安敦誌


つまらない話など
by antonin
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有名税と愚痴

近所の公園でコドモ達を遊ばせた帰り道、ムスメが「緑色の小さい鳥がいる」という。見ると、梅の枝にメジロが遊んでいる。おお、でかしたムスメよ。東京にもメジロが来る季節になったか。どうりで目が痒いわけだ。で、梅の枝を見ると、それが紅梅であると知れるほどには蕾が膨らんでいるのだけれど、まだ咲いてはいない。梅の枝の奥のほうを見やると、みかんだかオレンジだか、そんなものが切って置いてある。その鳥寄せの餌につられてきたようだ。そうは言っても梅にメジロ、そろそろ春と言っていいんだろう。

ぼやぼやしているうちに、finalventさんが本を著したらしい。そちらは当面放置するとして、ちきりんの本がKindle storeにようやく上がったらしく、宣伝している。本として買う気はなかったけれども、物理サイズがないなら読んでみたくもある。ブログの再録はあまり期待できないけれども、両親への感謝というのがどんなものかは読んでみたい。

個人的に、両親には大いに感謝している。けれども、子育ての内容としては、あんまり高くは評価していない。正直失敗だったんじゃないかと思う。けれども、精一杯愛情を注いで、それで失敗したんなら、しょうがないんじゃないかとも思う。具合は悪かったが、それでも一生懸命育ててくれたことには感謝している。いざ自分が親になってみて、そしてやっぱりまともな子育てができている実感もないのだけれど、コドモには目いっぱいの愛情を感じている。大事にしている物をぶっ壊されたりして怒ったりもするけれども、まあ子供なんてそんなもんだよなぁという認識もあって、こういう不自由を背負うのも子供を持つ意味合いのうちのひとつなんじゃないかと思っている。

どちらかというと、子供を取り巻く大人連中のあれこれのほうがストレスは高いが、このあたり、お互い様でもあるのでどうしようもない。

--

さいきん、ちきりんの人が悪い。finalventさんなど、しばらく人が悪い。見ていて不愉快なこともあるけれども、小田嶋隆さんのtwitterタイムラインなどを見ていると、なるほどねぇ、などとも思う。ちきりんが日記へのはてブを表示しなくなったのだけれど、久しぶりにマニュアルではてブを検索してみたら、非表示モードになっていた。はてダを利用している本人が、そのはてダにはてブへのリンクというかツールを表示しないのは勝手だと思うけれども、shared bookmarkであるところのはてブが、そのリンク先の云々によって非表示にされてしまうというのは、はてな側の非見識のように思う。進んで見せることもないが、どうやっても見られないようにするのはまた別の水準に属する処理のように思うし、そもそもはてブの存在意義を揺るがすような措置でもある。

はてブはだいたい不躾な論が多くて、2chほどではないにしても、あまり理知的なものではない。けれどもその中に光る玉というのはあって、論じられている当の本人には不愉快だろうけれども、第三者にとってはひどく有益な情報も少なくない。嫌ならば見なければいい、だけでは済まされない暴言というのも確かにあるけれども、一律非表示というのは、なんだかひどく無粋な気がした。

で、最近になって、ちきりんが愚痴を三度にわたって述べた回があった。私の周りには愚痴をいう人がいない、という断り付きの愚痴だったのでなお可愛らしかったが、要するに、ビジネスめいた交渉をする人たちの一部のやり方が稚拙なのだという。もし本当に、ちきりんが言うように愚痴を言わずに問題解決に邁進しちゃうような人であれば、ある種の「顧客」ないしは「ビジネスパートナー」の無作法に対し、その相手はおろか公衆の面前で相手を罵倒するようにビジネスの基本スキルを説教するという辱めを与えたりはしないだろう。

こういう場合の問題解決とは、そういう具合の悪い「顧客」が、それとは気づかないような方法で正しい手順を踏むように誘導したり、あるいは丁重に(つまりは相手が不愉快を感じないで、より望ましくは喜ぶような形で)お断りするようなシステムを構築することだろう。こういう面倒を全部自分でやるのは割が合わないし、精神力が持たない。こういう場合は、秘書とか代理人とかを置いて、面倒な部分はそちらに委託した上で、めぼしい部分だけ挙げさせるような仕組みを構築するのが、本来の問題解決といえる。

無職ともいえるフリーランス状態では秘書も代理人も持てない、というのも安直で、21世紀のビジネスというのは、ITという知的労働の自動化によって従来は人を使っていた部分まで低コストかつスケーリング可能にするというのが肝になっている。しかもちきりん女史はよりによってはてなで日記を書いて有名になっているのであって、そんな恵まれた環境にいながら、そのポテンシャルをブックマークの非表示なんて言う非建設的な部分に向けているのは馬鹿らしい。

サーバーを、不躾なオファーから解放してくれる秘書や代理人のようなものにして利用したいんだけど、技術がなくてできません。なんていうニーズを、「ちきりんの日記」なんていう、その筋では知る人ぞ知るメディアで公表した日には、技術はあってもニーズをつかめずにウズウズしていた技術者が大挙して押し寄せ、無料ないしは破格のオファーをしてくるだろう。それを受けて、公開コンペなどという暴虐なイベントさえ開けてしまうというのが、「ちきりんの日記」のメディアパワーだというのに、「必須のビジネススキルとは」なんていう愚痴を垂れ流している場合ではないのですよ。お客様を批判しているようじゃ終わりだよね。

まあ所詮他人事なのでどうでもいいのだけれど、最近のfinalventさんのヤキのまわり具合から見ても、有名税というのは相当にキツいものなのだろうなと思う。つくづく有名にはなりたくないものである。
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by antonin | 2013-02-25 03:04 | Trackback | Comments(0)

安敦氏の消息

とりあえず、生きております。
「賀正」なんて書いたまま2月も中旬に入ってしまっておりますが。

--

ここにものを書かなくなった要因というのはいくつか考えられるけれど、一番大きいものは、やはり書く気が起こらなくなったというところだと思う。別にビジネスとして書いているものでもなし、書く気がなくなって書かなくなることに全く問題はないという話もある。ただ、tumblrのリブログ状況なんかを別とすると、Antonin/安敦のバイタルサインはここの書き込み状況くらいしかないので、ある程度は何か書いておく必要があるような気もする。

で、特に書くこともないので、近況を少し。あと、書く気が起こらなくなった理由とか。

1月に、インフルエンザに掛かって5日も出勤停止を食らった。発症が金曜日だったので、稼働日にすると2日で済んだのが、まだ幸いだったけれど。でも、家族の誰もインフルエンザにかからなかった。職場でも同様。どこからウィルスをもらったのか、そもそも本当にインフルエンザだったのか。一応、病院で検査薬を使った判定結果ではあるのだけれど、判定薬を見せてもらったら"ABC"のうち"C"のラインだけがくっきり出ていて、あとで聞くと、それは「判定結果が出ました」というだけのマークだという説もあって、なんかだ怪しい。数をさばくのだけが上手な医院でもあるので、なお一層怪しい。

駅に程近い家に住んでから、あまり自宅から通勤できる機会に恵まれなかった。ここに住み始めてから8年のうち、通算5年間くらいは単身赴任をしていた。累計すると、JR東日本にはかれこれ100万円くらいは私財をつぎ込んでいる。VIEWカードのポイントが馬鹿みたいに溜まって、サンクスポイントでチャージというのをしょっちゅうやっていたが、自腹でそういうことをやるのは、いくら子供の顔を見るためとは言ってもあんまり嬉しいものではない。それが、自宅から通勤できることになって、精神的にも経済的にも、かなり楽になった。まぁ、この状態もいつまで続くかわからないのだけれども。

あとはまぁ、家庭のマネジメントというか、家庭の辣腕マネージャであるところのヨメによるコドモたちへのハラスメント的な言動をどうしようとか、中間管理職の悲哀的にいろいろと難しいところもあるのだが、そのあたりはまた別テーマということで。一方職場では中間もなにも管理職ですらないので、そのあたり気楽ではある。

で、その、書く気が起こらない理由でありますが。基本的に処方を変えたのが原因だと思う。ノルアドレナリンの方は睡眠障害を抑える程度のレベルで放置気味で、セロトニン重視の用量になったので、軽躁のような状態に陥りにくくなっている。一方で精神環境がマイルドなためか、鬱傾向もない。低用量に移った直後はやや具合の悪い期間もあったが、インフルエンザのために1日飲まず食わずで眠ったあたりを境に改善した。この飲まず食わずでは体重も2kgほど落ち、その後も食欲が以前ほど無駄に出ず、体重をキープしているので、まあ悪くなかったかな、という感想も。

以前は昼夜問わず物思いが暴走して面倒な結論が出ることがあって、基本的にその結論をなんとか文字にして残しておきたいという強い欲求からものを書いていたので、そういう物思いが落ち着いていると、そもそも書くことがない。もし書こうと思えば、過去に溜め込んだネタが沢山あるので話題に困ることはないのだが、別に職業ライターではないし、数万PVを抱える人気ブロガーでもないので、そういうことをする必要もない。最近はもう、Brainfuckが可愛くて生きるのがつらいということもない。強力なインタプリタを書きたいという衝動も消えた。

それから、そもそも安敦誌の始まりというのが単身赴任中の手慰みだったということもあって、3人のコドモに囲まれて雑多な多忙の中に生活していると、一人PCに向かい、ブログ論壇を横目に妄想を募らすという環境自体がなくなり、自然とものを書く機会もなくなる。適当にゲームなんかをしていると、気が紛れる。それなりに本を読んだりもしているけれど、帰宅後に一人飯を食いながら連想の無限再帰に陥ることもない。これはまあ、脳という資源の無駄使いが減ったということで、社会生活上はむしろ健全性の向上に寄与しております、という感じになっている。

しかしまあ、処方が多少変わっただけでこれだけ精神生活が変わるということから察するに、20代後半から30代にかけての人生の中で、今より何倍もの用量、何倍もの種類の処方を、めまぐるしく変えながら与えられていたあの時期というのは、いったいどれだけ人格が影響を受けていたのだろうか、と思う。増量だけでなく減量についても厄介な成分もあって、あるいは、思考が活発になるなどと説明されたのに実際にはひどく眠くなるという薬などもあり、当時のデスクワークのつらさが全くその薬の薬効だったとわかったりして、覚せい剤などとは別の形で色々と人格を突き回されていたのだろうと、今にしてみると思える。

そのあたり、詳細を書いてもしかたがないだろうし、過去に対して云々してもしかたがないので、どうとも思わないが、そこを生き残れなかった人もあったのだろうと思うと、いろいろと罪だよなぁ、とも思う。私個人については、サポートがあった幸せに感謝するのが精一杯というところなんだろう。

--

かつては、ここから妄想が広がって面倒だが面白いことを書いたりしていたが、今はそういうこともないので、そろそろ終わりに。機会があればまた。
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by antonin | 2013-02-11 04:09 | Trackback | Comments(0)


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