安敦誌


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いろは歌考

いろはにほへとちにぬるを
わかよたれそつねならむ
うゐのおくやまけふこえて
あさきゆめみしゑひもせす

子供の頃、この「いろは47文字」のような呪文を昔の日本人はよく覚えたものだと感心していた。感心していたというよりもむしろ、「あいうえお かきくけこ」のように整然とシステマティックに作られた音順で覚えられなかった昔は効率の悪い時代だったのだなぁなどと思っていた。

それが決して非効率などではないと知ったのは、高等学校に上がってからだった。いろは歌は単なる仮名の羅列ではなく、言葉としてそれなりに意味の通る歌であると授業で習ったからだ。
色は匂へど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見し酔ひもせず

全体を通すと、意味がわかったようなわからないような、哲学的ですらある響きだけれども、局所的には日本語としてしっかりと意味の通る節になっている。こういうのを統計の世界ではマルコフ過程と呼ぶ。

単純に47音の並びが何通りあるかというと、これは数学で言う順列という計算になり、47!(47の階乗)という式で表される。これをざっと計算すると2.5862x1059という数字になる。これを漢数字で表すと、二百五十八阿僧祇(にひゃくごじゅうはちあそうぎ)というような数字になる。1052である恒河沙(ごうがしゃ)から先は位取りのルールが億単位に変わるという説もあるので定かではないが、全ての単位が万単位で繰り上がるとすると、このような呼び方になる。

この阿僧祇の世界の順列から唯一の歌を選んだ人は人間ではないようにも思えるが、いろは歌が歌であるというのは奇跡であると同時にひとつの限定でもあるので、可能性の空間はもう少し狭まる。「いろは」というならびは「色は」という大和ことばと解釈できるけれども、「はろい」は大和ことばとは考えにくい。ありえないとは言い切れないにせよ、より不自然な並びである。こうして不自然な並びを除いて組み合わせていくとなると、順列の数字はずっと小さくなる。こうした制限のある文字の並び、面倒な言い方をすれば事象の系列をマルコフ過程という。

しかし、47の仮名を並べ、ひとつの重複もないという組み合わせを選び出すのはやはり困難な作業である。私は大和ことばの詳細を知らないので具体的な数字を求めることができないが、なんにせよ膨大な組み合わせがありうるだろう。そのいろは歌から七音ずつ末尾の仮名を取って並べると「とかなくてしす」となり、濁音を適当に加えれば「罪(とが)無くて死す」と読めるという。

そこから不遇に遭った菅原道真の作であるという説もあるが、いろは歌の作者がそこまで考えていたかどうかは怪しい。怪しいのではあるけれども、仮にいろは歌が千年にわたり詠み伝えられたとすれば、「百年に一人の逸材」というような天才が十人は生まれては死んでいく年月であるともいえる。

そうした逸材が、ある朝に考えてその晩に書き記したのかもしれないし、あるいは執念深く一生を捧げて撰択した歌であるのかもしれない。ただ単なる全音アナグラム以上の意味があったとしても、単純に否定することはできない。それが道真公の怨念であったかどうかは別として。

太平洋戦争後の日本語では「ゐ」と「ゑ」の仮名は絶えてしまったし、"m"と読む「む」やハ行の活用形としての「へ」なども使われなくなってしまったので、それまでの日本人と同じ感覚でいろは歌を味わうことはできないのだけれども、こうした歌で文字を覚えた時代の日本人はなかなか風雅であったと思う。調べると他にもこういったものがあるという。

手習い歌 - Wikipedia

昔は良かったという気はさらさら無いのだけれども、教育にもこういう遊び心はあってもいいように思う。
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by antonin | 2007-08-25 00:46 | Trackback | Comments(4)

マナーとマンネリ

「物理」という熟語を漢文とみなして読み下すと、「もののことわり」と読める。「人情」という熟語も同様にすると、「ひとのなさけ」と読める。似たような構文になっている。両者とも哲学の対象として永遠のテーマではあるけれども、ある種対照的なテーマでもある。

私は学校の成績で言えば物理が得意ということは無かったのだけれども、人情に比べたらはるかに理解しやすいと思っている。もちろんこれとは逆の傾向を持つ人もいて、そうした人からは薄情だとか精神病質だとかいろいろな言われようである。しかしながら、そうした傾向は持って生まれた先天的な器質による部分が大きいのではないかと思っている。肌の色や顔の形とそう違わない由来だと思っている。

互いに足りないところを補って協調することで、人間は繁栄してきたし、互いに理解できないことを否定するために戦争なども起こしてきた。ただ、どんな人間もある程度の物理を理解しているし、どんな人間もある種の人情を持っている。これは普遍的なことで、通常言うまでもないことなので意識に上ることは少ないのかもしれない。

そうしたことをふまえたうえで、やはり私は人情の理解に苦しむ。自分自身の感情も含めて、「相手の身になって考えてみればわかる」などと言葉で言うほど簡単には思わない。これにはある種の教育や訓練の成果もあるのだろうが、やはり先天的に若干の器質の違いがあり、人情を理解しやすい人というのはあるのだろうと思う。

そもそも人間の感情というのはある人の内側で起こっていることであり、クオリアの問題なども考えてみればわかるとおり、外側から正確に知ることは難しい。難しいのだけれども、人間という種はひとつのホモ・サピエンスという種であって、人間自身が感じているほどの差は無く、各人の脳の構造や働きは人種を越えて似たようになっている。そこで、大体の部分は自分の感情の起こり方と同じであろうと推し量ることが可能なのではあるけれども、細かい部分では決して同じではないので、そこが面倒なのである。

そのあたりの、「人情の機微」というやつを正確に把握してコントロールできる人格者もいれば、人間誰しも同じであって、差があるとすれば家庭や社会などの環境だけに原因があるとする人もいる。私はどちらにも属さず、人間のありようは多々あると理解しているが、個々の人の感情を理解することも、自己の感情のコントロールすることも苦手という類の人間であるように思う。一番面倒なタイプではあるだろう。本人がそれに気づかなければ幸せであるけれども、認識だけはしているのでやや不幸である。

自分の理解できないことは自分では理解できない。当たり前である。当たり前であるけれども、このことは当たり前すぎて逆に理解することが難しい。何が言いたいのかというと、他人も自分と同じように考えたり行動したりするのが当たり前だというようなことを述べる人が多いのだけれども、それは思うほど簡単ではないのではないかということが言いたい。

最近の話で恥ずかしいのだけれども、「マンネリ」ということばが、日本語ではなく外来語であるということを知った。「マンネリズム」という言葉があるけれども、こちらが「真似」あたりと同語源の「マンネリ」という日本語と、"-ism"という語尾で出来上がった和製英語だとばかり思っていたら、実は"mannerism"というヨーロッパ語から来ているのだった。これを常識としている人からすれば、「そんなことも知らないのか」という感じがするだろう。

"mannerism"は必ずしも英語とは限らず、フランス語やドイツ語の語彙としても存在するようだけれども、あえて英語読みすると「マナリズム」という具合になる。"mannerism"から、主義や特徴といった意味の接尾語である"-ism"を取り去ると、"manner"、すなわち「マナー」となる。「マナー」には作法という良い意味もあれば、「決まりきった形式」というやや否定的な意味合いもあるようだ。

ドイツ語に近い発音をすると「マネリスム」になり、フランス語に近い発音をすると「マニエリスム」となるようだ。マニエリスムというと、イタリアで写実的なルネサンス様式が興り、その後を受けた美術様式の一つも表す外来語となっている。

ルネサンス美術の巨匠ミケランジェロは、写実的な彫刻作品を得意としたが、必ずしも現実の人間のコピーを作るのが美しい造形ではなく、人が仰ぎ見たときにより美しい形状があることを知っていたという。そしてそのミケランジェロが壁画や天井画を描くとき、人物の手足や首は、現実の人間を普通に写真に収めたときとは違う形をしていて、具体的にはやや首が伸びていたり、回したほうの手が長くなっていたりすることがしばしば見られるのだという。

後世にマニエリスムと呼ばれた画風は、今では再評価されているけれども、名付けられた当時としては、ミケランジェロの技法を誇張した、同じようでつまらない画風との評価を受けていたらしい。現代人の目で見ると、つまらないという評価も理解できるし、技法を極めた美しさとしても理解できるのが面白い。

それはともかく、「マナー」と「マンネリ」が表裏一体であることがわかって、最近のマナーブームに対する違和感のようなものが少し理解できたような気がする。人間誰しも自分と同じであり、決まりきった形式を守る「マナー」が重要で、マナーを守らないやつはけしからんという言いようが目立つが、時代が変われば作法も変わるのであり、古い作法を持ち出して正統と騒いでみても、それが必ずしも人間を快適にしないということがわかる。

その一方で、ある種の作法が生じたのにはそれなりの理由があるのであって、ただその型を真似るのではなく、その作法が表す意味のようなものを読み取る必要があるのだと思う。例えば、畳の縁を踏んではいけないという作法があったとすると、そこには死者を運び出すときに畳の縁を踏んでも仕方が無いという決まりがあり、人の死を連想させて人を不快にするから自然と忌み避けるようになったとか、あるいは昔の住宅では畳の縁を踏むと畳がずれたり傷んだりしたなどという実利的な問題もあったのかもしれない。

それはわからないが、作法を守らないことを不快に思う人がいることは確かであり、そうした人への配慮は大切だろう。作法の向こうにある感情的な背景を理解することはもっと大事だろう。同様に、作法を守らない人が、なぜ守らないのか、作法を守れと言われてなぜ不快に思うのか、そうしたことへの配慮も必要だろう。

ただそこにマナーがあり、黙って守れといわれれば、黙って守る人と反発してかえって守らない人が出るだろう。ただし、マナーの背景にある意味を理解できれば、結果的にマナーは守られるに違いない。他人に何事かを理解させるのは面倒だし、他人を理解するのもまた面倒だけれども、そういう覚悟が無ければマナーを語ることはできないのではないかとも思う。一方的に自分にとって快適なマナーを他人に押し付けることは、それもまた一種のわがままだろうとも思う。

「もののことわり」と違って「ひとのなさけ」を理解することは難しいが、なんとか考えていかなくてはいけないものなのだろうと思う。
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by antonin | 2007-08-24 05:48 | Trackback | Comments(0)

2454335.09664日の日記

ガイウス・ユリウス・カエサルという人がいた。古代ローマを共和制から帝政に大転換させた人物であるが、こういう人は政治や戦争だけでなく、いろいろな業績を残す。そのうちのひとつが、ユリウス暦だろう。

現在日本で使われている暦は、年号に関しては和暦と西暦の二種類があるが、月日に関しては西暦に統一されている。この暦は一般にグレゴリオ暦と呼ばれているもので、ローマ教皇グレゴリウス(グレゴリオ)13世によって発布された暦ということになっている。4年に1回の閏年と、100年に1回の例外年と、400年に1回の例外の例外を導入した暦で、太陽年、つまり、遠方の天体が作る天球に対して太陽の位置が一周する期間に対して、3000年に1日程度のずれに収まるという。

このくらいの精度になると、何をもって1年とするかの定義が大変ややこしくなり、地球から見て同じ時刻に同じ位置に同じ恒星が見える周期である恒星年と、太陽が天球上で同じ位置を通過する周期である太陽年では地球の自転と公転の関係により一年で約24時間の差がある(註)。太陽系の他の惑星から受ける重力の効果で地球の公転速度が変動する摂動効果や、月と地球の海洋が作り出す潮汐力などによる地球自転速度の揺らぎなどにより、一年の長さというのは微妙に変化を続けている。

こうした変化は遠方の天体が発する電波の長距離干渉やその他の天体観測などによりミリ秒以下の単位で計測されている。現在では世界に散在する原子時計の相互補正により国際原子時という固定した時間が定められており、それとは別に、観測される太陽の位置に合わせた補正を行う閏秒の挿入などにより、グレゴリオ暦は現在も発布当時と同じルールで太陽暦としての体面を保ち続けている。

これに対してユリウス暦は、4年に一度だけの閏年を定めた太陽暦で、現実の太陽年に対して130年余りで1日のずれが生じる計算になる。これはたいしたことが無い誤差のように思えるが、文書の蓄積により厳密に日月の記録を残すようになったヨーロッパ世界では、ユリウス・カエサルが暦を改定したとされる紀元前45年から、教皇グレゴリウスが暦を改定した1582年までの1626年の間には、12日あまりの誤差が蓄積していた計算になる。

おそらく冬至や春分などの祝祭日と天体観測上の観測値のずれが改暦の動機となったわけだが、同じことがユリウス暦の発布当時にも発生していた。

当時の地中海世界で抜群に高度な文書記録と数学算術知識と天文学が発達していた文明といえば、間違いなくエジプトであった。当時、領土拡大政策というより、たまたま優れたシステムが他を焼き尽くしたというような感じで地中海世界に広まったローマ世界であったが、それを更に高度な帝政に仕立て上げて千年帝国にしたのがユリウス・カエサルだった。

ユリウス・カエサルはラテン名のドイツ式発音で、イングランド式に言うならジュリアス・シーザーになる。塩野七生さんによれば当時のラテン語の発音はもっと現代イタリア語に近かっただろうというが、録音が残っているわけではないのでこのあたりは誰にも証明できない。それはどうでもいいが、ジュリアス・シーザーといえばウィリアム・シェイクスピアの戯曲でも有名なとおり(註)、エジプト遠征の際の、プトレマイオス朝エジプトのうら若き王女クレオパトラとのロマンスが語り継がれている。

そして、この野心家の王女に興味を持ったシーザーは、エジプトでしばらく文物を見聞しながら、クレオパトラとともにナイル川クルージングを楽しんだという。のちに同様にクレオパトラと交わったアントニー(マルクス・アントニウス)が完全に恋に落ちたのに対し、シーザーはナイル・クルーズの最中でも、エジプトやローマのための法案などを記述していたらしい。

そこで纏め上げられた法案のひとつが、太陽信仰の国エジプトで実施されていた太陽暦を広くローマ帝国の共通暦とすることだった。ここで、ユリウス・カエサルとクレオパトラの物語が、現在の太陽暦、それも閏年を持った太陽暦に結びついてくる。

ユリウス暦発布以前の地中海世界では、主に海洋民族であるギリシャ人が使っていた、月齢をもとにする太陰暦が使われていたのだという。初期のローマもこれに従っていたが、ローマが確固とした国家制度を整備するに従い、文書として厳密に記録され運用された暦と、現実の冬至や春分などの祝祭日と合わなくなっていることが次第に明らかになり、その差は最終的に3ヶ月近くに及んでいたという。

ローマの太陰暦は王政時代の紀元前7世紀、ローマ王ヌマが定めたもので、月齢による12ヶ月を刻み、ときどき閏月を挿入するというものだった。それ以前にも太陰暦が使われていたようだが、詳細はわからない。ともかく、太陽暦を導入しつつ、積算した誤差を取り戻すため、紀元前46年のローマ暦は15ヶ月を刻んだのだという。ちなみにユリウス暦からグレゴリオ暦への移行では、10日が差し引かれ、10月4日の翌日が10月15日になったのだという。

この誤差の違いは、天体観測の精度の違いとも言い換えられるだろう。今ではこれが1秒以下の誤差となるように、閏秒の挿入により不定期に改暦されているとも言える。

参考:
ユリウス暦 - Wikipedia
グレゴリオ暦 - Wikipedia
ローマ暦 - Wikipedia
日本標準時プロジェクト」より「標準時・周波数標準のQ&A うるう秒に関するQ&A

カエサルの構築したローマ帝国は、分断や縮小はあったにせよ、結局1600年ほどを耐え抜いた。暦もこれに準じて継続された。一部地域ではグレゴリオ暦発布以降もユリウス暦やそれに順ずる暦が使われ続けたという。

西暦はこうした断絶をいくつか経過しているので、厳密に歴史を考察するとき、単純な年月日では比較が難しい場面がある。これに応じて、年月日という繰り上がりをやめて、全て連続した日数で数えるという方法が考案された。これがユリウス日(Julian Day)というものであるが、これはグレゴリオ暦発布以降の考案であり、ガイウス・ユリウス・カエサルとは直接の関係は無いという。

参考:ユリウス通日 - Wikipedia

その後、ユリウス日は歴史学より相対日数計算を多用する天文学の世界で便利に使われるようになり、1日の中の時間経過も時分秒という繰り上がりを避けて、小数を使ったユリウス日で表すようになった。ただし正式なユリウス日の定義はヨーロッパにおける正午を起点としていたため、日中に日にちをまたぐ形になり、使いにくかった。また、歴史を考証する目的から桁数も大きかったため、後のグリニッジ天文時の午前0時を起点とし、桁数が大きくなりすぎていたのを補正した準ユリウス日(Modified Julian Day)というものが天文学の世界では定着した。

表題はこの記事を書き始めた日時を正式な方のユリウス日で記述したものである。ちょうどロンドンあたりで昼過ぎであることがわかる。ユリウス日に地方時間(Local Time)はない。厳密に言うと特殊相対性理論の効果のため緯度によって時間の進む早さは異なるのだけれども、そのあたりがどのように調整されているかは知らない。上記のユリウス日は下記のページで計算した。

参考:「関東学院大学 - Kanto Gakuin University」より「西暦とユリウス日の換算

似たような記法がMicrosoftのExcelでも使われており、1900年1月1日午前0:00を0.0とした小数で日時が記録されている。つまり、Ctrl-:(コロン)で現在日時を記録すると時刻がセルに表示されるが、それを日付の表示形式にすると今日の日付に化ける。最終的にCtrl-~(ティルダ)で標準書式に直すと、実体の小数が現れる。単に日付を記録する場合には小数点以下が0となった値が記録される。日本語版のExcelには明治、大正、昭和、平成の境界日を認識した表示プログラムが仕込まれている。昭和64年1月7日に1を足してみると面白いだろう。

これも似たような記法で、UNIXの世界で使われるtime_tという変数の型がある。ほとんどの処理系ではこれはlong intのtypedef名になっていて、1970年1月1日午前0:00を起点として秒単位で数え上げた整数となっている。そしてその多くの実装は32bitとなっている。

これはそもそもUNIXのファイルにつけるタイムスタンプを記録するために作られた変数であり、今日これほど普及するものとは考えられていなかった。そのため、UNIXが開発された1970年初頭からある程度の期間を記述できれば問題が無かったので、1970年1月1日という日付が起点として用いられたのだろう。

この整数は現在広く、しかもシステムの深いところに眠っており、2038年には桁あふれが発生し、正しい日時を表示できなくなるという。しかも、将来のスケジュールを表現しようとすれば、それより早く影響が出るだろう。しかし、多くのPCやサーバマシンでは64bit化が進んでおり、2000年問題も乗り切った現状では実際に2038年問題が起こるとは考えにくいが、どちらにせよ多くのプログラムがメンテナンスの必要に迫られるのは確かだろう。


時間というものは考えれば考えるほど不思議なものだが、それに対応してきた人間の営みのほうもなかなか立派なものだと思える。百年後にはいったいどのような暦を使用しているのか、興味は尽きない。


註:太陽年と恒星年の差は25分程度だという。要調査。

註:シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」にはクレオパトラは出てこない? 要調査。
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by antonin | 2007-08-22 23:20 | Trackback | Comments(0)

84年を越えて

安敦誌の古い記事を読んでいたら、昨年の10月29日付けの記事を見つけた。

詳しい話はその記事を読んでいただくとして、下記に昨年発生した事件の時系列を示しておく。


2004年10月1日
シアトル・マリナーズのイチロー選手、大リーグ最多安打記録を破る

2004年10月23日
新潟県中越地震発生、避難住民10万人を超える

2004年10月27日
ボストン・レッドソックスがMLBワールドシリーズに勝利

2004年12月26日
スマトラ沖で地震発生、最終的な死者は22万人に


上の記事はレッドソックスの優勝直後の10月28日深夜のものなので、スマトラ沖地震の発生前の記事なのだが、下記の地震について言及していて偶然の恐ろしさを感じる。

1920.12.16 海原地震(中国・寧夏) M8.6 死者220,000人

12月発生で死者が約22万人というところまで奇妙な符合を見せていていよいよ恐ろしいが、なぜこの地震へこの時期に言及していたかというと、「バンビーノの呪い」という話からのつながりであった。

1920年、ボストン・レッドソックスが花形ホームランバッターであったバンビーノことジョージ・ルース選手をニューヨーク・ヤンキースへ放出し、それ以来レッドソックスは強豪ながらワールドチャンピオンになることができないというジンクスが2004年に至るまで続いていたというのだった。

以下に1920年の事件を時系列で列挙する。


1920年1月3日
ジョージ(ベーブ)・ルース選手、レッドソックスからヤンキースへ移籍

1920年秋(詳細不明、大リーグシーズン終了時期)
セントルイス・ブラウンズのジョージ・シスラー選手、年間安打257本の大リーグ記録を樹立

1920年12月16日
中国、寧夏で海原地震発生、死者22万人


ベーブ・ルースはもちろんレッドソックスを呪ってなどいなかっただろうし、ましてや地震と関係しているわけもないが、「84年ぶり」という言葉が、なにやら呪術的な意味を持つような昨年だった。

ちなみに、翌年の1921年の事件というと、


1921年7月29日
アドルフ・ヒトラーが国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)の党首に選出される

1921年秋(詳細不明、大リーグシーズン終了時期)
サンフランシスコ・ジャイアンツ、ベーブ・ルース選手を擁するニューヨーク・ヤンキースを破り、ワールドシリーズに勝利

1921年11月4日
内閣総理大臣、原敬が東京駅で暗殺される


なにかとキナ臭い事件があったが、もう年も明けてしまったので「84年ぶり」の効力は失せていると思いたい。蛇足ながら付け加えるならば、1920年から3年後、下記の事件が起きている。


1923年9月1日
東京付近で直下型の大地震が発生、死者10万人以上


災害に備えて準備しつつ、明るい毎日を過ごしましょう。
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by antonin | 2005-09-27 01:44 | Trackback | Comments(7)

インターネット深夜便

といって、たいてい深夜なわけですが。

恩師の退職祝賀会兼同窓会へ行ってきたが、各人の仕事に関する話は少なく、概ね昔話だったので良かった。私の当時の交友範囲はマニア系であり、成績もお互い優秀と言うには程遠かったので、話の通じる友人はほとんど顔を見せなかった。スポーツや勉学に秀でていた連中の集まりに厚顔を下げて出てくる人間は私くらいだった。しかし、先生方はまだ当時の生徒の顔を覚えていらした。教師がいかに生徒を見ていることか。

受験を控えて気分も荒みがちだった高校時代と違って、中学時代は人生の中で一番気楽にやっていたような気がする。もちろん、本当にその場の状況に立ち返ってみれば、宿題が面倒だの追試がやっかいだの、中学生なりの困難はあったのだろうが、その前後の困難に比べれば、やはり取るに足らないものばかりであったような気がする。

あの頃に帰りたい、などという事はこれっぽっちも思わないわけだけれども、思い出して笑える時代があるというのも良いものだと思う。
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by antonin | 2005-03-21 03:27 | Trackback | Comments(0)

眠れぬ夜のために

寝なくちゃ。
毎日こんなんだ。

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もち米じゃない米はなんで「うるち米」というのか。

農林水産省のサイトから「なぜ『うるち米』というか

決め手は粘りけ(の少なさ)。αでんぷん
小麦の粘りはグルテン

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Bill Evans & Jim Hall いいじゃないですか。

1962年の録音。室内楽系の小編成は古い録音でもステレオでさえあれば問題ない。もちろん10kHz超の高調波は落ちているのだけれど、かえって聴きやすい。ラウンジの奥から聞こえてくる音はこんなだよなぁ。

古く、時代の進歩は録音音質に直結していて、ディジタルオーディオ登場前夜には"Hi-Fi"というのが高級オーディオの定冠詞だった。スポーツカーと言えばターボと言うのと同じように。ハイファイは"High Fidelity"の略で、「原音忠実度が高い」という意味だった。楽器が鳴っているままの音をオーディオセットから鳴らすのが美徳だった。

粗悪なオーディオはひどくひずんだ音を出す時代だったから、それはそれで重要な価値だったのだけれど、クリスタルオシレータとD/Aコンバータの力で高級機から廉価機まで無差別に低ひずみ化してしまったディジタルオーディオの登場で、「ハイファイ」という飾り文句はもう価値が失われてしまった。

CD-DAの規格を超えるようなサンプリング周波数や量子化ビット数を備えた規格もその後現れたが、そういった更なるハイファイに興味を示す人はほとんどいなかった。DATやCDが初めて現れたときのような感動が、そこには無かったからだろう。

とうに成熟したはずの自動車業界や家電業界がまだまだ進化しようとしているのだから、オーディオにもまた進歩の波が来るのかもしれない。ハードディスクやフラッシュメモリに記録するとか、そういうことではなく。

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やっと眠くなってきましたよ。
夢で逢いましょう。
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by antonin | 2005-03-15 02:54 | Trackback(2) | Comments(0)

悪言

映画『敦煌』のDVDをようやく見終わった。
特典映像も一部眺めた。
予想より原作を尊重した良い映画だったのではないか。
今の時代に同じ映画を作ったら、中国人の演者がもっと脇役級に入ったかもしれない。

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夜更け、自虐的な気分で酒を嘗めている、と言いたいところだが、ウイルスが逓減しきってはいないので、発熱に備えて仕入れたイオン飲料の残りをちびりちびりと飲んでいる。
花が咲くとか散るとか、実が成るとか腐るとか、そんなことももうどうでもいいような気分でもあるが、これもまた流感のようなものであって、また来月の今頃には呑気にやっているのだろう。
しばらくの辛抱。

来月の今頃と言えば、高校の恩師の退職に合わせて同窓会があるのだが、うっかり出席と返答してしまった。
これもまた頭痛の種である。
他人の仕事の苦労話や自慢話を聞くのは耐えられない。
おそらく老いただろう恩師の顔を眺めて、早々に退散しよう。
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by antonin | 2005-02-22 03:10 | Trackback | Comments(5)

物欲日誌

DVD映画の方は、半分くらい見た。原田大二郎の舞台演劇のような大げさな演技が気に入った。また余裕があったら残りを見よう。


最近物欲づいている。今まで物欲が無かったのかと言えばそうでもないのだけれど、学生時代には爛々として欲望を発していた電子小物に、興味が行かなくなってしばらく経っていた。ところが最近欲しくなったものがいくつかある。いくつか、というか、次の3点である。

・SONY MDR-NC11A

・Creative MuVo2 FM (CMV2F5G)

・Logitec LHD-PBA40FU2

続きを読む
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by antonin | 2005-02-14 03:04 | Trackback(1) | Comments(1)


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