安敦誌


つまらない話など
by antonin
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安敦氏の消息

とりあえず、生きております。
「賀正」なんて書いたまま2月も中旬に入ってしまっておりますが。

--

ここにものを書かなくなった要因というのはいくつか考えられるけれど、一番大きいものは、やはり書く気が起こらなくなったというところだと思う。別にビジネスとして書いているものでもなし、書く気がなくなって書かなくなることに全く問題はないという話もある。ただ、tumblrのリブログ状況なんかを別とすると、Antonin/安敦のバイタルサインはここの書き込み状況くらいしかないので、ある程度は何か書いておく必要があるような気もする。

で、特に書くこともないので、近況を少し。あと、書く気が起こらなくなった理由とか。

1月に、インフルエンザに掛かって5日も出勤停止を食らった。発症が金曜日だったので、稼働日にすると2日で済んだのが、まだ幸いだったけれど。でも、家族の誰もインフルエンザにかからなかった。職場でも同様。どこからウィルスをもらったのか、そもそも本当にインフルエンザだったのか。一応、病院で検査薬を使った判定結果ではあるのだけれど、判定薬を見せてもらったら"ABC"のうち"C"のラインだけがくっきり出ていて、あとで聞くと、それは「判定結果が出ました」というだけのマークだという説もあって、なんかだ怪しい。数をさばくのだけが上手な医院でもあるので、なお一層怪しい。

駅に程近い家に住んでから、あまり自宅から通勤できる機会に恵まれなかった。ここに住み始めてから8年のうち、通算5年間くらいは単身赴任をしていた。累計すると、JR東日本にはかれこれ100万円くらいは私財をつぎ込んでいる。VIEWカードのポイントが馬鹿みたいに溜まって、サンクスポイントでチャージというのをしょっちゅうやっていたが、自腹でそういうことをやるのは、いくら子供の顔を見るためとは言ってもあんまり嬉しいものではない。それが、自宅から通勤できることになって、精神的にも経済的にも、かなり楽になった。まぁ、この状態もいつまで続くかわからないのだけれども。

あとはまぁ、家庭のマネジメントというか、家庭の辣腕マネージャであるところのヨメによるコドモたちへのハラスメント的な言動をどうしようとか、中間管理職の悲哀的にいろいろと難しいところもあるのだが、そのあたりはまた別テーマということで。一方職場では中間もなにも管理職ですらないので、そのあたり気楽ではある。

で、その、書く気が起こらない理由でありますが。基本的に処方を変えたのが原因だと思う。ノルアドレナリンの方は睡眠障害を抑える程度のレベルで放置気味で、セロトニン重視の用量になったので、軽躁のような状態に陥りにくくなっている。一方で精神環境がマイルドなためか、鬱傾向もない。低用量に移った直後はやや具合の悪い期間もあったが、インフルエンザのために1日飲まず食わずで眠ったあたりを境に改善した。この飲まず食わずでは体重も2kgほど落ち、その後も食欲が以前ほど無駄に出ず、体重をキープしているので、まあ悪くなかったかな、という感想も。

以前は昼夜問わず物思いが暴走して面倒な結論が出ることがあって、基本的にその結論をなんとか文字にして残しておきたいという強い欲求からものを書いていたので、そういう物思いが落ち着いていると、そもそも書くことがない。もし書こうと思えば、過去に溜め込んだネタが沢山あるので話題に困ることはないのだが、別に職業ライターではないし、数万PVを抱える人気ブロガーでもないので、そういうことをする必要もない。最近はもう、Brainfuckが可愛くて生きるのがつらいということもない。強力なインタプリタを書きたいという衝動も消えた。

それから、そもそも安敦誌の始まりというのが単身赴任中の手慰みだったということもあって、3人のコドモに囲まれて雑多な多忙の中に生活していると、一人PCに向かい、ブログ論壇を横目に妄想を募らすという環境自体がなくなり、自然とものを書く機会もなくなる。適当にゲームなんかをしていると、気が紛れる。それなりに本を読んだりもしているけれど、帰宅後に一人飯を食いながら連想の無限再帰に陥ることもない。これはまあ、脳という資源の無駄使いが減ったということで、社会生活上はむしろ健全性の向上に寄与しております、という感じになっている。

しかしまあ、処方が多少変わっただけでこれだけ精神生活が変わるということから察するに、20代後半から30代にかけての人生の中で、今より何倍もの用量、何倍もの種類の処方を、めまぐるしく変えながら与えられていたあの時期というのは、いったいどれだけ人格が影響を受けていたのだろうか、と思う。増量だけでなく減量についても厄介な成分もあって、あるいは、思考が活発になるなどと説明されたのに実際にはひどく眠くなるという薬などもあり、当時のデスクワークのつらさが全くその薬の薬効だったとわかったりして、覚せい剤などとは別の形で色々と人格を突き回されていたのだろうと、今にしてみると思える。

そのあたり、詳細を書いてもしかたがないだろうし、過去に対して云々してもしかたがないので、どうとも思わないが、そこを生き残れなかった人もあったのだろうと思うと、いろいろと罪だよなぁ、とも思う。私個人については、サポートがあった幸せに感謝するのが精一杯というところなんだろう。

--

かつては、ここから妄想が広がって面倒だが面白いことを書いたりしていたが、今はそういうこともないので、そろそろ終わりに。機会があればまた。
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by antonin | 2013-02-11 04:09 | Trackback | Comments(0)

賀正

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

でも、なんで年が明けただけでめでたいんだろう。「新春」というだけあって、旧暦の正月は関東で梅が見頃になるような季節だったらしい。食料が手に入りにくく、寒くて病気も起こりやすい冬をやり過ごして、無事に春の入り口に立った感慨が、当時の人達にはさぞかしおめでとうござったのだろう。まだ冬至から日が浅い新暦の正月は、いよいよこれから寒さのピークを迎えるという時期で、ちょっと感覚が違う。一陽来復、という程度のめでたさはあるかもしれない。

穴八幡 一陽来復

幼い頃は穴八幡宮からさほど遠くないところに住んでいたので、初詣はいつも穴八幡宮だった。穴八幡宮と放生寺が分離したのは明治の神仏分離令によるものらしい。八幡神は早い時期から神仏習合を認めてきた宗派なので、よくお寺の一角に社を構えていたりした。穴八幡も、神であると同時に菩薩であって、江戸時代までは別に不思議なことではなかった。私も仏教を受け入れるようになってから放生寺を訪れたことがあって、縁起由来を読むと、徳川家光以来将軍家に厚遇された歴史があったらしい。

と、まあ、今年もしょっぱなからこういう面白くもないことばかり書いてしまうのだけれど、ちきりんが面白い記事(エントリー?)を書いていたので引用してみる。

来年の抱負) やらないことを3つ決めよう! - Chikirinの日記
いよいよ年末ですねー。お正月休みの間に来年の目標を考えよう!という方も多いでしょう。そういう方に、ちきりんからの提案です。

来年の目標は、「今年は○○をやる!」ではなく、「今年は○○をやらない!」という形で決めてみてはいかがでしょう?

ビジネスの戦略本には「戦略とは、やらないことを決めること」という趣旨の記述がよくあります。

やらないことを明確にしておかないと、結局は「アレも大事、これも大事、おっと、こっちも忘れちゃならない」みたいになり、結局すべてやることになります。その結果、何もかも中途半端になってしまうのです。

やらないことを決めるのは、ビジネスだけでなく、ほぼすべての組織、そして個人にとって有用な目標の立て方です。


「3つのNO」というと、戒律的には「不慳貪、不瞋恚、不邪見」なんだけど、今年一年に限定した具体的なところに絞ると、だいたいこんな感じになるだろうか。

・日の出ているうちは「自分のアタマで考えない」

・階段が使える場合はエスカレーターに乗らない

・人に期待しない

最初の以外はすでに心がけているところではあるので、あまり変化はない。で、最初のやつは、最近特に思うようになった。要するに「積極的に思考停止しよう」という自戒になる。思考停止というと、日本語の文脈ではもっぱら悪い意味に使われているけれど、本来の「思考停止」というのは決して悪い意味じゃない。ルート2はいくつか。方程式を級数展開して無限多項式を求め、その多項式に2を代入して計算するというやり方が、「自分のアタマで考える」方式。それに対して、「ルート2 = 1.41421356」と丸暗記してしまう方式が、思考停止。

必要に応じて任意精度の解が得られ、応用も利くのはやっぱり計算方式なのだけれど、それだと時間も手間も余計にかかる。プロセッサなら処理時間も消費電力も余計にかかる。ところが、丸暗記方式で思考停止すると、時間も手間も、消費エネルギーも最小限に抑えることができる。そして、暗記した内容に相当程度の精度があれば、多くの場面では用が足りる。訓練によって適切な思考停止ができる人間をプロと呼ぶ、と言うこともできるかもしれない。

学生時代に何か哲学系の本を読んでいて、古代ギリシャの哲学者に全てを疑い全てを自分の考えで答えを求めようとした人物があって、その人は道を歩いているときに考え事をしていたために荷馬車に激突して大怪我をしたという、嘘か本当かわからない逸話を目にしたことがあった。思考停止に対する上の意見はほぼその本の受け売りなのだけれど、学ばざれば即ち罔しなんであって、予備知識がないうちに下手の考えをこねても休むに似たりなので、少なくとも陽の高いうちは自分のアタマでいろいろと考えて無駄な時間を潰すよりも、持っている知識を無批判に適用してみたり、知識を学んで受け売りしてみたり、そういう時間の使い方をしたほうが効率がいいし、世間の受けもいいのだろうと思う。

そうは言っても、完璧を求めるのは人物を壊すので、程々にしておくのがいいんだろうとも思う。

さて、最後に私信。

年明けて、今月から1年半ぶりに単身赴任が解除になりました。で、平日から東京近辺をうろうろしていますので、ご興味のある方はお声掛けください。高い確率でホイホイと着いて行くのではないかと思われます。

そんな感じで。
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by antonin | 2013-01-03 06:13 | Trackback | Comments(3)

日常的妄想のあれこれ

時間がない。手短に。

--

国債全然OK学派の人々の最大の論拠とは、国債の大部分が国内で消化されているから大丈夫、という説にある。比喩的に、お父さんがお母さんから借金しているようなものだから大丈夫、とある。これが、家計を預っている主婦たるお母さんが、経済労働の主体であるお父さんから借金して使い込んでいるという比喩に置き換えてもまだ同様に借金無問題という結論が出るのか、そのあたりはよくわからない。

わからないわからない言っていてもしかたがないので、久しぶりにマンキューを引っ張りだしてきた。流し読みしてみて、少し分かる部分もあるのだけれど、まだマクロ経済の問題を理解できるほどには理解が進んでいない。このあたり、喉に小骨が刺さったような異物感を時々覚えて具合が悪い。

国内で債券が消化される場合、債権者を国外に持つ場合との相違点は何か。箇条書きにしてみる。

・債権者が国民であれば、国家の定める法律に従う義務があり、国民は立法府が公布する非常事態法(預金引出制限や一定資産の接収など)に逆らうことができない。

・円通貨を発行しているのは日本銀行であるが、非常時においてはその政府に対する独立性を制限することができるため、国債の額面を記述している円の価値を下げるために、紙幣増刷を命令することができる。

・国家は国民に対し情報統制が可能であり、国債の保有に心配はないとする、債務に対する国民の信用を維持する方法を有している。

というあたりか。マクロ経済においては、通貨圏の中で通貨流通が閉じているので、開放系の数学ではなく閉鎖系の数学が適用される(開放系の数学に対して、通貨の循環を前提とすることによる暗黙の境界条件がいくつか付加される)という違いがある。しかし、現在の国際経済は、地球全体ではもちろん閉じているけれども、国家単位では解放度合いが大きく、通貨統合したヨーロッパ連合ほどではないにしても、日本円も為替の影響を大きく受けている。

たとえば、わかりやすく発電所の発電機で考えてみると、1次冷却水は復水器によって循環するが、そこで加熱される2次冷却水は外部環境へと放流される。こういう場合に、1次冷却水の質量系は閉鎖系になるけれども、エネルギーの系は、ボイラーからの熱流入、タービン内膨張によるエンタルピー流出、復水器での熱流出によって、開放系になっている。円も同様で、取引通貨としての円は日本国内に閉じているが、貿易と投資を通じた価値の交換は為替を経由した開放系になっており、古典的なマクロ経済が前提としている閉鎖系依存の境界条件の一部は既に成立しなくなっている。このあたりの加減がまだよく理解できていない。

日銀の量的緩和も、キャリー・トレードによって国内ではなくスペインやギリシアでの不動産価格高騰を招いただけに終わり、ヨーロッパの中銀各行に迷惑だからほどほどにしてくれと注意されたから続けられなくなったという説があって、もしそれが本当だとすると、日本国内だけを向いた政治家の口から、あの時もっと緩和を続けていれば日本の経済が自律回復したのに途中でやめた日銀の不見識は云々という意見が出るのは、国際経済の規模に対して無視できないほどの規模に成長した円の番人としての、日銀の重要な役割を過小評価した意見なのではないかと思える。説が正しければ、だけれども。

分子が分母に対して十分に小さいうちは成立する近似式が、分子が大きくなると成立しなくなることがあり、逆にそれまでは成立しないと言われていた近似式が徐々に成立してくるという現象も、工学の世界にはしばしば見られる。そういうビリアル係数的なものが経済学ではどうなっているのか、このあたり、真相を知りたい。

--

Brainfuckの処理系の仕様がだいたい固まったのだけれども、規模が大きくなりすぎて、実装する時間がない。素直に実装するとgcc-coreくらいの規模になってしまう。これはこれで美しくないような気がする。あと、やっぱり安全なコードと速いコードの両立は難しいと実感した。処理系とユーザープログラムが暗黙の契約を結んだような(契約を破ると即座にsegmentation faultで堕ちるような)コードは、処理系が水も漏らさぬような処理をするコードに比べると、やっぱり10倍くらい速い。工夫によってこの差はもう少し縮められると思うが、それでも2倍は割らないだろう。

Javaの、遅いがネットにさらしても安全に動く処理系というのは、素人が世界のいかなる道路を運転しても破綻しない乗用車のようなもので、その速度というのはどうしても限度がある。しかし、道路に陥没もなく、横断する歩行者もなく、ドライバーが事故を起こしてもドライバーがメーカーを訴えないことが保証されているような、つまりサーキットレーシングの世界では、同じような排気量のエンジンでも数倍速く走ることができる。これは、実はFortranの世界であり、こういうスパルタンな環境下では、Brainfuckのような非効率な言語でも結構な速度で問題を解くことができる。

最初は現代的で安全重視の処理系をstd::dequeなんかを使って書いていたのだけれど、これだと有名なmandelbrot.bの実行に3分くらいかかる。これをstd::vectorに変更して、segmentation fault上等な(代わりに開始アドレスから±1GBのアドレス空間を確保した)処理系でこれを実行してやると、30秒を切る。そこから最適化などをしてやると、最終的に10秒を切るあたりで落ち着く。これとは別に、BFからCのコードへ直訳するコンバータを書いて、出力されたコードに2GBのstaticメモリを与えてやると、gcc 4.5.3 の -O3 オプションによって処理時間は1.2秒ほどにまで縮まった。やっぱりコンパイラは強い。

この過程で最適化技法などについても思うことが多々あったのだけれども、CPUパフォーマンスを古典的な意味で引き出す方へ興味が行ってしまい、ここ2週間ほどはopenmpだとか、sse2だとか、汎用レジスタのSIMD的手法による演算(32bit intを8個の4bit intとして加算や論理演算を行う)だとかを試行していた。ネタは再びライフゲームに里帰りしている。今のところ睡眠不足のためにパフォーマンス測定できるところまでコードが書けていないが、L1キャッシュの32KBからデータを落とさないように注意しながら3個のALUを占領して走り続けるコードなんかを考えていて、何かと楽しい。

もはや「公道を走る」タイプのプログラミングにおいて、こういうあまりにも趣味的なコードを書くことは許されないのだけれども、ひどくプライベートな空間を走るプログラムというのは今の時代にもわずかに残されている。それにしたってプログラムの方を極度にチューニングするよりは、最新のアルゴリズムを適用してみたり、適正な従量コストを引っ張ってきてプロセッサのスケーリングで解決する方が主流ではあるのだけれども、素人に毛の生えたようなレーサーが週末に筑波を攻めるようなプログラミングスタイルというのがあってもいいのだろうと思う。

--

育児とか仕事とかもいろいろと厄介ですが、まあそのあたりはアレということで。
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by antonin | 2012-11-11 17:31 | Trackback | Comments(2)

母をたずねて三千人月

タイトルに意味はありません。

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いろいろとペンディングのネタがあるが、ここに書くまでの気力がなかなか出ない。最近ちょっと処方を元に戻したので、回復傾向にはあるけれども。

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昨日は上野動物園に、今日は某所のIKEAに家族で出かけたのだけれど、外に出るとコドモがはしゃぎすぎて自由に動けない。今日は特にひどかった。遺伝的因子が強いのだろうけれども、ムスメの性格というのは本当に私の父そっくりで、それを思うと父方の祖母の苦労を想ってなんだか切なくなった。そういえば昨日はお彼岸だった。暑さ寒さも彼岸まで、とはいうものの、ここまで極端でなくてもいいだろうに、と関東在住の者は思うのでありました。

--

「景気」ってのはよくできた言葉だと思う。きっとヨーロッパ系の経済用語から明治の学者が和訳した用語なんだとばっかり思っていたが、調べてみると「景気」に1対1で対応する英単語が存在しない。景気という熟語自体は古くから使われていたようだけれど、現在のような意味で使われるようになったのは比較的最近のようだ。

で、businessの強度という現在の意味に「景気」という語を当てた人はなかなかセンスが良かったと思う。取引成立価格というのは売買に関与する人の気分に依存するものだけれど、景気というのはその総体で、"background mood"というような直訳を当てることができると思うけれども、これは景気の性質をよく表している。リフレ論を主張している本を読まないといけないとは思いつつも、日本の市場が持っている mood の background を想定するとき、その自己参照性というか、サイフォン特性というか、そういうものをどこまで検討しているのかな、という疑いがあって、あんまり本気で勉強する気がしないというのが正直なところ。こういう偏見はいけないんだけど。

個人的には野田首相というのは久々に見る政治家らしい政治家であって、国家の利益のために自己の評価を犠牲にできる、地味に良い政治を実行してきたと思う。党首選では、予想されるような主張をする、予想されるような人が対抗馬として現れたけれども、大差で野田さんを支持した民主党には、いくらか与党としての自覚が生じてきたのかな、という気がする。

自民総裁選のメンバーから一人選ぶなら、石破さんかな。民主党の行なってきた政策に対する負帰還としては最も適切かと。谷垣さんを総裁選候補からすら落とした自民党の冷徹さにも期待。

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【重要】ブログジャンル登録・ジャンル別ランキング導入のお知らせ : エキサイトブログ向上委員会

ってことでブログのジャンル登録を促すメッセージが出たので、「40代」と「オヤジ」カテゴリーに登録しました。そもそも「安敦誌」というのが "Antonin's log" という以上の何も示していないし、内容的にも「安敦が書いた」という以上のなんのテーマ性もないので、これ以外の分類は不可能です。「ほげほげランキングに参加しています。ポチッとお願いします」みたいな面倒な事はしませんので、従来通りのお付き合いをよろしくお願い申しあげます。

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塩漬け中のタイトルから。

 「イカれた脳のためのダンス教室(2)」
 「若さの無駄遣いはやめよう」
 「エーテルはどこへ消えた?」
 「intangibles」

とか。
そのうち。
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by antonin | 2012-09-24 01:17 | Trackback | Comments(0)

雑記

エーテルについて、好奇心について、命題論理とか述語論理とか様相論理とか集合論とかについて、ぼちぼち考えていた。ヒッグズ粒子も観測されたことだし、そろそろ超多時間論より下位に来るエーテルレベルの話が活発になってもいい時代なんじゃないかと思う。M理論なんかはまったく意味がわからないけれども、いい本があったら読んでみたい。

森田さんが新書で出した本を見つけたので、読んでいる。まだ途中までしか読んでいないが、ベルの定理とその周辺がわかりやすく説明されていたりして、読んでいて楽しい。良識的な物理学者が無批判に信じているような定説を、科学哲学の人らしく正確な位置づけで書いてくれるので、読んでいてストレスを感じなくていい。ネット接続が回復してからネットに入り浸って紙の本から離れてしまっているが、少しずつまとまった読書ができる習慣を取り戻して続きを読んでいきたい。

量子力学の哲学――非実在性・非局所性・粒子と波の二重性 (講談社現代新書)

森田 邦久 / 講談社



Brainfuck用ライブラリの構築も、目立った進捗はないけど、ぼちぼち考えている。入出力命令の接続先を、ライブラリ用スタックへの push / pop と標準入出力で切り替える方式にしてみたら、少しだけBFプログラムが書きやすくなった。世の中には素のBFでマンデルブロ集合の計算とかやっているすごい人がいて、驚きつつ感心した。その人はCプリプロセッサでメタプログラミングして、すべてマクロによる記述でBFのソースを生成していた。私もまずはマクロというかメタ言語というか、そういうものを書くところから始めてみた。あんまりマクロ機能を強力化しすぎるのは言語間コンパイラを作ることにしかならないので程々にしないといけないのだけれど、同時に楽しい作業でもある。

Index of /brainfuck/utils/mandelbrot

インタプリタ設計もいろいろ考えている。マクロを使ったBFのソースというのは、うっかりするとすぐメガバイト単位に膨張してしまうのだが、結局繰り返しが多いので圧縮をかけると数百分の1くらいにまで小さくなる。ソースが巨大でも、文法解釈して冗長度を取り除いたあとの中間言語は非常に小さくなるだろう。ゼロクリアは普通 "[-]" と書くが、このあたりも繰り返しをゼロ代入へ最適化できるだろう。どれくらい巨大なソースを実時間で動かせるか、なんてのも楽しそうだ。

BFに公開するメモリは 32bit int の配列で行こうと思っているけれど、メモリ空間は広く使いたいので、インタプリタは 64bit アプリを前提としてみたい気もしてきた。BFのアドレス空間を 32bit 値でポイント可能な4ギガワードとすると、そこに 32bit int を割り当てると全部で16GBになる。幸い今度のノートPCの主記憶は16GBあるので、いい実験になりそうだ。実際には通常のリニアメモリが1GW、ライブラリ用スタックが1GW、32bit int 以外のオブジェクトを確保できるヒープメモリ用アドレスを1GW取り、どの記憶領域も動的に確保しようと思っているので、単純計算はできないが、2GBで終わりというのはつまらない。また近いうちに続編を書けるといいけど、場合によっては数年かかるかもしれない。

今度の火星表面探査機の名前は "Curiosity" というらしい。好奇心が持てるというのは幸せなことです。
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by antonin | 2012-08-28 23:38 | Trackback | Comments(0)

ニュートリノその後

CERNの加速器を使って実験をしていたチームが「ニュートリノは光よりも速いかも」と言い出した問題で、「やっぱり間違いでした」という結論が出たらしい。って、かなり前の話だけど。

ニュートリノ : 安敦誌

当時、「そんなわけあるか」という世間の風潮に対して、「そんなことがあっても面白いじゃないか」というようなことを書いたわけだけれども、光ファイバの接続が甘かっただとかで、やっぱり「計器の遅延による誤差でした」という残念な結末だった。

まぁ、それ自体はよくあることなのでいいのだけれども、先回の自分が書いた文章の中で、明らかに間違いの部分を見つけてゲンナリした。カミオカンデがSN1987A由来のニュートリノを検出した話なのだけれど、実はあのとき、SN1987Aは日本から見て地球の裏側にあった。だから、宇宙空間を飛来している大部分の区間はともかく、カミオカンデに到着する直前では、それなりに密度の高い地球の中を貫通して、最後にカミオカンデの純水と相互作用している。

だから、カミオカンデが観測したSN1987A由来のニュートリノと、CERNの加速器が打ち出したニュートリノでは経路が違うのだから、単純に反例とすることはできない、というような私の意見は間違いだった。あーあ。

かつては、ここで妄想を書き散らす場合でも、簡単に確認できることはそれなりに確認して、ときどきソースにリンクを張りながらモノを書いていたのだけれど、単身化に伴う通信環境(と本棚)の貧弱化ということもあって、最近はちょっとそのあたりがサボりがちになっていた。ようやくそのあたりは改善してきたので、今後は少し調べ物をしてから文章を起こすように心掛けたい。が、なんかあんまり意欲が無くなってきていて、身体的な原因なのか、それとも他の要因があるのか、はっきりしないけれども、とにかく億劫に感じる。

という具合で最近は、抽象的で観念的で、あやふやな記憶や推測に頼った議論が多い。誤変換の見逃しも多い。なんだか困ったもんだと思う。
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by antonin | 2012-07-24 22:36 | Trackback | Comments(0)

遠くへ行きたい

久しぶりにネットに繋がって、いろいろやっている。CygwinとかOpenGLとかOpenCLとか、そういうのも楽しそうなんだけど、ネットに繋がるとやっぱり漠然と日替わりランチのような文章を読んで時間を潰してしまう。そんな中、こういうのを見つけた。

書評ブログ コンテスト結果発表! - Chikirinの日記

へぇ、消費者参加型マーケティングなんかやってたんだ。本を売っていたのは知っていたけど、こういうのを自分の商材でやってみるのは面白いだろうな。「カノッサの屈辱」とか「マーケティング天国」とか好きだったし。

で、「課題図書」は買っていないし読んでいないのだが、そろそろコドモを連れて海外旅行なども行ってみたい。若い頃、たしか高校生ぐらいだったと思うが、一生のうちに一度でいいから行ってみたい場所というのを3か所挙げていた。ひとつは、ボヘミア。プラハと、その周辺。カレル橋やヴィシェフラド見物も楽しそうだし、できればヴィソカーあたりでのんびり過ごしてみたいとも思った。プラハで飲むピルスナーはたまらなく美味そうだ。もうひとつは、ザンクト・ペテルブルク。というか、レニングラード。ひたすら音楽に耽溺して、ときどき美術館なんかも巡って、ピョートル大帝の開いた港湾も少し眺めたりして、それで満足できると思う。最後は、火星。オリュンポス山の麓でキャンプしたい。

だが残念なことに、半生を終えた現在、この3か所のうち、ひとつも自分の足で訪れていない。海外旅行自体は(結婚前に)何度か行ったが、ヨメ、というか彼女(当時)のご希望で大半が決まってしまったので、プラハにもペテルブルクにも火星にも、どこにも行けていない。ローマとティヴォリは楽しかったけれども。ヴィラ・アドリアーナとか。

ペテルブルクと火星はもはやどうでも良くなりつつあるが、せめてプラハだけは見てから死にたい。市街区の外れにある安宿を確保して、バスかトラムで市内に通うのがいいだろう。ああ、憧れの百塔の都よ。

なんだかウルケル飲みたくなってきた。寝よう。
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by antonin | 2012-07-11 00:45 | Trackback | Comments(0)

雑記

「金魚」について、と、「ヘルツ」について、途中まで何か書いたけれども仕上がらず、保留。単身暮らしの手慰みに始めた安敦誌だけれども、今度はPCを持たずに単身赴任しているので、妄想を書き留める習慣が消えつつある。まあ別に誰もそれで困らないことではあるけれども。

で、断片をいくつか。

--

韓国と台湾の対日感情の理由というか原因というか、そこの部分が李承晩さんと李登輝さんという、二人のLee氏の政治姿勢に由来するんじゃないかということを思うようになった。自民党と民主党、あるいは読売新聞と朝日新聞の意見の隔たりというのも、系統をたどれば山県有朋さんとマッカーサーさんあたりの政治方針の違いの名残なのかも知れないし、そういう目で見ればイギリスとフランスでの日本文化の受け入れられ方の違いでさえ、ひょっとするとサッチャーさんとシラクさんの対日感情の違いあたりが尾を引いているだけのことかもしれないと思えてくる。

近代国家にはたいてい学校という制度があって、使いようによっては50年後の国民感情を規定することなども案外簡単なのかもしれないと思った。問題を過剰に単純化してもいけないのだけれども、そういう切り口も面白いかもしれない。

--

人間の体液の組成が、人類の祖先が海から陸へ上がった当時の海水に近いんじゃないかという仮説がある。女性の子宮と卵巣というのは直接的にはつながっていなくて、卵巣から放出された卵子は一度腹腔の体液中に浮いてから、子宮の中に吸い込まれるようにできている。これも海水中で卵子と精子を結びつけていた時代の生物のシステムをあまり変更せずに流用するのに都合が良かったからと考えると、理解しやすい。

もしそういう仮説が成立するのだとすると、人間の体温が摂氏36度程度だというのも、もしかすると動物上陸当時の海水温に近い温度を維持しているのかもしれない。古典的な進化論では、現在の魚類のような脊椎動物から始まり、現在の両生類のような動物と、現在の爬虫類のような動物、更には現在の猿のような動物を経て人類に進化したと考えられていた。けれども、現代的な進化論では、猿と人間には、ある時点で共通の祖先があって、そこからそれぞれ別の方向に進化したとされていて、必ずしもどちらか片方が共通祖先と同じ姿をしているとは考えられていない。

そういう意味では、海から陸に上がった生物は低体温で生きられる両生類的な変温動物で、その後の進化の過程で体温を上げながら恒温性を身に付けたというよりは、摂氏36度からそう遠くない海水中で生活するのに適応していた共通祖先がまず陸上に進出し、そこから派生して哺乳類と爬虫類が生まれたのだが、どちらも地球環境の変化に合わせてそれぞれ違う方向へ進化しただけと考えたほうがいいのかもしれない。

哺乳類の祖先が採用したと考えられる陸上適応戦略は、体内に原始海水と似た組成と温度を再現できるような能力を身につけ、その環境に対して最適化された当時の生理活性を持つ代謝システムを使い続けるという方向の進化だったのに対し、両生類や爬虫類の採用した戦略の方は、環境温度と同程度の体温で生きるという性質の方を維持して、代わりに温度変化の大きい陸上環境の変化範囲でも生きられるよな代謝の仕組みを、新しく身に付けていくという方向の進化だったのではないか。そう考えれば、海に残った魚類というのは体積あたりの比熱の大きい海水温度に合わせて生きざるを得ない中で、徐々に冷えていく海水温に合わせて現在のような代謝システムへと漸進的に進化したと考えることもできる。

ここからは比喩的な話になるけれども、企業組織などでも外部環境の変化に合わせてそれなりに自身も変化しながら永続する適応の方法もあれば、外部環境の変化とはある程度切り離された内部環境を保守的に維持することで、その限られた環境の中で昔ながらの慣れ親しんだ仕組みを使いながら、組織としては結局永続していくという適応の方法もあるのかもしれない。世界は世界、国は国、我社には我社のやりかたがあるというような、そういう企業が案外に潰れないということも、実は哺乳類の進化の戦略に似ているのかもしれない。

我が道を 笑わば笑え ガラパゴス

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一部で「フィーチャーフォン」と呼ばれる電話端末を使っているが、そこでフルブラウザ替わりになるiアプリを使っている。性能と使い勝手が良く、これを使っていると、最近の流行の主流を外れているために事業者固有の新規サービスに対応したアプリが提供されないという制限を別とすれば、基本的にスマートフォンと同等のことができる。

ただし、機能と性能が同等になってくると、一般には電池寿命に定評のあるフィーチャーフォンであっても、電車内でブラウジングを続けているとフル充電でも2時間くらいで電池切れになるし、回線品質に定評のあるNTT docomoのハイスピードFOMAであっても画像表示などではさすがにもたつくし、電車待ちの乗客たちがみんな携帯電話端末をいじっている乗換駅構内などでは、ちょっとした通信でもかなり待たされることが多い。iPhoneやSoftbankに固有の性質と思われていたものでも、案外に単なる利用法の違いに起因する問題というだけなのかもしれない。

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自宅に帰って無線LANの電波を見ると、5年ほど前には802.11gの電波が3波程度、窓際でも5波程度観測される程度だったが、最近では802.11nのアクセスポイントが15局ほど観測される。そのうち幾つかは同一の物理局なのだろうけれども、とにかく数が増えた。我が家には今のところ5GHz対応の子機がないので、基地局の方も5GHzを切って802.11gのプロトコルに設定してあるが、5GHz対応の端末に移行できたら、マンション内で混線気味かつ電子レンジの妨害なども受けやすい2.4GHzは切って、いっそ802.11aにしてしまったほうが接続が安定するなんていうこともあるのかもしれない。

で、そういう802.11nのAPの中に、FON_FREE_INTERNETというのがある。別に無料ではないのだが、加入者は他人のFON_APを自由に使えるらしい。最近Softbankが3G回線の帯域負荷を減らすためにFONの無線LANルータを無料で配布していて、契約者世帯以外への回線又貸し利用を禁じていることが多い固定回線の事業者と、新たな軋轢を抱えているなんていう話が検索で見つかった。

FONのルータをデフォルト設定で使用している世帯がマンション内に複数存在すると、APの識別子が衝突して見かけはひとつのFON_FREE_INTERNETしか見つからないが、気がつくとよその家の回線からインターネットに接続していたなんていう事態も発生するらしい。まあ、3GはFOMAでWLANは802.11gな我が家には関係のないことですが。

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常磐線に乗っていると、途中駅で車内の照明が消える。すると、交流区間と直流区間の切り替えのためというアナウンスが入る。なるほど。特急に乗っている場合に、途中で照明が若干暗くなり空調が停止することがあるのだけれども、これも客席照明をバッテリー電源に切り替え、駆動機関の切り替え中は惰性走行しているのだろう。なるほど。

東日本と西日本を区別する基準のひとつは今も残る商用電源周波数の違いで、その変換に特別な機器が必要なために、中部電力と東京電力との間での電力融通はあまり大きくできないらしい。これはイギリスとアメリカから導入した発電機の仕様の違いが今に残っているものらしいが、これに加えて鉄道業界には直流方式まで残っている、と。これも、エジソンさんとテスラさんの軋轢の影響が今に尾を引いているのかもしれない。

太陽光発電や化学電池による蓄電システムは、本質的に直流システムになっている。最近は性能の良い強電用途向け半導体が開発されているので、家庭電力程度であれば交直変換なども難しくはないが、太陽電池や電気自動車などの直流デバイスが普及してくると、ひょっとすると民生用にも直流給電が復活するなんていうことがあるかもしれない。

まあ、そういう事態になっても寝室に13.8Vの電源ジャックが設置されるなんていうことにはならないんだろうけれども。

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自宅に携帯電話の充電器を置き忘れ、5日間を電池だけで過ごしたことがあった。幸い、単身部屋には単3電池式の携帯充電器と、フル充電された14本のニッケル水素電池があったため、問題なく次の週末までを乗り切ることができた。

近い将来、照明とノートPCくらいは夜間電力を貯めて動かせるような室内直流化なんかを日曜工作で試みても面白いかもしれない。インバータで蛍光灯を点けるとなるとそれなりの技術が必要になるが、LED照明なら難しいのは放熱対策くらいなので、PC自作と大差ない難易度の工作になるだろう。ただ、電源電圧が12Vといった低電圧だと大電流が必要になるし、逆に直流100Vとかになると部品の選定が難しくなってしまう。交流電源は電圧がゼロクロスする瞬間があるのでリーク放電が発生しても消えやすいが、直流だと一度絶縁破壊してしまうと復旧しにくいなんていう問題があるらしく、スイッチ類が難しいらしい。

鉛蓄電池は重すぎるし、ナトリウム硫黄電池は高温電池なので個人では手が出ない。家庭用に小容量の蓄電システムを作るにしても、結局ニッケル水素電池かリチウムイオン電池のセルを使うことになるんだろうか。まあ、90度のお湯を100リットル単位で保管する電気温水器が市販されるくらいだから、保温性能の高いナトリウム硫黄電池システムが風呂場の外に置かれるなんていうこともあるかもしれないけれど。プラズマテレビと液晶テレビの運命などを見ると、結局リチウムイオン電池に資本と人員リソースが集中して、民生分野ではどんな用途もリチウム電池が汎用的にカバーするんじゃないかという気がする。

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とある待合室で週刊文春を開いたら、若い頃の野田さんの写真が載っていて、その姿は美男子だった。こういう歳のとり方もあるのだな、と。私も学生時代より12kgも体重が増えていて、あんまり他人のことを言えた立場でもなくなりつつある。

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ではまた。
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by antonin | 2011-09-09 16:32 | Trackback | Comments(3)

これでいいのだ

コドモたちがローカル局の再放送で元祖天才バカボンを見ている。アニメ版バカボンも大雑把に2世代あるけれども、テレビでは私たちが子供のころに見た第1世代のほうが流れていて、コドモたちも意外に違和感なく見ている。私が子供のころにも鉄腕アトムや鉄人28号のリメイクなどを見たが、コストダウンのために白黒の初代作品をそのまま流すということはさすがになかったと思う。ウルトラマンシリーズやルパン3世などを繰り返し再放送していたことはあったが、当時としてはそんなに古いものでもなかった。今でもキー局などではそういう古い作品が流れることもないので、放送チャンネル数の増加による余裕というか、あるいは余裕のなさといったほうがいいのかもしれないが、そういうものが昔の作品の再放送を生んでいるのだろう。

過去にヒットした作品というのは、当然ある水準の品質を満たしているので、あとの世代でそのまま流用しても意外に通用することが多い。そうすると、人間の寿命と同じか、うまくすると人間の寿命を超えて鑑賞される。そういう、世代を越えて共有される作品が、ある地域の文化を形成していくのだろう。何か説明が面倒なことを言葉で表すときに、共有している作品に出てくる人物や場面を挙げれば、それで話が通じることがあって、共通辞書というのか符丁というのか、そういうものを持っていれば簡単に話が通じるが、もっていないと話が通じない。そういう区分が文化の境界を作るし、何か困ったときに作品の一部を思い出して、自然とそれに倣った判断をすることが、行動面の傾向を作る。

江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃、長唄や落語なんかがそういう文化を形成していたと思うけれど、昭和には水戸黄門や大岡越前が、平成ではサザエさんやドラえもんあたりが、実質的に日本文化を担う共通辞書になっているんだろうと思う。水戸黄門や大岡越前は江戸時代の話しだし、サザエさんやドラえもんは昭和の話なんだけれども、この手の作品は当の時代の大人から子供まで認識が共有されていないといけないので、どうしてもひとつかふたつ前の時代を描いたような作品になる。男の子的には、明治にはチャンバラが、昭和後期には航空戦あたりが、平成の次あたりにはガンダムみたいな宇宙戦なんかが、共通辞書になるんだろうと思う。

言語や物流の縛りなどもあって、だいたいそういう共通辞書は特定地域内のもので、したがって共通辞書の存在によって形成される文化のほうも、特定地域と強い結びつきがあった。ただ、古い神話の一部は、ある種の宗教が持っていた「布教」という自己増殖能力と結びついて、地域を越えて広く広がったりしている。古代バビロニアあたりに由来があるという旧約聖書の物語は、なんやかやできっと南米あたりまで知られていると思うし、バラモン教の雑多な神話の一部も、仏教に取り込まれて日本までやってきている。

ところが、そうやって長い年月を経て国境を越えた神話というのは、同じ源流を持っていながら、時間的、空間的に長い旅を経ることで、結局独自解釈によってアレンジされたりしているので、これもやっぱり地理的距離に比例した隔たりを持った地域文化を作ったりしている。「サブカルチャー」という単語の定義は、多義的過ぎて正直よくわからないのだけれども、その混乱に乗じてひとつ意味を付け加えると、そうやって地理的な地域と強く結びついた、古いスタイルの「カルチャー」に対して、20世紀初頭の電信やその後のラジオ放送あたりから始まった、地域性よりむしろ時代性や嗜好性によって区分けされた文化区分をサブカルチャーと呼べるんじゃないかと思う。

音声作品や映像作品が楽しまれるようになっても、やっぱり生演奏や舞台演劇や肉声による語りが主流だった時代には、サブカルチャーのほうがあくまで「サブ」で、「メイン」の文化は地域文化のほうだっただろう。ところが、テレビには海外から輸入した番組や映画があふれ、普通の市民の日常生活の中でPCや携帯端末でネットに触れるような時間の比率が高まってくると、どちらかというとサブカルチャーのほうが「メイン」になってきて、地域文化のほうが「サブ」に落ちるというような逆転現象も、だんたんと出てきたのではないかと思う。

もちろん、テレビ局もある程度の戦略性を持って輸入する作品を選んでいるので、まったく無差別にサブカルチャーが世界均一になっているとは思わないけれども、アメリカで作られた映画が世界各国で見られていたり、こちらは完全に日本ローカルだと思っていたアニメ番組が多くの国の子供に見られていたというようなことも考えると、もうどちらがサブなのかわからない地域というのは徐々に増えてきているのだと思う。

で、まぁ、なんの話かというと、そうやって、地域性よりもどんな作品に接して育ったかが所属文化を規定しちゃうような世の中を今現在生きているんだけれど、そんな中で偶然、コドモたちが天才バカボンを見ている、と。もう今の日本人は、国定忠治とか、楠正成とか、弁慶・義経なんかでは感覚を共有しなくなったのだけれども、そういう中でコドモが天才バカボンを見ることで物語の辞書を形成していて、その結果として親子が同じ文化に所属するようになるという現象が目の前で起こっている。なんだか不思議なことだなぁ、と思った。


バカボンのパパは41歳と歌われていて、もうすぐ追いついてしまう。家の外で来年40だよと言ったら、40歳って「初老」なんですよね、と言われてしまう。40が初老ってのは、女が二十歳過ぎると「年増」って言われてた時代の話だろう、と切り返しておいたが、辞書で「初老」を引くと、確かに「四十歳の異称」と書いてある。70歳なら古希だが、70まで生きるのは古来まれなりというような中国の古典から来ているらしい。魏志倭人伝には倭人は百歳まで平気で生きる長生きな民族だと書いてあるから、日本人基準では別にまれでもないのかもしれないが、とにかく古希を過ぎたうちのオヤジは元気にしている。

「慶事抄」の後日談で甥っ子が生まれたので、時間があったら見に行こうと思うが、細切れの時間しか空いていないのでどうなるかわからない。この子が長じてバカボンを見る機会があるのかとなると、なおのことわからない。
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by antonin | 2011-08-18 10:42 | Trackback | Comments(0)

湿度70%の午後

電力問題のために、職場が輪番休日を採用していて、海の日の代休もあって自宅にいる。多少時間もあって、3本ほど記事を書いたが、ちょっと不安があって3本とも没にした。

言論が「日記」に留まるのか「メディア」となるのかは、その質よりもPVの桁数のほうがはるかに強く寄与する、だとか、宝くじは貧者をターゲットにした税金というけど、日本の年金制度はもっと悪質な税金だよね、とか、そんなことを書いた。2ちゃんねるのまとめサイトはたくさんあるけど、「痛いニュース」がメディアになるのは、その内容の質というよりは、多くの人が読んで話題にするというシェアのせいだよね、とか、宝くじは貧者をターゲットにした税金だから良くないというけど、日本みたいな賞金倍率シーリングの厳しい宝くじより、世代によって勝ち負けが確定の年金制度のほうがよっぽど悪質な税金だし、税金の集め方より使い方が杜撰なのが問題なんじゃないの、とか、そんなことを書いた。

けど、ここで上に書いた簡潔な内容で十分なような気がしてきた。それぞれ単独記事のボリュームになったんだけど、たぶんお蔵入りすると思う。一応ネタにした文章へのリンクは出しておこう。

(1)
終風日報編集後記 他者をメディアとする風潮 - finalventの日記

(2)
「税と年金の一体改革」 ちきりん私案 - Chikirinの日記
人生の一発逆転という悲しい夢 - Chikirinの日記

ちきりんの親御さんが亡くなっていて、かつ子持ちで、ついでにあと10歳若かったりしたら、だいぶ意見が違ってたんじゃないかと思った。自分とあからさまに違うポジションの意見ってのは、なんか大胆で面白い。

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最近買った本。あ、先日買った「はじめての仏像鑑賞入門」は楽しく読めた。ただ、イラストがちょっと版権使用料をケチりすぎなんじゃないかと思った。ちょっと絵の上手な人のメモ帳みたいな図説や、紹介している仏像の写真が有名なのに、あえて写真じゃなくてトレース画だったり、乾いた雑巾を絞った形跡が痛々しかった。

閑話休題。今度買ったのはこれ。

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

橋爪 大三郎 / 講談社


やはり新書の「はじめての構造主義」でお世話になった橋爪先生に、「キリスト教とはなんぞや」を知識ゼロから読めるように問う対談集。面白いけど、もう少し若いときに読みたかったような内容。子供のころ、初めて英語を習ったときに感じたような、言語の違いというより考え方の仕組みが違うという感じが、日本とアメリカの間にはある。その全てが宗教の違いに由来するわけじゃないんだろうけれど、「因果」と"cause and result"じゃ意味合いがきっと違うし、"Trinity"と「三位一体」でもたぶん意味合いが違う。訳せるんだけど、文脈が変わってしまう。そういう、宗教というよりも文化レベルに根付いた思考習慣というか、そういう意味合いでキリスト教とか密教というのは調べる甲斐がある気がする。

読みかけ段階でももう少し感想があるんだけど、また没になりそうなのでこれで終わり。
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by Antonin | 2011-07-28 16:00 | Trackback | Comments(2)


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