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コンピューターの曲がり角に想う(2)

この記事は「コンピューターの曲がり角に想う(1)」の続きです。

さて、マルチコアというと連想するのがPLAYSTATION3のプロセッサである、通称"Cell"だが、あれは、果たしてどうなんでしょう。SCEIの久夛良木さんは、PLAYSTATIOM3は「ゲーム機」ではなくて「エンターテイメントコンピューター」であると言っている。

たしかPlayStation2のときも似たようなことを言っていた記憶があるけれども、PS2に搭載された"Emotion Engine"というプロセッサは、PSXなど一部のソニー製品に搭載されたものの期待された売り上げを得られず、事実上ゲーム専用プロセッサとしてその役割を終えようとしている。

Cellは確かに非常に強力なプロセッサであり、潜在能力としては申し分ないのだが、PS3がゲーム機の枠を越えたコンピュータになり、Cellがゲーム機のプロセッサを超えてネットワークのいたるところに遍在するという久夛良木さんの野望はというと、ちょっと実現が危ないと思う。ただし、ソニーグループはこのCellとPS3に5千億円ともいわれる大投資をしているので、失敗は許されないのだが、大丈夫だろうか。

PS3の発売が遅れに遅れている上に、ゲーム機として4万円前後の値段が予想されていた中、廉価グレードでさえ税込み62,790円という価格発表で記者会見場が凍りついた挙句、発売前に値下げ断行という前代未聞の事態になった。

SCEIは(というより久夛良木さんが)IBMと東芝のエンジニアを集めて独自のアーキテクチャを持つ非対称マルチコアのプロセッサを作ったが、そこにつぎ込んだ投資額の前提は全て、「1000万台は楽に超える」というPS2の量産原理に基づいている。たとえ野望は「エンターテイメントコンピューター」であっても、初期の市場立ち上げはゲーム機プラスアルファで進めるべきだろう。

PS2の時は、当時普及していたPS1のソフトが使えて、次世代のPS2のソフトも遊べて、なおかつ当時はまだ高かったDVDプレーヤーがおまけで付いてきて、なおかつ手ごろな値段ということがあって、PS2専用ソフトが充実する前からそれなりにPS2本体は普及していた。ところがPS3の場合、PS2のソフトはエミュレーションで遊べるが、PS3専用ソフトが出揃うまでの間をつなぐ「おまけ」が、得体の知れない「ブルーレイディスク」プレーヤーになった。

こいつはPS2のときのDVDプレーヤー機能が果たした役割を当然期待されているのと同時に、結局統一規格をまとめられなかった、もう一方の次世代DVDである"HD DVD"をやり込めるための飛び道具という役割も持っているため、ソニーグループとしては絶対に外せない機能なのだろう。(結局こいつがPS3に2度目の発売延期を余儀なくさせた原因になっているらしいのだが、それはまた別の話)

また、「PS3不発説」でよく語られる理由のひとつに、PS3の性能(と価格)に見合った豪華絢爛さが当然のように要求されるPS3専用ゲームの開発コストが危険なほど高騰するだろう、という話があげられる。その影で密かに語られるもうひとつの理由として、Cellの「斬新さ」がある。

PS2のアーキテクチャにしても、それまでのゲーム機ともPCとも違う特殊なものだったので、初期にはゲームプログラマを随分と悩ましたらしいが、PS3の、特にCellの構造は、従来のプロセッサと根本的に違う独自のものだ。IBMのPower Processor互換命令を実行するPPEはともかく、小さなローカルメモリを抱えてリングバスにつながれたSPEという名の「7人の小人さんたち」の扱いには、PS2で鍛えられた精鋭プログラマでも相当苦労するらしい。という以前に、ゲームメーカー向けに開発環境そのものを開発するSCEIの開発部隊が、一番苦戦しているらしい。

こうした状況下で、果たしてPS3とCellは世界中の家庭に普及するのか。ゲーム機の枠を越えて、パソコンの次に君臨するべき「エンターテイメントコンピューター」の座を射止めることができるのか。もしそれが実現したら、それはそれで楽しい世の中なのだが、せっかくの混乱期なので、もうちょっと別の可能性も想像してみたくなった。

以下、次項。

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安敦誌 : コンピューターの曲がり角に想う(1)
安敦誌 : コンピューターの曲がり角に想う(2)
安敦誌 : コンピューターの曲がり角に想う(3)
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by antonin | 2006-09-29 00:29 | Trackback(2) | Comments(0)

コンピューターの曲がり角に想う(1)

最近、プロセッサ(パソコンのCPUなど)の進化の様子がどんどん変化していて面白い。

従来は、ムーアの法則といって、2年だか1年半だかでICチップの集積度(面積あたりのトランジスタ数)が2倍になるという、法則というかロードマップのようなものに乗って、プロセッサもどんどん大規模になっていった。この法則自体はもうしばらく続いていくようだけれども、これまではただ集積度が上がって大規模になるだけではなくて、高速になる(クロック周波数が上がる)、同じ機能ならチップ面積が小さくなってコストも下がるし消費電力も小さくなるなど、とにかくいいことばかりだった。生産技術的には難しくなっても、見返りはそれ以上に大きかった。

ムーアの法則に乗り続けてきた約30年間は、必ずしも平坦な道のりではなかった。たとえばプロセスルールが1ミクロンを切るときなどに、このあたりが微細化の限界なんじゃないかと言われていた。けれども当時は、これ以上の微細化は技術的に難しすぎて、ムーアの法則から外れるんじゃないかという懸念だった。結局世界の半導体業界はなんとか新技術を開発して、そうした危機を乗り切ってムーアの法則を守り通してきた。ところが最近は、これまで気にならなかった微細化のデメリットが目立つようになってきた。

現在の量産レベルで最先端にあたる90ナノメートルのプロセスルールあたりから、微細化にともなうメリットがどんどん無くなってきているらしい。たとえば、微細化してもゲートあたりの消費電力が下がらないとか、発熱密度が上がりすぎて冷却できないとか、マスクコストが高くなりすぎて相当な生産量が出ないとコストが下がらないとか、トランジスタの動作可能な周波数は上がっているのに配線遅延の影響が大きくなりすぎて同期の取れる範囲が小さくなっているとか、他にも閾値電圧のばらつき、パッケージコスト、低速な外部配線など、たくさんの問題が噴出してきているらしい。

つまり、今後もこれまでのような微細化は可能だけれども、必ずしもこれまでと同じメリットを生まなくなってきている。腕時計からスーパーコンピュータまで、みんな同じ目標に向かって走ってきた時代から、用途によって、皆それぞれの道を歩く時代に変わっていくのだと思う。上記はプロセッサを含むロジック回路の話であって、メモリとかはまだまだ微細化の価値があるらしいのだけれども、とにかく、進む道が分かれていくのは確かだろう。

そういった素子のレベルの話だけではなくて、身近なパソコンのプロセッサでも進化の様子が変化している。PC用プロセッサが32bitになった頃までは、Intelを先頭にAMDやCyrixなどが競い合っていたが、その頃からプロセッサの性能イコール動作周波数という認識が一般の消費者に広まって、クロック競争が始まった。IntelはPentium IIIのあとがまとしてPentium4を開発したけれども、これは処理能力はともかくクロックだけは抜群に速いという設計であった。これが功を奏して、一時期はIntel以外の高機能プロセッサメーカは絶滅するかという勢いだった。

日本ではいまだにその状態が続いているのだけれど、アメリカなどでは、今ではデスクトップPCの半数以上がAMDのプロセッサを積んでいるのだという。これは現在の話なので皆さんご存知だと思うけれども、Pentium4のクロック周波数うなぎ登り計画は、当初開発者が20GHzまではいけると豪語していたにもかかわらず、4GHz手前で終わってしまった。理由は周知のとおり、電力消費とその結果である発熱が消費者の我慢の限界を超えてしまったからだ。

AMDはPentium4の路線を追いかけることをしないで、クロックあたりの処理能力を高める方向で地道に挽回の日を待っていた。この間にAMDは、64bit命令への拡張だとか、マルチコアの採用だとか、今注目されている機能を着実に積み重ねていた。どちらも、結局Intelが後追いをすることになった。

で、早くもIntelは4コアチップの開発を発表していたり、将来は100コアを目指すとかまた極端なことを言っているのだけれども、とにかく最近の高機能プロセッサの主流はマルチコアということで落ち着いている。

長くなったので項を改めます。

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安敦誌 : コンピューターの曲がり角に想う(1)
安敦誌 : コンピューターの曲がり角に想う(2)
安敦誌 : コンピューターの曲がり角に想う(3)
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by antonin | 2006-09-28 23:45 | Trackback | Comments(2)

越年雑念

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

昨年末は酔いが深くなった通例で妄言を吐きましたが、暖かき読者の皆様におかれましては、変わらず黙殺して頂きまして誠にありがとうございました。あれから自分でも読み返してみてツッコミどころが多くて悶絶してしまったのですが、少々の箇条書きで自己反論を記すにとどめておきます。

・システムの複雑度による理解の困難を理由とするなら、人間の脳ではなく類人猿や家畜程度の哺乳類の脳を研究することにより脳の理解が可能と言えてしまう。

・脳の理解の難しさはその規模よりはむしろ、個別の細胞単位の「動作環境での」活動観測や信号伝搬の観測など、観測・計測系の問題が現段階では大きい。

・脳が人間より大きく、運動能力が退化した生体のアイデアは、「宇宙人」のモデルとしてしばしば見られるグレイ・タイプをはじめとして、SFでは古くから用いられている。


ただし、そうした反論はあるにせよ、自分の子供に無理矢理にも「学力」を望み続けてきたこの国ではあるので、「論理的思考力」や「理性による自律」などを司る遺伝子のありかが示されたり、一部で肯定的な先行事例などが公にされたりしたら、私たちの子孫はそうした遺伝子操作に「プチ整形」以上の関心を示さないと言えるかという問題もあります。


今こうして文章を記入している時間帯、日本の電力のかなりの部分を原子力発電が負っています。原子力発電所は出力調整実験に失敗して以来、ほとんど一定出力で発電を行っていますが、電力消費には大きな日内変動があります。その変動分は主に火力発電がまかない、固定分は主に原子力発電がまかなっているので、電力消費の少ない夜間は必然的に原子力発電の比率が高まってきます。

しかし、こうした原子力エネルギーも、未来を開く夢のエネルギーと目されたり、生命を破滅に導く悪魔の技術と恨まれたり、両極端の評価から発達史を始めました。現在では制御の方法も成熟し、事故事例によるデメリットの様子もかなり明らかになってきました。

遺伝子技術も、現在は作用機構が十分に明らかにされていない状態で操作だけが一部可能になってしまったことから、倫理的に厳しい規制がひかれ、先進的な実験結果に対しては感情的な反応も起こっています。しかし、この技術も核反応の技術同様、機構が解明され、実験事例が蓄積されるに従い、おこなって良いこととおこなってはならないことが次第に明らかになってくるでしょう。

そうして脳に影響する遺伝子操作が解禁されると、世代間のギャップが現在のような文化的なギャップではなく、生まれた時代の技術レベルや技術の流行に左右された脳という、先天的で器質的なギャップになる可能性も考えられるでしょう。その器質的な差はたとえ小さなものであっても、これまでに起こってきたいかなる相互不理解よりも大きなものを引き起こしてしまうような気がします。それは、いったいどのような形で現れるでしょうか。


酒を飲んでいなくても結局妄想になってしまいましたが、今年も読む人を省みない独白を続けてまいる所存ですので、皆様暖かく黙殺の程御願い申し上げ奉りまする。
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by antonin | 2006-01-04 22:41 | Trackback | Comments(2)

雑念記

旧友となかなか面白い遊びをしてまいりまして、ただいま帰り着きました。不覚にもカメラを持たずに家を出てしまったため、レポートは後日改めることとします。

当然というかなんというか酒も入り、そうして家に帰るといつもそうなのですが、酩酊を過ぎてアルデヒドか何かの覚醒効果で眠れなくなっております。そうしたときは、平常時とも違う、酩酊時とも違う、ちょっとした脳味噌のフリーラン状態になってしまい、つまらないことをいろいろと考えてしまいます。まぁ単なる不眠のときでも似たような状態ではあるので、安敦誌のいつもの書き物と大差無いものでもあるのですが、少々夢見がちな内容になるので戯れに書き記してみます。


「人類を超える知性の創造に関する一考察」

人類を超える知性としてSF的想像を働かせると、第一に思いつくのは、小説「2001年宇宙の旅」における地球外の知性体でしょうか。第二には、超大型の中央コンピューターでしょうか。しかし、吟醸酒の賜物で思いついたのは、生命工学的産物としての知性でした。

過去、人間の魂の本質は脳を中心とした神経組織における電気化学的な一連の反応であるということが明らかになり、人間の脳を解析することにより知性の具体的原理を探り、またそれを模倣することにより人工的な知性、いわゆる人工知能を実現しようとする研究が20世紀に何度かの研究ピークを迎えました。

しかし、そのことごとくが人間の知性には程遠いレベルに終わり、あるいは人間知性の原理を解明し利用することは無理なのではないかという気分も、学術世界に繰り返し蓄積していきました。それでも個人的直感としては、いずれは神経細胞の膜電位の挙動や、パーセプトロンなどの原始的な超並列ネットワークを大規模に模倣するための技術的ブレークスルーが実現され、文字通りの人工知能が実現できると予感しています。

現在のニューラルネットワーク(神経網)方式の人工知能研究では、ソフトウェア的なシミュレーションか、現在のコンピューターで利用されている平面型の半導体による実装しか実現されておらず、ニューロン(神経細胞)やシナプス(神経細胞間の結節部)の数が人間の神経組織に比べて桁違いに小さい規模に留まっています。これを、三次元化し、人間の脳に匹敵する規模に編成できれば、かなり有効な実験ができるでしょう。

しかし、それには従来の研究方法では途方もない時間の先にしか到達が不可能であるという直感もあります。その一方で、人類はすでに別の鍵、遺伝子工学という技術を手に入れつつあります。先ごろ一人の人間のDNA中塩基配列の解読が完了し、そうして作られたビット列的な辞書にタンパク合成から生体の形質発現に至る、生理学的な意味付けを行う段階に入りました。

この、遺伝子工学的ルートから、人間の脳の挙動を解明することは難しいでしょう。その過程は、おそらく「複雑系」の極みであると思われるからです。それに対し「脳の大きさや形状に関係する遺伝子」を探し出すことは、それほど難しいことではないかもしれません。

ここからは生命倫理的な背景を無視したSF的仮想になりますが、その仮想を提示する前にこの操作の意味合いについて記しておきます。

まず、人間の脳を理解することの難しさは、それを理解するのが人間であるという点に由来しているように思います。というのも、人間は一人ひとり脳の大きさが違うものの、例えば病的でない範囲で一番大きな脳を持った成人と、病的でない範囲で一番小さい脳を持った成人を比較しても、平均的な人間と高等類人猿であるチンパンジーの脳の大きさほどの違いもないでしょう。

そして、そのばらつきの範囲内では、脳の大きい人ほど知性が高いという証拠も得られていません。脳全体の大きさだけでなく、ネットワークトポロジーや分泌系のバランスなど、多くの要素が人間の知性に影響していることが理由として考えられるでしょう。いわゆる「知性」と「感性」に対する振り分けなどもこうした要素に大きく影響されていると思われます。

そうした、どんぐりの背比べ状態にある人類の脳が、人類の脳自身を理解することができるでしょうか。別の表現をとると、ある回路規模を持ったネットワーク内に、同程度の規模を持つネットワークの動作を記述することができるかという問題です。

これにはひとつの方法があり、ネットワークがシンプルな個別動作と、それを順次つなげていったときの動作を記述すると、結果として全体が記述できるとき、数学的帰納法のような方法で、ネットワーク自体の規模よりずっとシンプルな形で記述することができます。ある時期のニューラルネットワーク的人工知能研究が目指していたのがこうした解です。

しかし、現実の脳はカオス的な複雑さの累積構造を持っており、単純な帰納的方法では記述できないように思います。結果的に、一人の人間は人間の脳について完全な原理を決して理解できないと、荒っぽく推論しました。人間の意識を作っているデバイスである脳の複雑さと同程度の複雑さを持った対象を理解することは不可能であるという予想です。

そうして出てくるのが、先述した遺伝子工学的方法です。人間と類人猿のDNA塩基配列を解析することで、神経系の組織化をコントロールしている遺伝子がある程度抽出できる可能性があります。ここから先はさまざまな意味での危険が伴いますが、工学的な楽観論からすると、脳など中枢神経系の組織ごとの細胞数や軸の長さ、シナプス数などをコントロールできるはずです。

いわゆる「設計された人類」のひとつとして、類人猿と人類との間にも匹敵する神経系規模の違いを持った、新しい生命を作り出すことも、可能性としては現れてきます。いわば、知性に先天的な優位性を持った人工知能ということになります。すると、自分自身と同等の複雑さを持ったシステムの動作を理解できないという、先ほどの予想に現れた制限事項が、ある程度緩くなることになります。

「彼ら」に現行人類の脳を研究してもらうことにより、結果的に電子的な人工知能デバイスを設計することも可能になるかもしれません。遺伝子工学的に神経系の規模を拡大する限界が「彼ら」程度であっても、ネットワーク理論として知的向上を可能とするような規模の拡大原理が明らかになれば、「彼ら」を超える規模の電磁気的な人工知能デバイスを設計することも可能になるかもしれません。

こうして地球に誕生した生命は際限のない知性の爆発的発展という段階を迎えることになります。ここから先は古典的SF世界の脅威論になりますが、こうした仮想的発展が現実的なものになると、現在繁栄を極めている現生人類は、まずは現在のチンパンジーのような位置付けに後退してしまいます。そして「設計された人類」に支配、あるいは保護される存在に堕してしまうでしょう。

これを避けるには二つの方法があります。ひとつは、「設計された人類」を生み出す前に、人間の脳の働きを人間自身がある程度解析できるのを待って、「設計された人類」を人類の脳を研究する知性以外の知能を持たない、現生人類の奴隷的存在として設計する方法です。

もうひとつは、現生人類の道を守ることを選択した個体を除いて、遺伝子操作によって前世代より大規模の神経系を持つ世代へと、果てしないバージョンアップ競争を自ら繰り広げていく方法です。途中で、細胞原理による生命から別の原理による生命へと移行するかもしれません。これにより、「設計された人類」はカッコの取れた人類の直系の末裔となり、カンブリア大爆発以来ともいえる生命進化システムの抜本的転換を迎えることになります。

この、第二の選択肢をとるとすると、冒頭に上げた「2001年宇宙の旅」的な、肉体と天体を超越した全宇宙的な知性へと飛躍してしまう可能性すらあります。もちろん、途中で進化論的ギャンブルの過程により完全に死滅してしまうかもしれませんが。

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といったわけで、年内最後の記事としては妄想炸裂でなんだか恥ずかしい限りですが、まぁ読む人も少ないので別にいいでしょう。来年は4日か5日ごろにまたなにがしか書く予定です。来年も安敦誌をよろしくお願いいたします。

それでは皆様良いお年を。
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by antonin | 2005-12-30 02:59 | Trackback | Comments(6)

エピローグ

産業としてのディジタル化の利点は、2値化した信号だけを扱うことによって素子を単純化・規格化し、機器の信頼性を上げたり、コストを下げたり、小型化したりすることが容易になったというところにあると思います。その一方で、なぜディジタル回路で回路規模を増やすのが有利で、アナログ回路で線形性を上げるのが不利なのかという問題は、なぜ哺乳類が地上を支配する動物になったかというのと同じく、実は進化の偶然から生じた必然というような気がしています。

歴史にifは無しと言いますが、もしディジタル処理に有利なCMOS素子が発明されていなかったら、代わりに線形性を簡単に保証できる素子が発明されていたら、理論的研究も技術開発もアナログ回路向けに発展し、今頃はアナログデバイス全盛の世の中になっていたかもしれません。

最初にネタを振っておいて拾い忘れましたが、銀塩カメラとディジタルカメラの違いのうち、アナログとディジタルの本質とは関係がない違いが、いくつもあります。1)受像器が化学メディア(フィルム)か電子メディア(CCD)か。現像が入らないというのはディジタルの利点ではありません。また、CCD自体はアナログデバイスです。デジカメではCCDが吐き出した電荷によるアナログ信号をディジタル信号に変換しています。

2)受像メディア(CCD)と記録メディア(メモリーカード)の分離。これはあまりメリットがないかもしれません。3)消去・再利用可能な記録メディア。これは便利かもしれませんが、アナログだって可能です。4)シーケンシャル・アクセス・メディアとランダム・アクセス・メディア。フィルムはテープと同じく頭から順番にしか使えませんが、モメリカードは任意の順番で記録・再生ができます。5)その場で確認できる液晶ディスプレイの搭載。消去可能なメディアが生きるにはこれが欠かせませんが、これもアナログだってできます。8mmビデオカメラでは実際やっていました。

800万画素CCD(あるいはCMOSセンサーでもいいですが)搭載、液晶でその場で確認でき、書き換え型光ディスクにパルス幅変調かパルス位相変調で記録するけど、一切ディジタル技術を使わない完全電子武装のアナログカメラとかがあったらかっこいいかもしれません。値段が思いきり高そうですが。あと見てみたいのは、銀塩フィルムにレーザーでディジタル記録するカメラ。ウェットプロセスで定着・現像しないと読み出せません。意味ないですか。

「ディジタルとアナログってなんだろう」の(3)と(4)を公開する間に「スターウォーズ シスの復讐」を見てきました。ディジタルの本質はともかく、現在のディジタル技術がもてはやされる理由は、今回あまり述べなかった「計算可能性」に尽きるような感じですね。撮影した映像の編集だけでなく、計算で映像を作り出すCG合成も一大産業になりました。MPEGなどの圧縮技術は計算によって人間が捕らえやすい情報を抽出することで、情報源エントロピーの限界を超える圧縮を実現して、2時間ほどの映画を容量10GBに満たないDVDサイズに収めています。

マイクロプロセッサの動作周波数など、従来のディジタル半導体技術がそろそろ限界を迎えつつありますが、それは同時に新たなブレークスルーが起こる前兆とも考えられ、先の展開が楽しみです。現在の電子回路は電子の統計的な性質を利用したものがほとんどですが、量子力学の世界に住む粒子そのものの性質を使って物理的にディジタル処理を行う量子情報処理の研究なども、少しずつ成果が見え始めてきました。

最近あまり聞かなくなった高温超伝導ですが、こつこつと研究は進められていて、実は高温超伝導材料が特性的にもコスト的にも実用に一歩ずつ近づいているそうです。現在は船舶モーターなどの大型構造物に適用されているようですが、半導体プロセスに使えるような高温超伝導素子が実現すれば、IBMが開発を放棄したジョセフソン素子や、電子などフェルミ粒子の量子効果を使った演算・記憶素子が、あらためて実現するかもしれません。今後の研究に期待します。

駄文に長らくお付き合い頂きありがとうございました。

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ディジタルとアナログってなんだろう(1)
ディジタルとアナログってなんだろう(2)
ディジタルとアナログってなんだろう(3)
ディジタルとアナログってなんだろう(4)
エピローグ
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by antonin | 2005-07-20 00:28 | Trackback | Comments(0)

ディジタルとアナログってなんだろう(4)

アナログ信号を飛び飛びの標本値に変換しても元の連続値が完全に復元できる根拠が標本化定理という数学的な定理にあるという説明を前回しました。この定理は1920年代にAT&T(アメリカ電話電信会社)のベル研究所に在籍していた研究者ハリー・ナイキストにより提案され、1949年に同研究所のクロード・シャノンにより証明されました。

標本化定理と並んで、現在のディジタル機器を支えている理論が、標本化定理の証明と同時期にシャノンが発表した二つの数学的な定理です。ひとつは「情報源符号化定理」あるいは「シャノンの第一基本定理」と呼ばれるもので、もうひとつは「通信路符号化定理」あるいは「シャノンの第二基本定理」と呼ばれるものです。

参考:「情報通信メモ」より「平均情報量 エントロピー

参考:"Bell Labs"より"A Mathematical Theory of Communication"(英文・PDF)
(クロード・シャノンが1948年に発表した論文。「通信の数学的理論」)

情報源符号化定理のほうは、ある情報源が持つ情報量を「ビット(bit)」という単位で定義し、この別名「情報源エントロピー」という情報量の大きさまで通信符号の大きさ(単位はビット)を小さくできる可能性があるという定理です。

一方の通信路符号化定理は、通信路の容量(単位はビット/毎秒)を周波数帯域(Band Width)と信号対雑音比(Singal/Noise Ratio)から定義し、この通信路容量までは、誤りなく通信をおこなう方法が存在する可能性があるという定理です。

どちらも、取り扱う信号に有限の情報量を、言い換えると有限個の記号を使うことを前提としています。つまり、解釈上は無限の可能性を扱っているアナログ方式では、この二つの定理の強力なメリットを享受できません。一方で、有限の数値(または記号)を扱うディジタル方式ではこのメリットを享受できます。これが、現在ディジタル信号処理が非常に活躍している背景になっていると考えられます。

このディジタル信号処理のメリットのうち、「誤差訂正可能性」、つまり誤りなく通信をおこなう方法の具体的な例をいくつか見てみます。

まずは、閾値(「いきち」または「しきいち」,"Threshold")を使ったノイズの除去です。音楽CD(CD-DA)の符号化方式では音声信号を65536段階に量子化しますが、これを2進数に変換すると16桁になります。つまり、0と1の2段階しかとらない信号(ビット)が16個集まった信号に変換できます。現在ほとんどのディジタル回路はこのような2値信号を使用しています。この2値信号を回路電圧で表すとすると、0と1を表す2種類の電圧の区別さえ付けばよいことになります。実際の回路上の電圧は外部からの電磁場などによって信号波形が乱れます。このとき2種類の電圧さえ区別が付けばよいことを利用して、0と1を現す電圧の中間に、0と1を分ける境界線を引きます。これを閾値と呼びます。

具体的には、0が0V(ボルト)、1が1Vとすると、その中間の0.5Vを閾値にすることができます。信号が崩れると、0Vまたは1Vの信号に誤差が加わります。誤差が乗った信号の受信側では、信号が0か1かを読み取るタイミングで回路電圧が0.5V以上であれば1と解釈し、0.5V未満であれば0とすることで、多少信号が崩れていてもビットで表された情報は復元できます。この情報の復元は、信号を2個の記号と割り切って解釈することで初めてできることです。

上の例では、誤差が0.5V以上加わった場合は回路電圧が閾値を超えてしまい、間違ったビットが復元されてしまいます。最初の「誤差訂正可能性」の説明でも例を出しましたが、記号的解釈をするディジタル信号では、閾値を使って数値に変換した後でも誤差を修復する方法が知られています。実際には、先に例に挙げたような多数決式の誤差訂正はほとんど用いられず、パリティ・ビットや畳み込み符号といった手法を応用した符号化技術が一般的です。しかし基本的には、どれも元の情報を伝えるのに最低限必要な記号より多くの記号を用意して情報を伝える、「冗長符号」と呼ばれるものの一種です。

参考:「実体験から始める情報講座」より「誤り制御(パリティチェック)

こうした誤差訂正可能性は、現在わかっている理論の範囲ではディジタル信号に特有の性質だと考えられます。音や光などの原情報をいったん電気的なアナログ信号に変換したあとに、わざわざ量子化誤差を発生させてまでディジタル化する理由のひとつは、この性質にあります。

現在、映画などで多量のディジタル処理が行われていて、これをはじめに定義した5つの分類に当てはめれば、ディジタルの「計算可能性」が利用されていることになります。しかし、アナログで同等の変換を行うと、数回の変換でみるみる原情報が劣化してしまいます。これには原理的な要因だけではなく現在の技術的な制約も含まれますが、最小限の情報劣化で信号処理を繰り返すことができる背景には、やはりこの誤差訂正可能性が含まれているように思います。


まだ迷いは残りますが、ふたつの符号化定理の強力な背景を利用できるか否かという点がディジタルとアナログを峻別する本質であると、ひとまず結論付けることにして、この項を終わります。

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ディジタルとアナログってなんだろう(1)
ディジタルとアナログってなんだろう(2)
ディジタルとアナログってなんだろう(3)
ディジタルとアナログってなんだろう(4)
エピローグ
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by antonin | 2005-07-20 00:01 | Trackback | Comments(0)

ディジタルとアナログってなんだろう(3)

よく、アナログ信号を連続した曲線で描き、それに対応するディジタル信号を、格子目の上の点で表した説明図をよく見かけます。

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このとき、格子目の縦軸と横軸はどちらも同じような気がしますが、横軸(たとえば時間軸)と縦軸(たとえば音圧)では、実は飛び飛びに値を取る意味が違ってきます。

横軸方向で、ある一定の間隔で連続信号の値をそのまま取り出すことを「標本化(Sampling)」と言います。標本化により、横軸は飛び飛びの値になってしまいましたが、縦軸方向では自由な値を取ることができます。こうした数値を扱う数学に、「標本化定理」というものがあります。時間領域の関数をフーリエ変換すると周波数領域の関数、いわゆる「スペクトル」が得られますが、関数のスペクトルが周波数W以下の成分しか持たないとき、その2倍の周波数2Wを超える頻度(の等間隔)で標本化をおこなうと、そこで得られた標本値から元の関数を完全に復元できるというものです。スペクトルの限定はありますが、標本化で得られた数値は、まだ元の連続値と数学的に等価であるといえます。

これに対し、縦軸(振幅)方向でも飛び飛びになった値を「離散値」と呼びます。連続値を離散値にすることを「量子化(Quantization)」と呼びます。この段階で、量子化された値は元の値と等価ではなくなります。標本化された標本値と量子化された離散値の差を、「量子化誤差(Quantization Error)」あるいは「量子化雑音(Quantization Noise)」と呼びます。

最後に、量子化する数値の範囲に下限と上限を設けます。すると、標本点で取りうる数値は、ある有限の個数しか取り得ないことになります。また、標本化周波数が有限であれば、単位時間当たりに現れる数字の個数も有限になります。つまり、標本化され、量子化され、範囲を持った数値は、単位時間当たりに現れる数値の組み合わせが有限の個数に収まってしまいます。

この、有限個の数値をそれぞれ区別できる形で、つまり記号的に解釈するという点が、ディジタルをアナログと切り分ける本質ではないかと考えました。文字盤に数字を振った針式時計の例では、針の角度という量を読み取ればアナログ式といえますし、角度ではなく決まった個数の数字の中からひとつを選ぶということをすればディジタル式といえるでしょう。必ずしも数字が振られていなくても、目盛りを目安に何時何分と数字として読み取ればディジタル式ということになります。

実生活では、同じ針式の時計でも時間の目安を付けたいときはアナログ式に、正確な時間が知りたいときはデジタル式にと、ふたつの方式を使い分けてはいないでしょうか。送られた信号が同じものであっても、解釈によってディジタルであったりアナログであったりすることになります。

では、なぜ今の世の中がどんどんディジタルへと流れようとしているのでしょうか。それを、信号が有限個の記号の集まりであると解釈すると何が起きるのか、というところから次回考えてみます。

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by antonin | 2005-07-12 22:38 | Trackback | Comments(8)

ディジタルとアナログってなんだろう(2)

現在「ディジタル機器」と呼んでいるものの多くは、外部表現がディジタル、つまり値を数字で人間に示しているという意味でのディジタル機器ではありません。ディジタル携帯電話も、ディジタルカメラも、出入りするのは音声や画像などのアナログ信号です。また、アナログ時計にも日付を数字で表示するものがあり、これなどは部分的なディジタル表示といえます。このように、「外部表現」のディジタル・アナログと「内部表現」のディジタル・アナログは必ずしも一致していないことがわかります。

時計の文字盤に数字が全て書かれていたら、針は単に数字を指しているのでディジタルと呼べるでしょうか。ガリレオ温度計などはアナログでしょうか、ディジタルでしょうか。

参考:"ONSEN KiDS"より「ガリレオ温度計

また、ディジタル時計はに1秒ごとに時間を示すので、とびとびに時間を示しているように思えます。一方で、機械式の腕時計などを良く見るとわかるとおり、秒針は1/5~1/10秒程度(時計の設計により異なる)の周期で「チッチッチッチッ」という音とともに、動いたり止まったりを繰り返しています。その動きは決して連続的ではありません。ディジタル時計でも、通常の時刻表示は1秒単位ですが、ストップウォッチなどでわかるとおり、1/100秒や1/1000秒の単位で時刻を表示することも可能です。技術的には、もっと細かく分割することも可能です。内部表現がディジタルのクォーツ時計でも、外部表現に使う秒針の動きをなめらかで連続的なものにした製品もあります。

どこまで細かくしてみても数字を使っている限りディジタル表現は厳密な連続にはなりえませんが、アナログ表現がいつも連続とは限りません。また、数学的な連続はどこまで細かく分割しても連続に変わりがありませんが、現実の世界では電荷も、質量も、長さや時間さえも、細かく分けていくと、それ以上分けることのできない限界にぶつかります。

もちろん、CD-DAの音声データがサンプリング周期である22.7マイクロ秒の積み重ねでできているのと同じような意味で、実時間もその限界小であるプランク時間の積み重ねからできているのかというと、そうとは言えません。時間の尺度でもCD-DAのサンプリング周期とプランク時間では10の38乗も値が違うので比較にはならないのですが、十分精度の高いディジタルとアナログは似通ったところがあるとは言えないでしょうか。サンプリングしたデータをディジタル値に変換することを「量子化」と呼びますが、「量子」は現実世界の物理学で生まれた用語です。

参考:"Takahiko MATSUBARA Home Page"より「プランク時間

また計算可能性についても、計算尺を考えてみればわかるとおりアナログ情報でも演算ができないわけではありません。電子回路で非常に大きい増幅係数を持つ増幅器をオペアンプと言いますが、これはOperational Amplifier(演算増幅器)というところから来ていて、このオペアンプを周辺回路と組み合わせることで、電圧で表されたアナログ情報に対して四則演算や微積分演算をおこなうことができます。自然界の物理法則を使って計算ができるため、高速に演算がおこなえます。しかし精度を出すには非常に苦労するため、あまり段数の多い演算には不向きです。

参考:
よっち@ほ~む」より「素人による計算尺入門講座

大阪大学 宮崎研究室」より「オペアンプを用いたアナログ回路

さて、ここへきてディジタルとアナログの区別は非常にあいまいになってしまいました。では、ディジタルとアナログに本質的な違いはないのでしょうか。しばしばディジタルとアナログの違いと言われる連続性の違いについて、次回詳細に見てみます。

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by antonin | 2005-07-11 01:04 | Trackback | Comments(4)

ディジタルとアナログってなんだろう(1)

最近では、オーディオもディジタル、カメラもディジタル、テレビもそろそろディジタルという具合に身の回りのものがどんどんディジタル化されてきて、それ以前のアナログ機器と最近のディジタル機器の違いもずいぶんとイメージしやすくなってきたように思います。ところが、たとえばフィルム式のカメラとディジタルカメラでは違う部分が多すぎて、アナログとディジタルという本質的な部分での違いが、かえって見えにくくなっています。

しかも、じっくりと考えてみると、理論的には両者の違いが無いのではないか、という気さえしてきます。今回はこのあたりについて述べてみます。

最近はディジタル機器が日々新しく登場する程で、そうした新しいディジタル機器が多数氾濫していますが、一般社会に「ディジタル」という言葉をもたらした機器といえば、やはりディジタル時計ではないでしょうか。このディジタル時計という機器は、今日ディジタルと呼ばれる特徴を複数備えています。それをひとつずつ見ていくことにします。

アナログ時計の例:
セイコーウォッチ」より「グランドセイコー SBGR029

ディジタル時計の例:
G-shock.jp」より「GW-200S "FROGMAN"

ディジタル時計と「アナログ」時計では、まずは見た目、つまり時刻を表示する部分が決定的に違います。アナログ時計では、短針、長針、秒針などの針で時刻を示しているのに対し、ディジタル時計では液晶パネルに数字を表示して時刻を示します。この表示の上での違いが、アナログとディジタルの一番わかりやすい違いです。

ディジタルはdigitalの訳で、digitとは数字を指しますから、digitalは「数字的な」という意味です。一方、アナログはanalogまたはanalogueの訳で、analogy(類似、類推)やanalogous(類似の、相似の)と同源の単語です。「類似的な」あるいは「相似的な」というような意味になります。

数字で時刻を表示する方式は、まさにディジタルな表示方法といえます。一方、針を使った表示方法は、時・分・秒をそれぞれ「量」として扱い、それを針と文字盤の12時の方向との角度という「量」で表します。このとき、時刻を表す量と針の角度で表される量は比例関係にあります。これは、角度が時間を相似的に表しているという意味で、アナログな表示方法といえます。この種の違いを「外部表現」の違いと呼ぶことにします。

もうひとつの違いは、ディジタル時計が内部的にディジタルICを使っているのに対し、機械式のアナログ時計が歯車を使っているという違いです。歯車は大きい歯車と小さい歯車を噛み合わせると、それぞれの回転角が歯車の直径に反比例するという比例関係があります。これにより、テンプと呼ばれる振動子の振動を減速していきます。こうして時間という量が角度という量に変換されます。

一方、ディジタル時計では水晶振動子(別の発振回路でもいいのですが)の発する電気信号をHighとLowという2つの記号に置き換え、ANDやORといった論理ゲートからなる分周回路を使って信号の周波数を下げ、人間が理解する時間(秒・分・時)を得ます。HighとLowという記号を数字の1と0と考えると、分周回路は2進数の足し算を行う加算器と解釈できますから、2進数の「数字」を使って計算していると考えられるという意味で、ディジタルな回路と言うことができます。これは「内部表現」の違いと呼ぶことにします。

もうひとつは、しばしばディジタルとアナログの特徴とみなされる違いです。それは、アナログ時計が連続した値を示すのに対して、ディジタル時計は飛び飛びの不連続な値を示すという解釈です。これを「連続性」の違いと呼ぶことにします。連続性の違いについては、問題が難しいのであとで改めて述べます。

今日のディジタル機器を眺めると、さらにもうひとつの要素が加わります。それは、情報に対する演算の可能性です。ディジタル機器では情報を数値に変換するため、コンピュータで簡単に計算することができます。ただし、その計算量は膨大であることが多く、実用的な時間内で計算できるようになったのは半導体技術の進歩の結果と言えます。

そして最後に、上の演算可能性と近い要素ではありますが、エラー訂正の可能性があります。ディジタル情報は、あらかじめ工夫した信号に変換すると、記録や通信の際に情報に誤差が生じても、それを修復することができます。たとえば、"ABC"という情報を伝えるとき、"AAABBBCCC"としてやると、途中で誤差が混入して"AAABCBCCC"という情報に化けてしまっても、3個の信号ごとに多数決をすることで"ABC"という情報を復元することができます。これは「3個のうち1個くらいしか間違えないだろう」という前提に依存するものですが、もっと間違いが多い条件でも、それに応じた信号を設計できることになっています。アナログでも「誤差は10kHz以上に多く現れる」という前提があれば、Dolby B NRのように誤差を低減することができますが、完全に元の情報を修復することは難しくなっています。

誤りが訂正できるということは、コピーをしても情報が劣化せず、いくらでもコピーできる可能性があるということです。この点は、音楽や映画などのコンテンツ製作者が著作権の観点から、ディジタルメディアに対して常に牽制を続けてきた要因です。この違いを「誤差修復可能性」の違いと呼ぶことにします。

以上のように、ディジタル機器とアナログ機器の情報の取り扱いの違いは、「外部表現」「内部表現」「連続性」「演算可能性」「誤差修復可能性」という5つの要素に分けて考えることができます。

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by antonin | 2005-07-07 01:25 | Trackback | Comments(2)

一市民の宇宙論

今日は風邪をひいて一日中眠っていたので、まだ眠れない。
眠れぬ夜の友に、先日購入した「ホーキング宇宙を語る」を読んだ。
すると、学生時代に考えていたヨタ話を思い出して、いろいろと考えてしまった。

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by antonin | 2005-04-08 06:04 | Trackback | Comments(4)


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