安敦誌


つまらない話など
by antonin
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雑記

天気予報の件。大雨は結局降らず、代わりに大雪になった。山梨のほうでは観測史上類を見ない大雪になって、ちょっとしたdisasterになっていた。ブドウ園が壊滅して、来季はちょっと難しそうという意見もあって、心配している。

--

コンストラクタ中の例外の件。Togetterのまとめは3年以上も前のものだった。3年前ならあの状況も理解できる。

--

NTT東日本の勧誘がうるさい。新聞みたいにオマケでも付けてくれればまだいいが、余計な契約ばかり付けてきて、2年縛りも携帯業界から移入した悪質なスタイルのものが入っていて、色々と危険な感じ。しかも未だにB-フレッツみたいな国策ネットワークを使っているので、技術的にもなんとなく不安で怖い。

ニュース - NTT東日本がBフレッツを光ネクストに移行、14年度中に完了:ITpro

っていう話はあるらしいけど、これはこれで別の不安が。

--

TDDも春秋を重ねて裾野も広がり、当該分野のベストプラクティス本なんかも徐々に増えてきているので、私のような二流エンジニアにはありがたい状況。通勤電車でチビチビ読んでいて楽しい。

--

昨年末に削除した内容を再掲できるように編集しておくか。まあ、寝ることを優先しよう。
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by antonin | 2014-02-24 00:11 | Trackback | Comments(0)

RAIIとかtry-catchとか

久しぶりにウィークエンド・プログラミングなんかをしている。業務ではなかなか手を出しにくいテンプレート周りの記法を試しに利用しているが、C++03時代には細かいところで高度なバッドノウハウを要求されて挫折していたことが、C++11では概ね思ったとおりに書ける方法が用意されていたりして、なかなかいい感じになっている。そもそも今まではunique_ptrすらなかったわけで、tr1::shared_ptrだとかboost::scoped_ptrがあるよと言われても、sharingしたくなかったりboostの複雑なconfigureに悩まされたりしたくなかったりすると、結局自分でスマートポインター作りから始めるなんていう状況が多かった。

最近、まだ新しいPCの電源部がぶっ壊れ、借り物のPCにCygwin+GCCを入れたりなんかしたついでに、整数型を完全にテンプレートの向こうに追いやって素数計算なんかをするとどんな感じになるか、なんてことを試して遊んでみた。C++11の制定から2年以上経過して、GCCもだいぶ安定して「カバのダンス」もうまくなったらしいので、-std=c++11で新しい機能を少し試しながら書いてみた。今回、テンプレートの中でstd::vectorだとかstd::unique_ptrだとかを使ってみたが、autoだとかtemplate aliasなんかがとても便利で、いままではテンプレート中なのにCっぽく泥臭い記述でお茶を濁さざるを得なかった表現が、ずいぶんスッキリと書けるようになっていた。

次に、Brainfuckの実装をstrategyパターンっぽくして、命令実行エンジンの最適化レベルとか、メモリ部のモデルとかに依存しないように実装してみることにした。まずはソースファイルのオープンでしょう、ということで、設定オブジェクトがコマンドラインから拾ってきたソースファイル名でリードオープンするクラスを作っていたのだが、さて、コンストラクタでオープンさせるのか、別途メンバ関数のOpenを呼んで成功チェックするかどうか悩んでいた。古典的には、コンストラクタは本当に例外的な事象以外では成功するようにしておいて、エラーの予期される初期化にはそれ用のメソッドを呼ぶべき、という作法があった。

が、現代的なC++の思想では基本的にRAIIで、普通のブロック中だろうが別のクラスの初期化リストの中だろうがポインタを取る演算式の中だろうが、どこでも完全なオブジェクトを生成するか、あるいは例外を投げて正しく失敗しなければならない。そうすれば、別の誰かが例外をブン投げたりしてスコープを外れた場合は必ずお行儀よくデストラクトする仕組みが言語レベルで提供されている。であるからには、きっとC++11にはそういうスタイルのための基本的な道具立てはそろっているはずだと思い、イディオムを探してみた。すると、案外混乱している様子が見て取れた。

コンストラクタでの例外はあり?なし? - Togetterまとめ

河野 真治さんが意外と古風な論を展開していて驚いたが、実用的な実装を重ねてきた経験からの意見なんだろう。が、週末プログラマーとしては憚ることなく安っぽい理想論を展開していきたい。週末プログラミングは保守的な実務プログラミングでのフラストレーションを晴らす意味もあるので、あんまり現実的なのは嫌だ。しかし実際問題として、オンデマンドでオブジェクトを生成するRAIIに対して例外処理を安直に書くと、文法上の障壁があって困っていた。下のリンク先にとても上質な議論があって、その中に言いたいことがずばり書かれていた。

C#のvarとtry~catchが糞すぎる - やねうらお-俺のやねうら王がこんなに弱いわけがない。 (第2期)

using (var sr = new StreamReader(path))
{
var text = sr.ReadToEnd();
}
Console.WriteLine(text); // なんでここでtextにアクセス出来ないの?馬鹿なの?死ぬの?

そうそう。これこれ。上記のコードはC#のサンプルだが、C++11でも同様のスコープの問題がある。まずリソース確保のためにオブジェクトを確保するのだが、それをtryブロックに入れてしまうと、その後のコードから参照できず、せっかくコンストラクトが成功してもtryブロックを出るときにデストラクトされてしまう。馬鹿かと。アホかと。

結論としては、例外を投げて失敗する可能性のあるコンストラクタを呼んで、しかも失敗時にリカバリーできる失敗なのだとしたら、スタック上に実体で受けるんじゃなくてヒープへのポインタで受けて、tryブロックの外にあるスマポに入れればいいじゃない、ということになる。オブジェクト本体はコンストラクタで例外を投げるとしても、スマポを使えば、そのコンストラクタはno_throwだし、newしたポインタの登録が初期化になるわけで、スマポの使用を前提とすれば、結局は失敗の可能性の高い初期化とオブジェクトの定義を自由に分離できる。だから、ポインタの先にあるプリミティブなクラスの実装がコンストラクタで例外を投げても全く問題ないということになる。

コーノさんは基底クラスのコンストラクタが例外を投げるようだと継承しにくいという問題を挙げていたが、他の人が述べていたように、インターフェイスと実装が分離されていないクラスを継承によって再利用しようとすること自体に何らかの設計ミスがある、という考え方のほうが(現実的にはともかく理想的には)正しいのだと思う。レガシーシステムに組み込むような事態を考えないで済むなら、コンストラクタは積極的に例外を投げていいと思う。コンストラクタにno_throwが必須の汎用クラスもあれば、no_throw制約が馬鹿げているような特殊リソース管理クラスもあって然るべきだろう。まあ、そういう場合もno_throwなデフォルトコンストラクタを持っているのは有用だろうけれども。

ただ上記引用の本論はvarで型情報を受けること、C++11で言うところのautoで受けるようなところが問題の核心なので、またちょっと別の話になるのだけれど。そのあとのコメントにあったouterみたいなのはいいと思ったが、利便性のためにブロックの機能を破壊するよりも、カジュアルに関数なりクラスなりを作って、外部から見て適切な振る舞いとなるようにラッピングしていくのが正攻法なんだろう。そのために静的なドキュメントを膨大に書かされるようなことのない現代的な開発環境であれば。

感想として、なんだかC++もだんだんCommon LISPみたいになってきたな、と思う。文法上の道具は充分に用意してあるから、文句があったら自分の使いやすいC++ベースのドメイン言語を自分で構成しろと。まあマクロありのS式みたいな構文上の柔軟性はないけれども、演算子のオーバーロードから始まって、C++14/17に向けてエキスパート向けの変態ツールがますます豊富になってくるみたいだから、JSF++みたいにエキスパートチームが先にコアライブラリなりフレームワークなりを定義して、アプリケーションプログラマはそのドメイン言語の範疇でプログラミングしていくことになるんだろう。

ただ、エキスパート不在の現場だとか、エキスパートたちの意思統合が下手な現場だとか、エキスパートの思想を末端のプログラマまで浸透させるだけの言語能力に欠ける現場だとか、そういう場合にはISO標準化以前のC++に匹敵するくらいマズい状況も予想されるだけに、ちょっと恐ろしい。LLVMが組み込み用に普及するような時代になると、もうC++の出番はないんじゃないかというような気もしないでもないが、まあ将来のことはわからないので、眠れなくならない程度にC++の進歩を見守っていきたい。
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by antonin | 2014-02-22 15:48 | Trackback | Comments(0)

スノーストームとモークリー

関東地方の場合、冬の終わりのドカ雪というのはそれほど珍しい話でもない。今日の雪も、予報ではみぞれ混じりの重い雪という話だったが、案外しっかりとした雪が降っている。ただ、この後の予報がすごいことになっている。今日の昼に最低気温の1℃近辺を記録したところから、ずっとそのあたりをうろついていた気温が、日付をまたいで夜明けまでの間に10℃近く上昇し、その過程で毎時20ミリを超える豪雨になると予報している。

そして、さっきから雷が鳴り響くようになった。冬の嵐というのは、珍しいが経験はある。けれども雪で視界が悪いような天気での雷鳴は初めての経験だ。雷が鳴っているということは、湿った温暖前線が食い込んできているものの居座る寒気のほうも強くて、上昇する暖気の中で水分が凝集して落ちてきているはずなのだが、地表近くではまだ雪が降っている。ふわふわした雪が上昇気流に逆らって急速に落ちるということはあまりないので、ひょっとすると上空ではすでに雨かひょうが出来始めているのかもしれない。外はまだ雪が降っているが、歩く人たちが傘を差していない。風が強すぎるんだろう。

地球シミュレータ稼働以降の時代、かつては当てにならないものの代名詞だった天気予報も、かなりの精度で天気を言い当てるようになっている。世界初のコンピューターは、法的にはアタナソフ・ベリー・コンピューター、通称ABCというものとされているが、これはビッグブルーの誇る弁護団による寝技の勝利という面が強くて、技術史的にはやはりENIACということになる。ENIACについては語りたいことがたくさんあるがキリがないので割愛する。ここでENIACが出てきた理由はというと、ENIACの生みの親であるジョン・モークリーという人の話になる。

ENIACの生みの親として、モークリーとエッカートの二人の名前が知られている。J・プレスパー・エッカートさんは、当時のアメリカらしいシステム・エンジニアリングを骨の髄まで叩き込まれた電子工学者で、信頼性の低い当時の真空管を大量に使いながら、システムとしてそれなりに実用的な水準の信頼性を持つ巨大な計算機を一発で作り上げるという快挙を成し遂げた。

一方のモークリーさんというのは、どちらかというと工学者というより理学の人で、高速な計算機があったら是非解いてみたいテーマがあって、その目標のための第一歩として、大戦中の弾道計算機械として予算をせしめ、優秀な技術者をパートナーとしてENIACを作り出した。このモークリーさんは、ウォズニャックさんと組んでAppleを興したジョブズさんの位置付けにいくらか近い人物になっている。彼もフォン・ノイマン先生とのちょっとしたいざこざの後にUNIVACという商用計算機を作る会社を設立しているが、ジョブズさんのような華々しい成功とはならなかったようだ。

で、そのモークリーさんが弾道計算機を足掛かりとして、最終的にどんな計算を目論んでいたのかというと、それは流体力学および熱力学の方程式を数値算法で解くことによる、気象予測だった。結局この分野は、モークリーさんが夢想したほどには簡単なものではなく、非線形性によって誤差が発散しない程度にメッシュを刻むと計算量が爆発するということがわかり、モークリーさんは現在のような計算機科学による気象予測の勝利という成果を見ることなく、1980年に亡くなっている。

コンピューターによる気象予測というのは、シミュレーションによる大気変動の時間進行が、現実の大気の実時間変動より高速に実行できるということを意味していて、その実現のためにはコンピューターのハードウェア的な進化が大きく貢献している。しかし、気象予測ほど非線形性の強くない解析では、ENIACから5年ほど遅れて作成されたUNIVAC Iでも、目覚ましい成果を挙げていた。その代表的なエピソードが、1952年の大統領選挙結果を統計解析によって正しく予測した件だった。この年の大統領選に勝利したのはアイゼンハワーさんで、UNIVAC Iのエピソードを語る枕としては「大方の予想に反し、アイゼンハワーの勝利を正しく予想した」と言われることが多いけれども、実際には「どちらが勝利するか断言できる人がいない中、アイゼンハワーの大勝を事前に予測することができた」と言ったほうが正しいようだ。

なんて書いているうちに、雪があられに変わってきた。視界はますます悪くなっている。さて、寝よう。
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by antonin | 2014-02-15 01:00 | Trackback | Comments(0)

都知事選について

少し時間があるので簡単に。

今は東京都に住民票を置いているので選挙権があるのだけれど、事前には、棄権するか、「猪瀬直樹」と書いた無効票を投じるかのどちらかにしようと決めていた。つまり、有効票を投じた人に白紙委任するという態度に決めていた。都知事選の場合は当選者が1名なので、議会選挙などと違って、当落ラインすれすれのあたりで変な人が潜り込むということがない。そういう意味で今回は投票権者の総意を信頼していたので、その結果として舛添さんが当選しようと、田母神さんが当選しようと、赤坂さんが当選しようと、そこは公正な選挙の結果に従おうと決めていた。

雑に言うと、今回の知事選そのものについてはどうでもいいと思っていた。一方で、なぜ今選挙をさせられるのかという経緯については大いに考えていた。過去最多の、400万票を超える得票で、直接公選制によって選ばれた知事が、リコールなどの正当な手続きを経ることなく、公定任期のわずか4分の1ほどの期間で、マスメディアなどの圧力によって辞任させられてしまったというプロセスのほうが気になっていた。まだ調査は進んでいないけれども、猪瀬さんが辞任に追い込まれる直前に執っていた重点政策項目というのはしっかり調べていく必要があると感じた。

民主主義には2つの重要な要素があって、ひとつは議論、もう一つは多数決になる。知識人商売をしている誰かが、民主主義の根本は多数決だと言っていたが、根本は議論による相互説得のほうにあると思う。ただ、現実的にはいくら説得を続けても市民全体の満場一致というのは実現しえないので、ある時点で議論を打ち切り、決断して実行の段階に移る必要がある。そういう、議論の打ち切りプロセスが多数決であって、多数決で勝つというのはある程度、多数を得た側の説得に理があった証拠ということにもなる。そしてしばらくは議決に従って粛々と事を進め、ある程度の期間が経過したらまた議論と議決を行い、方針の継続か変更かを決める。それが民主主義というものだったと思う。

で、今回はそういう議論も深まらず、多数決もなしに、脅迫的な圧力だけで422万の民意はキャンセルされた。これが日本の民主政治の現状なのだと思う。猪瀬さんという個人を政治家として見たとき、それほど熱烈に支持するわけではないけれども、都民の立場からすると、任期早々の失脚に値するほどの失政は無かったとも思っている。政治資金のダークサイドは確かにあったわけだけれども、現状の日本の法令では、合法的にある程度まとまった資金を集める道というのは閉ざされている。何かしらのテクニカルな迂回方法を駆使しないと、それは実行できない。猪瀬さんが自分はアマチュアだったといっているのも、そのあたりの技法が弱かったという率直な反省だと思う。

本来は、自由に資金援助を受けることができて、そしてどういう政治的意志を持ったどういう団体からどの程度の資金を受けているかというのは、公開情報として晒されているべきだろう。なので資金提供を受けたことそのものがタブー視されるのは、民主主義にとっては不健全な状態だと思う。政治というのは結局のところ対立利害の調整の場なので、政治家がどういうポジションに立っているかというのを明らかにした上で、対立する立場と時には妥協し、時には突っぱねたりしながら、基本は相互説得を続けるのが自然な姿だと思う。水面下でダラダラと特定勢力につながっているというのは民主主義の本場であるアメリカでも存在するので、旗幟鮮明な政治活動というのはメディア全盛の現代では実現不能な理想なのかもしれないが、現状から見た理想は一応そういう方向にあると思う。

舛添さんには頑張ってくださいとしか言いようがないけれども、なんだかちょっと無力感に襲われる選挙だった。

東京都-H26東京都知事選挙投開票速報
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by antonin | 2014-02-11 16:11 | Trackback | Comments(0)

Traduction assistée par ordinateur

さっぱりわからないが、現代というのはなんだかんだで21世紀なので、技術を本気で使うと、それなりに何とかなる。

C'est similaire à la passion ou le prière - finalventの日記
C'est similaire à la passion ou le prière

Serait-il raisonnable si j'écrivais un journal en un langue qui n'est pas la langue maternelle? En français? Pour moi, le français est plus difficile que l'anglais. En fait, il y à seulement quatre mois quand j'ai commencé à le apprendre.

C'est quelque chose d'anormal. Je ne suis pas bon à la langue. Bien sûr, personne peut le lire précisément. En d'autres termes, c'est comme un message chiffré.

Cependant, il est une œuvre fascinante. Par les procédures de contredire, je réussi à dire quelque chose à quelqu'un.

Leonardo da Vinci écrivait le journal chiffré. N'est-ce pas parce qu'il ne voulait être lu par personne, mais il s'y attendait: Il y aurait quelqu'un pour le lire.

C'est drôle qu'il n'est pas possible de faire donner une sorte de nature. Plutôt que message chiffré, cependant, c'est que seulement la langue incomplète. Mais, d'une certaine manière, c'est similaire à la passion ou le prière que on veut partager quelque chose par cet effort futile.

なんだかさっぱりわからんわけだけれども、機械翻訳を使うと、ここまで訳してくれる。

これは情熱や祈りに似ています

私は彼らの母国語ではない言語に新聞を書いた場合、それは合理的でしょうか?フランス語?私のために、フランス人は英語よりも硬い。私が勉強し始めたとき、実際には、わずか4ヶ月があります。

これは異常なものです。私は言語が得意ではないんだ。もちろん、誰もそれを正確に読み取ることができません。言い換えれば、それは暗号化されたメッセージのようなものです。

しかし、それは魅力的な作品です。手続きと矛盾することで、私は誰かに何かを言うことができた。

レオナルド·ダ·ヴィンチが暗号化されたログを書きました。読むために誰かがあるでしょう:彼は誰もが読むことがしたかったが、彼は予想していたので、そうではありません。

それはそのような種類を提供することが可能ではないことを不思議だ。むしろ暗号化されたメッセージより、しかし、唯一の不完全な言語ということです。しかし、どういうわけか、これは我々がこの賽の河原で何かを共有したいの情熱や祈りに似ています。

あとは、"C'est ..." が「それは...である」だとか、"n'est pas" が「...ではない」だとか、その程度の基礎表現と、後置修飾が多いあたりを除けば英語とそれほど変わらないだろう語順構造を頼りに日本語らしく再構成することができる。

情念か祈りに似ている

僕が読者の母国語ではない言語で記事を書くとしたら、それは合理的だろうか。フランス語で? 僕にとって、フランス語は英語よりも難しい。実際、僕はこの言語を4か月しか勉強していない。

これは異常なことだ。僕はフランス語が得意じゃない。もちろん、誰もそれを正確に読み取ることはできない。言うなれば、それは暗号文のようなものだ。

しかし、これは魅力的な仕事でもある。逆説的な方法で、僕は伝えるべき人に伝えることができる。

レオナルド・ダ・ヴィンチは暗号文で日記を書いた。誰でも読めるようにはしたくなかったからだが、しかし彼は、何者かはそれを読めると予想していたことだろう。

不思議なことに、natureの一種を伝えることができない。暗号文などではなく、単に不完全な言語を使っているだけなのに。このようなやり方は、無駄な努力によって、しかし読者と何かを共有したいという情念や祈りに似ている。

こんなところか。通常の日本語文に合わせて一人称は「僕」にしてみた。最後の一文は難しかった。 "une sorte de nature" というのは "a sort of nature" で、直訳すると「自然の一種」なんだが、何か慣用的な意味があるのかと思って調べても、それらしいのが出てこない。ひょっとするとこのあたりが「不完全な言語」というやつなのかもしれないが。

フランス語なんかは基本的にラテン文字なので、多少見慣れない記号は多いけれども、音として推定すること自体はそう難しくない。中国語も、未成年の時代に「国語」として漢文を習ったのがいくらか役に立って、文字や熟語の意味は分からなくても、そのあたりを機械翻訳に助けてもらえば、あとの文法的な再構成はなんとか自力でできる。これがギリシア語だとか、キリル文字のロシア語になってくると、まあ読めないこともないけれど、読むというよりは「解読」に近い作業になってくる。これが、アラビア語やヒンディー語になると、音素文字自体が全く読めなくなるので、どうにもならない。

それでも、アルジャジーラのアラビア語版ページを開いて、ソチオリンピックっぽいリュージュの写真に添えられた文章なんかを機械翻訳にぶち込むと、とりあえずこの程度の情報は出てくる。

الجزيرة.نت

افتتاح ألعاب سوتشي اليوم بنكهة سياسية
تفتتح اليوم الجمعة في سوتشي بروسيا الألعاب الأولمبية الشتوية لعام 2014 بمشاركة ستة آلاف رياضي يمثلون 87 دولة، بالإضافة إلى مشاركة عدد من زعماء العالم في حفل افتتاح هذه الألعاب التي عكس مسار الأحداث قبل افتتاحها إمكانية تزاوج الرياضة والسياسة.
آخر تحديث: 13:36 ، الجمعة ، 7 فبراير 2014 دولي

ソチオリンピックの今日の開口部は、政治的な風味
スポーツと政治を交配の可能性を開く前に、イベントのコースを逆にゲームの開会式、で世界の指導者の数の参加に加えて、87カ国から6000の選手が参加して2014年にロシアのソチ冬季オリンピックで金曜日にオープンします。
最終更新日:13時36、金曜日、2月7日、2014インターナショナル

原文は右から左への文字列なのでうまく表示されるかどうかわからないが、ともかく訳文を読めばソチオリンピックの開会式で政治的な動向があったよ、とか、そういう記事なんだということがわかる。

まあ、わかるんだけれど、それなりに労力は必要になって、流すように取り込む母国語の情報とは質的に異なってくる。あとはつまり、情念や祈りのような成分が効いてくるのだというような話は理解しやすい。ただ、情念や祈りというのは、他人にとってはどうでもいいことでもある。

ハイデガーの「存在と時間」を通して読んだ人は、たいていそれを激賞するのだけれど、それは原文の素晴らしさというより、原文に対して強い情念を抱いた人が、自分の果たした激しい努力が虚しい努力ではないと思いたいという自己肯定のために、多大な努力を割いて読んだ対象もまた素晴らしいという気分になってくる、と、そういう効果もあるんじゃないか。それを通読した経験のある、とある人がそう書いていた。

ある時期、それこそ祈りのように、finalventさんがFinancial Timesの記事を復唱していた時期があって、そこに、日本語じゃ生々しすぎて書けない露骨な事実や、岡目八目で単純明快な結論もあるにはあるものの、「所詮他人事評論」なんじゃないかというようなものも多々あった。難しいものを読み取った自分の努力を認めたい気持ちが、その対象に照射しているように見えることも、ままあった。

と、まあ、腐すのはこれくらいにして、いい歳してフランス語を猛勉強して日記がフランス語になっちゃう人とか、いい歳して将棋の勉強を開始しして別ブログ立ち上げちゃうあの人とか、素直にすげーなーと感心する。個人的には、語彙を習得するのが苦手なので、文字くらいはいろいろ読めるようにしてみようか、という野望はある。キリル、ヘブライ、デーヴァナーガリー、タミル、タイ、ターナなど、完ぺきではなくても一通り音がわかる程度には覚えてみたい気がする。

ハングルは単純だったので、発音はできないし単語もわからないが、音だけは読めるようになった。スタバの看板に「スタバクスコピ」と書いてあったので、外来語なんかは音でわかる。「改札口」には「ケサルグ」とか書いてあったので、おそらく日本統治時代に導入した漢語をそのまま朝鮮読みしたものなのだろう。中国語だとさすがに語意に厳密なので、拉票処とか、そんなような言葉になっていた。

言語圏の違う文字というのは音の組み立て方が違うので、実用的に読めなくても、そういう違いを知るのは面白い。梵字の一部を覚えた時も、日本語のカナやハングルなどと、似ているけれどちょっと違う音素構成がわかって面白かった。現代のデーヴァナーガリーも、梵字から基本的なところは変わっていないらしい。

まあ、今年は新しいことに挑戦しないというのが年初の誓いだったので、文字を覚えるのは来年以降ということになるだろう。今年はまず未読を一冊でも減らすこと。
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by antonin | 2014-02-08 03:09 | Trackback | Comments(0)

カサンドラの囁き

あまり多くはないけれども、思うところはある。本を読んでみたり、webページを検索してみたりして、いくらか情報を増やしてみた。日常生活で簡単に実践できる範囲で習慣化したことで、いくらかの理解や変化があった。が、今はそれについて述べる時ではないな、とも思う。

信用というものには尺度があるが、それは0から1ではなく、-1から1の範囲の値をとる。信用度1の情報源というのは、その情報源から得られる情報の全てが真実であると信用できる。信用度0の情報源というのは、その情報源から得られるメッセージの全てが情報量0となる。情報量0のメッセージというのは、そのメッセージを得る前後で、受けた側の知識の総量が全く変化しないようなものを指す。つまり、真実と全く無相関のメッセージということになる。そして信用度-1の情報源とは、その情報源から得られるメッセージの全てが真実に反すると信用できる。つまり信用度-1の情報源とは、そこから得られるメッセージが絶対に真実ではないことが保証された情報源ということであり、それは信用度1の情報源に匹敵する情報量を提供する能力を持っている。

イリアスの物語に、カサンドラというトロイアの女が現れる。ホメロスの叙事詩には人間に混ざって偶然の悪戯を擬人化したような神が幾柱も登場するが、カサンドラはアポロンの寵愛を受けて予言の能力を授けられる。しかしその愛を受け入れなかった報いとして、予言が誰にも信じられないよう呪いを受けた。かくしてカサンドラは、信用度0の情報源となった。

神話を寓話として現実世界に引き寄せると、カサンドラのような女はその鋭い直感から、後になってみれば正しいとわかるような話をいくつか述べる一方で、慎重さの欠如によって、明らかに事実と異なる話も同じような真剣さで語っていたのだろう。大当たりも出るが外れも多いというのは、野球のバッターなら人気が出るかもしれないが、情報源としてはとても使えたものではない。そういった、人間の本質の一部を形作る悲しい特性を、古代ギリシアの詩人はカサンドラという女に託したのだろう。

そして、信用度が負の情報源というものもある。驚くような情報を聞きかじったが、情報源を辿ると、出所はあのイカレた奴だった。これでこの情報は真実ではないということがわかり、安心できた。と、まあ、そういう逆説的に信頼された情報源がある。常識人から見た陰謀論者というのは、概ね-1に近い信用度を持った情報源として解釈される。

ここ安敦誌でも陰謀論は何度も展開しているし、密教にも手を出したし、実際に狂気の入り口辺りまでは到達したこともあるので、現状では負の信用度を持った情報源と見なされていることだろう。ここでは不動の一番人気になっているアレも、単品ではそこそこ信用されているが、それを書いている人物にまで興味を示した酔狂な読者があれば、その信用度の低さにがっかりすることだろう。

そういう具合でもあるので、私自身が信用に値する人物と見なされる程度に落ち着くまでは、私が信用しているものについては、言及しないという形で敬意を表すことにしておいたほうがいいのだろうと思った。
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by antonin | 2014-02-02 23:24 | Trackback | Comments(0)


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