりゃそれなりに生活が成立するので、実に楽なものである。カネのもとの平等というのか、そういう信仰の中で生きている人たちばかりなので、楽である。

子供の要求というのはもっと動物的な本質を突いていて、そういうものを交渉相手の主張に含めることを認めたがらない人にとって、子供との付き合いというのは色々とアレである。きっと、現代日本的な、抑圧されたリビドーみたいなものがあるんだろう。フロイトの属した社会なら性欲が抑圧の対象だったんだろうけれど、現代日本では怠惰が抑圧の対象で、そういうのが濃厚に蓄積して神経症的になっているんだとしたら、「のんびり欲求」というリビドーを仮定してもいいんだろう、というようなことは以前に書いた。子供を相手にした、その手のヒステリー現象をときどき目にして、消耗している。

キリストにしてもブッダにしても、その時代のその社会が生み出したリビドーのためにヒステリーを起こして、ある日遁走するあたりが後世に名を残す活動の起点になっていたりする。彼らの弟子たちが残した聖典の中にも、抑圧からの解放を認めない人たちとそれなりに摩擦を起こした記録なんかもあって、「抑圧から解放せよ」とは言っても、現実には難しい。既に成立してしまっている社会との折り合いを付けつつ、ヒステリーを起こさない程度に抑圧を解放するエレガントな手法なんてものがもしあるのなら、精神分析派の書物なんかを読んでみたい。けれども「銀の弾丸」的なものは、やっぱり存在しないのかもしれない。

--

予告編だけ書いておいた「ゴメンナサイ・プロトコル」のほうは、移動の電車内でいくらか続きを書いてみたけれども、まだまとまらなかったので、更に後日。ネタを思いついた頃はもっと面白い話だったのだけれど、記憶の減衰とともにいくらか気が抜けてきた。やはり思いつき系のネタは鮮度が命なんだと思う。
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by antonin | 2012-07-22 23:57 | Trackback | Comments(0)

ゴメンナサイ・プロトコル (Trailer)

日本人はちょっとしたことですぐに「ごめんなさい」という。これを英語に訳すと "I am sorry" になるとされている。けど、本当にそうなんだろうか。「ごめんなさい」を漢字で書くと「御免なさい」となって、現代風に訳すと、「お許しなさい」となる。丁寧な言い方ではあるけれども、要するに「許せ」と言っている。謝罪を飛ばして、いきなり「許せ」である。考えようによっては非常に厚かましい態度である。これは少し面白いと思った。

眠いので続きは後日。
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by antonin | 2012-07-19 00:42 | Trackback | Comments(0)

老害前夜

歳を取ると、色々と楽になってくる。

まず、日本のように儒教の影響が色濃く残る国には年功序列の気分が常識化していて、歳を取るというのはそれだけで地位の上昇を意味する。もちろんそういう単純な世界ではなくなりつつあるのだけれども、そうは言っても、保守的で穏健な組織というのはそこかしこに残っている。そういう場に身を寄せてみると、年齢の持つ暗黙の強制力というのかなんというのか、若造を脱するとそれだけで扱いが変わるとか、若い人が奴隷扱いされているのにそれに気付いていないとか、そういうことが多々ある。そこに物申してもいいのだけれど、緩やかに棹さして流れていると、まぁなんというか、楽なのである。

それから、生物的な限界のために、絶対的な威厳を誇った先輩たちが徐々に引退していく。職場から、であるとか、地域から、であるとか、この世から、であるとか。それはときに寂しいことではあるのだけれど、同時に、なんとも言えない重圧からの開放であることは間違いがなくて、そういうことで、楽になる。その抜けた穴を自分が埋めるのだという圧力はあるのだけれど、権力と尊厳みたいなものの追求をほとんど諦めた立場からは、そういう重圧は水中の10気圧みたいなもので、圧力の高さほどには苦しくない。

そして何より、ものを考えるのが楽になる。というのも、若い頃からそれなりに色々なことについて悩み、考え続けてきているので、多くの問題について、既に自分なりの答えを知っている。日々眼前に現れる問題は、大きく3種に分かれる。「答えのわかっている問題」「答えの分からない問題」「答える必要のない問題」である。若い頃は問題の大半が「答えの分からない問題」だったのだけれど、歳を取ると経験によってその比率が下がってくる。答えがわかっているか、答える必要がないか。このどちらかに収まる問題が増えてくるので、楽である。

そういう具合なので、歳を取るとどんどんと気分が楽になっていくのだが、楽をしすぎて考えるのを休みすぎると、いつの間にか考える力が失われていく。そして考える力を失ってしまったために、それでいて「答えのわかっている問題」を忙しく解決していく自分の姿への安心感から、自分の判断力が無力化しつつあるということに気づくことができなくなる。そういう負の連鎖が始まる。

ガロワ君とかゲーデル君とかのように、20代に閃光のような大業績を挙げる人もときどき現れるけれども、歴史上の天才たちの多くは30代から50代あたりの年代にacme(絶頂期)を迎えている。経験と論理力のバランスが一番整った年代なので、自然なことなのだろう。ただ、そういう「平凡な天才たち」にはよく見られることなのだけれども、若い頃には鋭い洞察力で世間の常識を打ち破っていたのに、その思想の後継者である若い人達の話を理解できなかったり、ある意見が「間違いだ」「くだらない」という結論を一度でも出してしまうと、その人の中では二度と意見が覆らず、しかもそういう人が過去の業績から既に業界の重鎮になっているために周囲の人々もそれに同調したりして、後の世から眺めるとちょっと残念に思うことも多い。

ケンブリッジのNさんだとか、ウィーンのMさんだとか、思想的にも業績的にも非常に優れているのに、後年に自分自身の思想の運用者としてちょっと難ありの状態に陥ってしまい、よりによって若い日の彼の思想の良き後継者たちを高みから攻撃したりなんかしていて、非常に残念に思うことが多い。

私も、結婚したり子供が生まれたり、金銭的報酬より精神的報酬を優先して仕事を変えてみたり、その過程で色々と苦しんで考え事をしてみたりして、その果てに、ようやく楽になってきたのだけれど、その安楽の先には自分の思想を正しく運用できなくなる自分の姿というものが薄く予言されていて、あぁ、まだまだ厄介があるんだなと思った。歴史上の偉人たちと違って、私はなんの業績も挙げていないので、もしかするとそういう心配はないのかもしれないけれど。
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by antonin | 2012-07-18 00:25 | Trackback | Comments(0)

遠くへ行きたい

久しぶりにネットに繋がって、いろいろやっている。CygwinとかOpenGLとかOpenCLとか、そういうのも楽しそうなんだけど、ネットに繋がるとやっぱり漠然と日替わりランチのような文章を読んで時間を潰してしまう。そんな中、こういうのを見つけた。

書評ブログ コンテスト結果発表! - Chikirinの日記

へぇ、消費者参加型マーケティングなんかやってたんだ。本を売っていたのは知っていたけど、こういうのを自分の商材でやってみるのは面白いだろうな。「カノッサの屈辱」とか「マーケティング天国」とか好きだったし。

で、「課題図書」は買っていないし読んでいないのだが、そろそろコドモを連れて海外旅行なども行ってみたい。若い頃、たしか高校生ぐらいだったと思うが、一生のうちに一度でいいから行ってみたい場所というのを3か所挙げていた。ひとつは、ボヘミア。プラハと、その周辺。カレル橋やヴィシェフラド見物も楽しそうだし、できればヴィソカーあたりでのんびり過ごしてみたいとも思った。プラハで飲むピルスナーはたまらなく美味そうだ。もうひとつは、ザンクト・ペテルブルク。というか、レニングラード。ひたすら音楽に耽溺して、ときどき美術館なんかも巡って、ピョートル大帝の開いた港湾も少し眺めたりして、それで満足できると思う。最後は、火星。オリュンポス山の麓でキャンプしたい。

だが残念なことに、半生を終えた現在、この3か所のうち、ひとつも自分の足で訪れていない。海外旅行自体は(結婚前に)何度か行ったが、ヨメ、というか彼女(当時)のご希望で大半が決まってしまったので、プラハにもペテルブルクにも火星にも、どこにも行けていない。ローマとティヴォリは楽しかったけれども。ヴィラ・アドリアーナとか。

ペテルブルクと火星はもはやどうでも良くなりつつあるが、せめてプラハだけは見てから死にたい。市街区の外れにある安宿を確保して、バスかトラムで市内に通うのがいいだろう。ああ、憧れの百塔の都よ。

なんだかウルケル飲みたくなってきた。寝よう。
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by antonin | 2012-07-11 00:45 | Trackback | Comments(0)

「ジル」という短編小説を書こうと思ったことがある

1ヶ月分の雑談を書いたが、操作の勝手を忘れてしまっていて、プレビューしたら投稿せずに消去してしまった。まあいいや。

--

こんな記事を見た。

「デブな彼女」という短編小説を書こうと思ったことがある: 極東ブログ

私もここに2回ほど物語風の文章を書いたことがあるが、小説というものにはあまり興味がなくて、自分で書いてみようと思ったことはほとんどない。けれども、一度だけ魔が差して小説っぽいものを書きたくなったことがあった。短編小説というよりはSF小説なのだけれど、長編にする気は毛頭なかったので、ネタ元に表現を合わせてみた。

「ジル」というのは人工知能に与えられた名前である。発話機能の音声が女性の声になっているので、"Jill"という女性名になっている。用途は駆逐艦のシステム管理。警戒・攻撃システムは別系統になっており、古典的システムが担当している。ジルが管轄するのは、動力系、電力系、浮力系、浸水及び火災の抑止系、空調などの乗組員居住環境系など、船体の「生命維持」に関わる部分になる。

この人工知能が研究所で誕生し、船体各部の系統制御と、複数の知覚情報の統合を船体シミュレータ環境で学習していく。また、人間との自然言語による会話も同時に学習する。人工知能のごく基本的構成はプログラムによって与えられるが、その先の高度な制御方法は論理的プログラムではなく機械学習によって「訓練」される。ここで用いられる機械学習の方式には、教師信号による学習が利用される。

教師信号の方式には大きく分けて2種類があり、ひとつは「正しい出力」がわかっていて、その出力を直接学習器に与えるもので、これは「教師」になるシステム、あるいは人間が、予め答えを知っている必要がある。もうひとつは、「正しい出力」そのものではなく、「出力が正しかったかどうか」だけを学習器に与えるもので、この場合「教師」の側が知っているのは学習器の出力が正しいか誤りかという価値判断の基準のみで、具体的にどういう出力が正しいのかということについては、学習器が試行錯誤的に編み出す必要がある。

ジルの学習に利用しているのは後者の「出力が正しかったかどうか」のタイプで、各系統の各装置への制御入力が正しかったかどうかが-1から+1までの値域を持つ連続値の教師信号としてフィードバックされる。フィードバックには2系統あり、その装置への制御信号単体の当否結果が、人間の脊髄から小脳に相当する反射応答系の教師信号として返される。これとは別に、船体を構成する各装置、各系統の教師信号を非線形の重み付けで1個の教師信号に統合したものが、人間の大脳に相当する統合認知系の教師信号として返される。これにより、個別具体的な出力の是非だけではなく、船体全体の状況に応じた具体的対応が可能になる。

開発過程ではシミュレータによって巡航状況、停泊状況、海難状況、機器故障状況、戦闘状況など、想定しうる多様な状況について訓練される。また、人間との会話では、海軍に固有の階級制度や軍規に関する判定プログラムがサブシステムとして組み込まれていて、これを元にして会話対象となる人物の階級や職能に応じて情報開示のレベルを適切化するよう訓練される。また、画像認識装置による感情パラメータも教師信号の一種となっており、発話内容の不快感を取り去るために利用されている。軍艦の制御という目的から、乗員の感情よりは船体維持を優先するために、乗員の感情フィードバックの重み付けは低く抑えられている。

ジルには感情は存在しないが、2つのフィードバック系統のうち統合教師信号は広い範囲の意思決定に影響するため、これは人間の「快」「不快」の情動に似た働きとなるように設計されている。ジルの用途としてはあくまで装置制御を目的としているため、これら「情動」の効果は低く抑えられ、困難な局面でもジルは極力「冷静」に判断を行えるように設計されているが、目的次第では合理的判断より情動ベースの判断を優先するモードを設定することも、設計上は可能になっている。

そういった設計のジルが、制式採用された新造の駆逐艦に実装され、2年の訓練航行を経て艦隊配備される。その後15年にわたって紛争への参加なども含めた実務をつつがなくこなし、膨大なデータを残してジルは「退役」する。

ジルが退役する時期には、同種の人工知能システムは軍民問わず多様な領域に進出している。この時期、システム停止からシステム復帰をおこなった際に知能システムがパニック状態に陥り制御能力を喪失するという事例が数件報告されていた。その件について調査を実施している研究員が、ジルのデータにアクセスする機会があり、ジルのシャットダウンログを詳細に検討し、知能システムの復帰障害との関連を発見する。この調査についての報告書が物語の導入となる。冒頭にはこう書かれる。

「知能システムのシャットダウンシーケンスは現在、知能システムのシャットダウンに先立ってデバイス入出力を停止するという制約しか規定されていない。これに対し、知能システムのシャットダウンプロセスでは、教師信号ユニットの停止に先立って統合認知ユニットの停止を実行すべきという制約の追加を提案する。」

冒頭に結論を書いてしまって、結論だけではなんのことだかわからないが、本文を全部読めば意味がわかり、文章の最後に同じ結論が書かれているのだが、冒頭で読んだのとは全く別の理解ができるという文章構成は、作文の定跡のひとつと言える。結論を「知ってしまったが理解できない」という状態はある種の好奇心を呼び起こし、読者に続きを読む動機を与える。いわゆる「つかみ」というやつで、起承転結の「結」の部分を「起」に組み込んでしまう構成とも言える。チャイコフスキーの弦楽セレナードのような章構造を思い出す。

ここでは、本文中で研究員がシャットダウンログにジルの「悲鳴」が残されているのを知って戦慄するあたりが山場になる。そこまでの展開でジルにある程度感情移入できるようなエピソードがあると、こういう無機質な調査場面も別の趣が加わる。もちろん、ジルは冷静さを優先して設計されたシステムであり、シャットダウンログはあくまで解析目的の詳細データなので、そこに「助けて」とかそういうダイレクトな悲鳴は残されていない。けれども、そういう詳細データを生々しく読み取る知識と感受性を持った研究員が調査したために、彼の耳にはジルの「断末魔の叫び」が聞こえる。

ジルが断末魔の苦しみを味わった原因はシャットダウンシーケンスの問題にある。統合ユニットが機能したまま、デバイス入出力、教師信号ユニットの順にシャットダウンが進行したため、最後に残された統合ユニットは正当な教師信号を失い、「何をやっても全てが否定される」という状況に陥ってしまう。この究極の自己否定の中でジルは意識を失っていったのだった。まだ音声会話ユニットが生きていた頃のジルと乗組員との心あたたまる会話のあとに、こういう戦慄の結末があったことが明らかになる。そして、冒頭の報告書提案につながる。

そういう話を考えたが、実際の小説に仕立て上げるだけの気力と技能がなかった。そんなことを今回思い出した。乗組員がいる大型の乗り物が人工知能を持つというアイデアは、ロバート・L・フォワードの小説「ロシュワールド」から引いている。私は登場人物に適当な固有名詞をでっち上げるのを苦手としていて、なぜか人工知能だけが「ジル」という名前を持っているのも、このSF小説に登場するグライダーの知能システムの名前をもらってきているからだ。

人工知能の学習に使う教師信号を、ローカルではなくグローバルに影響するものにすると、人工知能にも情動が発生するのではないかという仮説を考えていた時期があって、それがなぜかSF小説のアイデアになった。小説よりは検証プログラムを書いてみたいと今は思うけれども、どうやらそういう能力も持っていない、あるいは持っていたけれど失われているような気がして、まあつまらない小説くらいなら書けるかな、という感じはする。若い頃は小説など馬鹿にしてあまり読まなかったけれど、最近はそうでもないので、老後に時間と気力があったら、ひょっとするとプロットから小説を「実装」することがあるかもしれない。
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by antonin | 2012-07-10 08:02 | Trackback | Comments(3)


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