安敦誌


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婦人画報創刊号

dマガジンという、スマホで雑誌の立ち読みのようなことができるサービスがある。飽きたら解約しようと思っていて、実際に飽き始めてはいるのだが、先日から各誌の創刊号抜粋が読めるイベントが始まっていて面白い。大体は1980年前後の時代に集中しているのだが、エコノミスト創刊が大正12年だったり、ダイヤモンド創刊が大正2年だったりして驚いている。この頃も第一次世界大戦の前後で国内の景気が良かった頃だと言われる。経済誌の論調はあまり今と変わりがなく、景気と損得の話でほとんどを占める。教育と経済は理論の最終的な帰結を見るのに数十年を要するので、どうも人間には扱いにくい学問なのだろう。

面白いのが婦人画報で、明治38年7月1日発行とある。日露戦争終結後の時期で、この時代もまた景気が良かったのだろう。わずかな抜粋のみの雑誌もある中で、婦人画報の創刊号はカラーの表紙から裏表紙に至るまでガッツリ採録されている。表紙はミュシャっぽい画風のイラストで、まず広告がいくつか並び、目次があり、続いて絵画や写真がずらっと並んでいる。写真は身分の高い子女が通う女学校の様子などが多い。他に海外事情やその時代の絵画などが載っている。「英国婦人の水浴新工夫」というページでは、「白き半裸体の婦人」たち(といっても今の感覚からすれば水着を着ているだけ)がプールで遊んでいるが、説明によると「人工を以て波を立たしむ」とあって、波の出るプールが当時からあったらしいことに驚いた。

続いて「読物」のページに入ると、創刊の辞に続いて大隈重信伯爵と成瀬仁蔵日本女子大学校長の言葉が寄せられていて、なかなか興味深いことが書かれている。大隈公は、西洋の婦人が宗教やファッションのために苦労しているのに比べて「日本婦人はむしろ大いに自由であったと言わなければならぬ」と言っているし、成瀬校長は「男女の体質脳力等を比較して女子に高等教育を施すことの可否を論ずる人もあるが実験上もはや陳腐の議論となって居るのである」と言っている。こちらもあんまり今と変わらんなぁ、というよりも、むしろ後退しているんじゃないかという気さえする。

「静寛院宮 御手記抜書」は、徳川家茂夫人が幕末に実家の京都朝廷宛に送った書状の写しなど、日誌に残った記述から抜粋されている。明治も後半に入った婦人画報の記事自体は旧仮名遣いではあるものの一応口語体であり、仮名も字体統一後のもので、現代では滅びつつある振り仮名も全ての漢字に一字残らず振られているので、読むのに困ることはない。ただ、静寛院宮の手記は江戸末期のものなので、基本的に候文になっていて、なかなか読むのに骨が折れる。明治に入ってまだ40年と経たない当時は、読者の方もそれほど苦労なく読めたのだろう。

原文は幕末のものだし、活字になって仮名も振られているので、毛筆の古文書などに比べれば断然読めるのだが、面白いことに「上申候(もうしあげそうろう)」じゃないかと思われる、3文字分の長さの筆書きに近い活字が使われている。それから、一切句読点がない。これも候文の特徴だろう。活字になった候文では「上申候」が巨大な句点にも見えて面白い。大隈公などの文章にはしっかりと句読点が打たれているが、それでも今なら句点を打って文を切るようなところでも読点で延々と続くような文章になっていて、逆に口語らしさがある。たとえば今書いているこの文章なども、口語からの距離という意味では、明治期よりも文語的になっているのかもしれない。

アルファベットでは2000年以上の昔にローマ人が端正なローマン体を石に刻んでいるから、筆記体からブロック体に主流が移ってもそれほど劇的な変化はなかったのだろうが、仮名というのは元の漢字と直接の関係は失われてしまったようなものなので、「活字体の仮名」というのは日本語に対してかなり大きな影響を与えたのだろう。まぁ、アルファベット圏でも「分かち書きによる単語の区切り」が、ある時代の発明ではあったと言うから、あんまり違いはないのかもしれない。

昭和の末期には正方形の活字を几帳面に並べた印刷物も多かったが、明治の頃はルビの関係などもあって、かなり字間は自由になっている。とはいっても日本語活字は基本的に正方形の断面を持っていたのだから、そこには植字工の職人芸があったのだろう。「御手記」のメインは全部統一字体の仮名なのだが、ルビの一部にはたまに旧字体が混ざり込んでいて、「ず」が今の「寸」に濁点ではなく「春」に濁点のものなどがあった。原文が昔のものなので、植字も校正もついついそれにつられてしまったのだろう。

それから、各ページには写真や図画が豊富に印刷されているのだが、その図がいちいち本文と関係ない。今のweb記事でも「写真は本文と関係ありません」というのがあるが、いわゆる「写真はイメージです」という、直接は関係ないが、全く関係なくもないというものが多い。けれども婦人画報の写真は、全くと言っていいほど関係がない。女子の体操というタイトルで「表情体操デルサート」というものが紹介されているのだが、そのような論説に混じって「露西亜の最年長者本年百十二歳」だとか「葡萄牙国の最年長者本年百十五歳」といった肖像が中央に大きく印刷されている。それ自体がかなりニュースバリューのある写真ではあるものの、本文には全く関係ない。読者に届けたい文章と写真が豊富にあって、でもページ数は限られていて、結果、そういうことになったのかもしれない。

古雑誌そのものは古書店や図書館などを漁ればまあ見られないこともなかったのだが、数万人が場所を限らず片手間に見られるというあたりはなかなか面白いことだと思う。素人が素手でベタベタとページを触って貴重な創刊号が劣化する恐れもない。ある種の展覧会になったようなものだろう。電子化された創刊号は、いずれ削除されるのか、あるいはまとめて有料で売られることになるのか、どうなるのだろう。

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by antonin | 2017-07-07 01:36 | Trackback | Comments(0)


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