安敦誌


つまらない話など
by antonin
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一番絞りが好きだ

ラガー、黒ラベル、スーパードライ。どれもまあ、日本的でうまい。が、最近どうもうまいのが、一番絞りだ。ここ数年で見違えるように旨くなった。なのに、お値段据え置き。大丈夫なんだろうか。キリンって、こういう地味なマーケティングするメーカーさんだったっけ。サントリーは、酒よりオマケ、販促品の会社という印象だった。それが、麦100%モルツをやり出したあたりから、安い居酒屋とか場末の料亭に場違いなオールモルトを置くようになって、その「駆け付け3杯」みたいな飲み方をするビールがえらくうまくなった覚えがある。そして、モルツをベースにチェコ産ホップを3倍増した贅沢なプレミアムモルツを出したら、高価格帯にもかかわらず大躍進した。デフレの時代にプレミアム市場を作り、頂点に立った。

私は、チェコ風のモルツも好きだし、ドイツ風のヱビスも好きだし、運動して汗かいた後はスーパードライだって結構いける。ただ、麦100%になってからの一番搾りは、なんだか神がかっている。麦100%のちょいプレミアムビールにしては安いし、よく冷やして飲むとのど越しはいいし、雑味がないから魚でもなんでも合う。ぬるまっても臭みがないからおかきをつまみにまだまだ飲める。そして何より安い。一番搾りがだんだんそういう位置を占めるようになってきてくれてうれしかった。

そしたら最近、またすごいことになっている。どういう成分が変わったのかはわからない。初期のころの、単にすっきりした端正なビールではなくて、雑味がなくて、甘みも渋みも控えめで、ホップてんこ盛りみたいな鼻を衝く香りもないのに、どこからか強烈な味と香りと刺激があって、すきっ腹に飲むと強烈な押し出しがある。それでも食事と上品に合う端正さはまだ残っている。なんだろうこの強力なプレミアム感は。でも、お値段据え置き。350mlで210円しないくらい。今月の一番搾りは異常にうまい。

地ビールとか輸入ビールとかいろいろと飲んで、うまいのもたくさんあったし、馬のションベンみたいなのもあった。ヴァイツェンもペールエールもモレッティもヒナノもみんなうまかったが、コンビニに並んでいる最近の一番搾りはいろいろ攻撃的な味で驚かされる。本当にうまい。

だが、全くリニューアルしていない地味なパッケージ。プレミアムビールのように高くなく、リキュール類のように安くない、平凡な価格設定。そして、それをこっそり買って飲んでみると、驚くようなプレミアム感。どうしちゃったんだろう、キリン。マネタイズしないのか、ええのんか。新ブランド立ち上げても行ける味だろう、これは。

ただ、この一番搾り、決してヒットはしないだろう。これは断言する。なぜならば、私が気に入ってしまったからだ。過去、私が惚れ込んでヒットした商品はひとつとして存在しない。例を挙げれば、AIWAとSANYOの高機能ヘッドフォンステレオ、FM-TOWNS、ドリームキャスト、携帯入力方式T9、Finepixの高性能コンパクトカメラ。どれも消えていった。そして、そのリストに今、キリン一番絞りが加わった。だから実に愛すべき今の一番搾りは、愛すれば愛するほどに悪い予感がする。キリンビールさん、悪いことを言わないから、一日も早く路線変更をした方がいい。どう変更したほうがいいのかは、私にはわからないけれども。
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# by antonin | 2014-10-29 02:29 | Trackback | Comments(0)

およげたいやきくん

コドモたちが「妖怪ウォッチ」を録画して、食事中にそれを見ていた。私も子供のころはこうしてテレビを囲んで食事をするような家庭に育ったが、ヨメのお母さんはそういう無作法を厳しく叱っていたらしいので、ヨメもテレビを見ているコドモに腹を立てて、テレビを消す消さないの大喧嘩になる。

それはそれとして、妖怪ウォッチのアニメを見ていると、昭和ネタがたくさん出てくる。USOというグレイタイプの宇宙人みたいな妖怪が出てきて、これに取りつかれた人間はくだらない嘘をつき、相手がだまされると、踊りながら「ウッソー」とシメる。で、この踊りがピンクレディーの「UFO」のパロディーになっている。当然コドモたちはそんな物は知らないのだが、親はちょっとニヤニヤする。

後半に出てくる「ネタバレリーナ」といのも、取りついた人間に映画のクライマックスシーンに秘められたネタをバラさせるのだが、このネタというのが、スターウォーズ・エピソード5「帝国の逆襲」に出てくるダース・ベーダーの有名なアレのパロディになっている。これもまた、コドモたちにはわからない。父親だけがニヤニヤする。「帝国の逆襲」の公開年は1980年、和暦でいうと昭和55年、パパはまだ小学校3年生で、今「妖怪ウォッチ」に夢中になっているムスコ1号くんと同じ歳だったころの話なんだよ、君たち。

そういえば、子供の頃に「およげ たいやきくん」というドーナツ盤がバカ売れして話題になったことがあったが、あれも歌詞をよく読むと、子供向けというよりは子供たちの親、特に父親に向けたメッセージが満載だったりして、結局のところ子供向けの商品というのは、購買行動の最終決定権を持っている親に向けて売るべきものなんだろう。

オイルショックとニクソンショックの洗礼を受けた当時のお父さんたちは、まいにちまいにち鉄板の上で焼かれて嫌になっていて、店のおじさんとけんかして海に飛び込みたい気持ちだったのだろう。ももいろさんごに手を振ってもらいたかったのだろう。それでも実際にそれをやってしまえば最後に釣り上げたおじさんに食べられてしまうという結末も予想できていて、生活は変えられない。それで子供にかこつけて「およげ たいやきくん」を聴いていたのだろう。

父が自営業で比較的悠々自適にやっていた我が家には「およげ たいやきくん」のレコードは無かったが、父はレコードを買う代わりにインベーダーゲームあたりに随分入れ込んで、その勢いで勝ってきてくれたテレビゲームで私もけっこう遊んだものだった。ある時にはどこからか喫茶店用のブロック崩し内蔵テーブルを借りてきて、1週間くらい遊び放題だったこともあった。あの背徳感というかチート感覚というか、あれはなかなか良かった。

やなせたかしさんのアンパンマンが息の長いヒットをしたのも、著作権の行使方法に商業的ガメツさが少なかったのもあるだろうが、第一にお母さんたちにカワイイと思ってもらえる絵柄というのがあったんじゃないかと思う。ウォルトディズニーがディズニーランドを作った時点ではすでにそういう、親も子も楽しめるものが一番売れるという黄金律は知られていたのだろう。

ポケモンというのは、ピカチューとかヒコザルあたりまでにはゲームで遊んだ経験のない親にも理解できたが、ミュウツーあたりから先はもう理解不能になっている。何が楽しいのか、正直わからない。あれもまあ、ポケモン世代の親を持つ子供たちがもう少し大きくなればまた復権するだろう。ただ、ポケモン世代はあまり親になっていないという問題があって、そのあたりはどうなるのだろう。それはそれで小さくなった市場に占める割合は高くなるだろうからヒット扱いになるような気もするが。

団塊ジュニア世代も、自分たちの社会的権利を主張するにも自分たちの世代の視点だけに留まっていないで、団塊の世代の心情を直撃するような物語で訴えかけるような工夫が必要なのかもしれない。そのためには多少の勉強というか、60年代から70年代の彼らに何があったのかをもっと肌感覚として知る必要があるんじゃないだろうか。学生運動的なパターンには確かに嫌悪感があるけれども、それを少し脇へやって当時の「時代の空気」を感じてみると、また違った解釈も出てくるような気がする。

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# by antonin | 2014-10-12 15:46 | Trackback | Comments(0)

水に落ちたロバ

一度書きかけた文章を消してしまった。まあいい。
こういう寓話がある。

塩をはこぶロバ <福娘童話集 きょうのイソップ童話>

中世には寓話に教訓が添えられるスタイルが一般的になったので、「怠け心にはきっと悪い報いがあるだろう」みたいな倫理噺になってしまうのだが、そういう神父さんが新約の一説を引いて説教するようなのとはまた違った読み方も、古代ギリシアにはあったのではないかと思う。

ちょっとまともな資料を引用できないのだけれども、ペットを飼う日本人の心理には、ペットを一人前の生き物として育て、友として付き合うようなスタイルとは違った、弱い者を溺愛し、そして溺愛されたものが自分に依存する様子を見ることで、自分の存在意義を感じて安心するというような、そういう形式が多いというような話がある。

同じような「病理」が、幼い子供を育てる母親の一部にもあるらしく、そういう母親に育てられた子供が成長すると、依存性の高い人間になるという。子供が依存してくることに喜びを覚える母親の育児は、子供に何か新しいことをさせるのだけれども、それが万事うまくいって子供が自分から離れることに無意識の恐怖心を持っていて、ついつい子供が失敗して自分がそれを助けるようなシナリオで事を進めてしまうらしい。

水に落ちて荷が流れて楽になるロバと、ロバが水に落ちるような荷を負わせておいて、水に落ちたロバを責めずに助ける自分の優しさに恍惚となる飼い主の共依存、といった光景が、母と子の間に成立する。そして、そういうシナリオの中で育った人間は、うまくやれば成功できるようなことでも、ついつい失敗に終わって慰められるような展開を、これもまた無意識のうちに想定してしまい、そして最終的には、実際にも失敗してしまうらしい。

人間誰しも幸福になりたいと思うのは自明の原理のように見えるが、「とても幸福になる選択肢」と「少し不幸になる選択肢」が提示された場合、後者のほうが自分に似合っていると感じる人もいくらかいるということがあるらしい。

「自己愛型人格障害」という類型に当てはめられてしまうような、分不相応な幸福が自分にもたらされて当然だ、という方向の不釣合いも厄介だが、敢えて不幸を選択する不釣合いも、それはそれで厄介な障害だろう。ゼロサムゲームでそれをやって、ほかの誰かが幸福になるのならまだいいが、ノンゼロサムの状況で、例えば約束を守れば誰もが幸福になる場面でも、その約束を破って関係者を巻き込みつつ不幸のほうを選び取るのだとしたら、これは周囲にとっても厄介な問題である。

と、ここまで他人事のように書いておいて、実は今日も自分語りなのだけれども、私はこの水に落ちたロバのような子供時代を過ごしたらしいという状況証拠が、ちらほらと見つかる。四十を過ぎた今になっても、どうやら無意識の習慣として、失敗となる結末を望むようなクセがあるらしい。無意識による行動なのであまり自覚がないが、私にもどうやらそういう傾向があるらしい。

で、そう書くと母親が悪いように思えるが、そういう母親の行動も、ある種の弱さを含みながらも、基本的には善意であり、また、そのまた母親から受けた育て方に遠因があったりして、こうなるともう、親の因果が子に報い、という具合で、因縁説だの輪廻だの、そういう論も現実味を帯びてくるようになる。超自然的な現象ではなく、脳による学習という物理現象を通じた情報系統伝達というような意味で。

で、完全に母親や祖母のせいにするのではないのだけれども、そういう影響って取り去りにくいんだよなぁ、と、三十歳で脳の動きがそれなりに固定化して以降は、諦めに近い形で受け入れるようになっている。幸い、最近は薄情になってきているので、そういう子育ての仕方をしなくなってきている。ただ、第一子のムスメに対しては、多少それをやってしまったような気がする。

親として成熟した、というようなことは無くて、また別の酷薄さに変わっただけのような気もするが、育児に失敗するという結末を暗に望んでいるんだとすれば、それはいかんなぁ、幸福にしてやらないとなぁ、と考えている。考えているのと、反射的に実行できる習慣になることの間には当然に溝があって、成功する自分のイメージづくりみたいな行動療法も飽きずに続けないといけない。このあたり、当人が心の中で決意しても無意味なので、外部にシステム化しないといけないんだが、いい形式がまだ思いつかない。んー。

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# by antonin | 2014-08-04 00:25 | Trackback | Comments(0)

ブーメランが刺さる話

PC遠隔操作事件のアレ、長すぎるだろうという気がするが、まだ整理がついていない。

当時思っていたのは、一般的な冤罪問題としてではなくて、遠隔操作による犯罪予告という警察組織への挑戦的犯罪が、あたかも社会全体に対する挑戦的重大犯罪であるかのように報道され続けている、そのあたりへのイライラだった。STAP細胞みたいな未熟な論文が、未検証の段階でなぜいきなりあんなに大きく報道されたのか、というあたりにも似た違和感だった。

ただ実際のところ、保釈中のあの工作が発覚するまでは、8割くらいの確率で冤罪だろうと考えていたので、それが冤罪ではないと判明したとき、それまで持っていた、警察組織の国民個人への恨みによる悪質さの誇張があるという感覚が、どの程度まで「騙されていた」ことによるものだったのかという切り分けができていなかった。そして、今もまだその切り分けは完了していない。

冤罪でない場合、ではあの身柄拘束と報道の仕方は正しかったのか、という問題はある。身柄拘束については他の犯罪でも警察と検察に確信がある場合に同様なのだとしたら、問題は刑事起訴手続き一般の話になって、遠隔操作事件に固有の問題ではなくなる。あの事件に固有の問題というのは、猫カフェ情報あたりを含めた報道へのリークの仕方だけということになる。

事件の発端として、自白の証拠採用と、調書の勝手な作文が冤罪を生み出しかけたという根本問題はある。ただ、遠隔操作事件が特徴的なのは、「ネット上の犯罪予告により警察の業務をいたずらに妨害し、またその容疑者に対する不正な手続きを明るみにしたことで警察に恥をかかせた、容疑者個人に対する公権組織側の恨みによる執拗な反撃」と解釈できたからで、その部分が仮に全て妄想みたいなものだったのだとすると、当時の憤りの理由が根本から消えてしまう。

ただ、本当にそれで「騙されていました、今後は気を付けます」で納得できるのかというと、そうでもなかった。やはり、PC遠隔操作事件の特異的な部分は、新奇なサイバー犯罪というあたりではなくて、犯罪予告を利用した「警察への挑戦的犯罪」の中でも、一段と高度で、なおかつ途中までは成功したものだったからだ。

前後して袴田死刑囚の一件などがあって、遠隔操作事件のほうも確かに冤罪事件の範疇で捉えることもできたし、遠隔操作された側の人達の扱いで、確かにそういう実例もあった。冤罪は許されるべきではないが、そうは言いながらも、そこはどうしても確率的なものになるで、凶悪犯を無罪放免にするリスクと常にトレードオフの関係にある。ただ、そういう場合、弱い個人の側に有利であるべき、というのは憲法の文面にも近い立場になる。けれども、そもそも「犯罪予告は本当に凶悪犯罪なのか」という根本的な問題もある。

直後に起こった女児殺害事件の犯人逮捕の話を絡める人もあったけれども、冤罪リスクの話は別として、そこには警察に対する挑発は無かったので、同じ議論には乗らないという風に考えていた。同じ議論に乗せるなら統計プログラムで馬券を買ったら多額の追徴課税が来たという話のほうで、権力組織が自己保身のために、法令の解釈拡大によって国民個人への攻撃をできるようなら、それはマズいな、という感覚だった。

けれども今回、その攻撃された国民個人が明確に犯罪者と判明してしまった。しかも、その犯罪が権力への悪意による攻撃だということになった。この場合、どの程度まで個人の側を擁護できるのだろうという限度が見えなくなったし、まだ見えていない。涙を流した弁護士の気持ちがわかる。

以前、原発を扱う技術者も人の子なのだから、あまり極度に締め上げられたら正しいリスク開示ができなくなるし、そういう状況が軽水炉安全神話の発生と福島第一原発の爆発を招いた一因だ、というようなことを書いた。同じように考えるとするなら、犯罪予告を過度な執拗さで取り締まる警察の行動も、半分は警察に原因があるが、警察官も人の子なのだから、犯罪予告がありながら殺人事件が起こるのを許してしまった場合、極端に警察を責める市民の側に原因の半分があるということになる。

警察や検察という官僚組織が組織的保身行動に走るのも、原発の一件と同じで日本国民全体の懲罰的傾向が原因だ、という話になる。けれども私は、遠隔操作事件の真犯人を追い詰める検察の行動や、そこに至る警察の調査行動を、懲罰的に批判していた。私もまた大組織に対して懲罰的な日本国民の一人に過ぎなかったということになる。

要するに、自分の行動が自分の批判する日本人の行動そのもだったということを受け入れられないというのが、整理の付かない理由の核心かもしれない。自分の愚かさを認めるほど悔しいことはない。そして、まだ例の話の整理はついていない。ということは、私は自分の愚かさを認められるほどには賢くはないという結論になる。残念な話だ。

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# by antonin | 2014-08-03 03:51 | Trackback | Comments(0)

新盆(しんぼん)と旧盆の間に

東京っ子はお盆を7月に済ませるという。そもそもお盆というのは7月半ばなのだけれども、太陰暦から太陽暦に切り替わるところで、季節に合わせるのか暦の数字に合わせるのかという選択を迫られた。そして東京の人は、正月を新暦の1月に移し、盆を新暦の7月に移した。ところが、東京に出てきた地方の人は、正月を新暦に移すのは飲んだが、盆を新暦に移すのだけは飲まなかった。稲の具合なんかで、季節のずれがあからさまだったという事情があるのかもしれないが、よくわからない。なぜ正月だけが新暦に移ったのだろう。おかげで、ちょうど半年違いだったはずの盆と正月が、1ヶ月と少々タイミングが狂うことになった。

7月16日と言えば「地獄の釜の蓋が開く」といって、地獄の鬼も仕事を休むという楽しみな日だったらしい。明治になって、イギリスやフランスの近代工業を輸入する過程で、ユダヤ教に起源を持つ週休というものが日本に導入された。それまでは、休みと言えば盆と正月くらいしかなかったから、非常に嬉しいことを「盆と正月が一緒に来たような」と形容した。その後の日本では週休二日制なども普及したが、電燈の進歩のために、代わりに残業というものが付くようになった。

江戸の人々は、週休は無かったが、日が傾くと帰宅した。職によっては昼前に仕事を切り上げるのが要領の良い粋な働き方とする文化があったという。そして盆暮れ正月は徹底的に休んだ。おせち料理が保存食の詰め合わせのようになっているのも、昔の女性の、正月には絶対に仕事をしないという強い意志の表れだったのだろう。三が日は料理をせず、おせちをつついて暮らす。掃除洗濯は年末のうちに徹底的に済ませて、正月には何もしない。

週休二日で、残業が長くてバカンスも無いのと、週休は無いが残業もなく盆と正月には全ての店をきちんと閉じていた時代とでは、どちらが豊かなのだろう。片方の生活しか知らないのではっきりとした比較はできないが、体ではなく頭を使う仕事には、残業なし、週休なしのほうが過ごしやすい。3日も前のことを細かく覚えているのは難しいし、5時間以上も高度な精神の集中を保てない。眠る2時間前から食事は避けたほうがいいというが、眠る2時間前くらいから目や頭を使うのもやめたほうがいい。電気のない時代にも不眠というのはあったんだろうか。

イタリアの街などを歩くと夜はしっかりと暗くなっていて、明かりがあっても電球の明かりだった。下品なほどに白い蛍光灯の明かりが夜道を照らすということは、マクドナルドの店舗などを除けば見る機会がなかった。夜が暗いというのは品が良いものだと感じた。

ローマ帝国内のユダヤ人は、自分たちの神以外には仕えないという契約があると言って、兵役と神事への参加を拒んだ。ローマ帝国は寛容という徳を重んじるので、兵役を拒む以上市民権は与えられないが、属州の住民として、納税を条件としてユダヤ教徒の主張を認めた。けれども、ユダヤ教徒たちがあまりにもローマの神々と、そこに象徴される多様性の精神を侮辱するので、ついにはユダヤ国家はローマ帝国に滅ぼされた。

時代が下って、コンスタンティヌス帝がキリスト教を「公認」して、帝都をローマからビザンティオンに移した頃、ユダヤ教徒の亜種であるキリスト教徒がローマ軍に入ってくるようになった。そして彼らは、キリスト教徒には当然の権利として、ユダヤ教から続く「安息日」の習慣をローマ軍に持ち込んだ。そしてこれを羨んだローマ兵が次々にキリスト教に改宗したなんていうあたりが、キリスト教普及の第一歩だったらしい。そして、ヨーロッパは神権政治の中世に移っていく。

そして中世が終わるとヨーロッパは機械文明によって世界を席巻し、その結果のひとつとして、現代日本は古代ユダヤ教の安息日に由来する週休というのを1回か2回取る制度を社会生活の標準に据えている。これもいろいろと思うところはあるけれども、仕方がないのだろうと思う。ただ、安息日と盆休みというのはあんまり親和性の高い制度ではないので、この先どうなっていくんだろうとは思う。

8月に入り、子供の感覚ならいざしらず、中年の感覚としては、もう夏の終わりが近いと感じる。夏の最後、立秋を過ぎたあたりに盂蘭盆会がある。子供は、お盆が終わったあたりで早朝の涼しさや薄暗さを感じて、ようやく夏の終わりに気付く。永遠かと思えた夏休みにも終わりがあるんだということを思い知らされる。共働きだと、夏休みでも昼間は家が無人になるので、結局子供は学校の中の学童保育で過ごすことになる。夏休みの終わりも、正直なところ、やっと終わったかという感じなのかもしれない。

女性の社会進出と両立する家庭の尊重といったら、男性も女性も5時で仕事を切り上げ、盆暮れ正月にはしっかり休む昔の個人商店のような生活へ戻ることなんじゃないかと思うが、どうだろう。今さらコンビニのない社会というのもあり得ないような気がするが、いわゆる保守派の人の主張を読むとそういう先祖返りを望むような内容になっている。本当にそういう覚悟があるんだろうか。

産業界が望むように、男女とも「大統領のように働き、王のように遊ぶ」社会になると、育児も集約産業化して生産性を上げ、個人は子供を産みっぱなしでOKという話になるんだが、そういう資本主義的というか、あるいは北欧的な社会主義になるのかもしれないが、どちらにしろ、これまでの文明が進んできた方向へ突き進むという話になる。こちらの主張をする人も、やはり覚悟がないように見える。どうなんだろう。

政治の話をするつもりじゃなかった。
花火がきれいだった。
ビールがうまかった。
もうすぐ夏が終わる。

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# by antonin | 2014-08-03 01:31 | Trackback | Comments(0)

学問の奨め

最近脳がやられているし、記憶があいまいになって繰り言が増えている。実は2009年前後に自分は死んでいて、今こうして意味の分からないことを書いているのは、まだ死んだことに気付かず成仏できずに家族の周りをうろついている亡霊なんじゃないかと思うこともある。まあ、亡霊にしては生臭いので、そういうことはないと分かるけれども。で、今日も繰り言を。ネットのどこかのウロ(洞)には書いた記憶があるようなことなど。

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「教育」という言葉は、「教える」と「育てる」という言葉の合成でできている。どちらも主体は指導する側になっている。教育問題というのがあって、より良い教育、みたいな話になるんだけど、それはどうなんだろう、というようなことを思うことが最近増えた。昔はこういうのを「学問」と呼んだ。この言葉は「学ぶ」と「問う」という言葉の合成でできてる。どちらも主体は教わる側になっている。学問に答えるところが学問所と呼ばれ、教育施設とは呼ばれなかった。案外に、こういう何気ない用語に違いに、私たち現代の日本人は縛られているんじゃないかと思う。

憲法には「教育の義務」というのがあって、これは当然大人に課された義務ということになっている。子供は教育を受ける権利を持っているのであって、義務はない。それはまあいい。けれども、社会が求める国民像というのがあって、そういう国民に仕立て上げる義務みたいなものが「教育」には求められていて、そしてそれがうまくいかないと、「より良い教育」というのが求められるようになる。

自分自身、とても良い教育を受けて育ってきた。それはそれで知識を得られて良かったのだが、結果として、卒業によって良い教育を失うと、自分で学び、自分で問う力が失われているのに気付き、ひどい不便を味わうことになった。良い教育は受けたが、ついに学問をする機会はなかったのだということに気付いて、二十歳近くになってから、そのあたりを取り返すのに随分と苦労をした。

大学の「教育」というのは、戦後ずいぶん改善されたのだとは思うが、まあひどいものである。でも、それでいいのだろうと思う。大学というのは学問をするところであって、教育をするところではないのだ。このあたりが勘違いされて、昨今色々と不幸だと思う。この、学問所である大学に入るに当たっては、ある程度基礎的な学問を積んでいる必要がある。大学に入って困らないように、この基礎的学問の水準を問うのが本来の入学試験の役割なのだけれども、明治以降の日本では、西欧文明を招き入れるのと同時に、日本固有の文化に憧れ追い求める復古主義の嵐も同時に吹き荒れたので、奈良時代の政治を現代に呼び戻すような運動もあった。

奈良時代の大和朝廷というのは、当時最先端の中華文明を招き入れたものの未消化だった行政機構であり、その細部というのは後漢から唐あたりまでの大陸朝廷の行政機構のデッドコピーになっている。それを色々なトラブルを乗り越えて自己流に練り上げたのが鎌倉以降の日本の行政機構なので、本来日本固有の文化というのは幕府が立つようになってからの文化のほうだった。けれども幕末当時の国学では古典の再発見によるルネサンスの驚きのほうがまだ目立っていて、古い時代の制度のほうが固有文化に見えていたのだろう。

カレッジだのユニバーシティーだのというのを「大学」と翻訳したのも、「大学寮」という奈良平安当時の役人養成機関に倣ったものだし、そのあたりで使われていた律令を復元する過程で、中華文明の科挙の制度も緩く復元されていく。江戸幕府の役人というのは、関東武士が好んだ禅宗の哲学が基底にあって、身分が貴いということはつまり欲を捨てるということと同義みたいなところがあった。しかし、ある程度社会制度として定着して以降の科挙というものには、カトリックの神学と似たようなところがあって、天子や神に関する学問を修めた者は、その才によって世俗的な財を持つことも自然に認められるというような考え方があった。

そういう、現代的な経済学が好んで言うところの「インセンティブ」が発生して以降の大学入試というのは、学問に必要な基礎の確証というよりは、より豊かな生活を獲得するための天国の門というような扱いを受けるようになってくる。そうなると、大人は若者を使ってこの門の鍵を手に入れようと、「教育」の力を使うようになる。すると教育は商売になるから、ともかくも若者に試験の解答力という鍵を持たせようとする。結果、学問などどうでもよくなってくる。

才能のある人が公正な試験によって国家の要職に採用されるという思想はいいのだけれども、教育の力によって入試の突破力だけを身に着けた人が勝つような時代になると、当初の思想の半分は吹っ飛んでしまっている。本来、人間が備えていた学問の力というものは、教育によってその力が発揮される機会を奪われてしまう。学ぼうと思う前に知識は教えられてしまい、自然な問いが発せられる前に、与えられた知識の習熟を問われる。空腹になる前にエサを与えられたガチョウのようなもので、フォアグラのように知識を吸収した脳を持った若者が、より有利に大学入試を突破していく。

肝臓がフォアグラになったガチョウが、飢餓に耐える生命力ある成鳥となって強く生きていけるのかというと、もちろんそんなことはなくて、自らエサを取る能力を失った弱い生き物になっている。脳がフォアグラになった大学生というのも似たようなところがあって、そういうかわいそうな人たちを生み出さないためには、「より良い教育」を研究するのは、むしろ逆効果ではないかと思える。教育なんてしないほうがいい。ただ、若者の学問に誠実に応えればいい。教育が必要だとすれば、読み書きそろばん程度まででいいように思う。環境として、学問の呼び水となる資料にアクセスできるようにすれば十分だろう。

現代日本にある、豊かな生活への鍵として大学入試をとらえる文化の源流のひとつに「学問のすゝめ」という書籍があって、私はあれが好きではない。もちろん、あの本の隅々まで読めば本当にいいことが書いてあるのだけれども、「私はなぜ君たちに学問を奨めるのか」という冒頭文がいくらか即物的で戴けない。もちろん、明治初期に読めば妥当な内容ではあったのだけれども、自称「先進国」の国民が読むには、いくらか刺激的すぎる。栄養不足の時代に書かれた「よく飯を食いたまえ」という奨めを、肥満が問題になる時代にそのまま読むのは危険だ。

まあ、あの本も、奨めているのは教育ではなくて学問なので、そういう気持ちで読めば感想も変わってくるのかもしれない。面倒だが再読してみるか。

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# by antonin | 2014-07-27 01:45 | Trackback | Comments(0)

林を眺めつ家に住まう

たまたま安敦誌へ漂着した人への便宜のために「記事ランキング」などというものを晒しているが、「メルクマールって何だ」という雑な記事が不動の一位を占めているほかは、時事の流れに沿ってランキングが浮動している。これは、1位だけが統計的に有意な閲覧数に達していて、他はノイズレベルであることを暗に示している。ただまあ、あんまりがっちり固定したリストになるよりは、変化があったほうがブログの持ち主としてはいくらか楽しい。

最近だと、個人情報流出だの国家による監視だののあれこれを伝えるニュースのためか、「本当は怖い占いサイト」というのが上昇トレンドに乗っている。で、読んでみると、いかにも古臭いことが書いてある。日付を見ると2008年の6月とある。もう6年も前の記事だ。それでもブログは日付を調べることができるのでまだいい。で、懐かしくなって前後の記事なども読むと、なかなか面白い。自分で書いた文章の最良の読者は未来の自分だ、なんて話を読んだことがあるが、最近確かにそう思う。誰か他者に向けて書けばそれなりにPVが稼げて世に出たのかもしれないが、ひたすら自分のために書き綴った結果として、今の自分にとって結構面白い読み物となっている。

こういうのを昔は「日記」と呼んで、それを書き付けたノートは物理的に鍵を掛けたりなんかして大事に仕舞ったものだが、現代人は多く開けっぴろげに書く。昔の勤め先の偉い人と飯を食った時、君はブログを書くのかと聞かれて、書きますと答えた。で、面白そうだから読ませてくれないかと聞かれて、嫌ですと断った。じゃあなぜインターネットに公開するのかと聞かれて、知らない人には読まれたいけれど、知っている人には読まれたくないんですと答えた。本心だったけれども、自分でも言葉にして表したのはその時が初めてだったので、やり取りが記憶に残っている。その偉い人も、人がなぜ匿名で日記を書くのか理解できたような気がすると言ってくれた覚えがある。

そして時は流れ、ここは別に有名ブログにはなりはしなかったけれども、インターネットだの検索だのが普及して、一部の知り合いにはこのブログが認知されるようになった。それでも面と向かって「アントンさん、ブログ読みましたよ、大変なことをお考えなんですね」なんて不躾に言ってくる人はいないけれども、まあ、外向きのツラをして歩いていても一部の人には寝言まで聞かれているという状況があって、なんだか窮屈な感じはある。

さて、この2008年だの2007年だのという時期に書いた文章を読むと、なかなか面白い。生活が安定していたのだろう。最近は老化もあるし、焼酎好きの友人も増えたし、無線デバイスが追っかけてきてくだらねぇ情報をのべつ幕無し囁くようになったし、あとコドモも増えたし成長したし、こちらの脳の余力はだいぶ衰えている。入院でもして、瞑想でもするようになったらまた次のピークが来る可能性はないとも言えないが、あの35歳くらいが文章を書く上で自分の頂点だったんだろうなという感じはする。

大学生だった頃、クリスマスにデートをしていて銀座で飯を食っている最中に、なんというか「あ、今って、人生でベスト3に入るくらいに幸せな瞬間なんだろうな」というようなことを考えていた。それから倍近く生きたが、そしてその間に生まれてきたコドモたちには申し訳ないが、あの頃の幸せを超える幸せな瞬間というものにはまだ巡り会っていない。まあ、今後もないだろう。

少し言い訳をさせてもらうと、子供好きの人間にとって、子供が生まれた瞬間というのは喜びよりも責任を感じる不安な瞬間であって、喜びというのはあとからじわじわとやってくる。男親にとっての子供を持つ喜びというのは、あの紫色でしわくちゃで不安を感じさせる生物がいくらか大きくなってから、泣いているのを抱いてゆすってやれば腕の中で眠るようになって、ようやく感じるようなものだから、あんまり瞬間的なものではない。

なんの話だ。そうだ、昔の文章だ。「美とか価値とかそこらへん」とか、このあたりの話が面白いと思ったが、こういうのは検索の上位には上がらない。まあ、それでいいような気はする。現代のインターネットにアクセスする人はそういうのを望んでいる。自分だって読む側に回れば同じだ。

昔の、深夜のナチュラルハイを利用して書いたものを覚めた今になって編集かけるのも面白いかもな、というようなことを考えなくもないけれども、あんまり触らないままにしたほうが面白いのかもしれない。今さらウェブで世界に発信という時代でもなし、むしろ木を隠すには森、というつもりで丁度いいんだろう。メルクマールのアレはさすがに少し手を入れたが、基本的な勘違いはそのままにしてある。読解力のある人が読めば、正しいところは伝わるだろう。というか、本当に誰か辞書的な解説を書けよ。って前も書いたな。自分でやらなきゃ。Wiktionaryひどい。

メルクマール - ウィクショナリー日本語版

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# by antonin | 2014-07-22 23:46 | Trackback | Comments(0)

雑念メモ

たぶんまた薬の具合だと思うが、書きたいことがいろいろと溜まってきた。それぞれ全部吐き出してしまうとそれなりの分量になるが、時間がないので簡単にまとめておく。気が向いたらフルサイズの文章になることもあるかもしれないが、断片でも書き出してしまうと満足してしまうことのほうが多い。ヌーヴォーじゃないボジョレ・ヴィラージュを飲みながらなので、内容が雑なのはそのせいということで。

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薔薇について。

バラはよく愛の象徴などと言うが、自分でバラを育ててみて、ちょっと違った意味でその言葉を解釈するようになった。バラという花は、非常に手がかかる。水も光も肥料もたっぷり必要とするし、無駄に枝が伸びるので適当に剪定などもしてやらないといけない。私などが育てると枯れまくる。街角に花屋があって、いくらかの現金で切り花が買えるようになる以前の世界では、女性にバラの花束をプレゼントできる男性というのは、家に日当たりのよい庭があって、なおかつバラの手入れに手間をかけられる程度に余裕のある家に住んでいるということを暗に示していたのだろう。

こういう言い方を嫌う人は多いかもしれないが、昔のヨーロッパでは、女性の幸せというのは結婚する男性の家にどれほどの余裕があるかで決まる部分が大きかっただろう。男がバラの花束を持てるということは、庭師を雇うだけの裕福さがあるか、さもなければ家事をこなして花まで育てる余裕のある女たちが住んでいるか、さもなければ男が自らの手でバラを育てられる程度に仕事の要領が良いか、このいずれかを知らせる「メルクマール」になっていたのだろう。これを愛の象徴と呼ぶことは、ロマンティックではない即物的解釈だけれども、まあそんなあたりに起源があるんじゃないかと思った。

男の靴が磨かれているかどうかで品定めできる、というあたりもおそらく似た具合のことを指しているのだろう。

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嫉妬について。

過去にも書いたが、小さな劣等感は嫉妬になるが、ある限度を超えて大きくなった劣等感は、尊敬の感情を呼び起こすと思っている。劣等感がなければ親しみになるが、人は日々移ろうもので、親しいと思っていた相手がある日嫉妬の対象になったり、嫉妬の対象だったものがある日尊敬の対象になったりする。よく、有名になったら急にすり寄ってくる人が軽蔑される話を聞くが、そういう人があんまり算盤尽くとは限らなくて、おそらくはこうした心理が働いているんじゃないかと思う。同様に、優越感が小さいと軽侮の情になるが、ある限度を超えると慈愛に近い感情になる。歩けない赤ん坊を軽蔑する大人はあまりいないが、車の運転が下手という程度だと軽蔑の対象になりやすい。

自分の技量と同レベルを中心に置き、そこから縦軸を引いて上方向に劣等感、下方向に優越感を配置すると、中心点の周りに、小さな「親近感」の領域ができる。その外側に「嫉妬と軽蔑」のドーナツ領域があり、その外側には「尊敬と慈愛」の領域がある。同じ音楽の嗜好を持った仲間がバンドを組むと、最初はみんな親しみの領域にあるが、演奏を続けるにしたがって延びる技量と伸びない技量の差が出てくる。そうすると、バンドのメンバーに対して、演奏だとかライブトークだとか、あるいはメイクアップだとか、分野ごとに嫉妬や軽蔑を感じるようになってくる。こういう領域に達すると、「音楽性の違い」だのなんだのと言って解散してしまうのだろう。

本田宗一郎さんと藤沢武夫さんみたいに、最初から互いの得意と不得意を埋め合わせるような関係にある人たちは、それぞれの分野で慈愛と尊敬の念で接することができるので、途中から喧嘩別れすることが少ないのだろう。別分野で頂点を極めた人たちの仲が良いのも、だいたいこういう関係にあるからじゃないかと思う。「嫉妬と軽蔑」のドーナツの幅はその人の心の余裕に反比例するらしいのだが、面倒なのでこの話も終わり。

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天皇制の話。

悠仁親王ご誕生で、継承問題は菊のカーテンの奥へ遠ざかってしまったが、まだまだこの話は崖っぷちにある。というのも、根本的な問題は何一つ解決していないからだ。根本的な問題というのは、天皇ないし皇太子が、複数の妃を持つかどうかということ。

明治以降、皇室は変わり続けてきた。明治天皇は畿内の地を離れて関東の埋め立て地に宮城を移し、大和の御門から大日本の皇帝に立場を変えた。大正天皇は、側室制度を廃止し、キリスト教徒である西欧列強の支配者に野蛮人扱いされない婚姻を選んだ。昭和天皇は皇祖神の直系としての現人神であることを辞め、人間宣言をした。今上天皇は妃選びの血統主義を返上し、民主国家の主権者である平民の娘を妃に選んだ。

だいたいこういう流れがある。で、継承問題で一番重要なのが、大正天皇の選択になる。確率計算から導かれる年数よりはかなり急激に男子が減るという偶然はあったが、どちらにせよ一夫一婦制度と男系による継承の永続というのは数学的に両立できない。なので、今さら伝統を云々するならば、大正天皇の選択を反故にし側室制を復活させるか、あるいは男子を産めないと分かった時点で妃を離縁して若い妃を取り直すかのどちらかの方法で、終身一夫一婦制を廃止するしかない。

万世一系というのが真実だとすると、数学的に見れば数十世代にわたって側室を持ち続けるだけの財と権威が天皇家に続いたことの証明にしかならない。その万世一系にこだわるなら、現代日本の一般市民の常識だとか、キリスト教圏の王家の良識だとか、そのあたりはさておき伝統を重視して側室制度を復活させるべき、という結論になってしまう。いまどき側室に収まるような女性がいるのか、という話になってようやく旧宮家に白羽の矢が立つのだが、こういう逃げようのない論が出ることがなく継承問題が語られるので、気味悪く思っている。氏より育ちと言うし、個人的には、明治以降の変遷を受け入れ女系天皇容認で良いと思う。

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教養とは何か。

簡単に言うと、「話が通じる」ということだと思う。具体的に言うと、有名な物語を鑑賞した経験を指すのだと思う。泣いて馬謖を斬る、という感じで、有名な場面を指すことで細かいことを言わなくても話が通じるための知識を教養と呼ぶ、ただそれだけのことだと思う。今なら、「坊やだからさ」とか「人間がゴミのようだ」とか「僕と契約して~になってよ」とか、そういう物語の断片から言わんとする情景と顛末の暗示を理解できるようなことがそれにあたるのだろう。現代的には科学や工学や経済の理論だとか、あるいは数学の定理などの背景も知っていたほうがいいのかもしれないが、これはやや飾りの部類に入るかもしれない。

金持ってそうな人と愉快な会話を楽しめるだけの知識。限りなく下品に言えばそういうことになる。

終わり。

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細かい連想、妄想の類はもっといっぱいあるのだけれど、今日はこのあたりで気が済んだ。

図書館に山本夏彦さんのコラムをまとめた本を探しに行ったら、山本七平さんとの対談集(「正論」の昭和58年あたりの連載記事)が再出版されたものがあり、面白いので借りてみた。今から30年くらい前の話で、明治初期とか幕末がぎりぎり肌感覚として理解できる時代として語られていた。昭和末期ってそんな感じだったのか。なんにせよ語り口が面白い。狩られる前の言葉などもふんだんに出てくる。まあ、立小便が男らしいと思われていた時代の話でもあり、現代の品の良さとトレードオフの関係にある愉快さでもあるので、あんまり手放しに称揚したくはないが、ここだけ切り出せば昭和というのは楽しい時代だったのだなあと思った。

デカルトさんが、古典を読むことで過去に旅できるが、あんまり過去に入り浸ると現代で異邦人になってしまうというようなことを書いていた。杉浦日向子さんの作品なども読んでいるが、あちらに魅せられて、確かに異邦人だったなと思う。ついには魂抜かれちまったんじゃないかという最期でもあったし。それはそれで幸せな生き方にも見えるが。

意地悪は死なず 夏彦・七平対談―山本夏彦とその時代〈2〉 (山本夏彦とその時代 2)

山本 夏彦,山本 七平/ワック

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合葬 (ちくま文庫)

杉浦 日向子/筑摩書房

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# by antonin | 2014-07-08 23:33 | Trackback | Comments(0)

続・床屋談義

一つ目の大学を卒業するときに、体育系サークルの部室の前で卒業生と思しき連中が花束を持っているのを見て、こういうときだけは体育会系が羨ましいな、みたいなことを言ってしまった。後日、催促したような形になったが、サークルにいた1年次の女の子2人から花をもらった。枯れるのを待つだけの切り花が嫌い、みたいなことは酒の席で漏らしていたんだろう、2人とも鉢植えの小さな花をくれた。この鉢植え2つは、初めて一人暮らしするアパートでの生活で、いい慰めになった。

その後輩のうち一人は話すと長くなるので置いておくとして、もう一人のくれた花がアッツ桜という花だった。名前の由来を調べると、ベーリング諸島のひとつ、アッツ島の名前を引いたものだけれども、この花の原産地は雪も積もらせることもできない寒風吹き荒れる島ではなくて、南アフリカのあたりだという。当然こんな名前で呼ぶのも日本だけらしい。

アッツ島というのは、ミッドウェー海戦の少し前に、キスカとともに日本軍が占領し、航空基地を整備した場所らしい。ミッドウェー海戦がああいう結果になって、キスカとアッツも撤退必至だったのだけれども、東にあってアメリカ本土に近いキスカのほうが先に落とされると、日本軍はそう考えていたらしい。キスカのほうは、深い霧という天候にも助けられて、現代人から見る旧軍の印象に反して、極めて人命重視の完璧な撤退に成功したらしい。そして、無人になったキスカに上陸した米軍は、現代人から見た米軍の印象に反して、全く言葉の通じない敵である日本軍への恐怖から、無人の島に対してかなり恥ずかしい上陸作戦をしてしまったらしい。このあたり、ドナルド・キーンさんの自伝的作品にも記述が出てくるという。

一方のアッツは、日露戦争時代から軍属という指揮官が率いる艦隊による救出作戦が決行されたものの、この司令官が当時の帝国海軍のセオリー通りの安全策を取ったため、艦隊は途中で引き返してしまう。そしてアッツはキスカと同時に攻められ、結局二度目の救出作戦が行われることはなかった。ベーリング諸島撤退のタイミングは終戦までまだ間のある時期だったので、この司令官は現場を放逐されたものの、南洋庁がらみの閑職に就いてそれなりに恵まれたその後を送ったらしい。

で、アッツ島(熱田島)は、戦時中の東京でもちょっとした神事が執り行われるくらい、壮絶に玉砕したという。このアッツ島の玉砕はひとつのロールモデルになって硫黄島の戦闘にも影響したらしいが、とにかく最後の一兵卒に近いところまで戦い抜き、ほぼ全滅となった。日本語の文脈ではアッツ島の全滅は日本人の生真面目さと自己犠牲的な強さを示す美談となったのだけれども、米軍から見ると、戦闘開始前から完敗が予想されて士気が下がって当然という文脈で、気味の悪いほどの善戦を見せる日本軍への、職業軍人としての賞賛と、尊厳ある人間としての軽蔑が入り混じった、奇妙な畏怖の感情で語られるものらしい。

そしてその後はサイパンでも硫黄島でも沖縄でも、文明国の先輩であった米軍は、文明国の新入りである日本人たちが奇妙な土着信仰の表れのような異様な死に様で斃れていくのを目にしていくことになる。当然そこでも奇妙な畏怖の感情が強まって、最終的にはこの敵と面と向かって戦うべきではないという結論になる。その結論が高高度爆撃機からの焼夷弾投下であるとか、新型原子爆弾の投下であるとか、そういう戦い方を導いていく。焼夷弾や原爆でも落とさない限りまともな勝ち方はできないというところまで米軍を追い詰めたのは、おそらく熱田島や硫黄島で玉砕した英霊たちなのであって、これは日本の普通の市民からすると色々と複雑な気持ちにならざるを得ない。

日本人は負け方を知らないというのは確かにその通りで、いやまあ、知ってはいるのだけども、それはキリスト教圏の内部で行われていたようなノーサイドに至る負け方ではなくて、生き恥をさらすくらいなら潔く散るという日本的な負け方でしかない。事業で失敗したら親族を巻き込んで路頭に迷うし、会社に損害を与えたらネクタイで首を括ったりする、今も脈々と受け継がれる日本人らしいスタイルになる。これは、アメリカ的な文脈で言えば、「負け方を知らない」という話になるんだろう。ヨーロッパ人がこのあたりについてどういう感覚を持っているのかというのは、正直よくわからない。アメリカ人に多いのが上京した三男坊のメンタリティだとすると、ヨーロッパ人の中には敢えて先祖伝来の地に残った惣家のボンのメンタリティもあるので、意外に地方在住の日本人に近い部分もある。

google earthなどを見ると、アッツ島の比較的高精細の空撮映像を見ることができる。現在のアッツ島は合衆国最西端の領地となっていて、ちょっと先にはロシア最東端の島がある。こちらは自然動物の楽園となっていて、生態学の研究者がときどき訪れる程度のアクティビティになっているらしいが、アッツ島には現役の米軍基地が存在する。日本軍が整備したらしい4本の滑走路のうち2本は放棄されているが、2本はそれなりに使える状態で保守されている。

そして空港から延びる道路を辿っていくと、途中からは痕跡のようなものになってしまうものが多いのだけれど、その道に沿って、兵舎やタコツボと思しき遺構が点々と並んでいる。アッツ島のその部分はもう放棄されているのだろう、日本軍が加工した地形がほぼそのまま残っている。そういう気味の悪い土地で、米軍のごくごく小さな基地が今でも運用されているらしい。

生き馬の目を抜くビジネスの世界で、孫子を引いて「巧遅は拙速に如かず」みたいなことが語られる。確かに初動においては拙速が必勝なんだけれども、ある程度の持続戦になると、結局は巧遅が追いつき、そして追い越していく。フェーズを正しくとらえて、それに合わせて随時変えていくということなんだけれど、大人というのはそうそう変われない生き物で、拙速が得意な人はいつまでも拙速だし、巧遅が得意な人は最初からずっと巧遅で、結局は適材適所のマネジメント力でそのあたりをカバーするしかない。

憲法のアレも、改憲を断固として受け入れない頑固者がいる以上、現実にはああした解決しか方法がない。「自衛」というなら、「自」とは何かと問うとき、国家と違って自明でない「集団とは何か」の定義がないのは非常に危険だと思っているが、それはまた水準が違う話だろう。私は、原発を安全神話の牙城にして、結果として爆発にまで追い込んだ原因の半分は頑固で聞く耳を持たない反原発派にあると思っているし、憲法が行政解釈であんなboundの外まで引きずられてしまった原因の半分は、やはり聞く耳を持たない護憲派にあると思っている。で、それはそれで、ある視点から見ればしっかりとした正義なのだけれど、やりすぎたために墓穴を掘っているし、そして事後でさえ自分たちに罪はないと思っているあたり、非常に罪深いと思う。

祖国のために戦った父祖の気持ちに報いよ、みたいな抒情的な考え方はあっていいとは思うけれども、結局彼らは限度を知らなかったために日本を滅ぼしかけたという面もある。馬鹿にするわけではないけれども、その死を無駄にしないためにも、本気で戦闘をするつもりなら、負け方のほうも史実からしっかりと研究しておいたほうがいいのではないかと思う。

アッツ島 - google map

アッツ島の戦い - Wikipedia

▶ 玉砕 ~甦らぬ英霊二百万~ アッツ島・キスカ島 - YouTube

ねずさんの ひとりごと アッツ桜

戦争画リターンズ

床屋談義 : 安敦誌

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# by antonin | 2014-07-07 02:48 | Trackback | Comments(0)

web 3.0へ

エキサイトブログが10周年だということで、10年前に雨後の竹の子のように現れた無料ブログサービスの中では先頭集団最後尾あたりに位置したエキサイトブログが、やはりブログ10周年イベントの流れにやや周回遅れで登場してきたが、当時の時流との微妙な位置関係を10年ぶりに再現していて面白い。私も10年前の7月の終わりに最初の投稿をしたのだけれども、実は2004年の7月にサービスインしたのはエキサイトブログ正式版のほうで、ベータサービスのほうはもっと早くから始まっていた。

だから、本格的に登場し始めたブログサービスを比較吟味していたようなタイプの人たちは、このベータサービス時代からブログを開始しており、既に10年を少し超える経歴を持っている。もっとも、そういう時期にエキサイトブログを味見した人で、今もそれなりにエキサイトブログを使い続けている人というのはあまり多くはないので、そういう人達の意見を探すのは難しいかもしれない。

web 2.0ブームの時に話題になったサービスを指して「終わった」と語る人も多いけれども、「その」サービスに限らず、web 2.0的な、社会的な構造をぶち破って世界中をフラットな関係で結ぶ、といった理念が全体的に終わっている状況なんだと思う。当時のwebというのは、結局はコンピュータを使って情報を摂取したり提供したりすることが大好きな集団のたまり場だったわけで、インターネットを利用しているということそのものがある階層をフィルタリングできていた。ところが、スマートフォンなどを介して、かなり広い階層から様々な属性を持った人が無差別にweb 2.0の世界に流入することで、構造のないフラットなネットワークが色々と無用の問題を引き起こすようになった。今後は、ネットの世界にも実社会と似た構造を再現した、フラットではなくwell structuredなweb 3.0が必要になってくるし、必要である以上は程なくしてそういうものが作られるだろう。

個人的には、書籍のような静的な情報が上がっていたweb 1.0が、テレビや新聞と同じような動的で揮発性の情報を主体とするweb 2.0の時代に入った時点で結構白けた気分になっていて、blogでも好んでweb 1.0的な資料サイトを検索で拾っては記録していたころがあった。最近ではそういう資料にリンクするのも面倒になって、時事ネタを肴に無責任なオピニオンばっかり並べるようになったが、こういうあたりが死にかけのweb 2.xっぽくて、それはそれで気に入っていた。

これから登場するweb 3.0はおそらく実用的だが、web 2.0のようにオープンではないし、web 2.0のような狂った祝祭的感覚もないだろうから、あまり語り好きの人々の話題に上ることもないだろう。そしてweb 2.0の狂った熱狂は、技術的な熱狂期に人生のピークを重ねた人々によって、ノスタルジックに語られるようになるに違いない。フリーソフトが流通していた時代のPC文化だとか、マルクスや少年マガジンを小脇に抱えつつ政治を論じていた学生文化のように。

成熟とは素晴らしいことだが、退屈な場合も多い。退屈になりきらない偉人もいるが、そういう人は希少だからこそ偉人として尊重される。人類は月の次に木星を目指したりしなかったが、通信衛星や気象衛星などは当たり前のように現在の私たちの生活を支えている。そこに情熱的なドラマを見出すのは難しいが、サターンVよりもずっと洗練されている。web も今や成熟した産業であり、重要ではあるが保守的で地味な分野になっていくだろう。かつての鉄道のように、かつての自動車のように、情報通信はあこがれの存在から空気のような存在になっていくだろう。

さて、その次には何が来るのか。いま最右翼にあるのは生命技術だけれども、それが爛熟期を迎えるころには、チャペックが初めてロボットを描いた時のように人工生命の創造に手を染めたりするんだろうか。シド・ミードが描いたような退廃的な都市風景はないにしても、レプリカント的なものを生み出したりするんだろうか。あるいは、生命技術は最初から補助臓器のような地に足の着いた地味なもので満足するんだろうか。まあ、そのあたりは分からない。

映画「メトロポリス」に現れたような流線型の未来型車両が、空想の産物ではなくて当時実際に流行した鉄道車両をモデルとしていて、蒸気機関の末期には時速200kmを超える機関車も登場したなんていう話もしたくなったが、それはまた別の機会に取っておこう。

ある程度人生が長くなると、自分が子供のころの出来事が、歴史の一幕と思える程度に昔の出来事になる。隆盛を誇った文化が成熟して焚火から炭火のように変化していく様子も目に見えるようになる。私はまだアポロ計画が終わりきらないうちに生まれたけれども、自分が生まれる前にアポロ11号が月に到達してしまったことを悔しがるような時期があった。大阪万博が終わってから生まれたことを悔しがるようなこともあった。

twitterに間に合わなかった世代が果たしてそれを悔しがるような時代が来るんだろうか。あんまりそういう気がしないのだけれども、web 2.0の熱狂をノスタルジックに語る世代に育てられた子供は、ひょっとすると規制に縛られることで実用的になったweb 3.0に失望して、あるいはそういう懐古的な悔しがり方をするのかもしれない。

安倍総理率いるネトウヨたちの粋がりも、日清・日露戦争の熱狂に乗り遅れたことを悔しがっただろう昭和初期の青年将校たちと同じで、まあだいたいそんなあたりに位置しているんじゃないかと思う。戦争が大嫌いだと思っている私でも、子供のころには飛行機に乗って銃撃しまくるゲームで遊んでいたし、歴史小説で捨て身の総攻撃をするシーンを読めば、ちゃんとアドレナリンが噴出してきて、作中のBerserkerたちに感情移入できる。結局、ホモサピエンスのオスというのはそういうふうにできている。ディテールの汚さが忘れられる時代になると、こういう揺り戻しはある程度必然なんだろう。

今から20年後、web 2.0の熱狂があった「古き良き時代」を懐かしむ作品が作られ、時の若者たちはそれを見て白ける。更に30年後、その作品が半ば史実としてサブカルチャー好きの若者の憧れの対象となり、せっかく成熟したweb 3.0に対して、フラット化したwebの再興を謀る過激派が現れる。そういう時代の循環が見られるなら、それはそれで楽しそうではあるが。

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# by antonin | 2014-07-06 23:00 | Trackback | Comments(0)


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