安敦誌


つまらない話など
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これでいいのだ

コドモたちがローカル局の再放送で元祖天才バカボンを見ている。アニメ版バカボンも大雑把に2世代あるけれども、テレビでは私たちが子供のころに見た第1世代のほうが流れていて、コドモたちも意外に違和感なく見ている。私が子供のころにも鉄腕アトムや鉄人28号のリメイクなどを見たが、コストダウンのために白黒の初代作品をそのまま流すということはさすがになかったと思う。ウルトラマンシリーズやルパン3世などを繰り返し再放送していたことはあったが、当時としてはそんなに古いものでもなかった。今でもキー局などではそういう古い作品が流れることもないので、放送チャンネル数の増加による余裕というか、あるいは余裕のなさといったほうがいいのかもしれないが、そういうものが昔の作品の再放送を生んでいるのだろう。

過去にヒットした作品というのは、当然ある水準の品質を満たしているので、あとの世代でそのまま流用しても意外に通用することが多い。そうすると、人間の寿命と同じか、うまくすると人間の寿命を超えて鑑賞される。そういう、世代を越えて共有される作品が、ある地域の文化を形成していくのだろう。何か説明が面倒なことを言葉で表すときに、共有している作品に出てくる人物や場面を挙げれば、それで話が通じることがあって、共通辞書というのか符丁というのか、そういうものを持っていれば簡単に話が通じるが、もっていないと話が通じない。そういう区分が文化の境界を作るし、何か困ったときに作品の一部を思い出して、自然とそれに倣った判断をすることが、行動面の傾向を作る。

江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃、長唄や落語なんかがそういう文化を形成していたと思うけれど、昭和には水戸黄門や大岡越前が、平成ではサザエさんやドラえもんあたりが、実質的に日本文化を担う共通辞書になっているんだろうと思う。水戸黄門や大岡越前は江戸時代の話しだし、サザエさんやドラえもんは昭和の話なんだけれども、この手の作品は当の時代の大人から子供まで認識が共有されていないといけないので、どうしてもひとつかふたつ前の時代を描いたような作品になる。男の子的には、明治にはチャンバラが、昭和後期には航空戦あたりが、平成の次あたりにはガンダムみたいな宇宙戦なんかが、共通辞書になるんだろうと思う。

言語や物流の縛りなどもあって、だいたいそういう共通辞書は特定地域内のもので、したがって共通辞書の存在によって形成される文化のほうも、特定地域と強い結びつきがあった。ただ、古い神話の一部は、ある種の宗教が持っていた「布教」という自己増殖能力と結びついて、地域を越えて広く広がったりしている。古代バビロニアあたりに由来があるという旧約聖書の物語は、なんやかやできっと南米あたりまで知られていると思うし、バラモン教の雑多な神話の一部も、仏教に取り込まれて日本までやってきている。

ところが、そうやって長い年月を経て国境を越えた神話というのは、同じ源流を持っていながら、時間的、空間的に長い旅を経ることで、結局独自解釈によってアレンジされたりしているので、これもやっぱり地理的距離に比例した隔たりを持った地域文化を作ったりしている。「サブカルチャー」という単語の定義は、多義的過ぎて正直よくわからないのだけれども、その混乱に乗じてひとつ意味を付け加えると、そうやって地理的な地域と強く結びついた、古いスタイルの「カルチャー」に対して、20世紀初頭の電信やその後のラジオ放送あたりから始まった、地域性よりむしろ時代性や嗜好性によって区分けされた文化区分をサブカルチャーと呼べるんじゃないかと思う。

音声作品や映像作品が楽しまれるようになっても、やっぱり生演奏や舞台演劇や肉声による語りが主流だった時代には、サブカルチャーのほうがあくまで「サブ」で、「メイン」の文化は地域文化のほうだっただろう。ところが、テレビには海外から輸入した番組や映画があふれ、普通の市民の日常生活の中でPCや携帯端末でネットに触れるような時間の比率が高まってくると、どちらかというとサブカルチャーのほうが「メイン」になってきて、地域文化のほうが「サブ」に落ちるというような逆転現象も、だんたんと出てきたのではないかと思う。

もちろん、テレビ局もある程度の戦略性を持って輸入する作品を選んでいるので、まったく無差別にサブカルチャーが世界均一になっているとは思わないけれども、アメリカで作られた映画が世界各国で見られていたり、こちらは完全に日本ローカルだと思っていたアニメ番組が多くの国の子供に見られていたというようなことも考えると、もうどちらがサブなのかわからない地域というのは徐々に増えてきているのだと思う。

で、まぁ、なんの話かというと、そうやって、地域性よりもどんな作品に接して育ったかが所属文化を規定しちゃうような世の中を今現在生きているんだけれど、そんな中で偶然、コドモたちが天才バカボンを見ている、と。もう今の日本人は、国定忠治とか、楠正成とか、弁慶・義経なんかでは感覚を共有しなくなったのだけれども、そういう中でコドモが天才バカボンを見ることで物語の辞書を形成していて、その結果として親子が同じ文化に所属するようになるという現象が目の前で起こっている。なんだか不思議なことだなぁ、と思った。


バカボンのパパは41歳と歌われていて、もうすぐ追いついてしまう。家の外で来年40だよと言ったら、40歳って「初老」なんですよね、と言われてしまう。40が初老ってのは、女が二十歳過ぎると「年増」って言われてた時代の話だろう、と切り返しておいたが、辞書で「初老」を引くと、確かに「四十歳の異称」と書いてある。70歳なら古希だが、70まで生きるのは古来まれなりというような中国の古典から来ているらしい。魏志倭人伝には倭人は百歳まで平気で生きる長生きな民族だと書いてあるから、日本人基準では別にまれでもないのかもしれないが、とにかく古希を過ぎたうちのオヤジは元気にしている。

「慶事抄」の後日談で甥っ子が生まれたので、時間があったら見に行こうと思うが、細切れの時間しか空いていないのでどうなるかわからない。この子が長じてバカボンを見る機会があるのかとなると、なおのことわからない。
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by antonin | 2011-08-18 10:42 | Trackback | Comments(0)

湿度70%の午後

電力問題のために、職場が輪番休日を採用していて、海の日の代休もあって自宅にいる。多少時間もあって、3本ほど記事を書いたが、ちょっと不安があって3本とも没にした。

言論が「日記」に留まるのか「メディア」となるのかは、その質よりもPVの桁数のほうがはるかに強く寄与する、だとか、宝くじは貧者をターゲットにした税金というけど、日本の年金制度はもっと悪質な税金だよね、とか、そんなことを書いた。2ちゃんねるのまとめサイトはたくさんあるけど、「痛いニュース」がメディアになるのは、その内容の質というよりは、多くの人が読んで話題にするというシェアのせいだよね、とか、宝くじは貧者をターゲットにした税金だから良くないというけど、日本みたいな賞金倍率シーリングの厳しい宝くじより、世代によって勝ち負けが確定の年金制度のほうがよっぽど悪質な税金だし、税金の集め方より使い方が杜撰なのが問題なんじゃないの、とか、そんなことを書いた。

けど、ここで上に書いた簡潔な内容で十分なような気がしてきた。それぞれ単独記事のボリュームになったんだけど、たぶんお蔵入りすると思う。一応ネタにした文章へのリンクは出しておこう。

(1)
終風日報編集後記 他者をメディアとする風潮 - finalventの日記

(2)
「税と年金の一体改革」 ちきりん私案 - Chikirinの日記
人生の一発逆転という悲しい夢 - Chikirinの日記

ちきりんの親御さんが亡くなっていて、かつ子持ちで、ついでにあと10歳若かったりしたら、だいぶ意見が違ってたんじゃないかと思った。自分とあからさまに違うポジションの意見ってのは、なんか大胆で面白い。

--

最近買った本。あ、先日買った「はじめての仏像鑑賞入門」は楽しく読めた。ただ、イラストがちょっと版権使用料をケチりすぎなんじゃないかと思った。ちょっと絵の上手な人のメモ帳みたいな図説や、紹介している仏像の写真が有名なのに、あえて写真じゃなくてトレース画だったり、乾いた雑巾を絞った形跡が痛々しかった。

閑話休題。今度買ったのはこれ。

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

橋爪 大三郎 / 講談社


やはり新書の「はじめての構造主義」でお世話になった橋爪先生に、「キリスト教とはなんぞや」を知識ゼロから読めるように問う対談集。面白いけど、もう少し若いときに読みたかったような内容。子供のころ、初めて英語を習ったときに感じたような、言語の違いというより考え方の仕組みが違うという感じが、日本とアメリカの間にはある。その全てが宗教の違いに由来するわけじゃないんだろうけれど、「因果」と"cause and result"じゃ意味合いがきっと違うし、"Trinity"と「三位一体」でもたぶん意味合いが違う。訳せるんだけど、文脈が変わってしまう。そういう、宗教というよりも文化レベルに根付いた思考習慣というか、そういう意味合いでキリスト教とか密教というのは調べる甲斐がある気がする。

読みかけ段階でももう少し感想があるんだけど、また没になりそうなのでこれで終わり。
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by Antonin | 2011-07-28 16:00 | Trackback | Comments(2)

不肖不精日記

なんだか、3本くらい非公開状態のネタが眠っているのだけれども、書くコツを忘れかけているのと、ちょっと睡眠不足というのが重なって、うまくまとまらない。まあ、そのうち再利用してみよう。

鈍行列車で3時間ほどのたびの途中、駅ナカの書店を散策して、新書を一冊買ってきた。Amazonのおすすめ機能も悪くないが、新しい買い物をしないと内容が固定化されてしまって面白くない。そういうときはやっぱりある程度規模のある書店の店頭を覗いてみるのも面白い。で、買ってきたのはこれ。

仏像はここを見る―鑑賞なるほど基礎知識 (祥伝社新書 (024))

瓜生 中 / 祥伝社



信仰としてニュートラルな立場から美術品として仏像を鑑賞する人のために、教養としての日本仏教の概要と、それに関連する仏像の記号的なあれこれを紹介する作品。しかし私は真言宗の立場から信仰の対象として仏像を見たいので、そういう意味での無知を埋めるための初歩的な資料として買ってみた。感情という内なる動物を理性が飼い慣らすための技術が信仰なので、せっかく使える道具は有効に使いたい。

あと、技術書を買ったり除湿機を買ったりもしたが、そちらは省略。

しかしまぁ、一人暮らしに最適な都内で子育てをし、子育てに最適な地方で一人暮らしをするというのは、なんだか屈折しているなぁ。逆ならいいのに。
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by antonin | 2011-07-07 13:50 | Trackback | Comments(11)

インプットメソッド云々

最近書いた文章を少しメンテした。「ついカッとなって」書いた文章はバグが多い。1ヶ月後の自分は他人なので、自分の文章の編集さんができる。今日になって気づいたが、's/被爆/被曝/g' が大量にヒットして参った。ひとつだけ本当に被爆について書いたものがあったので、それだけ残した。

先日、予備日を残して業務を終わらせてしまった職場で、ひとしきりタイピング速度計測大会になった。私は、日本語のローマ字入力だと、1,2タッチのミスがあるものの毎分280~300タッチ程度の速度が出るということがわかった。ローマ字のセットが日常利用しているものと同じだったので助かった面もあるが、職場の中では比較的早いほうだった。昔に比べると速度は出なくなっていると思うが、それでも若い頃にタッチタイプとチャットで鍛えた甲斐があったというものだ。仕事の場面では普通、指の動きよりも思考の速度のほうが追いつかないので、実用上はあんまり高速入力する場面というのはないのだが、まあ早いに越したことはないだろう。

アニメ名セリフタイピング

家にいる時というのは家事や育児に時間を取られて、なかなかまとまった時間が取れない。限られた時間の中でblogに妄想を書き付けるときというのは、頭にある考えが蒸発しないうちに文字にしておきたいという欲求があって、文の質を犠牲にしてでもとにかく高速で書き上げてしまうようなこともある。なので、こちらではやや高速入力が実用的になることもある。

一方、操作上の遅さがネックになっているのが携帯端末での日本語入力で、私はケータイ式テンキー入力ができないので、NEC製端末にだけ実装されているT9入力を使っている。2年だけシャープの端末(SH02A)を使ったが、あまりの入力しづらさにメールの頻度がめっきり減ってしまった。またNEC製(N03C)に戻したので、現在リハビリ中。以前使っていたN251iSの発売時期はたしか2003年とかだったので、当時は予測変換などもなく、T9もかなモードだけだったが、それでも便利だった。今度の機種はT9も漢字への直接変換や予測変換などにも対応しており、その面でも使いやすくなっている。

最近大はやりで女性に人気のiPhoneなどは、言語入力もソフトウェアだからライセンスさえ許せばT9を使うなどということもできなくはないはずだが、果たして対応しているのだろうか。Androidのほうが可能性としては高そうだが。調べてみると、名前以外は共通点のない、新しいUIの製品が出ているらしい。どちらにしてもUIは一から覚えなおしになるようだ。英語の場合、もともと文字体系が単純なのと、日本語T9に固有の機能である、頻出する母音を省略できるというメリットがないせいもあって、日本語ほどにはT9式の入力方法というのは便利なものではないらしい。

携帯電話のタッチスクリーン入力をより直感的にする「T9 Write」 :PRONWEB WATCH

Nuance T9 Trace

この文字入力の問題さえクリアできれば液晶画面を大きく取れるタッチパネル式のケータイに移行してもいいかと思うのだが、どうも不安がある。最近のガラケーはwebサイト閲覧の障害もかなり減ってきているので、ゲームで遊ぶとかそういう事を考えなければ利便的な問題は感じない。ワンセグはデータ放送でNHKニュースを受信するのにしか使わないし、オサイフなんちゃらはマクドナルドの「かざすクーポン」でしか使わないので、別に無いなら無いで何も困らないのだが、T9を失うのは困る。

N502itが流行していた頃に、NECがもっとT9を普及させておいてくれればこんな状況に置かれることもなかったかと思うと残念だが、過ぎてしまったことは仕方がない。一度楽をしてしまうと、一般的な状態に戻れなくていけない。今度の端末は防水・耐衝撃なので、T9と心中してこれが壊れるまで使っていこうかと思う。携帯端末の場合、他人のを借りて使うという機会がほとんどないので、PCのように親指シフトに慣れるとよそのQWERTYなマシンでまごつくというような互換性の問題が起こりにくいのが救いだろう。

NECが特許関係を解決した上で、T9ダイレクト風のIMEをAndroid向けに販売してくれるようになるといいのだけれど。まあ当分私には関係のない話ではあるけれども。
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by antonin | 2011-06-07 01:25 | Trackback | Comments(6)

近況など

前回日付が5/14か。最近色々とあったので羅列してみる。

・Windows Vistaを再インストールした。
発売日に購入して、その後自動アップデートをするに任せていたが、起動がひどく遅くなったのと、YouTubeなどを見ていると頻繁にデバイスエラーが出るので、HDDを高容量品に換装するのも兼ねて、OSから再インストールすることにした。結果、起動は早くなったが、冷却系にホコリが詰まっていた影響でグラフィックチップが熱にやられて物理的に損傷しているらしく、グラフィックに負荷をかけると相変わらず具合が悪い。ハイバネーションではなくスリープにしたときだけ画面が乱れるので、ソフトウェア的にも異常がありVRAMに指定した領域まで主記憶として誤認識されているような感じがする。もう面倒だからPCごと更新したいが、ちょっとお予算足りないのよね、な感じ。

・ケータイをSH-02AからN-03Cに変更した。
これは改めて何か書くかもしれない。T9快適。

・アッサとビール飲んだ。
うまい。

・6月からまた茨城で平日一人暮らしになるかもしれない。
工学部出ると都内には住めないらしい。

・数年前に金魚すくいですくってきた金魚が卵を産んだ。しかも孵った。10匹くらい泳いでいる。小さすぎて循環かけると吸い込まれるので、苔で水が濁っていて、正確な数は不明。ヨメが赤ちゃん金魚専用の餌など買ってきて、本格的に飼育する様子。全部大きくなったらどうしようなどという心配を今からしている。そんなに簡単じゃないと思うけど。

・伯父が死んだ。
伯母はすでに亡く、残るは父のみ。今のうちに親孝行しないとイカン。


次のイベントは甥が生まれるとかそこらあたりか。

--

薬が効いているので、何かを書きたいという気が起こらない。たまには何か書こうかと思って減薬すると、書きたいことが出てくるのと同時にそれなりのブルーに覆われるので、結局元に戻して「まあいいや」状態で安定する。最近リア充状態でそれなりに楽しかったのも、「まあいいや」に一役買っている。まあ、一人暮らしになればまた状況も変わるだろう。

あ、最近買った本も羅列しておこう。

悼む人〈上〉 (文春文庫)

天童 荒太 / 文藝春秋


悼む人〈下〉 (文春文庫)

天童 荒太 / 文藝春秋


以前、登場人物の「静人」に似ていると言われ、本も借りて読んだのだが、途中まで読んで返してしまった。先日出先の近くの書店に立ち寄ったら、文庫版が店先に平積みされていたので、上下巻合わせて購入した。本当なら下巻だけでよかったのだが、読み返すこともあるかもしれないと思い、一応上下巻で購入した。


日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)

篠田 謙一 / 日本放送出版協会


これは、日本人の源流説をミトコンドリアDNA(母系遺伝)とY染色体(父系遺伝)の系統分析から論じた本。まだ読みかけだけれど面白い。特に、「黒人」「白人」「黄色人種」という人種分類が遺伝子分析では必ずしも妥当ではないという指摘が衝撃的だった。詳しいことは読み終えるまで書くべきではないと思うけれども、「銃・病原菌・鉄」なども読み返してみたくなる内容だった。


お母さんはしつけをしないで

長谷川 博一 / 草思社


草思社がいったん会社更生法適用になって、今どうしているのかな、と検索してみたのが発端。本社を巣鴨に移して、過去のベストセラーで文庫を始めたらしい。この本もその中の一冊。最近ヨメとムスメがいつも戦闘状態なので買ってみた。


今日から怒らないママになれる本!―子育てがハッピーになる魔法のコーチング

川井 道子 / 学陽書房


以前からカートに入れっぱなしになっていたこの本も同時発注。ただまあなんというか、怒りまくるママになっている原因の半分くらいはパパにありそうな気もしていて、ささくれ立った自分のケアは本当に必要だったが、自分ケアが終わったらママケアが必要なんだろうという気がしている。


かなり前に読み始めた「宇宙創成はじめの3分間」は、本編のほうを読了。へぇ、こういう内容だったんだ、という感じ。思っていたより科学的な内容は少なく、しかも説明もあまり砕けた感じでもなかった。それよりも科学者によるエッセーと言える前後の各章が面白かった。翻訳が学者さんの手によるもので、用語などの使用が正確ではあるが、日本語として自然かというと、ちょっと難有りだった。原著改訂補遺と文庫版向け解題を今読むべきかどうか考え中。

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社員は無能になるレベルまで出世すると言うが、自分は大学卒業時に最も無能だった。嫌な過程ではあったが、いい具合のところまで滑り降りてきたのではないかという気がする。
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by antonin | 2011-05-30 01:24 | Trackback | Comments(0)

明るいナショナル

このところ薬がよく効いており、おかげで悩みも何もなかったのだが、副作用というのかなんというのか、どうも何ごともどうでもよくなってしまう傾向があった。震災のショックも放射能の心配も、まあなんとかなるだろうという、根拠のない楽観があって丁度良かった面もあるが、一方で世の中年には果たすべき義理というものが数多くあり、そういうものもすっかりご無沙汰になってしまっていた。コドモたちにイトコができそうだとかいうような話でも10日あまり放置してしまって連絡もせず、気がつくと芽吹いたばかりの薔薇の木までが枯れ始めていて、これはいかん、ということで、少し(医者には無断で)薬を減らしてみた。

以前掛かっていた医師は不満を訴えるとすぐに処方を変更したので、こちらとしても経験の積み上げがなかったのだが、現在お世話になっている医師は余程でないと処方を変えないので、おかげでこちらもいろいろと細かい観察が可能になった。減薬や断薬をするとどういう事態になるかというあたりまで含めて、体験的にいろいろとわかるようになったので、自分自身と今の処方の関係に限って言えば、おそらくは世界の中で自分が一番詳しいと言えるだろう。あらゆる患者とあらゆる処方の関連を扱う医師とは全く別の次元ではあるが、やはり患者自身が一番良く知っている分野というものはある。

しばらくブログの文章を全く書かなかったのも、震災に対する自粛というのではなくて、何かを書こうという自発的な欲求がほとんど起こらなかったからでしかない。まあ、日々移り変わる非常事態に対してはただ黙っているという態度も悪いものではないので、書く気が起こらないならそれもまたいいだろう、という判断もあったけれども。で、一日減薬しただけで、こうして何かを書こうという気が復活するのだから面白い。

3月11を境に変わった日本について書くのもいいし、身近にもいろいろの変化があったので、そういうものについて書くのもいいのだけれども、なんだか今はもっと浮世離れしたことについて書いておくのがいいような気がしている。もう少し減薬が板についてきたら、浮世の義理を果たすついでにいろいろ書いてみてもいいだろう。あるいは、その状態になって初めて環境の激変に実感が出て、大慌てするのかもしれないが。

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ということで、お題は「頑張ろう、日本」というあたりの空気について。「頑張ろう」という言い回しは、当初「頑張れ」であったものが、確か阪神大震災の時だったと思うが、「こんなに頑張っているのに、これ以上何を頑張れというのか」というような被災者の意見があったとかで、その対策でオリックスの球団あたりが言い出した表現だったように思う。

最近は「日本は強い国」というような表現も出始めて、要するにナショナリズムなのだけれど、こういう火事場のバカナショナリズムは非常に健全でいいものなのではないだろうかと思う。ナショナリズムの悪いところは簡単に排他的になったり独善的になったりするところで、その原因の大体は嫉妬とかそれに類する気分から出ている。しかし今回のような災害では、その発生源が嫉妬ではなく、もっと生活の危機に根ざしたものであり、加えて諸外国からの同情に満ちた支援などにも囲まれているので、こういう時こそ健全なナショナリズムの出番なのだろう。

ナショナリズムというと単純に否定的な感情を連想するように教育を受けたが、ナショナリズムも要するに効果の強い劇薬のひとつであり、副作用に注意して適切に用いれば、こういう災害時には最大の効果を発揮するのだろうと思う。宗教というとそれだけでカルトや既得権商売を連想して嫌悪感を示す人も多いが、宗教というのをよく調べてみて、そしてその根の部分は今でいう心理療法に相当するものなのだろうということが知れてからは、以前よりいろいろのものを受け入れることができるようになった。ナショナリズムもその手の心理技術のひとつなのだろうという気がする。

もちろん今の日本に広がる災害ナショナリズムの中にも危険な副作用の芽はあって、それはかつて「非国民」という表現に象徴されたような気分であり、今でいう「不謹慎」という言葉に見られるあたりの同調圧力にある。けれどもそういう副作用には注意を払いつつも、同じ土地や同じ組織を共有する者同士で、それまでは恥ずかしくて見せられなかったような、気分の良い仲間意識の発露をしてみるのもいいのではないだろうかと思う。そういう力で災害救助や社会復旧が進めば更にいいだろう。


今回の震災による犠牲者数は、死者行方不明者を合わせ、多く見積もって3万程度とする。福島、宮城、岩手の人口を合わせると600万程度で、人口比にすると0.5%程度の死亡率ということになる。新型インフルエンザが話題になったときに、このインフルエンザと非常に類似しているという歴史上のスペイン風邪について調べていたのだが、そこでもやはり、北半球の人口に対して1%程度の死亡率という数字を見た覚えがあった。なんだ、その程度か、とも思う一方で、突然人口の1%が失われるというのは相当の悲劇なのだな、という印象も持った。

今回の広域災害の状況と考え合わせて、死亡率1%という災害がどの程度むごたらしいものなのかということが、かなり実感を伴って理解できた。世界を100人の村に例えてしまうと、そのうちの一人が事故死したという話になってしまうのだが、180人いた同級生の一人をバイク事故で失ったときの気分を思い返してみると、まあそういうものなのかなという気もする。加えて今回は生き残ったうちの20人くらいも財産をひどく失っているわけで、そういう被害も加わってくるのだから、かなり厳しい状況ということになる。

それでも、99.5%が生き残ったというのは、大きな希望になるだろう。地震だけなら倒れない家、火災が燃え広がらないビル、津波に関する知識と訓練。もちろん今回の事態に対しては不十分な面はあったのだけれど、日本で同様の規模の地震を探すと9世紀に遡るというような大地震に対して、99.5%の人々を守ったというのは大したものだと思う。

被災地ではまだ食料も満足に行き渡っていない地域も残っていると聞くが、食料は欲しいが、炊き出しはぜひ自分たちにやらせてくれ、施しではなく仕事をくれ、というような声も上がっているらしいから、こういう日本人が99.5%も残っていれば、遠くない将来に劇的な回復を見せるだろう。原発などは心配だし、我が家からそう遠くない土地でも下水道が使えない地域が広がっていたりして、予断を許さない部分はまだ残るのだけれども、被災地の人々が自力で回復していくのを、少なくとも邪魔をしないようにしたい。

近所のスーパーへ行くと、茨城県神栖産の、青々として立派な葉振りで美味そうな水菜が一把68円で安売りされていたので、同地産のピーマンと一緒に買ってきてサラダにして食べてみた。市場ではダンボール入りが10円単位で投売りされているなんていう噂も聞こえてきており、こういう事も一日も早く回復して欲しい。関東・東北太平洋沿岸の産品を積極的に買おうという程度のナショナリズムなら、かわいくていいんじゃないかと思う。

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放射能の害というあたりについても、また改めて書いてみようかと思う。巨視的には確率論となる現象でも、微視的には必然の現象の積み重ねであったりして、議論は案外に直感を裏切る展開になる。それはそれで興味深い話になるのだが、時間も時間なのでこれにて。
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by antonin | 2011-04-04 00:31 | Trackback | Comments(0)

現在進行中

東京に雪。窓の外を見ると、交通量の少ない路地にはすっかり雪が積もり、幹線の方にもぼちぼち積もり始めているらしく、車の流れがゆっくりとしている。隣の建物の屋上には鳩の棲み家があるのだが、鳩が雪の中で身を縮めて眠っている。この時ばかりは人間に生まれて良かったと思う。

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最近読み終えた本。

移民と現代フランス ―フランスは「住めば都」か (集英社新書)

ミュリエル・ジョリヴェ / 集英社


内容はフランス人女性が現代フランスと人種差別を問うドキュメンタリータッチの新書なのだけれども、その移民の出所が(ポルトガルなどEU圏内を除けば)旧フランス植民地各国であり、間接的に語られる移民たちの母国の実情が興味深かった。中でも現代フランスで問題になっているのが、マグレブと呼ばれるアルジェリアやチュニジアといった北アフリカのイスラム諸国からの移民だった。

同じ移民でもカンボジアやラオスといったアジアからの移民は働き者というイメージもあってあまり嫌悪されていないのに対し、非黒人でありイスラム教徒であることの多いマグレブ出身の移民や、ブールと呼ばれるフランス生まれの移民2世たちは、比較すると非常に面倒な立場にあるということが書かれていた。宗教的あるいは文化的な衝突の影響もあるのだろうけれども、一番大きな理由はやはり、その数の多さなのだろう。

北アフリカというと、エジプトにまで及んだ民主化運動の震源地でもあり、フランスへ渡った人々が「帰るに帰れない」と語る状況を読みながら、長期政権下の閉塞感のようなものをなんとなく想像できるような気がした。ただしマグレブの政治状況や経済状況を直接に解説するような記述はないので、移民やその子供世代の感想から推し量るしかないのだけれども。とにかく、フランス人にとってはチュニジアやアルジェリアの政治経済が決して他人事ではないということが感じ取れた。


フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

サイモン シン / 新潮社


かつてのベストセラー。そして非常に読みやすい本。訳者のあとがきにあるとおり、日本人数学者や女性数学者といった、マイノリティに対して非常に温かみのある視点で物語が描かれている。肝心な数学についてはほとんど何もわからないが、作者の筆力のおかげで息もつかせず一気に読み終えることができた。

この手の本が文庫でどんどん発売されると嬉しいのだが、ちょっとした偶然からブームになったもの以外は単行本で終わってしまうことが多い。手許にも「四色問題」「ケプラー予想」「ガリレオの指」などといった読み物があるが、いずれもハードカバーなので混雑した電車の中で読むには苦しい。電子書籍が普及するとデバイスサイズとコンテンツ販売が切り離されて、この手の問題が解決された便利な世の中になるのだろうか。


ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫)

塩野 七生 / 新潮社


文庫の方も、今年の秋で完結。まあ急ぐこともないか、ということで、ゆっくりと読んでいる。ついにコンスタンティヌス帝が登場して、千年の都ローマからビザンティオンに遷都する。ややこじつけの感もあるけれど、千年の都だった平安京から遷都した我が国を省みて、やっぱり都を移すと国も変質するのですね、というような感想を抱く。他にも思うところはいろいろあるが、そちらは折を見て。


で、今読んでいるのは、このあたり。

道草 (新潮文庫)

夏目 漱石 / 新潮社


全体に漂う、なんだかなあ、という気分が心地良い。中島敦に自伝的な作品があるが、その原型になっているんだ、ということに気付く。へぇ。


カバーを掛けて鞄には入れているが、まだ怖くて開いていないのが、これ。

宇宙創成はじめの3分間 (ちくま学芸文庫 ワ 10-2 Math&Science)

S.ワインバーグ / 筑摩書房


実はまだ読んでいないのでした(学生時代には読んだけど内容は忘れた)。これは文庫になった科学読み物だが、文庫になるまでいったい何年待ったことやら。


積ん読の在庫はまだまだある。

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今日の漂着地:93才のホームページ

仏印」を検索していて漂着。フランス移民の中にカンボジア難民がいたが、そうえいば歴史上フランス領の東南アジア地域があったな、と思い立って検索したら、当事者による飾らない戦争体験という貴重な資料を発見。Javaアプレットがあったりして、サイトデザインの面でもマイクロノスタルジーにひたれる。文章も面白く、時間を掛けて読んでみたい。
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by antonin | 2011-02-14 23:13 | Trackback | Comments(0)

猫の耳に真珠

タイトルに意味はないんですが、なんというか、実際やってる人もいそうな感じはあるな。ネタを説明するのは無粋なんだけど、「猫に小判」と「馬の耳に念仏」と「豚に真珠」を混ぜたら、ちょっとオシャレめになった。

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「アレキサンドライト」という単語を思い出したのでネットで検索してみると、光源によって色が変わって見える宝石だということがわかった。おそらく子供の頃に学研の図鑑「岩石」あたりを見て名前だけ覚えたのだろう。

アレキサンドライト - Wikipedia

意味的には「アレキサンダー鉱」であり、アレキサンダー大王あたりに由来する名前かと思ったが、ロマノフ朝の皇太子アレクサンドル(のちのアレクサンドル2世)に由来するものだった。献呈自体は父帝のニコライ1世宛とのこと。光源によって色が変わるというのは、なにか蛍光作用でもあるんだろうか。

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蛍光といえば、最近我が家のインバーターシーリングライトが壊れた。開けてみると蛍光管自体は生きていて、インバーター基板上のヒューズが切れていた。基板には電解コンデンサー数個が載っていたので、おそらく経年劣化でショートでもしたのだろう。他の部品は劣化しにくい物が多かったので、電解コンデンサーとヒューズを交換すれば修理できそうではあったが、素人工事で火事を出したりすると非常に厄介でもあり、引越し前から10年も使っているということで、寿命とみなして新しいものを購入することにした。

世間ではリモコン式が主流らしいが、リモコンは子供がいじって肝心なときに見つからなかったりするので逆に面倒なことも多く、今回もひも式の安い製品を購入することにした。

NEC 蛍光灯シーリング (6~8畳用) 8LV111SG <33368>

NEC



ところが、この製品に同梱されている蛍光管がホタルックとか言う長残光タイプになっていて、スイッチを切ってもしばらく青緑色に光っている。蛍光灯のガラス管に塗布されている蛍光材は、ブラウン管式テレビで使われているような赤・緑・青の発色をする蛍光体を混合したものになっている。電球色の場合も赤の配合比率を上げてあるだけで、基本は同じである。ホタルックの場合、おそらく緑の蛍光体に長残光タイプを使っているのだろう。

長残光タイプの蛍光体というのは、昔のオシロスコープであるとかレーダー表示であるとか、変わったところではベクタースキャンのコンピュータディスプレイなどにも使われていたもので、電子ビームを照射して明るく光らせると、その後数百ミリ秒から数秒程度、減衰しながらも蛍光が残るタイプの蛍光体を指す。テレビやラスタースキャンのコンピュータディスプレイでは動きに強い短残光タイプが使われるし、オシロスコープも液晶ディスプレイを使うメモリ式が主流になってきて、最近では長残光ディスプレイを目にする機会も減った。昔はコンピュータディスプレイに信号を送り出すビデオメモリの読み出し速度が追いつかなくて、スキャンスピードを犠牲にしつつ高解像度を得られる長残光型のグリーンディスプレイなどもあった。

ホタルックはそういう長残光タイプの蛍光体を蛍光灯に使ってみたというアイデア商品なのだろう。NECといえば、かつて自前で長残光タイプのディスプレイを作っていた時代もあったので、そういうところから移ってきた人材が遊び心から作った商品なのかもしれない。ヨメなどはあの残光が気持ち悪いと言っていたが、コドモたちは喜んでいる。個人的には紫外LEDでも買ってきてホタルック管に向けて照射してみたら、オシロ的な輝線が描けて面白いかな、などと企んでいる。

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最近また電車に乗るようになったので、読書が幾分はかどるようになった。読みかけの「沙門空海」をようやく読み終えることができた。次は、やはり積ん読のままだった「移民と現代フランス」あたりにしてみようか。

沙門空海 (ちくま学芸文庫)

渡辺 照宏 / 筑摩書房


移民と現代フランス ―フランスは「住めば都」か (集英社新書)

ミュリエル・ジョリヴェ / 集英社



現在の東京も移民に準ずる人が大勢住んでいるが、その人口が10倍、100倍となっても現在の認識が通用するかというと、そういう事はないだろう。少数の人は既存文化に溶け込まないと生きていけないが、同質の文化を持った人がある程度の密度に達すると、独自の文化の中で生きていくことができるようになる。固溶体の相図とのアナロジーで理解できるような部分が、おそらく移民の数と質の問題にもあるのではないかと思う。

[材料の地図 「状態図」ってなに?]マテリアル・開発系
はんだマニアックス /A-1DRIVE
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by antonin | 2010-12-10 02:08 | Trackback | Comments(0)

つまらない話など

何か書こうと決めて書き始めると、5年もこうして駄文を書き重ねてきた経験というのか、いつもそれなりのものが書けるのだけれども、書いた直後に馬鹿らしくなってしまうことが多くて、そうなると非公開で保存してしまう。で、あとから気が変わって半分やけっぱちで公開してしまうこともあるし、そのまま忘れてしまうこともある。そういうわけで、今日も何かしら書いたのだけど馬鹿らしくなって非公開にしてしまった。

今回はオチまで書いたので後日公開することになる可能性は高いが、今のところは古い記事の虫干しで終わっておくことにする。

安敦誌 : ギャンブルの話
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by antonin | 2010-11-22 01:14 | Trackback | Comments(0)

日記的な

そういえば、スカイツリーって言葉は、スパイク・リーとかテレンス・リーとかブルース・リーといった人名に近い響きがある。

まだ字が読めなかった頃、テレビに出てくるブルース・リーの名前は耳で聞くしかなくて、

レッド・ワン!
イエロー・ツー!
ブルー・スリー!

みたいなヒーローなんだと思っていた。その後、ブルースという名前やリーという姓があると知っときは軽い驚きだった。まぁ中国人は数が多いので、Red WangやYellow Zhuなどと名乗る人物も、探せば出てきそうな気がしなくもないけれど。

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"Zhu"を検索していたら、Zhu Zhu Pets というオモチャがアメリカで売れているらしいというのを発見。

Welcome To Zhu Zhu Pets Hamsters!
(注意:音が出ます)

これ、浅草を散歩しているときにおもちゃ屋さんの店頭に展示してあって、コドモたちが興味を示していたな。邪魔くさそうだから買わないけど。

現在我が家で流行しているオモチャは、LaQという、ブロックというかパズルというか、そういうもの。

LaQ(ラキュー)【7つの基本パーツで世界が広がる、まったく新しい知育玩具】

いかにも日本の製品というような加工精度の高いプラスチック部品からなるオモチャで、保育園に置いてあるのをムスコ1号が気に入って遊んでいるというのをババが知って、ある日いきなりドカンとスタンダードセットを買ってきた。結構なお値段であり、記念日でもなんでもないのにいきなりこういうのを買い与えてしまうのは教育上イカガナモノカとも思うのだが、まぁありがたいといえばありがたいので、片付けをちゃんとするのを条件に遊ばせている。

数が少ないと作例どおりの物しか作れなくて面白くないのだが、数が多くなると指数関数的に造形可能な範囲が広がってくるので、結構面白いことになっている。

LaQ公式ガイドブック LaQ ABC BOOK (別冊パズラー)

世界文化社


こういうガイドブックを見ながらいろいろな物を作って遊んでいるが、それ以外にもムスコ1号は幾何学的な繰り返し模様なども結構喜んで作っているので、そういうのも見ていて面白い。ムスメもときどき遊んでいるようだ。

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ムスコ1号が拾ってきたドングリを植えておいたら、いつの間にかずいぶんと育っている。
b0004933_14403968.jpg

小さい鉢に植えたままにして、うまい具合に剪定したら盆栽になるだろうか。それとも松とかツツジのような木でないと出来ないようなものなんだろうか。

よく見たら、今年最後と思われる朝顔も咲いていた。さすがに寒いのか、妙な具合になっている。
b0004933_14434422.jpg

今年は春先に朝顔の根がコガネムシの幼虫に食われて一度全滅したので、出直して初めての花が咲いたのは8月15日にもなってからだった。相当量の種を投入したので今年は久しぶりに赤字(蒔いた種より収穫が少ない)になりそうだが、それでもそれなりの個数は確保できそうなのでホッとしている。
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by antonin | 2010-11-08 14:55 | Trackback | Comments(0)


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