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安敦誌


つまらない話など
by antonin
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菜の花

今でも時おり生きるのがめんどくさくなったりはするが、気分というやつがすっかりケミカルな現象だということを実感した今となっては、ああ、今は物質のバランスが悪いだけなんだな、と思えるようになり、比較的簡単に落ち着くようになった。他人にバレないようにこっそりマントラなんかは唱えていて、それなりに効き目があるけれども、それほど万能のものでもなく、今の修行の程度ではケミストリーの寄与には勝てない。ケミカルなバランスを崩しすぎると、結局はそうした客観性も冷静さもなくなるので、早めのフィードバックを掛けないといけない。

通勤時間が長いのだが、階段を上ったり、開けた田舎道を歩いたり、それなりに運動の機会があるのは恵まれていると思う。自家用車で通勤せざるを得なかった頃は、もっと行き場のない感じだった。雪の夜に、誰もいないいろは坂を、ノーマルタイヤをツルツル言わせながら登ったりとか、そんなのは面白かったけど。下りは無灯火とか。本当に暗いんだよな、あのあたり。スタークルーズ。

人生で一番幸せだった瞬間を覚えているが、あ、今この瞬間って、人生の中できっとベストスリーに入るくらい幸せなんだろう、なんてことを考えていた。で、その後もいろいろ幸せなことはあったが、まだあの瞬間を抜く場面には遭遇していない。銀座のレストランだったから、曲がりなりにも90年代景気だったんだろう。震災前の神戸とか、ミレニアム前のローマとか、いろいろあったけれども、銀座の安いイタリアンレストランがまだ一番幸せだったと思う。指輪と万年筆の交換とかだったと思う。


眠い。
良いことだ。
寝よう。
おんさらば たたぎゃた はなまんなのう きゃろみ


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by antonin | 2014-04-25 02:47 | Trackback | Comments(0)

惰性速記

曲がりなりにも頭脳労働者なんで、眠るのも仕事のうちなんだけど、薬を飲み忘れた。いかんなぁ。

recurrent neural network は、IIRフィルタみたいに連続入力にz変換掛けて時間領域から周波数領域に写像する機能を持ったパーセプトロンなんだっていうのがわかったし、前に小説を書こうと思ったってネタの時に書いた、「成功」と「失敗」しか教師入力のない学習には、成功したか失敗したかの事後情報と一緒に記憶をトレースして正なり負なりの学習をする必要があって、ああ、人間が眠っている間に夢を見るってのは、たぶんこれをやってるんだな、なんて推量ができたりして、最近面白かった。

が、いかんせん歳を取りすぎている感じがして、なんだかもったいない感じがする。まあ、年齢の問題じゃなくて、それこそ単なる睡眠不足のせいなんだろうっていう認識はあるけど。そもそも「家住期」ってのがこんなもんなのかも知らんけど。林住期になると、いくらか生活スタイルは変わるんだろう。早すぎて腐った共産主義が死んで、資本主義をグローバルにやり直すことになったから、自分が生きているうちは林住期的なものは無理かな。そもそも日本の気候でインドみたいな林住期やると死んじゃうしな。

タイ文字を覚えるか、万葉集から江戸まで続いた本来の仮名文字を覚えるか、少し迷う。新しいことに手を付けない誓いからすると仮名文字か。明治維新を過ぎてから学校教育に追い出された、いわゆる「変体かな」が、漢字の草書体として見ると単に万葉仮名のサブセットだったりして、江戸期の学者が研究するまではまともに万葉仮名か読めなくなっていたって言っても、彼らの時代にはまだ上代から文化的に陸続きだったんだなと思った。つい100年ちょっと前の話で、そこから随分と日本語って変わってしまったなと。

民族が、言語というか、同じ言語で読めて共有できる物語の場面を語彙として会話できるというあたりで決まってくるのだとすると、江戸時代と平成時代では、同じ日本人と呼んでしまっていいんだろうか、という気もする。今昔物語とガンダムじゃぁ、そりゃ文化が別だよなぁ、と。まあ、白波五人男と特撮戦隊ものの5人組が、どっちも決めのポーズをとるのは同じ文化だというし、ギャグマンガの最後でいたずら坊主が「わーごめんなさーい」って追いかけられて終わるのも狂言の定型だっていうし、まあどっかでつながってはいるんだろうけど。

ギリシア語と日本語の海洋言語っぽいところが似ているとか、クレタ人がゼウスの墓を建てた話とか、いろいろ面白いんだけど、あんまり手を広げすぎないようにしよう。

なんとかなるかなぁ。

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by antonin | 2014-04-18 05:11 | Trackback | Comments(0)

神は死んだ

クレタ人のパラドクスというやつがあって、それは論理学の階級を論じたり、排中律みたいな公理が異なる論理系を論じたりするネタとしてもとてもとても面白いのだけれど、今はちょっと酔っぱらっているのでその方面はまた別の話ということで。

パラドクスに出てくるクレタ人とはエピメニデスという敬虔な男で、彼はゼウスの墓を建ててからかったクレタ人たちに、大変腹を立ていていた。そしてこう語ったと伝えられる。「クレタ人は皆うそつきだ。ゼウスは死んでなどいない」と。しかし当のエピメニデス本人がクレタ人であったため、ほんならお前も嘘つきになってまうやないか、というツッコミが後の時代の読者から入ったという。しかしまあ、いやいやさすがにクレタ人、ローマ文明に先立つこと数世紀、もう神は死んでいたのであります。

でもまあ、神ってのは結構死にやすい奴だと思う。不死のように見えて、案外コロッと死ぬ。しかし、何度でも蘇る。

子供のころ、世界は不思議でいっぱいで、大人たちは色々なことを教えてくれる。そして、なぜなぜを繰り返すと、最後はなぜかいつも神様に行きついてしまう。すげーな神様、ということで子供は神を尊敬する。大好きな本やおもちゃを与えてくれることもあるらしい。おお、神よ、私はどこまでもあなたについていきましょう。

が、子は育ち、神では説明できないことを多々目にするようになる。神を信じる者が全くの馬鹿を見ている様子なども目に入るようになる。見渡せば、良識的な人は誰も本気で神を信じているようには見えない。誰もそれを敬い称えてはいるものの、好意や切実さは感じられない。

人間によって語られず、敬われない神はどうなるか。すなわち、死ぬ。墓を建てられればまだ良いほうで、割られたり焼き払われたり、あるいは単に見返られることなく土に埋もれていく。

人も所詮動物なので、個体発生は系統発生を緩やかになぞる。神も理解できない赤子が、神を知り、神を切望するようになり、神を敬愛するようになる。そしてあるとき、知恵の果実を食い、分別がついて神がフィクションであったことに落胆する。そして、自分が幼かった頃の神の隆盛と、今現在の信仰を失った神の弱さを引き比べてしまい、「神は死んだ」といって墓を建ててしまう。

けれども、幸せに暮らした品のいいおばあちゃんは素朴に直截に神様を信じていて、孫の手を引いて、神様について切々と語る。そして孫はまた神様を敬愛し畏れ敬うようになる。そして、かなりの確率で、その子の成長に従って、その子の神も死ぬだろう。けれども、ふとした拍子に神は蘇る。人間には死が避けられないからだ。「精神」というくらいで、ある程度人間の精神には神を信じるような機構が織り込まれているのだろう。特に、困った時に。神は死ぬが、蘇る。なんだかんだで神は不滅だ。

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by antonin | 2014-04-16 00:53 | Trackback | Comments(0)

典拠

文明とは何か、ということをしばらく考えている。

って、まあ、考えちゃいるんですが、んなのどうでもいいじゃん、という感じはある。

「反りが合う」ってのは、木工の板の乾燥に伴う反りだなんてことを書いたことがあったが、調べると剣と鞘の反りのことらしく、なるほど、ということに。板の経年による反りを職人が見分けるという話は確かにどこかで聞いたのだが、それは「反りが合う」という慣用表現の語源説とは別の話だった。「元の鞘に収まる」なんていう慣用句もあって、剣と鞘というのはその、プラグにmaleとfemaleがあるのと同じあたりを指している。そういうのも含めて、「反りが合う」の語源もやはり男女の仲を表すアナロジーとして自然な剣と鞘がいいのだろう。

「メルクマール」の例のアレも、書いて数日後に実は間違いがたくさん発見されたのだけれど、まあ場末のブログだしいいじゃねぇかと思って放置していた。しかし、5年も経って未だに辞書的に検索の定番になっているあたりを見ると、誰かちゃんと辞書的に正しいことを書いてくれよ、と思う。ネットのいい加減さのようなものを奇しくも体感してしまって面白くもあるんだけれども、無料情報ネットワークを構成するボランティア的市民の一員として若干の後ろめたさもある。Wktionaryあたりに自分でちゃんと書き直せばいいじゃん、というのはあるんだけど。

Wikiと言えば、シャノンの定理かなんかでここへ飛んでくる人がいた時代があって、それはさすがにかわいそうだと思い、Wikipediaに加筆し、調べたい人はそちらへ飛んでくれるように仕向けたことがあった。そして、その目的は果たされたのだけれども、先日ふと思い立ってそのページを見てみると、その時に書いた文章がほとんど手つかずのままに残っていた。そんなもんなのね。ネットの情報はやっぱり信用ならねぇ。まあ、編集の手が入った紙の書籍だって実はどっこいどっこいの部分はあるんだろうけれども。自分も嘘を書いたつもりはないし、一応大学で使った教科書なんかは軽く参照した覚えがあるけれども、どちらにせよ素人仕事だ。

あと、Wikipediaというと、ある花の種の写真が知っているものと違ったので、他言語版で多用されている、よく見慣れたものに差し替えた。そういうチマチマした編集などもやってみたが、ああいう公開データベースにコミットする作業はやはりドキドキする。メンテナがいるわけでもないからプルリクエストとか成立しないしなぁ。

まだ若い研究者の会見がテレビで一般中継されたりしたらしくわけわからんことになっているが、公開というのは恐ろしいものだよなぁ。前にも書いたが、平凡な人間にとっては目立たないということも幸せの要件になる。その点、駅風呂は生ぬるくて居心地がいい。出世というのは組織で管理的役職に上り詰めることを指すのではなくて、文字通り世に出ること、世に名が知れることなんだと気付いたのは結構最近の話だった。憧れなくはないが、物は良し悪しだよなぁ。

以前に商売の話で、商売の客は狐みたいなもんだと書いたことがあった。あの意味というのは、B2Bでお互い生活かかっているような場合は別として、消費者相手の商売なら、客というのは生活を賭けて買い物なんかしない。日常生活の一部として、半ば無意識的に店と商品を選んでいる。そういう、全身全霊を傾けているわけではない、パーシャルな注意の仕方をしているとき、どんなに賢い人だって狐並みの知能で判断をしている。商売人は生活かかって商売をしているが、客は別にそうじゃない。このギャップが狐狩りの風景になる。

著述も似たようなもので、本気のプロモードで考察している分野もあれば、力を抜いて流すように書く分野もある。ちょっと専門を外れれば、どんなに賢い人でも畜生になれる。そしてそれが人間の自然な姿である以上、多くを書く人の文章というものとの付き合い方も見えてくる。ある人の中の「賢人」が書いている部分なのか、「狐」が書いている部分なのか、パッと見は分からない。自分の中の「賢人」を引っ張り出して来ればそのあたりを判別することはできるが、私の中の賢人は老人らしく疲れやすい。気が付くとすぐ狐にすり替わっている。百匹の狐を一気に野に放つ能力があるような人もいて、それはそれで才能だなと思うけれど。

煮詰められたクルアーンでも妙法蓮華経でも、部分を拡大すればきっとアホな部分はあるだろう。教科書だってなんだって。そういう部分をサラリと流せるとなかなかいいものだろうけれども。
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by antonin | 2014-04-11 02:47 | Trackback | Comments(0)


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