安敦誌


つまらない話など
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犬族の話

バイオテクノロジーが進歩して、犬の脳が大型化し人間と同等の知能を持ったら、社会的にどうなるだろう。

--

彼らは知的には人間と同程度の水準に達しているので、人間が行っていた労働の一部に参加することが可能になったのだが、それでも肉体的には犬であるので、基本的に四本足で歩く。知恵があるので練習すれば二本足でも歩けるのだが、それでもやはり四本足で歩くほうが無理がない。

彼らは知性が高く文字を読むことができるのだが、手がないので文字を書く事は難しい。彼らは言葉を聞くことはできるのだが、声帯がないので言葉を話すことは難しい。それぞれ代用手段を持っているが、人間と同じ方法では、やはり困難である。

彼らは知性が人間並みで、およそ人間のように思考するのだが、感情的な面ではやはり犬であり、固定的な上下関係を非常に重視する傾向がある。そういう関係が守られないと、不安から異常な行動を起こしやすい。理性的にはそれを理解していて、感情的傾向をトレーニングによって克服することも可能である。

彼らの感覚器は全く犬のものであって、視覚は色盲であるが、嗅覚は非常に鋭い。したがって思考も幾何学的な方法よりも臭気で例えた比喩のほうが理解しやすい。

彼らは寒さに強いが、暑さには弱い。大型化した体と脳が発する熱量の発散は主に呼吸器と舌でおこなわれるので、30度以上の環境では氷をなめていないと命の危険がある。食事は肉食が中心で、ビタミンCは必須栄養素ではない。

彼らは人間に比べて0.1%程度の個体数を保っている。この犬族がどのように生きるべきなのかということについては、彼ら自身の中でも見解が分かれている。

犬族の知性は人間並みでも、肉体は犬であるので、業務に従事する際も四足歩行を基本とすべきであり、長時間の二足歩行は肉体的に障害が出る原因となるので禁止すべきという意見が主流である。一方で、二足歩行が全く不可能な状況であれば仕方がないが、現に二足歩行で業務に従事している犬族はおり、人間社会の一員として業務を遂行する以上は、そうした努力を払うのは当然の義務であるとする意見も根強く存在している。

人間側の意見としても犬族は四足歩行で業務に従事できる環境を整えるべきとする意見が主流であるが、実際の職場に四足歩行のための環境を導入できるかとの問いには、現実的には難しいという回答が過半となっている。

犬族の嗅覚の高さを生かせる分析業務分野では四足歩行に対応した業務環境が積極的に整備され、多くの犬族職員の中に少数の人間職員が混ざる割合であるケースが多い。こうした職場では犬族と人間の職員ともに、社会全体が犬族の身体的特徴に合った物理的あるいは手続き的なシステムを整備すべきであるという意見を主張している。

一方、一般的な人間社会の中で二足歩行やフラットな相互関係などに順応した犬族の意見では、少数派である犬族の側が人間に合わせる努力を払うべきであるという強い主張が見られることが多い。犬族に合った環境が整備されるのは理想であるが、多数派である人間の就労環境を少数派の犬族に適したように変えるべきであるという主張が犬族を雇用するコストアップにつながり、結果として犬族の活躍の場を狭める結果となるという意見もある。

--

肉体や精神の特徴が平均的なものと違う場合、そういう人間は平均的な傾向に合わせるべく努力すると当然利益を得られるのだが、代償も伴う。努力で平均的に生きることができる人もいれば、努力だけではどうにもならない人もいる。平均を外れるデメリットをカバーして余りある才能を有している人もいれば、そういう突出した才能を持たない人もいる。

想像上の犬族は嗅覚という天賦の才を有しているが、それが活かせる環境というのは非常に限られる。犬族の多くは、人間と同じではないということを理由に、不当な差別意識によってではなく単にコストの問題を理由として、人間社会の主流から排斥されるだろう。

先天的あるいは後天的に、平均的でない身体的特徴あるいは平均的でない精神的特徴を有している人間の立場というものは、想像上の犬族を考えることで尖鋭的に切り出すことができる。特に、人間の持つ潜在能力はほとんど同一のもので、環境あるいは本人の意識だけを理由として全てを説明できるという考えを持つ人も多い中では、より面倒な立場にあるとも言える。

犬族として生活することは無理だろうが、老人として生活してみた人は、いるらしい。

私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること

パット・ムーア / 朝日出版社


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by antonin | 2010-11-12 04:27 | Trackback | Comments(0)

妄想に近い雑談

「『区別できない』という能力」というタイトルでネタが浮かんだが、子守をしながら1時間ほど考えていたら頭が疲れたので後日。ホメオパシーについても少し考えていたが、やはり後日。もう少し躁に傾いたら「ぶどうたろう」の初回あたりを書いてみてもいいような気がするが、このタイミングで躁転というのはそれはそれで具合が悪いので、あまり計画に入れないようにしよう。

--

今までC/C++に活動範囲を限定してきたが、久しぶりに手元のPCでプログラムを組んでみたら、C++を使ってみたところでボトルネックがプロセッサ周り以外にたくさんあって、思うようなパフォーマンスを出すのは案外難しいということがわかった。だったらC#なんぞでもいいんじゃないかという気がしてきた。JavaScriptまでいくとまた階層がひとつ違うのでなんとも言えないが、ブラウザに近いというのは別のボトルネックが潰せるような感じもあって、それはそれでいいのかもしれない。VBの性能に関わらず、Excelの機能に乗っかってマクロを書くと結構強烈な処理能力が得られたという経験もあって、そういうのって案外大事なんだと思う。

--

そういえばFPGAどうしよう。Gollyのサンプルで見つけたメタピクセルを解析すれば、ピクセルデータを保持するラッチを環状のシフタなんかで囲むことで、逐次解釈ではなく同時並列的な2次元オートマトンをFPGA上に構成できるような気がする。そうすればセル数に対して対数ですらない定数オーダーの計算速度が得られる。これならプロセッサでは実現不可能なハードウェア実装ならではの性能が発揮できることになるが、それをHDLで記述しようとすると気が遠くなる。ボードの接続のために電子工作をちょっとやらなくてはいけないのも微妙に面倒。

--

4ヶ月ほど逡巡していたが、そろそろ流通が細ってきた2.5inch Ultra-ATAのHDDを買ってみた。メインマシンになっているノート機のシステムパーティションを容量近くまで使ってしまっているので、無駄なアプリケーションの除去も兼ねてOSの再インストールなどをしてみれば済むのだが、どうせまたすぐに容量が足りなくなるだろうというのと、システムドライブを再フォーマットしてしまうと設定の復元が面倒ということがあって、どうせならドライブごと取り替えてしまうほうが楽だろうということで、結局現状120GBに対して320GBのものを購入してみた。ヒマができたら作業してみよう。

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ヨメが30分で即断したと言ってお掃除ロボットRoombaを買ってきた。今より収入の多かったときに携帯電話の買い替えを6年も我慢したのはなんだったんだろうかと思う。ヨメは私がスーパーへ買い物に行って5円分のポイントをもらい損ねると猛烈に悔しがるのだが、一方で時折こうした衝動買いをするので納得がいかない。まぁ動いているRoombaを眺めるのは楽しいので、これは別にいいのだが。エラーが発生すると英語で何事か言うので楽しい。ようやく21世紀的な生活になった感じ。

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ヨメ的には近くディジタル対応テレビを購入しようという計画があるらしく、かれこれ20年以上使っているテレビ台を破棄して、通販で新しいテレビ台を購入した。これを先日一人で組み立てたのだが、総計で100本以上の木ネジを回したので、今もまだ少し手首が痛む。このテレビ台を選ぶのに1ヶ月くらい検討したらしいが、肝心のテレビのほうは機種選定を丸投げされたので、コストに大きく跳ね返らない範囲で地味に動画処理プロセッサやスピーカーの質に凝る予定。しかしどこから予算を捻出しているのかわからない。

--

マンションの管理組合総会がシャンシャンで終了。過去に務めた1年間の理事長経験については、細部が時効になってきたのでそろそろ書いてみてもいいような気がするが、単独で切り出すとあまり面白い話にもならないような気もして、何かの話のスパイスとして利用するのがいいのかもしれない。

--

最近2年くらいかけてゆっくり読んでいた「この国のかたち」を、ようやく読み終えた。司馬さんの小説というのはまだ一度も読んだことがなくて、いきなりこのエッセイ集を読むというのはかなり変則的な入り方だとは思うが、結果からすると読んでみてよかったと思う。内容的には、司馬さんの文章を読んだ人々を通じて間接的に流れ込んできているか、あるいは情報の源流を共有しているために見覚えのあるような考察がほとんどだったが、それでも細部に面白い話が多くあった。そのうち妄想になって安敦誌にも影響が滲み出てくるだろう。

--

読みかけリスト。並行的につまみ食いしている。

ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84)

塩野 七生 / 新潮社


沙門空海 (ちくま学芸文庫)

渡辺 照宏 / 筑摩書房


新釈 走れメロス 他四篇 (祥伝社文庫 も 10-1)

森見 登美彦 / 祥伝社


遅々としつつも読み進めているのはこのくらい。ざっと目を通して積み上げてあるものやリファレンス的に使っているものは列挙しきれないので内緒。

--

「杮経」という遺物があるのを、文字コード関連の事案で知る。印刷のない時代には文書のコピーというのは手間のかかる作業だったが、功徳という動機付けによってその作業を委託するという方法を考えた人はなかなかの策士だったのだろうと思う。もちろん、書いて覚えるという実利は当然あるけれども。信徒を自認する者があんまりこういう事を言ってはいけないのだろうが、信仰の本質はもっと別のところにあると思っているので、これはこれでいい。古い経疏にも「勝慧」とか「下根劣慧」などという言葉が見えて、昔の人も今の人に負けないくらいのリアリストがいたのだなぁという、考えてみれば当たり前のことに最近になって気付く。

--

さて、寝よう。
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by antonin | 2010-09-24 00:18 | Trackback | Comments(0)

マクロコスモスとミクロコスモス

子供の頃、寝床の中で眠れずにいろいろな考え事をしていると、とても小さなホコリのようなものが突然視界をふさぐほどに大きなもののように感じられて、その小さいはずの物の巨大さに圧倒される恐怖で冷や汗をかくというようなことが、ときどきあった。

よく、星空を眺めていると宇宙の広大さに比べて自分の抱えている問題がなんて小さいんだろうと気付いて気が楽になる、というような話を聞く。けれども私にはそういう原因不明の微小恐怖というような感覚があって、人間が実は矮小な存在であると気付いてしまうと、どちらかというと何かに押しつぶされるような息苦しい恐怖感を覚えてしまう。

宇宙の広大さを考えると気が楽になるという人は、人間の体がひとつの受精卵から分裂した数十兆の細胞からなる複雑な生命の集合体で、人間の意識が100億個を超える神経細胞の連携からなる中央集権的な情報処理の産物であるということを知ると、国家など軽く凌駕してしまう大規模なシステムについての最終責任を負っているという厳粛さに、思わず気が遠くなったりするんだろうか。

脱線を続けると、赤血球という細胞の滅私奉公ぶりには頭が下がる。動物の体の厚みがある程度以上になると、空気または酸素を含んだ液体を送り込まなければ、体の奥の方の細胞の生存を維持できなくなる。哺乳類のような高度な動物になると、ヘモグロビンに酸素を結合させて体内を循環させている。鉄イオンを核に持つヘモグロビン分子はそのまま血液中に溶け込んでいるのではなく、赤血球の中に閉じ込められている。ところが、この生物個体全体の生存を握っている赤血球には、細胞核がない。

赤血球も他の血球細胞同様に骨髄で細胞分裂して生み出されるが、細胞が成熟すると、赤血球は自らの生存に不可欠な細胞核を抜き取って捨ててしまう。核の抜けた赤血球は球状から中心の凹んだ皿状に変化し、その身を折りたたんで毛細血管の中を進み、炭酸濃度が高く血中pHの低いところでは酸素を放出し、逆に炭酸濃度の低い肺では酸素を吸収する。それを平均120日ほど続けると、掃除屋の貪食細胞に食われて寿命を終える。

また、生体内のエリート士官であるT細胞の生涯も、かなり凄絶なものに見える。赤血球同様に骨髄で生まれるが、若いT細胞は胸腺に集められる。人体防衛軍である免疫システムの士官学校に相当する胸腺で、T細胞は敵味方の区別、つまり自己細胞と外来細胞の区別について教育される。この過程で落第した細胞は、敵味方の区別なく攻撃する危険な細胞になりうるので、この胸腺の中で死を選択することになる。この士官学校を生きて出たT細胞たちは、実戦を経て特定の外敵に対する後天的免疫能力を獲得しながら、人体の健康を維持する役目を果たしていく。

こうした献身的活躍をする細胞たちの行動を統御するのが、新生児段階で細胞分裂を終えると最大で個体寿命と同程度の寿命を持つ、神経細胞たちの役割になる。神経細胞は互いにネットワークを作って合議を行ない、外来情報を元にして筋組織や免疫組織などに向かって電気的あるいは化学的指令を発していく。

小規模な動物では即時的な判断しか行えないが、哺乳類では情報の入出力端から何段も奥まったところにある中枢神経系に、さらに奥まった大脳皮質がある。人間の理性的な意識は、大脳皮質の中でも最も入出力端から遠い前頭前野が司っていると言われている。神経細胞の配下にある体細胞の代弁者とも言える大脳辺縁系が司ると言われる感情の突き上げを受けながら前頭前野は理性的な判断を下し、辺縁系を説得しながらその先にある人体を操縦する。

そういう人間理性の判断によって、人体を構成する100兆の細胞たちの生存と時時刻刻の物質的豊かさなどが左右される。そうした情報システムのバックエンドに当たる大脳前頭前野にある情報処理を一人称的に見たのが自己の意識であり、意識と直結しないフロントエンド部分で行われる情報処理が人間の無意識ということになる。

私たちは体全体の健康のために、あえて苦しい運動を行ってみたり、あえて食事を減らしてみたり、場合によっては傷付いた組織を切り取ってしまったりする。これは上記の視点に立てば、人体という巨大組織全体の命運を預っている大脳の神経細胞たちが、総体の利益のために個々の体細胞たちの不利益を決断しているということになる。また場合によっては、特定の体細胞の利益のために総体の死をあえて選択することもできる。ピアニストなどが腕を切り落とすくらいなら死を選ぶというようなケースは、こちらになる。

と、まぁ、巨大な人間社会のしがない構成員だと思っていた私たち個人が、実は1万人の社員を抱える大企業よりも、1億人の国民を抱える日本国よりも、65億人の人口を抱える人間社会全体よりも、桁違いに大きく且つ複雑なシステムの支配階級という運命を生きていることが、医学や生理学の知見からわかってしまう。

そういう支配階級として、献身的な体細胞たちとの関係をいろいろ想像してみると、大規模な組織の支配階級に必要な感覚というものも、自ずと透けて見えてくる。個々の構成員に対する責任についての厳粛さを忘れないことももちろん必要なのだけれども、ある程度はその責任の重さを感じないで日常を過ごせる鈍感さもまた重要なのだろうということなどは、なんとなく分かってくる。

実際に何かの人間的組織の長になるということは簡単ではないけれども、想像力と少しの知識があれば、自分の体のことを考えてみるだけでも、実は似たような理解ができる。英雄や武将の物語を読むのが好きな男性であれば特に、現場に対する理解のない神経系や愚かな友軍に翻弄されながらも、盟友であるB細胞やマクロファージに助けられて、果敢に外敵の侵入から人体を守るT細胞を主人公にした免疫系戦記などを想像しながら簡単な生理学を学んでみるのも、あるいは楽しいんじゃないかなどと思う。

人体というミクロコスモスの物語はこのように面白いのだけれども、宇宙のようなマクロコスモスの物語も、寿命が1000万年程度の生命があって、自分たちの生活に適当な寿命になるような質量を持った主系列星系を渡り歩いていくというストーリーを想像してみるのも、それはそれで気が遠くなるような感覚があって楽しいかもしれない。そういう生命からは、人間が「生きている」ということが、果たして観測可能だろうか。
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by antonin | 2010-09-12 02:31 | Trackback | Comments(0)

巨大数への冒険

徹夜明けで頭がおかしい。勢いで、久しぶりに理数系ネタを。

2+2=4
2+2+2=6
2+2+2+2=8

このように同じ数を繰り返し加算するのを省略して書くと、

2x2=4
2x3=6
2x4=8

という具合に乗算になる。

2x2=4
2x2x2=8
2x2x2x2=16

このように同じ数を繰り返し乗算するのを省略して書くと、

22=4
23=8
24=16

という具合に指数関数になる。こうやって数学には新しい関数が追加されていくのだけれど、大きな数を扱うのにはだいたい指数関数で用が足りるらしく、それ以上の関数というのは滅多にお目に掛からない。しかしそういう関数が存在しないのかというともちろんそんなことはなく、素人が思いつく程度の関数はすでに用意されている。

テトレーション - Wikipedia

指数関数を自然数回繰り返した関数を、tetrationと呼ぶらしい。Wikipediaの記述によれば特に意訳はなくてテトレーションと音訳で呼ぶらしいが、tetra-はギリシャ語で4の意味なので、漢訳すると「四算」とか「丁算」という具合になるだろう(「丁」は甲乙丙丁の4番目)。ただしあまり実用的な関心は寄せられていないらしく、数学的記号法も統一されていない。

tetrationが出てくれば次は当然tetrationをn回繰り返したpentation的なものも考えられる。となると、このように繰返し演算の繰り返しで次の演算を作り出すというステップ自体を、自然数回繰り返して得られる演算という一般化を考えたくなる。そういうものにもちゃんと名前が付けられていて、Wikipediaによると「ハイパー演算」と呼ぶらしい。

ハイパー演算子 - Wikipedia

指数関数や階乗計算などは独立変数の定義域が複素数域まで拡張されていて、それぞれ超越関数としての指数関数やガンマ関数が用意されている。同じような具合で、自然数から自然数への写像であるハイパー演算そのものはどれも初等関数になるけれども、可能性としてはおそらく指数関数と同様に実数域や複素数域への拡張ができるのだろう。

ただ、テトレーションでも既に十進表記を諦めたくなるような勢いで猛烈に増加する関数なので、それ以上のハイパー関数を人間の想像力が扱えるのかという疑問はある。ただし、楕円関数と有理数の関係のように何かの証明に利用できるなどという話になれば、プロの手にかかって猛烈な勢いで関数の性質が暴かれていくような気もする。

折角なので、2のpentationで3というのを計算してみることにする。Wikipediaにあるハイパー関数の記法を利用すると、

hyper(2,5,3)

という表記になる。まずはこれをテトレーションまで落としてみる。元の数はあくまで2で、これをテトレーションするという演算を3回繰り返すわけだが、テトレーション2なのかテトレーション3なのか、あるいはテトレーション1なのか。分からなくなってきたので加算と乗算の関係をハイパー演算記法で書いてみる。

2x3
= hyper(2,2,3)
= 2+2+2
= hyper(2,1,1) + hyper(2,1,1) + hyper(2,1,1)
= hyper(2,1,1) + hyper(2,1, hyper(2,1,1) )
= hyper(2,1, hyper(2,1, hyper(2,1,1) ) )

この方法だと乗算と指数関数の関係もうまく書ける。面倒なので書かないけど。これに従うと、2 pentation 3は次のようにテトレーションに落とせる。

2 pentation 3
= hyper(2,5,3)
= 2 tetration 2 tetration 2
= hyper(2,4, hyper(2,4, hyper(2,4,1) ) )

次に、これを指数関数に落とす。繰り返しが1回というのは演算は一度も行わないということなので、

hyper(a,n,1) = hyper(a,n-1,1) = hyper(a,1,1) = a

ということになる。2の1乗は2だし、2x1も2だし、(0+)2も2になる。よって、

hyper(2,4, hyper(2,4, hyper(2,4,1) ) )
= hyper(2,4, hyper(2,4,2) )

まず内側のテトレーションから片付けると、hyper(2,4,2)というのは2の肩に指数を乗せて2段積みにするいう意味なので、普通に22になる。これは2x2に落とせて4になる。よって

hyper(2,4, hyper(2,4,2) )
= hyper(2,4,4)

これも同様に、2の肩に2が3つ乗って、全部で4段積みになっている。これをHTMLでうまく表現できるかわからないが、強引に記述すると2222となる。あとは上から順に指数計算をしていく。

hyper(2,4,4)
= 2222
= 224
= 216
= 65536

おや、思ったほど巨大数にはならなかったな。折角だから2 pentation 4を計算してみるか。今度は上記プロセスを一気にやってみる。

hyper(2,5,4)
= hyper(2,4, hyper(2,4, hyper(2,4, hyper(2,4,1) ) ) )
= hyper(2,4, hyper(2,4, hyper(2,4,2) ) )
= hyper(2,4, hyper(2,4,4) )
= hyper(2,4,65536)

...うげっ、2の65536段積み指数関数? もはやHTMLで書こうという気すら失せますね、こりゃ。一応^記号を使って指数表記すると、

2^2^2^2^2^......^2^2^2^2^2

という形になって、この2が全部で65536個あるという。おそらくこれはグーゴルプレックスよりはるかに大きな数字になるんでしょう。あ、pentationの説明と計算例がWikipedia英語版に載ってるよ…。まぁ、計算合ってたらからいいか。

Pentation - Wikipedia, the free encyclopedia

ちなみにこのハイパー演算にも指数関数に対する階乗関数のような姉妹演算があって、アッカーマン関数というのが定義されているようです。

アッカーマン関数 - Wikipedia

Wikipediaの記述にある表を見ると、

hyper(2,5,4) = A(5,1) + 3

になるみたいです。この大きさの数で差が3というのがなんとも微妙で面白いですが。量子コンピュータが実用化される時代の暗号化理論などでは、ひょっとするとこういう鬼のような関数が乱れ飛んでいるかもしれません。太陽質量のフェルミ粒子を全て計算につぎ込んでも宇宙年齢程度の時間を要する計算安全性とか、そういう恐ろしい話。

関連ページを読むと他にも色々と面白いネタが転がってますね、この周辺には。

グラハム数 - Wikipedia
不可説不可説転 - Wikipedia
巨大数 - Wikipedia

このあたりになると宇宙スケールの数字が小さすぎて話にならないとか、そういう世界になるらしい。数学恐るべし。日本の塵劫記の巨大数記述が日本人の自慢ですが、「恒河沙(ガンジス川の砂粒の数)」とか「阿僧祇(数えきれない)」とか「不可思議(考えつかない)」とかいう仏典由来の言葉を引いて順序付けただけみたいです。

那由他 - Wikipedia

tetrationとかpentationを、無限級数なんかを使って複素数域まで拡張してみるとなかなか面白いことになりそうですが、そういう能力はないのでこれにて結。

--

本日の異口同音:「きのえねランド」(3件)

漢字で書くと「甲子園」。
甲子園 - Wikipedia
一帯は、その中核である大運動場が1924年に開設され、その年が干支でいう甲子の年であったことから「甲子園」と名付けられた。
だそうで。ちなみに今年2010年は「庚寅(かのえとら/こういん)」だそうです。(2010年の干支より)

--

(続編)
続・巨大数への冒険 : 安敦誌
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by antonin | 2010-08-10 11:51 | Trackback | Comments(0)

三方一両得

「三方一両損」は、東京では大岡越前の名裁きのひとつとして知られる話だが、これも多くの大岡裁きと同じように、東京では知名度のある江戸町奉行大岡越前守忠相を主役として脚色されただけで、実話ではなくどこかに源流がある物語らしい。二人の女が子供を取り合って裁判になり、互いに子供の腕を引いて引き勝ったほうを親とする・・・という例の話も、知恵と公正で知られたソロモン王の伝説に由来する話だというし、そういうものはこの手の話には多いのだろう。

その「三方一両損」だけれど、三両という大金の入った財布を拾った男も、それを届けられた元の持ち主も、三両は自分のもんじゃねぇからいらねぇ、という具合に気風の良いことを言って、挙句に白洲沙汰になる。しかしこれを裁く越前守がこれまた懐の一両を差し出して騒動を解決するという、なんとも気前のいい話になっている。子供の頃はこの話を聞いて、昔の人はなんと立派だったんだろうなどと思っていたのだが、実はこの話、落語なのだという。

落語の舞台を歩くより第37話「三方一両損」

人情話ではなくて落語だということになると、この話の途中から客はクスリ、クスリと笑いながら聞いているということになる。いくら昔の江戸っ子の話だとはいえ、そこは同じ人間の話、拾った金が大金だと見れば持ち主に届けるというところまでは同じ日本人として理解できる。ところが、そんなものいらねぇ、こっちこそいらねぇと押し付け合うとなると、ちょっと話としておかしくなってくる。

そのおかしいところが落語の面白みになってくるのだが、「三方一両損」を「三方一両得」としてしまうと、人間誰しも得をしたいものだから普通の話になってしまう。しかし、それが大岡裁きの逆ということになってくると、トンチが効いておかしいはおかしいが、ちょっとこすっからい話になってしまう。

大工の吉五郎が財布を拾うと、三両入っている。同じ財布に入っていた書き付けを見ると、左官の金太郎が持ち主と知れる。そこで届けに行くと、金太郎はありがとう、ありがとう、と言ってそれを受け取る。しかし、財布には書き付けが入っているばかりで、肝心の三両が入っていない。金太郎が憤然と文句を言うと吉五郎が、一度落とした金は天下のもの、一度拾ってしまえば俺のもの、とうそぶく。

はてさて裁判沙汰になって名奉行大岡越前守が登場するが、奉行はひとまず三両を取り上げると、金太郎の前に一両を、吉五郎の前に一両を置き、そして残った一両を自分の懐に入れる。いわく、「一度落とした金は天下のもの、本来は無いものである。しかしこうして一両は金太郎の手許に戻った。これは一両の得である。そして拾った金は天下のもの、それをくすねるのは本来罪であるが、ここは拾った財布を持ち主に返した行いに免じて、吉五郎に一両を残した。これは一両の得である。最後に残った一両が私の懐に入った、これも一両の得である。これにて一件落着」

かくして大岡越前による「三方一両得の名裁き」となるのだが、なんとも後味が悪い。後味は悪いのだが、人間の強欲を題材にした寓話としては、ありそうな話でもある。「三方一両損」の、とうてい現実にはありえないが江戸っ子の縁者としては気分の良いストーリー展開に先行して、この苦笑いするしかない「三方一両得」の話が、実はどこかに教訓話か何かとして転がっているのではないかと思った。

そこで「三方一両得」での検索結果をいくつか眺めてみたのだけれども、どうやらそれらしい話は見つからなかった。おそらく時代と舞台が違っているだろうから、通貨単位が「一両」ではないのかもしれない。上のリンク先を読むと、平安京を舞台とした、「三方一両損」と同じく気前のいい物語があるらしい。京都だと通貨は金ではなく銀だから、単位も両ではなくて匁あたりではないかとも思うが、ひょっとするとこの話も源流は古代中国やメソポタミアあたりまで遡れるのかもしれない。もしそうなると、単純な検索では発見できないので、気長に探していくことになる。

最近"Win-Win"というお題目が流行したこともあったが、あまり猫だましみたいなトリックによる解決は見たくない。"Lose-Lose"も痩せ我慢が過ぎるが、あまりに声高に叫ばれる"Win-Win"には、どこかに落とし穴がないのか、よく眉に唾して、というより、自分が欲に目がくらんで何かを見落としてはいないか、少し用心したほうがいいのかもしれない。
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by antonin | 2010-07-15 01:22 | Trackback | Comments(0)

湿度120%

梅雨時期なのでジメジメする。肌にべっとりと纏わり付くような空気でも、湿度計を読むとだいたい70%程度であることが多い。どちらかというと肌に付着している汗由来の塩分の影響のほうが強かったりして、洗面台で腕を洗うと体感的には涼しくなる。外出後の状態だと、肌に汗がはりついて体感湿度120%と言いたくなるが、普通は湿度が100%を超えることはない。

普通に言う湿度の数字は相対湿度、つまり空気中で水分が蒸気として存在できる飽和量を100%として、その何パーセントの水蒸気が含まれているかを示している。だから100%を指す水蒸気量そのものが空気の温度によって大きく変動して、10℃/70%RHと30℃/70%RHだと、30℃/70%RHのほうが体積あたりの水分量の絶対値でいうと3倍くらい多い。じゃあ10℃/70%RHのほうが洗濯物が乾きやすいのかというと、100%になるまでの余裕も3倍なので乾きやすいのは30℃/70%RHのほう、という具合になる。

相対湿度が100%を超えるとどうなるかというと、飽和点の越え方にもよるけれども、湿った空気全体を断熱膨張させるなどして徐々に冷却した場合には、空気中の水分のうち100%を超えた分が液体の粒子になって、見た目には霧が発生する。霧が発生するぎりぎりの温度を露点という。湿った空気に冷たいものを突っ込んで冷やすと、その表面に水が付く。冷たい飲み物の入ったグラス表面に付く水はこれによる。

ということなので、通常は「湿度120%」という状態は起こらない。そのはずなのだが、良く考えてみると、世の中には過冷却という現象がある。エネルギー的には凝固するのに十分な低温であるのに、液体が固体に変化するのに必要なほんのわずかなエネルギー障壁を超えるきっかけがないために、液体のまま低温状態になる。この過冷却液に、結晶核になる不純物や局所的な圧縮要因になる衝撃などを与えると、短時間で急激に凝固する。

似たような原理で、過飽和蒸気というのはあるのだろうか。もしそういう現象があるのだとすると、120%はむりだとしても湿度101%ぐらいはありうるかもしれない。もしそういう現象があるとすれば、やはり水滴の発生核となるチリなどを除去したクリーン度の高い空気中で、空気密度のゆらぎがあまり大きくならないように無音環境下でないと発生しないのだろう。

試しにネットで調べてみると、確かにそういう現象があるらしい。音波の影響はあまり無いらしく、塵埃濃度が低ければ発生する現象のようだ。

かほうわじょうき【過飽和蒸気】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
露点以下に冷却されても、凝縮のための核となる塵埃(じんあい)などがないため、液滴を生じないでいる不安定な状態の蒸気。何らかの刺激が与えられれば急速に凝縮する。

国語辞典に載っているぐらいなのでありふれた現象なのだろう。

もし過飽和状態で湿度100%を超えた空気を人間に吹きつけたらどうなるだろうか。過飽和の程度にもよるだろうが、ファンで噴出できる程度のものであれば、炭酸泉に入ったときに体毛に炭酸ガスの気泡がつくような感じで体に白い水滴が付くのだろう。いかにも涼しそうな感じがするが、なにしろ湿度100%超なので、どちらかというと凝縮熱を発生したりして、噴出温度よりも体感温度の方が高くなるだろう。人間の体温程度の過飽和水蒸気であれば、熱く感じるほどかもしれない。

子供の頃、服の上から背中に口をつけて息を吐かれるとお湯を掛けられたような熱さを感じたが、あれも過飽和とは言わないまでも湿度100%で、かつ人間の体温に近い空気の体感温度ということになるのだろう。場合によっては綿の下着の繊維表面に水分子の吸着が起こって、その吸着熱なども発生しているのかもしれないが、それがあの体感的な熱さのうちどの程度の寄与なのかはわからない。吸湿熱の温かさを訴求している温熱下着などもあるので、案外馬鹿にならないのかもしれない。

なんていう無駄なことを考えてしまった、梅雨も後半の夜。
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by antonin | 2010-07-06 23:25 | Trackback | Comments(0)

言霊じゃ言霊じゃ

考えてみれば、「1日が30000時間あればいいのに」なんてことを連日述べていたことがあったっけなぁ。嗚呼、言霊よ、我今汝の力を得ん。そうか、1日が30000時間ってこんな感じなのか。夢が現実になってしまうと、まぁ実際こんなもんですよね。夢の30000時間を得て未読のページ数が減ったかというとそういうわけでもなく、だらだらとUNIQLOCKなんかを眺めています。そろそろ24時間に戻してもらってもいいよ。

言葉というのは、実際に耳や目を刺激してしまうと、その言葉の持つイメージが脳内で顕在化する。その現象は一時的なものとして消え去るのだけれども、その影響というのは意識下の深いところで論理の結線をこっそりとつなぎ替える。その影響は本人も知らないうちのその行動を変え始め、行動は環境に反射し、しかして思わぬ形で現実となって目の前に現れ出る。

輪廻とは、ある人が生涯で残した言動が記憶となって、世代を超えて人間の意識に影響を残していくということ。天国とは、故人の生前の言葉や表情が、残された人々の記憶の中で穏やかなものであるということ。地獄とは、それが憎々しいものであるということ。言霊とは、言語の持つ具体的なイメージが半強制的に人の無意識を染め上げる影響力のこと。そういう解釈をすると、迷信は迷信ではなく、高度な洞察を言語的に表現するための比喩表現というところに着地する。

もちろん、比喩を比喩として取り扱う人もいれば、極めてストレートに理解する人もある。後者は迷信と言えるわけだが、前者はなんと言ったらいいのだろう。

私は貪らず、しかし豊かになる。
私は怒らず、しかし尊厳を持つ。
私は誤らず、しかし畏れさせない。

そんな私になったらいいのに。毎日願い続けたら、私の無意識はそんなものまで現実に引き寄せてくれるものだろうか。
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by antonin | 2010-05-25 00:23 | Trackback | Comments(3)

草食男子とアセチルコリン受容体

SSRI減量した効果が出てきたか。感情の浮き沈みが激しくなる一方、停滞していた思考が回復する。

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日本男児の気質が変わってきたのは、教育とか社会の豊かさとかそういうことがもちろん主要因なんだろうが、喫煙率の影響というものもあるのではないか、というようなことを思った。

タバコというと最近は百害あって一利なしというような言われ方しかしないが、タバコに依存性があるということは快楽刺激性があるということで、実際に常習者では耐ストレス性の向上に効果があるらしい(非喫煙者と比べてどうなのかははっきりしない)。特に自律神経系に作用するらしい。肉体的に言えば確かに百害あって一利なしなんだろうが、精神面ではなんらかのメリットが有るのだろう。

喫煙の精神薬理作用-ヒトにおける研究- -喫煙科学研究財団10年の歩み-

そして、日本人男性の喫煙率は1960年代にピークを迎え80%を超えてから、その後は直線的に低下を続けている。

図録▽性別年齢別たばこ喫煙率の推移

現在の中高年の喫煙率も、彼らが若かった頃の喫煙率や当時の中高年の喫煙率に比べると下がっているようだが、当時の若者と現在の若者を比べてみると、80%程度だったものが50%程度にまで低下している。高度成長期の日本人の気分を想像するとき、書類がうず高く積まれた冷房のないオフィスで、リンリンと鳴る電話の音を聞きながら仕事をする姿を思い浮かべることになるのだが、そこにはタバコの煙もまたつきものだったと考えていい。

ある種の神経作用があるニコチンの摂取率がこれほど変化しているのだから、それがある程度は世代文化に影響を与えている可能性がある。この統計的な喫煙率の違いがどの程度国民文化に影響があったのか、実証的に論文を仕立て上げるのは骨の折れる作業になるだろうが、想像を巡らすだけなら苦にもならない。

熟年側から若い世代を見た新聞記事などは多数あるが、若年側から熟年層の若かりし日を見るには自身の記憶を頼ることはできないので、こういう記録に基づく推定をいくらか重ねざるを得ない。好不況や人口構成や通信機器の普及といった影響はもちろん大きいだろうが、そこに喫煙率の違いという因子を追加して考えてみることもできなくはない。

もちろん、それで若者にタバコを吸わせろなどという流れにはなるはずもないだろう。いつも言われっぱなしの若い人とすれば、高度成長期のモーレツ社員たちはニコチンにやられて少しおかしかったんだという仮説を持ってみるのも、考え方としては面白いだろう。

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以下、あとで読む。

アセチルコリン受容体 - Wikipedia

アセチルコリン - Wikipedia

セロトニン - Wikipedia

副交感神経系 - Wikipedia

電子伝達系 - Wikipedia

タバコに関する状況(厚生労働省, PDF)
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by antonin | 2010-05-15 01:59 | Trackback | Comments(0)

与太話

また古い記事をほじってみる。

安敦誌 : 無題

まだオバマさんが大統領になる前の記事で、トヨタの株に市場が低い値を付けてますけど、この先どうなるんでしょうね、というような話だった。で、案の定というかなんというか、アメリカで派手なトヨタ叩きがあったのだという報道があった。あれは本当にアメリカでそういう動きがあったのか、あるいは国内で広告宣伝費を絞ったことへの国内マスコミによる報復行動なのか、ちょっとそこまでは調べが及ばなかったのだけれども、とにかくそういう騒動があった。

しかし日本も過去に狂牛病騒ぎなんかをかなりしつこくやってしまった前科があるので、アメリカのああした報道があってもお互い様というようにしか見えない。日本人がクロイツフェルトヤコブ病に冒されて大問題になっているとかいう状況ならまだしも、果たして本当に牛肉に蓄積したプリオンが原因で発病するのかさえ未知の病気に、あれほどまで徹底的な恐怖反応を示してしまったんだから、実際に事故で人が死んでいる乗用車についてあの程度の応酬があるのは、日本人としては甘んじて耐えなくてはならないだろう。

それは別として、なぜ今この時期にトヨタ叩きが起こったのかということについて、野次馬的興味が湧く。もちろん日本の屋台骨である世界企業のトヨタ様があんまり大変な事になってしまうとマズいわけではあるが、それでも国益意識がひときわ薄い現政権下の日本に対してアメリカが放ってきたパンチの結末が、いったいどうなるのか興味がある。

上にリンクした過去記事のSF的予想シナリオでは、トヨタを含む日系企業に選択的な課税法案が通ってアメリカの国民医療保険制度の財源の一部とされ、最後はトヨタの米本土工場の一部がビッグスリーないしインド企業に買収されて、工場自体が持っている製造ノウハウが吸い取られ放題という結末だった。さて、小説よりも奇である現実世界はどのように推移していくのか。そういう目を持ちつつ、あまり力を入れずにフォローしてみたい。ダイムラー陣営にエース・デザイナーたちを奪われて衰弱しきったクライスラーあたりが、低燃費エンジンを武器に華麗なる復活を遂げたりしたら(野次馬的には)面白い。

まあ、結局のところはどうなるのかわかりませんけどね。
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by antonin | 2010-04-21 23:18 | Trackback | Comments(0)

情報戦争最前線

かつて、アメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦の宇宙開発競争というものがあった。それはロケット技術と電子自動制御技術の競争であって、表向きは宇宙探査という科学調査を目的としていたが、その実は核ミサイルの開発競争でもあった。結局その経済的負担に耐えきれずにソビエト連邦が崩壊して、宇宙開発競争はいったん終結を見た。

そして今世紀に入って、アメリカ合衆国の新たなライバルは、同じ自由貿易圏に参入しつつ一党独裁の形式を残した中華人民共和国に移ってきた。その中国が今、アメリカとつばぜり合いを見せているのが、百度対googleという検索エンジンにまつわる市場競争である。こちらは純粋に世界初を競う技術競争というよりは、もっとドロドロとした勢力争いになってはいるが、やはり表向きは検索エンジンという平和目的の技術にまつわる競争である。

しかしその実となっている部分もまた明らかで、それは新聞やテレビの跡を襲う、世界的情報統制力の争いである。情報統制は軍事とも密接な関係を持っているが、それよりも更に国家統治にとって重要かつデリケートなものを扱っているとも言える。情報伝達の如何によっては、国家が転覆してしまうことさえありうる。百度対googleの争いは、アメリカと中国の情報チャネル戦争と等価でもある。

特に検索エンジンというのは、あるキーワードに対してどういう情報を見せるかという出力情報の制御だけでなく、どのノードからどういう情報に関心をもつ人物がネットにアクセスしているかという入力情報を追跡することもできる。国家安全保障上は、こちらの情報の流れをつかんでおくことも非常に重要になる。

当ブログの貧弱なアクセス解析でさえ、総務省内部から「メルクマール」という検索キーワードでのアクセスがあったことを検出している。これがgoogle側からの解析であれば、政府機関などの特定ノードがどのような関心を持ってどのようなページを見ているかということを追跡することができる。これが個人に属する携帯端末であれば、より一層デリケートな情報にアクセスできる。googleはあからさまに"evil"なことはしないが、正義の名のもとであれば、その程度のことはいくらでも可能ということでもある。

日本が国産検索エンジンを用意したいという意見をもつ背景には、国産ジェット機の製造技術くらい用意しておきたいというのと同程度に、国家安全保障上の意味合いが含まれる。日本語圏で首位に立つ検索エンジンはYahoo! Japanであるが、これがどこまで「国産」であるかというと、かなり微妙であるということは多くの人が知っているだろう。

そういう部分にも、というか、今の時代ならそういう部分にこそ、国力というものが表れるような気がする。そういう目で見ると、さすがは膨大な漢籍を知的背景に持つ中華帝国だけあって、ギリシア・ローマ・ユダヤ由来の知的背景を持つアメリカを相手にしても、なかなかの戦いぶりであるように見える。

日本に進駐したマッカーサーは「当用漢字」を制定し、暫定的利用を許可したものを除いて漢字の使用を禁じた。ゆくゆくは漢字を全廃することとして、日本社会と漢文化の絶縁を図った。幸い日本には漢字文化が残ったが、お隣韓国などでは漢字文化がほぼ消滅し、傷つけられた民族的自尊心を満足させる、民族独自の表音文字であるハングルだけが残った。ベトナムも越南という古名を持つ漢字文化圏の国であるが、やはりラテン文字表記だけが残っている。もっともベトナム経済の中心には華僑がいるので、朝鮮半島とは状況がまた異なるけれども。

米帝と中共が衝突する最前線は38度線や台湾海峡、あるいはチベットやカシミールなどにあるのだけれども、民主党が政権を取った日本もその例外ではない。現在は確実に米国の勢力圏内にある日本だけれども、列島各地にある米軍基地の後退を中国が願っていないわけもなく、そういう目で見てみると、日中の国交を回復した田中角栄さん最後の直弟子とも言える小沢一郎さんの動きが、いろいろと興味深い。その動きを掣肘しようという勢力の動きもまた、そういう色を帯びて見えてくる。

中国共産党とgoogleの押し問答も、そういう色眼鏡を通してみるとまた景色が違って面白い。もっとも、市井の小市民にはどうでもいい話ではあるけれども。
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by antonin | 2010-04-10 22:33 | Trackback | Comments(0)


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