安敦誌


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学問の奨め

最近脳がやられているし、記憶があいまいになって繰り言が増えている。実は2009年前後に自分は死んでいて、今こうして意味の分からないことを書いているのは、まだ死んだことに気付かず成仏できずに家族の周りをうろついている亡霊なんじゃないかと思うこともある。まあ、亡霊にしては生臭いので、そういうことはないと分かるけれども。で、今日も繰り言を。ネットのどこかのウロ(洞)には書いた記憶があるようなことなど。

--

「教育」という言葉は、「教える」と「育てる」という言葉の合成でできている。どちらも主体は指導する側になっている。教育問題というのがあって、より良い教育、みたいな話になるんだけど、それはどうなんだろう、というようなことを思うことが最近増えた。昔はこういうのを「学問」と呼んだ。この言葉は「学ぶ」と「問う」という言葉の合成でできてる。どちらも主体は教わる側になっている。学問に答えるところが学問所と呼ばれ、教育施設とは呼ばれなかった。案外に、こういう何気ない用語に違いに、私たち現代の日本人は縛られているんじゃないかと思う。

憲法には「教育の義務」というのがあって、これは当然大人に課された義務ということになっている。子供は教育を受ける権利を持っているのであって、義務はない。それはまあいい。けれども、社会が求める国民像というのがあって、そういう国民に仕立て上げる義務みたいなものが「教育」には求められていて、そしてそれがうまくいかないと、「より良い教育」というのが求められるようになる。

自分自身、とても良い教育を受けて育ってきた。それはそれで知識を得られて良かったのだが、結果として、卒業によって良い教育を失うと、自分で学び、自分で問う力が失われているのに気付き、ひどい不便を味わうことになった。良い教育は受けたが、ついに学問をする機会はなかったのだということに気付いて、二十歳近くになってから、そのあたりを取り返すのに随分と苦労をした。

大学の「教育」というのは、戦後ずいぶん改善されたのだとは思うが、まあひどいものである。でも、それでいいのだろうと思う。大学というのは学問をするところであって、教育をするところではないのだ。このあたりが勘違いされて、昨今色々と不幸だと思う。この、学問所である大学に入るに当たっては、ある程度基礎的な学問を積んでいる必要がある。大学に入って困らないように、この基礎的学問の水準を問うのが本来の入学試験の役割なのだけれども、明治以降の日本では、西欧文明を招き入れるのと同時に、日本固有の文化に憧れ追い求める復古主義の嵐も同時に吹き荒れたので、奈良時代の政治を現代に呼び戻すような運動もあった。

奈良時代の大和朝廷というのは、当時最先端の中華文明を招き入れたものの未消化だった行政機構であり、その細部というのは後漢から唐あたりまでの大陸朝廷の行政機構のデッドコピーになっている。それを色々なトラブルを乗り越えて自己流に練り上げたのが鎌倉以降の日本の行政機構なので、本来日本固有の文化というのは幕府が立つようになってからの文化のほうだった。けれども幕末当時の国学では古典の再発見によるルネサンスの驚きのほうがまだ目立っていて、古い時代の制度のほうが固有文化に見えていたのだろう。

カレッジだのユニバーシティーだのというのを「大学」と翻訳したのも、「大学寮」という奈良平安当時の役人養成機関に倣ったものだし、そのあたりで使われていた律令を復元する過程で、中華文明の科挙の制度も緩く復元されていく。江戸幕府の役人というのは、関東武士が好んだ禅宗の哲学が基底にあって、身分が貴いということはつまり欲を捨てるということと同義みたいなところがあった。しかし、ある程度社会制度として定着して以降の科挙というものには、カトリックの神学と似たようなところがあって、天子や神に関する学問を修めた者は、その才によって世俗的な財を持つことも自然に認められるというような考え方があった。

そういう、現代的な経済学が好んで言うところの「インセンティブ」が発生して以降の大学入試というのは、学問に必要な基礎の確証というよりは、より豊かな生活を獲得するための天国の門というような扱いを受けるようになってくる。そうなると、大人は若者を使ってこの門の鍵を手に入れようと、「教育」の力を使うようになる。すると教育は商売になるから、ともかくも若者に試験の解答力という鍵を持たせようとする。結果、学問などどうでもよくなってくる。

才能のある人が公正な試験によって国家の要職に採用されるという思想はいいのだけれども、教育の力によって入試の突破力だけを身に着けた人が勝つような時代になると、当初の思想の半分は吹っ飛んでしまっている。本来、人間が備えていた学問の力というものは、教育によってその力が発揮される機会を奪われてしまう。学ぼうと思う前に知識は教えられてしまい、自然な問いが発せられる前に、与えられた知識の習熟を問われる。空腹になる前にエサを与えられたガチョウのようなもので、フォアグラのように知識を吸収した脳を持った若者が、より有利に大学入試を突破していく。

肝臓がフォアグラになったガチョウが、飢餓に耐える生命力ある成鳥となって強く生きていけるのかというと、もちろんそんなことはなくて、自らエサを取る能力を失った弱い生き物になっている。脳がフォアグラになった大学生というのも似たようなところがあって、そういうかわいそうな人たちを生み出さないためには、「より良い教育」を研究するのは、むしろ逆効果ではないかと思える。教育なんてしないほうがいい。ただ、若者の学問に誠実に応えればいい。教育が必要だとすれば、読み書きそろばん程度まででいいように思う。環境として、学問の呼び水となる資料にアクセスできるようにすれば十分だろう。

現代日本にある、豊かな生活への鍵として大学入試をとらえる文化の源流のひとつに「学問のすゝめ」という書籍があって、私はあれが好きではない。もちろん、あの本の隅々まで読めば本当にいいことが書いてあるのだけれども、「私はなぜ君たちに学問を奨めるのか」という冒頭文がいくらか即物的で戴けない。もちろん、明治初期に読めば妥当な内容ではあったのだけれども、自称「先進国」の国民が読むには、いくらか刺激的すぎる。栄養不足の時代に書かれた「よく飯を食いたまえ」という奨めを、肥満が問題になる時代にそのまま読むのは危険だ。

まあ、あの本も、奨めているのは教育ではなくて学問なので、そういう気持ちで読めば感想も変わってくるのかもしれない。面倒だが再読してみるか。

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by antonin | 2014-07-27 01:45 | Trackback | Comments(0)

林を眺めつ家に住まう

たまたま安敦誌へ漂着した人への便宜のために「記事ランキング」などというものを晒しているが、「メルクマールって何だ」という雑な記事が不動の一位を占めているほかは、時事の流れに沿ってランキングが浮動している。これは、1位だけが統計的に有意な閲覧数に達していて、他はノイズレベルであることを暗に示している。ただまあ、あんまりがっちり固定したリストになるよりは、変化があったほうがブログの持ち主としてはいくらか楽しい。

最近だと、個人情報流出だの国家による監視だののあれこれを伝えるニュースのためか、「本当は怖い占いサイト」というのが上昇トレンドに乗っている。で、読んでみると、いかにも古臭いことが書いてある。日付を見ると2008年の6月とある。もう6年も前の記事だ。それでもブログは日付を調べることができるのでまだいい。で、懐かしくなって前後の記事なども読むと、なかなか面白い。自分で書いた文章の最良の読者は未来の自分だ、なんて話を読んだことがあるが、最近確かにそう思う。誰か他者に向けて書けばそれなりにPVが稼げて世に出たのかもしれないが、ひたすら自分のために書き綴った結果として、今の自分にとって結構面白い読み物となっている。

こういうのを昔は「日記」と呼んで、それを書き付けたノートは物理的に鍵を掛けたりなんかして大事に仕舞ったものだが、現代人は多く開けっぴろげに書く。昔の勤め先の偉い人と飯を食った時、君はブログを書くのかと聞かれて、書きますと答えた。で、面白そうだから読ませてくれないかと聞かれて、嫌ですと断った。じゃあなぜインターネットに公開するのかと聞かれて、知らない人には読まれたいけれど、知っている人には読まれたくないんですと答えた。本心だったけれども、自分でも言葉にして表したのはその時が初めてだったので、やり取りが記憶に残っている。その偉い人も、人がなぜ匿名で日記を書くのか理解できたような気がすると言ってくれた覚えがある。

そして時は流れ、ここは別に有名ブログにはなりはしなかったけれども、インターネットだの検索だのが普及して、一部の知り合いにはこのブログが認知されるようになった。それでも面と向かって「アントンさん、ブログ読みましたよ、大変なことをお考えなんですね」なんて不躾に言ってくる人はいないけれども、まあ、外向きのツラをして歩いていても一部の人には寝言まで聞かれているという状況があって、なんだか窮屈な感じはある。

さて、この2008年だの2007年だのという時期に書いた文章を読むと、なかなか面白い。生活が安定していたのだろう。最近は老化もあるし、焼酎好きの友人も増えたし、無線デバイスが追っかけてきてくだらねぇ情報をのべつ幕無し囁くようになったし、あとコドモも増えたし成長したし、こちらの脳の余力はだいぶ衰えている。入院でもして、瞑想でもするようになったらまた次のピークが来る可能性はないとも言えないが、あの35歳くらいが文章を書く上で自分の頂点だったんだろうなという感じはする。

大学生だった頃、クリスマスにデートをしていて銀座で飯を食っている最中に、なんというか「あ、今って、人生でベスト3に入るくらいに幸せな瞬間なんだろうな」というようなことを考えていた。それから倍近く生きたが、そしてその間に生まれてきたコドモたちには申し訳ないが、あの頃の幸せを超える幸せな瞬間というものにはまだ巡り会っていない。まあ、今後もないだろう。

少し言い訳をさせてもらうと、子供好きの人間にとって、子供が生まれた瞬間というのは喜びよりも責任を感じる不安な瞬間であって、喜びというのはあとからじわじわとやってくる。男親にとっての子供を持つ喜びというのは、あの紫色でしわくちゃで不安を感じさせる生物がいくらか大きくなってから、泣いているのを抱いてゆすってやれば腕の中で眠るようになって、ようやく感じるようなものだから、あんまり瞬間的なものではない。

なんの話だ。そうだ、昔の文章だ。「美とか価値とかそこらへん」とか、このあたりの話が面白いと思ったが、こういうのは検索の上位には上がらない。まあ、それでいいような気はする。現代のインターネットにアクセスする人はそういうのを望んでいる。自分だって読む側に回れば同じだ。

昔の、深夜のナチュラルハイを利用して書いたものを覚めた今になって編集かけるのも面白いかもな、というようなことを考えなくもないけれども、あんまり触らないままにしたほうが面白いのかもしれない。今さらウェブで世界に発信という時代でもなし、むしろ木を隠すには森、というつもりで丁度いいんだろう。メルクマールのアレはさすがに少し手を入れたが、基本的な勘違いはそのままにしてある。読解力のある人が読めば、正しいところは伝わるだろう。というか、本当に誰か辞書的な解説を書けよ。って前も書いたな。自分でやらなきゃ。Wiktionaryひどい。

メルクマール - ウィクショナリー日本語版

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by antonin | 2014-07-22 23:46 | Trackback | Comments(0)

雑念メモ

たぶんまた薬の具合だと思うが、書きたいことがいろいろと溜まってきた。それぞれ全部吐き出してしまうとそれなりの分量になるが、時間がないので簡単にまとめておく。気が向いたらフルサイズの文章になることもあるかもしれないが、断片でも書き出してしまうと満足してしまうことのほうが多い。ヌーヴォーじゃないボジョレ・ヴィラージュを飲みながらなので、内容が雑なのはそのせいということで。

--

薔薇について。

バラはよく愛の象徴などと言うが、自分でバラを育ててみて、ちょっと違った意味でその言葉を解釈するようになった。バラという花は、非常に手がかかる。水も光も肥料もたっぷり必要とするし、無駄に枝が伸びるので適当に剪定などもしてやらないといけない。私などが育てると枯れまくる。街角に花屋があって、いくらかの現金で切り花が買えるようになる以前の世界では、女性にバラの花束をプレゼントできる男性というのは、家に日当たりのよい庭があって、なおかつバラの手入れに手間をかけられる程度に余裕のある家に住んでいるということを暗に示していたのだろう。

こういう言い方を嫌う人は多いかもしれないが、昔のヨーロッパでは、女性の幸せというのは結婚する男性の家にどれほどの余裕があるかで決まる部分が大きかっただろう。男がバラの花束を持てるということは、庭師を雇うだけの裕福さがあるか、さもなければ家事をこなして花まで育てる余裕のある女たちが住んでいるか、さもなければ男が自らの手でバラを育てられる程度に仕事の要領が良いか、このいずれかを知らせる「メルクマール」になっていたのだろう。これを愛の象徴と呼ぶことは、ロマンティックではない即物的解釈だけれども、まあそんなあたりに起源があるんじゃないかと思った。

男の靴が磨かれているかどうかで品定めできる、というあたりもおそらく似た具合のことを指しているのだろう。

--

嫉妬について。

過去にも書いたが、小さな劣等感は嫉妬になるが、ある限度を超えて大きくなった劣等感は、尊敬の感情を呼び起こすと思っている。劣等感がなければ親しみになるが、人は日々移ろうもので、親しいと思っていた相手がある日嫉妬の対象になったり、嫉妬の対象だったものがある日尊敬の対象になったりする。よく、有名になったら急にすり寄ってくる人が軽蔑される話を聞くが、そういう人があんまり算盤尽くとは限らなくて、おそらくはこうした心理が働いているんじゃないかと思う。同様に、優越感が小さいと軽侮の情になるが、ある限度を超えると慈愛に近い感情になる。歩けない赤ん坊を軽蔑する大人はあまりいないが、車の運転が下手という程度だと軽蔑の対象になりやすい。

自分の技量と同レベルを中心に置き、そこから縦軸を引いて上方向に劣等感、下方向に優越感を配置すると、中心点の周りに、小さな「親近感」の領域ができる。その外側に「嫉妬と軽蔑」のドーナツ領域があり、その外側には「尊敬と慈愛」の領域がある。同じ音楽の嗜好を持った仲間がバンドを組むと、最初はみんな親しみの領域にあるが、演奏を続けるにしたがって延びる技量と伸びない技量の差が出てくる。そうすると、バンドのメンバーに対して、演奏だとかライブトークだとか、あるいはメイクアップだとか、分野ごとに嫉妬や軽蔑を感じるようになってくる。こういう領域に達すると、「音楽性の違い」だのなんだのと言って解散してしまうのだろう。

本田宗一郎さんと藤沢武夫さんみたいに、最初から互いの得意と不得意を埋め合わせるような関係にある人たちは、それぞれの分野で慈愛と尊敬の念で接することができるので、途中から喧嘩別れすることが少ないのだろう。別分野で頂点を極めた人たちの仲が良いのも、だいたいこういう関係にあるからじゃないかと思う。「嫉妬と軽蔑」のドーナツの幅はその人の心の余裕に反比例するらしいのだが、面倒なのでこの話も終わり。

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天皇制の話。

悠仁親王ご誕生で、継承問題は菊のカーテンの奥へ遠ざかってしまったが、まだまだこの話は崖っぷちにある。というのも、根本的な問題は何一つ解決していないからだ。根本的な問題というのは、天皇ないし皇太子が、複数の妃を持つかどうかということ。

明治以降、皇室は変わり続けてきた。明治天皇は畿内の地を離れて関東の埋め立て地に宮城を移し、大和の御門から大日本の皇帝に立場を変えた。大正天皇は、側室制度を廃止し、キリスト教徒である西欧列強の支配者に野蛮人扱いされない婚姻を選んだ。昭和天皇は皇祖神の直系としての現人神であることを辞め、人間宣言をした。今上天皇は妃選びの血統主義を返上し、民主国家の主権者である平民の娘を妃に選んだ。

だいたいこういう流れがある。で、継承問題で一番重要なのが、大正天皇の選択になる。確率計算から導かれる年数よりはかなり急激に男子が減るという偶然はあったが、どちらにせよ一夫一婦制度と男系による継承の永続というのは数学的に両立できない。なので、今さら伝統を云々するならば、大正天皇の選択を反故にし側室制を復活させるか、あるいは男子を産めないと分かった時点で妃を離縁して若い妃を取り直すかのどちらかの方法で、終身一夫一婦制を廃止するしかない。

万世一系というのが真実だとすると、数学的に見れば数十世代にわたって側室を持ち続けるだけの財と権威が天皇家に続いたことの証明にしかならない。その万世一系にこだわるなら、現代日本の一般市民の常識だとか、キリスト教圏の王家の良識だとか、そのあたりはさておき伝統を重視して側室制度を復活させるべき、という結論になってしまう。いまどき側室に収まるような女性がいるのか、という話になってようやく旧宮家に白羽の矢が立つのだが、こういう逃げようのない論が出ることがなく継承問題が語られるので、気味悪く思っている。氏より育ちと言うし、個人的には、明治以降の変遷を受け入れ女系天皇容認で良いと思う。

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教養とは何か。

簡単に言うと、「話が通じる」ということだと思う。具体的に言うと、有名な物語を鑑賞した経験を指すのだと思う。泣いて馬謖を斬る、という感じで、有名な場面を指すことで細かいことを言わなくても話が通じるための知識を教養と呼ぶ、ただそれだけのことだと思う。今なら、「坊やだからさ」とか「人間がゴミのようだ」とか「僕と契約して~になってよ」とか、そういう物語の断片から言わんとする情景と顛末の暗示を理解できるようなことがそれにあたるのだろう。現代的には科学や工学や経済の理論だとか、あるいは数学の定理などの背景も知っていたほうがいいのかもしれないが、これはやや飾りの部類に入るかもしれない。

金持ってそうな人と愉快な会話を楽しめるだけの知識。限りなく下品に言えばそういうことになる。

終わり。

--

細かい連想、妄想の類はもっといっぱいあるのだけれど、今日はこのあたりで気が済んだ。

図書館に山本夏彦さんのコラムをまとめた本を探しに行ったら、山本七平さんとの対談集(「正論」の昭和58年あたりの連載記事)が再出版されたものがあり、面白いので借りてみた。今から30年くらい前の話で、明治初期とか幕末がぎりぎり肌感覚として理解できる時代として語られていた。昭和末期ってそんな感じだったのか。なんにせよ語り口が面白い。狩られる前の言葉などもふんだんに出てくる。まあ、立小便が男らしいと思われていた時代の話でもあり、現代の品の良さとトレードオフの関係にある愉快さでもあるので、あんまり手放しに称揚したくはないが、ここだけ切り出せば昭和というのは楽しい時代だったのだなあと思った。

デカルトさんが、古典を読むことで過去に旅できるが、あんまり過去に入り浸ると現代で異邦人になってしまうというようなことを書いていた。杉浦日向子さんの作品なども読んでいるが、あちらに魅せられて、確かに異邦人だったなと思う。ついには魂抜かれちまったんじゃないかという最期でもあったし。それはそれで幸せな生き方にも見えるが。

意地悪は死なず 夏彦・七平対談―山本夏彦とその時代〈2〉 (山本夏彦とその時代 2)

山本 夏彦,山本 七平/ワック

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合葬 (ちくま文庫)

杉浦 日向子/筑摩書房

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by antonin | 2014-07-08 23:33 | Trackback | Comments(0)

続・床屋談義

一つ目の大学を卒業するときに、体育系サークルの部室の前で卒業生と思しき連中が花束を持っているのを見て、こういうときだけは体育会系が羨ましいな、みたいなことを言ってしまった。後日、催促したような形になったが、サークルにいた1年次の女の子2人から花をもらった。枯れるのを待つだけの切り花が嫌い、みたいなことは酒の席で漏らしていたんだろう、2人とも鉢植えの小さな花をくれた。この鉢植え2つは、初めて一人暮らしするアパートでの生活で、いい慰めになった。

その後輩のうち一人は話すと長くなるので置いておくとして、もう一人のくれた花がアッツ桜という花だった。名前の由来を調べると、ベーリング諸島のひとつ、アッツ島の名前を引いたものだけれども、この花の原産地は雪も積もらせることもできない寒風吹き荒れる島ではなくて、南アフリカのあたりだという。当然こんな名前で呼ぶのも日本だけらしい。

アッツ島というのは、ミッドウェー海戦の少し前に、キスカとともに日本軍が占領し、航空基地を整備した場所らしい。ミッドウェー海戦がああいう結果になって、キスカとアッツも撤退必至だったのだけれども、東にあってアメリカ本土に近いキスカのほうが先に落とされると、日本軍はそう考えていたらしい。キスカのほうは、深い霧という天候にも助けられて、現代人から見る旧軍の印象に反して、極めて人命重視の完璧な撤退に成功したらしい。そして、無人になったキスカに上陸した米軍は、現代人から見た米軍の印象に反して、全く言葉の通じない敵である日本軍への恐怖から、無人の島に対してかなり恥ずかしい上陸作戦をしてしまったらしい。このあたり、ドナルド・キーンさんの自伝的作品にも記述が出てくるという。

一方のアッツは、日露戦争時代から軍属という指揮官が率いる艦隊による救出作戦が決行されたものの、この司令官が当時の帝国海軍のセオリー通りの安全策を取ったため、艦隊は途中で引き返してしまう。そしてアッツはキスカと同時に攻められ、結局二度目の救出作戦が行われることはなかった。ベーリング諸島撤退のタイミングは終戦までまだ間のある時期だったので、この司令官は現場を放逐されたものの、南洋庁がらみの閑職に就いてそれなりに恵まれたその後を送ったらしい。

で、アッツ島(熱田島)は、戦時中の東京でもちょっとした神事が執り行われるくらい、壮絶に玉砕したという。このアッツ島の玉砕はひとつのロールモデルになって硫黄島の戦闘にも影響したらしいが、とにかく最後の一兵卒に近いところまで戦い抜き、ほぼ全滅となった。日本語の文脈ではアッツ島の全滅は日本人の生真面目さと自己犠牲的な強さを示す美談となったのだけれども、米軍から見ると、戦闘開始前から完敗が予想されて士気が下がって当然という文脈で、気味の悪いほどの善戦を見せる日本軍への、職業軍人としての賞賛と、尊厳ある人間としての軽蔑が入り混じった、奇妙な畏怖の感情で語られるものらしい。

そしてその後はサイパンでも硫黄島でも沖縄でも、文明国の先輩であった米軍は、文明国の新入りである日本人たちが奇妙な土着信仰の表れのような異様な死に様で斃れていくのを目にしていくことになる。当然そこでも奇妙な畏怖の感情が強まって、最終的にはこの敵と面と向かって戦うべきではないという結論になる。その結論が高高度爆撃機からの焼夷弾投下であるとか、新型原子爆弾の投下であるとか、そういう戦い方を導いていく。焼夷弾や原爆でも落とさない限りまともな勝ち方はできないというところまで米軍を追い詰めたのは、おそらく熱田島や硫黄島で玉砕した英霊たちなのであって、これは日本の普通の市民からすると色々と複雑な気持ちにならざるを得ない。

日本人は負け方を知らないというのは確かにその通りで、いやまあ、知ってはいるのだけども、それはキリスト教圏の内部で行われていたようなノーサイドに至る負け方ではなくて、生き恥をさらすくらいなら潔く散るという日本的な負け方でしかない。事業で失敗したら親族を巻き込んで路頭に迷うし、会社に損害を与えたらネクタイで首を括ったりする、今も脈々と受け継がれる日本人らしいスタイルになる。これは、アメリカ的な文脈で言えば、「負け方を知らない」という話になるんだろう。ヨーロッパ人がこのあたりについてどういう感覚を持っているのかというのは、正直よくわからない。アメリカ人に多いのが上京した三男坊のメンタリティだとすると、ヨーロッパ人の中には敢えて先祖伝来の地に残った惣家のボンのメンタリティもあるので、意外に地方在住の日本人に近い部分もある。

google earthなどを見ると、アッツ島の比較的高精細の空撮映像を見ることができる。現在のアッツ島は合衆国最西端の領地となっていて、ちょっと先にはロシア最東端の島がある。こちらは自然動物の楽園となっていて、生態学の研究者がときどき訪れる程度のアクティビティになっているらしいが、アッツ島には現役の米軍基地が存在する。日本軍が整備したらしい4本の滑走路のうち2本は放棄されているが、2本はそれなりに使える状態で保守されている。

そして空港から延びる道路を辿っていくと、途中からは痕跡のようなものになってしまうものが多いのだけれど、その道に沿って、兵舎やタコツボと思しき遺構が点々と並んでいる。アッツ島のその部分はもう放棄されているのだろう、日本軍が加工した地形がほぼそのまま残っている。そういう気味の悪い土地で、米軍のごくごく小さな基地が今でも運用されているらしい。

生き馬の目を抜くビジネスの世界で、孫子を引いて「巧遅は拙速に如かず」みたいなことが語られる。確かに初動においては拙速が必勝なんだけれども、ある程度の持続戦になると、結局は巧遅が追いつき、そして追い越していく。フェーズを正しくとらえて、それに合わせて随時変えていくということなんだけれど、大人というのはそうそう変われない生き物で、拙速が得意な人はいつまでも拙速だし、巧遅が得意な人は最初からずっと巧遅で、結局は適材適所のマネジメント力でそのあたりをカバーするしかない。

憲法のアレも、改憲を断固として受け入れない頑固者がいる以上、現実にはああした解決しか方法がない。「自衛」というなら、「自」とは何かと問うとき、国家と違って自明でない「集団とは何か」の定義がないのは非常に危険だと思っているが、それはまた水準が違う話だろう。私は、原発を安全神話の牙城にして、結果として爆発にまで追い込んだ原因の半分は頑固で聞く耳を持たない反原発派にあると思っているし、憲法が行政解釈であんなboundの外まで引きずられてしまった原因の半分は、やはり聞く耳を持たない護憲派にあると思っている。で、それはそれで、ある視点から見ればしっかりとした正義なのだけれど、やりすぎたために墓穴を掘っているし、そして事後でさえ自分たちに罪はないと思っているあたり、非常に罪深いと思う。

祖国のために戦った父祖の気持ちに報いよ、みたいな抒情的な考え方はあっていいとは思うけれども、結局彼らは限度を知らなかったために日本を滅ぼしかけたという面もある。馬鹿にするわけではないけれども、その死を無駄にしないためにも、本気で戦闘をするつもりなら、負け方のほうも史実からしっかりと研究しておいたほうがいいのではないかと思う。

アッツ島 - google map

アッツ島の戦い - Wikipedia

▶ 玉砕 ~甦らぬ英霊二百万~ アッツ島・キスカ島 - YouTube

ねずさんの ひとりごと アッツ桜

戦争画リターンズ

床屋談義 : 安敦誌

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by antonin | 2014-07-07 02:48 | Trackback | Comments(0)

web 3.0へ

エキサイトブログが10周年だということで、10年前に雨後の竹の子のように現れた無料ブログサービスの中では先頭集団最後尾あたりに位置したエキサイトブログが、やはりブログ10周年イベントの流れにやや周回遅れで登場してきたが、当時の時流との微妙な位置関係を10年ぶりに再現していて面白い。私も10年前の7月の終わりに最初の投稿をしたのだけれども、実は2004年の7月にサービスインしたのはエキサイトブログ正式版のほうで、ベータサービスのほうはもっと早くから始まっていた。

だから、本格的に登場し始めたブログサービスを比較吟味していたようなタイプの人たちは、このベータサービス時代からブログを開始しており、既に10年を少し超える経歴を持っている。もっとも、そういう時期にエキサイトブログを味見した人で、今もそれなりにエキサイトブログを使い続けている人というのはあまり多くはないので、そういう人達の意見を探すのは難しいかもしれない。

web 2.0ブームの時に話題になったサービスを指して「終わった」と語る人も多いけれども、「その」サービスに限らず、web 2.0的な、社会的な構造をぶち破って世界中をフラットな関係で結ぶ、といった理念が全体的に終わっている状況なんだと思う。当時のwebというのは、結局はコンピュータを使って情報を摂取したり提供したりすることが大好きな集団のたまり場だったわけで、インターネットを利用しているということそのものがある階層をフィルタリングできていた。ところが、スマートフォンなどを介して、かなり広い階層から様々な属性を持った人が無差別にweb 2.0の世界に流入することで、構造のないフラットなネットワークが色々と無用の問題を引き起こすようになった。今後は、ネットの世界にも実社会と似た構造を再現した、フラットではなくwell structuredなweb 3.0が必要になってくるし、必要である以上は程なくしてそういうものが作られるだろう。

個人的には、書籍のような静的な情報が上がっていたweb 1.0が、テレビや新聞と同じような動的で揮発性の情報を主体とするweb 2.0の時代に入った時点で結構白けた気分になっていて、blogでも好んでweb 1.0的な資料サイトを検索で拾っては記録していたころがあった。最近ではそういう資料にリンクするのも面倒になって、時事ネタを肴に無責任なオピニオンばっかり並べるようになったが、こういうあたりが死にかけのweb 2.xっぽくて、それはそれで気に入っていた。

これから登場するweb 3.0はおそらく実用的だが、web 2.0のようにオープンではないし、web 2.0のような狂った祝祭的感覚もないだろうから、あまり語り好きの人々の話題に上ることもないだろう。そしてweb 2.0の狂った熱狂は、技術的な熱狂期に人生のピークを重ねた人々によって、ノスタルジックに語られるようになるに違いない。フリーソフトが流通していた時代のPC文化だとか、マルクスや少年マガジンを小脇に抱えつつ政治を論じていた学生文化のように。

成熟とは素晴らしいことだが、退屈な場合も多い。退屈になりきらない偉人もいるが、そういう人は希少だからこそ偉人として尊重される。人類は月の次に木星を目指したりしなかったが、通信衛星や気象衛星などは当たり前のように現在の私たちの生活を支えている。そこに情熱的なドラマを見出すのは難しいが、サターンVよりもずっと洗練されている。web も今や成熟した産業であり、重要ではあるが保守的で地味な分野になっていくだろう。かつての鉄道のように、かつての自動車のように、情報通信はあこがれの存在から空気のような存在になっていくだろう。

さて、その次には何が来るのか。いま最右翼にあるのは生命技術だけれども、それが爛熟期を迎えるころには、チャペックが初めてロボットを描いた時のように人工生命の創造に手を染めたりするんだろうか。シド・ミードが描いたような退廃的な都市風景はないにしても、レプリカント的なものを生み出したりするんだろうか。あるいは、生命技術は最初から補助臓器のような地に足の着いた地味なもので満足するんだろうか。まあ、そのあたりは分からない。

映画「メトロポリス」に現れたような流線型の未来型車両が、空想の産物ではなくて当時実際に流行した鉄道車両をモデルとしていて、蒸気機関の末期には時速200kmを超える機関車も登場したなんていう話もしたくなったが、それはまた別の機会に取っておこう。

ある程度人生が長くなると、自分が子供のころの出来事が、歴史の一幕と思える程度に昔の出来事になる。隆盛を誇った文化が成熟して焚火から炭火のように変化していく様子も目に見えるようになる。私はまだアポロ計画が終わりきらないうちに生まれたけれども、自分が生まれる前にアポロ11号が月に到達してしまったことを悔しがるような時期があった。大阪万博が終わってから生まれたことを悔しがるようなこともあった。

twitterに間に合わなかった世代が果たしてそれを悔しがるような時代が来るんだろうか。あんまりそういう気がしないのだけれども、web 2.0の熱狂をノスタルジックに語る世代に育てられた子供は、ひょっとすると規制に縛られることで実用的になったweb 3.0に失望して、あるいはそういう懐古的な悔しがり方をするのかもしれない。

安倍総理率いるネトウヨたちの粋がりも、日清・日露戦争の熱狂に乗り遅れたことを悔しがっただろう昭和初期の青年将校たちと同じで、まあだいたいそんなあたりに位置しているんじゃないかと思う。戦争が大嫌いだと思っている私でも、子供のころには飛行機に乗って銃撃しまくるゲームで遊んでいたし、歴史小説で捨て身の総攻撃をするシーンを読めば、ちゃんとアドレナリンが噴出してきて、作中のBerserkerたちに感情移入できる。結局、ホモサピエンスのオスというのはそういうふうにできている。ディテールの汚さが忘れられる時代になると、こういう揺り戻しはある程度必然なんだろう。

今から20年後、web 2.0の熱狂があった「古き良き時代」を懐かしむ作品が作られ、時の若者たちはそれを見て白ける。更に30年後、その作品が半ば史実としてサブカルチャー好きの若者の憧れの対象となり、せっかく成熟したweb 3.0に対して、フラット化したwebの再興を謀る過激派が現れる。そういう時代の循環が見られるなら、それはそれで楽しそうではあるが。

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by antonin | 2014-07-06 23:00 | Trackback | Comments(0)

労働力不足の原因

最近のアルバイト不足現象は、少子化の影響なんかじゃなくて単に好景気が理由だよバカ、みたいなツイートが出回っていたので、本当なのかどうか調べてみた。情報源はこちら。税金で作られたデータはありがたく利用させてもらおう。

統計局ホームページ/労働力調査(基本集計) 平成26年(2014年)5月分結果

で、調べてみると、だいたい予想通りで、好景気による人手不足が主効果で、それに加えて、アルバイトなどの「安価な労働力」について限定すると、確かに供給も細っているというデータが出てきた。つまり、少子化が100%原因と考えるのも、好景気が100%原因と考えるのも、どちらも単純化しすぎのバカという結論になって安心した。

まずは労働力人口の推移。ここ1年で労働力人口は80万人減少しているが、失業者の雇用でこのあたりは吸収されていて、就業者数は57万人増加しており、労働力供給としては十分な水準。年齢階級別に見ると、25~34歳は29万人減、65歳以上は48万人増。その他の年齢層は団塊世代や団塊ジュニアの移動などがあって増減はあるが、トータルでは概ね横ばい。グロスの世代人口で見ると、25~34歳は34万人減、65歳以上は108万人増。25~64歳の「現役世代」が107万人減なので、65歳以上の人口増と拮抗する形。その中で25~64歳の労働力人口が26万人減で済み、就業者数は逆に9万人増なので、景気はかなり上向いている。

ちなみに65歳以上の労働人口は48万人増で、就業者数は46万人増。この年代の場合、本気の求職者ばかりではなく、リタイア後に求職活動をして、失業保険を満期受給してから年金生活に移行するというマイルドリタイアの人も統計に紛れ込んでいるだろうから、世代人口から就業者数を引いた62万人あたりをリタイア人口と見ていいのだろう。

年齢を考慮しない場合、労働人口はほぼ横ばいで、就業者数は増えているので、「労働力不足の主要因は景気回復」と結論付けることができる。しかし、25歳から64歳に世代を限定すると、労働力人口-26万人に対して就業者数+9万人なので、差し引き+35万人が景気要因で、人口減少要因は世代人口減少の-107万人ということになる。もちろん、主婦などの雇用されない労働力の率などもあるので、107万人の世代人口減少がそのまま労働力供給の減少に直結するわけではないけれども、「景気回復による労働需要の高まりが労働力不足の主要因」とは言い切れない数字になっている。

特に、世間を騒がせているアルバイト形態の労働力推移では、もっと明らかな数字が出ている。

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この表だと、雇用者総数は前年比で32万人増加しているが、正社員は1万人増と微増で、特に主力の男性労働者では2万人減で、女性の正社員化が主な増加要因になっている。一方、雇用者増の主要因はパートと契約社員で、ともに18万人前後の高い伸び率になっている。しかし、アルバイトは2万人増と微増で、特に男性アルバイトは6万人減となっている。これはアルバイトよりは好待遇な契約社員などの雇用形態へシフトしている好景気の影響と見て取れるが、ともかく景気の波を吸収しやすい非正規雇用の中では、アルバイト人口の伸び悩みが顕著に出ている。

アルバイト形態の場合、若年層が主力になると思われるので、全年齢層の統計には表れにくい若年層の人口減少が直撃する分野と推定できる。このため、就業者数全体では景気回復による労働力不足が主要因だとしても、「アルバイトが集まらない」という現象については、世代人口減少の効果が無視できない。特に、労働力人口の統計に表れない学生アルバイトなども含めると、世代人口減少がより直接的に表れるだろう。また、この手の統計には表れてこない外国人の短期労働者なども、円安の影響などでかなり減少しているものと考えられる。そういった部分まで考えると、アルバイト市場での労働力不足は、「労働需要の高まり」だけではなく「労働供給の低下」の影響がかなり強いだろうと思う。

景気回復局面では、不況期に生産性の低さを給与水準の引き下げでカバーしてきた企業が淘汰されるが、景気が飽和した後も、人口推移や為替の影響などで労働力不足が長期化して、雇用問題が起点となって産業構造の大きな変化を要求される時期が10~15年先くらいにあるんじゃないかと思う。

それから、非正規社員の推移で、男性の嘱託がかなり減少している。雇用の2007年問題の先送りに成功した嘱託制度も、そこから7年を経過して終わりを迎え始めているのが見て取れる。団塊世代もいよいよ本格的なリタイアが始まっている。そこからは、年金と医療と介護をどう支えるかの勝負が正念場に入る。外国人看護師の導入なども、保守的な資格制度のために半ば失敗に終わっているようだし、東京オリンピックが開催される頃には色々とその手の地獄が見られるようになっているかもしれない。

「全て円で発行しているから大丈夫」という国債も、ちょっとした刺激で信用に傷がつき、安定経営の銀行に取り付け騒ぎが起こるようなメカニズムで暴落する可能性も残っている。それが通貨の暴落にまで飛び火してハイパーインフレになる可能性は少ないけれども、年金や郵貯など、リタイア世代の生活を握る機関投資家の金融資産が燃え上がる可能性はいくらかある。そういう時代に、そろそろ権力の中枢に達している団塊ジュニア世代が親世代を経済的に切り捨てにかかる可能性も、いくらかはある。資産には相続があるし、投票権に定年はないので、あまり無茶なことにはならないと思うけれども。

政治家のわかりやすい煽りコメントに感じた違和感を、ある程度までデータを読みながら裏付けられたので、いくぶんすっきりとした。まあ、なんだかんだで海と言語の壁に守られた日本列島ではあるので、周辺文明にあまり強く蹂躙されることはなく、優雅に衰退して鎌倉時代末期と同程度の混乱で乗り切ることができるんじゃないかという気はしている。チベットあたりに遊んで新仏教を興すにはちょうどいい時代、という民衆心理にはなるのかもしれないけれど。

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by antonin | 2014-07-02 00:45 | Trackback | Comments(0)


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