安敦誌


つまらない話など
by antonin
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イカレた脳のためのマクロ・メタリファクタリング

久しぶりにBrainfuckと戯れている。

Brainfuck処理系のベンチマークとして有名なmandelbrot.bには、C言語用プリプロセッサを使ったマクロ・メタプログラミングで書かれたソースコードがある。

Index of /brainfuck/utils/mandelbrot

そのソースコードを解読すると、BFのメモリモデルであるバイトデータ1個を1ビットとして扱い、それを16個組み合わせて半精度浮動小数点数を作っていた。このメタ浮動小数点数に対してBFコードでビット演算を行うことで、マンデルブロー集合の計算に必要な精度の複素数演算を実現している。なかなか面白い発想だし、複雑な演算の割に実行パフォーマンスも結構良い。

で、そのソースコードの細かいところを解読しようと思ったが、結構プリミティブな表現が直接使われていて、意味が読み取りにくかった。まあ、わかるんだよな。メタプログラミング作業の最初のほうでは、Brainfuck命令で書くよりも自然言語に近いマクロで書いたほうが読みやすいんだけど、だんだんBFに親しんでくると、今度は冗長な名前付きマクロで書くよりも、BFの簡潔な記号を組み合わせたイディオムで書いたほうが理解しやすくなってくる。ここらへんがBrainfuckの病的なところというか、人間様の適応能力の不思議というか、そういうところがある。

そうは言っても、あとからそういうコードを読むと、やはり意味が分からない。ということで、高度な集中力と勢いで書かれたmandelbrot.bのソースコードをリファクタリングし、プリプロセッサ処理のパフォーマンスよりも可読性を重視した形に書き換えてみることにした。まだ基本処理に if と while と for の区別をつけるとか、move だの copy だのを導入するとかその程度だけれども、今のところ元のBFコードと同一性を保っている。このレベルでも詳細処理がだいぶ読みやすくなった。最終的には動作レベルの同一性までの保証になり、BFコード上の同一性までは担保できなくなるだろう。ただ、最初からそこまでもっていくのは危険だ。

こういう作業は面白いんだが、寝不足で頭が痛い。面白いことをやって脳が活性化する効果が勝つか、睡眠不足でグリアが死んでいく効果が勝つか。まあ後者だという気がするが、とにかく面白い。
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by antonin | 2014-03-29 01:35 | Trackback | Comments(0)

情報洗浄

負のハロー効果というのか、やっぱり陰謀論というのは考えれば考えるほど面白いのだが、この面白さをうまく伝える方法がまだ思いつかない。

ネットに誤って流出してしまった個人情報や機密情報や醜聞について、ある程度それが広まらないようにする対抗手法というのは存在する。具体的には、タイトルだけその流出情報を連想させるようなものにしておき、内容はつまらないゴミにしたものを大量に放流する。すると関連情報は次第にゴミばかりになり、人々が興味を失うので、そのごみの中に本当の流出情報があっても、人はそれを手に入れようという気を失う。

国家機密レベルの流出情報にも似たような手法はおそらく確立されていて、そうした手法の一つは黙殺であり、また別の一つは権威による否定であるけれども、類似テーマのごみ放出というのも場面によっては有効なもののうちに入っているだろう。

疑惑の真相、というような刺激的なテーマで、イントロは核心に近いが詳細はゴミばかりの情報をまことしやかにささやく。そういうテーマに興味のある人をひとしきりひきつけたあとで、今度は素人目にも嘘くさい怪情報を小出しにしていく。いつしか疑惑の核心に迫る暴露話は影を潜め、怪しい話ばかりになっていく。こうなると、純粋な好奇心や問題意識を持っていた人は失望し、強い拒否感とともに話の場を去っていく。

残った人は、負の信用度をもった情報源となる。最初は信用できると見せて、最終的には信頼できないことが明らかだと思わせる。そうすると、最初のうちに話していた信用度の高いと思えた情報も、失望感と負のハロー効果によって、まったく信用できない話に思えてくる。これは、流出してしまった機密あるは醜聞を聞く人に「信じられないと確信させる」ための有効な方法だろう。

正のハロー効果を持った人の発言は、少々怪しい内容でも人に信用される。同様に、負のハロー効果を持った人の発言は、少々信憑性のある内容でも人に全くの嘘だと信じさせることができる。最初は信用されて耳目を集めることがミッションで、次第にそれを不信感に変えていき、最後には全くのでたらめであると信じさせるところがゴールということになる。こういうスタイルのインテリジェンスが存在するのだとすれば、ベンジャミン・フルフォードさんはなかなか良い見本なのではないかと思える。
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by antonin | 2014-03-26 23:18 | Trackback | Comments(0)

自動翻訳時代の言語生活

どうも、自然言語処理界の動きが面白い。時間もアレなのでリンクだけ羅列。

ニューラルネットの逆襲 | Preferred Research

ディープラーニングチュートリアル(もしくは研究動向報告)


これもある意味Deep Learning,Recurrent Neural Network Language Modelの話 [MLAC2013_9日目] — KiyuHub

自然言語処理の最新手法"word2vec"で艦これ加賀さんから乳を引いてみる - あんちべ!

Statistical Semantic入門 ~分布仮説からword2vecまで~

どれも、まだフィードフォワードの処理技術ばかりで、単語の意味を展開するようなものばかり。本当に自然言語を処理しようとすれば、こういうフィードフォワード型の連想処理を要素技術として、フィードバックループないしは相互連想型のネットワークを組んで、反復によって安定点を探るような技術の開発が不可欠になる。けれども、要素技術が育つのは良いことだ。基礎が固まってこそ応用が研究できる。

上記は入力も出力も自然言語というようなものばかりだけれども、OpenCVみたいに画像処理系のマシンラーニングも標準手法が育ちつつあるから、画像からメタ情報を抽出したり、あるいは言語から展開した意味ベクターから例示画像を連想し、その画像を画像処理することで意味ベクターを再連想して、そういう相互連想で安定点を探すことで正しい文脈を推論する、なんていうこともできるだろう。こういう連想ができれば、言語処理に視覚情報を文脈情報として与えることもできるようになる。

そういう具合で、言語間翻訳の精度が一気に向上する時期が、この先数年だか半世紀だか、そこは多少偶然の要素が絡むけれども、まあ確実にやってくる。そういう時代が来ると、私たちはどういう言語生活をするようになるのか。

まずは、格段に改善したとはいえ、そこは機械のやること、おのずと限度がある。けれども、その限度をわきまえると、人間を雇うより格段に手軽に翻訳が利用できるようになる。ということで、人間が機械翻訳可能な言語レベルに適応していくようになるだろう。例えて言うと、逐語訳的な英文和訳文体だとか、漢文読み下し文体だとか、ああいう機械翻訳が出してくる、意味的には正しいが、文芸的には粗悪な文体に、人間が馴染んてくるようになるだろう。それとは別に、翻訳を通じて別言語圏の人に発信したいような情報は、機械翻訳が正確に読み取ってくれるような、文芸的には粗悪だが意味的にはあいまいさの少ない文体で作文するようになる。

そういう時代がある程度続くと、自分で飛行機に乗って各国を渡り歩く経済力のある人とか、文化的に他言語を操ることを愛する人などを除くと、大多数の人は自分の母国語で生活するようになる。しかも、その母国語が文芸的センスのない、機械翻訳向けの言語に近づいてくる。他言語に翻訳不能な美しい言語表現というのは、使用の場が制限されてくる。

その過渡期には当然、英語も含めた各国語で、母国語の乱れ、単純化を嘆く人が出てくる。が、おそらく流れは止まらないだろう。そうなると、翻訳に親和した新言語を操る一般の人と、極度に文芸化した職人芸的言語を操る専門家に分化が進むだろう。そして、必要上やむなく公用語としての英語を利用せざるを得なかった人たちが、母国語に帰っていく。英語の人口シェアは漸減していくだろう。

そういう時代が、近い将来か遠い将来かは知らないが、いずれやってくる。そしてその技術的萌芽は目の前にすでに存在している。面白いものだと思う。
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by antonin | 2014-03-26 02:11 | Trackback | Comments(0)

教え育てること

子育てをしながら、自分が子供時代に見ていた子供向けの商品を思い出したりするのだけれども、そうすると、当時の商品を作っていた大人たちからのメッセージが、なんだかとても優しさに満ちていて、子供に対する単純な愛情が感じられたなぁ、なんていう、当時は気付かなかったようなことを思うことがある。けれどもまあ、今もそういう暖かな視線というのはあって、ただ大人の立場からは検知しにくいだけなのだろうな、というようには思う。

当時から、テレビ番組とタイアップした玩具商品など子供を食い物にした商売はあったけれども、少なくとも子供の教育のためという建前のようなものはどこにもあったような気がする。最近はビジネスに対する憚りみたいな感覚も減って、子供たちのメンションを奪い合うことに対して、あまりそういう言い訳じみた建前を前置きする機会は減っているという感じはする。当時を大人として生きていたわけではないので、等価な比較はできないけれど。

テレビに関しては、もう維持期から衰退期に入ったメディアなので、当時の放送作品との品質の差というのは、勃興期特有の挑戦的なスタッフが減ったことや、あとは単純に運営規模と収入の比率が悪化しただけなんだろうと思う。現在はウェブの世界が勃興期から維持期に入っていて、コドモたちが子育てをするような時代には衰退期特有の失望感に迎えられているのだろう。

--

最良の育児とは、凡庸な教育者である実の両親が子供の教育をいくらか放棄して、教育に使命を感じている人に一部を丸投げしてしまうことだ、というような意見もある。確かにそんなような気もするし、しかし一面でしかないような気もする。

近代的な学校というのは、ほぼそういう丸投げ先の組織なのだけれど、西欧文明にキャッチアップしていた明治時代ならともかく、もう大概制度劣化していると思う。けれども、ゆとり教育政策だとか、その反動としての基礎反復教育政策だとかで、均一な国民学校全体のあり方を均一に変えていくという方法そのものがとても明治政府的で、なんだか疲れる。現状の公立学校という組織は国民の6割くらいに対してはすでにベストプラクティスになっていて、ただ残りの4割を標準に抑え込もうとした、国民を生産する工場としての品質管理的手法が時代に合わなくなっているだけだと思う。「均一な教育」ということが問題なのであって、「均一」という部分に手を付けないまま、すでに多数にとってベストなものを違う何かに「カイゼン」しようとするのは、方法として間違っているように思う。

習熟度別クラス編成とか、そういう小手先の修正ではなくて、学校という枠組みは今の完成したものを残し、しかしその枠組みの外側で教育を受けることを徐々に認めていくしかこの時代に合わせる方法はないと思う。でも、学校を卒業したその日から学校に勤める教員出身の官吏にそういう発想は難しいだろう。微視的には大きく変えたいが、巨視的な構造について変えるという発想からして無いようにも見える。素人考えでは逆だろうと思うが、まあ自分の属する業界のことを考えるに、難しいだろうなとは思う。改革の内容が、自分たちの手からこぼれ落ちる部分を作るだけ、というのは受け入れ難いものがあるだろう。

保護者の自由選択という市場原理を受け入れる私的教育と、国家による標準化と経済補償という社会主義的な公的教育をどう共存させるかというのも難しい。今も私立学校は存在するけれども、その自由度というのは知れている。NHKと民放のテレビジョン放送なんかを念頭に置くと、教育の自由化後に平均的な子供たちが公教育に残り、私教育が多様性を司るというよりは、マスがベネッセ的な民間サービスに流れ、公教育のほうが「パブリックスクール」のような形へと変質していくのかもしれない。そういう未来像もどうなんだろうなぁ。

--

古い偉人伝などを読むと、親は平凡な職を継がせたかったのに、教師や親戚が子供の才能を見抜き、親を説得して親元から引き離し、資金を援助しつつ育て上げた、なんていう話が目立つ。一定水準を超えた才能は、運はあるにしてもそうやって見出されるものなのかもしれない。ただ、そういう「引き抜き」が人身売買にならない程度にシステム化すると、恐ろしく強い国になるだろう。学費の安い国立大学なんていうのはかつてそういうシステムだったのだけれど、今は私学とさほど費用の差がないらしい。

うちのコドモたちをどう育てるか、というのとは別の水準で、そういうようなことも少し考えてしまう。
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by antonin | 2014-03-24 01:54 | Trackback | Comments(0)

国家による復讐

韓国が日本に、とかではなくて、日本国政府が日本国民に復讐を試みる事例が見られて、嫌な感じがする。昔からこういうのはあったのかもしれないけれど。時事ネタでもないし、気力もないのでつぶやき程度に。

警視庁および警察庁。

2ちゃんねる発の逮捕(書類送検)者まとめ

かつては民事不介入ということで犯罪の未然予防にはあまり積極的ではなかった警察組織も、大阪教育大学附属池田小学校の事件などがあって、公的施設に対する犯罪予告に対する事前警戒に頻繁に駆り出されるようになっていく。そもそも人員的に余裕のある組織ではなく、通信、交通の発達に伴って犯罪捜査も高度化していく中で、予防的な事前警戒の人的コストが組織に重くのしかかっていく。

そしていつしか、「威力業務妨害」という罪名が犯罪予告に適用されることが増えていくのだけれど、その背景に犯罪予告そのものが「警察組織に対する威力業務妨害」と化している実態がある。もちろん法的には警察に対する威力業務妨害の適用はないので、第三者に対する威力業務妨害あるいは脅迫の罪状による逮捕状発行の閾値が下げられ、それによる書類送検とマスメディアへのリークを使った社会的攻撃という形での警察組織の自己防衛が始まる。

こういう流れがあって、犯罪予告遠隔操作事件では露骨な冤罪事件を生み出してしまったのだけれど、その首謀者という「疑い」だけで容疑者を1年以上拘留するという、旧自由主義圏の先進国としてはおよそ信じがたい人権侵害事案があった。これも警察組織に恥をかかせた犯人への報復意識が引き起こしてしまった事件だろう。最終的に不起訴になるとしても、メディア露出によって見せしめ効果があれば一定の防衛効果がある。

こうした、新規立法ではなく既存法規の「弾力的運用」による、組織防衛のための国民個人への報復行動は他の省庁にも見られる。

農水省。

競馬の必勝ソフトを馬券のネット販売と組み合わせ、1億円を超える収入を得た人がいる。この人に、負けた馬券の購入費用を経費として認めないという解釈で、勝ち分の数倍の追徴課税が宣告された。

競馬で1.4億円稼いだ男性に6.9億円の追徴課税 競馬ファン「いや、そのりくつはおかしい」 – ガジェット通信

馬券のネット販売や馬券の当選倍率設定そのものに問題があり、適切に解析すると定常的な利益を上げることができたというだけのことで、本来であれば当選倍率やネット販売の総量規制などで対処すべきところを、税法の弾力運用という方法で政府から個人への報復が行われる。最終的には取り下げられる場合があっても、その時点ではニュースで大々的に報道され、類似の行動が不利益をもたらすということを広報する。

私は堀江貴文さんという人物はどうも好かないが、放送局を買収しようとして間接的な罪状で投獄された事情というのは、やはり総務省(旧郵政省)という政府組織から民間人個人への「法の弾力運用による報復」に見える。類似の現象は、探せば他にももっとあるだろう。

本来、立憲主義や人権主義とは、こういう国家権力による国民個人への攻撃を避けるためにあった。けれども改憲すらできずに長い年月を過ごすうちに、日本国は憲法の文面よりその解釈が優位になるのが当たり前の社会になった。法は乱立し、その文面よりも解釈と運用が優位になった。その結果が、徐々に国民に突き刺さりつつある。今はまだ「弱いところ」から刺され始めている段階だけれども、いずれは多くの人が笑っている場合ではなくなるだろう。労働諸法の問題を見ると、もう誰も笑っていないような気もするけれど。

法治原則を軽んじるというのは本当に怖い。
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by antonin | 2014-03-21 00:21 | Trackback | Comments(0)


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