安敦誌


つまらない話など
by antonin
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愚痴を3トンばかり吐く

カタルシスというのかなんなのかは知らないが、まだfollowerがほとんど付いていないtwitterに暴言を吐きまくってきて、幾分すっきりした。読む側の迷惑などクソクラエだ。

正直、生命保険の話題には動揺した。ヨメが保険屋を家まで招き入れてしまったことがあって、嫌々対応したことがあったのだが、そいつがライフプランシミュレーションとかいうグラフを印刷してきたことがあった。ヨメに関しては死んだり別れたりすると経済的に成り立たないが、私に関しては今すぐに死んでしまったほうがむしろ生涯所得が多いという、とんでもない試算結果が返ってきた。バカヤロウ。

最初の職場は財閥系のメーカーであったが、そこの社員食堂に週に3度くらいの頻度で、やはり同じ財閥系の保険屋の外交員をやっているおばちゃんが出入りしていた。私は無資産だったので、新人当時は通勤用乗用車のローンやリクルート用でないスーツや奨学金の返済やその他諸々の出費に追われていた。そういうわけでなんとか1年間は保険屋のおばちゃんのマークを交わしていたのだが、2年目にはとうとう断りきれなくなって生命保険に加入した。

基本的に保険が貯蓄であるなどと考えるのは異常だと認識していたので、貯蓄性の終身保険や利用価値のない傷害保険などを極力削り、掛け捨ての定期保険部分にがっつり配分した契約を組んだ。結局その後慢性の病気を患い、病前に締結した保険契約自体がある意味「資産」化してしまったのだが、その後10年にもわたって、厚生年金には平均給与の75%が補償される遺族年金があるなどということを知らずに生きてきた。で、「ダンナさんに不幸があった場合」の充実しまくりの保障内容を見て愕然とすることになってしまった。

もう厚生年金からは追い出されてしまいそうだし、40歳になれば保険料は3倍近くに跳ね上がるし、3年の免責期間はとうの昔に過ぎているし、もう国立公園かどこかで首を括ってやると考えてきた矢先のtelだったので、コイツは本当に嫌なやつだな、と思った。しかしかつての好青年ぶりが嘘のようなアケボノ体形に変わり果ててしまったtelが死者の呪いに動じるわけもなく、なんだか死ぬのが惜しくなってきた。


1年ぐらい浪人する腹をかためようと思う。立派な人間というのは世に多いが、尊敬できる人間というのには出会ったことがない。ならば、せめて立派でない人間のほうが愛嬌があっていい。そういう意味ではtelというのは愛嬌がある。まったく立派ではないし、カッコよくもないからだ。こんなところにちょっかい出してないで、こーいちの兄貴と一緒に首都高を流して銀の鱗でも眺めに行ったらどうか。
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by antonin | 2009-11-08 22:54 | Trackback | Comments(1)

意気地なしの告解

最近、長く生きすぎたという感じが日増しに濃くなっている。知りたいと思うことはおおかた知ったし、理解したいと思うことの一部は理解することができた。もう、脳の容量の関係からしても、何かを理解するということは、その二倍程度の何かを忘れていくことに等しいという感覚がぬぐえない。

もう、幸せなことは全て経験した。あとは失われていくだけだ。それはそれでいいのだけれど、周囲の人間が、泣く人と怒る人だけになった。なぜこうまでして生きていく必要があるのか、経済原理や社会契約通念上は理解できるのだが、感覚的には否定的な結論ばかりが出る。

昔から、自分が死ぬときの様子を夢に見ることが多かった。子供の頃は、自分の部屋にある5階の窓から、コンクリートの地面まで落ちていく夢を見た。遊園地の乗り物で真下に落とされるときの感覚から始まって、自転車で転んだときの感覚で終わる。自分の姿を見て嘆く両親の姿が見える。炉で焼かれるときは、熱さではなく息苦しさを感じた。そして、小さな壺に入って、穴に入れられて蓋をされる。

大型トレーラーに踏まれるとか、線路に落ちて骨折したあとに電車の車輪で3つに切られるとか、土砂に埋もれて肺が圧迫されて手足も動かないまま数分掛けてゆっくりと窒息していくとか、そういう夢を見たこともある。全ての夢は一人称で、目の前に二人称で見える自分が死んでいくという像は見たことがない。

先日は、今の家がある13階から落ちる夢を見た。あまり無残な遺体をさらすと家族が嘆くと思って、背中から落ちる。頭蓋は割れて脳が飛び出しており、後頭部は大きく損傷しているが、顔面はきれいに残っている。あんな高い所から落ちたのに、随分きれいな顔をしているのね、と、悲しみの感覚が麻痺した母が妻に語り掛ける。

今日は、なぜか礼服に身を包んだ状態で、同じことをする夢を見た。黒い礼服が破れて白いシャツが赤く染まりながら見えているので、通常の服装よりもかえって毒々しい色をしている。黒い靴も履いたまま着地したが、その際の衝撃で片足の靴が飛んでしまった。

先日高野山へ出たときに、家族には連絡せず、携帯電話の電源も切っておいたので、母はてっきり私が自殺しに出たものだと勘違いしたようだが、父は「あいつにそんな度胸はないよ」と冷静に言ったという。よく私のことをわかっている。さすが父だ。

こうして、私は今日も生きている。
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by antonin | 2009-07-18 22:04 | Trackback | Comments(0)

untitled

友情があれば、悲しみは二倍に、楽しみは半分になる。

友情は失われやすいが、命は失われにくい。
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by antonin | 2009-07-18 21:46 | Trackback | Comments(0)

ニュー島根パラダイス

タイトルに意味はありません。

--

いろいろと本を買ったが、いちいち書き付けるのが面倒なので先送りする。次に買い物ができるのは冬のボーナスの見込みが立つ頃だろう。いつになったら親に仕送りなどできるのだろうか。職場帰りについ豚丼などを食ってしまうのだが、そこでガムを噛んで家までの帰り道に空腹を我慢すると、月に3千円くらいは浮かせることができる。こんなもの、本を数冊買ったら吹き飛ぶ。

図書館通いというのはひどく効率が悪いので、書棚に入りきらず段ボール箱に眠っている蔵書を少し引っ張り出してみるか。未読の良書がまだたくさんある。それに、「一読の価値のある本は、再読の価値がある」という格言があるのだそうだ。なるほど、2年も経てば本の内容などあらかた忘れており、良書は再読しても楽しいものだ。

最近、左目の視力が低下して、自分の手の先あたりまでしか視界が利かない。一方で右目は老眼の気配がにじみ出ており、自分の肘のあたりまでしか焦点が寄らない。こんな具合なので、そろそろメガネを作り直したいところだが金がない。視界がぼやけるというのは、なんだか頭が重たい感じがしてよくない。

「働けど 働けどなほ 我が暮らし 楽にならざり ぢっと手を見る」
というほど働いていれば言い訳にもなるが、
「働けよ 働けよ まだ我が暮らし 楽にならざり ぢっと鏡を見る」
では様にならない。

批判というのは、一方的に外に向かっているうちは、まだ気が楽なものなのだ。

--

追記。新しく記事起こすほどじゃないので。
3ヶ月くらい人間休みたいです。ダンゴムシあたりで隠遁安敦。

【自己卑下強化の原理】
Step.1 自分を責める。うぇーん。
Step.2 もう他人にはそれ以上責めることは難しい。やーい。
Step.3 うまくいけば同情を引ける。いぇーい。
以下繰り返し。
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by antonin | 2009-05-26 22:01 | Trackback | Comments(0)

Triage

手が足りないときは困ってるヤツから助ける。ただし、救える見込みのないヤツは見捨てる。仕方がない。

で、まぁ合理的には確かにそうなのだけれども、なんだか飲み込みきれない気分があって、日本人だと後になって供養塚を立てたりした。

聖職というものがあって、たいていは何らかの使命感というものによって自己犠牲の精神の上に業務が遂行され、それを当たり前のように享受する。だがそこにもやはり飲み込みきれないものがあって、筆塚だとかなんだとか、そんなものが立つ。

都会に居るとそういう土着に近い感覚に触れる機会というのは相対的に少ないのだけれども、そういうものが認識の底に横たわっていないのかというとそういうこともなく、降って涌いたような休日1000円乗り放題などという制度に迅速に対応したETCシステムに接して、なんとなく菩提心なども涌く。

いやまぁどうでもいいのだけれども、全てをなんとかすることはできないが、何かをなんとかするとかすることはできるのだとか、ゴニョゴニョと思う。茹で蛙というのも、あるいは悪くないのかもしれない。
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by antonin | 2009-05-08 01:48 | Trackback | Comments(0)

中川昭一の中川昭一的ココロ

酔ってます。第三のビール350mlで酔ってます。さっきの記事を書いたときは素面でしたが、今は酔ってます。薬も飲んでいます。何の薬かは秘密です。

人間、酔って失敗することってあるよな。仕方がない。25歳前なら、まぁ許されるさ。頑張っていきなよ。えっ?55歳?まぁ気にするなよ。たかだか日本国の国際的信用が失墜しただけじゃないか。東証の株価も全然下落してないよ。こういうのを、「織り込み済み」って言うんだ。親は無くとも子は育つ。大臣無くとも国は進む。まぁ、楽にいこうや。

中島敦いいよ。すげー面白い。「山月記」も最高だけど、「悟浄歎異」もいいよ。いいね、この悟浄視点。中島さん、33歳で死んじゃったんだな。「文字禍」も最高だよ。アッシリアって。漢文古典以外も書くんだね、中島さん。うはは。ゲシュタルト崩壊起こしてるよ、ナブ・アヘ・エリバ博士。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

マックス ヴェーバー / 岩波書店


ここらへんを読んでから、現代のホームレス批判、生活保護批判を読むと、視界が変わるらしい。是非読んでみたいが、時間が無い、あるいは時間を捻出する気力が足りない。

しかしなんだ、文明社会ってのは難儀なもんだ。こんな軽薄な大衆の一人が、ミレーの晩鐘に描かれるような農民よりも、パスカルだのデカルトだのラ・ロシュフコーだの、フランス王宮に出入りする宮廷人の、そのまた花形のほうにより強く共感を覚える社会って一体なんなんだ。宇宙の深遠と人間心理の真髄に関心を持ちながら、日々の労働に必要な忍耐、創作意欲を鋭い自制心によって押さえ込む実利主義。そして、その実利主義を食い破るほどの能力を欠いた虚弱な没落貴族としての熊公と八公。とんだ落語じゃねぇか。

本田宗一郎さんのエッセイを再読している。転職の後押しをしてくれた大切な本だが、しばらく本棚に眠らせていた。私は平凡だが誠実なエンジニアになろうとしていた。理論の有効範囲を理解し、仮説を検証することにより、民生の向上に貢献する技術者を志向していた。だが、全てのベスト・プラクティスが「土台から書き直せ」と警告するような、コンパイラが数千項目の警告を発するような、そんなコードを立ち直らせるための忍耐力が今、求められている。繊細な組み木細工を壊さずに、さらに繊細な細工を付け足すことを求められている。「既に消化してしまった予算」のために、これから消費される無駄な予算が、私を、私の同僚を、私の家族を養っている!

あぁ、これが現実というものだ。実に素敵だ。将に酒を進めんとす。私と同じような立場を明日も守り続ける道路予算に乾杯!

知恵のある人には、知識とは良薬であるが、知恵のない人間にとっては、知識とは毒薬である。武士は結局のところ死に場所を求めているのだと言ったが、現代には合法的な死に場所というものは無い。結核をわずらってさえ、短期の入院で全く元通りだ。どんなに低俗な人間も、虚栄心の欲するがままに貪欲に知識を求め続け、ついにはそれを処理しきれずに、精神が通風を起こして痛みの中に生き続けることになるのだ。過剰な知識の摂取を戒める医者はいないのか。通風程度では死なないものだから、痛みを抱えながら天寿を全うするのだろう。外見には現れないが、醜く肥満した脳を引きずりながら、今日も明日も生きるのだ。

日本軍は、国家戦略は愚直で稚拙だったが、戦場における戦術は愚直で屈強だった。日本軍に従軍する兵士には常に逃げ道が用意されていた。たとえ死んでもその死に様が潔いものでありさえすれば、祖国の英霊として靖国に祭られるという栄誉ある逃げ道が用意されていた。だから、天皇陛下万歳と叫べばどのような状況でも勇猛に戦うことができただろう。

今の日本には、潔い負けが存在しない。潔い死が存在しない。全ての死は犬死にであり、生き続けるしか名誉の道はない。しかし、自殺を禁じる文化と違って、相変わらず日本では失敗も恥である。自殺を認めない文化は通常、失敗は成功の母として、一時的な負けに寛容である。しかし現代の日本には、負けに対する寛容も、潔い玉砕に対する崇敬も、どちらも存在しない。火災で照明が落ちた地下街で、全員が出口を目指して殺到し、互いに踏み潰しあいながら光に集まり、結果としてほとんど全員が圧死するような世界だ。

まぁ、いいじゃねぇか。世界大戦があったって、死んだのはただかだ人口の1割以下だ。今、毎年の自殺者は人口のたった0.03%に過ぎない。毎年の妊娠中絶数は人口のたった0.3%に過ぎない。大したことはない。ニヒリズムに陥らず、前向きにいこうぜ。
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by antonin | 2009-02-19 03:52 | Trackback | Comments(0)

不謹慎にも笑う

「一将功成って万骨枯る」

万骨枯る、のほうは正史には残らないから、だいたい人間の寿命程度の期間でその悲惨さというのは忘れ去られる。一方、一将功成り、のほうはいろいろと利用価値が高いから、正史に限らず多方面で引用され、数千年の時を越えて伝えられる。けれどもまぁ、そういう一面的な情報に踊らされた若者が社会をぶち壊すことで変革は進められ、組織は新陳代謝を進めながら結果として永続していくのだから、それはそれで正しいことなのだろう。

山本一太の「気分はいつも直滑降」:So-net blog

山本一太 - Wikipedia

こういう情報の多面性から、混乱したり憤ったりすることもあったのだけれども、だんだんとそれに疲れてきた。今では、両面の情報を眺めながら、事の成り行きがどうなるのかを思い浮かべつつニヤニヤしている。疲れを知らない、というのは良いことだと思う。そして、それから降りる人があってもいいんじゃないの、などと言い訳をしてみる。

執着(しゅうじゃく)を捨てるというのは、こういうものなのか。いや、そんなに簡単なものじゃないんだろうな。
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by antonin | 2009-02-09 12:47 | Trackback | Comments(0)

ガンマブロガーの溜息

クリントン大西先生から微妙なジャブが返ってきた。

クリントン大西の裏日記 十三回忌感想つづき
我がブログも、いわゆる「δ(デルタ)ブログ」になるのかな? かの場所の分類を読んだ限り、我がブログはむしろ「γ(ガンマ)ブログ」かもな(笑)。

☆γ(ガンマ)線のように何者をも貫通する毒性ブロガー。
☆いろんな意味で力強い(近寄りたくない)ブロガー。

ううん、ピッタリだ。

まぁ、そうかもしれない。

アルファ線、ベータ線、ガンマ線とあって、確かにガンマ線が一番「貫通力」が強いのだけれども、なぜに貫通力があるかというと、それは物質透過性が高いからであり、なぜに物質透過性が高いかというと、それは物質との相互作用性が低いからである。ガンマ線はアルファ線などに比べると遮蔽しにくく到達距離も長いので確かに厄介ではあるのだけれども、アルファ崩壊やベータ崩壊の放射能を持った物質が体内に蓄積するような事態に比べれば、実は人体への害は小さかったりする。

端的にいうと、大西先生には毒が足りないのです。確かに毒舌は吐くのだけれども、絶妙の自己フォローが入ってしまうので、こちらにはもはや突っ込む隙がないのです。つまり、表面的な毒舌の背後にある人物的誠実さがありありと浮かんでしまうのです。でなければ、「どちらの価値観も“尊重”する」だとか自分がされて良いことでも、相手が厭がりそうなことなら、やはり人にすべきではないなんてことを真顔で書けるはずがないんです。誠実の皮をかぶった偽善が漂わせる悪臭に比べて、一見乱暴に見える言葉で偽善を叩く任侠の士が見せる誠実さは、この時代にあって、俗悪な現代のネットジャンキーにはもはや手出し不能な麗しき光と共に結界を張っているのです。

という具合なので私のような不誠実で偽善的で自己愛型人格障害チックな中年にはなかなかツッコミどころに困る対象ではあるのですが、一応取りこぼしていた論点を拾っておくことにします。

--

・・・と、ここまで書いて、洗濯物干すのと、携帯電話乗り換えのお得なサービス検索と、楽天コーヒー豆の送り先確認を依頼され、そうこうするうちにこんな時間(1:50)になってしまいました。本来ならピーク活動時間であるのですが、今日はちょっと頭の具合が悪いので続きはまた改めて述べることにします。すみません。
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by antonin | 2009-01-21 01:57 | Trackback | Comments(0)

釣りとか

個人的には釣りなどを嗜まないのでよくわからないのだけれども、あれは魚との騙しあいの駆け引きが楽しいのだという。網で根こそぎすくってはダメで、たらりと糸を落として、あまり魚も多くなさそうなところで、日に何匹かの珍しい魚を釣り上げるくらいがちょうどいいのだという。盛大に釣られる雑魚よりは、なかなか吊り上げられない大物を釣ったときに胸がすくのだというし、なんというか面倒な世界だなぁ。

確かにまぁ2ちゃんねるなどを見ていても、「釣りだろ」なんていう文句を日常目にするし、空気を読める諸氏は普通に釣り餌を見分けたりしているのだろう。私は空気の読み具合に関しては最低点なので、それは盛大に釣られる。でも雑魚だろう。

いやまぁ、「あの人」が釣りだったら、「よかった、死んだ子供はいなかったんだね」的な安心感があって、むしろそっちのほうが喜ばしい。そう願いたい。最終ページだしね。でもなんだ、一言だけ言わせてください。「バカヤロー」

しかしまぁ、なんというか、世の中というのは面倒なものだ。特に人間というのは面倒なものだ。人々が三次元嫌いになるのも全く理解できる。紙にさらさらと絵を書いて、この中へ入れ、蚤も虱もいないから、というような一休さんのようなことを主人公が言う場面が草枕にあって、もちろんヒロインはそんな言葉に取り合わない。これは大物だ。

ただ、落とし穴に落ちて泥んこになったりしても、笑ってしまえば楽しい部分もあって、なぁんだ釣りかよ、なんて笑ってみると釣られてみるのもまんざらじゃなくって、つまりはまだすれっからしじゃない自分に喜んでみたりする。常々老いることを肯定していて若くあろうとすることを否定している身としてはなんだかくすぐったい加減ではあるけれども、まぁいいじゃんよ。
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by antonin | 2008-09-23 06:09 | Trackback | Comments(0)

自己矛盾の愉しみ

最近色々なことを書いているが、一見すると相反する意見も多数書いている。ところが、これは自分の考えの中では決して矛盾していない。全く逆のように見えて、それぞれの意見を書いているときの前提が異なっているから、それぞれの前提の中でそれぞれに正しく、より多元的な空間の中ではそれぞれの意見は矛盾していない。

なんてことを書くと詭弁になりかねないのだが、別にそう思われたところで構わないや、と思えるのが歳をとる愉しみでもある。
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by antonin | 2008-09-11 12:37 | Trackback | Comments(2)


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